ミスターシービー
「レースが始まったら、そこはアタシたちの世界。でしょ?」
プロフィール
キャッチコピー | 何にも縛られない!天衣無縫の陽気なウマ娘 |
---|---|
誕生日 | 4月7日 |
身長 | 166cm |
体重 | 増減なし |
スリーサイズ | B84・W55・H80 |
靴のサイズ | - |
学年 | 高等部 |
所属寮 | 一人暮らし |
得意なこと | - |
苦手なこと | - |
耳のこと | - |
尻尾のこと | - |
家族のこと | - |
ヒミツ | ①エレベーターがちょっと苦手 / ②歌舞伎が好きでよく観に行く |
自己紹介 | レースにしかない風があるんだ。軽くて、澄んでいて……自由気ままな追い風でね。───アタシはミスターシービー。よろしく。 |
CV | 天海由梨奈 |
自由なレースの世界を愛するウマ娘。
彼女の醸す常識に縛られない雰囲気は、不思議なカリスマ性がある。
──と、一見気ままな自由人に見えるがそれは、納得が出来ないことは絶対にしない、そんな頑固さがあるからで……?実は人一倍不器用なウマ娘なのかもしれない。
(公式ポータルサイトより)
概要
普段は泰然自若かつ飄々と振る舞い、1コマ漫画でも、雨の中でも平気で散歩に行きシンボリルドルフを困惑させたり、屋上で寛いでいる後輩たちの前でハンバーガーを食べるなど自由奔放な様子が描かれている。
このハンバーガーの件をはじめ、たい焼きや卵かけご飯などアプリ版では何かと食べ物に関するイベントが多い。
その一方で、中央シリーズを退く方針をとったマルゼンスキーのことを憂う、と言うより半ばワガママに近い感情で引き止めようともしていた。
自由を好むがその反面、頑固で不器用な性格でもあり、納得できないことを心にしまっておけず、むしろ真正面からぶつかりにいってしまう。このことについては本人も自覚しており、第三者とのトラブルの種になってしまうことは気にしている(もっとも、それを直す気はなさそうだが)。
レース、そして走ること非常に楽しいのか、そのことになるとすぐに行動に移す行動力もある。制服のまま走り出しそうになったり、エイシンフラッシュのトレーナーから並走をしてほしいと頼まれ二つ返事で承諾したりと言った具合。
一人暮らしをしているらしいが家事は不得手の様子。
なお、彼女が一人暮らしと判明したことでモデル馬がデビュー、もしくはクラシックシーズンの時点でグレード制度が導入されていたか否かが寮暮らしか否かの分岐点とする考察が存在する。
2周年となる2023年2月24日に育成実装となった。
容姿・デザイン
癖のあるロングの茶髪で、頭には「CB」のバッジが付いた白いミニハットを被っている。
身長はウマ娘としては高い方ではあるが、頭身が高いせいで数字以上に高身長に感じる。
- 勝負服
ゲーム版での呼称はClear_Bllis。
上半身は緑と黄色をサブカラーにしへそ出しとなっている。左腕はノースリーブで右は白地に緑のラインが入った長袖。
下半身は金色の装飾がついたベルトに白基調で裏地が緑のズボンを穿いており、靴はヒールである。
カラーリングは現実のミスターシービーの勝負服(千明牧場。緑・黄山形・白袖)と同じで、とりわけチューブトップは緑地に黄山形となっている。
漫画版
ウマ娘シンデレラグレイ
「まだ最後まで分からない これは日本ダービーだ」
ヤングジャンプにて連載中の漫画「ウマ娘 シンデレラグレイ」の第1話において、アニメ第2話以来の登場を果たす。
ゴールドシチーが出走した日本ダービーをルドルフ、マルゼンと共に観戦していた。
アニメの時は勝負服のカットのみで台詞も無かったため、トレセン学園の制服姿や台詞が描かれるのはこれが初めてである。
ルドルフと同じく数々の栄誉を勝ち取ってきた三冠ウマ娘の一人であり、「領域」に到達したウマ娘とされている。劇中では主にルドルフやマルゼンと共に登場している…のだが、全くと言っていい程出番がなかったアニメ版よろしく今作でも長らく上記の台詞以外喋っていなかった。
