曖昧さ回避
※うちはサスケ関連のイラストが大半を占めるため、「NARUTO」をマイナス検索するなど投稿作品の絞り込みを推奨する。
概要
『SASUKE』とは1997年からTBS系列で不定期に放送されている、視聴者参加型スポーツエンターテインメント番組である。
海外展開も行っており世界165カ国で放送、18カ国でSASUKEのフォーマットを採用して自国制作され、特にアメリカ版である『Ninja Warrior(ニンジャ・ウォーリアー)』は絶大な人気を博している。2013年にはマレーシアで初の世界大会が開催された。
過去には派生企画として女子限定の大会である『KUNOICHI』や、小中学生向けの『SASUKEJr』、体力自慢な高齢者向けの『SASUKEsenior』が放送された。
2022年に国際近代五種連合が2024年のパリ五輪を最後に除外される「近代五種」の「馬術」に代わる新種目として「オブスタクルスポーツ」という名称で『SASUKE(ninja warrior)』の導入を検討していることが明らかになる。
障害物としてSASUKE(ninja warrior)の一部セットが導入されるスパルタンレースのような種目になる模様。
そして1年後に、2028年に開催予定のロサンゼルス五輪の競技として採用された。
番組内容
毎回100名(一部の大会では欠場者やゼッケンを着用せずに出場した選手もいたため、100人でない回もある。)が出場し、「1st」、「2nd」、「3rd」、「Final」の4つのステージに分かれた様々な障害物をアクションゲームのようにクリアしていく巨大フィールドアスレティックス。
途中で池に落下したり、池の水面に体の一部が着水したり、コースアウト・タイムアップになるとその場でリタイアとなる。毎回何らかの新エリア設置、あるいはマイナーチェンジが行われることが多い。
ちなみに、1stと3rdの池は毎回土を掘って水を張っているが、2ndのみ緑山にある池にセットを建設している。
完全制覇者には賞金200万円(24回のみ車だった。)が贈呈される。(その理由は、SASUKEの出場選手のほとんどが一般人のため、民法令で決められた賞金最高額である。)しかし現在は番組内で賞金についての言及は全くされない。一応現在でも完全制覇者にはしっかり賞金は支払われているようだが、一攫千金という概念や金のためといった理由は初期の頃ならまだしも、長野誠が二人目の完全制覇者になる頃にはもはや番組コンセプトにあっておらず、そもそもそんな考えを持つ一般人では到底クリアできる代物ではなくなってしまった事が言及されない理由として考えられる。(ちなみに完全制覇者の森本曰く、賞金は合同練習の遠征費などで消えるらしい)
初期はタイトルの『SASUKE』の由来となった猿飛佐助のように、忍者のごとくバランス能力が試されるエリアが多かった。しかし、近年はバランス系エリアはごくわずかとなり、握力・腕力・脚力・体幹の強靭さなどを試されるパワー系エリアがステージの大半を占めている。(第19回〜第23回に至ってはバランス系エリアが存在しなかった。)
基本的には視聴者参加型の番組だが、様々なアスリートやスポーツ選手、更にはSASUKEに夢中になっている芸能人達も多数出場している。老若男女問わず大人気すぎるスポーツアトラクション故に、ジャパンのみならず世界中からの出場希望者は年々増加することはあっても減少することは全くない傾向にあるので、本戦出場権を賭けたプレ予選会もその都度開催されており、こちらも大盛況である。
また、バラエティ番組としての要素も有しているため、出場者100名の中には1stステージの最初のエリアすら全くクリア出来そうにない、盛り上げ担当のお笑い芸人など明らかな色物も出場していることが多く、阪急電鉄の車掌が気合いが空回りしていきなり落水したり、放射線技師が白衣のズボンを脱げずにヤケクソ状態で自爆して、カメラマンも巻き添えで池に落とすなど、予想できないハプニングが発生することもあった。
選手に配られるゼッケンはスタッフが決めており、出場者の順番は後半になればなるほど、またゼッケンの一の位が「1」の選手が有力選手となっており、例外もあるものの基本的にはゼッケン1番~60番は初出場の一般人や芸能人などの色物&大穴枠、61番~80番はクリアが期待できる実力者やアスリート、81番~100番はステージクリアが濃厚な本命選手が多い。特に100番は完全制覇に最も近い大本命選手扱いとなっており、出場者やファンからの期待と信頼を一身に背負っている。
第3回まではたとえ好成績を残していたとしても前回より若いゼッケンを与えられる事があったが、第4回以降は実績に応じてゼッケンが与えられるようになった。
(第18回ではゼッケン争奪マラソンの先着順にゼッケンを獲得するシステム、第25回は完全制覇者以外の選手は抽選でゼッケンが決められた。(その中の一部の選手は抽選で与えられるゼッケンが決まっていた。))。
SASUKEは競技の難易度の高さと、それに挑む出場者のノンフィクションドキュメンタリー人間ドラマも最大な魅力の一つである。
完全制覇を目指し自宅にSASUKEのセットを自費で組み上げ練習を積む者や、練習時間を確保するために転職する者、さらには練習に熱中しすぎる余り失職した者すらいる。
SASUKEは周りからの助言はあるものの基本的には誰の手も借りずにたった一人ずつ挑戦する孤独且つ己の戦いなのである。したがって、たった一人の完全制覇のために出場者同士が蹴倒し合う殺伐としたサヴァイヴァルレースには絶対にならないのが、不幸中の幸いでもある。
それ故に、誰かがステージをクリアすれば我が事のように喜び、誰かが池に落ちれば我が事のように落胆し時には涙を流すこともある。半端ない動きをしてクリアする人なら話は別だが。
仮に自分が池に落ちたりタイムオーバーで失格しても、「最後の誰かひとりがみんなを代表して完全制覇を是が非でも成し遂げてもらいたい」………というのが出場者全員の総意であり懇願でもあろう。
ここまで来るともはや賞金目当てや損得勘定で参加している雰囲気すら全くない。むしろ彼らはSASUKEそのものを愛し、SASUKEに人生そのものを捧げる愛すべきSASUKEバカたちである。SASUKEは(選ばれしプロアスリートも含み)有象無象なカタギの人間でも光輝き世界的なメガスーパースターにもなれるチャンスがある唯一無二な檜舞台でもあり、上記の理由から「名も無き男たちのオリンピック」とも称されている。
したがって、SASUKEは一テレビ局のスポーツイヴェント番組というカテゴリーをもはや超越し、文字通り本物のオリンピックを見据えた本格的なオリンピック競技へと変貌し進化してしまった。
さらに2024年からはオリンピックのみならず、SASUKEのためだけの世界戦「SASUKEワールドカップ2024」が緑山スタジオで8月21日に開催された。
主な参加国はジャパン・アメリカ・ドイツ・フランス・オーストラリアの五か国が中心としており、それぞれの精鋭達が国の名誉とプライドを懸けて、SASUKE史上初となる本格的なサヴァイヴァルレースに臨んだ。
有名なエリア
1stステージ
- 五段跳び
斜面状の足場4つを滑らないようリズミカルに超えていくエリア。
見た目簡単そうに見えるが、案外初見の挑戦者はここで転ぶことも。しかし山田勝己はこのエリアを得意としている。
初登場した第8回では雨の影響もあり、50人がリタイアした。
派生に「六段跳び」や「十二段跳び」など、数に物を言わせたものもあれば、足場の形を変形させた「ドームステップス」「クワッドステップス」や、最後の足場からロープに掴まる「ステップスライダー」が存在する。なお、現行の「クワッドステップス」以外は足場に手をつくと失格となる。
- ローリングヒル
第1回から第7回まで存在した「丸太登り(第1回は滝登り)」と、第1回から第4回まで存在した「丸太下り(第1回は滝下り)」をひと繋ぎにしたリメイクエリア。第31回大会から新設されており、第32回からは上記のクワッドステップスと直結している。
なお、上りの下にあるマットはエリアには含まれないため、そこに足が着くと地味なリタイアに終わる。
傾斜のついた5段の回転するローラーに飛びついてよじ登った後、逆ヴァージョンの下り坂を下りて対岸に着地する。
ローラーを回転させないようにつま先をしっかりと隙間に差し込んで登るのがコツだが、有力選手でもここでリタイアを経験している者は少なくなく、決して油断できないエリアである。
かつての「丸太下り」はジャンプで超えてしまう選手も多く、ローリングヒル登場した当初も良くあったが、安全の都合上現在では頂上からの直接の飛び降りは禁止されている(1番上のローラーのみ線が黄色になっており、線が青いローラーから飛ぶ必要がある)。
- ローリング丸太
第3回大会から新設され、長く初見挑戦者を振り落としてきた「急転直下の拷問車輪」。
第2回大会でFINAL進出を果たした田中光を初め、多くの有力選手を潰した最初の壁である。(第3回では41人、第11回では40人もの選手を沼地に吸い込んでる。)
丸太は脱線、回転が止まる、回転せずに滑ることが良くあり、第5回大会では山田勝己が挑戦した際に勢い余って対岸で丸太が脱線するも、奇跡的に水しぶきを回避。スローVTRの結果で体が着水していないことが確認されたため、1stステージクリアとなった。
このエリア以降、「しがみつき」や「回転」をイメージしたエリアが必ず一つは設置されるようになる。
因みにオールスターズレベルになると、この程度は完全に通過点だったりするが、第6回の山本進悟はこのエリアでまさかのリタイアを喫してしまった。実際回転力は凄まじく、第25回大会で初体験で漆原裕治が目を回した。
派生としてレールに段差が追加された「三段ローリング丸太」と側面に張り付く「ローリングエスカルゴ」が存在する。
第25回を最後に登場していなかったが第37回の2ndステージの新エリア「ローリングログ」として復活予定だった。しかし、悪天候の影響で見送りとなり、正式な復活は第38回からとなった。
ちなみにローリング丸太が登場していた全大会での1stの床の色は緑色だった。
- 揺れる橋
第1回〜第7回まで設置されていた元祖バランス系エリア。
真ん中に突起があるベージュの橋をテンポに乗せて進んでいくエリア。第4回の山本進悟はここでリタイアした。
元々は第5エリアだったが、第3回からは第3エリアに移動し、1stの第3エリア=バランスエリアの概念が誕生した。
KUNOICHIにも登場していたが、こちらは「シェイキングブリッジ」という名前だった。
- クロスブリッジ
第13回〜第17回まで設置されていたバランス系エリア。
灰色の十字の形をした橋をバランスを取りながら進んでいくエリア。有力選手でいうと第13回のなかやまきんに君の落水、第15回の山田勝己のコースアウトがある。
第8回以降比較的リニューアルされやすかったバランス系エリアの中でこのエリアは5大会設置されていた。理由としてはこのエリアをクリアした後はジャンプハング(第17回のみサークルスライダー)であり、段差から下りる選手の顔を映せたからである。
第24回では派生エリアである「エックスブリッジ」が登場した。
- サークルスライダー
第17回と第25回に登場。直径1.8mのサークルにしがみついて滑空の勢いを使って対岸へ着地する。(着地を躊躇ってしまったために勢いが殺され、対岸へ飛び移れずに落水した選手もいた。)
トランポリンエリアがメインのSASUKEでは珍しくロイター板を使うエリア。
第17回では秋山和彦、第25回では田島直弥、長野誠がリタイアしている。(第17回の長野誠はサークルに飛びつけたが、それでもギリギリだった。)更に今では常連組となっている又地諒、川口朋広、日置将士もこのエリアでリタイアを喫している。
- ロッググリップ/ロググリップ
ローリング丸太と異なり、しがみついて衝撃に耐えるエリア。第18回から第25回までは丸太に丸い凹みが数カ所あった状態での登場、しかし当時高校生だった佐藤惇はなぜか浅く作られていた一番上の凹みを掴んでしまったために現状唯一の1stリタイアとなってしまった。
そしてロググリップに名前とデザインを変えて復活した第29回から第31回まではローリング丸太と同じ丸太に平行な突起を掴む。
派生エリアとしてスパイダーウォークの要領で二枚の板の間にへばりつく「タイファイター」「ウイングスライダー」、布を掴んで狭い足場に着地する「シルクスライダー」がある。
