概要
コーエーテクモ発売のゲーム『戦国無双』シリーズの派生タイトル『100万人の戦国無双』で新たに登場した武将(固有グラフィックを持つキャラクター)の一覧。
完全新武将
※ 本編に登場する武将と凡庸無双武将は本記事の100万人の戦国無双を参照。
茶々(ちゃちゃ)
「浅井三姉妹」の長女。別名:淀殿(よどどの)。
豊臣秀吉に娶られ、子・秀頼をもうける。秀吉没後、豊臣家の実権を握るが、大坂の陣で徳川家康に攻められ、秀頼や家臣たちと共に自害した。
一人称は『私』。常に沈んだ(泣き)顔をしている。髪が地面に着くほど長い。
お初(おはつ)
「浅井三姉妹」の次女。別名:常高院(じょうこういん)。
京極高次の正室となる。豊臣家と徳川家が対立すると、調停役として両家を行き来し、和議の成立に尽力した。
一人称は『私』。のんびり屋で、伸ばした語尾(~しますぅ、~ですかぁ?)が特徴。
お江(おごう)
「浅井三姉妹」の三女。別名:崇源院(そうげんいん)。
家康の三男・徳川秀忠の正室となり、家光・千姫など多くの子をもうけた。秀忠に側室を許さないなど、激しい面もあった。
一人称は『アタシ』。天真爛漫で、市から「幼いころの私とそっくり」と言われている。
足利義輝(あしかが よしてる)
室町幕府13代将軍。「剣豪将軍」とも称される。
剣聖・上泉信綱より指南を受け、新陰流の奥義を伝授された。松永久秀らに奇襲され、孤軍奮闘の壮絶な最期を迎えた。ちなみに義昭は実弟。
一人称は『余』。彼の周りの刀は、奇襲時に刀を畳に突き刺し、状況に応じて刀を持ち替えたと言う逸話から。
山中鹿介(やまなか しかのすけ)
尼子家臣。本名:山中幸盛(やまなか ゆきもり)。
三日月に対し、「我に七難八苦を……」と願った逸話で知られる。尼子勝久を擁して主家再興を企むが、播摩上月城で毛利軍に敗れた。
一人称は『私』。前述の七難八苦の逸話からか、背中に巨大な三日月型の刃を背負っている。
猫御前 (ねこごぜん)
伊達政宗の側室。
別名:飯坂の局(いいさかのつぼね)。飯坂宗康(いいさか やすむね)の次女とされる。
政宗の影武者を務めたとされる。扇でねずみを追う姿が猫のようであったことから「猫御前」と呼ばれた。なお、この人物自体が後世の創作との説も。
一人称は『自分(一人称ではない可能性も?)』、影武者モードの時は『わし』。
影武者故、服装は政宗を意識したものを纏っているが、腰巻(スカート)やサイドテールなど、あからさまに違っている。政宗も「マシな奴はおらんかったか」と呆れている。なお、眼帯は付けているが恐らく両目は見えている模様。愛称は「猫ちゃん」もしくは「猫さん」。
上泉信綱(かみいずみ のぶつな)
戦国時代の剣豪。「剣聖」と呼ばれる。
はじめ長野家に仕える。主家滅亡後は一時武田信玄に仕えるが、間もなく武芸修業のため浪人し、新陰流を創始した。上記の剣豪将軍・足利義輝や柳生新陰流開祖・柳生宗厳は弟子だったとされる。
一人称は『わし』。白く長い髭が特徴の老人で「ひょひょ」と笑うのが特徴ののんびりな性格。
その姿や性格から若衆から「じいさん」や「御老体」と軽視されているが、各武将の思惑を読み取るなど観察眼に長けている。
滝川一益(たきがわ かずます)
【紹介札:織田信長 設置施設:楽市楽座】
織田家家臣。織田四天王の一人。鉄砲の名手である。各地の合戦で活躍し「進むも退くも滝川」と称された。本能寺の変後、北条軍と戦って惨敗し、以後は権威を失った。
上野一国と関東管領を信長から与えられた際、初めに課せられた茶器を期待していたが、茶器ではなく国と言う結果に大変悔しがったらしい。
真田家とも交流があったらしく、昌幸はともかく、子供たち(信幸や信繁[幸村])の面倒も見ていた他、孫の一積(かずあつ)に昌幸の娘に嫁がせ、
信繁の娘たちの面倒をひと時みていたと言う。 前田利益(まえだ とします)こと、前田慶次が一益の家臣であった。
(それ以前に慶次の養父が前田家なのだが、不明である実父が滝川家の者とされている。)
下記にもあるが、装備武器が鎖鎌なのは実は彼が甲賀出身である日、信長に「実はお前、忍者じゃないのか?」と聞かれた逸話もある事から。
武器は火縄銃だが、仮武器が鎖鎌(服部半蔵)。一人称は『拙者』。「進むも退くも」ヲタで、有数の茶器マニア。
ちなみに、特殊A→無双昇格は多々あるけど、完全新→特殊Aとなった極めて珍しい人物である。
(行長とまつはイベントと同時進行でコレクションが発表されていたため)
左が元春。右が隆景。
吉川元春 (きっかわ もとはる)
毛利元就の次男。安芸の豪族・吉川家に継ぎ、山陰地方の攻略にあたる。不敗を誇った家中随一の猛将である一方、陣中で「太平記」40巻を写本したという
毛利元就の息子。下記の隆元の弟で、小早川隆景の兄。吉川興経(きっかわ おきつね)の養子となる。厳島の戦いでは元就に兄弟の中では武に勝ると称えられた。
ちなみに、極僅かだが『毛利元春』と名乗っていた時期もあったらしい。
元就のような服装だが、肌脱ぎをしている。また髪を緑紐で縛っている。隆元のように髪がボサボサで長いワケじゃないから目は見えている。一人称は『俺』……だが、感情高まると『私』になる模様。
武器は矢の形をした「槍」。策を考えず当たって砕ける主義。悪く言えば“脳みそ筋肉”
小早川隆景 (こばやかわ たかかげ)
毛利元就の三男。安芸の豪族・小早川家を継ぎ、山陰地方の攻略にあたる。本能寺の変後は毛利家の存続をはかって豊臣秀吉に接近し、五大老の1人となった
毛利元就の三男。実兄に下記の隆元と上記の元春がいる。小早川興景(こばやかわ おきかげ)が早急に死去し、養子となり、小早川家の当主となった。
ちなみに、元春とは違い、生涯「毛利隆景」と名乗った事はないらしい。
髪は父や兄と違いモジャモジャである。烏帽子を付けている。戦場のヴァイオリニスト。一人称は『私』。
策を用いて勝利すること心がけている。
陶晴賢 (すえ はるかた)
大内家臣。「西国無双の侍大将」と評された。主君・義隆を自害させ大友晴英を当主に迎えて主家を傀儡化した。厳島合戦で毛利元就に敗れ、自害
立花宗茂以前に「西国無双」と称えられた将。厳島にて毛利家に敗れ、自害する。大内義隆を自害に追い込んだり、家臣を火あぶりの刑にするなど冷徹な性格だと言われる。
白地の軍服のような衣装の将。微妙に七三。一人称は『私』。“正義”を重んじ、悪を“粛正”するお熱い性格
……まぁ、ざっと言えば「戦国の“諸葛誕”」
小西行長 (こにし ゆきなが)
紹介札:加藤清正 設置施設:御用商
豊臣家臣。堺の豪商・小西隆佐の子。関ヶ原合戦では西軍に属して戦うが敗れ、処刑された。熱心なキリスト教信者として有名
