西武鉄道
せいぶてつどう
路線
廃止路線・譲渡路線
- 大宮線(川越久保町~大宮):並行して川越線が開通したため1940年に休止、翌年廃止。
- 安比奈線(南大塚~安比奈):貨物路線。1963年に休止された後も安比奈車両基地新設計画のため長らく路線が存続していたが、需要予測の下方修正や南入曽車両基地の拡張などにより計画破棄となり2017年廃止。
- 新宿軌道線(新宿駅前~荻窪):「西武」の名称と旧社章の発祥。1935年以降運行が外部委託されるようになり、1951年に東京都交通局に譲渡され都電杉並線(14系統)となる。並行して営団荻窪線(現:東京メトロ丸ノ内線)が開通した影響により1963年廃止。
- 水根貨物線(氷川~水根):貨物路線。奥多摩湖(小河内ダム)の観光開発を目的として、その建設用物資運搬路線であった東京都水道局小河内線(1957年休止)を1963年に授受。国鉄青梅線を介して拝島線と直通させる計画を立てるも頓挫、一度も列車を運行させないまま1967年に奥多摩工業へ譲渡された。
この他、上記の山口線もナローゲージの「おとぎ電車」から新交通への転換を機に、書類上は1984年にいったん廃止した上で再度路線免許を取得の上再開業するという形が取られている。
主な車両
西武車両の特徴として割と新しい車両でも2両編成が存在する点である。
2両編成が存在する形式として2000系と30000系のみだが、列車に合わせて8両編成の列車を併結する。
尚、西武車両は国分寺線《西武園線含む》・多摩湖線・多摩川線・山口線と飯能駅~西武秩父駅間を除くの各路線は各駅のホームが8両~10両対応に対応しており、8両編成を10両編成にする為にも2両編成を用意しているといえる。
20000系以降の通勤車両は5桁に統一され、30000系以降は千の位が両数表記にされた。
6000系以降の通勤車は、百の位が号車番号となっている。
尚、関東の大手私鉄では珍しくステンレスよりアルミ車体がメインとなっている。
表で例えると
万 | 千 | 百 | 十 | 一 |
---|---|---|---|---|
形式 | 両数 | 号車 | 編成番号 | 編成番号 |
となっている。
東武との違いは百と千の位が反対になっている事である。
現有車両
特急車両
通勤車両
特徴
首都圏直通路線でも近郊電車型の停車パターン(千鳥配置型停車パターン)を採用する、専門車両メーカー並みの規模の車両工場(西武所沢車両工場 - 現在は廃止)を自前でもち、多数の鉄道車両を製作していたなど、大手私鉄の中ではやや特異な経営戦略をとっていた。かつて私鉄で唯一国鉄標準機と同等出力(2550kw)の大型電気機関車を保有していたことや、新型車両に旧型車の走行機器流用を徹底していたことでも有名。創業家による直接経営が終焉してからはこのような特徴は薄れつつあるものの、今でもその特異性を垣間見る機会は多い。
新宿線や池袋線は沿線にトキワ荘跡・虫プロ・石森プロなどがあり、特に東映アニメーションが大泉にあることから日本のアニメ産業がこの辺に集中することとなった。アニメに時々黄色い電車が出てくるのはそういう理由である。
今も沿線に漫画家が多く住むなど漫画・アニメと関係の深い路線として知られ、アニメによる振興条例を展開する東京都練馬区などと合同企画で、「銀河鉄道999ラッピングトレイン(車内に松本零士のサインがある)」を走らせたり、大泉学園駅に車掌さんの像を置いたりしている。他にも、ケロロ軍曹(マナーポスター)、マクロス(記念乗車券)、ヤマノススメ(制作協力)、妖怪ウォッチ(ラッピング電車)、暗殺教室(ラッピング電車)、ラブライブ!シリーズ(ラッピング電車・スタンプラリーなど)、ドラえもん(スタンプラリー)など、多くのアニメ作品とのコラボ事業を展開している。
関東の大手私鉄では珍しく、自社路線内に新幹線との接続駅を持たない。なお、京王電鉄も同様に自社路線内に新幹線との接続駅を持たないが、中央新幹線の神奈川県駅(仮称)が開業すると、橋本駅(相模原線)が同駅との接続駅になる予定。