- スクリュードライバー
第42回大会放送にて判明した新エリア。斜めになっている足場を走り回転する棒に飛びつく、ハーフパイプアタックやバタフライウォールが合体したようなエリア。
- ジャンピングスパイダー
第18回から第27回(第25回を除く)まで設立されたトランポリンエリア。2ndのスパイダーウォークが1stに移動した。トランポリンを踏んで大の字になって茶色の壁に張り付き、そのままガラス張りのスパイダーウォークを進むエリア。1度クリアしたことのある選手でもこのエリアでリタイアすることが多く、山田勝己、髙橋賢治、長野誠、ワッキー、佐藤弘道は複数回このエリアでリタイアしたことがある。なお、ジャンプハング同様、トランポリンの先の黒いマットはエリアでは無いため、そこに落ちると失格になる。このエリアでのリタイアは茶色の壁に張り付けずに落水する選手がほとんどであり、スパイダーウォークでの道中でリタイアしたのは第18回の白鳥文平などほんの数人。例え張り付けなくても黒いマットに落ちなかったり落水しなければやり直しできるエリアであり、第19回の南誉士広や第26回の漆原裕治がそれに該当する。第25回ではジャンプハングに戻されたことで第1回から続いていたスパイダーウォーク系のエリアが消滅した。第28回で2ndに戻り、ジャンピングスパイダーの面影を残す壁の配置となった。
余談であるが山田勝己がこのエリアでリタイアした4回中3回はSASUKEオールスターズが1stで全滅していた(残りの一回もオールスターズのクリアは長野だけで、総クリア者もたった3人だった。)。
- フライングシュート
第18回〜第21回まであったエリア。滑り台を滑って横に吊り下げられたロープを掴んで後ろのネットに掴むエリア。なお、池にはリタイア時の衝撃を和らげるために青色の網が敷かれている。
なお、このエリアに最初に挑んだのは小林信治である。
第19回ではロープの高さが高くなったことで後半選手のリタイアが相次ぎ、あの長野誠すらも沼地に引きずり下ろす結果になった。
第21回ではロープが短くなり、掴んだ衝撃で1回転して落水した選手がいた。
SASUKEオールスターズの山本進悟はこのエリアに苦手意識を持っており、1度もクリアできないまま撤去された。
- スライダージャンプ
第22回にフライングシュートに変わる新エリアとして初登場。ストッパーがかけられているバーを掴んで勢いよく滑ってネットへと掴むエリア。当時完全制覇の大本命として目されていたリーヴァイ・ミューエンバーグが飲み込まれたことのあるエリアであり、長野誠が1stで最も苦手意識を持ってるエリアでもある。第22回ではバーを順逆で握ったことで勢いを出せずにリタイアした。第23回もネットへ掴めず落水したが、落水後長野が「ロープが止まったよ」と抗議して、VTRで確認したところバーがレールの奥まで滑っていないことが発覚。原因はスライダージャンプのバーを戻すためのワイヤーが絡みついたことだった。これにより長野誠は1stを再挑戦することになり、2度目の挑戦で1stクリアを果たした。
- スピンブリッジ
紐で吊るされた4個のボールをバランスを取りながら進んでいくエリア。『VIKING』という番組に登場した「キャノンボール」とほぼ同じ。山本進悟、髙橋賢治、秋山和彦、橋本亘司らが飲み込まれた。第27回は第7エリア(そり立つ壁の直後)に設置されていたが、第28回ではローリングエスカルゴの直後の第3エリアに移動されたため、難易度が増した。
また、ボールの色は第27回は赤寄りの茶色だったが、第28回ではグレーになっていた。
- フィッシュボーン
女性版SASUKE『KUNOICHI』で初登場した、回転する突起を避けながらを小さな足場を渡るバランスエリア。第33回から登場。
抜けられるタイミングが少なく、熟練の挑戦者でも度々不覚を取るエリアである。
派生というより旧型としては突起だらけの回転するローラーを抜ける「ヘッジホッグ」が存在する。
2ndステージに登場していた5つのハンマーを避けながら平均台を渡る「5連ハンマー」もコンセプト的に近いかもしれない。
リニューアルが多く、第34回、第35回に2本ずつ追加され、第37回からはフィッシュボーン改となり、足場が6つに増え後半は逆回転するようになり、ワールドカップではさらに2本追加された。
なお、足場を飛ばしてショートカットする事は禁止されており、第38回で竹田敏浩が最後の足場を飛び越えて失格となり、同大会で全カットした選手でも同様の失格となった選手が続出した。
竹田「知ってたらわざとでも踏んでたよー」
また、ポールにしがみついてしまうと生き残っていても失格になるが、第37回大会ではその時に突起が折れた事例がある。
海外版のSASUKEには電動で動くエリアが無いため、SASUKEワールドカップ2024に出場した外国人選手のほとんどが最も警戒していたエリアである。
- ツインダイヤ
第41回から新設。山田勝己、岩本照、東村芽依をはじめ、設立時に21名をも緑山の沼地に引きずり落とした難所で、「風雲!たけし城」に登場したエリア「ブロックブロック」の逆輸入である。ワールドカップでは、最速タイム最有力候補のレネ・キャスリーを落とす大波乱の展開になった。
反時計回りに回転する2つ菱形のオブジェクトを渡っていくシンプルな内容。前エリアのフィッシュボーンと同様、タイミングが重要で唯一鈍角の頂点から跳んでクリアしたオーストラリアのアシュリン・ハーバート以外は全員鋭角の頂点から跳んでクリアしている。
この回るスピードは結構早く、足をばたつかせたり手をついてバランスをとる者もいるなど見た目よりバランスを崩しやすい。そんな中でワールドカップ参加時52歳の長野誠がこのエリアを歩いてかつ一切手を使わずクリアし、視聴者と選手を驚愕させた。
第5回から新設された難関。
トランポリンを飛んで先のネットにしがみつくという難しいエリアで、第6~8回では完全制覇者の秋山和彦を3回連続でリタイアに追い込んだ。なお、第7回のみネットの位置が低くなっていて攻略しやすく、第2期に出場した選手で、第7回のみジャンプハングをクリアできて、それ以外の大会ではクリアできなかった選手もいた。
第13回ではネットがロープになった「ジャンプダングル(オンエアでは「ジャンプハング」のまま)」が登場したが、掴んだ時に勢いを利用してそのまま対岸に着地できてしまったため第14回からネットに戻された。第18回で撤去されたが、第25回で復活。以前と比べてネットの位置が低くなっていた。
SASUKEオールスターズは全員がリタイアした経験を持つエリア。(山本進悟は旧ジャンプハングで着水、白鳥文平はジャンプハング改でのリタイア。)
トランポリン系のエリアは、第28回から第31回までは左右にネットが分かれて掴みにくくなった「ジャンプハング改」、第32回から第34回まではブランコ状のバーに掴まった後に円柱に飛び移る「ダブルペンダラム」を経て、後述の最新式に進化している。
第35回から登場している現在のトランポリンエリア。後述アメリカからの逆輸入であり、最初のバーの下りで強烈なG(速度)がかかる上、そこから2本目に飛び移らなければならない。
しかも途中でバーが脱線したり、1発で2本目に移れないと構造上クリアがほぼ不可能という鬼畜仕様で、初見でこれに嵌ってしまった竹田敏浩は逆上がりしか出来なくなった。
後述のそり立つ壁と並ぶ1stの難所エリアであり、山本進悟、長崎峻侑、菅野仁志などの有力選手達も苦戦している。
- タックル
第31回から新設されたエリア。過去に2ndに設置されていたタックルマシンの強化版であり、240kg、300kg、320kgの計860kgの壁を押し進んでいく。初登場の第31回ではほぼ半分の140kg、160kg、180kgの計480kgだった。
なお、女性選手の場合は通常の半分の重さ(120kg、150kg、160kgの計430kg、第31回のみ70kg、80kg、90kgの計240kg)となる。
押し終わった後はそのタックルを登る必要があるがその時が意外と辛いらしい。
ここで足腰のスタミナを削られ、続くそり立つ壁で涙を呑む挑戦者も多い。特に初登場時の第31回大会ではそれが顕著であり当時の最有力選手でありゼッケンも98~100で非常に期待されていた長野誠、漆原裕治、又地諒を3人連続でそり立つ壁で沈ませる要因となった。
SASUKEの代名詞とも言うべき1st最大の難所エリア。
第4回までは「そそり立つ壁」という名の急斜面の坂だったため、時間さえ気にしなければ端を掴んで登ることも出来たのだが、現在は反り立った斜面を駆け上がって天辺を掴まなければならない。垂直跳びをイメージさせるエリア。
第19回以降はそり立つ壁の中央に床と同じ色のタイルが一直線状に貼られた。
嘗ては女性選手や中学生、50代の選手が挑戦する時は高さが1m低くなっていた。
身体能力のほかにコツが必要で、多くの挑戦者は実際にセットをこしらえて修行に励んでいる。
派生として高さの異なる2つの壁を連続で登る「2連そり立つ壁」や、壁の上にロープが付いた「グレートウォール」といったエリアが存在する。
選手の中には駆け上がって体を回転させながら天辺を掴んだり、天辺で体を反転させてバックフリップ(日本で言う逆上がりに近い)しながら登ったりしていた。
なお、一発勝負が基本のSASUKEのエリアでは1回ミスしても時間があれば再挑戦ができる珍しいエリアである。
SASUKEワールドカップでは3回という挑戦回数制限が設けられた。
なお、SASUKEオールスターズと完全制覇者全員が1回以上このエリアでリタイアしている。(山本進悟は本戦でのリタイアは無いが、第13回前に行われたSASUKEトライアルで雨に濡れたそり立つ壁を登れずタイムアップとなった。)
新世代組では長崎峻侑以外の全員がリタイアした経験を持つ。(日置は放送された出場回でのそり立つ壁リタイアは未だに無いが、全カットされた第26回ではそり立つ壁でリタイアとなっていた。)
2ndステージ
- ローリングログ
第37回では安全上の理由から見送られ、第38回から正式に2nd第一関門として登場。
かつて1stで猛威を奮ったローリング丸太のリニューアル版で、以前の物と比べ丸太の直径が小さくなっており、容赦の無い遠心力が三半規管を直撃しスタミナを奪うエゲツないギミックに進化している。
一番キツいのが、ローリング丸太の時より回転数が2倍である事。
長すぎると判断されたのか第39回からはスタート地点が前に出されて回転数が減少した。一方、第41回では何を仕掛けたのか回転数は変わらないがとんでもないスピードで回るようになった。
第18回から登場した横長のバーを両手で掴み、縦に続く突起を1段ずつ引っ掛けながら上がっていく、「鮭の滝登り」。
それまで2ndはタイムアタックという概念をひっくり返した難所で、第19回では1stを生き残った2人を叩き落としたトラウマエリア。
第1形態時の第23回までは8段目まで上がった後、レールを滑る「スティックスライダー」があった。
派生型として飛び移る箇所が二つになった「ダブルサーモンラダー」と、1段ごとに身体を反転させて交互に飛び移る「スワップサーモンラダー」が存在していた。
なお、腕以外で体重を支えると失格になるルールがあり、第23回ではある挑戦者が突起を足で引っかけたことにより、失格となった。
「スワップサーモンラダー」はバーが傾くと安全の問題から失格になるルールがあり、第30回では相次いだ。
現在は2ndとFINALの2つのステージに設置されており、2ndでは上りと下り。FINALでは15段の登りという非常に長いヴァージョンが存在している。
- スパイダーラン(旧・スパイダーウォーク)
第1回から登場している定番エリア。2枚のアクリル板の間を突っ張って進む。
初期は壁が8枚やたら長い上に道中「動く壁」があり、主に時間の面でチャレンジャーを苦しめた。
第7回〜第17回はアーチ型の「スパイダーウォーク改」となっている。この形式では手袋を外して挑まないと失格になるというルールがあり、スパイダーウォークに挑む前には必ず手袋を外しておかなければならない。第12回の山田勝己は手袋を外し損ねてルール違反となり失格となった。