キリシタン大名。慶長の役(朝鮮出兵)で先鋒を務めるなど、秀吉から丁重された。関ヶ原の際、大谷軍壊滅と共に陣が崩れ捕縛され斬首される。ちなみに、加藤清正とは大変不仲であったそうだ。
キリシタンであるためか、南蛮衣装。巨大なそろばんを手にしてる。
そのせいか、やけに銭には厳しい。その上清正には挑発的。ちなみに、関西弁でしゃべる。
それと、関係者が不仲同士は 直江兼続 ←→ 最上義光 に続いて2組目
母里太兵衛 (もり たへえ)
黒田家臣。後藤基次と双璧をなした家中屈指の猛将。福島正則が大杯に満たした酒を飲み干し、名槍「日本号」を拝領した
母里友信(もり とものぶ)黒田家の家臣であり、孝高(官兵衛)や長政に仕えた。黒田二十四騎のうちの黒田ハ虎に数えられ、大変優れていたとされる。ちなみに、あの「福島正則」から名槍“日本号”を奪い取ったとされ「黒田節」は有名である。
母里とあるがもりと読む。蘭丸や長可の森は関係ないが、読み方が読み方で“毛利”と間違えられた事もあった。それを差別化するためぼりとも読まれる。
柿崎景家に似たいい男の壮将。一人称は『わし』。武器は「槍」。逸話に沿って、並々の盃も手にしている。九州方弁でしゃべる。
山県昌景 (やまがた まさかげ)
武田四名臣の1人。兄・飯富虎昌と同様、軍装を赤で統一。内政・軍事・外交全般で主君・信玄を補佐した。長篠合戦で全身に銃弾を浴び戦死した
武田家の家臣で、武田四天王の一人。赤備えとして有名であり、武田の赤備えは彼が発端だったとか。真田昌幸の子、信繁(幸村)も習い、大坂の陣で実践するほか、徳川家家臣の井伊直政[下記]も見習ったとか。
長篠の戦いで戦死してしまうが、三方ヶ原の戦いで徳川本陣に突入し、家康を自害に追い込む程の猛将であった。(ちなみに、家康が××した原因は彼だとか)
茶髪のちょんまげのイカつい武将。一人称は『我』。武器は「両刃槍」。史実通り赤備えな服装。
高坂昌信 (こうさか まさのぶ)
武田四名臣の1人。主君・信玄の小姓から侍大将となった。武略・用兵は家中随一といわれ「逃げ弾正」と呼ばれた。「甲陽軍艦」の原著者という
春日虎綱(かすが とらつな)が本名。武田家の家臣で、武田四天王の一人。『逃げ弾正』と呼ばれている。逃げと言うとあまり良くないイメージであるが、その逃げとは、撤退。中でも「殿軍」の事で、その采配と撤退術は高く評価された。
茶髪でロングな青年。口元を布のようなもので隠している。一人称は『わたし』。(※注:ひらがな)
とても真面目な性格。
徳川秀忠 (とくがわ ひでただ)
家康の三男。関ヶ原合戦の際、中山道からの進軍を真田昌幸に阻まれ、父の不興を買う。しかし、凡庸篤実な人柄を父に見込まれ、江戸幕府2代将軍となった
徳川家康の息子。江戸幕府の第2代征夷大将軍。上田城の戦いにて、真田に敗北しているが、知略に大変すぐれていたとされる。そして、筋肉質だったとか。
正室(継室)に上記の崇源院こと「お江」。子供に家光(いえみつ)をはじめ、下記の「千姫」など。
妻には頭が上がらなかったとか。
一人称は『俺』でわがままな性格。白地のはちまきをして、常に扇で煽いでいる。
伊達成実 (だて しげざね)
伊達家臣。実元の子。「武」の面で主君の正宗を補佐した伊達木随一の猛将。「英毅大略あり」と評された。晩年には徳川家光に奥州の軍談を語っている
伊達実元(だて さねもと)の息子。政宗とは従兄弟である。叔父である伊達輝宗(だて てるむね)に仕えた後、政宗の家臣となる。「武の成実」として湛えられた。
成実は『毛虫の前立て』として有名。これは敵を威嚇するのと同時に「決して引くことはない」との事を示している。 余談になるが、人取橋の戦いの際、家臣が誤って火薬に点火させてしまい、城が炎上。命からがら逃れられた物の、右手の指が全てくっつくと言う、大けが…つまり、大火傷を負ってしまった。
髪の毛がピン立っている怖い顔をした兄ちゃん。伊達カラーの緑のスカーフ(?)と言うか、大布をマントのように羽織っている……違うか。
武器は恐らく「籠手」。喧嘩っ早い性格。一人称は『俺』。政宗には生意気な性格。
毛虫の前立てならぬ、「毛虫の籠手」が武器。(ちなみに兜はかぶっていない。) 火傷の話は別となるのだろうか。
ガチャにて「成美」と誤表記されていた。(“シゲザネ”と一発変換出来ない故、“ナルミ”か)
鬼庭綱元 (おににわ つなもと)
伊達家臣。主君・政宗の腹心となる。朝鮮派兵の際に、豊臣秀吉の愛妾・香の前を賜り、政宗の怒りを買って出奔。のちに帰参し、国老として国政に携わった
茂庭 綱元(もにわ つなもと)とも言う。政宗の重臣であったが、豊臣秀吉と交流を果たし、大変気に入られるがそれがあってか一度伊達家を追い出される。その後、再会したした政宗と綱元は料理の話を獲て「お前は伊達の重臣だ」と褒め称えたと言われる。
「吏の綱元」と言われている。
メガネの将。一人称は『私』。信忠のような敬語属性。ちなみに碁を指している。
軍を動かす事を「次の一手」と言う辺りは朝倉義景に似ているかも。
長野業正 (ながの なりまさ)
山内上杉家臣。主君滅亡後も居城・箕輪城を守り、武田信玄の侵攻を6度に渡って撃退した。「業正がいる限り、上州には手が出せぬ」と信玄を嘆かせた智将
上杉家の将。河越夜戦などに出陣している。武田信玄を唸らせたとして有名か。信玄自らが彼との戦を嫌がっていたとか
「もし死んだ時は普通の墓は建てるな。一里塚と同じ形をとれ。そこに一つでも多くの首を供えよ。お前は何があっても敵に降伏だけはするな。もし降伏するような事があれば、潔く死ね」
と息子の業盛(なりもり)に遺言を託している。
上記の逸話からか、幽霊の格好をした爺さん。手にしているのはあの一里塚か。
島津歳久 (しまづ としひさ)
島津貴久の三男。日置島津家の祖となる。豊臣秀吉の九州征伐軍に最後まで抵抗した。多くの家臣が海北国兼の乱に加担したため、責任をとり自害した
島津四兄弟の三男。島津四兄弟では「智将」と呼ばれていた。九州征伐では和議を持ち込む平和な性格であった。(但し却下されたのだが)
温和な性格と言われているが、秀吉の駕籠に6本近く矢を射る(実際に行ったのは歳久の家来)、朝鮮出兵に病気を理由に出陣しない上一揆を起こすなど、兄たち(義久と義弘)が豊臣に下る中最期まで反抗してみせた。
元春みたく半脱ぎしている温和な顔をしている将。一人称は『オイ』。語尾にだでがつく。
武器は義弘みたくな「大槌」だが外装が太鼓のようになっている。
3empiresでは、固有グラフィックの一般武将として登場した。
島津家久 (しまづ いえひさ)
島津貴久の四男。永吉島津家の祖となる。沖田畷合戦の際には10倍の兵力の龍造寺軍を破る。豊臣秀吉の九州征伐軍に降り、豊臣秀長との会見後に急死
