「 全ての生き物が見る夢は実は根底部分で繋がっている 」(『東方紺珠伝』)
「 夢っていうのは (中略) あくまでももう一つの現実に過ぎない
これを現からどうにかしようって事は 夢から現がどうにかされるって事でもあるわ
夢は受け入れないといけないわ 」(博麗霊夢、『東方茨歌仙』)
ドレミー・スイートと「夢の世界」
東方Projectにおける「夢」は他者と接続しているものであり、この接続部分を通して、夢では例えば見知らぬ場所にもいくことできるし、出会ったことのない誰かに出会うことも出来る。何者にもなることができる。共有された「This Man」、あるいはそれを彷彿とさせる存在(『東方文果真報』)にも出会えるだろう。
夢は様々な現象や力学が自由であり、そのため他者と共有していることによる影響力も大きく、そしてこれを自らの力として意図的に使用しようとする者は注視されなければならない。
この夢の世界を監視するのが、獏の妖怪にして夢の支配者であるドレミー・スイートである。
夢の世界はドレミーにとっても住処でもあるとともに、ドレミーには夢を「 消したり創ったり、入れ替えたり 」することで眠りと共に夢の世界へやってくる魂たちと夢の世界のバランスを守るという夢の世界の「 秩序 」の管理者としての側面もある(『紺珠伝』)。
しかしドレミーの初登場の機会ともなった『紺珠伝』ではそれに至る物語も含め、夢の世界は大きく揺れ動くこととなった。『紺珠伝』作中当時またはそれ以前、現実の「 月の裏側 」(主に「特殊な結界の内側」の意味)にある、かつて地上の穢れから逃れた者達が築きあげた土地である月の都は、純化した生命の穢れを行使して侵攻を成し、この都に幽閉される自らの息子の仇である嫦娥を都から引きずり出そうとする純狐によって、反撃も(『紺珠伝』)、現地の観測さえもかなわない(『東方外來韋編』)ほどの攻撃を受けていた。
この事態にあって、「 月の賢者 」達は月の民も含め純狐の攻撃から逃れる方法を模索する。
このとき白羽の矢が立ったのが夢の世界であり、月の民の精神を夢の世界に構築した夢側の月の都に一時的に移すというものであった。迫り来る穢れから民とともに夢世界に一時避難し、対策を練る時間を得るのである。
夢の都の構築に向けて月の民にして高位の存在である稀神サグメはドレミーに命じて夢の世界に月の都を「再現」させ、その後月の都の民の精神は本人たちが意識も感知もしないままここに退避していくこととなり、現実の月の都の機能は凍結された。
ドレミーによる夢の月の都の再現の精度は、事情を知らない民たちが「半年以上」経ってもなお、今自分がいる世界が夢世界のものだと気づかないほどのものであり、情報に触れることのできる鈴瑚などの一部を除いて、内部的にはこれが夢世界の中だと悟られることもなかった。
「 夢の世界の都は、みなが思うようないつも通りの月の都だった 」(『紺珠伝』)
また地上から月の都への接続には「 精神世界 」を経由するという性質を利用してドレミーは「 本物 」の月の都へのルートを閉ざしてもいた。
ただしこの一連の月への協力はドレミーは乗り気ではなく、「 迷惑 」でしかなかった。
ドレミーによれば「 長い夢は精神を蝕みやすい 」ものでもある。
そんな折に、夢の世界に「 生身 」のままで地上からの人間(と元月の兎)が現れ、これが『紺珠伝』本編の物語(ドレミーの初登場の場面となるstage3)へと結ばれるのである。
また「夢の世界」は『紺珠伝』以後の時間である『東方憑依華』にも登場する。
『憑依華』に登場する「夢の世界」もドレミーが多大な影響力をもって支配する場所として登場している。
本作では夢の世界にも現側と同じ人物・存在があることが語られている。