ちなみにこの形式でのスパイダーウォークリタイア者は全員下りでの落下であり、過去2つの形式でリタイアした山田勝己はこの形式のスパイダーウォークでのリタイアは無い。(前述の手袋事件での失格はあるが、リタイアと失格は別扱いということを忘れずに。)
第30回からは1.8m下に「スパイダードロップ」が追加されたが、完全に無視して攻略することもできなくはない。
1stにジャンピングスパイダーが設置されていた間は登場しなかったが、リニューアルが実施された第28回からは再び2ndに設置された。(壁の形状はジャンピングスパイダーと同じ。)
株式会社ゴールドエッグス(番組の制作を一時期担当していた樋口潮がのちに立ち上げた会社)がTBSや総合演出の乾雅人に黙って商標登録を申請したため、第40回大会から「スパイダーラン」に名称変更がされた。なお、申請は「スパイダーウォーク」が普遍的な名称であるとして拒絶されたというが、エリア名は戻されていない。
- チェーンリアクション
第7回〜17回まで設置されていたエリア。現在の2ndにおける、スタート地点から低い地点へ着地するコンセプトが着けられた最初のエリア。1本目のチェーンから滑った後に2本目のチェーンに移った後、壁を蹴って対岸へ飛び降りる。このエリアで脱落したのは5人であり、そのうちの4人は1本目のチェーンの反動による影響でリタイアとなっている。なお、危険防止のため、このエリアでは手袋の着用が義務付けられているが、第9回の山田勝己は手袋を着用せずに挑んだ。
第18回でダウンヒルジャンプというエリアに変更されたが、チェーンリアクションで2本目に移る際の壁が奇跡的に残されていた。
- バランスタンク
第10回で五連ハンマーの代わりに新設されたバランス系エリア。KUNOICHIの「円柱乗」のリメイク。十二角形のタンク筒をバランスを取りながら進んでいく。第11回では山田勝己、第14回では白鳥文平を飲み込んだ。第16回で一時的に撤去されたが、第17回で復活。第18回で再び撤去されたが、第24回に新形態として復活した。対岸の位置が高くなり、ロープを掴んで登っていかなければならなくなった。なお、第24回ではロープの下には足場が設置されていたが、第25回では撤去されており、山本進悟がロープを掴みきれずにリタイアしている。
なお、2ndではスパイダーウォークとサーモンラダー以外で唯一複数の形態を持つエリアであった。
- メタルスピン
第14〜27回まで設置されていたエリア。鉄製の円盤からぶら下がるゴム製の紐に飛び移り、その反動と遠心力で向こう岸へ渡る。(初登場の第14回ではロープにチェーンが着いてなかった。)
山本進悟曰く「脇を閉めないと振り落とされる」ほど反動が強いらしく、実際脇を閉めなかった選手はほぼほぼ落下している。片足跳びが定石のエリア(第17回のナレーションから)だが、山本は両足飛びで全勝。
第15回大会で、あの長野誠を落としたエリア。
小笠原「さぁメタルスピンだ 飛びついていった〜 なんと〜!!長野誠〜!! 何があったんだ〜!!」
そのためスタッフ間では重宝されていたらしく、第18回のリニューアルでは唯一残されたエリアだった。長い間長野に対する嫌がらせの如く設置され続けて、他の挑戦者が多大な被害を受けた一方で、長野はその後一度も失敗しなかった。(実際、長野のリタイアが無かったら第18回で既に撤去されていただろう。)
サーモンラダーが登場してからは陰に隠れがちだったが、第22回からは第25回を除いて毎回脱落者を出した。
第16回と第27回では多くの挑戦者を飲み込み、第27回ではあの森本裕介がリタイアしていた。
SASUKEオールスターズでは山田勝己のみこのエリアに挑戦しておらず、完全制覇者では漆原のみリタイア経験が無い。第28回で撤去された理由は総合演出として復帰した乾雅人がクラゲが宙に浮いているみたいだから嫌いとのこと。
第28回から新設された、史上初の水泳エリア。水に落ちたらリタイアというSASUKEの概念を覆したエリアであり、サーモンラダーに続く難所として知られる。
8メートルのプールを逆流に抗いながら泳ぐため、体力を根こそぎ持っていかれる難所。
漆原裕治の2度の完全制覇を受けて、彼が苦手な運動にその名を挙げていた水泳が導入された(総合演出の乾氏によれば、構想自体は第1回からあった模様)。
なおその後に滑り台があるが、そこで勢い余ってコースアウトしないように注意する必要がある。
第1回から登場しているエリアで、旧称「逆走コンベア」。「逆走コンベア」としては第13回まで登場しており、第14回から前述の「メタルスピン」に変わった。
第32回で「リバースコンベアー」として復活して以降は、前述のバックストリームの後に挑戦するため、水滴によって滑ることで難易度を更に増した。
また、コンベアが稼働しない両端のスペースに足でストッパーをかけて進むのはルール違反であり、第36回ではこれをした森渉が失格になっている。
なお、コンベアの最後部には水(第34回はマット)が用意されており、初めて落下した荒木直之の名をとって荒木専用池と呼ばれているが、実際には第41回を除いて毎大会落下者が現れている(岩本照、才川コージなど)。
初登場時の名称は「WALL LIFTING RUN」。30キロ、40キロ、50キロと順に重くなる壁を持ち上げてゴールに突き進む最終エリア。別名「殺人シャッター」。
かつては(主にオールスターズのメンバーが)最上段まで上げて片手で支えてみたり、ボタンを押す前にバク転を決めてみたりパフォーマンスの場ともなっていたが、前述の2エリアが追加されてからは、文字通り死に物狂いの最終関門と化した。なお、第7回までは3枚目の壁を持ち上げた後、ゴールゲートを通過して赤いマットに身体を乗せればクリアだったが、時間ギリギリでのクリア者が多かったり時間切れで閉まったゲートに身体を強打する選手が続出した為、第8回からはボタンを押してクリアするようになった(ルール変更の煽りを受けてボタンを押し忘れてリタイアになってしまった選手が出たりもした)。
初登場から概念や仕様が一切変更されていないエリアであるが、壁のデザインは逐一変更されており、第12回までは黄色の壁に茶色の縦縞でアラビア数字の1・2・3、第13回〜17回は黒の壁に銀色の縦縞、ローマ数字のⅠ・Ⅱ・Ⅲ、第19回〜27回は木製の壁になり、数字の表記は無かった。第30回〜34回はパッシングウォールと同じデザインの壁になった。第35回以降はグレーの壁の上に黄色の横縞、右下にアラビア数字の1・2・3が描かれている。
また、初期は持ち上げるとすぐに落ちるため潰される危険があった。そこで下に空白を開けた結果ほぼ持ち上げずに潜ることが出来てしまい、バックストリームが導入された28回からその手法でクリアする挑戦者がほとんどになってしまった。そのため今は空白を完全に無くした代わりに、しっかりと持ち上げれば一定時間は落ちないようになっている。また、第21回以降は3枚目とゴール地点の距離が伸びた。
派生エリアとして1枚目と3枚目の壁は従来通り壁を持ち上げるが、2枚目の壁は左右にこじ開けて進む「パッシングウォール」が存在した。(この時のデザインは旧漢数字の壱、弐、参だった。)
3rdステージ
- ランブリングダイス
第9回〜第15回と第28回〜第30回に設置されていた3rdのスタートエリア。鉄骨で出来た直方体のダイスを転がしながら進んでいくエリア。第2期では高さがあったため、ジャンプしてからスタートさせていたが、第28回〜第30回は手を伸ばせば届く距離になっていて、ダイスを先に進ませてから攻略する選手もいた。
脱落者は第9回の山本進悟と、第14回の山口康輔の2人のみで、2人共着地ミスによるリタイアである。
- フライングバー
サーモンラダーを横に倒したような、バーで先の皿に飛び移っていくエリア。第25回では「バージャンパー」という名前だった。
当初はグライディングリングに代わる最終エリアとして登場したが、誰も到達できなかったため飛ぶ回数を減らして前倒しにされ、今では初回エリアになってしまった。(3rdのエリアで最初と最後のエリアになったことのある唯一のエリアとなった。)今はサイドワインダー改と直結している。
第6期で復活直後は予想外に猛威を振るい、特に第33回はあの森本裕介を含む日本人選手4人全員を飲み込んだ。そのせいか第34回以降は皿のサイズ拡大と滑りにくい素材に変更したため、難易度が低下しているが、元々最終エリアとして作られていたエリアであるためそれでも初回エリアとしてはかなり難しく簡単になってからも定期的に脱落者を出している。
日本人選手は1回1回のジャンプを慎重に攻略することが多いが、海外の選手の中にはノンストップでサイドワインダーまでたどり着くもの(第41回のレネなど)や1つ目の皿から一つ飛ばして3つ目の皿まで一気に飛ぶもの(ワールドカップのアシュリン)があり、視聴者や実況、他の選手を驚かせている。(上記の行動をしても失格にはならない様子。)
旧型としては固定されたバーにぶら下がって飛び移る「ジャンピングバー」が第14回から第24回まで登場していた。(後述)
- ボディプロップ
第5〜17回まで設置されていたエリア。平行に設置された二つの壁に手足を突っ張りながら進む。
竹田敏浩やケイン・コスギもリタイアに追い込まれたことのある難所だが、選手の身長に合わせて間隔が調整される都合上身長の申告次第で有利不利が発生してしまうため、第3期から撤去された。
なお、第17回では完全制覇の大本命と目されていた白鳥文平がまさかのリタイアを喫し、その場にいた全員と白鳥本人も驚きを隠せなかった。
長野「SASUKEは魔物だ魔物が棲む」
ちなみに白鳥は前回最優秀成績者だったにもかかわらず、この回で与えられていたゼッケンは81であった。どうやら2人以上完全制覇者を出さないように序盤の選手がボディプロップで落ちやすくなる設定になっていたという噂があり、3rdに確実に行く白鳥にあえて81番のゼッケンを与えたかもしれない。
第35回から第38回までは進化型の「プラネットブリッジ」が登場していた。こちらは足元の壁が電動で前後に動くが、挑戦者と他エリアのインフレには勝てなかったようで一人目の挑戦だった日置将士以外誰も脱落せず森本裕介の二度目の完全制覇後に後述のスイングエッジと交換された。
- ランプグラスパー
第9回〜第12回まで設立されていたエリア。14個の電球を1個1個掴みながら前へ進んでいくエリア。中田大輔にとっては最も因縁のエリアでこのエリアで3連敗を喫した。脱落者は中田大輔と第9回の竹田敏浩のみであり、第13回ではカーテンクリングというエリアに変更された。
なお、第19回〜第23回は下りランプグラスパーとなって再登場したが、脱落者は現れなかった。
- サイドワインダー
第31回で初登場したエリア。成人男性が腕を回し切れるか否かの太さのポールにしがみ付き、1.8m離れた別のポールに飛び移り、ポールは4本ある。この形態での脱落者は存在しなかった。
第31回ではジグザグ型に配置されており、飛び移ってから次の飛び移りに向かうまで、およそ120度の移動で済んでいたが、第33回以降は直線に配置され180度の移動を必要とする。
また第32回以降は、4本のポールのうち2本目と3本目のポールはしがみ付くと降下して衝撃が加わる仕様が、第39回以降は、1本目と3本目が常時回転し、2本目は引き続きしがみ付くと落下する仕様に変更され、難易度を増している。
ちなみに、このエリアの正式名称は「サイドワインダー・R」となっておりRは考案者であるSASUKE新世代のRyo Matachi(又地諒)のことで選手として現役の又地が考案したエリアとなっている。
- スイングエッジ
第39回で新設されたエリア。Xのような形状のバーに順手→逆手→逆手と飛び移っていく。アメリカ版のFalling Shelvesというエリアが原型である。
一見単純にも見えるが、二本目と三本目を必ず逆手で掴まなければならないため、従来にない動きを要求される。さらに赤い突起部分以外を掴むのは反則であり、このルールで第39回では伊佐が失格となった。
初登場時は梶原は初見でクリアするも、その後良幸、伊佐が立て続けにリタイアし、これを目にした日置に「こんなんクリフハンガー前に置いちゃ駄目でしょ!」と言わしめた。
また、一本目から二本目に飛び移る際に休憩地点の足場につま先が当たるとバランスを崩し落水する(第39回の又地、第40回の伊佐が該当)。
