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概要

親鸞没後、彼の口伝に対する間違った解釈が多いのを嘆いた弟子唯円により記されたとされる。

前半10章は親鸞が自らの宗教的体験について語った法語であり、悪人正機説他力本願思想に触れる。後半の8章は唯円が親鸞の教えの間違った解釈を批判した内容となっている。


唯円が「この孤独感はどこからくるのでしょうか」等と問いかけるのを親鸞が独自の解釈で答えていくさまを中心に著されている。


中世は第8代目本願寺蓮如によって禁書となり流布しなかったが、近世・近代以降は親鸞についての代表的著述として注目され、多くの写本・注釈・解説書が刊行された。


倉田百三戯曲出家とその弟子は、歎異抄の内容をベースに作られている。


近年ではその哲学スピリチュアルを併せ持った内容から「無人島へ持っていきたい一冊」と紹介されることもある。参考



倉田いわく、

「私の知っているかぎり、世界のあらゆる文書の中で、いちばん内面的な、そして本質的なものである。コーランや、聖書もこれに比べれば外面的である。日蓮や、道元の文章も、この『歎異抄』の文章に比べれば、なお外面世界の、騒がしい響きがするのである」



司馬遼太郎いわく、

「非常にわかりやすい文章で、読んでみると真実のにおいがするのですね」

 「理屈も何もありませんが、どうも奥に真実があるようでした。ここは親鸞聖人にだまされてもいいやという気になって、これでいこうと思ったのです」

(『司馬遼太郎全講演』第1巻より)



有名な語録

※新記事は仏教門外漢による執筆なので多少の誤謬があります


必死に修行したり祈念している立派な人(=善人)を阿弥陀如来さまはお救いになられるとされるのだから、修行が行き届かず未熟愚か者(=悪人。転じて僧侶やエリート以外の一般人)であっても彼の清くて尊いお方はきっとお救いになられるはずだ。『を背負った悪人こそが、阿弥陀信仰によって救われるべき対象である』と解釈されることも。(悪人正機説)なお、これが発展すると阿弥陀如来の下での身分人種等の平等(=プロテスタントにも見られる民主主義の根本原理)に行き着く。(『逆説の日本史』ほか)


  • 父母のために念仏せず

親類縁者等、如何に大切な相手であろうと、他人を思い通りに救う力など私達にはない。衆生は亡くなって仏となれば全て救われる対象である。だから、他人のためでなく自分のために念仏せよ。(追善供養・善知識の禁止)なお、これを理由に浄土真宗は幽霊妖怪等の存在を認めない、よってお祓い等もしない。


  • 弟子一人ももたず

 みんな仏の弟子ですが? だって生きること自体が修行ですし、なんやかんやでみんな極楽浄土へ逝けるのですから。

(じゃあ弟子として歎異抄を書いた唯円は何なんだよ、とかいってはいけない



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浄土真宗

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鎌倉時代


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作品名 歴史 セリフ 古典文学






















不都合な余談

なお、「弟子一人ももたず」と言わしめた親鸞であったが、その教えが余りにも純粋すぎたために教祖である彼が亡くなったあとの浄土真宗は急速に寂れてしまい、背に腹は代えられなかった彼の事実上の弟子や子孫(※後述)たちは親鸞の哲学を棚上げして教団の急速な政治経済団体化を図らざるを得なくなった。(※諸説あり)身も蓋もない言い方をすれば、信者獲得のために現世利益追求を行うことになった。そのために親鸞一族の事実上の神格化も併せて行われた。

結局、これが戦国時代において比叡山延暦寺と並び称せられる強力な宗教勢力一向宗へと発展した。その勢力は並みの戦国大名ではとうてい敵わず、三河一向一揆鳥越城の戦いのように大名自体に挑戦する事例も頻発した。


ついには朝廷への働きかけで準門跡(=公家扱い)となり、以降は親鸞の血を引く教団トップは生き仏と崇められ第11世宗主本願寺顕如の頃にその権勢は頂点に達した。

この政治的に凄まじい勢いを警戒した織田信長によって、教団本拠地にたいする本願寺攻めが発令され、教団側の村上水軍と織田側の九鬼嘉隆らが係争地の本願寺の沖合いである大阪湾で大海戦を繰り広げたのは歴史的事実である。

本願寺攻め後に蓮如が亡くなると跡目争いがおこり、教団は東本願寺派と西本願寺派に分裂し、このまま江戸時代に入り現在に至る。

明治維新後、華族制度の施行により両教団のトップ(門主)は伯爵へと列せられた(=大谷家)。これは、廃仏毀釈以前では浄土真宗が国内の仏教系教団では唯一教祖の血筋によって教団を継承しかつ上述のように実質的な公家扱いであったことによるものである。

『歴史と視点』での司馬の言葉を借りるならば、他藩主が版籍奉還で領地を離れるなか「明治になっても唯一、信者という家臣を抱えた大名であった。」



この状況を親鸞自身が草葉の陰からどう思っているかは定かでない。

メタな視点では、蓮如らが歎異抄を禁書としたのは開祖である親鸞自身の哲学とその当時の教団の実態が乖離していたことを自覚していたからでもある模様。



また、上述の『出家とその弟子』の翻訳本を読んだフランスの文豪ロマン・ロランが深く感動し倉田に手紙を送って絶賛したなど一部の海外ユーザーからも評価の高い歎異抄であるが、

仏陀自身が説いた原始仏教はあくまで自己鍛錬による解脱が重視されたもので、じつは他力本願絶対他力極楽往生もその一切は後世の後付け設定であるため、親鸞らが説いた阿弥陀如来を最重要視する仏教哲学はどちらかと言えば終末での救済を約束したキリスト教的にすぎるため「これは本当に『仏教』っていえるのか」とツッコミされる事もしばしばだったりする。

(ぶっちゃけ、ガチ修行を重視した道元らによる禅宗のほうが仏教原理にまだ近い。)



実は、歎異抄自体が本当に親鸞のありのままの発言を集めたものなのかだったりする。

本書がすべての人々は救済されることを説いた悪人正機説をとっているのは上述のとおりだが、実は『親鸞聖人御消息集』等の他文献では「どのような悪しき行いを為しても無条件に救済される」という考えはしておらず、むしろそのような念仏者の死後の救済については否定的だったりする。

こんな感じなため、研究者の一人である塩谷菊美は「第三者の本願寺関係者が唯円に仮託して『口伝鈔』や『改邪鈔』などの他文献をもとに歎異抄を編纂した可能性がある」と指摘している。(「『歎異抄』の成立再考」)

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