島津四兄弟の四男だが、時折ハブられて島津三兄弟にされる事も…… (実は彼だけ、母が別人であったため。)
兄弟の中では「戦術」に勝るとされた。中でも沖田畷の戦いで多くて7倍以上もあった龍造寺軍を釣り野伏でコテンパにしている形跡を持つ。
豊臣傘下に下った後に急死しているが、毒殺かと疑われた。しかし、島津,豊臣両家に溝はなく家久自身も病気にかかったと言ってたため、本当の意味で病死であったと思われる。
ぱっつんの如何にも悪そうな目つきをしている。一人称は『僕』で実質、佐々木小次郎以来となる。
(しかし、無双OROCHI2の哪吒の「ボク」も含まれる?)。
武器は「銃」。滝川一益や斎藤義龍みたく、「火縄銃」。耳あてをしている。そして司書も手にしている。
先程の“目つきが悪い”と言うのも含め、また、釣り野伏でを仕掛けるために相手を上手く利用する。つまり「計画通り」。あの司書はつまり、某殺人ノート… あからさまなパロディです。
前田まつ (まえだ まつ)
紹介札:前田利家 設置施設:みかん畑
前田利家正室。前田家が賤ヶ岳の戦いにて柴田勝家に与して敗走した際に秀吉に掛け合い、利家の危機を救った
前田利家の正室。別名芳春院(ほうしゅんいん)。戦国無双3では『松』名義で利家のシナリオに登場していた。(ただし凡にしろグラフィックはなし)。戦国無双2にも当『前田まつ』名義で護衛武将として登場していた。
高台院こと、秀吉の妻のねねとは安土城下で暮らしてた時は家が隣同士で、毎日のように垣根越しに話をしていたとか。賤ヶ岳の際に秀吉からの和議に利家と話をしたとも。
最近では、二男九女の母としても名高いが、12歳と言う早さでの出産も話題の一つである。
(ただ、当時として珍しいという程ではない。)
皆を取り巻くような非常に明るい性格だったとか
前田家の家紋の纏(まとい)を持っている。サラシに法被にスパッツ(?)。一人称は『アタシ』。これはお江以来。
男勝りな性格で威勢が良い。
九鬼嘉隆 (くき よしたか)
織田家臣。志摩海賊衆の1人。木津川口合戦での大敗を契機「鉄甲船」を建造し、毛利水軍を粉砕する。その功で大名に出世し、「海賊大名」の異名をとった
織田家の武将。木津川口の戦いで一度大敗しているのだが、「鉄甲船」をつくり、そこで毛利水軍の船を600隻ほど討ち果たしている。信長亡き後は秀吉に仕え、小田原の役などに参戦。関ヶ原の際に息子の守隆(もりたか)と、真田家みたく東西決別しまい、(その時、嘉隆は西についた。)敗戦が伝えられると家臣に促され、切腹した。
ロン毛に髭の上半身裸の将。右胸の辺りに髑髏の刺繍(?)か何か有。一人称は『オレ』。武器は鉄板…のようだが、鉄かどうか不明。よくよく見るとサーフボードっぽい。
木村重成 (きむら しげなり)
豊臣家臣。主君・秀頼の乳兄弟で小姓を務めた。徳川家との和睦の際は豊臣家の使者を務めた。大阪夏の陣で井伊直孝軍と戦い戦死した
豊臣家の家臣であり、秀頼の側近も務めたと言う。ちなみに重成と秀頼は乳兄弟。重要な軍議や会議に出席し、発言権もあったとか。
背丈も高く、美丈夫であった。更には徳川の和議を申し入れる際は女房に扮し(つまり、女装)ていたとも。
また、「血染めの美将」との異名ももっている。
中性的な顔立ちをしている将。髪は長く一本結び(俗に言うポニーテール)。黄と赤の袴の様な衣装。ススキの髪飾り付き。
一人称は『私』。武器は「三叉槍」。幸村を「真田殿」と呼ぶ珍しい人物。(幸村も彼を「木村殿」と呼んでいた。)
ここで言ってはいけない事だが、無双奥義で「血染めにしよう」と言っているが、史実では血染めにされてしまっている。(ススキが)
後藤又兵衛 (ごとう またべえ)
黒田家臣。侍大将を務めるが、謀叛の嫌疑らより浪人。のち豊臣秀頼に招かれ、大坂城に入る。人望を集め、徳川軍相手に奮戦するが、大坂夏の陣で戦死した
本名が後藤基次(ごとう もとつぐ)。はじめ黒田家の家臣であったが謀反の疑われ余儀無く追放させられる。
大坂の陣で奮闘をするが、霧が濃く視界不良で明石全登(あかし たけのり)や真田信繁(幸村)の到着が遅れた。
その間伊達軍の片倉小十郎(二代目 - 片倉重長[かたくら しげなが])の鉄砲隊に囲まれ、射殺された。
ボロボロの服装に伸び放題のモジャモジャの髪に髭。それと何故か銭を集めている。一人称は『俺』。長政(黒田)と険悪な仲。
武器は『鉾槍』(史実の加藤清正の“片鎌槍”のような上がり片鎌式)。
ちなみに史実では大坂の陣の時はぷっくりとした肥満だったそうだ。
鬼小島弥太郎 (おにこじま やたろう)
上杉家臣。幼少から側近として主君・謙信に仕えた。川中島合戦には旗本として従軍。剛力無双の豪傑で「鬼小島」と呼ばれて恐れられ、数々の伝説を残した
※:「鬼小島」が名字ではなく、「小島」が本当の名字である。 (但し、下記も参照)
なので、「小島弥太郎」である。また、小島貞興(こじま さだおき)とも。
上杉謙信に仕えた将だが、猿飛佐助の如く、実際に存在したかが不明な将である。ただ、上杉に小島姓を名乗る将がたくさん居たため、誰が弥太郎なのかも解っていない。(襲名ではない。)
足利義輝の猿や武田の猛犬と真っ向に相手をするという武勇伝で有名。また、山県昌景と対峙した際、救援のため勝負を預けるとの昌景の要求を快く受け入れる器の大きさも。
わんぱく坊主。北関東の「だっぺ」などの語尾が特徴。一人称は『オラ』。武器は「斧」。小猿を連れている。
能天気でお気楽な性格だが、腕は相当の者だとか。勝負は全て「相撲」と呼んでいる。最近出た三國無双パロで言えば「許褚」に当るか。
ちなみに、謙信の老将凡レアAがこの鬼小島弥太郎なのだ。戸次鑑連(立花道雪)以来。
太田資正 (おおた すけまさ)
扇谷上杉家臣。岩付城主。主家滅亡後は上杉家や佐竹家に属し、生涯を通じて北条家と戦った。豊臣秀吉の小田原征伐では、秀吉の本陣を訪れた
扇谷上杉の家臣だったが、河越夜戦で上杉が討ち取られ降伏すると松山城を強襲。その後兄が病死し、家臣に裏切りに遭うと一気に城を囲まれ降伏。後に北条家の家臣となった。
軍用犬を用いた事でも有名で、犬を使って戦うのではなく、劣勢になれば犬の首輪に竹筒を付け、そこに手紙を入れ味方と連絡を取り合ってたと言う。
いい男…と言うよりワイルドである。一人称は『俺』。馴れ合いを嫌う性格。
史実通り犬を連れているが、鎖で縛っている上、会話からして確実に闘犬。
村上義清 (むらかみ よしきよ)
信濃の豪族。葛尾城主。武田信玄軍の攻撃を2度も退け、近隣に勇名を轟かす。しかし、真田幸隆の計略に敗れて居城を失い、越後の長尾景虎の庇護を受けた
