概要
日本の男性俳優。東京府東京市豊島区椎名町生まれ。幼少期に板橋区常盤台に転居したため、媒体によって出身地の表記が異なる。
1961年に文学座附属養成所(第一期生)に入所。68年には岡本喜八監督の『肉弾』で毎日映画コンクール男優主演賞を受賞する。
以降、様々なドラマ・映画に出演する他、映画監督・ナレーター・声優としても活躍。特に、声優業では『天空の城ラピュタ』のムスカ、『ウルトラマンマックス』のメトロン星人の声(および人間態)演じたのでも知られる。しかし、後述の理由により声優(特にアニメ)の仕事に対してはあまり良い印象は持っていなかった模様。
家族構成
1942年11月7日生まれ。父は洋画家の寺田政明。娘の晴はかつて女優として活動していたが、現在は麻布十番でレストランを経営している。
また、妹の史も元女優で、史と俳優中山仁の間の子供(姪)である中山玲も女優である。
逸話
ラピュタ関連
『ラピュタ』に関しては関連イベントに出演したり、役者のスクールで若手から台詞を求められたが、劇中で自身が誰を演じたのかすら覚えていなかった。
それもそのはずで、『ラピュタ』の収録期間がわずか2日で後半は時間表示だけ見て台詞を当てる、しかも寺田氏と宮崎駿監督との間で演技の方向性で口論になっていた等々……酷い状況下での収録だった(実際、同作を視聴してみると、最初のムスカの喋り方が若干棒読み気味であり、寺田氏が収録に相当苦労していたであろう様子がうかがえる)ために、同氏にとって『ラピュタ』そのものがトラウマと化してしまい、後に「娘からDVDを渡されるまで、一切『ラピュタ』を見ていなかった」と答えている。
ただし、ファンからのサービスに応えられなかった経緯から、改めて『ラピュタ』を視聴してからはしっかりとムスカのセリフを覚えてそれに応じられるようになった。
上記の苦い経験から「アニメは本業声優がすべき」との結論に至ってからか、アニメ作品には『ラピュタ』から数えてわずか4作品しか出演していない。一方で吹き替えの仕事に関してはそれなりに多く担当しているが、それでも寺田氏は「アフレコには苦手意識がある」と語っていた。
特撮関連
ウルトラシリーズの名物監督だった実相寺昭雄と馬が合い(実は若手の時『ウルトラマン』の「真珠貝防衛指令」に端役=ガマクジラに襲われるトラック運転手として出演していたが、その時は良い印象はなかったそうである)、特撮系の作品にも縁が深くなったためか、『ウルトラQザ・ムービー星の伝説』『ウルトラマンダイナ』『ウルトラマンマックス』などへの出演歴がある。自身の遺作も『ウルトラマンブレーザー』のドバシ・ユウ役であった。
『仮面ライダーW』の園咲琉兵衛、『鎧武外伝』の呉島天樹、『ウルトラマンジード』の朝倉錘など「ヒーローの父親役」としての出演も多かった。
また、『仮面ライダーW』の正式続編『風都探偵』の単行本の巻末インタビューにて、寺田氏は「花も実もある嘘を堂々と吐ける(要約)」として特撮作品の出演に好意的な本音を伝えていた。
Wの現場では、チーフプロデューサーの塚田英明の了承を得た上でキャスト達に演技指導をしており、レギュラーの桐山蓮達鳴海探偵事務所の面々とはキャラの立ち位置的にあまり絡みがなかったものの、園咲姉妹を演じ共演の機会が多かった飛鳥凛と生井亜美には「お嬢様の役なんだから」と所作を指摘。自身の出番の無いカットでも他の人の芝居を見て「もっと行ける」と思ったら監督に「もう一回行きましょう」と意見をしている。
ラスト琉兵衛が最後燃え盛る自宅で踊るシーンは合成の火ではなく実際のセットに火を付けてるため、めっちゃ暑かったと語っている。
ジード12話の劇中で朝倉リクと話しながら鉄拳を遊ぶシーンは本来助監督がプレイするはずだったが寺田氏とリク役の濱田龍臣含めてテストの段階で飲み込みが早かったため本番では実際に寺田氏と濱田が実機でプレイしている。
その他
顔が「某有名政治家に似ている」と良く言われるようで、出演作品で政治家を演じる機会も多かった(『仮面ライダーBLACKSUN』等)。
「アダルトビデオ愛好家である」と公言しており、かつては自ら監督を務めてビデオ(=『マイ・ブルー・ヘヴン わたし調教されました』)を制作していた。また、ポルノ映画を含むいくつかの作品に出演も果たしており、ここでも先述の実相寺昭雄と組む機会が多かった。