【愚かな生き物よ、神はいたか。】
【 悪魔になろうとも、必ず守る。】
そうかぁ...貴様が概要だな?!
永井豪原作の国民的人気漫画『デビルマン』初の、および現状唯一の実写化作品。今作公開後に那須監督は肝臓がんで逝去した。
日本映画としては高額な10億円もの制作費をつぎ込み、当時アイドルグループFLAMEのメンバーだった双子を主役に抜擢。
脚本は監督が当初、約20人の若い脚本家の卵たちに、映画用のあらすじをそれぞれのアイデアで書かせたが「環境問題を扱っていたり、残念ながら、僕を満足させるものはありませんでした。」として、最終的に妻である那須真知子の脚本におさまった。
当初は2004年5月の公開を予定していたが、「驚異の映像をふんだんに駆使し、満足のいくクオリティーに仕上げる事」を目指して同年10月9日に延期され、東映系で公開された。
おれ、粗筋なんだよ
両親を事故で亡くした高校生・不動明は、幼馴染の牧村美樹の家に引き取られ居候していた。
ある日明は親友・飛鳥了の頼みで、飛鳥邸の地下に誘われる。そこで明が目にしたのは異形の怪物・デーモンに寄生された了の父の姿だった。そして明はデーモン族のアモンに無理矢理融合させられ、人間の心を持った悪魔、デビルマンになってしまう。
こうして悪魔人間にされてしまった明に、デーモン族が次々と襲いかかる…。
出演者、お前が私を呼んだ
中学校の先生:布川敏和
アジトのデーモン:KONISHIKI
隣家の女:小林幸子
神父:永井豪
銃を受け取る車椅子の男:的場浩司
地下鉄の乗客:嶋田久作
皆さん、『戦争』が始まりました
当初は「原作寄りのストーリーらしい」ということで期待の声もあったものの、キャストの発表など映画の概要が判明するにつれて不安の意見が各種掲示板で頻発。
さらに予告編が公開されるや、原作のエロス要素を台無しにするシレーヌの衣装(まあ、アニメ版はあんな感じだが…)、キャストの棒読み演技っぷりが明らかとなり、この時点で既に公式サイトの掲示板が大炎上していた。
さらに監督の「デビルマンは、当時少年ジャンプで読んでいました」(連載されていたのは週刊少年マガジン)という常軌を逸したコメントや公開が当初の予定から半年の遅延したこともあり、公開前から既に各所の掲示板は大荒れ状態だった。
観客、反撃です
そしていよいよ公開されると、原作ファンだけでなく多くの観客をデーモンと化すほどの日本映画史上類を見ない駄作、『北京原人 Who are you?』と並ぶ東映の汚点と評されることとなり、各種映画評論家からもボロカスに書かれた挙句、毎日新聞、朝日新聞などでは原作を褒めることで遠まわしに本作を酷評するという異例の事態に。
大人の事情で控えめな表現で書かれることが多い雑誌などの映画評論でもほとんどの評論家や記者が褒めないという異例の事態になり、各メディアのダメ映画の表彰企画においても「文春きいちご賞」(週刊文春主催)の2004年度でぶっちぎりの1位を獲得、スポーツ報知主催の「蛇いちご賞」では4部門中3部門を受賞、第14回東京スポーツ映画大賞特別作品賞を受賞した際には北野武をして「映画史に残るおバカ映画」と言わしめるというある意味怪挙を成し遂げた。
興行収入もわずか5億円の大赤字で、制作費分すら回収できなかった。
明くん、原因っていると思う?