信濃の戦国大名で、村上氏最後の人物である。戦上手の武田信玄を唸らせる猛勇であった。そして、以外にも『川中島の戦い』を起こした原因であるともいえる。
長槍の名手と言われ、しかも長槍を使用する武将が彼と下記の斎藤道三くらいだったので義清は槍戦術の創始者とも言われる。
白髪で西洋風の鎧を纏った将。一人称は『俺』で武器は「三叉槍」。かなり口汚い。
ちなみに、彼もまた、真田幸村の凡Bと言う形で登場していた。上杉家臣だと史実だと幸村(信繁)の生まれる前に活躍した武将なので単に信濃繋がりか
蛍 (ほたる)
雑賀衆の高い狙撃技術を持つ女射撃手。夜の射撃を得意とし、「蛍」と異名を与えられたと言われている
雑賀衆の一人。またこの人も女性武将であった。しかし、詳しい資料はあまり残っていない。目が効いて夜の射撃が得意とされ、闇夜に浮かぶ蛍を撃ち落とした事から蛍と呼ばれるようになったとか。
姫鎧の胴を纏った茶髪ショートの女性。下はスカート風。武器は当然「火縄銃」だが、爆弾や爆竹まで用意されている。
一人称は『ウチ』が基本だが、「私」ともいう。同じ雑賀衆だからなのか、ガラシャのように孫市から女性として見られていない。恐らく、小雀[本記事の凡参照]や下針(しもばり)も同じ扱いなのだろう。
ちなみに、今回から [八咫烏]蛍 として配布され、彼女はスピードタイプだが、他の無双武将のS+のようにスピードの強化版で配信されている。
磯野員昌 (いその かずまさ)
浅井家臣。佐和山城主。姉川合戦では先鋒を務めて奮戦した。のちに織田信長に降った。新庄城主となるが、勘気を蒙って所領を没収され、高野山に出奔した
浅井家の家臣。しかし、生誕から死没までの詳しい情報が全く無く、不明な人物である。姉川の戦いの迫りくる織田軍をどんどん撃墜していった「十一段崩し」で有名か。
顔に大きな刀傷を持つ西洋風の鎧をまとった将。武器も「双西洋槍」(ダブルランス) 一人称は『俺』。敬語とタメ口混じり。名字が名字だけに動画サイトでは「磯野~戦しようぜ!」などと呼ばれている。そして彼も[十一段崩し]磯野員昌と強化武将として配信された。
真柄直隆 (まがら なおたか)
朝倉家臣。弟・直澄とともに家中随一の剛勇の士として名を馳せる。姉川合戦で味方兵が敗走する中、徳川軍を相手に奮戦するが、子・隆基とともに戦死した
こちらは朝倉家の家臣。「太郎太刀」と言う五尺三寸(約175㎝)の刀を振り回していたと言う。姉川の戦いにて、息子の隆基(たかもと)と共に討死した。
茶髪で髪を結んでいる。一人称は『わし』。太郎太刀であろう大きな刀を所有している。
今川氏真 (いまがわ うじざね)
今川家10代当主。義元の嫡男。父の死後、家督を継ぐ。しかし、蹴鞠や和歌に傾倒し、無為の日々を送る。その結果、徳川家康と武田信玄に領国を追われた
今川義元の嫡男。蹴鞠の達人と謳われながら、今川家を自ら滅亡に持ち行った暗愚とも言われている。その原因の一つに松平元康(まつだいら もとやす - 後の“徳川家康”)など、家臣達の離反である。
しかし、最近の説では、桶狭間終了時点で氏真自身が「うつけを倒せぬほど脆いのか」と家臣達を疑心暗鬼し始めたのも原因の一つである。(どちらにせ大きく見ると暗愚なのだが…)
如何にサムライジャパンのような青い服の公家姿をした人物。二つ名も「戦国ストライカー」。一人称は『私』。
3Empの「ダメダメさ」(CV:オネェ口調の神谷浩史)とか、chro2の「○○のーう」(CV:宮崎寛務)のような濃いキャラじゃなくて安心した。 (少々冷め気味キャラ)
そして彼も[蹴鞠]今川氏真として、配信された
成田長親 (なりた ながちか)
北条家臣。泰季の嫡男。小田原攻めでは忍城代である父が合戦直前に死去したため、防衛の指揮を執る。石田三成率いる大軍から甲斐姫とともに忍城を守った
成田泰季(なりた やすすえ)の子。小田原征伐(小田原の役)の際、関東領の一つであり、北条配下の成田氏の拠点とする忍城に石田三成らを送り水攻めを行う。これが後の「忍城の戦い」(忍城攻め)と呼ばれる。
その時、父・泰季は病没していたため、当時の大将は長親。姪の甲斐姫と共に忍城の防衛にあたり、石田軍を完敗させている。
その時の采配では「でくのぼう」「出来損ない」と言われていたが23,000人(25,000人とも)の軍勢を、3,000人(500人とも)で屈服させている、名大将とも言える。
今回は、映画・「のぼうの城」とのコラボレーションで、映画前売り券のシリアルコードを入力する事によって手に入る。
俳優の野村萬斎(基、のぼうの城での姿)をイメージした姿であって他の情報は不明。
無双本編でも忍城で大活躍し、甲斐姫からは「長親おじさま」と慕われている。(先も書いたが、甲斐姫にとっては少し遠い親戚の叔父にあたる)
また、[のぼう]成田長親として配信された
加藤段蔵 (かとう だんぞう)
通称「飛び加藤」。様々な忍術・幻術に長じた。上杉謙信に仕えるも、不信を買って逃亡。続いて武田信玄に属すが、その才を警戒されて暗殺された
上杉従属の忍者。“加当段蔵”とも書かれる。呑牛の術などで有名。(但し、ハッタリであったらしいが)
謙信からの命である所から秘宝の剣を奪うように言われ、見事にこなした上、その屋敷の娘までもさらって見せたが、逆に有能すぎて警戒され、暗殺される前に暗殺してしまおうと持ち込まる。
それに危機感じた段蔵は上杉家を離れ、武田に頼りになるが、またしても警戒されてしまい、厠で用を足している際、馬場信春に斬られ断命した。
白の忍者衣装に黒のマントを羽織った世にも珍しい橙色の髪の忍者(ただ、金にも見えない事もない)。一人称は『私』。武器は「護符」。危うく厨二病になりかねなかった。
NPC(特殊レアA)からの昇格
真田昌幸 (さなだ まさゆき)
紹介札:真田幸村 設置施設:真田丸
「表裏比興の者」と豊臣秀吉に評された稀代の謀将。関ヶ原へ行軍途中の徳川秀忠3万8千を数千の兵で翻弄した
真田信幸(信之)と信繁(幸村)の実父。「比興者」と恐れられた武士。
代々武田に仕えた将だが、武田家消滅から、織田、北条、徳川と転々と主君を変えていった。
関ヶ原の敗報と共に、信繁と一緒に九度山に流され、善名称院(真田庵)にて病死する。
白髪に髷の老人。一人称は『わし』。別称チート、愛称はパパ(真田パパとも)。また、母音がaaなので『パパ幸』とも
上杉景勝 (うえすぎ かげかつ)
紹介札:前田慶次 設置施設:毘沙門堂
出羽米沢藩主。綾御前の子。上杉謙信の養子となった。 関ヶ原合戦では西軍に属し、最上・伊達軍と戦った
長尾政景の子でそちらでは長尾顕景(ながお あきかげ)。後に謙信の養子となり、家督争いの御館の乱に勝利し、上杉家の跡継ぎとなった。