プロ野球球団「埼玉西武ライオンズ」のオーナー企業でもあり、狭山線・山口線ならびに両線の接続駅である西武球場前駅を用い、球団の本拠地、西武ドームへの輸送も担っている。グループ会社には伊豆箱根鉄道・近江鉄道が存在し、こちらも親会社同様アニメとのコラボ企画に積極的である(近江鉄道はけいおん!、伊豆箱根はラブライブ)。
創業家一族から最後に逮捕者の出る火遊び(土地取引による本業外収益やセゾングループ)があまりに有名だったことや、他社線直通に古い車両を使ったり、西武新宿駅移転を諦めたり、新型車がニセモノ(いわゆる機器流用。後述)だったりしたことなどから、沿線住民以外や鉄オタからは「鉄道業に熱心ではない会社」と位置づけられがちであるが、実はダイヤと運行姿勢の変態。特に登場時1067mm軌間では最強の怪力を誇った101系電車の導入から快進撃が始まる。
- もともと軽便鉄道で線形がよくないにもかかわらず大出力主電動機に物を言わせて105km/hでぶっ飛ばす。
- 西武新宿駅のアクロバット運用。ターミナルのホーム・配線が2面3線という状況で、発列車本数最大40本/h。「常時逝っとけダイヤ」(レッドアロー以外の列車はまず到着と同じ種別で出て行かない、しかも3扉4扉お構いなし)とも。
- 中央快速線との競合は、以前は勝負をほとんど投げていたがJRがあんまりに不甲斐ないので拝島線直通増発傾向に転じる。ちなみに拝島線の一部は未だに単線であるが、拝島からの所要時間は中央快速線で山手線乗り換え駅より西武新宿線・拝島線直通急行で東京メトロ東西線の方が速い。
- 田無駅チキンレース。西武新宿駅行の急行が乗り継ぎの各停到着からどれだけドア開時間を稼げるかが乗務員の腕の見せ所。
- 以前は、都立高校が「交通事情による休校」を決める際の基準として「西武が動いているか」が判断材料として使われていたという。
- 機器流用車両の存在。101系の走行機器類は4000系、9000系へ流用(9000系はのちにVVVF改造)。101系と共に先代レッドアローの5000系の走行機器類も当代レッドアロー10000系(最終編成を除く)へ流用されている。
- 101系と5000系は京急1000形と並ぶような走るオーパーツであったのと同時に、機器流用車両の新造は老朽化した5000系、改造に手間がかかる101系試作冷房車、扱いが厄介だった501系(3代目)、踏切事故の影響でモハ1両を抜き取られた101系125号車など様々な事情で廃車になった車両の活用にもなった。
- 101系以前の赤い電車(従来車)では私鉄初の10両運転など輸送力増強のために戦前の旧型国電の部品だろうと使える物は何でも使っていた。初のカルダン駆動車である601系と701系は動力こそ国鉄の最新型相当の主電動機と台車を採用したものの、先頭車の台車やブレーキ装置、コンプレッサーなどは廃車から使い回し、以前の釣り掛け駆動の車両と連結して活躍していた。
- そのうち、鉄道ファンには概ね好評である4000系の4009編成はさらに改造し2010年代流行のレストラン列車「西武 旅するレストラン 52席の至福」に。関東私鉄では初。観光客には好評だが、ホームドアの全路線全駅全ホーム完全設置を求める通勤通学客からは怒りを買っている。
- 6000系、20000系、と鋼製車時代の“黄色い電車”のイメージを払拭しようとしているように見せかけながら、パスネットなどのシンボルマークは相変わらず黄色い電車。そして30000系では部分的ながら黄色が復活。
- 特急レッドアローでは5000系使用時代の末期に車内販売を廃止して以来、自販機の設置くらいしか飲食に縁がない。同じく観光要素も高い東武・小田急に比べるとサービス内容は簡素。
- 『座席指定特急』を導入していながら『通勤形による座席指定列車』(40000系)を併存させた初めての大手私鉄会社。のちに東武鉄道も追従。
- 2022年度事業計画等で、残存する抵抗制御車や塗装鋼製車体車両を最終的に置き換える方針を発表。本線系統に新造車両を導入しながら支線区に他社から無塗装車体の車両「サステナ車両」を譲受すると発表しており、どの会社の車両が導入されるかファンの間で話題になっていた。