役者
演技経験の乏しい(本作以前にドラマなどの経験皆無)主役双子の(全編通してではないがとても目立つ)気の抜けた演技。
「お、おとおさん…?」
「ほあーーーん」等←一応メタ的な理由はある。また「ほあーーーん」に関しては後述するが、実はとてもそうは聞こえない。
この様でありながら「映画やドラマが好きでよく観るからそんなに難しくないのだろうと思って挑んだ」「自分の経験値を上げるために引き受けた」「ジェット・リーを超える為にトレーニングした」「頑張ったという意味で(自分の演技は100点満点で)1000点は超えてる」と大口をたたく始末である(が、下記の余談で分かる通り、事情がある)。
ただこの態度は、所属事務所の指示だったようである。キャラ付けの一環だったのだろうか?。
本業のアイドルとして雑誌で答えたインタビュー記事では「以前から演技に興味はあり、いずれは脇役でもできれば、と思っていた」「演技以前に関西弁の矯正で精一杯だった」などの弱気を吐露している。
シレーヌの形貌
シレーヌのデザインが事前にポスターで公開されていたものと大きく異なり、原作にあったエロス要素が台無しになっている。
これはシレーヌ役の冨永愛が『原作通りの半裸姿で演じて欲しい』というスタッフの要望を拒否したためとされている。ソースは東映撮影所で仕事をしている人の2004年2月2日の書き込み(外部リンク)。
信憑性のあるソースではないものの、仮にこの書き込みが事実だとしたら、「作品のためなら脱ぐ」という女優も少なくない中、代役を立てるなどして対処しなかった冨永理生子プロデューサーの采配が不可解である。なお、冨永愛も本業はモデルであり、主演の双子と同様に演技の経験が乏しかった。誰も得をしないとはこの事である。
早過ぎる展開
物語の大筋はそれなりに原作をなぞってはいるものの、物語の序盤~終盤全てを無理矢理尺に収めようとエピソードを継ぎ接ぎしている。原作読者ですら混乱するほどの急速な展開のため未読者にとってはもはや完全に放心状態になるしかない。
かと言って、後の実写版『るろうに剣心』のような、原作から色々と詰め込み過ぎるからこそのしわ寄せかと思えばそうではなく、尺にそれなりの余裕を持ってストーリーが展開している。
そのくせ、オリジナル要素が妙に多いため「詰め込み過ぎた」という説明は通用せず、むしろ原作の魅力を活かしていない簡略化やアレンジが非常に多い。
原作読者にはそれほど悪印象ではないだろうが、ただでさえ内容の密度が濃い原作を二時間に纏めているため、視聴後何も感想が残らないのだろう。
この強引なシナリオ圧縮の結果として、全体的にダイジェストになってしまっている。例としては原作では狡猾な心理作戦で読者にトラウマを残したデーモン・ジンメンがワンパンであっさりKO、シレーヌ戦の戦闘時間が短く、手下のゲルマーやアグウェル、原作シレーヌ編のラストで重要な役割を果たしたカイムの出番がない、など。
不可解なシーン
一例としてデーモン殲滅シーン。
隠れ家からデーモンが脱出する際に、何故かわざわざ人間が狙撃準備をしている正面玄関から撃たれながらもぞろぞろと大量に出てくる。一見して疑問に思うだろうシーンの一つである。
実際には作中の新聞を読めば分かる通り、煙幕と閃光・音響爆弾の複合兵器により周囲のことをロクに認識できなくなりいぶりだされたデーモン達が這う這うの体で正面玄関から出てきたシーンだったのだが、一瞬であるため映画館で確認・理解するのは不可能に近い。
脚本にはデーモン数体が中から逃げ出し、そこで銃撃されると書いており、あそこまで大量のデーモンが全員射殺されるようになったのはインパクトなどを求めた現場の判断だったのかもしれない。当初の予定であればそこまで違和感もなかっただろうシーンだと思われる。
大量射殺後ひと暴れした了が消えたところでようやく出てきて堂々と「デーモンバンザーイ」と叫び死ぬ小錦もその行動の不可解さから完全にシュールギャグと化していたが、こちらも脚本にない描写であり、しかも先や下の説明が一切通じないため大量射殺以上に理由のつけられない謎シーンとなっている。