何故か、顔付きが義父に似ている。愛情のせいなのか。刀を多数使用するため、ついたあだ名が「刀コレクター」
みにきゃらカレンダー発売を記念して、(但し、カレンダー購入特典になるが)『上杉景勝(カレンダー)』が配信され、御館の乱イベントの時に、[毘沙門天]上杉景勝 に変更された。
織田信忠 (おだ のぶただ)
紹介札:お市 設置施設:能楽堂
信長の嫡男。 松永久秀の謀反鎮圧や武田討伐などで功を立て、信長から家督を譲られる。 本能寺の変の際、二条御所で自害した
織田信長の息子。父に倣い、数々の武勲を立てたが、皮肉にも父と共に本能寺にて果てる。
父(信長)のコレクションが無いためか、叔母(父の妹)であるお市の紹介札になっている。一人称は『私』。父のような黒の鎧に般若の面を付けている。(但し半分程度)
父・信長や弟・信雄(のぶかつ)みたく「…ぞ、」と特徴的な喋り方はせず、普通に話す。しかし市によると信長に似てきているらしい。信忠自身の創る天下を目指す。
足利義昭 (あしかが よしあき)
紹介札:明智光秀 設置施設:公家屋敷
室町幕府15代将軍。織田信長の後援で将軍職に就くがのちに対立、周辺諸国と協力して信長包囲網を敷く。自らも挙兵するが信長軍に敗れ、京を追われた
室町幕府の将軍。兄は上記の『足利義輝』。兄の死後、足利家復興に尽くす。
一人称は『あたし』。 ※:男です 愛称は『オカマ将軍』 オネエ言葉で話し、鼻が高い。 CV:山田真一
宇佐美定満 (うさみ さだみつ)
紹介札:上杉謙信 設置施設:毘沙門堂
上杉家臣。越後流軍学の祖という。上条定憲の乱の際は上条片に属するが、定憲の死後、帰参。国政に参画するなど活躍したが、長尾政景と舟遊び中に溺死した
上杉家家臣であり、上杉四天王の一人。長尾景虎(ながお かげとら)[後の“上杉謙信”]に反抗してた長尾政景(ながお かげまさ)の屈服に力を注ぐ。
上杉カラーである白のかぶりものに白毛の老将。一人称は『わし』。船の上にいるということは……
名古屋山三郎 (なごや さんさぶろう)
紹介札:阿国 設置施設:能楽堂
蒲生家臣。 九戸政実の乱の際、一番乗りの軍功をあげる。 美男で知られ、出雲阿国の夫とも伝わる
出雲阿国の夫、もしくは愛人とされた人。蒲生氏郷の小姓であり、槍の名手でもある。また、阿国と共に歌舞伎を作り上げたとも。
着物(軽装)にサイコロを持ったヤサ男。話し方も二枚目である。一人称は『俺』。阿国等女性を「子猫ちゃん」と呼ぶ。
猿飛佐助 (さるとび さすけ)
紹介札:くのいち 設置施設:忍者屋敷
真田十勇士。信濃の山中で猿と戯れているところを甲賀忍者の戸沢伯雲斎に見込まれて忍者となる。のち真田幸村に仕え諸国を巡りながら情報収集を行う
真田十勇士の一人で、伊賀流の忍者。(修行経験がないとも) 真田信繁に仕え、大坂の陣まで尽力したと言う。
霧隠才蔵(きりがくれ さいぞう)とは良き好敵手。猿と戯れていた所、戸澤白雲斎(とざわ はくうんさい)にスカウトされたとか。但し、猿飛佐助の存在自体、架空説も唱えられている。
上半身裸にジャケットを羽織っている。短髪茶髪であどけない顔付きだが、サルを想像させる。しっぽの装飾も?竹とんぼに羽根を刃にしたような武器を持つ。
一人称は『俺』。くのいちを姉ちゃんと呼び、彼女からは佐助っちと呼ばれている。口を慎まない自由な性格。
実は戦国無双2で護衛武将として登場していた。
下間頼廉 (しもつま らいれん)
紹介札:雑賀孫市 設置施設:大仏
本願寺の坊官。石山合戦において法主・顕如に代わって全軍を指揮、織田信長に対し徹底抗戦を挑んだ。信長の死後、豊臣秀吉から本願寺町奉行に任じられた
本願寺の僧侶。顕如に仕え、雑賀孫市と共に織田討伐を行う。その時に『大坂之左右之大将』と呼ばれた。
坊主頭に法衣を着ている。武器は棍。一人称は『拙僧』。ちなみに、あの本願寺顕如の弟子である。愛称は「ライレーン」
戦うお坊さん。真面目な性格で、戦場の女性を口説いて周る孫市に呆れている。
山本勘助 (やまもと かんすけ)
紹介札:武田信玄 設置施設:馬牧場
武田家臣。文武百般に通じ、主君・信玄の軍師を務めた。第4次川中島合戦で「きつつきの戦法」を上杉謙信に見破られた責を負い、乱軍に突入し戦死した
武田信玄の軍師。かの川中島の戦いで、啄木鳥戦法を案するが、謙信に見透かされ、敵陣に突入するが討死してしまう。
赤い鎧で右目に巴柄の眼帯を付けている。史実で、色黒で隻眼で足が不自由で指も不揃いと言われている…
上記、色黒と言ったがこちらではそうでもない。愛称は『ヤマカン』chronicleでは、老将に眼帯と言った特殊モブ武将として登場した。
片倉小十郎 (かたくら こじゅうろう)
紹介札:伊達政宗 設置施設:餅屋
伊達家臣。「智」の面で政宗を補佐した智将。豊臣秀吉の小田原征伐に参陣するよう政宗を説得し、伊達家の存続に貢献した。
鬼小十郎。一人称は『私』。笛の名手であった片倉景綱(かたくら かげつな)がモチーフになっている。しっかりしている半面、猫御前に「政宗様の真似をしてればよい」と適当な部分も見られる
…と思われたが、猫御前の素質を見抜いてから影武者に選抜したらしい。
(当時は情報不足だったため)
斎藤道三 (さいとう どうざん)
紹介札:濃姫 設置施設:伏兵砦
「マムシ」の異名をとった美濃の戦国大名。 美濃守護・土岐頼芸に仕官、頼芸を追放して国主となった。 のちに子・義龍と戦い、敗死
別名「美濃の蝮(マムシ)」 元僧侶・油商人だったが、そこから名高い戦国大名に駆け上がる『下剋上』の典型と言われる男。
子に、下記の義龍、濃姫がいる。しかし、義龍によって討ち取られるという最期を迎えた。
戦国の貴重なハゲ要員 顕如「ここにいるぞー」 それとヒゲ。緑を中心とした甲冑を纏っている
百地三太夫 (ももち さんだゆう)
紹介札:服部半蔵 設置施設:忍者屋敷
伊賀の豪族。服部・藤林と並ぶ伊賀上忍家の一つ。忍術を駆使して織田信雄の伊賀侵攻軍を撃退するが、のちに織田信長の大軍の攻撃を受け、戦死したという
百地丹波(ももち たんば)とも言う。伊賀の忍者の筆頭。石川五右衛門が彼の弟子だったと言う説もある。
天正伊賀の乱で織田信雄の軍を一度撤退させているが、二度目の襲撃にて戦死してしまう。
牛の怪物の髑髏に乗った、妖しげな白髪の男性。一人称は『私』、二人称は『君』。風魔小太郎に続く妖怪枠。
自身の後継者たる最高の忍者を創造することを至上の目的とする、マッドサイエンティスト然たる人物。
彼の最高傑作であり、後継者として服部半蔵が養成されたことになっている。
人間を「薄汚く愚かな生物」と称し、情を持ち始めた半蔵に対し「人間に成り下がるな」「暖かい光など望むな」と、警告をしている。こんな師匠で大丈夫か?
