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編集者:真砂
編集内容:ドバイでの話に絡め二次創作に追加

キンイロリョテイ

きんいろりょてい

アニメ版『ウマ娘 プリティーダービー』に登場するウマ娘。実在の競走馬の名前を持たないアニメオリジナルウマ娘の一人である。

注意事項

概要

CV:なし

2018年春アニメとして放送された『ウマ娘プリティーダービー Season1』に登場するウマ娘。台詞の一つも無いモブキャラクターでありながら、作中のレースで何度も好走していたことから視聴者からの注目を集めた。

戦績

第6話冒頭の宝塚記念ではエアグルーヴに先着するもサイレンススズカを捕らえられず2着。

第8話の宝塚記念で馬名が判明。先行態勢でレースを進めるも、グラスワンダースペシャルウィークに大差をつけられ敗北。

第10話の天皇賞・秋では最後の直線で先頭に立ち、悲願のGⅠタイトル奪取まであと一歩もゴール寸前でスペシャルウィークに差されて2着。

話数レース場競走名距離枠番/馬番着順1着ウマ娘(2着ウマ娘)
6話阪神宝塚記念GⅠ芝2200m?2着サイレンススズカ
8話阪神宝塚記念GⅠ芝2200m??グラスワンダー(スペシャルウィーク)
10話東京天皇賞(秋)GⅠ芝2000m?2着スペシャルウィーク
12話東京ジャパンカップGⅠ芝2400m6/10?スペシャルウィーク

モデル

モデルは恐らく、長らく重賞戦線で安定して掲示板入りしながらも勝ち切れないことから人気を博し、引退レースとなった香港ヴァーズで悲願のGⅠ制覇を成し遂げた競走馬・ステイゴールド号。

なお、ステイゴールドは1998年の天皇賞・秋にも出走しているが、そのレースを描いている第7話ではヒシアマゾンが代役を務めているため、キンイロリョテイは登場しない。

名前の由来

ステイゴールド号の香港語での表記「黄金旅程」に由来すると考えられている。

デザイン

ほぼ黒の勝負服に所々金縁で左右の靴が白くなっている。

ステイゴールドは左前肢が白斑であり、他のデザインに倣うなら左手が白いはずだが、他のウマ娘に比べると勝負服や星がデザインにあまり反映されていない。

また、元馬が約430kgと小柄だった体格も並程度になっている。

…というか、そもそもアニメ第1期のモブウマ娘基本的にいくつかのデザインを使い回しており、これらのウマ娘たちはファンの間で『2Pカラーリョテイ』などと呼ばれることがある。

公式設定資料集ではピンクの色違い勝負服を着たウマ娘が掲載されているが、これはボールドエンペラーが元ネタと思われるマッシヴコウテイである。そのほか、1期第13話のゴールドシップ宝塚記念連覇のシーンにいる白い勝負服の娘はカレンミロティック、2期第1話冒頭のシンボリルドルフ日本ダービーにいる青い勝負服の娘はハーバークラウン、2期第9話の安田記念のシーンでヤマニンゼファーの後方にいる茶髪で緑色の勝負服の娘はキットウッドに相当すると考えられる。

アプリでの登場

アプリでは代役による出走など、ウマ娘としての出番はないが、その代わりと言わんばかりにステイゴールドの存在を示唆する描写が多く存在する。

ゴールドシップの育成の中では、夢の中で彼女を導く謎の存在が示唆されている。正体こそ明かされないものの、「黄金の旅路」というワードが出ている。

  • 2021年後期CM

2000年ジャパンカップを元にした第3・4弾と1999年有馬記念を元にした第5弾のCMにて、キンイロリョテイとはデザインが異なるもののステイゴールドと思わしきモブウマ娘が登場。それもゲーム内に登場するどのモブとも異なるカラーリングである上に背中のデザインやリボンのような装飾、どこか威圧感ある吊り目など明らかにただのモブとは思えない待遇がなされている。

