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「薩摩ん兵子で血迷うておらんもんは一人もおらん」(ドリフターズより)


概要編集

薩摩大隅を領した島津家に仕える武士に対して使われていた美称であり、現在も鹿児島県本土(奄美群島は含まない)の男性に対して使われる。古代日本において、薩摩・大隅に住みついて朝廷に従わなかった人々を「はいと」と呼んだことを語源とする。同時代の熊襲(くまそ)と呼ばれた人々との異同には諸説ある。


異常なまでの戦闘能力の高さで知られ、関ヶ原の戦いにて島津軍が徳川家康の大軍を正面突破した島津の退き口が成功したのは、彼らの戦闘力と主君への忠誠心によるものだと言われる。

示現流薬丸自顕流タイ捨流など攻めに重点を置いた剣術を使う者が多く、身体能力も相まって動乱期には対立派を震え上がらせた。


江戸時代にはすでに勇猛な人種という評判が全国に知れ渡っており

などとエピソードが多すぎる。


ちなみに世界最強と謳われ、当時の最新兵器を備えた世界一の大帝国の海軍を旧式の大砲で撃退したり260年続いた政権を亡ぼし、数百年続いた武士による政治に終止符を打ったり日本最後の内戦を長期化させて国家財政を破綻させかけたのもだいたい全部こいつらのせい


なお、今でもこの気質は色濃く残っているようで、「泣こかい跳ぼかい、泣こよかひっ跳べ(泣く間があったらまず動いてみろ)」という教育方針は未だ基本としてある。学校の運動会の際にも「正々堂々勝つためならば手段を選ぶな」という気風がまかり通っており、手の内がバレて負けるようなヘマをした者はしこたま怒られたという。


また、薩摩は幕末まで衆道の風習が残っており、江戸時代に「風紀を乱す」として男色が衰退した江戸や上方では「薩摩特有の戦国の遺風」の一つとして上記の犬食とともに奇異に見られていたが、薩摩の男色は、女性を不潔視する極端な男尊女卑の風潮に根ざした(しかも多くは大人×子供)代物だったので、現代的なゲイとは別物と考えた方がいい。


文化人としての側面編集

このように非常に勇猛であった薩摩隼人だが、それは一面に過ぎない。というのも彼らの多くは薩摩琵琶の演奏を嗜んでいた楽器奏者であり、知覧に現存している武家屋敷群には壮大なものではないながらも美しい日本庭園が残されている。すなわち、彼らは武芸一本槍の無骨者ではなく、「雅」を嗜む文化人でもあったという二面性があるのだ。こういった文化は島津家によって育まれたとされており、島津家の遺産を展示する「尚古集成館」のサイトでは

島津家は...都の貴族や文化人との関係強化、文化向上に尽力しました。重臣たちもこれに倣い、競って教養を身につけようとしたため、各地で文化が花開くことになりました。」とある。


ただし、"1人の人物の中に文化人と野蛮人の2つの側面が矛盾もなく共存している"というのは、薩摩に限らず日本の戦国武将ではありふれたケースである。公家文化に精通しながら「海道一の弓取り」の二つ名を持つ優れた武芸者であった今川義元をはじめ、「天下一気が短い」とまで評された激情家でありながら「利休十哲」の一人であった細川忠興ら、勇猛果敢な武人でありつつ優れた文人であった武将は枚挙にいとまがない。


強さの秘訣編集

この強さの秘訣は桜島の火山灰により安定した食料の供給ができなかったために他国との戦争が相次いだ薩摩という地の特徴、余りにも過激な郷中教育の影響が強いと言われている。


『人国記』にみる気質編集

武田信玄も愛読していたという、日本各地の人となりを記した『人国記』にも上記の気質を裏付けするような内容が書かれている。

それによると、薩摩人と大隅人の気質は違わないとした上で、


『皆が死を以って表とし、男子は死ぬことを道とすると覚えて、仏法などは死後のものであって生死を知るべき為ならば用いるに足らないと考え(中略)、武士が戦場に於いて死ぬのも、忠義に因って死ぬことを善だとは考えず、ただ武士は戦場に於いて死ぬものであると考えて論じることもない。泰平の時、主君は安座して礼節を正しくする一方で、家臣は足を伸ばしたり、或いは立ちながら主君と問答する類いも多い。末代までもこの気質である』


と記されている。


有名な薩摩隼人編集

創作編集

※は実在の人物でもあるが、史実よりも薩摩隼人ぶりが強調されているキャラである

実在編集

薩摩隼人と誤解される人物編集

  • 徳田虎雄
    • 奄美群島に属する徳之島の出である(鹿児島県本土とのゆかりは薄い)が、その性格から薩摩隼人の代表と思われたりする。

番外編集

  • ラサール石井:大阪府出身だが「鹿児島県内に有る男子校」という薩摩隼人という単語を想起せざるを得ない高校の出身。

関連タグ編集

鹿児島県 薩摩 鹿児島弁 示現流 薬丸自顕流 タイ捨流

薩摩藩 島津家 鬼島津 戦闘民族

鎌倉武士...薩摩隼人と呼ばれた武士たちはこの末裔である。

薩摩ホグワーツ···魔法界における薩摩隼人の集まり…という概念。

大奥(よしながふみ)···薩摩出身者を一般的な「薩摩隼人」「ぼっけもん」のイメージとは逆に描いているが……?

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