それを受けてか、第41回からは足場の中央部分が無くなった。しかしその影響で今度はサイドワインダーに足が当たる可能性が生じ、ワールドカップでは山本桂太朗がそれが原因で落ちている。
第4回で初登場し、3rdステージの代名詞として知られる究極の難所エリア。ここで辛酸を舐める挑戦者も多い。
長さ3センチという僅かな突起に指を引っ掛け、空白を避けながら横に進んでいく。
完全制覇後に大幅なリニューアルが施されることで有名なエリアで、大抵初お目見えの時はここで挑戦者が全滅する「クリフ無双」となる。
海外では少し太く5センチ程度であるために現地で完全制覇成し遂げた猛者ですら苦戦を強いられ、背面飛びが実装されたクレイジー以降ではドリューとレネしかクリア経験者がいない。
当初は2つの空白を交わしながら真横に進むものだったが…
- 2つ目の空白が上り段差になった段差型クリフハンガー
- 上り段差が生まれ、下り段差が増えたクリフハンガー改
- 突起が傾いた上、1mの間隔を飛び移る新クリフハンガー(この形態から飛びつきで掴みやすくなるように突起の先端が前に出ている。)
- 長さが倍増したアルティメットクリフハンガー(突起数は最多となる6本。また、この形態から突起の色が赤で固定される。)
- 1.8mの背面ジャンプを強いられるクレイジークリフハンガー
- 2つ目のジャンプ先が上下に90cm可動するウルトラクレイジークリフハンガー
- 上下だけでなく前後に可動する箇所ができたクリフディメンション(旧・クリフハンガーディメンション)
と、多くのリニューアルが重ねられた。
現行の3rdで用いられているクリフディメンションは、2本目の突起が上下に90cm、3本目の突起が前後(プレイヤーから見て遠近の向き)に90cm可動している。これらの可動周期は毎大会異なる。第41回及びワールドカップにおいてはおよそ20秒の周期で可動していたため、最も背面跳びしやすいタイミングは20秒に一度しか訪れず、僅かでもズレると飛距離が合わなくなり落下してしまう。
クリフディメンションはスパイダーランと同じく、商標登録の影響で名称が変えられた。
3rdでは基本的に第4エリアに設置されているが、第27回〜第29回では第3エリアに設置されていた。
- ジャンピングバー
第14回〜第24回まで設置されていたエリア。
3大会連続でFINALに進出した長野の影響を受けて、凶悪リニューアルがなされた3rdの後半エリア最初の鬼門。初登場の第14回では後半の新エリア3つの内、このエリアのみ新エリアとして紹介されていた(残りはそもそも名前自体なく、どちらも次の回から名前がついた)。
1.6m間隔の6本のバーを飛び移りながら進んでいくエリア。
第16回からはバーが4本に減り、第3期のSASUKEの後半エリアではリニューアルされることなく唯一残されたエリアとなった。第18回からは助走して飛びつかないと1本目のバーに届かなくなった。第25回〜第27回ではこのエリアの派生エリアであるジャンピングリング(初登場時はスイングサークル)が登場した。
上から突き出ている横の奥行きの幅1cmの突起に、逆手のように指を引っ掛けて横に移動する。クリフハンガーよりも短い1cmの突起には指の第一関節すら掛からないため、常人は1秒耐えることすらほぼ不可能である。
初登場した第28回から第30回までは、ただ直線を横移動するだけであったが、第31回では1つ目の空白が、第32回からは2つ目の空白が追加された。1つ目の空白では30cm奥へ、2つ目の空白では60cm奥へ移動する。
ここをクリアした後はブレイクゾーンの緑色のパイプへ乗り移り休憩出来るが、グリーンバーが突起よりも上にあるため、手を伸ばすか足を思いっきり上げて足を絡めないと休憩できない。尚、第32回から第34回まではウルトラクレイジークリフハンガーから休憩無しでの直結、第33回大会ではパイプスライダーへも直接移動する仕様であった。あまりの難易度であったので、第35回からはクリフとバーチ、バーチとパイプスライダーの間にブレイクゾーンが作られた。
第41回からはバーティカルリミット.BURSTにリニューアルされた。30cmと60cmの空白はそのままに、従来のレッドゾーン(3本目と4本目)と、自重で回転する仕様が追加されたイエローゾーン(1~2本目と5〜6本目)の組み合わせとなった。
特に2回目のイエローゾーンの回転が猛威を奮い初登場の第41回では挑戦者を全滅に、続くワールドカップでは唯一の挑戦者となった森本を2連敗へと追い込んだ。
つまり未だ人類がクリアできていないエリアである。
なお、森本のクリア経験がないエリアで2度リタイアさせたのは、このバーティカルリミット.BURSTのみである。
2本のパイプの上に乗った横向きのパイプを動かし、ゴール地点に飛び移る、天国と地獄を分ける最後の審判。
第2回で初登場。第13回まではレールが2本構成だったが、第14回からは前述のジャンピングバー等のエリアの設立により前半部分が撤去された。第17回を最後に一度撤去されたが、第28回から後半部分のみ復活している。
初期はゴール地点がレールの終点にあり、そのまま体を振って少し足を伸ばすことでクリアできていたが、第3回で5人のファイナリストを出したことにより、第4回からはゴール地点が離されるようになり、ゴール地点へと飛び移る動作を要求されるようになった。
ゴール地点に飛び移るためには、バーを支点にして体を振る必要があるが、振りすぎると反動でバーが後退するという理不尽な難しさになっており、のちの完全制覇者である長野や森本も3rd初挑戦時はこれに阻まれてFINALを逃した。
かつてはクリフハンガーを差し置いて3rd最難関と言われており、その頃は到達者の大半がオールスターズでもちろん落下者の大半もオールスターズだった。
バーが外れるとその時点で失格だが、第4回で3rdに進出したトラビス・アレン・シュレイダーはバーが脱線しながらもワイヤー2本から宙吊りの状態になりながらも無理やりバーを進行させ、さらにゴール着地も成功させていたとか。(バーが脱線したのは前半部分で、後半部分はオンエアされていない。)そのため現在はパイプを吊るすワイヤーが1本になっており、脱線するとバーごと落ちるようになっている。
似たようなエリアとして輪にぶら下がって滑降する「グライディングリング」と途中にある段差を超えて前進していく「バーグライダー」がある。
なお、大会によってパイプスライダーのバーの色が赤だったりオレンジだったりする。
FINALステージ
- スパイダークライム
第2期・第5期・第6期のFINALで登場。開始の合図と共に、スタート地点から壁に手足を突っ張った状態で黄色い壁を上に素早く登っていく。第2期では残り15秒までに登り切らなければ左右の壁が開いて行き振り落とされる(事実上の脱落であり、このルールでリタイアとなったのは第8回のヨルダン・ヨブチェフのみ)というシステムがあったが安全性の問題もあり、復活した第29回(ファイナリスト実現は第30回)から第38回までこのシステムは廃止。
高さは第2期では12.5m(回によっては12m+50cmの空白)、第5期では12m、第6期では8mだった。
ワールドカップでは特別ルールで2ndに登場。15mを登るタイムアタックというルールになった。
- ヘブンリーラダー
第18回(初使用は第22回)から第24回まで登場していた縄梯子を登っていくエリア。真っ直ぐ縦に設置されているものの、上に進む際に腕は引き込み、足は踏み込む関係で、常に傾斜のついた梯子を進むこととなり想像以上に難しい。
KUNOICHIにあった「脱出縄」とほぼ同じエリア。
- スピードクライミング
第39回(初使用は第40回)よりスパイダークライムに代わる最初のエリアとして登場した。2020年東京オリンピックに出場したスポーツクライマーの楢﨑智亜・野口啓代夫妻がこのエリアの監修に携わっている。
クライミングのスピード競技に用いられるクライミングの壁は、ルートセッティングが全ての大会で統一されているが、ここで用いられているものはSASUKEオリジナルの壁である。
- サーモンラダー15段
第32回(初使用は第35回)より最初のエリアと綱登りの間に追加されたエリア。別名天空のサーモンラダー。
その高さは15段と、現行の2ndでの4段の4倍近くあり、さらに一段一段の間隔も長く、バーの重さも重いという三重苦である。
現役最強の森本をもってして、最も嫌いなエリアと言わせるほど。
足を付くことができない都合上、吊り下げられた綱を掴むのが地味に難しい。
バーが外れると失格になる。(第37回のレネ・キャスリーが該当。)
15段登ると、最上段に設置されたストッパーが下りてバーを固定する。
- 綱登り
全ての形態で登場する完全制覇へ立ち塞がる最後の壁。ゴール地点に繋がるロープを登っていく。初代FINALは15mの綱登りのみだったが、挑戦者のほとんどが半分を僅かに超える程度でタイムアップになっていた。
第4回の秋山和彦の完全制覇により翌大会にリニューアルされて以降は、ごく一部の回を除き複数のエリアで構成される内の最終エリアとして設置されている。かつては時間切れになるとロープが切れ、多くの挑戦者を振るい落としてきた(現在は安全面への兼ね合いからか、ゆっくり降ろされるか、ゴール地点に近ければ引き上げられる)。第12回の長野はわずか0.11秒の差で完全制覇を逃したこともあった。
名称が変わっていた時期があり、第18~24回では通常の綱よりもやや太い「Gロープ」、第25~27回では長さ20mの「アルティメットロープクライム」という名称になっていた。(3m分の階段を上ってスタンバイしていた)。第28回は「23m綱登り」になっていたが、到達者はいなかった。
なお、日本ではロープの色は茶色だが、海外版は赤になっている。
有力選手
毎回多種多様な職業の人間100人が登場するSASUKEだが、その中でも過去に優秀な成績を収めた選手は90番台以降のゼッケンをつけて1stステージ後半にまとめて登場する事がよくある。
ここではその有力選手をまとめる。
完全制覇者
SASUKEオールスターズ
ミスターSASUKEこと山田勝己を筆頭に初期から出場している6人の有力選手。メンバーが結成したわけではなく、番組が決めたメンバーであり、第10回以降はメンバーが固定されている。
全員が単独での最優秀成績の経験があり、完全制覇(秋山、長野)、皆勤賞(山本)、2nd・3rd最多進出(竹田)など様々な記録を持つ。
第11回・第12回では6人全員が1stをクリアする(ただし、当時は白鳥はオールスターズ未加入である。)など長きに渡り活躍し、後の新世代達を始め多くの選手達に影響を与えた。
山田勝己(第3回大会ファイナリスト)
「俺には……サ、SASUKEしかないんですよ……」(第10回3rdリタイア時)
ご存知ミスターSASUKE初登場は第1回大会。この時は2ndの5連ハンマーで落下。
初めて注目されたのは第3回。当時5人のFINAL挑戦者の中で最もゴール付近に迫ったことで
「完全制覇に最も近い男」と呼ばれるようになる。
元はボンベ配送業だったが、SASUKEに熱中するあまりリストラされた。職業SASUKEと称されることもある。
第7回以降は妻の実家の鉄工所のアルバイト勤務だったが、2017年で社長になっている。
残念ながら完全制覇はなしえなかったが、ひたむきにSASUKEに挑み続ける彼の背中を追ってSASUKEを志した人間は多い。
第10回での上記の言葉は山田を象徴する名言として紹介VTRなどでは必ずと言っていいほど使われる。
何度も引退を宣言するたび撤回してきたが、第28回をもって惜しまれながらも引退。
その後は山田軍団「黒虎」を組織し、若手選手の育成に力を入れていれつつ、第30回記念大会と20周年の第33回で限定出場。(第30回は山田自身が乾雅人に対して「欠場扱いにしてください」と言っていた。)
第38回以降は再び選手にも復帰、引退しないことを宣言した。
長野誠(第17回大会完全制覇者)
「いや、見ません。また今度、ちゃんときた時に」(第12回FINALリタイア時)
宮崎県出身の「史上最強の漁師」にして史上二人目の完全制覇者。初登場は第7回大会だがそり立つ壁でリタイアしており、この回はカット。(オールスターズで唯一の全カット経験者。)
第8回でもこれに阻まれた事から自宅にセットを再現して特訓に励み、第9回で3rd進出を果たして注目される。
