ロマンスカー
ろまんすかー
「ロマンスカー」とは
ロマンスカーという単語そのものは「ロマンスシート」を腰掛として使用した鉄道車両の愛称、あるいは列車愛称のひとつを指す。数々の私鉄で使われてきた愛称である。このロマンスカーという語は和製英語なので注意が必要である。
列車の進行方向に向けられた2人がけのシートのことをロマンスシートと呼ぶ。この形の座席が日本の鉄道界に登場したのは1920年代で、これをアピールするために各鉄道会社が「ロマンスカー」の愛称をこぞって採用した。
第二次世界大戦後の1940年代末期以降は、大手私鉄はもとより、地方の中小私鉄においても都市間連絡輸送や観光客輸送を目的に転換クロスシート装備の2扉電車を導入するケースが頻出し、それぞれが「我が社のロマンスカー」としてアピールされた。なお、この当時は「ローマンスカー」という表記も見られた。
しかし、1950年代後半以降は列車呼称・車両形態が多様化し、私鉄各社がおのおの独自のネーミングを用いるようになるにつれ、既存の「ロマンスカー」・「ロマンスシート」という表現はあまり用いられなくなり、いつしか廃れた。ただし、小田急電鉄は特急用電車に対して「ロマンスカー」という愛称を使い続けたため、現在では「ロマンスカー=小田急」という方程式が成立するようになった。
ちなみに日本で初めて「ロマンスカー」という呼称を使ったのは京阪電気鉄道である。
「小田急ロマンスカー」
JR東海の御殿場線に乗り入れ、静岡県の御殿場まで足を延ばす列車(「ふじさん」)もある。
近年では、東京メトロ千代田線に乗り入れる列車も登場し、通勤の足としても活躍している。
なお、「小田急ロマンスカー」は小田急電鉄の登録商標である。「きょう、ロマンスカーで。」のキャッチコピーでも知られる。
尚、特急ロマンスカーは全席指定制で、特急券が発売されている自動券売機で予約購入が可能となっている。
その為、事前に席を取りたいなら小田急の特急自動券売機で事前に予約すると楽。
又、インターネットなどの購入も可能となっている。
運行概要・歴史
運賃や料金については、公式サイトを参照。
戦前の「週末温泉急行」かルーツとなる、箱根への観光客を輸送するための列車である。1950年から箱根登山鉄道箱根湯本駅まで乗り入れるようになった。
1950年10月以降は愛称が設定されたが、列車ごとに異なる愛称が設定されており、毎日運転の列車が「あしがら」・「はこね」・「乙女」、休前日・休日のみ運行の列車では「明神」という愛称であった。
その後増発されるごとに愛称も増加し、1963年にNSE車が登場する直前の時点では、新宿駅発車時刻順に「あしのこ」・「明星」・「あしがら」・「さがみ」・「大観」・「仙石」・「はつはな」・「湯坂」・「明神」・「はこね」・「乙女」・「神山」・「姥子」・「金時」・「早雲」・「夕月」と、本線だけでも16種類に上った。
NSE車の登場後の1963年11月4日から、愛称は「あしがら」・「あしのこ」・「はこね」・「きんとき」・「おとめ」の5種類に整理された。尚この時の最速は62分だった。
江ノ島線には、「かもめ」・「ちどり」・「かたせ」・「なぎさ」・「しおじ」という愛称が存在し、当時は夏季のみ運行であったが、1964年から通年運行が開始されて以降、愛称は「えのしま」1種類に統一された。
1966年6月1日からは停車駅別に愛称が分けられ、新宿と小田原の間をノンストップで運行する列車は「はこね」、途中向ヶ丘遊園と新松田に停車する列車は「さがみ」、1967年8月から運行開始された新原町田(現町田)に停車する列車は「あしがら」という愛称になった。
1968年に「さがみ」が本厚木にも止まる様になる。
更に1996年3月からは愛称毎の停車駅が変更され、「はこね」の停車駅に町田が、「あしがら」の停車駅に本厚木が追加され、新宿と小田原の間をノンストップで運行する列車の愛称は「スーパーはこね」に変更された。
当時は列車名毎に停車駅も決まっていたので実に解り易かったが、1999年7月からは、日中の特急は「あしがら」と「さがみ」を統合して「サポート」という愛称に変更された他、18時以降に新宿を発車する下り特急の愛称は全て「ホームウェイ」に変更され、停車駅も増えた(新百合ヶ丘・相模大野・秦野・大和が追加)事で複雑になってしまった。