第26Rに至っては上記の2人と共に日本ダービーを観戦する場面で彼女だけ吹き出しに隠れて顔が見えないと少々不憫な目に遭っていた(作画の久住氏にすら頑なに喋らない点をネタにされている。)。
しかし第二章後の永世三強編からでは本編でも本格的に登場し、劇中では主にイナリワンに目をかけているようだ。マルゼンと並び、ルドルフと対等に会話ができる貴重な人物でもある。
なお、授業は割とサボりがちらしく、ルドルフに来てないのか心配をされるレベルで結構単位はカツカツのようだ…。
なお、ヤングジャンプNo.4・5新年合併特大号では第9巻の別カバーが発売。裏面では『シンデレラグレイ』の別カバー恒例でドーナツを食べながら走るシービーが描かれている。
意外な所では六平銀次郎のチームに所属するゴッドハンニバルと仲がいいらしい。
アニメ版
Season1
第2話にて、三冠ウマ娘の一人としてシンボリルドルフ、ナリタブライアンとともに紹介された。
Season2
1話に登場。トウカイテイオーが出走する日本ダービーを観戦。
自身が注目しているシダーブレードに向けてサムズアップしていたが、ここでもセリフはなかった。
ちなみにシダーブレードのモデルとなった競走馬は、自身の産駒である皐月賞2着馬シャコーグレイドである。
ウマ娘のモチーフになった馬でミスターシービーより上の世代は6歳上のマルゼンスキーだけである。
アプリ配信前日の2021年2月23日に声優とキャラクター概要が発表された。
ゲーム版
メインストーリー4章報酬のSSRナリタブライアンのストーリーにて名前だけテキストにて書かれていたものの本人は登場しなかった。
2021年8月20日(金)に実装となったエイシンフラッシュの育成シナリオで3Dモデル付きで初登場。
ルドルフからの紹介で、日本ダービーに挑むエイシンフラッシュに心構えを説いた。
マンハッタンカフェのシニア機の初詣で下の選択肢(スキルpt獲得)を選ぶと過去のシービー(とルドルフ)の姿を見ることができる。
タマモクロスの育成シナリオでは、シニア級夏合宿終了後から天皇賞(秋)にかけて登場。
これは、タマモクロスの父シービークロスが、ミスターシービーと同じく千明牧場出身であることから来ている。また、2頭共に主戦騎手は吉永正人である。
晩秋イベントで実装された皓月の弓取りのシンボリルドルフの勝負服イベントにも登場した。
そこではルドルフは頂点に立つ者をいつかは狩ってみせると言った。その見上げる先にはミスターシービーが立っていた。
サクラチヨノオーの育成シナリオではシニア期の主要キャラ、出走キャラとして実装。シニア級の有馬記念で対決することになる...のだが、なんと対人要素であるチャンピオンズミーティング(当時のグレードリーグ)でも通用するレベルの超ハイスペックステータス+追込用スキル(所謂『ガチ構成』)を引っ提げて登場。新たなる有馬チャレンジとして立ちはだかる事になる。当然といえば当然だがゴルシモードなどの難易度が上がる期間限定イベントにおいてはさらに強くなる。
ダイイチルビーとは昔か親の付き合いで出たパーティーで何度も顔を合わせていた様子。あまり深く関わることはなかったようだがルビーが自分にできないことはしない、ということをよく分かっており一人で店番をすることになった彼女を心配するトレーナーにもそのことを伝えていた。
育成ウマ娘
2022年2月24日、アプリ版ウマ娘2ndアニバーサリーと同時にツインターボと共に実装された。
Clear Bliss
詳しくは該当記事にて。
サポートカード
- SSR[Dear Mr. C.B.]ミスターシービー
2022年5月10日にアイネスフウジンの育成ウマ娘実装と共に実装されたカード。得意練習は賢さ。
練習性能が高くそれでいて得意率が50あり全てのイベントで絆が上がる。そのため素早く多く友情トレーニングをすることができ、シナリオ問わず高い効果を発揮することができる。
