「地球を守るためなら、何をしてもいいのですか···」
概要
このセリフが登場したのは、『ウルトラセブン』第26話「超兵器R1号」(初回放送1968年(昭和43年)3月31日)。兵器開発競争を皮肉ったウルトラセブン史上に残る重いエピソードである。
当時は冷戦やベトナム戦争の真っただ中であり、このエピソード自体が核抑止による終わりの見えない軍備拡張を風刺したものであるといわれている。
劇中、ウルトラ警備隊が属する地球防衛軍は侵略宇宙人への対抗策として、新型水爆8000個分の破壊力を持つ惑星破壊兵器「R1号」を開発し、どこかの惑星で使用実験が行われることになった。セブンであるモロボシ・ダンは参謀たちに実験中止を進言に行くが、途中でフルハシ隊員に制止される。
劇中のやり取り
- 「」···ダン、『』···フルハシ、【】···アンヌのセリフ
「フルハシ隊員!」
『何だ?』
「地球を守るためなら、何をしてもいいのですか···」
『えっ···』
「返事をしてください!」
『···(答えられないフルハシ)』
「よし!」
『おい、ダン! お前いったいどこに行くんだ?』
「参謀にお願いしてきます、実験の中止を!」
『バカ! よさないか!』
「離して下さい!」
『まて! いいから入れ!』
メディカルセンターに移動
『どうしたんだダン!』
【何かあったの?】
『いや、忘れるなダン、地球は狙われているんだ。今の我々の力では守りきれないような強大な侵略者がきっと現れる。その時のために···』
「超兵器が必要なんですね」
『決まっているじゃないか!』
「侵略者は、超兵器に対抗してもっと強烈な破壊兵器を作りますよ!」
『我々は、それよりも強力な兵器をまた作ればいいじゃないか!』
「·········それは、血を吐きながら続ける···、悲しいマラソンですよ」
結局、シャール星座の第7惑星ギエロンが地球への影響が無く、生物もいないだろうということでR1号の実験に使用され爆破されたが、ギエロン星には生物が存在し、R1号の放射能の影響を受けてギエロン星獣に変異し、復讐の為に地球へ降り立ち放射能の灰を吐き地球に甚大な被害を与えた。
最終的にギエロン星獣はセブンに倒され、事件の反省から新型兵器R2号の開発も凍結され、物語は
カゴについた回転車で、延々走り続けるリスの映像で幕を閉じる···
悲しいマラソンは続く…
このギエロン星獣の一件は、地球の平和を守るという口実の元、人類が科学を暴走させてしまったという皮肉な展開となっており、以降のシリーズ作品でも同様の事例がいくつか見受けられる。
- ウルトラマンAの時代には、地球に迫る妖星ゴラン迎撃の為とはいえ惑星破壊ミサイル「マリア号」を作成したり、TAC上層部でもある高倉司令官がウルトラ兄弟もろともゴルゴダ星を爆破する為に「超光速ミサイルNo.7」を開発。
- ウルトラマンタロウの時代には某国が「トロン爆弾」の実験でムルロアの星を爆破。
- ウルトラマンレオの時代にも新兵器CS137の実験でクリーン星を破壊し、結果クリーン星人がサタンビートルで報復に出たほか、未使用とはいえウルトラの星すら粉々にできる「UN105X爆弾」をMACが製造。
- ウルトラマン80の時代には、はぐれ星レッドローズの爆破の為とはいえ、地球を2つ3つ吹っ飛ばす核爆弾レッドワンを使用し、ガウス星を含む5つの惑星が壊滅した。
- ティガ・ダイナの世界の「ネオマキシマ砲」、ガイアの世界の「ワームジャンプミサイル」、ギンガの世界の「ビクトリウムキャノン」、Zの世界の「異次元壊滅兵器D4」など、異世界においても地球人類の超兵器開発は留まることを知らず、敵に悪用されてしまう事、中には敵に焚きつけられて開発を推進させてしまう事も少なくない。
平成セブンの世界では、フルハシ参謀亡き後、遂に地球人類は自ら、他所の知的生命体の住む惑星を「フレンドシップ計画」による先制攻撃により滅ぼし始めた。
根底にあったのは、オメガファイルに触れて、現在の地球人がノンマルトから地球を侵略して居座った事実を知ったカジ参謀ら上層部が、地球人が地球人であり続けるためには武力をもって他の異星人を排除するしかないという考えに取り憑かれたが故の過ちでもあった。
ダンはフルハシの墓の前で語る。
「フルハシさん···人類はまだ続けているよ。血を吐きながら続ける悲しいマラソンを。しかし、最後の希望は捨てない。あなたが育てた子ども達がいる限り」
地球人が侵略者であると知りながら、真実を白日の元に晒し悔い改めることを願い、地球人のために戦ったダン/セブンは宇宙から追放された。
悲しいマラソンに終わりは来るのだろうか?
