トルコ
とるこ
概要
トルコ共和国(トルコきょうわこく、トルコ語:Türkiye Cumhuriyeti)は、西アジアに位置するアナトリア半島(小アジア)と東ヨーロッパに位置するバルカン半島東南端の東トラキア地方を領有する共和国。首都はアナトリア中央部に位置するアンカラ。アジアとヨーロッパの2つの大州に跨る国である。
通貨単位はトルコリラ。日本における「トルコ」という呼び名は、ポルトガル語由来である。
地域
西アジアはアナトリア半島・東ヨーロッパはバルカン半島の東トラキア地方を領有しており、黒海や地中海に面し、ギリシャ・シリア・イラク・イラン・アルメニア・ジョージアと国境を接する。南の沖にはキプロスがある。気候としては乾燥地が多いが、沿岸部を中心に雨量はある程度ある。
元々アジアと言う語はトルコ主要部のアナトリア(小アジア)を指していた為、トルコはアジアの国とされるのが一般であるが、ヨーロッパの国とされることもある。ヨーロッパとして見た場合はNATOに加盟しているが、ヨーロッパ連合の加盟申請に難航している。ちなみにサッカーのトルコ代表はUEFAに所属している。
民族
トルコ料理は日本では世界三大料理に数えられ、焼き肉をサンドイッチにしたドネルケバブや、伸びるアイスクリームのドンドゥルマが有名である。温泉文化が多い。
トルコの男性は体質的に薄毛が多く、体毛が濃い傾向にある。伝統的にはハゲ頭と太鼓腹が男性らしいとされ、若くしてオヤジ化している男性が多く見受けられる。
一般的にテュルク系が連想されるものの、異民族にルーツを持つトルコ人は多い。代表的なのが東部のクルド人やアルメニア人、地中海沿岸部に多いギリシャ人・ブルガリアと国境を接する地域にはバルカン半島の緒民族をルーツに持つ住民がおり、テッサロニキにて誕生したムスタファ・ケマルはダークブロンドに明るい碧眼の持ち主であった。
生活様式も地域・ルーツごとに多種多様で、山岳部には現在も昔ながらのテント生活を送る遊牧民が生活している。
なおトルコ人の間では、モンゴル民族も同胞であるという認識が根強い。「テュルク民族とモンゴル民族は共に匈奴から枝分かれした兄弟である」という説は他国でも有力であるが、現地トルコでは更に同一視の傾向が強く、観光案内でもモンゴル帝国の進撃をトルコ民族史として語るガイドは珍しくない。チンギス・ハーンもトルコ系と見られており、今も「ジンギス」という人名として影響が残っているほか、トルコ政府の広報機関であるユヌス・エムレ財団もこの見解を採用している。
宗教
国民の99パーセントがイスラム教を信仰している。トルコにおいては身分証で帰属宗教を記入する為に正確な統計が可能となっているが、宗派については大多数がスンニ派と目されるものの、シーア派の一派とも目される独特の信仰体系を持ったアレヴィー派が全体の2割ほどとされる。
1923年10月の建国以来厳格な政教分離を国是としており、それは憲法で改正も、改正の提案も不可能であると明記されているほどである。敬虔なイスラム教徒であるエルドアン政権においてはいくらかの過剰な政教分離政策が見直されているものの、エルドアンも国是としての政教分離については尊重する態度を取っている。
トルコにおける政教分離とは政府の統制下に置かれた宗教という性格が強く、例えば本来資格でも無いイマームなどの地位は、宗教庁によって認められた人物でなければ就任できないことになっている。
この為国民の宗教に対する態度は個人に任されており、敬虔な信者もいる一方でイスラム教徒を名乗る一方礼拝・断食を行わずに飲酒を楽し国民がおり、理神論者・無神論者も少なくない。
歴史
歴史といってもアナトリア・東トラキア地方という地理的区分の歴史と、そこの現在多数派として居住するトルコ系民族の歴史はだいぶ異なる。
アナトリアは紀元前はヒッタイト王国などの諸王国が栄え、特に早くから鉄器を用いていたことで知られる。東トラキアは概ねギリシャ人の諸都市が領有し、ギリシャ人の一部はアナトリアにも拠点を築いていた。その後この両地域は、東方のペルシア系帝国と西方のマケドニア王国やローマ帝国などとの争奪が続いていく。ローマ帝国崩壊後は後継国のビザンツ帝国が1176年9月まで両地域を支配する大国として君臨するが、その領土は徐々に東からやってくるイスラム系の政権に浸食されていった。その中でトルコ系民族の移住が始まる。
トルコ系(チュルク系とも呼ぶ)民族は、本来シベリアから中央アジアにかけて居住し類似した言語と文化を有していた諸遊牧民族の総称である。例えば現在のカザフスタン・キルギス・ウズベキスタン・トルクメニスタンはこれら諸民族が主要民族として建国したものである。彼らは東方に移動して突厥などの遊牧民族として漢民族の帝国と抗争し、また西方に移動した一派はやがてセルジューク朝を建てる。