レアスキルに「強攻策」イベントでその下位スキルである「早仕掛け」そしてヒントで「直線一気」と追込の強力なスキルのヒントを取得可能。他にもイベントで「コーナー回復」ヒントで「尻尾上がり」「中距離コーナー」「末脚」「雨の日」と、人気スキル目白押しという圧巻のラインナップを誇る。さらにそのヒントを取得しやすくなる高いヒント発生率アップも持ちスキル面でも非常に優秀。
育成シナリオ「Make a new track!!〜クライマックス開幕〜」ではレースに多く出走するためレースボーナスが重要視される環境にあり、5%と低めの数値であったがそれを補ってあまりある練習性能とスキルの優秀さで高く評価された。
1.5thに追加されたつなげ、照らせ、ひかれ。私たちのグランドライブにおいても得意率の高さ、友情トレーニングの回数を増やしやすいことからこちらでも強力なカードとして扱われている。
カード名は直訳すると「親愛なるミスターシービー」。カードのエピソードは泥だらけで皐月賞を制した際に敗北したとあるウマ娘からの目線を描いたもの。もちろんシービーの同期は未実装なので、誰の語りであるかはファンの間で憶測を呼んでいる。
競走馬「ミスターシービー(2代目)」
'83年、菊花賞。
その馬は、「タブー」を犯した。
最後方から、上りで一気に先頭に出る。そうか…
”タブーは人が作るものにすぎない。”
その馬の名は、「ミスターシービー」。
才能はいつも非常識だ。「菊花賞」
「ターフの偉大なる演出家よ。」(ヒーロー列伝より)
父は1976年の皐月賞・有馬記念優勝馬で、同期のテンポイント・グリーングラスと共にTTGと称された「天馬」トウショウボーイ。
母のシービークインはオーナーブリーダー・千明(ちぎら)牧場の所有馬。オークストライアルの4歳牝馬特別(現在のフローラステークス)など重賞3勝を挙げた実力馬で、トウショウボーイやグリーングラスと同じ新馬戦でデビューしていた。
主戦騎手は吉永正人。母シービークインの主戦も務めた人物で、デビューから引退まで一貫して騎乗した。
当初シービークインにはトウショウボーイの父・テスコボーイを交配することが予定されていたが、種付け権が確保できなかったことからその産駒であるトウショウボーイとの交配に変更されたという経緯がある。本来シービークインを所有する千明牧場は、トウショウボーイが種牡馬入りしていた日高軽種馬農業協同組合(日高軽種馬農協)の規則でトウショウボーイの種付け権を取得できなかったが、トウショウボーイとの交配を望んだ牧場側と有力牝馬を求めていた農協側(当時トウショウボーイは種牡馬デビュー2年目で人気がなかった)の利害が一致し、特別に交配されることとなった。
- ただ、この交配は農協側の担当者の独断でもあり、当然これがバレた担当者は後で上司に盛大に叱責された。その後も担当者は、ミスターシービーが三冠を獲るまで農協内で肩身の狭い思いをしたという。
そうして生まれた「シービークインの1」は母と同じ千明牧場の所有となり育成が進められ、競走馬デビュー前に「千明牧場(Chigira Bokujou)を代表する馬」の意味を込め『ミスターシービー(Mr.C.B.)』と名付けられた。
↑菊花賞(実況:杉本清)
1982年11月にデビュー。
1983年に皐月賞・東京優駿(日本ダービー)・菊花賞を勝利し、セントライト・シンザン以来19年ぶり史上3頭目の三冠馬となった。父内国産馬が三冠馬となるのは初の事例であり、当時の優駿賞(現:JRA賞)最優秀4歳牡馬(現:最優秀三歳牡馬)および年度代表馬を受賞する。
翌年の1984年は蹄の状態が悪化したこともあり春は全休を余儀なくされるが、天皇賞(秋)を勝利して四冠馬となる。しかし、以後は1歳下の後輩三冠馬シンボリルドルフに対して1度も先着出来ず、翌1985年の天皇賞(春)5着を最後に脚部不安を生じて休養を余儀なくされる。
一度は復帰に向けて調教が再開されたが、骨膜炎を発症したことで現役続行が断念され、同年10月6日、東京競馬場において雨の中多くのファンが集まる中で引退式が実施された。
1986年に顕彰馬に選ばれ、父トウショウボーイと共に史上2組目の父子顕彰馬となった。
