グラスワンダー
ぐらすわんだー
ウマ娘プリティーダービーに登場するウマ娘についは
→ グラスワンダー(ウマ娘)の記事へ
概要
ケガでクラシック・シーズンを棒に振り、その後も満身創痍の状態だったがグランプリ三連覇を達成。
主な勝ち鞍は有馬記念(1998年、1999年)、宝塚記念(1999年)、朝日杯3歳ステークス(1997年)など。
2つのラインで親子4代GⅠ制覇を達成するという、史上初の快挙も成し遂げた。
●グラスワンダー⇒スクリーンヒーロー⇒モーリス⇒ピクシーナイト
●グラスワンダー⇒スクリーンヒーロー⇒モーリス⇒ジャックドール
プロフィール
JRA広告
選ばれた夢
歴戦のジョッキーが選んだのは、骨折を克服した3歳チャンピオンだった。
傷は癒えた。しかし、走りを取り戻せない日々が続く。
そして迎えた冬のドリームレース。1年ぶりに点火されたターボエンジンが爆発した。
グラスワンダーは夢のように勝ち、夢のようなレースを見せる。
7年ぶりにレコードを更新した朝日杯3歳ステークス。
外国産馬初の優勝、復活の有馬記念。
現役最強の座を争い、力を見せつけた夏のドリームレース・宝塚記念。
驚異の爆発力を持つ夢の馬、グラスワンダー。未だその底を見たものはいない。
≪『ヒーロー列伝』No.47≫
「THE WINNER」2012年宝塚記念
'99年、宝塚記念。
標的はただ1頭、同期のダービー馬だった。
今行くか?いや、まだだ。いや、今か。
一瞬の判断で未来を変えた、未知なる栗毛。
その馬の名は…
Wonder Boy
その日、私たちは
歴史的な瞬間を
確かに目撃した。
それほど速かった。
ひたすら強かった。
この若き俊傑なら
苦境やライバルに
行く手を阻まれても
さらなる驚きを
積み重ねていくだろう。
≪『名馬の肖像』2017年朝日杯フューチュリティステークス≫
来歴
1995年
2月18日、アメリカのフィリップス・レーシングの生産牧場で生まれた。
1996年
9月、キーンランドで行われたセリ市に上場され、同行していた尾形充弘の勧めで伊東純一(㈲半沢の社長)が入札。アラブ首長国連邦のゴドルフィンとの競り合いの末、㈲半沢が25万ドルで落札した。
11月、日本へ輸送され、ノーザンファーム空港牧場(苫小牧市)で育成・調教が行われた。
1997年
9月13日、的場均騎手を鞍上に中山競馬場の新馬戦(芝1800m)でデビュー。単勝1.5倍の1番人気でスタートでやや立ち後れものの、すぐに先団にとりつき2番手を追走して直線で抜け出し、2着に3馬身差をつけ初勝利。
10月12日、アイビーステークス(オープン)では2着に5馬身差をつけ、レコードタイムに0秒2差の1分21秒9で勝利。
11月8日、京成杯3歳ステークス(GⅡ)では単勝1.1倍の1番人気。レースでは2番手追走から直線で独走、的場は何度も振り向き後続を確認する余裕すら見せ、2着に6馬身差で重賞初勝利を挙げた。
12月6日、朝日杯3歳ステークス(現・朝日杯フューチュリティステークス)(GⅠ)では単勝オッズ1.3倍に支持された。出走メンバーにはのちにスプリンターズステークスを勝つマイネルラヴ、函館3歳ステークスを制したアグネスワールドらがいたが、中団やや後方を追走すると、第3コーナー過ぎからスパートをかけ、2着マイネルラヴに2馬身半差をつけて完勝。勝ちタイム1.33.6は1990年のリンドシェーバーが記録したレコード1.34.0を0秒4更新、3歳馬初の1分33秒台のタイムだった。この勝利はフジテレビで実況した三宅正治アナウンサーが「マルゼンスキーの再来です!」と実況するほどだった。
1998年
1月、1997年度のJRA賞最優秀3歳牡馬に選出。2歳馬ながら年度代表馬投票において得票数10票を獲得。調教を再開したが、歩様に乱れが生じた。
3月15日、右後脚の第3中手骨を骨折していることが判明。NHKマイルカップ(GⅠ)出走は断念することとなった。
8月22日、美浦トレーニングセンターへ帰厩。毎日王冠(GⅡ)での復帰を目指すこととなったがエルコンドルパサーも出走を予定しており、的場は選択を迫られた。グラスワンダーが万全でないため尾形調教師も「エルコンドルパサーに乗ったらどうか」と促していたが、グラスワンダー騎乗を決断した(エルコンドルパサーはこの後蛯名正義が引退まで騎乗)。
10月11日、毎日王冠に出走。2番人気に支持されるがサイレンススズカの5着に敗れる。
11月7日、アルゼンチン共和国杯(GⅡ)は1番人気に支持されるがユーセイトップランの6着に敗れる。ジャパンカップ(GⅠ)出走は回避となった。