例えば宇佐見菫子は夢の世界で「夢側の博麗霊夢」や「夢側の霧雨魔理沙」に出会っており、見知っているいつもの霊夢や魔理沙との違和感も感じている。
さらに本作ストーリー中では「夢側の鈴仙・優曇華院・イナバ」がプレイアブルキャラクターとなっており、現の鈴仙との性格的な違いも見られている。
夢の世界の住人は、一般に「 感受性が豊か 」、「 素直 」(いずれもドレミー、『憑依華』)であり、時に過激な言動が見られる。
欲望がそのまま表現されることもある(ドレミー、『憑依華』。自由対戦モード汎用勝利セリフ)。
先の鈴仙などは活動する先々で出会った、現側の普段の鈴仙を大なり小なり見知っている間柄の相手からは、現側の普段の鈴仙からは想像できない感情的な様子やアクティブぶりに驚かれている。
夢の世界の住人たちは『憑依華』で語られる「完全憑依異変」の影響で、現側での同じ人物の「完全憑依」の発動と共に現側の自分が夢の世界に潜むのと入れ替わるように現側に押し出されており、これが『憑依華』での物語に深く関係することともなる。
夢の世界は現側とはまた異なる世界であり、例えば現側から無断で干渉することなどはドレミーによれば「 ルール違反 」にあたる。『憑依華』では完全憑依異変の影響もあって夢側の存在が現側で暴れるという事態ともなっているなど、夢の世界側からも干渉的アクションが見られる特殊な状況下にもあったが、夢の世界への干渉について管理者であるドレミーは、そもそも現側の「完全憑依異変」発生というアクションこそが発端・原因であったことなども挙げ、明確に不快感を示している。
この完全憑依による夢の世界への影響はその後も幻想郷に影響を及ぼしており、例えば夢側の存在が引き続き現側に現れるという事態にも見られている。
これは完全憑依異変の黒幕が敗北してなおも続いており、今度はその黒幕たちが更生と罪滅ぼしの意味も含めて、この後始末に奮闘するとなる。
幻想郷にも波乱は続いているが、完全憑依異変が続いて夢の住人が現側に入れ替わる現象が続く限り夢の世界にも余波は届き続けており、夢の世界の管理者であるドレミーにもまた、まだまだ安眠の時は訪れない。
『憑依華』作中で描かれた「夢の世界」は夜空のような青の空に巨大な三日月やまさに「☆」の形をした星が浮かび、その下には不安定な形状の、怪しげな西洋風の城や塔の他、観覧車やジェットコースターらしき影がある。
建物は総じての影のようであるが、各所の窓からはそれぞれの建物の中に光があるように描かれている。
建物の手前や奥には森が広がっており、まさに絵本の中のような世界である。
作中では菫子(現側)がここに迷い込んでおり、「 不気味な世界 」との感想を抱いている。
同作では自由対戦モードなどでこの夢の世界をステージとして選択することも出来る。
本作でのデフォルトのステージ曲は「永遠の春夢」または「スリープシープ・パレード」。
この他ドレミーは人間妖怪多種多様な種族が「夢」を見るに至る現側での「眠り」の環境にも独自にアプローチしており、現側の人々に快眠をもたらすべく、「 スイート安眠枕 」を提供している(『文果真報』)。枕自体の品質は確かなようで、文々春新報によれば人間妖怪問わず幻想郷でヒット商品となっているとのこと。
ただし時折何者かが夢の中に現れて枕の使い心地など品質についてのリポートを試みたり販売促進のアピールをしたりすることもあって、事情を知らない人々からは、夢の世界で他者が出会ったものと同じ「 不気味な人物 」に自分も出会ったとして語り草となっている。
まさに「This Girl」といえるだろう。
証言者たちによる人物像の書き起こしを見る限り、これはドレミーで間違いない。
ドレミーは文々春新報に枕の広告も出しており、どういった流通経路であるかは不明ながら、現側の「 寝具店 」に卸している様子である。実際に人々が現物を手にしているので、生産から提供に至るまでドレミーなりのルート自体はあるのだろうが詳細は『文果真報』時点では不明である。