ちなみに母のシービークインは2番仔(父ハードツービート)が出産時のアクシデントで死産となった結果、事実上繫殖能力を喪失して不受胎続きとなり、シービー以外の産駒を残すことはできなかった。
そのため、2022年現在、シービーとルドルフを含む歴代の8頭の牡馬三冠馬(他はセントライト・シンザン・ナリタブライアン・ディープインパクト・オルフェーヴル・コントレイル)のうち、唯一きょうだいが存在しない三冠馬である。
引退後は社台スタリオンステーションで種牡馬入り。初年度産駒からヤマニングローバルなど重賞馬を3頭輩出し、その他にも2年目産駒からトウカイテイオーの同期でクラシック戦線で奮戦したシャコーグレイドを輩出したが、それ以降は目立った活躍馬を出せなかった。
加えて種付け料が高額(当時最高額の2000万円)だった上、トニービン、ブライアンズタイム、そしてサンデーサイレンスと輸入種牡馬が猛威を振るうようになったこともあって更に苦戦を強いられ、最終的にレックススタッドに移動した後、1999年に種牡馬としても引退した。
種牡馬引退後は功労馬となり、千葉県にあった千明牧場三里塚分場で余生を送った。放牧地は母シービークインの隣に設けられ、普通離乳以降は二度と再会することがない母仔が互いの姿が見える空間で過ごすという珍しい光景が見られた(ただ、シービー自身は再開したシービークインを母として認識できていなかったらしい)。
2000年12月5日、父トウショウボーイの死因ともなった蹄葉炎のため20歳で死去。その4年後の2004年、母のシービークインも老衰のため31歳で大往生を遂げた。
墓碑は三里塚分場内に建てられており、同分場が閉場した現在もそこで眠っている(なお墓参り自体は可能であるが、行く際は事前に、かつ可能な限り「競走馬ふるさと案内所」を閲覧し、マナーやルールを理解することを強く推奨する)。
先述したようにルドルフに一度も先着は出来なかったが、人気そのものはルドルフを上回っていた。容姿も非常に美しく、「一度遭ってしまったら人間でもゾクゾクするぐらい(競馬評論家・井崎脩五郎)」「歌舞伎町の女形のよう(写真家・今井壽惠)」とまで評され、トウカイテイオー以前のグッドルッキングホースの代名詞的存在としても知られる。
加えて追い込み戦法というレーススタイルもそれに魅せられた多くのファンを集め、19年ぶりの三冠馬ということもあって非常に人気も高かった。『馬なり1ハロン劇場』で知られる競馬漫画家のよしだみほは、シービーについて「まさにファンに愛されるために生まれてきたサラブレッドであり、1990年代の競馬ブームの下地を作った馬」と評し、JRAの広報誌『優駿』も「1980年代を代表するアイドルホース」としている。
「ルドルフは叙事詩、シービーは叙情詩。」と言われるほど、ドラマに満ち、そしてファンに愛された三冠馬であった。
なお、見出しに2代目とあるように初代もいる。
初代ミスターシービーは2代目が誕生する46年前の1934年生まれの同じく千明牧場所有の競走馬。
父はプライオリーパーク、母はフアーストストップ。
第6回東京優駿(日本ダービー)に出走し、同競走初の牝馬優勝馬となったヒサトモの10着。
その後は障害競走へ転向し、1939年秋の中山大障碍(現在の中山大障害)で3着という成績を修めた他、障害戦で4勝を挙げた。
ウマ娘のモデルとなった同名の別馬がいる競走馬は他にはゴールドシチーがいる(ウマ娘のモデルとなったのは初代のほう)。
史実で対戦経験のあるウマ娘
※強調はミスターシービーが先着したレース
- 83世代(同期)
・ゼファー憧れのウマ娘(※ニホンピロウイナー)…83年皐月賞
・シンボリルドルフ…84年ジャパンカップ 有馬記念 85年天皇賞(春)
※同期(83世代)に魅力的な馬も多く、近くの世代にウマ娘化している競走馬が少ない点が残念。
余談
未登場の心配