ほかならぬ山田勝己に憧れてSASUKE出場を志した事と、第11回から3大会連続でFINAL進出を果たした成績から「第2の山田」ともいわれる大本命と称される。
その後第17回で見事完全制覇を達成。FINAL進出5回、8度の最優秀成績、15度のゼッケン100番(第20回記念大会の2000番を含む)というSASUKE史に残る選手であり、まさにSASUKEのレジェンド。
第32回をもって惜しまれながらも引退。挑戦後は引退セレモニーを行って選手達に担がれた後、1stクワッドステップスの池に落とされた。その後も毎回会場には足を運んでおり、時には解説者としても活躍。
第38回では新型コロナウイルスの蔓延、山田勝己の復帰により、久しぶりに選手として出場して会場を驚かせた。(この時は誰もが長野の出場を知らなかった。)余談だが、これにより第38回は2回以上FINAL進出経験のある選手全員が出場した大会となった。
第40回では長男の塊王と共に親子での出場を果たし、50代を迎えても尚1stクリア目前まで迫ってみせた。しかし第41回では息子の塊王が史上最年少クリアを達成したのにもかかわらず自身は滑り止めスプレーを足に掛け過ぎてしまったためにクワッドステップス一歩目で衝撃のリタイアとなってしまった。(同大会の100人の中で最低記録となってしまった。)
実は何かとエリアのマシントラブルでリタイアしてしまう事が多かった。特に第23回ではスライダージャンプのロープがセットの鉄骨に絡まるというアクシデントが発生し、まさかの1st再挑戦となった。体力面の条件から誰もがクリアを絶望視していたが、結果的に15秒以上残してクリアしてそのままFINALまで進出する異次元の強さを見せつけ、後述の新世代の面々からは「神様だよ」と称された。
現在のチャンピオン森本裕介とは互いに師弟関係にある。
秋山和彦(第4回大会完全制覇者)
「僕らは所謂、雑草アスリートですから」(第12回挑戦前のインタビュー)
北海道出身の指圧師にして初代SASUKE完全制覇者。元毛ガニ漁師だったことから「毛ガニの秋山」と呼ばれていた。毛ガニを背負ってスタートラインに立つ姿に憧れた人も多いだろう。
初登場は第2回大会だがこの時は2ndでタイムアップ。(しかもゼッケン100であった。)
しかし第4回で高速タイムでのクリアを達成し、3rd、FINALを立て続けにねじ伏せ、前人未到の完全制覇を達成した。
元々先天性の弱視を患っており、そのハンデを乗り越えての大偉業に当時全国のお茶の間が仰天したという。この事もあってSASUKEのキャッチフレーズである「名も無きアスリートのオリンピック」の原点となった選手である。
後の漆原や又地のような3rd特化の軽量級選手の先駆け的な存在。前述の弱視もあって1stが最も苦手でそれ故に第6回のジャンプハングでのリタイアをきっかけに苦戦を強いられるが、それでも第11、12回では3rdまで進出している。
第17回長野誠の完全制覇を以って引退。その後も度々出場していたが、第28回をもってSASUKE引退を正式表明。その後は完全制覇者やオールスターズの一員としての招待には快く応じており、第40回では後述のせいやに触発されて他の完全制覇者達と共に電撃復帰を果たして会場を沸かせた。
実の弟である秋山公彦はホタテ漁師であり、2度SASUKEに出場した。
山本進悟(第3回大会・第7回大会ファイナリスト)
「僕が欲しいのは"実力者"であって"唯一の皆勤賞"」(第23回1st挑戦前の紹介VTR)
東京世田谷のトレーニングジム代表を務める。SASUKEの歴史で唯一第1回大会から皆勤を続けるその姿はまさにSASUKEの不死鳥伝説。
当初は長谷川サービスステーションのガソリンスタンドのアルバイト店員で、どこにでもいる優し気なお兄さんといった見た目だったが、いきなり俊敏かつパワフルな身のこなしで第1回1stを突破。
特に丸太下りをてっぺんからジャンプして突破する様子から「凄いぞガソリンスタンド勤務! 普段何やってるんだ!?」と実況に驚かれた。
その後登場のたびに正社員、店長、所長、エリアマネージャー、課長と出世を続け、当時の古舘伊知郎アナウンサーは「油まみれの出世街道」と表現している。
第3回、第7回の2回のFINAL進出、第5回と第7回の二度の最優秀成績の経験を持つ。特に第7回では同大会唯一のファイナリストとなったが、開始直後に左肩を脱臼し、僅か5秒でリタイアするという苦い経験をしている。
第3期に入ると焦りからかミスが増え始め、1stリタイアが増えだしてしまった。第31回以降は1stをクリアできず苦しんでいたが、メンタルを強化して臨んだ第40回で実に10大会振りに1stをクリアし、同大会のケイン・コスギと並び1stクリア最年長記録を更新した。2ndではタイムアップとなったものの、因縁のバックストリームを見事突破した。
最近では漆原のYouTubeでもゲストとして度々招かれている。(山本進悟は「漆」と呼んでいる。)
「災害現場で子供背負って救助してると思ってやります」(第15回3rd挑戦前)
加圧ジムトレーナー。
当時「史上最強の消防士」と呼ばれた有力選手で、初登場の第5回大会では自身の前に1stに挑んだ73人が全員脱落する中、いきなり1stクリアを果たして大注目される。(当時演出担当だった乾雅人氏は古舘伊知郎から「(70人終わって)クリア者0なら頭からやり直し」を提案されたが、0なら0のまま放送しますと言い切っており、竹田を恩人と称している。)
その後第11回から第17回まで7大会連続の3rd進出という現在も破られていない(佐藤惇が第38回で並んでいる)大記録を挟んで、第2期終焉の時点で出場13回3rd10回、第3期終焉の時点で出場20回3rd進出13回と比類なき安定感を誇っていた。中でも最終競技者となった第15回や、オールスターズで唯一の1stクリア者となった第24回での奮闘は印象深い。
以降はサーモンラダーに阻まれ続けて3rd進出は果たせていないが、40歳を越えても尚第33回と34回では1stをクリアしている。
第38回では1stのクリアボタンを押したが、フィッシュボーンで最後の足場を踏まずに突破したのが反則とされ失格となった。
2nd、3rdともに最多進出という記録を持ち、第34回にはあの長野が残したステージクリアの合計数も抜いて最多記録となった。
しかし、オールスターズの中では唯一FINAL進出が果たせておらず、涙を堪える姿もあった。(それ故か、オールスターズでは唯一ゼッケン99を経験していない。)
秋山や長野の引退後も山本とともに挑戦を続けていたが、2022年6月に自身のYouTubeチャンネル上で引退を表明した。
話によれば、運動時に心臓への負担が感じられるとの事。ご自愛ください。
白鳥文平(第12回大会ファイナリスト)
「ありがとうございましたぁーっ!」(第15回1stクリア時)
千葉県の公務員で、「印旛村の英雄」というキャッチフレーズがある。なお現在、印旛村は市町村合併で印西市に名前を変えている。
初登場は第9回大会。当時1stの難関だったジャンプハングを高身長を活かした片足跳びで突破し、第12回でFINAL進出を果たして正式に6人目のオールスターズと呼ばれるようになる。(これ以降オールスターズのメンバー変動はほぼ皆無となった。)
第15回では猛暑により熱中症にかかってしまい、100番の長野の後の挑戦となったが見事に1stをクリアし、そのまま3rdまで進出を果たした。
自宅に数多くのSASUKEセットを自作しており(白鳥詣と呼ばれていた。)、その完成度の高さから有力選手が彼の自宅に集まって合宿に励む事があったが、膝の半月板手術の影響でSASUKE出場が困難になり、2009年秋に解体された(第30回大会で判明した)。
全盛期の白鳥の魅力は華麗さで、かつての3rd難関エリアだったランプグラスパーはあまりのリズミカルさに観客から手拍子が起こるほど。またパイプスライダーは僅か3~4回の振りで終点に達する。
持病の腰痛や怪我の影響で、第21回大会以降は第30回記念大会のみ自身の幕引きとして出場している。(第24回と第32回は応援に来ていた)。
この時のジャンプハングはネットが左右に分けられて片足跳びでの飛び移りは不可能に近かったが、白鳥は敢えて自身の片足跳びで勝負。トランポリンの縁を踏んでしまい飛距離が伸びず、結果は着水リタイアとなってしまったが、最後にカメラに見せたのは全てを出し切った白鳥の笑顔だった。
余談ではあるが、白鳥が1stを挑戦する時の実況者はすべて初田啓介アナだった。
第42回にて復活が発表され、予告では初めて初田アナ以外のアナウンサーが初めて実況が担当される事になった。
SASUKE新世代
第17回大会の長崎峻侑がFINAL進出した頃から、SASUKEオールスターズよりも若い世代をSASUKE新世代と呼ばれるようになった。
2度の完全制覇を果たした漆原裕治が新世代のリーダーと呼ばれている。
一時期「SASUKEオールスターズvs新世代組」と番組側から演出されていた。
現在、高齢化も進んでいるもののそれを感じさせない活躍を見せている。
漆原裕治(第24回大会・第27回大会完全制覇者)
「人生って、ホントにこんな事があるんですね……」(第27回V2達成時)
靴の「ハルタ」の営業マンにして、史上3人目の完全制覇者。
初登場は第21回。この時こそ1stリタイアだったが、続く第22回でリベンジを果たしFINAL進出。
新世代のリーダー格として完全制覇候補に名乗りを上げ、第24回で見事完全制覇を達成。
さらに第27回でも進化したFINALをねじ伏せてSASUKE史上初のV2を達成した。
しかし、細身故パワーに欠けるという弱点があり、また、水泳もあまり得意ではなくバックストリームも苦手。以降の新エリアがいずれも腕力を問われるものが多いため、秋山の時のジャンプハングのような漆原対策なのではという説も上がっている。
第34回には1stをクリアできなければ引退と宣言して挑み、見事に4大会ぶりのクリアを決めて引退を回避。40代に突入し限界説も囁かれていたが、第36回には6年半ぶりに3rdステージ進出。SASUKE史上初の40代によるクリフハンガー攻略をウルトラクレイジークリフハンガーで成し遂げるという健在ぶりを見せた。
第37回でも3rdステージに進み、前回リタイアしたバーティカルリミットを攻略するも、最終エリアのパイプスライダーで開始直後にパイプが脱線し落下。リタイア後のインタビューでは涙を滲ませながらリベンジを誓っていた。
第40回では44歳にして三大会振りの3rd進出を果たし、同大会の鈴木祐輔と並び2ndクリア最年長者となった。さらに、続く第41回でも3rdに進出し、自身の最年長2ndクリア記録を塗り替えた。
第36回以降の大会では完全制覇当時よりも安定した成績を残しており、二度目の全盛期とも評されている。
現在はYoutubeでSASUKEの練習風景や他の選手との交流、プライベートの様子を投稿している出場選手は珍しくないが、漆原はその先駆者とも言える存在。彼の動画には、同じく新世代で仲の良い日置や又地を始め、多くの選手が登場している。それどころかSASUKEの総合演出・乾雅人が出演することも。
長崎峻侑(第17回大会ファイナリスト)
「人間が60億人以上いて、平等なのは「時間」と「夢を持つこと」だと思うんです。小さいことからでいいんです。一つずつ叶えていくことで、大きな夢も絶対叶うと思うんですよ」(an-lifeインタビュー)
北京オリンピック強化選手に指定されたトランポリンパフォーマー兼引越屋。番組内で初めて「SASUKE新世代」と呼ばれた選手。
初登場は第14回で、当時17歳であった。第15回では第1回のファイナリスト川島孝之と並ぶ18歳での3rd進出を果たす。3rdでは2大会連続でクリフハンガーに阻まれていたが、大学生になった第17回では因縁のクリフハンガーを突破して長野とともにFINAL進出。
当時19歳であり、第1回での川島孝幸(当時18歳)に次ぐ若さでの偉業である。
この頃からオールスターズの後の若い有力選手を「SASUKE新世代」と呼称するようになる。
第18〜20,34回では弟・剛政も出場。池谷兄弟との対比で長崎兄弟と呼ばれて話題になった。
本業のトランポリンに専念するため第19回の1stリタイアから長らく姿を消していたが、トランポリン競技を引退した第29回大会で6年ぶりに待望の復活。
第36回以降はドラゴングライダーが鬼門となっていたが、第40回で久しぶりの1stクリアを果たした。