朝比奈泰朝 (あさひな やすとも)
紹介札:今川義元 設置施設:おみこし
今川家臣。泰能の子。駿河を追われた主君・氏真を居城・掛川城に迎え入れ、徳川軍と戦う。5カ月の籠城戦の末に開城し、氏真とともに相模に落ち延びた
今川義元の家臣。鷲津砦の攻略に尽くす。義元の死後、息子の氏真に忠誠を誓う。
駿河・遠江のゴールキーパー。3Empでは「ダメだ……ダメダメすぎる…」との名台詞を残した安定の朝比奈さん。
真田信之 (さなだ のぶゆき)
紹介札:稲姫 設置施設:真田丸
真田昌幸の長男。関ヶ原合戦では父や弟と別れて東軍に属す。その後も徳川家に忠節をつくし、真田家の存続に尽力した
上田藩の藩主。父は真田昌幸であり、弟は信繁(幸村)。関ヶ原以前は「信幸」と名乗っていた。(読み方は同じ) 関ヶ原の際に、父弟と決別してしまい、波乱万丈な人生を送る。ちなみに妻は小松こと、稲姫。
真田家では東軍についたせいか、ましては列伝が少ないせいか、日陰者と言われがちだが、“93歳(現在値で約“120歳”)まで生きた”という記録が残っている。
笑顔が爽やかな青年。愛称「お兄ちゃん」。一人称は『私』。そして、実弟の幸村も「君」と呼ぶ。天然タラシであり、戦国の関索になってしまった。
赤より白地の方が多く、何故か六文銭の刻みがない。
朝倉義景 (あさくら よしかげ)
紹介札:浅井長政 設置施設:公家屋敷
朝倉家5代当主。孝景の嫡男。将軍・足利義昭と結び織田信長包囲網の一角を担うが、次第に勢力を失う。刀禰坂合戦で敗北を喫し、一族に背かれて自害した
越前の戦国大名。盟友である浅井家と手を組み織田信長に挑むが姉川の戦いで敗れてしまう。
浅井のイメージカラーの水色をモチーフに狩衣の様な服装。それに衣冠。将棋を指してるが、どうやって戦うんだろうか。 恐らく、自ら軍を駒発言している事がきっかけか。
島津義久 (しまづ よしひさ)
紹介札:島津義弘 設置施設:銃工房
島津家16代当主。優秀な弟たちの協力により領土を拡大、九州をほぼ手中に収めるが、豊臣秀吉の九州征伐軍に敗北し、薩摩一国に安堵された
島津家の当主であり、義弘を始め、歳久、家久と『島津四兄弟』として名高い。
『引き籠っていたらいつのまにか三州の大将になってた。』通称、最強の引き籠り
大の占い好きはEmpiersでも健在。だが、戦前にお御籤をひいてたと言う話もある。
一人称は『私』。しかし、どう見ても弟(義弘)より容姿が若い。2歳差と言えど…… でも戦国無双ではよくあること。
最上義光 (もがみ よしあき)
紹介札:直江兼続 設置施設:かまくら
最上家11代当主。 父を隠居させ、弟を討ち当主となる。密約外交や敵重臣の暗殺など、権謀術数の限りを尽くし、最上家最大の版図を築いた
出羽の大名。長谷堂の戦いでは、甥の政宗と連合軍を築き、上杉軍を撤退させている。ちなみに妹は政宗の母である、義姫(よしひめ)。
通称、羽州の狐、また、鮭様。重装であったかそうな格好をしている。兜が狐耳仕様。
通称のせいか、尖った目な顔付き。
一人称は『俺』。武器は銛(もり)。(銛と言っても古代の一本モノではなく、山の字タイプ。正確に言えば銛の形をした「三叉槍」と言う槍 とも言える。)
好物の鮭を刺して泣かせている。ハナに付く言い方が特徴。
敵で不仲同士の兼続の紹介札。何故か連携無双奥義もある。
しかし無双武将に昇格した。
北条綱成 (ほうじょう つなしげ)
紹介札:風魔小太郎 設置施設:温泉
北条家臣。父・福島正成の死後、北条氏綱を頼り、氏綱の娘を娶って一門となる。川越合戦などで活躍し、その旗印より「地横八幡」と呼ばれ畏怖された
北条家代々に仕えた武将。父は福島正成(ふくしま まさなり)だが、北条家に継ぐ。色備えの「黄備え」担当で、八幡大菩薩に勝機を祈願した。
黄備えのクセに赤が目立つ青年(北条は大体赤)。「八幡」の旗を持つ。一人称は『俺』。熱血漢。
容姿と性格が松岡修造……
香宗我部親泰 (こうそかべ ちかやす)
紹介札:長宗我部元親 設置施設:音楽堂
長宗我部国親の三男。 阿波中富川合戦で十河存保軍を破るなど、兄・元親の片腕として四国統一に貢献。 織田家に使者として赴くなど、外交でも活躍した
長宗我部元親の実弟。父の命により、香宗我部家に継ぐ。兄と共に四国統一に力を出す。
ライトグリーンの袴の様な衣装。黒髪の金メッシュ、メガネレンズ有。一人称は『私』。兄が「凄絶」とよく口にするように、口癖(?)は「御意」
元親が戦国のロックミュージシャンなら親泰はヴィジュアルミュージシャンか。無双武将に昇格した時、腹黒い一面がある事が判明した。その上、重度のブラコン。
細川忠興 (ほそかわ ただおき)
紹介札:ガラシャ 設置施設:黄金茶室
織田家臣。明智光秀の娘を娶るが、本能寺の変後は豊臣家に属した。関ヶ原合戦では東軍に属し、豊前中津39万6千石を領した。利休七哲の1人
細川幽斎(ほそかわ ゆうさい)の息子。豊前国小倉藩の藩主。玉子こと、ガラシャ(明智光秀娘)を妻に迎える。戦上手と称えられ、文化人とし、茶道等に精通した が……
非道な面も持っていて、そちらの方で語り継がれる事が多い。 俗に言う“ヤンデレ”
髪の毛ボサボサ。青メインの青と黄のグラデーションの鎧。瞳孔が開いていて、ま、つまり、目が死んでる。武器は包丁と鉈。
一人称は、『私』。安心した。 しかし、3以降の「私はアアアァァァッ」では収まらなく、(妻が孫市と蘭丸と言う男友達がいるとの話を聞いて)
「覚えたぞ覚えたぞ覚えたぞ覚えたぞ覚えたぞ覚えたぞ(以下略」と。余計に(ヤンが)悪化してしまった。阿国からは一途で可愛らしいと言われていたが、かわ、いい……? CV:宮坂俊蔵
黒田長政 (くろだ ながまさ)
紹介札:黒田官兵衛 設置施設:銃工房
豊臣家臣。黒田官兵衛の嫡男。九州征伐などで活躍した。関ヶ原合戦では東軍に属し、戦後筑前福岡52万石を領す。以後は徳川幕府への恭順の姿勢を貫いた
黒田孝高(官兵衛)の嫡男。関ヶ原の戦いや大阪の陣で活躍した。家康に称賛され、右手を取られたと言うと、父・官兵衛から「その時左手は何をしていた?」と聞かれた逸話は有名。(つまり、左手が空いてたのなら何故そこで殺さなかったのか? との事。)
官兵衛曰く、「風が吹くと首ごと持って行かれそうな」一の谷兜をしたお髭の将。
やはり島津みたく上の者より老けt(ry
一人称は『私』。上記通り暗殺の逸話が、コレクション会話になってるのだが、こちらの長政は
「右手を取られたら左手も取り返し…泰平の世を築くまで」と答えている。実にいい子。
千姫 (せんひめ)
紹介札:甲斐姫 設置施設:温泉
父は徳川秀忠、母は江。温和な性格の持ち主だが、夫秀頼と側室の子が処刑されそうになった時、身をていしい助命嘆願を行い、その命を救った
戦国時代の女性。父は徳川秀忠で、母は浅井三姉妹のお江。…となると祖父は徳川家康。とても美しく穏和な女性だったそうだ。
ピンク色の着物をはいている。武器は弓。別のサイトでは背中に羽根を付けていると言われるが、成の装飾だと思われる。(弓の成→羽根) 一人称は『千』
ふわふわした世界を望むメルヘン少女。戦国希少のロリキャラ。と言うのも夏の陣終了時点で、甲斐姫との歳の差が25である。
だから、若く描かれている上からロリになってしまったのだろう。ちなみに甲斐は『おばちゃん』
ちなみに、2012/03までレアAでたった一人唯一の女性(寧、女の子)だった。ちなみに、2012年7月に登場した利家のレアAは松。
斎藤義龍 (さいとう よしたつ)
紹介札:竹中半兵衛 設置施設:伏兵砦
美濃の戦国大名。道三の子。 家督を巡って父と対立、父を討って美濃国主となるが急死した。 身長6尺5寸の巨漢と伝わる
上記の斎藤道三は実父、妹に帰蝶こと、濃姫。父に家督を譲られ美濃の太守になるが、謀反を起こし、父を斬ってしまう。