それらの裏設定を理解しなくとも納得できる理由を探す場合、下記の「お前(不動明)も俺(デーモン)達の仲間になれ」から分かる通り、昔から明をデーモン側に引き入れようとしていたサタン(了)が、明の同情を期待して敢えて露骨に目の前で死ぬように彼らに命じた・操ったという可能性はある。
しかし原作と異なり特にデーモンを従えていないサタンが大量のデーモンに情けない死を強いることができるとは考えにくく、操る能力に関しては完全に妄想になってしまう。前後の了の台詞から考えて明を連れてきたのはデーモンが死亡する姿を見せることで同情と共に明の中のデーモンとの親和性に期待した可能性が高いが、シュールな大量死の原因とは分けて考えるべきだろう。
またよく言われる空から逃げない理由に関しては羽の付いたデーモンが狙撃されていることから飛んでも無意味であると考えた可能性もあるが、一斉に玄関からゆっくり出てくるのと一斉に空から逃げるのとでは確実に射殺難易度が違うため、これも理由としては微妙なところである。
このように、実写デビルマンには脚本にない描写・脚本と反する描写を入れた結果シーンとして不可解になってしまったものが数多く存在する。監督か、プロデューサーか、また別の誰かか……。誰とは確定できないが、映画全体の完成度を落としていたのには、脚本以外の要因も大きかったと考えられている。
予算の無駄遣い
たいして意味のないボブ・サップ・KONISHIKIなどのカメオ出演(小林幸子は下記の通り意図がある可能性はある)。原作者の永井も出演しているが、それ以外は『デビルマン』と縁もゆかりもない。
同じくカメオ出演者の小林幸子本人はなぜ呼ばれたのかさっぱりわからなかったそうである。しかし主演の二人よりずっと演技が上手い。
格闘シーン
監督はかつて『ビー・バップ・ハイスクール』をヒットさせた那須博之、製作は『仮面ライダー』や『スーパー戦隊シリーズ』などで知られる東映、という布陣でありながらCGを用いていない部分の格闘シーンは非常に迫力がない。
単品で見る分にはともかく、ぎこちないワイヤーアクション、中盤における了のガン=カタらしき何かなどがシリアスな展開に非常に悪目立ちする。
監督の名誉のために行っておくと、本作の発言権は圧倒的にプロデューサーが頂点であり映画製作中、特に編集作業中は通常なら監督と編集がお互い意見を出し合い、撮影した映像を作品として組み立てていくのが普通なのに、本作ではプロデューサーの独裁により監督は全く口を挟むことができなかった。
また、那須監督は上記の『ビー・バップ・ハイスクール』のような漫画原作のゆるい雰囲気の実写化作品やコメディ系作品を得意としている為、終始シリアスな『デビルマン』とは不釣り合いだったとも考えられる。
CGの戦闘に迫力がある分、さらに拙く見えるという側面もあると思われる。
ただし、監督自身も主演の双子を演技未経験と知りながら起用したり、メディアで爆弾発言を繰り返していたりするので決してプロデューサー10、監督0で一切の非がないというわけではない。
不動、レビューには気を付けろ…!!
一部の役者の演技
本編の役者で褒められる者といえばミーコ役の渋谷飛鳥とススム役の染谷将太、牛久雅夫役の仁科克基の演技くらい。その後三人とも名俳優として出世している。
というよりミーコがススムの保護者と人間への糾弾の役を受け持ったことや、本作オリジナルの牛久がかなりキャラが濃いことにより、明よりも余程主人公をしている。明はいわゆる狂言回しの役割を兼ねている。
なお、渋谷は「撮影に入る前に、監督からミーコ役について説明を受けた後、原作の漫画を読みました。でも、監督がおっしゃるミーコのイメージと、原作のイメージが全く違ったんですよ。だから、そのギャップをどうしようかなって。自分の中でまとめるのに、結構苦労しました」とコメントしており、メインキャストやスタッフらの中でも特に原作に誠実な対応を取っている。
主演の二人も全編通して棒演技ではなく、一応成長が見られる。特に終盤の明が涙を流す場面は、悲壮感が非常に伝わって来る。
経験もあってか、彼らもその後舞台を中心に働いているようだ。そして演技力も各段に向上していることを付け加えておく。大酷評を受けた初主演作という経歴を背負わされてもなお、二人の青年の人生がつぶれなかったのは不幸中の幸いと言うべきだろう。