菫子と「夢の世界」
先述のように菫子は『憑依華』においてドレミーの管理する夢の世界を直接体験したが、これ以前より菫子は夢を通して幻想郷を訪れるという方法を本人の意図とは別に開拓しており、作中では「 夢幻病 」とも呼ばれるこの現象(『東方茨歌仙』)についてはドレミーも感知していた。
『憑依華』では菫子は完全憑依異変の影響でいつものように眠りを通して幻想郷を訪れるはずが夢の世界へと至ってしまい、さらには夢の世界の菫子が現側に入れ替わったために夢の世界に閉ざされることとなった。ここで菫子はドレミーとも出会っている。
とある経緯から菫子は夢の世界を脱するが、夢の世界側の自分が現で暴れていることを知り、監視のために分身として共に夢の世界からやってきたドレミーとともにそれへの対処に向かうこととなる。
菫子もまた特殊な経緯で「夢の世界」とかかわりを持った人間であり、『憑依華』本編中では支配者であるドレミーを除いて唯一、現側の存在が「夢の世界」で奔走させられた人物ともなった。
また菫子は初登場した『東方深秘録』において自らの住まう外の世界と幻想郷という二つの世界を体験したが、『憑依華』においても眠っている菫子本人とその身体がある外の世界、幻想郷、夢の世界という複数の世界を体験することともなった。
茨木華扇によれば、仙人もまた「夢の世界」に行くこともよくあるが、仙人でなくとも夢の世界に迷い込むこともある。菫子の「夢幻病」は仙人のものとはまた違ったタイプであり、これは菫子に特有のものである。八雲紫によれば夢を介した菫子の幻想郷訪問の当初は、幻想郷側でこれと同じくして人間の夢が幻想郷から一時消失するという現象も起きており、菫子の幻想郷訪問には先述のようにドレミーも感知し得るような夢の世界の理も巻き込んだ仕組みがあったことも語られている(『茨歌仙』)。
八意永琳によれば
「夢の世界」については八意永琳も語っている。
例えば永琳は射命丸文の取材に回答する形で「 夢の世界はもう一つの自分 」としており、「夢と現実が入れ替わる」という可能性についても言及している(『東方文花帖』)。
永琳は「実は昔からあった」という主観的世界において夢と現を入れ替える「 薬 」を調整し、効力をおさえつつ副作用もまた低減したものとして「胡蝶夢丸」を生み出した。
永琳の手の薬によれば悪夢を見ることも自在であり、悪夢や「 スリリングな夢 」への需要に対して「胡蝶夢丸ナイトメアタイプ」も生み出しているなど、夢の世界で夢を操作するドレミーとはまた違った、現側から夢を任意に操作する方法を生み出している。こちらについては永琳は自身の弾幕の一つとしてもスペルカードとして表現している(<薬符「胡蝶夢丸ナイトメア」>)。
また永琳はかつては先述の月の都の建設に携わり、とある経緯から自ら「 穢土 」である地上に堕ちた身であるが、未だにその叡智には信が置かれている(例えばサグメ、『紺珠伝』)他、今日の月の都においても永琳を強く慕う者(例えば綿月豊姫、綿月依姫。『東方儚月抄』)もある。
ドレミーも関係した『紺珠伝』の騒乱に予想外の一手を差し込んだのも永琳の手によるものであり、その叡智への信頼が月の都のサグメにも伝わって少なくとも月の都にとって純狐の脅威が除かれるという点での問題解決にも繋がる(夢の世界から元の月の都に民を戻すことができる可能性が拓かれる)など、月と夢の世界との関わりに永琳もまた無縁ではない。