12月27日、有馬記念(GⅠ)に4番人気で出走。前年の年度代表馬エアグルーヴ、前年の有馬記念馬シルクジャスティス、同年の天皇賞(春)を制したメジロブライト、そして同年代の皐月賞・菊花賞を制したセイウンスカイが相手となった。レースは中段で待機し、3コーナー中間より徐々に順位を上げ、最後の直線で抜け出し2着メジロブライトを2馬身退けて快勝。史上初の外国産馬による有馬記念制覇だった。
1999年
3月14日の中山記念(GⅡ)で始動の予定だったが、右肩筋肉痛で回避。
4月4日の産経大阪杯(GⅡ)に出走予定だったが、直前になって左眼下に裂傷が見つかり、治療のため回避。
5月15日、京王杯スプリングカップ(GⅡ)から始動。1年半ぶりのスプリント・レースだったが1番人気に推され1着。
6月13日、安田記念に出走。1番人気だったが、前走で破ったエアジハードに敗れ2着。
7月11日、宝塚記念に出走。天皇賞(春)(GⅠ)を制したスペシャルウィークが1番人気、グラスワンダーは2番人気。最終直線でスペシャルウィークを3馬身突き離し完勝した。
10月10日、休養明けで毎日王冠に1番人気で出走。ゴール前、メイショウオウドウに詰め寄られたが3cm差で1着。ジャパンカップに向け調整が進められたが、左脇腹筋肉痛により回避となる。
12月27日、連覇のかかる有馬記念に出走。スペシャルウィークと人気は伯仲。僅差でグラスワンダーが1番人気となる。ツルマルツヨシの手応えが良かったため予定よりも早く仕掛けることとなり、グラスワンダーを徹底マークしていたスペシャルウィークにゴール前で差されたかと思われた。スペシャルウィーク鞍上の武豊もウイニングランをする程だったが、写真判定では4cmグラスワンダーが先着していた。史上2頭目のグランプリレース3連覇(3連勝)と史上6頭目の同一年両GP制覇を達成。
しかしグラスワンダーは極めて状態が悪く、歩様の乱れが収まらなかった。デビューから厩務員を務めていた大西美昭が定年で引退し、当時24歳の佐々木力が担当となる。
2000年
1月、1999年度のJRA賞では年度代表馬、最優秀5歳以上牡馬部門の得票数でグラスワンダー、スペシャルウィーク、エルコンドルパサーの3つ巴となり、選考委員会の協議の結果エルコンドルパサーが受賞。グラスワンダーとスペシャルウィークには特別賞が贈られた。外国産馬に門戸が開かれる天皇賞を目標に現役続行となる。
3月26日、日経賞(GⅡ)で始動。1番人気に推されるが、馬体重530kgと絞れていなかった。レースでは良いところなくレオリュウホウの6着に敗れる。天皇賞(春)への出走は白紙に戻され、宝塚記念を目標に調整が行われる。
5月14日、京王杯スプリングカップに1番人気で出走するが、スタートで出遅れ、スティンガーの9着に敗れる。的場はグラスワンダーから降ろされ、宝塚記念では蛯名正義が騎乗することになった。
6月25日、宝塚記念に2番人気で出走。第3コーナーまでは快調だったが失速し、テイエムオペラオーの6着に敗れる。レース後、蛯名が下馬。馬運車で運ばれて行った。左第三中手骨骨折と診断された。重傷だったため、経過観察のため阪神競馬場に2週間留まった。
7月23日、本格的な治療のためノーザンファーム空港牧場へ輸送された。命の危険もある状態だったが症状は改善した。
12月24日、中山競馬場で引退式が行われた
2001年
社台スタリオンステーション(安平町)で種牡馬となった。
2003年
シャトル種牡馬として南半球でも種付けを行った(~2006年)。
2007年
ブリーダーズ・スタリオン・ステーション(日高町)に移動。
2020年
4月、高齢のため種牡馬を引退。明和牧場で繋養され余生を過ごしている。
種牡馬成績
余談
- 額にこじんまりとした流星があるが、点のような茶色い部分があり「ドット落ち」と呼ばれている。
- 食欲旺盛なのに普段は置物のように動かないため、ウォーキングマシーン(ファンの間では「不退転マシーン」とも)で強制的に運動させられている。
- TTGの一角として知られるグリーングラスは馬主・半沢信彌氏の実兄・半沢吉四郎氏が所有し、勝負服が同じ。
- ゴールドシップはグラスワンダーの馬房の前を通る時は挨拶し、グラスワンダーも喜んでいた。
- クロノジェネシスはグラスワンダー以来史上三頭目のグランプリ三連覇を達成。
- タンポポが好物で、種牡馬時代は食べつくさんばかりの食べっぷりを見せていた(ウマ娘の方のグラスワンダーの声優・前田玲奈のツイートなどで確認できる)。
- 「寝ながらたんぽぽ食べてたら太っちゃったグラスワンダー」なる動画が一時期話題となったが、これはイギリスのshakalakabooomboom(シャカラカブンブン)という、無関係な馬の動画を(グラスワンダーのものと偽って)無断転載したもの。また、動画内で食べているのもシロツメクサである(シャカラカブンブンは「完走すら難しい」と言われる過酷な障害競走・グランドナショナルを完走している)。