  • メインストーリー5章

この章では1998年天皇賞(秋)を元にしたレースに真っ黒な影のウマ娘が登場するのだが、その中の10番・2番人気の「小柄なウマ娘」がステイゴールドを思わせる要素を持っている。ステイゴールドは実際のレースでも枠が10番、着順が2着であり、この「小柄なウマ娘」は彼の戦績を思わせる「くじけぬ精神」と、ナカヤマフェスタがサポカで持っている「決死の覚悟」のスキルを所持している。

また、宝塚記念のイラストでは、サイレンススズカエアグルーヴの間に緑の帽子にピンクと白の上着を着た黒髪のウマ娘が挟まっている。エアグルーヴの位置から考えるとイラストはゴール板前のものになり、実際のレース展開と合わせるとこの娘は2着に食い込んだステイゴールドになる。

ちなみに、当初は勝負服の色などから、ステイゴールド号ではなく第4コーナーでスズカの後ろに控えていたテイエムオオアラシをモデルにしたウマ娘ではないかと考える声もあった。

なんとキタサンブラックのシナリオでも登場。史実においては血縁や年代としてはほぼ関係はないものの、ヒーロー列伝ではどちらも「愛された」ことがフィーチャーされている。ウマ娘としてゲーム内で言及されるのはこれが初。話によると、長年レースで勝ちきれないながらも注目を集め、およそ5年を掛けて遂にG1を勝った時には大騒ぎになったという。その愛されっぷりは現実さながらに凄まじいものらしく、この場面ではゴールドシップとナカヤマフェスタが登場しているが、ゴールドシップに関しては感動でズビズビに泣いたという普段の彼女からは考えられない様子だったことが語られている。本人は、トゥインクル・シリーズのことを長い旅のようと後輩たちに話している。

  • メインストーリー最終章

天皇賞(秋)の一枚絵において、ゴール板前を駆け抜けるスペシャルウィークの後ろに、5章で登場した黒髪のウマ娘が、2着馬に相当する位置に描かれている。モデルとなった1999年の天皇賞(秋)にテイエムオオアラシが出走していないことから、このウマ娘がステイゴールドに相当するのではないかと考えられている。

競走馬「ステイゴールド

愛さずにいられない。

時代に新たな最強馬が生まれるたび、いつも果敢に挑んでいくあなたの姿がある。

黒鹿毛に輝く小さな身体を力いっぱい弾ませて、最後の直線にすべての勝負を懸けて、

先頭でゴールを駆け抜ける一頭がどの馬だったとしても、

あなたのその姿にたくさんの声援が送られるだろう。

ステイゴールド、もう誰もがあなたのことを、愛さずにいられない。

元ネタとされるステイゴールドは、父サンデーサイレンス、母ゴールデンサッシュ、母父にディクタスを持つ1994年生まれの黒鹿毛牡馬97世代)。「ステゴ」の愛称で知られる。

父は日本競馬の歴史を文字通り塗り替えた説明不要の大種牡馬、母は上述の通りサッカーボーイの全妹にあたり、母母父には社台最大の功労種牡馬ノーザンテーストと、当時の社台グループの総決算ともいえる超良血馬。なのだが、兄サッカーボーイ、父ディクタスともども気性の荒さにも定評があった。繁殖牝馬になった後も種牡馬に噛み付いたりと、かなり凶暴だった。

そこにこれまた気性難に定評のあるサンデーサイレンスの血が入ったわけで……その結果本馬の気性はまあ…。もともとは大人しかったが馴致を始めたら途端に暴れ始めてしまい、その気性の悪さたるや陣営から、「肉を与えたら食べるんじゃないか?」池江泰寿調教師、当時父の池江泰郎厩舎の調教助手としてステイゴールドを担当)、