前述の通りほとんどコンテンツ内に登場せず多くのウマ娘にスポットが当てられるアプリ版においても姿をみせることがなかったため、一部トレーナーからは旧設定時点でいたものの姿を消した三冠馬たち同様に何か大人の事情があったのではと心配する声も上がっていた。
ヒミツの元ネタ
ヒミツ①に「エレベーターがちょっと苦手」とあるが、競走馬ミスターシービーの生産者及び馬主である千明牧場(ちぎらぼくじょう)は栃木県日光市にある華厳滝エレベーターを営業・管理している。小さいころからエレベーター(しかも一般的なエレベーターとは比較にならないほど大きい)がそばにあってに嫌気がさしたからか。
関連イラスト
関連項目
シンボリルドルフ(ウマ娘)・ナリタブライアン(ウマ娘):三冠ウマ娘。前者は84年、後者は94年の三冠馬。
ダイイチルビー(ウマ娘):モチーフ元が同じくトウショウボーイ産駒。
シダーブレード:史実の産駒「シャコーグレイド」がモデルのモブウマ娘、アニメ2期に登場。
ゲーム版
メインストーリー4章報酬のSSRナリタブライアンのストーリーにて名前だけテキストにて書かれていたものの本人は登場しなかった。
2021年8月20日(金)に実装となったエイシンフラッシュの育成シナリオで3dモデル付きで初登場。
ルドルフからの紹介で、日本ダービーに挑むエイシンフラッシュに心構えを説いた。
マンハッタンカフェのシニア機の初詣で下の選択肢(スキルpt獲得)を選ぶと過去のシービー(とルドルフ)の姿を見ることができる。
タマモクロスの育成シナリオでは、シニア級夏合宿終了後から天皇賞(秋)にかけて登場。
これは、タマモクロスの父シービークロスが、ミスターシービーと同じく千明牧場出身であることから来ている。また、2頭共に主戦騎手は吉永正人である。
晩秋イベントで実装された皓月の弓取りのシンボリルドルフの勝負服イベントにも登場した。
そこではルドルフは頂点に立つ者をいつかは狩ってみせると言った。その見上げる先にはミスターシービーが立っていた。
サクラチヨノオーの育成シナリオではシニア期の主要キャラ、出走キャラとして実装。シニア級の有馬記念で対決することになる...のだが、なんと対人要素であるチャンピオンズミーティング(当時のグレードリーグ)でも通用するレベルの超ハイスペックステータス+追込用スキル(所謂『ガチ構成』)を引っ提げて登場。新たなる有馬チャレンジとして立ちはだかる事になる。当然といえば当然だがゴルシモードなどの難易度が上がる期間限定イベントにおいてはさらに強くなる。
ダイイチルビーとは昔か親の付き合いで出たパーティーで何度も顔を合わせていた様子。あまり深く関わることはなかったようだがルビーが自分にできないことはしない、ということをよく分かっており一人で店番をすることになった彼女を心配するトレーナーにもそのことを伝えていた。
サポートカード
- SSR[Dear Mr. C.B.]ミスターシービー
2022年5月10日にアイネスフウジンの育成ウマ娘実装と共に実装されたカード。得意練習は賢さ。
練習性能が高くそれでいて得意率が50あり全てのイベントで絆が上がる。そのため素早く多く友情トレーニングをすることができ、シナリオ問わず高い効果を発揮することができる。
レアスキルに「強攻策」イベントでその下位スキルである「早仕掛け」そしてヒントで「直線一気」と追込の強力なスキルのヒントを取得可能。他にもイベントで「コーナー回復」ヒントで「尻尾上がり」「中距離コーナー」「末脚」「雨の日」と、人気スキル目白押しという圧巻のラインナップを誇る。さらにそのヒントを取得しやすくなる高いヒント発生率アップも持ちスキル面でも非常に優秀。
育成シナリオ「Make a new track!!〜クライマックス開幕〜」ではレースに多く出走するためレースボーナスが重要視される環境にあり、5%と低めの数値であったがそれを補ってあまりある練習性能とスキルの優秀さで高く評価された。
1.5thに追加されたつなげ、照らせ、ひかれ。私たちのグランドライブにおいても得意率の高さ、友情トレーニングの回数を増やしやすいことからこちらでも強力なカードとして扱われている。
