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左翼の編集履歴

2018-03-26 16:16:27 バージョン

左翼

さよく

より平等な社会を目指すための社会変革を支持する考え方。またはそういう考えの人。ここでは政治用語の「左翼」について説明します。

曖昧さ回避

  1. 鳥類飛行機の左側の翼。
  2. 左右に広がりがある物の左側の部分。
  3. 野球用語で、本塁から見て左側の外野部分及びそこを守る選手。
  4. 広義の社会主義的な思想の持ち主のこと。本項にて解説

概要

左翼( 左派 )とは、通常、より平等な社会を目指すための社会変革を支持する層を指し、革命運動社会主義共産主義、社会民主主義などを支持する層を指すことが多く、広義の社会主義やそれに親和的な勢力を漠然と示す呼称であり、また 同時に「左翼」は絶対的なものではなく相対的な用語であり、何を「左翼」や( 対義語である )「右翼」と呼ぶかは時代視点などによって変化する場合が存在し、例えば日本の民社党やイタリアのムッソリーニなど当初は左翼とされる社会党に所属していた勢力・人物ではあったものの、党と決別し、タカ派的・国家主義的傾向を強めた結果、右翼と呼ばれる状況になっており、またこの言葉はレッテル貼りに使用される場合も多い。

様々な特徴・バリエーション

左翼は総称であり、非常に幅広い潮流を含んでいる。たとえば目標とする国家については市民労働者の自治を重視するサンディカリスム、政府を否定する無政府主義( アナキズム )や、逆に国家の積極的な介入を重視する福祉国家、執権党が一党独裁を行うソ連型社会主義など、複数の形状をとり売る状況であり、現代における先進国の左翼は基本的価値観として自由平等、労働条件の改善、福祉の重視、環境保護平和主義などを掲げ追求する場合が多いが、歴史的には左翼は暴力による革命独裁、統制経済、重工業の重視、大規模開発による自然改造、軍事的覇権主義、集中管理による国民への弾圧など全く相反する方向に傾倒してきた( その代表がソ連共産党中国共産党といわれる )がしばしばある。これは社会主義や共産主義が農業に依存した封建的な社会を打破し、近代化を推進するための思想という一面を持っていたためである。

変革の方法

変革の方法についても、資本主義の枠内での変革を目指す社会改良主義、議会制民主主義のもとで将来的には社会主義社会を目指す平和革命主義、急進的に武力革命を行うべきとする暴力革命主義等が存在し、それまでの身分制度や封建主義などに反対して近代化の増大を求める面では、資本主義と同様に近代主義・啓蒙主義・自由主義の側面が存在するものの、逆に資本主義による伝統的な地域共同体の破壊や労働者の搾取に反対する面では、保守主義の側面がみられる場合も存在する。

政治家

一般に左派は「リベラル」と称されるが、1980年代以降の政治家はこの呼称で定義されることも避け中道的立場を強調することが多く、これは「保守」を強調する政治家が一定存在しまた「保守」と定義されることを避ける政治家があまりいない点と異なる。また政党の内部において、党内の「左派」「右派」と呼ばれる例も多く、旧日本社会党では社会民主主義的な勢力は「社会党右派」労農派マルクス主義の流れをくむ勢力は「社会党左派」と呼ばれた。

極左

左翼の中でも極端に急進的な変革・革命を求めるものは極左と呼ばれ、時に彼らは暴力活動テロ等の行為などを行う場合も存在するが、極左と極右はその全体主義性や党派性などに類似性が指摘される事もあり、また反権力の観点から極左と極右が連係する事例も存在している。

各国の例

中国では毛沢東が極左的急進的な路線を推進( いわゆる大躍進政策や文化大革命など )ため、死去語しばらくは国内は大混乱となり、先進国では新左翼と呼ばれる、若者を主体とした急進的左翼活動を行う団体が発生し、日本でも現在ではいわゆる極左暴力集団と呼ばれる中核派革マル派日本赤軍連合赤軍等がその流れを汲むとされる。

歴史

フランス革命直後の国民議会では、王党派に対して共和派が「左翼」と呼ばれたが、第二期では右翼とされるフイヤン派( 立憲君主制支持 )が没落し今まで左翼だった共和派が主流となるものの、政策を巡って再び左右で割れ、新しい軸が生まれ、議会の右側には穏健派のジロンド派が座り、左側には過激派のジャコバン派が座ることとなり、これが「左翼」の語源となったとされる。

ジャコバイトの活躍

1793年にはジャコバン派が国民公会からジロンド派を追放し、ロベスピエールが目指した共和政ローマ類似の独裁政治が敷かれたものの、ジャコバン派は新興資本家寄りのダントン派と労働者層寄りのエベール派に分裂、、それを見たロベスピエールは両者を粛清して恐怖政治を強めたものの、1794年にはテルミドールクーデターが発生、ロベスピエールをはじめとしたジャコバン派が次々と投獄処刑されることになり( 当時はジャコバン派の熱烈な支持者だったナポレオン・ボナパルトもこれに含まれた )、これによりフランスでは王党派が復活、帝政を経て、左翼は一時衰退する。

パリ・コミューン

1871年には短期間ではあるが史上初の社会主義政権であるパリ・コミューン( wikipediaへのリンク )が成立した。

20世紀

20世紀においては専ら大学教授学者などの知識人が大衆の左翼運動を指揮し、欧州やロシアではカール・マルクス思想に基づくマルクス主義が台頭し、同時に穏健派である社会民主主義も勢力を増大させた。