「とにかく『自分が一番偉い』ということをいつもいつも主張している」「自分のペース、自分のやり方に徹底してこだわり、やりたくないことは頑としてやらない」(いずれも山元重治担当厩務員)などと言われるほどであった。

レース中にも、1998年のジャパンカップスペシャルウィークに噛み付いたことがある。

もちろんというべきか、その小柄な体格に反しボス馬で、牧場に鹿が侵入すると他の馬が逃げ惑う中ステイゴールドだけは逆に追い回していたという。

デビュー戦から善戦の日々

1996年12月の新馬戦でデビューするがなかなか勝てず、初勝利は翌年5月の未勝利戦。

その後は500万下のすいれん賞、900万下の阿寒湖特別と順調に勝ち鞍を上げ、10月のGⅡ京都新聞杯で重賞に初挑戦するが、結果はマチカネフクキタルの4着。

そこから長らく重賞レースでは善戦するも勝つことが出来ず、まさかの28連敗。長らく「主な勝ち鞍:阿寒湖特別(900万下)」の日々が続く。この事からネット上ではステイゴールドを指して「アカン子」と引っ掛けて阿寒湖と呼ばれることもしばしばである。

とはいえ、コンスタントに出走しては掲示板入りしてその分の賞金を得ていたため、勝ちに恵まれない日々を送りながら約5億5500万円を稼いでいる。

そうした戦績だったので、あるときから「誰が勝とうと2着、3着はステイゴールド」と誰もが口ずさむようになってしまった。当たり馬券を狙う競馬ファンからは人気が出るものの、ステイゴールドを勝たせようと燃えていた当時の厩舎は苦い思いをしたのだとか…

たどり着いた勝利

そして、遂に2000年5月のGⅡ目黒記念にて重賞初勝利。以後はGⅠの勝利を目指すが、運の悪いことにこの年は世紀末覇王ことテイエムオペラオーが無双状態。GⅠの勝ち鞍を席巻され、ステイゴールドも鞍上が目まぐるしく変わった影響もあってか、勝つことが出来なかったばかりか目黒記念以降馬券にも絡めなかった。

ちなみにジャパンカップでは後述するようにドバイで対決するファンタスティックライトが参戦していたが、このレースでは逃げを打って超スローペースのレース展開を作り上げており、デットーリ騎手のコメントから推察するに間接的にオペドトウのワンツーフィニッシュに貢献したようだ。

世界のステイゴールド

そして2001年、馬齢の表記が変わったことで2年目の7歳馬シーズンを迎えたステイゴールド。同世代はおろか98世代の面々も軒並み引退した中、衰えを全く感じさせず日経新春杯で勝利を収め、陣営は勢いに乗って当時国際GⅡ競争であったドバイシーマクラシック(現GⅠ)への挑戦を発表。

最もその実情はドバイWCに挑むトゥザヴィクトリーの付き添いポジで、「ついで」「おまけ」といった感じだった。なおこれによりステイゴールドの戦歴が海外の競馬関係者にも知られたのだが、そのときの反応は「ステゴは置いといて、テイエムオペラオーって馬は一体何なんだよ」というものだった。まあともかく、GⅡとは思えない錚々たる面々が揃う魔窟に身を投じることになる。

本番では輸送による疲弊により、元々小さな体がさらにガリガリに痩せて400kgあるかないかという誰が見ても絶不調の状態で参戦することになり、勝利や善戦はおろか、最後まで走りきれるかどうかの心配をされる程だった。

しかし、そのレースでは世界王者ファンタスティックライトを驚異の末脚で差し切り1着

奇しくもこの日はステイゴールドの誕生日であり、海外重賞勝利は自身への最高の誕生日プレゼントとなった。

帰国後は休養を挟み、宝塚記念に挑戦するがメイショウドトウの悲願の勝利の前に阻まれる。続く天皇賞(秋)ではアグネスデジタルの7着、ジャパンカップではジャングルポケットの4着とGⅠの勝ち鞍を取ることは出来ずにいた。