創業家・堤一族
西武グループの創設者が、滋賀県出身の実業家堤康次郎である。康次郎は地元・滋賀県での近江鉄道の経営や、伊豆・箱根・軽井沢の開発なども行った。また政界にも進出しており、戦前・戦後を通し長きに渡って衆議院議員を務め、戦後には短い間ながら衆議院議長も務めている。会社では顧客を大事にした他、社員も大切にして徹底的に仕事を任せており、部下からは「自分たちの全てを安心して任せられる指揮官」として『大将』と呼ばれていた。
一方でその経営手法は強引そのものと言われ、毀誉褒貶も激しい人物である。これはあくまで噂であることに留意する必要があるが、関東大震災が起きた際、康次郎は一家が全滅した焼跡に「堤康次郎所有地」と書いた棒杭を立て、訴えが無ければそのまま焼跡を自分の土地にし、あれば法廷に持ち込んでお抱えの弁護士で「所有権を証明する物的証拠を出せ」と争ったという逸話がある。とにかく、その手法たるや「とてもまともな実業家の姿といえないことは確か」とまで言われたほどだった。
更に康次郎の特徴として有名なのは稀代の女好きであったところだろう。正妻とされた人物だけでも4人おり、婚姻関係を結んでいない妾、愛人の類は何十人もいたという。中には姉妹全てが康次郎の愛人となった例もあるとか、部下の妻だとか、倒産して買収した企業の社長の娘とか、果ては華族の娘まで枚挙に暇がない始末であった。実際息子たちの母親がそれぞれ違うという有様で、後継者・義明の子もまた愛人であったとされている。
どこのエロゲの登場人物かと今なら評されてしまうほどで、死後、康次郎の側近だった人物は「自分も興味があって西武についての本を読んでいるが、どれも正確なことは書いていない。特に大将の女関係は分かっていない。うちの大将は稀代の英雄だったが、反面業のかたまりのような人だった」と言わしめるほどだった。なお、康次郎の葬式には康次郎そっくりの子どもの手を引いた女性が行列を作ったという。
さて、長男(であったとされる)清は、その妻と康次郎が関係を持ったことに激怒した結果父と袂を分かち、次男である清二はセゾングループを継承、西武鉄道は三男の堤義明が継承した。
バブル期には義明の総資産は実に3兆円にも上り、当時世界一の資産家と言われた。そして義明はヘリコプターで西武沿線や会社を回った。ヘリから見れるように、当時の西武バスは屋根上に車両番号を表示していたとか(異説あり。長崎バスジャック事件が発生した際、同様の事件が起こった際に警察ヘリがバスを判別できるように入れたとも)。
西武グループの開発した墓地には国王の霊廟かと言わんばかりの父・康次郎の巨大な墓地を建造し、グループの社員に交代で24時間勤務の守をさせたとされる。もはや単なるワンマン経営者の域を超え、どこかの国家の独裁者のような驚愕のエピソードを有した。
グループの保有するライオンズでも絶対的オーナーとして君臨し、チームのオーダーにまで口を出したという。一方でスター選手とされていた選手にはダダ甘だったらしく、特に清原和博あたりが数多くの遊びを覚えた。
その結果いしいひさいちの漫画でいじくり倒される事もあったが、対をなすセ・リーグチームのオーナーの様に大人気なく抗議したことはなかった。
清原への過剰な甘やかしは後に彼の人生を破滅へと追いやることになるのだが…皮肉にも彼自身も不正取引などが原因で逮捕され、絶対王政ともいえるべき状態から一気に転落した。
義明の逮捕により西武グループは崩壊の危機を迎え、上場廃止などの苦難の道を経て、外資系ファンドの力添えでようやく再上場を果たした。この過程で西武百貨店やセゾングループとの縁は完全に切れてしまい、今や同じ沿線で商売を行うだけ程度の仲になっている。LOFTも、ファミリーマートも、無印良品も、J-WAVEも(ついでにJ-POPも?)西武王国の夢の跡なのだ。
しかし、創業家という絶対的安定株主を失ったことで今度は外資系特有のサバサバしすぎた経営方針に振り回されるハメになる。特にライオンズの売却や沿線内観光の要たる秩父線をはじめとした幾つかの路線の廃止などの提言がなされたというニュースは、世間に衝撃を与えた。