作品の出来栄えはどうあれ、彼らなりにも必死に挑んでいたことは間違いない。
美術
個々の小道具さんやCG担当は良い仕事をしていた。
また、ポスターやパッケージの評価も高い。
デビルマン含め、CGキャラクターデザインは寺田克也。
また、双子二人がかなりの美形でスタイルも佳麗な為、CG変身後と変身前で違和感がない。デビルマンもデーモンも少なくとも人型には中間態が存在しており、明の中間態は全てメイクであるが、役者本人のスタイルと顔のお陰でとても格好良い。
反面教師としての教材
逆に言うと、映画を作るうえでやってはいけないことは何かを知るにはもってこいの作品だと言える。
カルト映画として
「ダメ映画をダメ映画として鑑賞するマニア」には安定した人気を誇る。
ツッコミどころが分かりやすいため、分かったうえで観る分にはあまり退屈には感じられない。Amazonプライムビデオなどの定額配信サービスで配信されているため、手軽に視聴することができる。
2017年発売の『映画秘宝オールタイム・ベスト10』において、カレー沢薫は今作をベスト3位に挙げ「「クソ邦画の歴史を終わらせた」でお馴染み」「新しいクソ邦画が出てくるたびに「とりあえずデビルマンと戦わせる」という絶対王者の風格」と独自の愛着を示している。
『邦キチ!映子さん』では「すべての不確定な要素がたまたま重なり合って紡がれた…デビルマンという奇跡」「何だかよくわからないけど心に残ってしまうよくわからないシーンの数々」と、単なる駄作ではない旨が言及されている。
テーマ性
疑心暗鬼になった民衆がデーモン疑惑のある者を集団でリンチするシーンは妙な生々しさがある。移民問題やヘイトスピーチ、世界的なナショナリズムの加速を予言していたとして、ここを再評価する向きもある。
ただし勢いがやたらすごく、原作に比べても人類が愚かすぎるという否定的な意見もある。
お宅がッ!相違点を匿っているって通報があるんですよ!!
原作との相違点は決して少なくはない。
良改編も多い。
不動明と飛鳥了の出会い
原作の明と了(サタン)は、原作本編やネオデビルマンの永井豪直筆外伝において、中学で知り合った(と謂うよりサタンが知り合わせた)事が分かっているが、実写版では幼少の頃からの親友。
これはcrybaby版も同様である。
飛鳥了(サタン)の容姿
原作は白人の血が入った金髪蒼眼の美少年。
邦画実写版は金髪ではあるが日本人。人種の違いはあるが、キャストが美形のため「美少年」ということは変わっていない。
また、実写版は自身の教師に対して結構礼儀正しい。
さらに主演に双子を起用した事で、本編中でも顔が似ている事を性格の相違と併せて揶揄されており、主にニコニコ視聴者を中心に(言葉通り)「サタンは明と外見を似せてペアルックを気取っている」と言われている。
サタンの明への情緒
原作は命令口調ではあるが言葉遣いが理路整然としており、明に対しては闘う前から涙を流していた上に、ドラマCDによって闘っている最中も明に愛を投げ掛けている事が分かっている。
併し、実写版のサタンは言葉遣いが少し荒っぽく、明に「お前を殺す」と宣言しており、少々違いが見られる。
しかしこの作品のサタンもやはり、明との最後となろう闘いの瞬間には涙を流していた。
そして闘っている途中も良く見ると大半の攻撃をサタンは受け流しており、殺意を込めているのは涙を流していた直後の最後の一撃だけだと分かる。
更には明の最期には「死ぬな」と必死に呼び掛けており、先の「お前を殺す」は意地を張っていた可能性が高い(しかし下記の「サタンの誤算」の様な可能性もある)。
ちなみに明が死亡後「お前が逝くなら俺も直ぐ逝くからな」と発言している。
サタンの誤算
原作の天使サタンの誤算は不動明を愛してしまっていた事。
今作のサタンの誤算は既に一度明が死んでいた事。
今作で明は中盤に一度デーモン特捜隊によって殺されている。
しかし何故かその後蘇生。どうやら明の力の元であるアモンには一回切りの蘇生能力があったらしい。
サタンはその事を知っていた可能性がある。何故ならアモンを明に融合させたのは他でもない、サタンである。