このままステイゴールドはGⅠを勝てずに終わるのか?誰も彼もが思っていた。

黄金の旅路の終わりに

そして迎えた12月、ステイゴールドは有馬記念には出走せず、香港沙田競馬場で行われる国際GⅠ競走・香港ヴァーズへと参戦。陣営はそれと同時にこのレースを持ってステイゴールドの競走馬引退を表明。泣いても笑ってもこれが最後のGⅠ挑戦となった。

そして本番、現地にて付けられた現地表記の馬名は黄金旅程。まるで長い旅の結末を予感させる馬名に、人々は心を躍らせた。

1番人気に推されたステイゴールドは中段に付けてレースを進める。だが先頭集団はエクラールが逃げを打ち、ハイペースかつ正確無比のラップで惑わしレースを進めてゆく。

終盤で2番手集団に上がってきたステイゴールド。しかし、先を行くエクラールは既にセーフティーリードの距離を確保しており更に突き放していく。ついでにステイゴールドは今までの左へヨレる悪癖を徹底的に矯正していたのだが、今度は右にヨレてしまった。

勝てないのか…?やはり勝てないのか…?誰もがそう思った。しかし…

奇跡は起こった!!

残り300m、大きく離された2番手集団を抜け出し、ステイゴールドは前に駆け出す。蹄鉄が落ちたのにも構わず、驚異の末脚でエクラールとの差を縮め、ゴール寸前で並ぶと、アタマ差でエクラールをかわし、見事に一着!ステイゴールドと3着インディジェナスとは6と3/4馬身にも及ぶ開きがあった(ここでの着差は全て1位との差)。鞍上の武豊は後年、ディープインパクトは飛んでいると例えたが、ステイゴールドは背中に羽が生えたようだったと例えている。

その猛追ぶりの凄まじさは、ラジオ日本の加藤裕介アナウンサーが放った実況にも現れている。

「残り300m、しかし前まではまだ5馬身ある、200を切った! さあステイゴールドがくる! ステイゴールド追ってくる! ステイゴールドくる! 前まではまだ3馬身ある! ステイゴールド! ステイゴールド! 差し切れ! ステイゴールド! ステイゴールド! エクラール! ステイゴールド! ステイゴールドぉ! 差し切ったぁ!

ゴール前で皆がデッドヒートしている残り300mを絶望的距離で引き離された状況から一気に追い上げるステイゴールドの姿に、もはやアナウンサーとしての公平さを失って実況ではなく応援をしてしまう。英語実況でも、エクラールが実際は3位以下を更に突き放しているにも関わらず「Stay Gold's lifting! Ekraar is stopping!(ステイゴールドが飛んでくる!エクラールは止まっている!)」と実況してしまうほどの劇的勝利だった。

ステイゴールドは最後の最後でGⅠの勝ち鞍を、そして日本馬としても初の国際GⅠ競走の勝ち鞍を激戦の末に取り、黄金の旅路は大団円で幕を下ろした。

帰国後はそのまま種牡馬入りする予定だったが、JRAからの要請もあり急遽京都競馬場で引退式が行われることとなった。当日は香港ヴァーズで着用したゼッケンを付けて登場し、馬名の元となったスティーヴィー・ワンダーの「ステイ・ゴールド」が流れる中、詰めかけた大観衆に別れを告げた。

この楽曲は『The OUTSIDERS(ならずものたち)』という映画のテーマソング。道を外れて町中をたむろし、しかし本物の悪党にもなりきれない子供たちが、暮れなずむ夕日を見つめながら過去の思い出や今おかれた現状、そして未来への予感と不安を寂しげに呟く歌である。

追憶と哀愁たっぷりに歌い上げるスティービーの甘い声は、次々とターフを去って行く戦友たちを目の当たりにしながらも、がむしゃらにただひたすら走り続け、最後の最後の本当の最後に栄光を勝ち取ったステイゴールドの一生を鮮やかに讃えているようにも聞こえてしまう。