とは言え
『平成セブン』のような例外中の例外を除けば、基本的にウルトラシリーズの地球は「害意ある地球外勢力に狙われる側」であるため、そんな現状を危惧するフルハシらの考え自体は決して的外れなものではない(本エピソードを冷戦への風刺とする声が多い一方、冷戦が「海の向こう・テレビの中の出来事」でしかない日本と「既に甚大な被害を受けている」ウルトラ世界を同一視は出来ないとする声も確かにある)。
そもそも本エピソードが示す問題の本質は武力の「暴走」であって武力そのものの「否定」ではない。かいつまんで言えば、「大きな武力には大きな責任が伴う」「撃っていいのは撃たれる覚悟がある奴だけ」とも言える。
そして当のダン/セブン自身は、「善意の協力者」と言えば聞こえは良いが見も蓋もない表現をすれば「義務も責任も持たない道楽ヒーロー」でしかなく、地球人が正体を知らない以上都合よく来てくれるかわからない上に、何なら地球が征服・壊滅されても(無念に思うのは確かだろうが)生きていけるしデメリットも無いのだ。この辺りは「人類唯一の生存圏たる地球を何としてでも守らねばならない」地球人とは決定的に異なる。
直前のエピソードでも防衛軍一同が基地の復旧に奮戦する一方で、自分はウルトラアイを紛失して遭難死しかけるという醜態を晒している(それでも、最後に実行犯は倒せた)。
地球を去る段階に至っても自分の素性はアンヌ以外に(ざっくりとしか)明かしておらず、地球側が「ウルトラセブンと呼ばれる赤い巨人」について詳しく知る事は最後までなかった。そんな者を防衛戦力として勘定する事自体が無茶な話であろう(これはシリーズを通して言える問題点)。
そして穿った見方をしてしまえば近年に登場したウルトラカプセルやウルトラメダルは宇宙の脅威に対抗しウルトラマン達が作り出したまごう事無き兵器である。
これが悪しき者に利用されて、それを超える為に更に強いカプセルやメダルを手にし……
そう、ウルトラマン達ですら自覚しているか否かは別として、このマラソンを走り続けているという現実がそこにはある(実際にそれを自覚した存在は精神的に負担を抱えてしまっていた)。
「どうせ最後はウルトラマンが助けてくれる、と地球人は盲信している」とは某ウルトラマンマニアの発言である(実際、前作のイデ隊員は「ウルトラマンが今に来るさ…」と自らの使命を放棄しかけた事があった)。
だがいつかは、自分の足で走らなければならない日が来るのだ。その時間違いを犯す事はあるかもしれないが、自分の背中を狙う誰かが宇宙のどこかにいる以上、足を止めたらそこで終わりなのだから。
だからこそ、キリヤマ隊長は「地球は我々人類自らの手で守らなければならない」と語ったのだ。
そして、自分で戦う事をあきらめないからこそ、ウルトラマンは地球人に力を貸してくれるのだ。
走り続ける意味
「超兵器R1号」を始めとする反戦テーマの初期作品が名編であった事もあってか、ウルトラシリーズでは長らく、過度な軍拡や好戦に否定的な立場が取られて来た。
特に『ウルトラマンガイア』『ウルトラマンコスモス』などは、作品自体が「怪獣であっても無闇に倒すのは良くない」「保護・共存すべき存在であり、守られるべき物」と言ったテーマで描かれ、中でも後者では際限なく進化を繰り返す敵との終わりの見えない戦いに「和解」で終止符を打つという、「血を吐きながら続ける悲しいマラソン」に対するひとつの答えを示した。
しかし、上記のように、これらに疑問を抱く風潮は確かに存在しており、それに加えて、同じテーマが繰り返される事による陳腐化、変身玩具のコレクション化による「ウルトラマンの武装化」、何よりテロとの戦いなど世界情勢の変化によって日本が「対岸から風刺する側」ではいられなくなった事――などが影響してか、また違った視点で描かれる作品も増えて来ている。
40周年記念作品であり、昭和シリーズと直接的な関わりを持つ『ウルトラマンメビウス』において、メテオールと言う「人類には過ぎた力を地球防衛のために正しく使う」技術が登場した事は、一つの象徴と言えるかもしれない。
『ウルトラマンX』では、怪獣保護をテーマとしつつも、「人間に危害を加えた場合は、容赦なく殺処分する」という現実の害獣駆除に則った非常に現実的な手段を取っており、ガイア・コスモスとの対比が興味深い。
ギエロン星獣が再登場した『ウルトラマンジード』第20話では、何度倒しても復活するギエロン星獣に対し人々が力を合わせて復活を封じる事で勝利するという、「血を吐きながら続ける悲しいマラソン」へのまた違った答えを示した。
