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古谷敏

ふるやびんまたはさとし

日本の俳優・スーツアクター。ウルトラマンのスーツアクターとして知られている。芸名での読み方は「ふるや びん」であるが、本名読みの「ふるや さとし」で表記されることも多い。
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人物像

1943年、今の東京都港区西麻布に生まれる。


東宝演劇学校卒業後に東宝第15期ニューフェイス(同期は二瓶正也氏)として東宝に入社。エキストラとしていくつかの映画に出演後、『吼えろ脱獄囚』で正式に役者デビュー。

1965年に東宝の指示で円谷プロダクションに出向。『ウルトラQ』に俳優として出演後、180㎝の長身を見込まれ、ケムール人ラゴンスーツアクターを務めた。

翌年には円谷プロの次回作『ウルトラマン』にて初代ウルトラマンのスーツアクターを1年間演じ、『ウルトラセブン』では視聴者からの要望とウルトラマンでの実績をねぎらいウルトラ警備隊のアマギ隊員役でレギュラー出演した。

セブン終了後は俳優を引退し、怪獣ショー主催会社「ビンプロモーション」を設立しアマギ隊員を演じて司会を担当。全国に興行し、70年代に入ると第二次怪獣ブームの中怪獣ショー興行や『突撃!ヒューマン!!』の劇中アクションも担当した。


1993年、バブル崩壊のあおりでビンプロモーションを解散。同時に多額の負債を抱え、この返済に追われながらアルバイトで生計を立てるようになり、表舞台から姿を消した。

この間、一部の特撮ファンの間では「夜逃げした」「今なお借金取りに追われている」「一家離散した」といった憶測が飛び交い、一時は死亡説まで浮上していた。後に自伝で回顧したところでは、1994年までに破産と免責が認められ、1996年には知人の紹介で清掃業に就き、以降はいくらか安定した生活を送っていたとのことで、これらの噂は事実ではないそうだ。


2007年、インターネットの匿名掲示板で『ウルトラマン』当時の自分がスーツアクターとして高い評価を得ていること、会社倒産後の自身が身を隠していたため「一家離散」「逃亡中」「消息不明」などの噂が立てられていることを知る。

2002年に逝去した成田亨の個展が三鷹で開かれているのを新聞記事で知った古谷が足を運んでみると、懐かしさと感謝を込めて成田夫人と連絡を取り交わし、来訪者名簿から彼が来ていたことを知った夫人から「ビンさんが来てくれるなんて」と涙声で電話がかかってきた。後に予定されていた大展覧会にも招かれ、そこのトークショーで本人にもサプライズのゲストとして壇上へ上がり、ファンや記者達をパニックに陥らせた。

それがきっかけで、『ウルトラセブン』で共演したひし美ゆり子から「ずっと捜していた。みんな会いたがっている」と連絡が入り、科特隊員を演じた桜井浩子ら円谷プロ関係者と再び連絡を取り合うようになり元気な姿を見せることとなった。


2008年の『ウルトラセブン超百科』と『ギララの逆襲』で俳優業に復帰。


2009年、著書『ウルトラマンになった男』を出版。自身の半生やスーツアクター時代の苦労話、思い出を綴っている。


2013年にウルトラマンのブルーレイボックス発売を記念したイベントで、円谷プロが新たに制作した「古谷敏専用ウルトラマンスーツ」を着用し登壇。47年ぶりにウルトラマンとなった。


2022年公開の映画『シン・ウルトラマン』では、成田氏が目指したウルトラマン本来の姿を実現するというコンセプトのもと、古谷の体型をスキャンしデータ化したものが今回のウルトラマンのデザインに用いられており、長身痩躯の印象的な立ち姿を形作っている。古谷氏自身も俳優としての直接の出演はしていないものの、庵野秀明氏と共にウルトラマンのモーションキャプチャーを担当した。