ソ連

帝政が続くロシアでの革命は成功し、ソビエト連邦が成立したが、レーニンの死後は世界革命を主張するトロツキー失脚させられ、後継には一国社会主義を主張するスターリンが権力を掌握、彼の独裁体制は政敵や無辜の民に対する大粛清を行うなど恐怖政治が横行し、粛清の犠牲者第二次世界大戦での戦死者をも上回るという。帝政からの解放者としてのソ連共産党が全体主義的な傾向を強めていき民主主義色が薄れていったため、マルクス・レーニン主義から欧州の知識人も離反していった。

ユーロコミュニズム

これを見た西欧共産党や急進左派は反ソ連・反スターリンの傾向を強め、リベラリズムとの親和性が高いユーロコミュニズムを提唱していくこととなり、資本主義を認める穏健左派などと呼ばれるリベラリズム・社会民主主義は欧州( 特にフランス西ドイツイギリス北欧など )において「資本側と労働者側が政府を仲介として協調する( ネオ・コーポラティズム )ことに特色がある」福祉国家を建設した一方、イギリスの社会民主主義は階級制度の残存への対抗から「階級闘争勢力としての社会主義」が根強くヨーロッパ大陸の左派勢力の福祉国家路線とはやや形態が異なっていたが、1990年代にイギリスの左翼は新自由主義を大きく取り入れ、「第三の道」と言われる方向に変化していく。1980年代以降一部の左派系の政権も新自由主義的な経済政策を取り入れ始めたため、急進左派勢力がある程度勢力を拡大している。

現在の状況

社会主義国

社会主義を標榜する中華人民共和国ベトナムは、政治的には一党独裁を堅持しながら経済的には鄧小平理論やドイモイ政策などに基づいて市場原理を導入しつつあるが、それが新たな問題を生んでいる面も否定できない。

ラテンアメリカ

ラテンアメリカではアメリカ合衆国が主導するアメリカニゼーション・新自由主義に対する反発から、ベネズエラのウゴ・チャベスやボリビアのエボ・モラレスなどの反米左翼政権が数多く誕生することとなったが、反米というわけではないがブラジルの大統領であったルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァも労組出身、所属政党も労働者党であった、その後次の大統領ジルマ・ルセフもルラの政策を引き継いでいたが、弾劾により連立政権を組んでいたブラジル民主運動党のミシェル・テメルがその職を引き継いだだ。

ヨーロッパ

ドイツでも旧東ドイツのドイツ社会主義統一党の流れを汲む民主社会党( PDS )とドイツ社会民主党( SPD左派 )が合流した左翼党が党勢を伸張しており、東欧では市場経済導入以降の国内の経済格差批判から党綱領と党名を変革した旧共産党の社会民主主義政党が政権に戻りつつあるし、イギリスでは、当時のトニー・ブレア首相は労働党の政策を新自由主義を取り入れた第三の道へ変えることで政権を獲得したものの、第三の道は一部労働組合の反発を招き、左派勢力の分裂をもたらした。

日本

戦前

日本で一般的に「左翼団体」と呼ばれている政党や勢力には、以下のものがあるが、その定義や範囲は立場によってさまざまであり、明治時代から第二次世界大戦の間は合法的な社会主義政党である多数の無産政党として左派の労働農民党、中間派の日本労農党、右派の社会大衆党などが存在し、治安警察法などの治安立法により非合法ではあったが日本共産党が結成されたものの、昭和時代に新体制運動が高まり、中国大陸での戦争が長期化するなかで合法的な全左翼政党は解散し大政翼賛会に合流した。

戦後

第二次世界大戦終結後は、合法化された日本共産党と、戦前の多数の無産政党が集まって結成された日本社会党( 1951年に左派と右派に分裂1955年に再統一、1996年社会民主党に改称 )が、「左翼政党」の代表的存在とされている。この他、労働者農民党( 日本社会党を除名された人々が立ち上げた政党、1957年解散し社会党に合流 )や日本共産党を除名されたり離党した複数の党派も含む新左翼各派や、日本社会党から分裂した民社党や社会民主連合新社会党、あるいはベ平連( 正式名称:ベトナムに平和を!市民連合 )などの従来の政党とは異なる市民運動等からから発生した市民団体、更にはリベラル的な傾向の強いマスコミ団体、あるいは個人なども「左翼団体」や「左翼勢力」などと呼ばれる場合もあった。

55年体制以降

国政においては1955年以降、保守政党が合流した自由民主党と社会党再統一をうけた日本社会党が日本の二大政治勢力となり、「55年体制」と後に呼ばれる状況となったが、この間においても左翼勢力はいわゆる平和運動に力を入れており、1960年日米安全保障条約( 日米同盟 )改定時には激しい反対闘争を展開したり、労働者の賃金・待遇の改善を求める労働運動や公害反対闘争とも連携してきた。1970年代には連合赤軍や日本赤軍がテロ事件や暴力事件を起こしたり、公明党や各種新党の結成・多党化、ソ連および東欧の経済的な停滞やその体制崩壊、環境問題などの従来の「左翼・右翼」の分類の枠内に収まらない課題の増加などもあり、1980年代ピークとして従来型の左翼勢力は縮小傾向にあるとされ、最近は新たな信者の獲得のため格差社会への抵抗や地球規模の環境問題などに対する取り組みも強めている。

関連タグ

思想 政治 経済 環境

社会主義 / 共産主義 / 日本共産党 / 共産党 / 社民党 / マルクス / 日本教職員組合(日教組) / 表現の自由 / 民主主義 / 左派

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