セルジューク朝がアナトリアを征服した事により、現在の「トルコ」の領域にトルコ系住民の政権が立つようになる。ただしこれ以降もギリシア系の住民は沿岸部を中心に居住し続け、商業や政治を中心に参加し続けた。そして、モンゴル侵略後に成立したオスマン帝国は、1453年5月に完全にビザンツ帝国を滅ぼすと、東ヨーロッパ・北アフリカまでを領土とする一大帝国を築き上げた。しかし領土拡大が止まると共に、1829年9月にギリシャ、1918年12月にセルビア、1878年3月にブルガリアなどとして独立し、エジプトも勢力圏から外れるなど衰退が進んでいった。
1923年10月の共和国宣言でトルコ共和国が成立し、初代大統領ケマル・パシャの強力な指導で西洋化を進めた。
なおエーゲ海沿岸部やイスタンブール(コンスタンティノープル)はギリシャの歴史上重要な地域である為、ギリシャとはこれらの地域の領有をめぐって争った歴史があり、現在も対立が激しい。
産業
広大な国土は起伏に富み、地域ごとに様々な気候風土が見られる事から、多種多様な農業が盛んである。特にブドウとオリーブは最古の生産地の1つと見られており、これらの生果あるいは加工製品はトルコの主要産業の1つとなっている。
1980年代以降は急速に工業化が進み、製造業も盛んである。特に自動車産業に力を入れており、ルノー・フィアット・トヨタ・ホンダなどと組み、中東~ヨーロッパ方面にかけての販路を強力に開拓している。また、これら世界企業に負けない国産自動車の開発を目指し、日夜研究が進められている。
こういった製造力は軍事面でも発揮され、特に軍事ドローンの一大製造拠点として世界的に存在感を放つ。後述するウクライナ紛争でもトルコ製のドローンが猛威を振るっている。
ビューティ&ヘルスケア
温泉が大量に湧いており、湯治が盛んであった歴史から、トルコには美容大国という一面がある。近代化もあいまって医療技術の高さは中東では断トツで、分野によっては日本・ドイツと競うほどである。
特に人種的な理由でハゲの男性が多いことから、植毛技術については世界最高峰であり、欧米からトルコに植毛に行くツアーが盛んである。日本でも植毛ツアーの行き先として認知され始めている。なお民族の項目で述べた通り、昔のトルコ人はハゲを「男らしい」と言って讃えていたが、近年は価値観の変化もあいまって、すっかりハゲを恥と考えるようになってしまった。イスタンブールの街を歩くと、植毛手術で頭にバンドを巻いた男性を見かけることは珍しくない。
ただし、分野によっては東洋と美意識が逆転することに注意が必要である。多くのトルコ人は顔立ちがはっきりしていることから、細い目と低い鼻を美形と考える傾向にあり、術式もそれを目指すものが発達している。したがって美容ツアーといっても、東洋人が目鼻の整形をしたい場合に訪れるのはオススメできない。
国際関係
中東として見た場合はシリア・イラクなどの近隣国の情勢悪化などが指摘され、治安は安定しない。以前からのクルド人組織との対立に加えてISILなどのテロ組織の跋扈・クーデター未遂なども発生している。このためシリアとの国境地帯は日本の外務省から渡航中止勧告が発令されるほど治安が悪化している。
またエルドアン政権下で盛んに行われているオスマン朝時代劇の配信により、中東イスラム諸国における民間の好感度は高まっている。オスマン帝国から独立して以来トルコと険悪な国であっても、トルコドラマが高視聴率を記録することは珍しくなく、複雑な関係が窺える。
古くからヨーロッパと関係の深い国であるが、宗教・人種の異なるトルコはヨーロッパ人から恐れられてきた。トルコはヨーロッパ連合への加盟を目指していた事もあったが、宗教の違い・法の価値観の違い・海洋資源を巡る対立もあって現在は事実上棚上げ状態である。
アメリカ合衆国
1952年2月にNATOに加盟しており、国内にアメリカ軍が駐留している。しかしアメリカとの関係が険悪という特殊な状況であり、相互にビザの発給を停止し、アメリカがトルコの政界要人に対して制裁を発動する状態になっている。
ロシア連邦
プーチン政権とはミサイル・軍事ドローンを融通しあうなど良好な関係であったが、2015年11月に領空侵犯したロシアの爆撃機を容赦無く撃墜し、脱出したパイロットと救出に駆けつけたロシア連邦軍兵士が、シリアの武装勢力に射殺されるという最悪の結末を迎えた。ロシア側は操縦ミスで領空に入っただけで非はトルコにあると主張した。ロシアは報復としてトルコへの経済制裁を実行し、ISILとの癒着を指摘するなど徹底的に糾弾した。そのため一時的にロシアとトルコは対立状態となり、サウス・ストリームの計画は中断された。