なお「胡蝶夢丸」のような「夢」そのものではなく先述のドレミーの「スイート安眠枕」のような「夢」を見るための「眠り」の環境をより良いものにしようとするアプローチもまた、今日の幻想郷にはある。永琳的な眠りと健康の視点、あるいはドレミー的な夢の世界とのより良い関係という視点に立つときは、「 シエスタ 」に励む紅美鈴(『東方求聞史紀』、『東方非想天則』等)や霊夢(『文果真報』)、あるいはかつては眠りを妨げられた風見幽香(旧作幽香、『東方幻想郷』)などにも良い眠りがあることを願うばかりである。
蓮子とメリーと「夢の世界」
「ZUN's Music Collection」に登場する宇佐見蓮子とマエリベリー・ハーン(メリー)の二人の物語においても、「夢の世界」の語は登場する。
ただしこちらは主に先述の一般的な用法における「夢で見た世界」や「夢のような世界」の表現としてのもので、ドレミーが支配するような、あるいは菫子が体験したような具体的な「夢の世界」ではない(ただし「旧約酒場」時点)。
夢を通して「 境界の向こう側 」の様々な世界を意図せず体験するメリーは現との境界があいまいになっており、カウンセリングとして蓮子に夢で体験した世界を聴いてもらう(「夢違科学世紀」)。
メリーは「 夢 」から物品を持ち帰っており、話を聞き終えた蓮子はその物品を前に自分がどうすればよいか、そしてまた自分はどうしたいかを思案する。
そして蓮子もまた一つの決意を抱くのである。
「 だから、メリーの夢の世界を探しにいくのよ。 」
「 夢は現実にかわるもの。
夢の世界を現実に変えるのよ! 」
(いずれも蓮子、「夢違科学世紀」)
二人は以後通して様々な世界に挑んだり、あるいは他の世界へと思いを馳せたりと、「夢」も通しながら様々な「 不思議 」に挑んでいくこととなる。
上海アリス幻樂団作品にみる二つの「夢」
『紺珠伝』などで語られるドレミーらの「夢の世界」と蓮子やメリーの物語に見る「夢」には幾つかの共感する点や共通点がある。例えば蓮子はメリーについてどうすれば現実にも影響が出ている「 悪夢を吉夢に変える 」ことができるかを思案する(「夢違科学世紀」)が、悪夢を吉夢に転化するのはドレミーの獏としての性質の一つでもある。
メリーは比喩と実際の比重のほどは不明ながら「 現の現実と夢の現実、現の私と夢の私、どれぞれが存在するわ 」ともしており(「夢違科学世紀」)、これはまさしく『憑依華』で語られた現の存在と夢の世界の住人の両方の存在性にも通じる。
この時のメリーのように自身のアイデンティティまたは存在性に複数のものを感じ、時にはそれの境界が曖昧になる体験は『憑依華』では菫子がまさに体験したところでもある。
「卯酉東海道」では「 夢と現は区別できない 」ともしている。
実際に「鳥船遺跡」では夢の世界と現実が綯交ぜの状態で訪れた衛星トリフネの中で怪物に襲われた結果として、メリーだけが怪我を現実側に持ち帰っており、後の隔離治療処置にも繋がってしまう(「伊弉諾物質」)。
なお、夢と現のように一見対極的な事象が同時に実現するものとして蓮子が「 不老不死 」の文脈においてその理解として「 顕界でも冥界でもない世界の実現 」を挙げているが、ここには「 ネクロファンタジア 」のルビが付されている。この対話のエピソードがCDブックレットにおいて語られているのも、楽曲としてのネクロファンタジアのページである(「大空魔術」)。
東方Projectにおいて「ネクロファンタジア」は八雲紫のテーマ曲であり、紫はその登場以後「夢と現」の双方に折に触れて接点が語られるキャラクターである。
例えば冬眠ともいえる永い眠りの期間があること、幻想郷の外の世界が紫の「 夢の世界 」なのではないかという噂があること(稗田阿求、「幻想郷縁起」、『東方求聞史紀』)などがその一例であり、スペルカードにおいても「夢と現」の語を含んだものをもつ(例えば<結界「夢と現の呪」>)。
加えて紫は『憑依華』にも登場しており、この際にはテーマ曲の一つとして「夢と現」の語を含む「憑坐は夢と現の間に」(ZUN作曲)が追加されている。