続く第41回でも1stを0秒66残しでクリアしたが、2ndは肉離れが悪化した影響で競技続行不可と判断し棄権。(2ndを怪我及び体調不良で棄権したのは第30回大会の森澤以来3人目。)
30代になってから1度も3rdに進出できていない上に最近の番組からの扱いが最も悪い選手の一人で、第31回は全カット、第36回以降は全ダイジェストである。
後述の菅野とは同じ国士舘大学の先輩後輩という関係であり、「国士舘コンビ」と言われたりする。
なお、SASUKEでの師匠は白鳥文平と語っている。
一部のSASUKEマニアからは幻の7人目のSASUKEオールスターズと呼ばれている。というのも実際に第19回大会では「オールスターズ初めてのクリアはなるか」と実況されていた。
菅野仁志(第23回大会ファイナリスト)
「やっぱり筋肉マンが、筋肉が人よりある人が歯を食いしばって頑張って乗り越えるからこそ感動が生まれるのであって、ちょっとみんなに筋肉の良さを教えたいな」(第28回直前ナビ)
初出場の第20回は国士舘大学の体操競技部所属で、大学の後輩である長崎の活躍に触発されての出場だった。(しかし、長崎とSASUKEで同時出場するようになったのは第29回からである。)現在はビルメンテナンス業とシルバーアクセサリーデザイナーを兼業している。通称「SASUKEバカ」。
第22回で3rd、第23回でFINAL進出を果たした事で注目され、新世代有力選手の一人として活躍中。
しばらく3rdのクレイジークリフハンガーが鬼門であったが、第31回でついに突破し、今後の更なる飛躍を予感させた。しかしその後は肩の脱臼等の故障もあって1stリタイアが続いている。
また成績の浮き沈みが激しく第3期と第5期はほとんどで3rdステージまで進出しているが、第4期と第6期は一度も3rdに進めていないどころか1stクリアが2度(6期は0回)しかない。
第35回から四大会連続ドラゴングライダーでリタイアを喫しており第40回でついにリベンジを果たすも、2連そり立つ壁で無念のタイムアップとなった。
第41回は出場に向けてトレーニングをしていたが、肉離れの影響で欠場。
余談だが、第31回大会で初の1st突破を果たしたゴールデンボンバーの樽美酒研二とはプライベートで仲が良いらしい。
橋本亘司(第24回大会ファイナリスト)
『2nd stage初めてのクリア者は、やはり橋本亘司でした!』(第27回2ndクリア時)
島根県体育協会体操指導員。初出場は第21回、そこから3回連続で予選を突破し第23回で1stクリア。3回連続で予選会をクリアしたのは橋本のみである。
続く第24回大会ではファイナリストの1番手となり、漆原、菅野に続く「新世代第三の男」として有力選手の一角に躍り出た。愛称は「はっしー」。
その後も第27回でアルティメットクリフハンガーの初のクリア者となるなど活躍するも、第30回以降出場が途絶える。
新たに躍進した新世代選手達の活躍により今では影が薄くなった感が否めないが、出場が途絶えてからもSASUKE裏チャンネルに現れたり、漆原とラーメンを食べに行く姿なども確認されていた。
近年ではマッサージ店「ほぐしやkiwami」を開業。漆原のYouTubeに出演し、TV上では見せなかったコミカルな人柄が人気を集めており、「体が作れればまた挑戦してみたい」という旨の発言もしている。
第40回では一般オーディションを通過し、約9年振りの出場を果たして注目を集めた。オーディションでは、長らく出場が途絶えていた理由について完全制覇に向けて仕上げてきた第27回でリタイアした原因が分からず検査をしたら背骨に特発性側弯症を患っていたと明かした。
川口朋広(第30回大会ファイナリスト)
『スタッフからは危険を促されましたが、本人の強い希望を尊重し、挑戦していただきましょう!』(第32回足の打撲を抱えたままでの3rd挑戦時)
クライミングシューズメーカー取締役。初登場は第21回。
第24回で自身初の1stクリアを果たすが、その後は1stリタイアや出場が出来なかったものの、第30回でFINALを達成し、注目を集める。
SASUKEの各ステージの分析が非常に細かく攻略法も鋭いため、スタッフ間では「教授」というあだ名までつけられているらしい。
「SASUKE界のベジータ」・「SASUKEで人生を変えた男」・「SASUKE界のリアル陸王」とも呼ばれている。実際アドバイスは的確であり、挑戦中のプレーヤーがうなずいてアクションに移す場面も見られた。
嘗ては両親の離婚を機に不良になった経験があったが、SASUKE出場に伴い家族の絆が深まったとする一方で、私生活の負担も大きく、第31回からは「完全制覇後は引退する」と表明している。
第37回のリタイア以降そり立つ壁が鬼門となっていたが、第40回ではそれを克服し、3rdのスイングエッジまで進出。復活の狼煙を上げた。
しかし、第41回では一度も失敗したことがなかったドラゴングライダーで落水してしまった。
朝一眞
「気持ちや、気持ち!!」(1st挑戦前のスタンバイ中)
型枠大工。元「涙の植木職人」。初登場は第21回で長らく予選会を突破できずにいたが、第28回で3rd進出を果たし一気に完全制覇候補に名乗りを上げる。
SASUKEへの情熱は並々ならぬものがあり、メンタルにかけては最強クラス。
3rd最強な関門であるクレイジークリフハンガーと一番因縁が深く、第31回まで4度も阻まれ続けてきた。
この時、川口は「練習ではできているが、本番で何かが起きている」と語り、森本は「つかんだ時に体重を逃がせないと体が引っ張られて指が離れる」と分析している。
最近は足の怪我で欠場中。彼の復活を待つ声も多い。
「自分が全力で頑張る姿を見せれて、全て家族のおかげです」(第30回初の3rd挑戦後)
SASUKEオールスターズの白鳥文平と同郷の千葉県印旛郡の電気店『キタガワ電機』勤務(現在は店長)。初登場は第25回。第29回で初の1stクリアを果たすと、続く第30回で3rd進出を果たし、新世代の仲間入りを果たす。
長らく1stで苦しみ続けてきただけにこの時は家族への感謝をインタビューで語った。
第29回での初1stクリアを皮切りに1stに関しては新世代の中でも抜きん出た安定感を誇り、以降の大会での1stリタイアは現時点で第32回のみ。第41回では9大会連続1stクリアを達成し、ついに長野・竹田の記録を上回り欠場を挟まない連続した大会での1st連続クリア記録保持者となった。
クリフシリーズに阻まれている一人だが、第36回では練習の成果もあり遂に一つ目の移りを成功させている。
有力選手でありながら第30回以降、ゼッケンは31番から60番の早めの番号を渡されており、近年の大会では大体2nd、3rdのトップバッターは彼となっていることから「SASUKEの切り込み隊長」と呼ばれることも。仲の良い漆原や又地がゼッケン100番を任されたりしていることもあって、本人も割とそのことを気にしているようである。
三児の父であり、家にあるSASUKEのセットで息子と一緒に練習をしていることも。家族との合言葉は「出発進行!発車オーライ!」。
又地諒(第27回大会・第30回大会ファイナリスト)
『4畳半からの、ファイナリスト、誕生だーーーっ!!』(第27回FINAL進出時)
配管工。第21回で初めて予選会を突破して出場。予選通過者8人の中で唯一そり立つ壁をクリアするが、フライングシュートでリタイアとなった。4畳半の自宅にセットを自作して練習を積んだエピソードから「4畳半ヒーロー」というあだ名をつけられている。
片手指懸垂に絶対の自信があり、それを象徴するように3rdのアルティメット、クレイジー、ウルトラクレイジーと挑んだクリフハンガーはことごとくクリアしている。第36回ではウルトラクレイジークリフハンガーの飛び移りで一瞬左手が離れるも右手のみで耐えて持ち直すという凄まじい力を見せつけた。この時の常連選手達のリアクションは必見。
第27回と第30回の2度FINAL進出経験があり、完全制
覇者の長野、漆原を差し置いて100番を背負ったこともある。ベトナムでのSASUKEイベントに呼ばれた時も日本代表としてぶっちぎりのスピードで1stを突破して見せた。
第31回から5回連続で1stリタイアが続いたことがあり、実況で一時は引退も考えていたと語られたが、近年は練習を重ねた結果1stの安定感も上がっており、再び完全制覇者候補に名乗りを上げている。
そして第40回。自身の成績としては、1stの第2エリアでまさかのローリングハムスターとなってしまった。しかし、本人は緑山の外で多大な貢献を果たす…。それは、21年振りにSASUKEに復帰するケイン・コスギのコーチを担当したこと。SASUKEだけでなく幼少期に活躍していた憧れのヒーローということもあり、総合演出の乾雅人氏から連絡を受けた際は周囲に自慢したい衝動に駆られたという。
平成生まれのファイナリストは又地が初めてである。
ファンからは職業が同じなため、「リアルマリオ」と呼ばれることも。
鈴木祐輔
中学校教諭であり「(3代目)SASUKE先生」の異名を持つ。第16回大会初出場。その後第28回で久々の出場を果たしてからは常連選手になる。
元ライフセービング日本代表であり水泳に絶大な自信を持っているほか、様々なスポーツをこなしている。
SASUKEに挑んで10年越しの第32回で初めて1stクリア、最終的には3rdまで進出した。
40歳を越えても尚3rdに進出する力を持ち、第39回と第40回では2大会連続で2ndクリア最年長記録を塗り替えている。
一方で3rdは、サイドワインダーが鬼門となっている。
森本(サスケ君)世代
SASUKE新世代よりもさらに若い世代を森本世代またはサスケ君世代と呼ばれるようになった。
SASUKEと関わった歴はSASUKE新世代にも引けを取らない。
完全制覇を果たした森本裕介や連続で3rd進出している佐藤惇と以前からも活躍は見せていたが、第36回での活躍で大きく名を轟かせた。
第40回では全員が3rdクリフディメンション以上へ進み、そのポテンシャルを見せつけた。しかし最近は森本含め異様にダイジェストにされてしまうことがファンの間で話題となっている。
森本裕介(第31回大会・第38回大会完全制覇者)
『SASUKEワールドカップ2024!Look at him!!これが、世界の、森本だーーーーー!!!!』(SASUKEワールドカップ2024 3rd挑戦時)
システムエンジニア。史上4人目の完全制覇者。現在のSASUKEのゼッケン100番を背負う人物。
初登場の第18回は当時15歳であり、同大会最年少の出場であった。高校生までは1stのクリアもままならなかったが、大学生になって以降の挑戦で初の1stクリアからメタルスピンまで到達、その次の挑戦で漆原ですら落ちてしまったクレイジークリフハンガーを攻略し一気に新たなる完全制覇者の筆頭候補として注目を集めるようになる。
出場を重ねるごとに見た目も成績も如実に成長していく様子から、バイト先のクライミングジムでのニックネームである「サスケ君」が実況の代名詞として多用された。
ステージの各障害物を入念に研究して攻略法を編み出しており、多くの挑戦者が軒並み敗れたクレイジーやウルトラクレイジー、ディメンションも含めたクリフハンガーをワールドカップ含めて計9回挑戦して全く落ちた事がないという大変驚異的な実績を有する。
第29回で初の最優秀成績を収め注目され、第30回ではゼッケン3000番を託された。高知大学大学院生としての最後の年だった第31回でFINAL初進出からの完全制覇を達成。(FINAL初進出での完全制覇は第4回の秋山和彦に次いで2人目。)
平成生まれ及び90年代での完全制覇者は森本が初めてである。
第37回では川口と同様濃霧と悪天候の影響によりそり立つ壁を登る事が出来ず、まさかの1stリタイアとなってしまったが、次の第38回では前回のそり立つ壁のトラウマを克服して1st、2ndステージを突破し、雨天中の3rd、FINALと進み、雨天と氷点下の深夜という最悪なコンディションのFINALを2.5秒残しでクリア。漆原に続く2回目の完全制覇を成し遂げた。
その翌年の第39回では前々回と同様、雨で滑る2つ目のそり立つ壁に阻まれ1stでリタイアしてしまったが、最高の仕上がりで臨んだ第40回では1st〜3rdを抜群の安定感でクリアし、長野と並ぶFINAL進出回数1位タイとなった。そしてFINALでは新FINALステージを完全制覇手前まで迫り、通算7回目の最優秀成績を収めた。