実際に明が瀕死の時、サタンは「死ぬな」の後に「デビルマンだろ」と発言している。
デビルマンだから死なないと謂うのは、サタンがデビルマンには蘇生能力があると知っていたから言えた事なのかもしれない。
併し、明は既に一度殺されていた為に蘇生出来ずに死んでしまう。
其れ故に今作のサタンの誤算は明が一度死亡した事を知らなかった事であると推測できる。
明確な誤算もあり、人類が想定以上に愚かだったことは作中でも語られている。
当初サタンは、人類の数の多さから滅ぼすことは不可能だと思っていた。
しかし人類はサタンが考えもつかなかったことを起こす。そう、いきなり人間同士で殺し合い、自滅したのである。
デーモン襲来に対して特別法や特捜隊を作り魔女狩りを始め、また国家間同士で争い合った結果力を失い、遂には核戦争が起こり地球ごと滅んでしまった。
つまり、サタンは特に人類を滅ぼす方法を思いつかないまま明をデビルマンにしたことになる。
この誤算により明は義理の家族や恋人を失い、サタンとも戦うことになった、と言えるかもしれない。
不動明の両親
原作は海外勤務。
今作では既に本編前に死亡。但し、死亡設定は多くの作品で用いられている。
不動明の業火
原作、外伝、更にはcrybaby版含む他作品でも、不動明には生まれ持った優しさがあり、それがサタンが不動明を愛するようになった理由でもある事が外伝と一部のアニメでは示唆されている。
ただし、この作品ではその程度が甚だしい。人に対して優し過ぎるのである。
原作に於いては牧村美樹が人によって殺された後、人類を見限っているが、この作品の明は最後まで人類の為に闘い続けた。
寧ろジンメン曰く、邦画版のデーモンは仲間同士で殺し合わないらしく、優しい明にとってはデーモン達の方が仲間として相応しい事すら過言では無い。
サタンはこの事も見越していたのかもしれない。
明が最期まで人間の味方だった為、
あの有名な「Go to hell ! you mortals !!」は今作では見れない。
牧村父
原作の牧村美樹は外伝で西洋系の天使デーモンや、白人美女に見間違えられており、白人の血が入っている可能性がある。
そしてその血の系統は父方である可能性が高い(詳細はこちら)。実際にcrybabyでは父は明確な白人設定である。
ただし邦画版ではしっかりと日本人設定である。
尚、原作の彼は死亡する間際に明に最期の言葉を渡せたが、こちらの彼は明に会えずに死亡。
デーモンの本能
どちらも仲間意識は強いが、その一方原作は闘争本能も強く、同族・アモンが素体のデビルマンと闘える事を皆が皆歓喜していた。
併しこの映画は全てのデーモンが(アモンだと勘違いしていた間は)明に対し友好的であり、あのジンメンすらも独特の思想を持つものの、無駄な殺生はしない性格で描かれている。
因みにこの作品は、上述にある優しい明すらも最初から「滅びろ」とデーモンに対して発言しており、デーモンも明が人間だと判明した瞬間「人間だ!殺せ!!」「滅びろ!」と叫んでいる。
これはお互いに本能で嫌悪しているのかも知れない。
デーモン特捜隊
原作は牧村夫妻を連行。
今作では不動明を連行。
この改変のお陰で人類の為に死を受け入れる明が強調され、牧村夫妻は原作よりは幸せな死を手にしている。
また、原作はミーコが捕らえられ、明が救出しているが、今作はミーコは自力で脱出。
逆に明は捕らえられた際に一度死亡。
不動明の最期
原作はサタンと和解せず死亡。
今作は和解した末に死亡したデビルマン系列では希有な作品である。
牧村夫妻の最期
原作では基地で拷問の末に夫妻離れて死亡し、実写版は自宅で夫婦共々家族と共に死亡。ある意味では、原作より幸せな最期かもしれない。
牧村健作(タレちゃん)
原作では死亡。実写版では存在しない。
ミーコ
原作では不良娘。
邦画版では逆に苛められっ娘。
ススム
原作では死亡。
逆に実写版では滅亡した人類の生き残りの一人に。
因みに原作では女子のような美少年であったが、実写版でもルックスと演技力があいまって違和感はない。配役は幼き頃の染谷将太。
デビルマン軍団
映画では存在しない。もう一人のデビルマン・ミーコがススムと潜伏していた為、明は一人で闘う羽目になる。