エピソード

  • 実家は建具屋で、7人兄弟の五男。大のおばあちゃん子だったらしく「おばあば」と呼んで慕っていた。
  • ウルトラマンを演じることになったきっかけは、ウルトラQでスーツアクターを演じたケムール人の181cmの長身な体型にほれ込んだ成田亨のたっての希望で、古谷氏と何週間も交渉を重ねようやく承諾した。そのケムール人も「こんなのに入るなんて嫌だ」とかなり渋ったらしい。
    • ケムール人を演じるきっかけも友達で俳優・事務担当の新野悟に「いい役を持ってきたから衣装合わせに行こう。東宝からも許可貰ってるしギャラもいいから」と言われ、彼に連れ出されて円谷プロに来たことがきっかけだった。実際に着てみると重い頭部に首が痛くなり、視界もほぼゼロ、モーターで音も聞こえず、ゴムなどの様々な匂いで鼻も利かず、密着スーツで呼吸も少ししかできないというとんでもない状態に。一応役をやりきるも、当時のスーツアクターのぞんざいな扱いもあって、こんな苦しい仕事はできないと思ったという。
    • ウルトラマンの話を持ってきたのも新野氏で、「今度は主役だ」と言われたものの先のスーツアクターの苦痛とウルトラQで半分騙されたことから一度は断ったものの、新野氏はなかなか折れず中華料理店に彼を誘い、そこで成田と面会させた。そこで成田から「ケムール人の演技は僕の描いていたイメージ通りで良かった」「背が高いだけじゃダメなんだよ。手脚の長さや頭の小ささ、全体のバランスの良い人は中々いない」「そのビンさんをイメージしてすごくカッコいいヒーローをデザインした。ビンさんじゃないとだめなんだ」そして「ウルトラマンは、ビンさんそのまんまなんだよ」と何度も何度も頭を下げられ、当時は映画業界も斜陽になっていたこと、そして敬愛する祖母から「そこまで必要とされているならやってみたら」と言われ引き受ける事になった。
  • 当の本人は当時、スーツアクターという顔の見えない役柄には複雑な心境を抱いており(当初は全く乗り気ではなく断ろうとしたこともあったとか)、さらにはマスコミから「プロレスごっこ」と叩かれたこともあって何度か降板も考えていた。ある日降板を告げるために円谷プロへ向かうバスに乗っていたところ、たまたま乗り込んできた子供達が楽しそうにウルトラマンの話をするところを見かけ、「今降板したらこの子たちの夢を壊すことになってしまう」と思い直し、同時に自分が子供のころ大好きだった嵐寛寿郎の『鞍馬天狗』と重ね、最後まで全力でやりぬいた。
    • バルタン星人を前に、円谷英二がウルトラマンに話しかけている有名な写真があるが、この時のウルトラマンも古谷本人であり、『ウルトラマン』最初の特写会の一幕であるが、音の聞きづらいスーツに加え、周囲の音に英二の声はかき消されてしまい、古谷にはかろうじて「夢だよ、夢を、こ……」という言葉しか聞きとれなかった。しかしこの時に「夢だよ、夢を子供たちに見させてあげるんだよ」と言っていたのだと考え、それまでの自分を自省することとなった。
  • ウルトラマンといえば、前かがみになっている戦闘スタイルが特徴的だがこれは「スーツアクターに不慣れな古谷が火薬を使った撮影に腰が引けてしまい、これが腰を落として間合いを取っているように見えてしまい、定着した」という助監督の満田かずほ氏の定説が一般的だった。本人は演技上意図したものであること、映画『理由なき反抗』のジェームズ・ディーンのナイフを使った戦闘シーンで前かがみになった場面を参考にしたと証言している。また古谷氏は8頭身であるためカメラから見切れてしまい、高野宏一カメラマン(後に特技監督)の指示で少しずつ屈みを大きくした結果、このポーズが誕生したという。そのため「火薬に腰が引けていた」という説は誤りの可能性が高い。
  • 撮影で一番怖かったことに「水中での撮影でマスクに入ってきた水が密着しているスーツとマスクから抜けずに溺れてしまった事」と語る。また火も怖かったらしく、今とは違って本物の火も撮影に使っていて熱風がスーツの隙間から入ってきて苦しくてもがいていたのに、『いい演技だね』と褒められたり、当時はスポーツドリンクもなかったから、脱水を防ぐために水道水とレモン、塩を用意していた。救急車を呼ばなかったのが奇跡と思えるほど過酷だったと回想している。のちに金城哲夫氏に改善を要求し、シャワー設備などを用意してもらったらしい。そして金城哲夫や成田亨が「色っぽい」「ゴムの肌触りが良い」という理由で撮影の度に尻を触られていたとか。
  • ウルトラマンのスーツは古谷専用に作られた特注品であり、スーツ内に殆どスペースがないことから呼吸が辛く、動き辛くアクションも満足にできず少しの演技でも全身に熱が篭り、眼の部分のライトの光で表面が熱くなり、汗が止めどなく溢れてスーツ内に溜まる代物でしかも自力では脱げない。着て演技できるのは15分が限界だったという。スーツを脱いだ後はオープンセットの隅で嘔吐を繰り返し、手足の痺れや小便の変色は日常茶飯事。夏場での撮影では1シーン毎に水と氷を入れたドラム缶へ飛び込んでいた。「体型維持のため太っても痩せてもいけない」と言われており過酷な撮影のために食が細くなり、撮影の度に吐くので体重が激減。代わりがいないので休むこともできず、打ち身や捻挫や突き指もしょっちゅう。極めて過酷な撮影現場ではあったが、芸能学校の「俳優はどんな時でもかっこよくしていなければならない」という教えと、なにより敬愛する祖母との「仕事中はどんなに苦しくても辛くても一緒に働いている人たちに嫌な思いはさせてはいけない。いつも笑顔でいるように」という約束のため、常に笑顔に努めていた。
  • スーツを着て初めて対戦した怪獣は第5話のグリーンモンス。そのためか作中では睨み合いが多くはげしい格闘戦もなく、動きもぎこちない。第一印象は「変な怪獣」
  • ゴジラを演じたことで知られる中島春雄と戦闘した所、本気で襲われたため自伝で「怪獣よりも怖い」と称している。
  • スペシウム光線のポーズは監督の飯島敏宏とカメラマンの高野宏一の3人で考案。体に覚えさせるため1日300回練習し、今でも駅やホテルで鏡を見るとついポーズを取ってしまうという。
  • ウルトラマンだけでなく、最終回のゾフィーのスーツアクターも担当している。本人はウルトラマン以外を演じるつもりはなかったのだが、ゾフィーのスーツはウルトラマンの改造品であるため古谷以外着られる人がおらず、渋々了承した。

主な出演作


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俳優/男優 スーツアクター

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