第41回でも危なげなく3rdまで進出。リニューアルされたバーティカルリミット.BURSTの4本目に差し掛かったところで惜しくも落水してしまったが、今大会でも通算8回目の最優秀成績を収め、ついに最優秀成績数でも長野と肩を並べた。
『SASUKEには、この男がいた!!佐藤惇、最速タイムでクリア!!』(第37回1stクリア時の実況)
アメリカのフリーランニングに近い「パルクール」という競技の指導員で、現在は日本パルクール協会の会長を務める。
当時高校生だった第21回で予選を突破して初登場。第23回~25回で連続で1stをクリアした。この時こそ2nd敗退だったが、第32回で復活し鮮やかな身のこなしで1stと2ndを攻略。(なお、第29回前に行われた予選会にも出場していたが、予選落ちで出場できなかった。)
更には日本人で唯一ウルトラクレイジークリフハンガーまで迫ったのだが、尺の都合なのか全部のステージが同大会でサイドワインダーまで進んだアンドレ・シム共々ダイジェストになってしまった。
これには放送時のニコニコ生放送で多数の視聴者からツッコまれており、総合演出の乾雅人氏も思わず謝ってしまったという。
第33回以降も毎回3rdまで進出しているが、あまりにも安定感があり過ぎる故か毎回ほぼ全てのステージがダイジェストにされる不遇もあったが、第35回で実に10大会ぶりに全てのステージがフルで放送された。第36回にはついにウルトラクレイジーの1度目の飛び移りを成功させた。
第39回は怪我により欠場したが、会場には来ていた。
第41回では新たに回転などのパフォーマンスを加えた動きを見せ、会場を大きく沸かせた。
第41回時点で出場機会12回連続での2ndステージ進出は前代未聞の最多記録であり、3rd進出も最多の9大会連続という抜群の安定感を持っている。
また、これだけの安定感を誇っているにも拘らずステージのクリアタイムが脅威的に速いことでも知られ、第33〜38回の6大会ではいずれも残り時間20秒以上、2ndステージも34〜37回の4大会でも残り時間15秒以上でクリアしている。
その一方で、進出した3rdでは第33回でフライングバーで不覚を取った以外は日置同様クリフシリーズが鬼門となっている。
多田竜也(第37回大会・第40回大会ファイナリスト)
「僕のこの体を作ってくれたのは、他でもない妻の頑張りのおかげです」(第37回FINAL進出時)
山形県庁職員の理学療法士。第17回大会初出場。当時中学2年生でありながら、 そり立つ壁をクリアするという偉業を達成した(全カット ゼッケン39)。「山形県庁の星」とイベントでよく言われている。
森本裕介よりも早い14歳での初出場であり、彼も認めるポテンシャルを誇っていながらなかなか結果が出なかったが、第36回大会で12年の時を経てついに悲願の1st突破。得意とする3rdまで進出し、今まで多くの挑戦者を飲み込んだウルトラクレイジーハンガーを初見で一発でクリアした。
第37回大会では前回リタイアしたバーティカルリミットを攻略し、その勢いでFINALへと進出した。平成生まれのファイナリストでは3人目である。
第39回では1st、2ndをダイジェストにまとめられてしまったが、3rdではただ一人クリフハンガーディメンションを越え最優秀成績者となった。
第40回では前回リタイアしたバーティカルリミットを越え、2回目のFINAL進出を果たした。2形態のFINALを経験していながら一度も綱に触れられていない唯一の選手であるが、本人もそのことを気にしており、第40回を終えてからFINAL対策を強化している。
第35回でドラゴングライダーでリタイアした後、5年交際していた妻にプロポーズし、2019年4月に結婚した。ちなみに妻とはいきものがかりがきっかけで交際するようになったらしい。2020年6月上旬には第1子が、2024年5月末には第2子がそれぞれ誕生した事をSNSで発表した。
最近の番組からの扱いが最も悪い選手の一人で、クリフを超えた次の第37回大会がゼッケン49番、第38回からは1st、2nd全ダイジェスト、最優秀成績の次の第40回はゼッケン3973番でクリアした3rdのオンエア時間は驚異の3分であるなど、視聴者を呆れさせている。
山本桂太朗
「信じ続けてくれた人達がいたからこその、この2ndクリアだと思ってます」(第39回2ndクリア時)
栄光ゼミナール講師。SASUKEに出場する前に、フジテレビで放送されていたSASUKEに似た番組の「VIKING」でSASUKEオールスターズと共に出場したことがある。SASUKEには第20回大会にて予選を突破し初出場、当時は高校生でメガネの坊主、その姿から今日のSASUKE仲間から「コメ」の愛称で呼ばれている。
その後はしばらく出場はなかったが第29回で初めて1stを突破し、第34回以降から常連となっている。
ボルダリングで鍛えた他の選手も認めるポテンシャルを持ち、3rd適性に関しては森本世代の中でも最強の呼び声が高かったが、第38回まで長らく2ndで涙を呑んできた。
初1stクリアから8年半越しの第39回でついに悲願の2ndクリアを達成。クリア後のインタビューで支え続けてくれた妻や仲間達への感謝の気持ちを語った。しかし、初の3rdではサイドワインダーの飛び移りで不覚を取る不完全燃焼の結果となった。
第40回では再び3rdに進出。前回発揮しきれなかったポテンシャルを証明するかのようにクリフディメンションとバーティカルリミットを軽々と越えてみせたが、パイプスライダーの着地に失敗し、惜しくもFINAL進出を逃した。
第41回ではクリフディメンションの飛び移りで指に負担をかけてしまい、続くバーティカルリミット.BURSTの前に敗れたが、自身初となる最優秀成績者の一人となった。
荒木直之
有名自動車会社のカーデザイナー。第29回大会初出場。慶應義塾大学大学院理工学研究科出身で山本桂太朗の後輩にしてベトナム版SASUKEの日本人唯一のファイナリスト。
初出場の第29回は予選会一位通過の肩書きを手に入れるも1st序盤のヘッジホッグでリタイアしてしまいしかも全カット。
第35回では圧倒的なスピードで進んでいくもトランポリンの跳躍に失敗し本人にとってもトランポリンがトラウマになった。
続く第36回では森本から恐怖を克服するために指導してもらい、ドラゴングライダーを突破しトラウマを克服。見事1stステージ最初のクリア者になった。勢いのまま3rdまで進出しウルトラクレイジークリフハンガーの跳躍1回目を成功させた。
第38回はローリングログで足が外れ、大きなタイムロスとなった末にリバースコンベアの後方の池に転落。以降この池は「荒木専用池」と呼ばれるようになった。
第39回は雨のそり立つ壁の被害者になってしまった(一応リタイア後に一度挑戦して掴んでいる)が森本世代としてあるまじき放送全カットであった。
ちなみに1stステージの新エリアが登場する度にリタイアする事が多く、第41回でクリアするまでは奇数大会の1stクリアがなかった。
山田軍団「黒虎」
山田勝己の引退後の第29回に発足した彼が果たせなかった完全制覇の夢を引き継ぐ若者たちによる集団。
発足当初はなかなか結果を残せなかったが、現在では山本良幸を筆頭に2nd、3rd進出の常連組となっており、中盤の有力選手として期待されている。
森本世代と共にこれからが期待できる選手達である。
山本浩茂 コードネーム:セガ
山田軍団「黒虎」発足当初からのオリジナルメンバーでゲームセンターSEGAの従業員。初登場の第29回から第35回までは常に出場している。師匠譲りの詰めの甘さが玉に瑕だが、第30回、第31回、第34回で1stをクリアしたことがある。
第39回大会終了以降は行方不明となっている。
山本良幸(第40回大会ファイナリスト)
『これが、山田勝己の最高傑作だぁーっ!!』(第39回1stクリア時)
大阪府立堺支援学校の保健体育教師。「黒虎の絶対エース」や「ミスター黒虎」の異名を持つ。第37回大会初出場。
初挑戦ながら1stをクリアし、2ndではトップバッターでありながら、最速の一角の一人である佐藤惇のタイムを越えて最速タイムを叩き出した。
さらに3rdでもクリフハンガーの一回目の飛躍に成功し黒虎の新エースと紹介された。
続く第38回でも抜群の安定感をみせ、2ndではまたしても最速タイムを叩き出す(しかもこの2ndで10秒以上残したのは彼以外だと森本しかいなかった)。3rdではクリフハンガーディメンションの二度の飛び移りを成功させる(直後に突起から手を滑らせて落下してリタイア)。この大会では完全制覇した森本に次ぐ成績を残した。
第39回は三大会連続の3rd進出を果たすも、新エリアのスイングエッジでリタイア。
しかし第40回ではこれまでリタイアしたエリアを軽々と攻略し、ついに黒虎初のファイナリストとなった。
ポテンシャルは「長野と同等かそれ以上」と山田からも評されている。
現在のSASUKEの選手達の中で完全制覇の可能性を最も秘めていると言っても過言ではなく、森本自身次の完全制覇者最有力候補であると期待を抱いている。
山田勝己からは「1stを200%クリアできる男」と紹介されている。
河内総一郎
ブレーキ製造会社の社員。オリジナルメンバーの山本浩茂に次ぐ古株メンバー。
第39回で初出場を果たすも、ドラゴングライダーでリタイア。
高須賀隼
2021年の新メンバー選考会で入団した水泳指導員。
2022年の黒虎代表決定戦を見事勝ち抜き、第40回の出場権を掴み取った。勢いのまま初出場で1stをクリアしたが、2ndのスパイダーランで足を滑らせリタイア。
続く第41回でも出場したが、1stのローリングヒルでまさかのリタイアを喫してしまった。
中島結太
中学1年の時に2021年の新メンバー選考会に育成枠で入団したルーキー。
第40回に黒虎枠とは別の一般枠で初出場。初挑戦ながらドラゴングライダーまでそつなくこなすが、タックルで時間を取られてしまい、2連そり立つ壁の2つ目でタイムアップとなった。
しかし、黒虎枠で出場した第41回では同世代の長野塊王の1stクリアに鼓舞され見事1stクリアを果たした。
2024年からは高校生になり、山田の母校に入学した。
初期の有力選手(FINAL進出者や3rdに複数回進出した選手、最優秀成績経験者を記載。)
川島孝幸(第1回大会ファイナリスト)
初期は中華料理店の店員だったが、のちに全日本タンブリング選手権優勝という記録を打ち立てる。初登場の第1回では当時18歳という若さながらFINALに進出し、史上最年少かつ、史上初のFINAL挑戦者となった。この記録は現在も破られていない。
第18回で復帰し第29回まで出場。(23回〜28回は出場していない。)2nd進出はならなかったが1stクリア目前まで迫ったこともある。
楊崇(第1回大会ファイナリスト)
第1回では1st・2nd共に時間ギリギリのクリアであったが、FINAL進出を果たした。
長谷川健(第1回大会ファイナリスト)
日光江戸村で忍者を務めるアクション俳優で、初期完全制覇者候補の一人。
忍者のコスチュームそのままで挑戦する姿から「SASUKEの風魔小太郎」などと呼ばれたこともある。
第1回は経験によるバランス感覚や身のこなしでFINAL進出を果たすが、続く第2、3回で新設されたパイプスライダーに阻まれてFINAL進出を逃してしまい、悔しいところでリタイアとなった。しかも第3回では6人中唯一の3rdリタイア者になっている。
第1回はゼッケン96であったが、第2回はゼッケン65、第3回はゼッケン10と出場するたびにゼッケンが若くなっていた。
三浦英一
頭の手拭いが印象的な鳶職。初期の常連選手の一人で、第1回〜第9回まで皆勤賞。
第1回では1stを26.2秒残してクリアするが、2nd5連ハンマーでリタイア。
第2回と第4回では3rdパイプスライダーまで辿り着くもFINAL進出とはならず、第5回以降ジャンプハングでのリタイアが続き放送でもカットされるようになった。
表舞台に姿を現すことはないが、現在でも山本進悟とは交流があるとのこと。
山本達也(第3回ファイナリスト)
頭にタオルを巻いている大工。山本義人(後述)の兄。初出場の第2回ではパイプスライダーの1本目からブレイクゾーンへの移行でリタイア。続く第3回ではリベンジを果たしてFINAL進出を果たした。第4回にも出場したが、ローリング丸太でリタイア。放送では全カットされてしまい、FINAL経験者で初めて全カットされた選手となった。
