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エンヴェル・ホッジャ

えんゔぇるほっじゃ

エンヴェル・ホッジャとは、アルバニア社会主義人民共和国の政治家である。
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生涯

1908年10月16日、当時はオスマン帝国統治下だったアルバニア南部のジロカストラムスリムの家庭に生まれる。

1930年、ホッジャは奨学金を得てフランスモンペリエ大学に入学。しかし、政治への関心を強く持つようになり、1年ほどで退学している。その後、フランス共産党に入党し、同党の機関紙『ユマニテ』紙にアルバニア王国政府批判論文を掲載する。1934年からホッジャは在ブリュッセルアルバニア領事秘書を務めながら、大学法律を学んだ。その後1936年にアルバニアに帰国しコルチャ中学校教師となった。

1939年4月、イタリアアルバニアに侵攻すると、ホッジャはアルバニア・ファシスタ党への参加を拒絶したため教師の職を解雇された。ホッジャは首都ティラナタバコ屋を開いた。その後、ホッジャはヨシップ・ブロズ・チトーユーゴスラビアパルチザンに支援され、1941年11月にアルバニア共産党(※1948年以降はアルバニア労働党)を結成し、レジスタンス運動を展開した。同党は1944年11月に政権を樹立し、ホッジャが首相に就いた。
戦後の1946年にアルバニア人民共和国の建国を宣言、最高指導者となった。ホッジャは正統派マルクス・レーニン主義を宣言し、ヨシフ・スターリンを崇拝した。独自のスターリニズムに基づく社会主義国家建設を目指し、1948年にはソ連と対立してチトー主義を掲げたユーゴスラビア断交した。また、ホッジャはユーゴスラビアとの関係を支持したコチ・ヅォヅェ国防大臣を1949年に粛清している。1954年首相職をメフメット・シェフーに譲るも、引き続き労働党第一書記として権力を揮った。スターリンの死後、ソ連の最高指導者となったニキータ・フルシチョフによって「スターリン批判」が行われるとソ連との外交関係を絶った。1968年にはワルシャワ条約機構を脱退した。
中華人民共和国に接近して、アルバニア人民軍人民服風の軍装を着て大量の中国59式戦車戦闘機J-6などで武装していた。
1967年には中国文化大革命にも影響され、「世界初の無神国家」を宣言し、全国の教会モスクを閉鎖させ、あらゆる信仰の表明は違法となった。また、農業教育を重視して識字率を5%から98%に改善して食糧自給も達成した。

1971年には国際連合アルバニア決議を共同提案して国際社会で友好国の中国が確固たる立場を築くのに一役を買った。しかし、ホッジャは1972年のニクソン大統領の中国訪問には批判的であり、リチャード・ニクソンを「熱烈な反共主義者」と嫌った。1976年にホッジャは毛沢東葬儀に出席するも、中国アウグスト・ピノチェト政権下のチリなどの反共的な国々と国交樹立したことや中国の3つの世界論は「第三世界の超大国」になることを目論んでいるとホッジャは批判し、華国鋒鄧小平の時代となると中国からの援助は途絶えた。

1975年に米ソデタントの波から東欧諸国と西欧諸国が参加した全欧安全保障協力会議ヘルシンキ宣言も拒否してヨーロッパ安全保障の枠組みからも外れたアルバニアは、隣国のギリシャユーゴスラビアとも領土問題を抱えていた。これらの問題が、アルバニア社会主義人民共和国鎖国するきっかけとなった。

1978年に「アルバニアは世界で唯一マルクス・レーニン主義国家である」と宣言し、独自のホッジャ主義を提唱した。ホッジャは東側諸国に対してマルクス・レーニン主義に反すると批判して共産圏の陣営でも仲間を失い、孤立を深めた。また、西欧諸国の共産党ユーロコミュニズムに転向すると、「ユーロコミュニズム反共主義である」という論文を発表し、以後はニュージーランド共産党日本共産党(左派)(長周新聞劇団はぐるま座)を始めとする「アルバニア派」と呼ばれる各国の政党と関係を持つようになった。

1981年、ホッジャは、数名の党および政府高官の処刑を命じ、新たな粛清を行った。当時のメフメット・シェフー首相は1981年12月にアルバニアの指導者間闘争が原因の自殺をしたと伝えられたが、実際のところは粛清されたと言われている。

ホッジャは1985年4月11日に死去した。76歳没。後継者はラミズ・アリアであった。
葬儀はホッジャの遺言により外国政府の弔問弔問外交の場になるとしてことごとく拒否され、ソ連からの弔電は突き返れた。当然、外国人ジャーナリストの入国も許可されなかった。首都ティラナにはピラミッドの形をしたホッジャの霊廟、「エンヴェル・ホッジャ博物館」も建設された。

ホッジャの死後、後継者のアリアの下でアルバニア内政および外交における開放が進むことになった。東ヨーロッパにおける共産主義の退潮が鮮明になるとともに、アルバニアも1990年に一党独裁を放棄し、アルバニア労働党社会党(アルバニア)へと改名した。

著書

生前のホッジャは、以下のような著書を発表している。
・「アルバニア労働党第7回大会における報告」 人民の星社 1976年
・「修正主義と闘うアルバニア労働党」 人民の星社 1978年
・「帝国主義と革命」 人民の星社 1978年
・「ユーロコミュニズムは反共主義である」 1980年
・「スターリンと共に」 1981年

関連タグ

アルバニア アルバニア社会主義人民共和国 RPSSh 共産主義 社会主義 マルクス・レーニン主義 スターリン主義 ホッジャ主義 独裁者

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