デビルマン化後の変貌
どちらも多少なりともデビルマン化後に容姿が変化する。
更に邦画版ではより攻撃的な見た目でありながら完全態ではない中間態が存在する。
神の軍
原作のサタンは神に離反した天使の為に、神が存在しており、天使の形態の一つである光の玉に対し、サタンは叫び声をあげる程怯えている。
併し今作のサタンは天使設定ではないので、神がいない。因ってサタンも光の玉に対するトラウマを有しておらず、自ら光玉を発生させ、日本を消滅させた。
と思われていたが、脚本によればアレは核爆発であり、また地球に宿る生命の源:光球が地球を見限り宇宙へと飛んで行ったという演出らしい(映画を見ているだけでは全くわからない設定である)。
因みにポスターにはしっかり光の玉が映されている。
此れからは我々、虚偽と便乗の時代です
また、このような批判が多い作品だが、その中には見ていたとしても何か勘違いしている、あるいは実際には映画を視聴しておらずただ便乗しているだけとしか考えられぬ批判もあったりする。というか公開からかなりの歳月が過ぎた今は確実にそれらの方が多い。
CG
よく本作のVFXは「プレイステーションレベル」と言われているが、CGにはアニメと実写の融合を試みたT-visual(devidual)と言う手法が使用されており、当時のPS2と比べて確実に高品質。というか今でもかなりの高水準。
舞台挨拶では、原作者・永井豪すらも格好良いCGと讃えている。
此れは2020年現在のニコニコ動画でも「CGいけるやん!」と称賛される位の絶佳の出来。
一部では、予算をCGに全振りしたと謂う、称賛だか侮辱だか分からないCGへの誉め言葉も見られる程。
「PSレベル」という風評は公開時に『映画秘宝』誌に掲載されたレビューに尾ひれが付いたものや同年公開の『スパイダーマン2』のようなビルを飛び回る超級CGや、製作費で言えばこちらよりはるかに少ないであろう映画『ULTRAMAN』での板野一郎が手掛けたCGを用いた非常に動き回る大空中戦などが製作されていたため、それらと比べてしまうと質が低く見えてしまっているのである。
戦闘
よくあっさり終わる戦闘の短さを指摘されるが、本作も原作もバトルが主軸ではなく、人間の心の内にある言語に出来ない感覚をも描写するヒューマンドラマである。
よって戦闘の占める割合は原作通りである。
更に上述のT-visual手法に依って戦闘中に挟まれるCGとアニメの両義的な絵は流石実写とアニメの融合を掲げているだけあり、違和感の無い仕上がりとなっている。その絵は原作漫画の独特な猛々しい一枚絵を見事に実写化して動かす事に成功している。
特にシレーヌとデビルマンの戦闘ではOVA版同様に摩天楼の中で背景が矢継ぎ早に変化する程スピード感溢れる迫力ある戦闘を展開しており、背景に映る「美しい月」は原作に於けるシレーヌの台詞に向けた粋な配慮でもある。その中でデビルマンが見せたシレーヌに対する背後からの急襲は、AMON黙示録で見られたアモンの戦闘要素を含んでいる。
CGを使わない実物の人間による格闘場面なら兎も角、CG戦闘を批判する人間は映画を見ていないか便乗している可能性が高いため、鵜呑みにするのは禁物。
CG戦闘はニコニコの某批判動画内で、当批判者が「映画の良い所が見当たらない」と発言した中で、「CGは良かった」とコメントで入る程である。
ナレーション
密度が濃い原作を更に濃縮したせいで物語の展開が早すぎる今作ではあるが、ナレーションが挟まれる場面がある。ボブ・サップと不動明のナレーションで済ませた其の場面を、濃縮化の結果と勘違いしている原作未読の方もいるがどちらがしたナレーションも相当箇所が原作で存在している。
戦争
暗くて光が爆音と共に点滅を繰り返している事をチープと謂われているが、実際の空襲でもその様な光景が存在する。
映画未視聴や原作未読以前に、これは批判者の知識の欠如が原因である所が大きい。
更に原作外伝にて普通にこの光景が描写されており、これも原作再現である。
「おれ、デーモンになっちゃったよ」