準特急タイプの「サポート」も、停車パターンから従来の「あしがら」タイプと「さがみ」タイプが有り、停車駅が少ない「はこね」タイプも一部に存在していて、更に愛称の解り難さも有り非常に不評だった。
2004年12月には、箱根特急は「はこね」「スーパーはこね」、小田原線内のみ運行の特急は全て「さがみ」という愛称が設定される事になったが、「はこね」・「さがみ」いずれの停車パターンも、「サポート」同様数種類存在するので相変わらず解り難い部分が残る。
2008年には地下鉄千代田線に直通する「メトロはこね」「メトロさがみ」「メトロホームウェイ」が登場。
小田急線から千代田線への直通自体は1978年から始まっていたが、通過駅の設定は両線の直通運転史上初、そして特別料金を徴収する特急列車の運行としては日本の地下鉄史上初である。
車輌は60000形MSEの使用で、東京メトロ側は特急車輌を保有していないため、小田急側からの片乗り入れの形態である。
なお、当初はさらに地下鉄有楽町線新木場まで直通する臨時特急「ベイリゾート」があったが、有楽町線へのホームドア設置に伴い2011年10月以降運行休止、翌2012年3月17日をもって運転中止となった。
2016年3月から、新たに海老名と伊勢原が停車駅に追加された。多摩線の定期列車が全廃された。
2018年3月改正で新型車両70000形登場、平日朝の通勤時間帯上りに増発され「モーニングウェイ」の愛称が付いたほか、「メトロえのしま」が新設。停車駅関係では向ヶ丘遊園と新松田停車は取り止められた。「スーパーはこね」の新宿~小田原間が5分短縮の最速59分、新宿~箱根湯本間が9分短縮の最速73分で到達。運行開始からの悲願であった新宿~小田原間60分切りを遂に達成出来る事に至った。また、「あさぎり」は「ふじさん」と改名された。(運行区間・充当車両には変更なし)
列車名一覧
※運行休止中の列車も掲載。
基本停車駅パターン
- 2018年3月現在。
- どの停車駅パターンにも当てはまらない場合がある。
- 斜体は特急「はこね」のみ。
- ()内は一部停車。
- {}内は一部通過。
列車名 | 停車駅パターン | 備考 |
---|---|---|
スーパーはこね | 新宿・小田原・箱根湯本 | 現在は下りのみ |
速達形 | 新宿・町田・小田原・箱根湯本 | |
標準形 | 新宿・{町田}・海老名か本厚木どちらか・(伊勢原)・(秦野)・小田原・箱根湯本 | 伊勢原は上りのみ※昼間時最も本数の多いタイプ |
準特急形A | 新宿・新百合ヶ丘・相模大野・本厚木・秦野・小田原・箱根湯本 | 一部列車は新宿~相模大野間でえのしま・あさぎりと併結 |
準特急形B | 新宿・・町田・本厚木・(伊勢原)・・小田原・箱根湯本 | 伊勢原は下りのみ |
メトロ系統 | 北千住・大手町・霞ヶ関・表参道・{成城学園前}・町田・(相模大野)・本厚木・小田原・箱根湯本 | 北千住~代々木上原間は東京メトロ千代田線。メトロ系統は代々木上原で運転停車※成城学園前はメトロ系統のみ停車。 |
えのしま | 新宿・新百合ヶ丘・相模大野・大和・藤沢・片瀬江ノ島 | 平日の昼間時間帯は運行していない。一部列車は新宿~相模大野間ではこねと併結 |
ふじさん | 新宿・新百合ヶ丘・相模大野・本厚木・秦野・松田・(駿河小山)・御殿場 | 松田~御殿場間はJR東海御殿場線。2012年3月改正までは沼津まで運行されていた |
ホームウェイ(本線・江ノ島線) | 行き先に関わらず、18時以降に新宿駅を発車する全ての下り特急が該当。停車駅は、はこね・さがみ・えのしまの各パターンを踏襲 | |
モーニングウェイ(本線) | 行き先に関わらず、9時半頃迄に新宿駅(大手町駅)に到着する全ての上り特急が該当。停車駅は、さがみ・メトロさがみの各パターンを踏襲 |
停車パターンにはある程度の法則も有り、以下のようになっている。
※新百合ヶ丘と町田、町田と相模大野、海老名と本厚木の様に、原則連続停車や停車駅が急行と同じにならないよう(例外有り)にされている。
※小田原線系統は速達便を除きほぼ全てが町田か相模大野・海老名か本厚木に止まる。
※「えのしま」「メトロえのしま」と分割併合する小田原線系統は必ず相模大野に止まり町田は通過する。
歴代の小田急ロマンスカー車両
※最近の保有車両は、両数こそ若干の変動があるが、編成数は15編成になるようにしているらしい。
