韻を踏む
いんをふむ
韻は「頭韻」と「脚韻」の二つがメインである。
日本
例は少ないが、持統天皇の御製「いなと言へど強ふる志斐のが強語 このころ聞かずて朕恋ひにけり」は、上の句が
「Iなといへど SIふるSI斐のがSIひがたり」
と頭音がそろっている。これを頭韻という。
国本武春の『クマのプー太郎』(アニメ)の主題歌『たいたいづくし』や「うなりやベベン」(NHKEテレ『にほんごであそぼ』で御存命中は本人が出てたけど、死後は人形が歌っている)名義での「ベベンのたいづくし」は、脚韻あるいは尾韻と呼ばれる形式で、一部が語尾を「たい」で揃えている。
中国
絶句や律詩といった漢詩では、各行の末尾が脚韻を踏むというルールがある。
代表的な五言絶句である孟浩然の『春暁』を見てみよう。
春眠不覚暁
処処聞啼鳥
夜来風雨声
花落知多少
各行の最後の文字が「ギョウ」「チョウ」跳んで「ショウ」と脚韻を踏んでいる。なお五言絶句では3行め(転句)は韻を踏ませないのが一般的。
欧米
音楽の歌詞はだいたい脚韻を踏んでいる。古くから伝わる民謡はもとより、クラシック曲や近年のスタンダード曲やポップスなどでも脚韻を踏むのが当たり前である。もちろんアニメソングも例外ではない。
また文学の詩も韻を踏むのが正しいルールである。韻の踏み方にはいくつかの規則がある。
ノストラダムスの『詩篇百』(諸世紀って書きたいけどこれはなー)収録の四行詩は、
L'an mil neuf cens nonante neuf sept MOIS,
Du ciel Viendra un grand Roi D'EFFRAYEUR,
Resusciter le grand Roi d'angolMOIS,
Avant apres, Mars regner per bon HEUR.
と、奇数行と偶数行の尾部をそろえたababという形式である。
『マザーグース』では、
We're all in the DUMPS
for diamonds are TRUMPS(後述の和田誠訳では「だってダイヤが切り札さ」)
And the kittens are gone to St. PAUL’S
All the babies are BIT
and the moon's in a FIT
And the houses are built without WALLS
といった、aabccbの形式もある(あっちはライムがちゃんと踏まれてればいいので、こういうどういうことなの詩でも歌い継がれるの)。
なお、これら海外の詩の翻訳時、ライム(韻)部分は紹介されるに留まるが、和田誠は挿絵の担当後、韻を中心に翻訳した『オフ・オフ・マザーグース』を発表している。
※記事があって2文字以上頭韻・脚韻同士で揃えている物のみ。
実在の人物
架空のキャラクター
※作品名五十音順
- 宮尾美也(アイドルマスターミリオンライブ!)
- 相河愛花(アリス・ギア・アイギス)
- 佐久間咲也(A3!)
- 松野松造、松野松代(おそ松くん)
- 桃園桃(おにぱん!)
- 佐木咲(カノジョも彼女)
- ナナセ・ナナミ(ガンダムビルドダイバーズ)
- 春野はるか(Go!プリンセスプリキュア)
- 里見サトミ(サトミちゃんちの8男子)
- 桜井咲太郎(シャーマンキング)
- ジョナサン・ジョースター、ジョセフ・ジョースター、ジョルノ・ジョバァーナ、ジョニィ・ジョースター、ジョディオ・ジョースター、ジョージ・ジョースター(ジョジョの奇妙な冒険)
- 高橋孝浩(純情ロマンチカ)
- 山田ヤマト(タカマガハラ)
- 里中智(ドカベン)
- 野比のび太、野比のび助、(ドラえもん)
- 珍鎮々(トリコ)
- ニコライ・ニコラニコフ(ブレイブリーセカンド)
- 七瀬七海(ヘブンバーンズレッド)
- 雪ノ下雪乃、由比ヶ浜結衣、川崎沙希(やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。)
- 洗井新太(遊戯王SEVENS)
- 結城友奈(勇者であるシリーズ)
- 赤座あかり、赤座あかね(ゆるゆり)
- 秋山昭人(よふかしのうた)
- 笹瀬川佐々美(リトルバスターズ!)
- マーク・トウェインの名言とされるものに「歴史は繰り返さないが、韻を踏む」(歴史上の過去の出来事と全く同じ事は起きないが、似た事は起きる)というものが有る。