良く棒読みとして取り上げられているが、「混乱や現実的ではない事に直面した際の放心間際な状態を微動だにしない表情とこのセリフが併さる事で非常にリアルに表現されている」と考える者もいる。これは映画を視聴した方々にも棒読みとして指摘される事が多いが、下記の理由が考えられる。
この場面以前にまだデビルマン化していない明と了が諸事情で少し身体を縺れさせながら争うシーンがあるのだが、其の時に、(演技でも双子で争うのは嫌だったのかもしれないが)緊張感のある筈の場面で一切迫力が無かったのである。
二人の争いから休止までの時間間隔は現実的だが、迫力が無い為、茶番に感じられる。
それを当然引き摺る所為でその後のデビルマン初戦闘後に挟まれたこのセリフがことさらとても気が抜けた演技に見えてくるのである。
というより、上記のように演者は演技未経験であり、それを踏まえればこのシーンの演技もそこまで悪いものではない。むしろ拙いと言った方が正しい。
演技初体験にして初主演、そして有名作品の実写映画化における主人公とラスボス、制作費10億円というプレッシャーを考えれば、弱冠20歳でこの大役を押し付けられてしまった伊崎兄弟には、むしろ大いに同情すべきであろう。
「ハッピーバースデー、デビルマン!」
チープだと言われる事が多々ある台詞だが、原作にも「''悪魔復活''」という副題があり、 ''悪魔(デーモン)'' ではなく ''デビルマン'' 、 ''復活'' ではなく ''誕生'' という単語の差し替えで、原作と映画の差別化が成り立っている。
更には、飛鳥了は不動明に対してデーモンである自分を殺してくれと頼む程デーモン化に対して抵抗がある事を(最終的に嘘だと発覚するとはいえ)明に示していたのにも拘わらず、親友・不動明の悪魔化を「ハッピー」と表現する程に何故か喜んでいるという矛盾を視聴者に与え、最終的な飛鳥了の正体への伏線の一つとなっている。
ただしあまり迫力はないので、演出はチープかもしれない。
「神はいたか?!」
原作のサタンは神に反逆した堕天使であり、サタン(飛鳥了)による神の存在の否定は軽いファンサービスである。そしてさして棒読みでもなく、実存した棒読みに引き摺られているところが大きい。
尚、この神の存在の有無に関する話題は不動明と牧村美樹が二人きりで取り扱っていたものであり、其れを何故か了が認知しているという、彼の異常性を指し示す役割もある。
盗聴してた可能性があり、この要素がcrybaby版でも活きてくる。
「サタンだからな」
中盤の了の「サタンだからな」というセリフに対して、最終戦での明の「お前は最初からサタンだったんだな!?」という一見ずれている会話だが、まず明は了が最近悪魔にとり憑かれてサタンになったと思っており、これ自体も了からの申告であった。のにもかかわらず、何故か了はデーモンの一人であるシレーヌを以前から知っている口振り、何故かジンメンがサタンを知己であるかのように喋る、何故かモブデーモンが人間体で敵である了に助けを求める等、どう見ても最近取り憑かれた所か古くからデーモンとして活動しているとしか考えられない状況であり、更に冒頭で明に対して幼い頃に了が「俺達の仲間になれ」と明に発言する場面があり、これを踏まえた上で「最初から(生まれた時から既に人間ではなく)サタンだったんだな」との意味で発言している。
更に「サタンだからな」をネタバレと言う者もいるが、そもそも明はその発言の前から了がサタンだと言うことをデーモンの一人から既に聞いており、了のセリフは明に対して自身こそがサタンだという承認の意義がある。
そもそもサタンがデーモンの中でどれだけの存在なのかはここまで特に描かれておらず、明にはデーモン名の一つにしか聞こえないことも留意しておく必要がある(ただし、この映画の内容故にそれらが伝わりにくいことを否定できないのも事実である)。
おにぎり、おいしかったです
下記を例に、crybaby版と今作ではかなりの共通点も見られる。
ラップ要素
どちらも唐突にラップが挟まれる。crybabyでは特に注目されなかったが日本沈没2020では迷要素に挙げられることに。
陸上競技
なんと実写版では明だけでなく了も行っている。
盗聴
crybaby版は明確な飛鳥了から不動明への盗聴描写があるが、実は実写でも了から明への盗聴行為を仄かしている。これこそ「神はいたか?!」の台詞が重大な鍵となっている。