カード名は直訳すると「親愛なるミスターシービー」。カードのエピソードは泥だらけで皐月賞を制した際に敗北したとあるウマ娘からの目線を描いたもの。もちろんシービーの同期は未実装なので、誰の語りであるかはファンの間で憶測を呼んでいる。
競走馬「ミスターシービー(2代目)」
'83年、菊花賞。
その馬は、「タブー」を犯した。
最後方から、上りで一気に先頭に出る。そうか…
”タブーは人が作るものにすぎない。”
その馬の名は、「ミスターシービー」。
才能はいつも非常識だ。「菊花賞」
「ターフの偉大なる演出家よ。」(ヒーロー列伝より)
父は1976年の皐月賞・有馬記念優勝馬で、同期のテンポイント・グリーングラスと共にTTGと称された「天馬」トウショウボーイ。
母のシービークインはオーナーブリーダー・千明(ちぎら)牧場の所有馬。オークストライアルの4歳牝馬特別(現在のフローラステークス)など重賞3勝を挙げた実力馬で、トウショウボーイやグリーングラスと同じ新馬戦でデビューしていた。
主戦騎手は吉永正人。母シービークインの主戦も務めた人物で、デビューから引退まで一貫して騎乗した。
当初シービークインにはトウショウボーイの父・テスコボーイを交配することが予定されていたが、種付け権が確保できなかったことからその産駒であるトウショウボーイとの交配に変更されたという経緯がある。本来シービークインを所有する千明牧場は、トウショウボーイが種牡馬入りしていた日高軽種馬農業協同組合(日高軽種馬農協)の規則でトウショウボーイの種付け権を取得できなかったが、トウショウボーイとの交配を望んだ牧場側と有力牝馬を求めていた農協側(当時トウショウボーイは種牡馬デビュー2年目で人気がなかった)の利害が一致し、特別に交配されることとなった。
- ただ、この交配は農協側の担当者の独断でもあり、当然これがバレた担当者は後で上司に盛大に叱責された。その後も担当者は、ミスターシービーが三冠を獲るまで農協内で肩身の狭い思いをしたという。
そうして生まれた「シービークインの1」は母と同じ千明牧場の所有となり育成が進められ、競走馬デビュー前に「千明牧場(Chigira Bokujou)を代表する馬」の意味を込め『ミスターシービー(Mr.C.B.)』と名付けられた。
↑菊花賞(実況:杉本清)
1982年11月にデビュー。
1983年に皐月賞・東京優駿(日本ダービー)・菊花賞を勝利し、セントライト・シンザン以来19年ぶり史上3頭目の三冠馬となった。父内国産馬が三冠馬となるのは初の事例であり、当時の優駿賞(現:JRA賞)最優秀4歳牡馬(現:最優秀三歳牡馬)および年度代表馬を受賞する。
翌年の1984年は蹄の状態が悪化したこともあり春は全休を余儀なくされるが、天皇賞(秋)を勝利して四冠馬となる。しかし、以後は1歳下の後輩三冠馬シンボリルドルフに対して1度も先着出来ず、翌1985年の天皇賞(春)5着を最後に脚部不安を生じて休養を余儀なくされる。
一度は復帰に向けて調教が再開されたが、骨膜炎を発症したことで現役続行が断念され、同年10月6日、東京競馬場において雨の中多くのファンが集まる中で引退式が実施された。
1986年に顕彰馬に選ばれ、父トウショウボーイと共に史上2組目の父子顕彰馬となった。
ちなみに母のシービークインは2番仔(父ハードツービート)が出産時のアクシデントで死産となった結果、事実上繫殖能力を喪失して不受胎続きとなり、シービー以外の産駒を残すことはできなかった。
そのため、2022年現在、シービーとルドルフを含む歴代の8頭の牡馬三冠馬(他はセントライト・シンザン・ナリタブライアン・ディープインパクト・オルフェーヴル・コントレイル)のうち、唯一きょうだいが存在しない三冠馬である。
引退後は社台スタリオンステーションで種牡馬入り。初年度産駒からヤマニングローバルなど重賞馬を3頭輩出し、その他にも2年目産駒からトウカイテイオーの同期でクラシック戦線で奮戦したシャコーグレイドを輩出したが、それ以降は目立った活躍馬を出せなかった。