But can it be when we can see so vividly a memory

(僕らはとても鮮明に覚えていられる、けれども)

And yes you say so must the day too, fade away

(そうさ、君は言うんだ、「すべては過ぎてしまう、一日の終わりのように」)

and leave a ray of sun

(「一筋の閃光だけをのこして、沈んでいく太陽のように」)

so gold

(「その光が、どれほど黄金に輝いていたとしても…」)

中央50戦、GⅠ20戦、重賞36戦、そして2度の遠征をこなし、中でも天皇賞・2大グランプリ・ジャパンカップという当時の古馬王道路線に3年間欠かさず出走するという異常なまでに頑健で息の長い競走馬生活であった。海外遠征の関係で天皇賞(春)や有馬記念は出走しなかった2001年にも、宝塚記念、天皇賞(秋)、ジャパンカップには出走していた。

次世代へ続く黄金の系譜

その後は予定通り、ブリーダーズ・スタリオン・ステーションにて種牡馬入り。当初は期待されていなかった種牡馬としての価値も、香港ヴァーズでの勝利で上昇。海外遠征も含めて50戦を戦い抜いたタフネスに加え、廉価な種付け料のサンデーサイレンス系種牡馬ということで一躍人気種牡馬に。

2年目産駒で登場したドリームジャーニーを皮切りに、メジロマックイーン産駒の牝馬と掛け合わせた所謂ステマ配合の産駒が活躍し、注目を集めた。…性格面ではどいつもこいつもステゴに似たクセ馬揃いになってしまったが。

主な産駒はウマ娘となっているゴールドシップナカヤマフェスタのほか、ドリームジャーニーの全弟で「黄金の暴君」こと三冠馬オルフェーヴル、ゴールドシップの同期で天皇賞(春)を二連覇したフェノーメノ、障害GⅠ9勝を挙げた「障害競走の絶対王者」ことオジュウチョウサン、珍しいところでは生涯戦績わずか1勝ながら獲得賞金2億円以上を稼いだエタリオウなど数多くの名馬を輩出。産駒の合計勝利数は1000以上、重賞勝利も100を超える大金字塔を打ち立てた。

子供たちが輝かしい成績を残すなか、ステイゴールドは2015年2月5日に種付けを終えた後に容態が急変。一度落ち着き馬房へ戻るものの、再び苦しみ始めてそのまま倒れ、永遠の眠りについた。21歳没。死因は大動脈破裂だった。

早世することが多いサンデー産駒としては長めとはいえ競走馬の平均寿命よりやや早く、今後も種牡馬としての活躍が期待される中での突然の死であった(その1ヶ月後にはドリームジャーニーとオルフェーヴルの兄弟を産んだオリエンタルアートも亡くなっている)。

現在は産駒も繁殖に入っているものが多いが、2022年現在も現役を続ける馬が少数ながら見られ、同年にはアフリカンゴールド京都記念勝利で父と並ぶ17年連続産駒重賞勝利を成し遂げている。

ステイゴールドは天国より子供たち、そしてラッキーライラックユーバーレーベンメロディーレーンといった孫が進む黄金の旅路の先を見つめている。

引き継がれた黄金の宿命

そして2021年。オルフェーヴル産駒であるマルシュロレーヌ他の馬の付き添いで海外遠征し、オマケ扱いでレースに出たと思いきや大金星を上げる」という祖父のドバイ遠征そっくりなことをやり話題になった。その舞台はアメリカの最強牝馬決定戦ブリーダーズカップ・ディスタフ日本調教馬による海外ダートGI初制覇というとんでもない偉業である。レース後のドヤ顔(のように見える表情)に、ステイゴールドの面影を見る競馬ファンもいた。