烏帽子ののようなヘルメット(?)を装着、双眼鏡を持っている。武器は銃。全身に葉や木の枝を付け、カモフラージュも。
意外に顔の彫りが深い。口数が少なく服部半蔵とキャラが被る。武器が銃なのは遠距離射撃の話から。
3で(ある意味)活躍していた、龍興さま(義龍の息子)はなんと、レアBである。どういうことなの……
北条氏政 (ほうじょう うじまさ)
紹介札:北条氏康 設置施設:代官所
後北条家4代当主。氏康の嫡男。優秀な弟たちや家臣団に支えられ、北条家の地位を不動のものにした。豊臣秀吉の小田原征伐軍に抗戦するが敗れ、自害した
北条氏康の息子。汁掛け飯の話で有名。暗愚と謳われるが、北条家の拡大や滝川一益の追放など、数多くの実績を持っている。
おっとり、のんびりしている。一人称は『わし』。いつも頭の中はメシの事。父からも「ド阿保」と呼ばれる始末。顔は母親に似ている。つまり……
毛利隆元 (もうり たかもと)
紹介札:毛利元就 設置施設:百万一心
毛利元就の長男。元就隠居後、家督を相続する。政治手腕や財務手腕に優れていたとされる。
毛利元就の息子。弟に上記の吉川元春と小早川隆景がいる。(二人とも養子に送られている)
九州征伐では大友・立花と互角に張り合うなどの軍略を持っている。ある時、謎の腹痛に襲われ急死。その上、父・元就より早死にしてしまう。毒殺が疑われ処された家臣も少なくない。
一人称は『私』。しかし、イベントでは『僕』と名乗った時があった。
前髪で目が見えていない。(メカクレ属性) 控え目な性格。彼の運の良さは後ろのアレから。後ろのアレが本体と言われるが実は背負ってるのではなく憑かれている。また殆どの人には見えていない。隆元本人にも見えていない。
見えた者達には阿国が居たり外伝シナリオでは誾千代、島津にも見えたが、”毛並みの良い白くてモフモフしていて、異様に眼光が鋭い百戦錬磨の武人のような猫”と言う評価をした。凄い猫だ。
隆元コレクション交換時に半兵衛が「何かに憑かれるんじゃない?」との発言と勝利時に「憑きものが落ちたようだ」との本人の発言により、後ろのアレは憑き物だと確定。
ただし、二次創作では隆元本人にも見えている。
柿崎景家 (かきざき かげいえ)
紹介札:綾御前 設置施設:毘沙門堂
上杉家臣。主君・謙信に「越後七郡で彼にかなう者はなし」と評された家中随一の猛将。上杉軍の主力として活躍したが織田信長への内通疑惑により死罪になった
越後国の守護代。上杉家の家臣。川中島の戦いでは先鋒を務め、武田壊滅に追い込むなど活躍の場は広い。
彫りの深い髭の壮将。兜は取っている。一人称は『拙者』。いい男である。 やはり、お堅い性格。
イベント
松永久秀 (まつなが ひさひで)
将軍・足利義輝を討ち、東大寺大仏殿を焼いた稀代の梟雄。織田信長に属し謀反を起こすが敗れ、「平蜘蛛」と共に爆死した
織田家家臣。奇襲、焼打ち、謀反と悪人のイメージしかつかないが、茶道に通ずる人物でもあり、また、領民への配慮もかかさなかったと言う。ちなみに降誕祭(クリスマス)を祝った人物とも言われ、日本で初めて『爆死』という自害を行った人でもある。
ハネた髪とアホ毛のある武将。右目に刀傷がある。一人称は『私』。常に相手を誘うような発言をしているが、エンパイアーズから健在。
彼は早くも義輝の交換時にグラフィック有で登場したが、イベント合戦の『信忠の野望』の信貴山の戦いにも登場した。今回、晴れて無双武将に昇格。
大谷吉継 (おおたに よしつぐ)
紹介札:石田三成 設置施設:学問所
豊臣家臣。 親友・石田三成のために関ヶ原合戦では西軍に属し、藤堂高虎の軍を撃退するが、 寝返った小早川秀秋軍に攻められ敗北した
豊臣家の家臣で、大谷刑部(おおたに ぎょうぶ)とも呼ばれる。ハンセン病を患っており、常に白ずきんで顔を隠していたらしい。そして、茶会で嫌な思いもするが、それがきっかけとなり、石田三成とは大の親友であった。ちなみに、真田信繁(幸村)の正室の竹姫(たけひめ)は吉継の娘なので、幸村は義理の息子にあたる。
史実通り白ずきんで顔を隠している。同社の「采配のゆくえ」ではターバンのようだったが、こちらは完全に布である。ただ、こちらも向こうも赤い紐で布を固定している。
着物のような重装をしていて、顔に右に紫、左に朱の化粧をしている美青年(?)。
一人称は『我』。もの難しい難解な言葉で話す。
戦国無双本編では一人称「私」で、難解な言葉は話さなかった。ちなみに、山本勘助と違い、一般のモブスタイルでもあった。
ちなみに、100万人の無双武将の中でいち早く“無双武将” “特殊レアA” “イベント専用”全てを経験している。2012年の夏に行われた人気投票で見事、1位を獲得。その時宣言されていた、新武将配信が、みにきゃらカレンダーのイラストを抜き出し、『大谷吉継(カレンダー)』として、全員配信された。
また、忍城攻めイベントの時に、ステータスはそのままで『[百万才覚]大谷吉継』と変更された。
可児才蔵 (かに さいぞう)
紹介札:福島正則 設置施設:土俵
福島家臣。侍大将を務める。宝蔵院胤栄に槍術を学ぶ。関ヶ原合戦では討ち取った17の首級すべてに笹を差して目印としたため、「笹の才蔵」の異名をとった
可児吉長(かに よしなが)。転々と主君を変えていて、明智光秀に仕えた時もあった。常に笹を身につけ、討ち取った首(もしくは当人の口に)に笹を添えたことで『笹の才蔵』と呼ばれた。
こちらでも笹を身につけている将。光秀の事を大将と呼ぶ。一人称は『俺』。武器は「槍」だが、十文字槍(真田幸村の愛槍)に似ている。自信家で、べらんめえ言葉を使う。
前記の、転々と主君を変えていたに関し、第二章移行前の「天王山決戦」では光秀のイベントのみ登場。ガチャコンプの会話イベントでは「徳川家康」。そして、「福島正則」の特殊レアAとして登場する。
吉継みたく、“イベント専用”から始まり、“無双武将” “特殊レアA” 全てを経験している。
馬場信春 (ばば のぶはる)
武田四名匠の1人。多くの合戦に参加し1度も負傷せず「不死身の鬼美濃」と呼ばれた。長篠の合戦の際に殿軍として主君・勝頼の逃亡を助け、戦死
馬場信房(ばば のぶふさ)とも。武田家の家臣で、武田四天王の一人。長篠の戦いまで掠り傷一つ負わなかったと言われて、「鬼美濃」と称えられた。長篠の戦いにて勝頼に撤退を進言するが、聞く耳を持たず。そのせい(?)か決死の覚悟で敵陣に乗り込み戦死してしまう。
こちらは黒髪のちょんまげの将。名前のせいか馬に乗っている。一人称は『それがし』。
顔の彫りが深い、三人目のいい男。
蒲生氏郷 (がもう うじさと)
織田家臣。主君・信長の娘を娶る。本能寺の変後秀吉に仕え活躍、陸奥会津92万石を領した。文武に秀でたその器量を秀吉は恐れたという
近江の武将。織田家に仕える。信長にその雄姿を「只者ではない」と評価された。小姓に上記の「名古屋山三郎」がいたと言われる。
逸話に、石田三成か直江兼続によって毒殺されたと言われているが、作り話の可能性が高い
黒髪で紫カラーの鎧をまとった青年。兜とは言わないが頭部に史実の(但し、史実では兜)鯰尾(又、燕とも言われる)の装飾をしている。一人称は『私』。褒美を与える癖があり、そのせいか、財政が苦しいとか。そして他の者によく呆れられている。
遠かれ無双OROCHIの源義経に似ているともいえる。
内藤昌豊 (ないとう まさとよ)
武田家臣。武田四名臣の1人。武田信繁の死後、主君・信玄の副将格となる。武略に優れ、箕輪城主として西上野方面の治政を担当した。長篠の合戦で戦死した
内藤昌秀(ないとう まさひで)とも呼ばれる。武田家の家臣で、武田四天王の一人。一度甲斐を追い出されているが、信玄に「武田の副将」と称えられ、それからは最期まで信玄に忠誠を尽くしたと言われる。
袴のような衣装。武器は萬で(色々との事)左腕に備えているが直接持っているのではない。…となると、左腕を失っており、改造しているのか、ましては腕はあるが袴の袖に隠しているかは不明。但し、右腕は見えている。一人称は『私』。