加えて種付け料が高額(当時最高額の2000万円)だった上、トニービン、ブライアンズタイム、そしてサンデーサイレンスと輸入種牡馬が猛威を振るうようになったこともあって更に苦戦を強いられ、最終的にレックススタッドに移動した後、1999年に種牡馬としても引退した。
種牡馬引退後は功労馬となり、千葉県にあった千明牧場三里塚分場で余生を送った。放牧地は母シービークインの隣に設けられ、普通離乳以降は二度と再会することがない母仔が互いの姿が見える空間で過ごすという珍しい光景が見られた(ただ、シービー自身は再開したシービークインを母として認識できていなかったらしい)。
2000年12月5日、父トウショウボーイの死因ともなった蹄葉炎のため20歳で死去。その4年後の2004年、母のシービークインも老衰のため31歳で大往生を遂げた。
墓碑は三里塚分場内に建てられており、同分場が閉場した現在もそこで眠っている(なお墓参り自体は可能であるが、行く際は事前に、かつ可能な限り「競走馬ふるさと案内所」を閲覧し、マナーやルールを理解することを強く推奨する)。
先述したようにルドルフに一度も先着は出来なかったが、人気そのものはルドルフを上回っていた。容姿も非常に美しく、「一度遭ってしまったら人間でもゾクゾクするぐらい(競馬評論家・井崎脩五郎)」「歌舞伎町の女形のよう(写真家・今井壽惠)」とまで評され、トウカイテイオー以前のグッドルッキングホースの代名詞的存在としても知られる。
加えて追い込み戦法というレーススタイルもそれに魅せられた多くのファンを集め、19年ぶりの三冠馬ということもあって非常に人気も高かった。『馬なり1ハロン劇場』で知られる競馬漫画家のよしだみほは、シービーについて「まさにファンに愛されるために生まれてきたサラブレッドであり、1990年代の競馬ブームの下地を作った馬」と評し、JRAの広報誌『優駿』も「1980年代を代表するアイドルホース」としている。
「ルドルフは叙事詩、シービーは叙情詩。」と言われるほど、ドラマに満ち、そしてファンに愛された三冠馬であった。
なお、見出しに2代目とあるように初代もいる。
初代ミスターシービーは2代目が誕生する46年前の1934年生まれの同じく千明牧場所有の競走馬。
父はプライオリーパーク、母はフアーストストップ。
第6回東京優駿(日本ダービー)に出走し、同競走初の牝馬優勝馬となったヒサトモの10着。
その後は障害競走へ転向し、1939年秋の中山大障碍(現在の中山大障害)で3着という成績を修めた他、障害戦で4勝を挙げた。
ウマ娘のモデルとなった同名の別馬がいる競走馬は他にはゴールドシチーがいる(ウマ娘のモデルとなったのは初代のほう)。
史実で対戦経験のあるウマ娘
※強調はミスターシービーが先着したレース
- 83世代(同期)
・ゼファー憧れのウマ娘(※ニホンピロウイナー)…83年皐月賞
・シンボリルドルフ…84年ジャパンカップ 有馬記念 85年天皇賞(春)
※同期(83世代)に魅力的な馬も多く、近くの世代にウマ娘化している競走馬が少ない点が残念。
余談
未登場の心配
前述の通りほとんどコンテンツ内に登場せず多くのウマ娘にスポットが当てられるアプリ版においても姿をみせることがなかったため、一部トレーナーからは旧設定時点でいたものの姿を消した三冠馬たち同様に何か大人の事情があったのではと心配する声も上がっていた。
ヒミツの元ネタ
ヒミツに「エレベーターがちょっと苦手」とあるが、競走馬ミスターシービーの生産者及び馬主である千明牧場(ちぎらぼくじょう)は栃木県日光市にある華厳滝エレベーターを営業・管理している。小さいころからエレベーター(しかも一般的なエレベーターとは比較にならないほど大きい)がそばにあってに嫌気がさしたからか。
関連イラスト
関連タグ
シンボリルドルフ(ウマ娘)・ナリタブライアン(ウマ娘):三冠ウマ娘。前者は84年、後者は94年の三冠馬。
ダイイチルビー(ウマ娘):モチーフ元が同じくトウショウボーイ産駒。