同曲は曲名に併記された英字タイトル(「 Necro-Fantasia 」表記)にも実際の楽曲の中にも「ネクロファンタジア」のフレーズがダイレクトに含まれており、紫は夢が関わる物語においてテーマ曲の面からも新しい要素と共にさらに深くその個性が表現されている。
ドレミーもまた紫が夢の世界にいることが多いことを語っている他、紫は「完全憑依異変」における異変首謀者たちの絶対的なアドバンテージを打ち破るために相手の「夢と現の境界」にも干渉して完全憑依を操作しているなど、夢と現実にまたがったその深い存在感が語られている。
夢の世界への干渉としては先述の夢の世界に閉じ込められた菫子を現側に引き上げるたのは紫であり、紫の、夢と現の双方を同一視出来得るかのようなそのまなざしの広がりと深みとが描かれてもいる(『憑依華』)。
「 ネクロとは死の事。死の幻想世界。
幻想世界が死を見せるときそこに現れるのは現実である。 」
(博麗神主、書籍『文花帖』。文々。新聞寄稿の「ネクロファンタジア」関連コメント)
また、「夢違え」の語も双方の世界観に見られている。この語は蓮子とメリーの登場する作品の一つである「夢違科学世紀」や同作収録の「童祭」中にも見られるものであるが、同じくドレミーの文脈でも登場することがあり、それは『紺珠伝』Music roomにおける「永遠の春夢」のZUNのコメントに見ることができる。「永遠の春夢」はドレミーのテーマ曲である。
「 うなされても夢違えちゃえば良いんです。ドレミーにお願いして。 」(ZUN、『紺珠伝』)
参考
ドレミー・スイートによる夢の世界の住民評
次のリストはドレミーが語る夢の世界側の存在の個性や行動などである。
出典・参考はいずれも自由対戦モードに設定されているセリフ。
『憑依華』関連では同作本編中で夢の世界側の本人が登場している鈴仙と菫子については除外している。
両者については本編中の本人たちの行動やセリフなどを参照。
『憑依華』
キャラクター名 | 見る夢や夢の世界側の住人の様子 | ドレミーからの現側のその人への一言 |
---|---|---|
博麗霊夢 | いつものんびりしている | 「 少し休んだら? 」 |
霧雨魔理沙 | 超人的な行動や活動が多い | 「 妖怪に憧れがあるの? 」 |
雲居一輪 | 寺で阿闍梨( えらいひと )に昇格している | 「 判りやすいわ 」 |
物部布都 | 指導者になっていることが多い | 「 憧れている人がいるようね 」 |
聖白蓮 | 夢と現の世界があまり乖離していない | 「 修行の成果かな? 」 |
豊聡耳神子 | 世界を監視して支配する夢をよく見る | 「 本当は排他的に幻想郷を管理したいんでしょ? 」 |
河城にとり | 夢の世界でも機械弄りをする | 「 こういう単純な奴居るわー 」 |
秦こころ | 暴れん坊で厄介者 | 「 感情が暴走してるのかな 」 |
古明地こいし | 夢を見ない? | 「 こころがスカスカですね…… 」 |
茨木華扇 | 平穏で美しい世界でのんびり暮らす | 「 意外ね 」 |
藤原妹紅 | いつも静か | 「 大きい夢を見るのを辞めたのかしら? 」 |
二ッ岩マミゾウ | 人間たちに怯えている | 「 外の人間を恐れているのかな 」 |
少名針妙丸 | よく巨人になっている | 「 コンプレックスが強すぎるわ 」 |
比那名居天子 | 自由過ぎる厄介者 | 「 こんな純粋な精神は赤子レベルね 」 |
八雲紫 | (右参照) | 「 普段からよく夢の世界に潜んでいるわね…… 」 |
依神女苑 | (右参照) | 「 本当は慎ましく質素に暮らしたいのね 」 |
依神紫苑 | (右参照) | 「 いつもお腹いっぱい食べる夢ばかり見ているわねぇ 」 |