……色々が色々で『影が薄い』と言われ続けていたが、こちらでも実装されていて、くのいちに大きな声で本気で呼ぶまで気づいて貰えなかったとか…
(※:有名な小説やドラマに、“武田四天王”とありながら登場がなかったと言われる、公式二次創作。)
上杉景虎 (うえすぎ かげとら)
北条氏康の七男。越相同盟成立の際に越後に赴き綾御前の娘と婚姻、のちに上杉謙信の養子となった。謙信の死後、御館の乱において義弟の上杉景勝と家督を争うが、敗死した
北条家時代は北条三郎(ほうじょう さぶろう)と名乗っていた。
始めは武田家に人質に送られ一時を過ごした後、大叔父の北条幻庵(ほうじょう げんあん)に養子入り。更にその後に綾御前の夫・長尾政景(ながお まさかげ)の養子になり、最終的に謙信の養子となるという形で、多くの家を転々と渡っている。
謙信死後に勃発した御家騒動である御館の乱では義弟・上杉景勝と家督を争うことになるが、その最中に味方が次々と裏切り孤立無援となり、最期は自害した。
史実の通りイケメンであり、髪は銀の長髪で前髪で片目が隠れている。一人称は『俺』で実父・氏康親譲りの性格。白の陣羽織を肩に羽織り煙管を吹かすなど、衣装も実父に近しいものがある。武器は『鋸剣』(?[大剣の刃が波(鋸の刃)のようになっている])。西洋剣のようなサーベル(取っ手+鍔)付き。恐らく初の左利き。
上杉想いの性格で、義弟の景勝が唯一まともに会話出来る相手でもある。
第2回人気投票では、1位にランキングされた。
[毘沙門天]上杉景虎として配信された。
特殊NPC武将
(上)
森長可 (もり ながよし)
紹介札:森蘭丸 設置施設:土俵
鬼武蔵と呼ばれ恐れられた猛将。信濃の撤退戦など数多くの武勇伝をもっている。
鬼武蔵。蘭丸の実兄。ヒャッハー その事もあり、信之が「お兄ちゃん」なら彼は『鬼いちゃん』。3のモブと似ている。CV:草尾毅
井伊直政 (いい なおまさ)
紹介札:本多忠勝 設置施設:赤備え詰所
徳川家康の家臣。当本多忠勝をはじめ、酒井忠次(さかい ただつぐ)や、榊原康政(さかきばら やすまさ)と共に『徳川四天王』と呼ばれる。
ちなみにchronicle2ndに登場する「井伊直虎」は義理の母。(直政は直虎の養子になる。)
史実の鎧をモチーフにしている。ちなみにモフモフ付き。顔に刀傷のある青年。一人称は『俺』。
何故か忠勝の戦い方を好んでいない。
本多正信 (ほんだ まさのぶ)
紹介札:徳川家康 設置施設:国崩し
相模国玉縄藩主。家康の家臣だが、家康から「友」と呼ばれるほど高い評価を得ていた。本佐録の著者とも言われる。話が難解だったらしいが、家康のみ理解出来たとも。ちなみに本多姓であり、忠勝とは遠い親戚にあたるが、「あいつは本多一族でありながら無関係だ」と存在否定されている……
鷹匠でも有名。
兜で顔を半分隠しているギョロ目の爺さん。一人称は『わし』。ホホと笑う
家康のためならどんな汚い手も使うとの事とか。
筒井順慶 (つつい じゅんけい)
紹介札:島 左近 設置施設:黄金茶室
大和の筒井城主。わずか2歳にして家督を継いだ。山崎の戦いで羽柴,明智両方どちらかにつくか、洞ヶ峠で観察し、有利となる羽柴側についた「洞ヶ峠の日和見」で有名か。
網代笠を被り僧スタイル。一人称は『私』。
戸次鑑連 (べっき あきつら)
紹介札:立花誾千代 設置施設:雷神像
通称「立花道雪」(たちばな どうせつ)。戸次鑑連は彼が存命時名乗ってた名前である。誾千代の実父。
雷を直に受け、下半身不随になるが、その時中にいた雷神を斬った逸話は有名。その時の刀を「雷斬」と名付けた。
上半々裸で鎖の様な首飾りをしているムキムキのジジイ。一人称は『ワシ』。ヤンデレではないが「バッキャロオオォォォ!!」など兎に角叫ぶ
ちなみに、100万人稼働当時立花道雪名義の軍師紹介札が存在した。これとあれ、2枚持ってたらどっちがどうなるんだ?
藤堂高虎 (とうどう たかとら)
紹介札:ねね 設置施設:工匠館
伊勢国津藩の初代藩主。また彼も君主を転々と変えていたらしい。また、建築の名人であり、江戸城や伏見城を建立したのは彼だと言う。また、関ヶ原の際、大谷吉継の墓も建てたとか。
茶髪でツンツンの目を尖らせた一見ヤンキーにも見えなくもない戦国の大工さん。一人称は『俺』。武器はトンカチと釘でいいのか(多分違う…)
何故かねねの紹介札で、彼女を「ねね様」と呼ぶ。(“お”を付けない) しかもタメ口。
後で清正に〆られなければ良いが……
ちなみに、戦国無双chronicle2ndに参戦が決まったが、こちらとはデザインが異なる。(言えば“采配のゆくえ”版の『細川忠興』のような。)
戦国無双のプロデューサーである鯉沼久史Pによると「戦国無双4があるなら、一部の武将は(100万人のデザインと)異なる」との事。まさにこのことか
↑ゲーム本編の高虎。DLCで「100万人衣装」があれば嬉しいのだが…
丹羽長秀 (にわ ながひで)
紹介札:柴田勝家 設置施設:楽市楽座
米五郎左。織田四天王のひとり。鬼五郎左とも呼ばれ、権六(鬼柴田 - 柴田勝家)と共に功績を残す。
兜から甲冑まで農夫を想像させるような容姿。で、武器も「鍬」(くわ)。でもなぜか戦場では刀らしい。
戦いを好まず、「仕方ないか」的な思想だが、刀を持つと性格が変わる、俗に言う“二重人格”
大友宗麟 (おおとも そうりん)
紹介札:立花宗茂 設置施設:国崩し
大友義鎮(おおとも よししげ)とも。豊後のキリシタン大名。九州の名高い大名を家臣にし、勢力拡大を試みたが、最終的に島津に敗れてしまった。
“国崩し”なる大砲に乗っている。また、顕如や道三みたいくなつるっぱげなスキンヘッド。ちょんまげが導火線っぽいけど、装飾?
一人称は『予』。語尾に「あーる」を付けるのが特徴。どこぞの名族を思い出す。
それはそうとして、宗茂父の『高橋紹運』(たかはし しょううん)が、「高橋鎮種」(たかはし しげたね)名義で凡Aなのは何処か解せない…
イベント
大内義隆 (おおうち よしたか)
周防の守護大名。和歌や芸能を好む文化人であり、周防の国(山口)を整え、「西の京」と呼ばれるように改正した。また、あの「フランシスコ・ザビエル」とも面会があるらしい。
毛利家の隆元・隆景に対しては実の子のように可愛がっていたと伝えられる。
1551年、大寧寺の変にて、陶晴賢の軍に追い込まれ、自害。
赤と金の胴服と言うか何というか…(恐らく違う)と冠をしたニコニコしている爺さん。
一人称は『余』。かなりおっとりして優しい性格だが…… 晴賢に粛正されましたとさ。
恐らく義元と気が合いそう。
龍造寺隆信 (りゅうぞうじ たかのぶ)
肥後の戦国大名。今山の戦いで大友氏を打ち破り、肥前,筑前,築後と勢力を拡大していくが、沖田畷の戦いにて島津家久の釣り野伏に掛り大損害になってしまい、最終的に自身も討ち取られた。話によれば、「肥後の熊」と呼ばれたらしくかなりの大漢だったらしい。
そのまんまの大漢。一人称は『わし』。武器は『爪』(鉄爪)。しかも熊の形・毛付きでしかも足具まで熊。
龍造寺四天王が五人いると言うから、戦国無双の隆信はバカ設定なのかと思えば史実である。なんということでしょう…
容姿や言動からして、戦国の孟獲っぽい。
鍋島直茂 (なべしま なおしげ)
肥前佐賀藩の藩祖。龍造寺隆信の右腕として丁重された。今山の戦いでは大友に奇襲(夜襲)をかけ、敵将を討ち取っている。しかしながら、沖田畷の戦いで龍造寺敗北の知らせが入ると命からがら佐賀まで逃げたと言われる。隆信の遺体を残してまで……
袴姿の武将。一人称は『拙者』。武器は「日本刀」。周りに霊魂があるが、彼が史実上悪霊に呪われて耳が腫れたと言われるがそれは沖田畷の戦いのかなり後の話になるし…
固有のものなのだろうか…?