1700形
1951年登場。小田急電鉄としては初めての「特急用」電車であり、転換クロスシートを装備している。
制作費を切り詰めるために旧型車輌の部品や戦災国電の台枠を使い3両編成3本が製造された。
転換クロスシートと大きな窓は乗客の間で人気となり、厳密な意味での初代ロマンスカーはこの1700形であるともいえる。1957年に後述のSE車が出揃った時点で通勤電車に格下げされた。この時点で増結用の中間車が作られ4輌編成となった。1974年引退。
2300形
新宿から小田原までを60分で結ぶ事を目標として、1955年に登場した初の高性能特急電車。
システム面では2200形を基本としている。
あくまでSE車登場までの「つなぎ」に過ぎなかったため、僅か4年で特急運用から外され、準特急車となるも、NSEの登場によって通勤型に格下げされた。
1982年に引退後、富士急行5700形となって1993年まで活躍。
3000形 SE(SSE)
SE=Super Express
1957年登場。狭軌世界最高速度を記録した伝説の名車。
登場した目的は「新宿~小田原を60分で結ぶ」ことと、同区間でライバルとなる国鉄に対抗するために「画期的な特急車両を作る」ことであった。
なお、このとき開発に鉄道技術研究所関わっていたことはあまり知られていない。(当時小田急に在籍していた山本利三郎という人物の影響が強い)
しかしながら、このことがきっかけでこの車両が国鉄東海道本線上で高速試験が行えたといえる。
山本氏は「20年も30年も使うと言う今までの発想ではダメだ、10年使ったら廃車するつもりでないと」といった後のどこぞの走るプレハブを思わせるような趣旨の発言をしていたと言う。結果的に、それが大胆な軽量化につながった。
これまでの鉄道車両の常識(電車と言えば箱型)を覆すようなその設計思想などは国鉄、さらには新幹線にまで影響を与え、「新幹線のルーツ」とも呼ばれる。ただ、SEは当初非冷房だったこともあって走行にかかる部分以外は軽量化のため割り切り設計であり、長距離を行く新幹線にもう一つ必要な高度な内装電装品に関しては国鉄自身の101系の量産過程で本格的なものになっていった部分が大きい。なのであえて言うなら「SEが新幹線の父、国鉄101系が新幹線の母」とでも言うべきだろう。
一方で国鉄内部には「電車の時代は一時のこと、動力集中式の時代がまた来る」や「私鉄の車両に東海道線で速度記録を作られたら国鉄の面子が潰れる」といったかなりの風当たりがあったらしい。「145km/h以上は出さないこと」と「国鉄の最新鋭電車でも高速度試験を行うこと」で決着をつけた。ちなみに145km/h以上出さないという条件の裏には、車両を損傷したときの責任問題もあった。小田急はSEの製造を住友銀行からの信託投資、早い話がローンで買っていたため、所有権自体が小田急にもなかったのである。ちなみにスペインの連接高速車両TARGOの設計技師の1人ホセ・ルイス・オリオールはこれ以前にSEに試乗し、「150km/hまでは大丈夫だ」と言っていたとか。
記念すべきブルーリボン賞受賞車第1号、というより「3000形を顕彰するため」がブルーリボン賞の設立目的の一つであった。
当初は8両編成だったが、御殿場線への乗り入れ運用への転用にあたり5両編成に改造されSSEとなる。
山本氏の公言通り、HiSEで蹴躓きその後バブル崩壊が始まるまではおおよそ10年に1車種の後継車が登場したものの、SEは減価償却期間を2回転し本来なら確実に廃車……という1985年頃、NSEへの置き換えが検討されたものの、当時財政破綻・労使関係崩壊・利用者からの信頼皆無の大混乱から分割民営化へと転がり落ちていいく国鉄に乗り入れ車両変更の提案ができず、JRが発足して安定するまで棚上げとなった。
1991年に全車引退。「結局、30年使ってしまった……」 国鉄を巻き込んで開発費を捻出しようとした結果、その国鉄に足を引っ張られる形で長居することになってしまったSEだが、どこぞの走る一斗缶と異なり、あちこち足らぬものの致命的と言うほどでもなく、最後まで人気者であった。
引退後1編成は大井川鉄道に譲渡されたが、同社の輸送量では使いづらかった為か解体。
小田急に残った1編成は新宿方の2両を登場当時のスタイルに復元のうえ海老名検車区に保存されている。
3100形 NSE