そして2022年。事実上のラストクロップにあたる世代の1頭ステイフーリッシュが突如として覚醒。世界の名だたるトップステイヤーたちが集まったサウジカップレッドシーターフハンデキャップで後続を突き放す圧勝劇を決め、更にステイゴールドも勝利したドバイの地で開かれたドバイゴールドカップでゴドルフィンが有し、5戦無敗を誇る新進気鋭のステイヤーであるマノーボを撃破し海外重賞2連勝を飾る。

社台レースホースの勝負服を背に乗せたステイゴールドの息子が、ゴドルフィンの勝負服を背負った馬を差す姿は、まさに在りし日の父の姿を彷彿とさせるものだった。

そして、ステイフーリッシュはなんと同年10月の凱旋門賞への出走をめざし、フランスへと渡ることとなった。かつてナカヤマフェスタやオルフェーヴルが欧州の一流馬に食らいついた舞台で、存分に能力を発揮してほしい。

果たしてステイゴールドが切り拓いた旅路はどこまで続いて行くのだろうか……?

これからも子孫たちの活躍にますます目が離せない。

走る気がなかった?

競走馬生活ワーストの体調で世界最高レベルのライバル達相手に勝ったドバイシーマクラシック、引退レースでようやく見せた末脚(とその後騎手を背に5分以上暴れられる余力)、そして産駒の大活躍っぷりから、競馬ファンからは「現役時代はサボってばっかで真面目にレース走ってなかったんじゃね?」「手を抜いていたから長く走れたのでは?」と言われてしまうこともあった。これを受けて、二次創作でもやる気のない姿で描かれることがしばしばある。

ただ、これについては第1期第10話やアプリ版メインストーリー最終話で描写された1999年天皇賞(秋)ではステイゴールドのタイムもレコードを上回っていることなどから(スペシャルウィークとの差は0.1秒)、単に勝負根性が不足していたのではなく、むしろ勝ちきれなかった原因はレース中に併せた他馬を威嚇するなど競馬に集中できないほどの激烈な気性致命的なヨレ癖によるものであるとの反論がある。

いずれにせよ、管理していた池江泰郎調教師やそのスタッフ、主戦騎手を務めた熊沢重文騎手や武豊騎手、馬主の社台レースホースをはじめとする陣営がステイゴールド号とともに栄光を掴もうと努力していたことは、紛れもない事実である。

ウマ娘ファンの期待

ウマ娘ファンの間では、既に登場しているウマ娘が多く活躍した1990年代後半から2001年までの多くのGⅠレースで上位に食い込んでいること、そして何より実馬のステイゴールド号のまるでアニメか漫画のような活躍から、(おそらくは大人の事情で)実在馬名を持つキャラクターとして登場できないことが惜しまれている。

ただ、そもそもの問題としてアプリでのプレイアブルとしての実装は、ステイゴールド号の活躍した期間が長いうえに出走レースも多く、また香港など海外競馬場が実装されていない以上、現状では非常に難しいと考えられている。

とはいえ、キンイロリョテイの存在そのものも含めたその匂わせの多さに、公式の「ステイゴールドを何とか登場させたい」という意欲を読み取り、その登場を待ち続けるウマ娘ファンは少なくない。

二次創作では

このことを受けてか、本タグをつけて投稿されている作品のほとんどは、アニメに登場する一介のモブに人気競走馬・ステイゴールドのイメージを重ね合わせたものである。

二次創作においては特にステイゴールド号の気性難の部分が多く拾われ、「実力はあるがマイペースの気分屋」「傲岸不遜にして唯我独尊な俺様気質」「すぐに手や足(+噛み付き)が出る暴れん坊」「モチベーションがレースや勝利・ライブに向かっていないサボり魔」「(ドバイで飼い葉を寝藁に隠してまで人間に食欲が落ちているという弱みを見せようとしなかったエピソードから)周囲はおろか、ある意味身内である自分のトレーナー相手でも決して弱みを見せようとせず強がる極端な意地っ張り」といった問題児である一方で、モデルの種牡馬実績を踏まえて「トレーニングやレースについてはトレーナー顔負けレベルの知識・見識を持ち、意外と面倒見も良い」、あるいは実馬エピソードから「猫好き」といったキャラで描かれることが多い。