特にこの問題について推し進めたのが『ウルトラマンZ』であり、「宇宙から来た、人類にとって過ぎた力」である特空機が、もう一方の主役と言えるほどの活躍を見せている。
特に、特空機3号キングジョーストレイジカスタムは、「ウルトラマンを散々苦しめたキングジョーの逆利用」「劇中でもその力を畏怖される」と言う凄まじいフラグを立てておきながら、最後まで地球の平和のために戦い抜いて見せている(もっとも、次回作で強奪され別次元の地球に迷惑をかけてしまったものの無事奪還された)。
さらに中盤では「怪獣と戦う事の意味」「怪獣と共存出来ない理由」を中心にドラマを展開。
終盤では『マラソン』を強要させる黒幕・セレブロや、逆に従来通りの過剰かつ危険な力である異次元壊滅兵器D4や特空機4号ウルトロイドゼロなども登場。「ウルトラマンが不確定要素である」事の弊害なども描かれた。
最終的には、特空機とウルトラマンゼットの活躍によって平和は守られ、必要なのは力だけに頼るのではなく、正しき心でそれを扱う事(逆に言えば、正しき心無しに過度の武力を持ってはいけない事)と言う事を改めて示して見せたと言える。
とはいえあまりにも過剰に対処しようとするのも問題である。これはあくまで平和のための一つの答えであり、万物万象に当てはめられるたったひとつの冴えたやり方ではないのだから。
いずれにせよ、生きる為に武力を持って敵を排除するのが必要な時というのは往々にしてあるものであり、そのための行動には常に大きな責任と覚悟が伴うのである。
ヒーロー戦記での再現
モロボシ・ダンが客演したヒーロー戦記では、この一連のやり取りを再現した会話がある。
人間同士の戦争であるせいか、あるいは当事者ではないためか、本編と比べると少々呆れ気味。
改行、平仮名は原文ママ
かがくしゃ「アクシズとの せんそうにそなえ わがぐんでも
ひみつへいきを かいはつしている。 これさえあれば
アクシズなど」
アムロ「しんへいき・・・ですか。しかし あいてが
そのしんへいきを うわまわるへいきを かいはつしてたら
どうするんです?」
かがくしゃ「そのときは さらに きょうりょくな へいきを
つくりあげるまで」
ダン「まるで ちをはきながらつづける マラソンだな」
なお、この発言をした科学者を擁するジオン公国はその後まもなく、皮肉な事に新兵器ではなく謀略によって内部分裂を起こされ、軍はまともに戦うことさえ出来ないまま制圧され、滅ぼされた。
関連イラスト
関連タグ
有言実行三姉妹シュシュトリアン…ウルトラマンとの競演回で登場した格言が「モロボシ・ダン曰く、戦いとは血を吐きながら続ける悲しいマラソンのようだ」になっている。
ガンダム…血を吐きながらマラソンを続けた結果として、都市単位・スペースコロニー単位での虐殺行為が行われている作品が少なからず存在している。
機動新世紀ガンダムX/∀ガンダム/機動戦士ガンダムSEED…ガンダムシリーズの中でも特に激しい戦争が行われた果てに人類が滅亡しかかったことがある作品たち。
機動戦士Vガンダム…前期OPの歌詞に「終わりのないDefence」という本セリフを彷彿とさせるフレーズが存在している。この作品もまた数々の残虐な戦争行為の果てに終盤には人類滅亡クラスの兵器が使用されている。
文明自滅ゲーム…対象の文明に実行させて破滅させるとある生物の目的。
ポケットモンスター(アニポケ)…1997年版無印ポケモンのシリーズ構成を務めていた首藤剛志氏は、自身のブログにおいて、「サトシがどこまでも強くなる。しかし、サトシよりも強いキャラがいずれ現れる。そのキャラを倒すためにサトシはもっと強くなる。そうやってどこまでも強くなっていって際限がなくなり、『強さこそが正義』という内容のアニメが出来上がってしまう。僕は、ポケモンというアニメをそういう作品にはしたくなかった」という旨のことを語っており、「血を吐きながら続ける悲しいマラソン」と共通するところがある。
もっとも、(確かに劇中に悪の組織が存在するとはいえ)ポケモンバトルは武力闘争と言うよりスポーツであり、スポーツで「トップを求めて強さを競い合う」と言うのは悲しいどころかむしろ健全である事を考えれば、かなり的外れな意見とも言える(ここでは記事違いになるので触れないが、首藤氏のポケモンアニメに対する主張にはファンの間で賛否が多い)。
ちなみに、ポケモンというコンテンツの元ネタは、ウルトラセブンに登場する「カプセル怪獣」であり、ゲームポケモン及びアニメポケモンの制作陣の中には特撮オタクが数多く存在する。首藤氏自身も「ゴジラ」などの怪獣映画のオタクであることを口にしている。