飛鳥了の愛への認知
どちらも他者の感情(特に愛)の察知に疎い(「なんで…笑ってんだ…?お前」等)。
原作ではそうでもなく、寧ろ不動明に告白までしようとしている。
併し、実写は自らの明へ抱く愛は「けれども(だけど)お前(不動明)の事は好きだった」と謂う台詞から分かるように、自覚がある。一方、crybaby版の了は周囲(視聴者)から見れば明白な愛情表現があるものの、本人には自覚が無かった。
サタンの闘い方
原作外伝もであるが、サタンは明と闘う時は(恐らく明とは闘いたくないが故に)殆んどの行動が攻撃を避けているのみである。
原作に至っては続編で対決時のサタンは明よりも遥かに強い事が言及されているし、原作外伝で襲い来る敵を微動だにせずに消滅さしているのに、自身より確実に弱い明が来たら上空へ逃げている。
月の存在
どちらの作品も明とサタンの戦闘後、二つに断割されている。
「月が綺麗ですね」と関係があるかは不明。
因みに、続編のオマージュという説はデマの可能性が高いが、同じ作品でも出版元に拠って話に差異がある為に、確認が難しいのが現状である。
涙の重要性
crybaby版はその「crybaby(泣き虫)」と謂う題名から分かる通り、作中で涙に重要な意味が含まれている。
が、実は実写版でも重大な意義があると思わる。
実写版に於いて不動明は「自分は本当にデビルマンなのか」「実は奴等(デーモン)と同じ存在なのではないか」という疑問に苛まれていた。
葛藤する明に一筋の涙が流れる。
其れを見た了はこう発言する、「デーモンは泣かないよ」と。
泣くとは人の感情であり、デーモンは泣かない。つまりまだ明は人間の心があるデビルマンだと励ましたのだ。
そして終盤、自分を殺しに向かってくる不動明を見つめるサタンに一筋の涙が…
違う…私は余談じゃない…余談じゃない…
- 原作者・永井豪は映画脚本に「一本の映画で終わらせろ」とかなりの要求を通している。
- 映画制作中に台風に襲われていることが舞台挨拶の映像中の監督の発言で判明している。
- 同舞台挨拶で、司会に注意されるまで「永井豪先生ぇぇ!!!」と永井豪に大声で呼び掛けを続けたディープなファンがいる(永井豪も結構喜んでいる様子であった)。詳細はこちら
- また、同日においては殊の外観客のほとんどが期待を高くしている雰囲気だった(主演の「(この映画を)何回でも見て欲しい」という発言に「見る!!」と勢い良く応答した女性ファンもおり、それに追随する形で他も視聴後に再度視聴すると発言している)。
- 牧村夫婦を演じた宇崎竜童・阿木燿子は、実際に夫婦である。
- 本編序盤の多重人格デーモンは悪魔王ゼノンが元になっている。
- 本編映像で「バキの家」らしき何かが登場している。
- デビルマン、シレーヌ、サタンには個別のポスターがあり、一部では個々のセリフが添えられている。DVDのパッケージにもある。この記事の概要より上にあるセリフはその一部であったりする。
- 主題歌『光の中で』は歌い手が明と美樹について歌っていると言っているが、サタンと明、シレーヌとアモンに置き換えても違和感がない。
- 明は作中で二回死亡している。
関連タグ?!生きていたのか!!
映画 /邦画 /ファンタジー映画/ 映画の一覧devilman_crybaby
主題歌:光の中で
挿入歌:彼が去れば
エロ母と暴力息子 - 本作のDVDがしばしば武器や拷問器具として登場する。中には某ドキュメンタリー映画の出来の悪さを表現するために本作を持ち出したコメントがある回も。
第三世界の長井 - 登場人物の「ラーメン星人」(別名・中二皇女ヴェーレ)の技名が「実写版デビルマン」であるため、pixivでこの映画を検索しようとするとラーメンを持った女子中学生が出てきてしまう。
シネマこんぷれっくす! - B級映画の引き合いに(見てもいないのに)すぐデビルマンを持ち出す人を題材にした回がある。
大怪獣のあとしまつ - その内容から「令和のデビルマン」がトレンド入りしてしまい、それに便乗してダイナミック企画公式が「昭和のデビルマン」の配信を行っていることを宣伝していた。