また、ゴールドシップやナカヤマフェスタをはじめ、彼の産駒を模したオリジナルのウマ娘たちと共にキンイロリョテイが一緒に描かれているイラストも少なくない。ゴールドシップにとっては史実での血縁関係や「これでも仔の中では気性がマシな方」という声から、数少ない「全く頭の上がらない(怖くて下手にイジれない)相手」という力関係で描かれることが多い。

また、史実では義理の父親(?)にあたるウマ娘との掛け合いを描いた作品もある。

関連タグ

ウマ娘 ステイゴールド アニメオリジナルウマ娘

リョテイさん:キンイロリョテイを主人公にした二次創作漫画。

元ネタの馬の血縁者及び血縁者がモデルと思われるウマ娘たち

元ネタの馬と対戦経験のあるウマ娘たち

現役期間が非常に長いため対戦した馬はかなり多い。

黄金旅程の名の通り、90年後半を代表する名馬たちと戦いを繰り広げた。

  • マチカネフクキタル(ウマ娘)…同い年で菊花賞馬。クラシック戦線で最初に立ちはだかったライバル。
  • サイレンススズカ(ウマ娘)…同い年で同じサンデーサイレンス産駒。アニメでも史実と同様一着争いを行った。また、意図的なのか偶然なのか目の色が同じ緑系である。エルコンドルパサーをして「影を踏むことすら出来なかった」とまで言われた本格化以降に0.1秒の勝負にまで迫ったこと、『沈黙の日曜日』において2着に入っていることから、特に因縁の深い相手とされることが多い。
  • メジロブライト(ウマ娘)…同い年。ブライトが優勝した1998年の天皇賞(春)で2着に入着した。その後も1998-99年の古馬王道路線で何度も顔を合わせた戦友。
  • タイキシャトル(ウマ娘)シーキングザパール(ウマ娘)も同期だが、距離適性の違いから対戦する機会は無かった。
  • スペシャルウィーク(ウマ娘)98世代。後少しのところで抜かされたり、レース中に噛み付いたりなど、実はレースにおいてはスズカより因縁がある。また、戦った回数も7回と多い。また、この子も同じサンデーサイレンス産駒でスぺの1歳下。
  • ナリタトップロード(ウマ娘)99世代2001年京都大賞典において、オペラオーとの叩き合いの最中に外側に大きくヨレたことでトップロードの鞍上であった渡辺薫彦騎手を落馬させたことから、二次創作でも相性が悪い相手とされることがある。ちなみに史実ではサッカーボーイ産駒であり、血縁関係的には従兄弟同士になる。

その他、対戦経験のあるウマ娘たち

96世代

97世代

98世代

99世代

00世代

元ネタの馬の子孫に関係するウマ娘たち

  • ゴールドシップ(ウマ娘)ナカヤマフェスタ(ウマ娘)…元ネタ同士の血縁上では息子らに当たる存在。ちなみに種牡馬時代、ステイゴールド号はナカヤマフェスタ号と馬房が隣だった時があったほか、生前に使っていた馬房は現在、ゴルシに与えられている。
  • メジロマックイーン(ウマ娘)…ステマ配合の相方。関係としては姑になるためか、産駒たち(をモチーフにしたウマ娘)の破天荒な行動や育成方針に対するツッコミ役になることが多い。また、時期は異なるが池江泰郎厩舎の先輩にあたる。完全に余談だが、ステイの父サンデーサイレンスと引退牧場ではお隣さんで、恋人呼ばわりされるほど仲がよく、オルフェやゴルシは「孫の代で成就した恋」と言われることも…。
編集者:真砂
編集内容:ドバイでの話に絡め二次創作に追加