NSE=New Super Express
展望席が採用され、後のロマンスカーの基本スタイルとなる。名鉄パノラマカーに続く展望車両となった。全7編成が製造された。引退後、1編成が海老名検車区に、先頭車1両が開成駅前に保存されている。
なお、小田急車両は日本車輌で製造され、大規模改修される際は今でも愛知県豊川の工場に入ることがあり、また豊川からは飯田線を通してJRで甲種輸送するので、豊橋付近では飯田線と線路を共有する名鉄線のパノラマカーと同じ線路上を走る事となっている(ただし、小田急車両は自走しない)。
第7回(1964年)ブルーリボン賞受賞。
7000形 LSE
LSE=Luxury Super Express
NSEを踏襲し、洗練させたスタイル。
HiSEに合わせた塗装にリニューアルされたが、2008年より1編成が登場当時の塗装に戻された。
さらにHiSEが引退する事と、旧塗装が好評である事から、2011年3月からは全車が旧塗装に戻っている。4編成が製造されたが、老朽化とGSE70000形の増備により、2018年7月10日を持って定期運用を終了した。
また、1982年には1編成が国鉄に貸し出され、東海道本線での試運転に使用された。その理由は、新型の特急車両の開発するにあたり、ボギー車との乗り心地などのデータを比較するため(比較対象となったのは183系)で、当時国鉄には連接車がなかったためである。
第24回(1981年)ブルーリボン賞受賞。
10000形 HiSE
HiSE=Hi(-decker,-grade) Super Express
客室が高い位置にある、ハイデッカー構造が採用された。4編成が製造された。
…が、交通バリアフリー法なる政策によってVSE50000形に交代し、まず2編成が引退。長野電鉄に渡り1000系「ゆけむり」号となった。
その後MSE60000形の増備により2012年3月17日のダイヤ改正をもって運用を終了した。2018年7月現在 先頭車2両中間車1両が保存されている。
第31回(1988年)ブルーリボン賞受賞。
20000形 RSE
RSE=Resort Super Express
JR東海御殿場線直通列車「あさぎり」用で、371系と仕様をあわせる為にボギー車となった。
3・4号車がダブルデッカー(2階建て)構造。2階建て車両にはグリーン車に相当するスーパーシートやセミコンパーメント座席が設置されていた。2編成の内1編成は予備で、予備編成は通常「はこね」などで活躍していたが、HiSEと同じハイデッカー構造故に同じ理由で共倒れする形で2012年3月17日のダイヤ改正をもって運用を終了した。
運用後も長らく車庫に留め置かれていたが、2013年10月に小田急・富士急双方のプレスリリースで正式に富士急行線への譲渡が決定した。のちに371系も富士急行へ移ることに。
2018年7月現在 先頭車2両とダブルデッカー車1両が保存されている。
第35回(1992年)ブルーリボン賞受賞。
30000形 EXE
EXE=Excellent Express
従来のロマンスカーの伝統とも言える展望席を捨て、箱根観光特急よりは中間駅や通勤利用などにおける機能性に重点を置いた車両。20メートル級ボギー車10両編成で、小田原~箱根湯本間乗り入れや江ノ島線内の柔軟な運用をこなすため6+4連に分割可能となっている。「はこね」から「ホームウェイ」までなんでもこなすマルチプレーヤー…それ故に、ロマンスカーの中ではいささか地味な存在で、ブルーリボン賞を唯一受賞できていない。
主に観光利用客や鉄道ファンからは「ロマンスカーらしくない」と言われるが、座り心地の良さや内装を評価する声もある。また側窓が拡大され全席からの眺望はアップしている。現在のロマンスカーの中では最大の定員数を誇り、ホームウェイや平日朝の新宿方面の特急では大活躍。現ロマンスカー中最大勢力(7編成)で、一番見る機会が多い。
2016年10月20日に更新改造する事が発表された。気になる名称は EXE α(アルファ)となった。更新工事によりVVVFインバータ制御装置の変更、塗装変更、行先方向幕のフルカラーLED化、座席と内装のリニューアル、蛍光灯のLED灯化、トイレの洋式化などの工事が施工された。
日本車輌でリニューアルを受けた後、2017年3月1日の「はこね41号」からEXE