2016年6月にトルコ政府が撃墜事件について公式に謝罪し、それを経て小康状態を維持していたが、2022年2月にウクライナへの軍事侵攻で再び関係が悪化した。トルコはロシアを糾弾し、ウクライナへの支援に向かうイギリスの輸送機の領空通過や、周辺諸国と連携しての黒海封鎖などを敢行した。お家芸の軍事ドローンも大量にウクライナ軍に販売しており、両国関係は緊張化の一途を辿っている。
日本
日本とは一貫して友好関係にある。政権の右左を問わず、外交関係樹立以来両国は交流を続けており、国立美術館でも時折トルコ展などの企画も行われている。最近では2019年3月の日土友好年を祝し、東京・京都でトルコ至宝展が開催されている。
2020年1月に新型コロナウイルスが大流行して病床不足に陥る中、日本の協力で国内最大規模の病院が設立された。病院名はエルドアン大統領の提案で、日本を象徴する「桜」とトルコを象徴する「チャム(松)」が冠され、チャム・サクラ都市病院と名付けられた。同年5月に開催された開院式には安倍首相も祝辞を述べている。
1980年9月に発生したイラン・イラク戦争の際に、トルコ航空機でイラン在住の日本人を救出した話が有名。近年では、トルコで日本人殺害事件が発生した際に、トルコ国民による前代未聞の“日本へ謝罪するデモ”が起こっている。
自衛隊とトルコ軍は良好な関係にあり、報道こそされていないが、PKOで窮地に陥った自衛官がトルコ軍将校に助けられた逸話は数多い。
日本人にとってもトルコは昔から人気の海外旅行先である。かつては両国の国際結婚も珍しいものでは無かった。ユヌス・エムレ財団は2国間の交流を深めようと、日本で映画上映会や観光地説明会を催すなど日夜腐心している。
歴史的経緯
こういった親日の要因は、過去の絆に端を発すると言われている。1890年9月のエルトゥールル号遭難事件 の際に日本人が無償の援助をした。現場の和歌山県には慰霊碑が建設されており、5年に1度追悼式典が執り行われている。同事件を皮切りに、その後に日本各地からの援助の寄付金を携えてトルコに渡った山田寅次郎による日本語教育や交流(山田の門下生にはトルコ民主化の英雄ムスタファ・ケマルがいたと言われる。)が対日観に大きな影響を与えた。
ロシアからの圧力を受けていた時代が長い為、1904年2月に開始された日露戦争の時に連合艦隊がバルチック艦隊を破った際は自分達の如く喜んだ。
その後列強入りを目指す日本から不平等条約を打診されるなどして関係がこじれ、第一次世界大戦では敵味方に分かれてしまう。しかし、ここでもシベリアから復員するオスマン兵を日本軍艦の平明丸が死守した例があり、「日本人は我々トルコ人同様困っている者を助ける」と大きな共感を産んだ。
この事件はエルトゥールル号事件に比してマイナーであったが、2019年6月以降様々な理由で知名度が上がり、艦長であった津村諭吉中佐の名前は2020年2月に「ツムラ・ユキチ通り」という地名にもなっている。
ただし現在トルコの若者は日本の事をよく知らない人が多い。これはトルコに詳しくない日本の若者が増えているのと相同である。観光地ともなれば日本人に痴漢やボッタクリを仕掛ける不心得者もしっかりおり、あまり「トルコは親日だから」と紋切り型に捉えて油断するのも考えものであるが、最低限の心得は必要であろう。
神話においては
今でこそイスラム圏の国ではあるが、アジアと欧州の境目に位置する地域である為か、古来から様々な神話の舞台として登場している。
この地域ではアナトリア半島近辺の国々の神話体系の神々を取り入れて発展したヒッタイト神話が伝承されており、上述の成立経緯から、古代メソポタミア神話やウガリット神話の神々の説話が登場することもしばしばあった。(ウルリクムミと対決したエア神など。)
地理的にギリシャと近い国である為、ギリシャ神話でも頻繁に登場する。キマイラが暴れたリュキアーやトロイア戦争が起こったとされるトロイアもこの国にあり、ギリシャ神話の女怪メドゥーサも本来はアナトリア半島で信仰されていた女神だとされており、現地ではメドゥーサが魔除けのお守りとして建造物に掘られていたり、お土産として売られている事がある。
一神教においては、いわゆるノアの方舟がたどり着いた最有力候補地とされている。国の東端にあるアララト山は世界中のキリスト教徒から神聖視されており、しばしば「ノアの方舟と見られる木片発見!」のニュースがゴシップ紙を賑わしている。
関連キャラクター
ピクシヴ
AxisPowersヘタリアのキャラクターの絵に付けられることが多いが、「サディク・アドナン」の方が普及しているのでそちらを参考のこと。