人物
高校時代から文筆業に憧れ、慶應義塾大学文学部に入学する。そこで放送研究会に所属し、ラジオドラマ全日本コンクール脚本賞関東大会に3年連続で入賞を果たした。
1958年に大学を卒業したが、当時のなべ底不況で就職できずコネクションを頼って東宝に応募したものの文芸部の募集はしておらず不合格。おまけに家業を継がなかったとして両親と大喧嘩し、勘当されたため頼ることもできず田園調布のアパートで餓死寸前の極貧生活を送っていた。
勘当から約半年後に、大学時代の友人がRKB毎日放送へと入社したことで、同局のラジオ放送における音楽番組の構成台本にて辛くもデビューを果たす。
そこから飯島敏宏の紹介でラジオドラマ、実写ドラマとしてキャリアを重ね、飯島の紹介でTBSからの出向という形で円谷プロダクションにて飯島が監督を引き受けていたこともあって藤川自身も1966年『ウルトラマン』に企画段階から参加。それ以後も『快獣ブースカ』『ウルトラセブン』といった円谷プロ作品や『宇宙猿人ゴリ』『秘密戦隊ゴレンジャー』など数多くの特撮に参加した。
『マジンガーZ』に参加してからはアニメも手掛けるようになり、企画段階から参加しメインライターをつとめ日本のアニメの在り方を変えた『宇宙戦艦ヤマト』を手掛ける。
その後1970年代後半から1980年代にはアニメ版『銀河鉄道999』を最多脚本執筆、『六神合体ゴッドマーズ』は横山光輝の原作を作者の了承があったとはいえほぼ藤川のオリジナルといえるほどにアレンジしてメインライターを手掛けた。
1980年代からは番組作りがスポンサー主導になったことへの違和感や、物語よりも視覚性を重視した『超時空要塞マクロス』の出現で時代の変化を感じ取り、小説家へと転向。
1984年に執筆した『宇宙皇子』はいのまたむつみの挿絵の魅力も手伝って全52巻、1998年までの14年間も続いた大ヒット作となり、現在のライトノベルの礎となった。
2000年代にはいるとかつての盟友松本零士作品のアニメ化や、『ウルトラQ_darkfantasy』『ウルトラマンマックス』、『ゴッドマーズ』の原作である『マーズ』をアニメ化した『神世紀伝マーズ』で脚本業に復帰した。
80年代後半にアニメージュにて読者からのお悩み相談コーナーを担当した。
参加作品
アニメ
『マジンガーZ』
『鋼鉄ジーグ』
『銀河鉄道999』
『宇宙戦艦ヤマト』※ひおあきら版の漫画原作も担当
『1000年女王』
『ムーミン』
『ザ☆ウルトラマン』
『天才バカボン』
『キャッツアイ』
『キャプテン』
『プラレス三四郎』
『さすらいの太陽』※原作者としてクレジットされている
特撮
『ウルトラマン』
『ウルトラセブン』
『快獣ブースカ』
『怪奇大作戦』
『ミラーマン』
『宇宙猿人ゴリ』
『電人ザボーガー』
『ロボット110番』
『サンダーマスク』
『Xボンバー』
小説
『宇宙皇子』
『ウィンダリア』