αの営業運転を開始した。
50000形 VSE
VSE=Vault Super Express
小田急ロマンスカーブランドの復権を目的として伝統の連接車、展望席が復活。1車両の長さを増やして11連接から10連接に変更された。空気バネによる車体傾斜方式も小田急初採用。
デザインは関西国際空港のターミナルビルなどを手がけた岡部憲昭氏で、以降の60000形、70000形も同氏のデザインによるもの。
グッドデザイン賞・第49回(2006年)ブルーリボン賞受賞。現在2編成が活躍。
60000形 MSE
MSE=Multi Super Express
従来のロマンスカーの伝統と地下鉄路線を走行することを前提としてデビューした。
東京メトロ千代田線に乗り入れ、都心と小田急沿線を結ぶ。地下でも目立つようにフェルメール・ブルーと呼ばれる塗装が採用された。
なお、御殿場線直通にも対応した構造となっており、2012年3月17日からは先述のRSE車に代わり「あさぎり→ふじさん」運用に就く。まさにマルチな車両。
10両編成ではあるが、30000形と同じく6+4連に分割が可能。6両が5編成と、4両が3編成在籍。
第52回(2009年)ブルーリボン賞受賞。
70000形 GSE
GSE=Graceful Super Express
2016年10月20日に2018年3月から運行を開始すると発表された最新鋭。7000形の代替も兼ねて2編成が製造される。「箱根につづく時間(とき)を優雅に走るロマンスカー」の「優雅」から「Graceful」の愛称を付けた。
色は伝統の赤で展望席を備えるものの、定員増を優先し1両20メートル級のボギー車と成った。この為プレスリリース時は歓迎ムードの一方で「いよいよ元祖様の丸パクリだよ……」という意見も少なからずあった。がこうした声は実物モックアップが出現するなどに従って消えていき、むしろ「70000形という形式は元祖様への敬意の表れ」とも言われるように。
EXE同様通勤特急としての運用に備え、VSEの様なラウンジやサルーンは無い。前照灯(ヘッドライト)の位置は展望席の上。
第62回(2019年)ブルーリボン賞受賞。
小田急以外の「ロマンスカー」
京阪電気鉄道
(京阪の流線型ロマンスカー1000形)
京阪電気鉄道が1927年に新造した転換クロスシート車・1550形(→初代600形)を「ロマンスカー」と称したのが日本における「ロマンスカー」の初出と見られる。
しかし京阪自身は1954年に登場した1800系にテレビ受像器を搭載した「テレビカー」を看板列車としてアピールするようになり、その一方で「京阪ロマンスカー」の呼称は自然消滅した。
南海鉄道(南海電気鉄道)
1929年に開通した阪和電気鉄道(現在のJR阪和線)と並行線となる南海鉄道は同年に阪和の車両と同格の電9系(後のモハ2001・クハ2801形)を新造し対抗。これをロマンスカーと呼んでいたらしい。1936年から翌年まで日本で初めて冷房が搭載された「冷房電車」である事が知られている。
阪神急行電鉄
(阪急のロマンスカー900形)
現在の阪急神戸線にあたる阪神急行電鉄が1930年に登場させた900形電車は転換クロスシートを備え付けており、デビュー当時の広告において「乗心地よき最新式ローマンスカー」の一文が書かれている。
神戸市電
1935年登場(改造)で転換クロスシートを装備していた神戸市電700形電車に対して「ロマンスカー」の愛称が用いられていた。また、戦後には同様の転換クロスシートを備えた750形も登場しており、こちらも「ロマンスカー」と呼ばれていた。
横浜市電
1936年に登場した1100形は、2人がけクロスシートを片側に3脚ずつ、合計12人分設置していたため「路面電車のロマンスカー」とも呼ばれたが、戦時中にクロスシートは取り払われ、戦後ロングシートとなったため「ロマンスカー」ではなくなってしまった。
東武鉄道
(ロマンスカー1700系および1720系『DRC』)
戦後、東武線(伊勢崎線・日光線)系統の特急・急行電車の愛称として使用。とくに1700系の車体更新車と1720系についてはデラックスロマンスカー(略称:DRC)の愛称がつけられていたが、スペーシアに置き換えられた。
なお小田急以外で公式にロマンスカーを名乗っていたのは東武が最後であり、小田急の商標化はDRCの商標権切れを待って行われた。