松本稔(第3回ファイナリスト)
とび職であるが、三浦英一との関係は不明。第3回のみに出場し、FINAL進出を果たした。現時点でファイナリストのままSASUKEを去った選手は彼のみである。
田中光(第2回大会ファイナリスト)
アトランタオリンピックにおける日本代表選手であり、初出場の第2回で後述のおさるとともにFINAL進出を果たす。
特に新設されたパイプスライダーが猛威を振るう中での初の成功者であり、FINALも残り2メートルまで迫り最優秀成績を収めた。
完全制覇の大本命として目されていた第3回では新設された難関ローリング丸太でまさかのリタイアとなった。
朝岡弘行(第12回大会ファイナリスト)
「登るぞ!今日は先生登るぞ!」(第12回FINAL進出時、生徒の前で)
元小学校教師で「元祖SASUKE先生」の異名を持つ。第1期から出場し活躍するもジャンプハングに阻まれ第2期序盤は低迷、その後ひっそりと消えていくかと思われたが第10回にでジャンプハングをクリアし、3rdに進出して以降有力選手に返り咲く。その後半年間の休職を経てトレーニングに専念した第12回において白鳥、長野と並びファイナリストとなった。
しかし、トレーニングのために休職したと放映されたのがまずかったのか、以後教師を退職して肩書が絵本作家志望となり、番組からの扱いもダイジェスト、果てにはカットになるなど不遇になった。
第16回を最後に出場していないが、最近では漆原のYouTubeにゲスト出演。現在は彼を師と仰ぐ愛弟子の育成に励んでいるとのこと。
ちなみに出場した全大会はすべて異なるゼッケンを着用していた。
髙橋賢次(第24回大会ファイナリスト)
『5回目の挑戦!ようやく!ようやくこの赤い絨毯の上で涙を流す時が来た!』(第24回FINAL進出時)
株式会社KONG EXPRESSの代表を務める運送業者であり、「コング髙橋」の愛称で親しまれる選手。その愛称に相応しい強靭なパワーとスタミナが武器。
第24回でのFINAL進出で注目されているが、実は第5回から長らく出場を続けている古参出場者でもあり、当時は佐川急便のセールスドライバーをしていた。第2期は本番前のシミュレーターを任されていた事もあったという。
第18回以降は第28回を除き毎回出場しており、SASUKEの杜の住人を自称した。
1stがやや苦手な反面2nd適性は高く、2ndでは過去10回の挑戦の内8回をクリアしている。(内6回は最速タイム)
ステージクリア時には雄叫びを上げながらサポーターを投げ捨てるパフォーマンスも見せた。
長きにわたり2nd、3rdに進出し続ける実力者であったが、第35回でドラゴングライダーでリタイアし惜しまれながらも引退。
活躍時期が近い新世代のメンバーと親交が深く、漆原のYouTubeにも度々出演している。
中田大輔
プロトランポリン競技選手。長崎峻侑のトランポリンのコーチでもある。SASUKEに出場したオリンピアの中ではヨルダン・ヨブチェフに次いで成績が良い選手である。
第8回で初出場にして一人目の1stクリア者となり、その後第9回から三大会連続で3rd進出を果たして有力選手の一人となる。第12回で1stリタイアを喫するまで「Mr.完全燃焼」と呼ばれていた。
2004年5月に交通事故に遭い、万全でない状態での出場が続いたが、それでも第17回で3rd、第21回で2ndまで進出した。
3rdのランプグラスパーと因縁が深く、4回の3rd挑戦の内3回このエリアでリタイアしている。(第17回はランプグラスパーは既に撤去されていた。)
小林信治
モンキーバーズ日本人2位を誇る産業廃棄物処理業者。
出場時は青もしくは水色のツナギの格好で出場していた。
極真空手の有段者でもあり、初登場時は1stクリア後に気合の声を上げていた。
初出場にして3rdまで進出し、第14回では子供のお守りを入れた脚で1stのゴールボタンを押すというパフォーマンスで会場を沸かせて再び3rdに進出。新エリアのジャンピングバーをただ1人完全攻略し、パイプスライダー前のデビルブランコまで到達し、長野誠を差し置いて最優秀成績者となった。(第2期SASUKEでオールスターズ以外の最優秀成績者は第8回のケインと彼のみである。)
その後は安定感に欠け、3rd進出はなくなってしまい、他に注目選手が出てきたせいか第17回以降はややカットされがちになってしまった。
1stの全面リニューアルがなされた第18回は44人目にして、まだ誰もクリアできなかったジャンピングスパイダーを初めてクリアした選手であるにも拘らず全カットされていた。(結果はフライングシュートでリタイア。)
第20回大会ではフルだったのだがジャンピングスパイダーでのリタイア時に初田アナから「山本」と呼ばれてしまう始末。
第21回を最後に引退したが、第40回では秋山和彦の応援のために久しぶりに会場に足を運んだ姿が公式YouTubeチャンネルにて公開された。
小林正明
体操塾の塾長で教え子からは「まちゃ先生」と慕われている。
第12回大会で初出場にして3rdまで出場するも全ダイジェストと扱いは不遇だった。しかし、SASUKEトライアルで竹田、長野に続く3位となり、次の第13回においても5人の3rd進出者の一人となり注目を集める。
第16回を最後に出場は途絶えるも、第29回において久々の復活を果たしファンの注目を集めた。
因みに3rdリタイアの理由はいずれもパワーがありすぎてボディプロップを割ってしまったため。
山田康司
竹田と同じ岐阜県の消防士、秋山を下回る体脂肪3%、山田と同じ苗字と、オールスターズ3人を足して3で割ったような消防士。
第11回前に行われた100m雲梯モンキーバーズでは60mの記録を出して5位になったが、上位3人が出場できるというルールだったため、出場ができなかった。初登場の第12回ではゼッケン1番での登場でいきなり1stクリアを達成してそのまま3rdクリフハンガーまで進み、当時の有力選手達の度肝を抜いた。
尚、ゼッケン1番で2nd進出を果たしたのは彼と第27回の菅野仁志、第4回の新一郎のみである。(初登場でのクリアは山田のみ)
1stに対しては竹田以上の安定感があり、史上最難関と言われる第19回1stを生き残った二人の内の一人でもあるが、その大会以降は出場していない。
石川輝一
日体大体操部のOBであり、マッスルミュージカルに所属する有力選手。
初登場の第14回で3rd進出を果たし注目される。
近年においても活躍しているが、新設されるエリアでの苦戦があり、特に最近では2ndのバックストリームが鬼門となっている。
第30回大会を最後に出場していない。(あろうことか30回大会は全カット。)
有力選手(第18回以降)
鷲見裕二
「リベンジ、それ一本で行きます」(第19回2nd挑戦前)
元モトクロス国際A級ライダーの経歴を持つ自動車整備士。恐らくSASUKE史上最も「記録より記憶に残る」という言葉が当てはまる人物。
第11回から出場しているが、第2期の間は1stをクリアできず、放送時もカットされるなど不遇だった。
大きく注目されたのは第19回。オールスターズも長崎も超えられなかったフライングシュートを攻略し、山田康司と共に2ndまで進出し、最終競技者となる。
リボーンのBGMと共にスタートラインに立つ姿は多くのファンの心に刻まれた。この時山田康司とともに最優秀成績者となった。
第24回では久しぶりの2nd進出を果たし、メタルスピンでリタイアこそしたものの、因縁のサーモンラダーを見事攻略して見せた。
第40回では予選会で敗退したが、久しぶりに姿を現しファンを喜ばせた。
なお、彼は最優秀成績経験者で唯一3rd未経験の選手である。
奥山義行(第24回大会ファイナリスト)
「実は全然クールじゃないっていうね……」(第24回FINAL進出時)
1991年世界陸上200m日本代表選手。現在はスポーツトレーナー。
初出場は第19回。この時は全カットだったもののハーフパイプアタック最初のクリア者になっている。続く第20回大会で未だ猛威を振るう1stを突破した三人のうちの一人となった事で話題になり、その後も22回~27回まで毎回3rdに進出し続ける活躍を見せた。SASUKEに出場するために転職しており、紹介ではしばしばそのことに触れられていた。
40代で3rdに進出した初めての選手である。
クリアしてもあまり表情を変えないことから「SASUKE一クール」「孤高の天才スプリンター」と呼ばれていたが、第24回のFINAL進出時はゴール地点で顔を突っ伏し、インタビューでも「実はクールじゃないんです」と珍しく喜びをあらわにしたことは有名。また、当時39歳という史上最年長ファイナリスト記録を保持している。
第26回では日本人で唯一の3rd進出者となり、リー・エンチと並び最優秀成績を収めた。
第29回を最後に出場していないが、40手前からの挑戦という年齢のハンデを跳ね除けて挑む姿は多くの視聴者の心をつかみ、現在でも復帰を待つ声は多い。
伊佐嘉矩
山田軍団「黒虎」元団員で、現役の十種競技選手。十種競技とSASUKEの両方で日本代表になることが夢。
雄叫びを挙げるのが特徴で初出場の第36回では気合いが入りすぎてローリングヒルでリタイアするという不甲斐ない結果で終わってしまったが、第37回以降は山本良幸と並び3rd進出の常連となっている。
第38回後に黒虎を退団し、第39回では和田アキ子率いるアッコ軍団「赤虎」として出場した。
第40回終了時点で二大会連続3rdのスイングエッジでリタイアを喫している(うち前者は前述の通り、赤い突起部分以外を掴んだことによる失格)。
第41回は「今まで3rdに4回挑んで4回とも歯が立たなかったから」として欠場。
武藤智広
トランポリンでインカレ優勝を経験した、サムライ・ロック・オーケストラの男性リーダー。
初出場を果たした第38回では全カット(ドラゴングライダーでリタイア)だったが、師匠・池谷直樹と同じく38回で初登場してドラゴングライダーまで進んだ渡邊麻衣が見守る中出場した第39回では1stで危ないところを見せつつも、通算200人目の1st初クリア者になり、勢いそのままに3rdまで進出した。
第40回では師匠と共に出場し、再び3rd進出を果たした。
これまで二度に渡ってサイドワインダーで不覚を取っていたが、第41回でクリアしクリフディメンションまで到達した。なお、肝心のサイドワインダー挑戦は放送では途中カット。直前の佐藤惇もろともクリフディメンションからとなっていた。
SASUKE新世代の長崎とは同じトランポリンパフォーマー仲間として親交がある。
「SASUKEワールドカップ」では師匠と共に渡邊麻衣の応援をしていた。
宮岡良丞
愛媛銀行職員。
以前は本番前のシミュレーターも務めていたが、応募し続けて10年越しの第41回でついに初出場を果たし、驚異的なポテンシャルを見せつけて3rdに進出。
リニューアルされたバーティカルリミット.BURSTの4本目で惜しくもリタイアしたものの初出場にして森本裕介、山本桂太朗と並び最優秀成績を収める快挙を成し遂げた。
芸能人の有力選手
大森晃(第1回大会〜第3回大会ファイナリスト)
「ファイナリストである誇りはどこへいっても持って、前に前に行く勇気は持てますね」(第2回FINALリタイア時)
「おさる」の芸名で活動しているお笑い芸人。浅井企画所属。記念すべき第1回大会の最優秀成績者。
第1回から3大会連続でFINAL進出という大記録を打ち立てたことから当時は「芸能界のミスターSASUKE」とも呼ばれ、完全制覇の最有力候補とまで言われていた。
腕力こそほかの選手に譲るものの、特筆すべきは軽やかな身のこなしと卓越したバランス感覚であり、5連ハンマーや丸太登り、パイプスパイダーといった初期の難関を軽々と越えてしまうなど大活躍をしていた。しかし、第4回以降ローリング丸太やジャンプハングに阻まれて1stリタイアが続き、第8回から出場が途絶えた。その後は1stクリアこそないが、ブランクを経て度々出場し古参のファンを喜ばせている。
ゼッケン100番を背負ってFINALに進出したのは彼と長野誠、森本裕介の3人のみであり、3大会連続FINAL進出記録は長野誠と並び歴代一位タイの記録である。
因みに芸人としては元『アニマル梯団』(2000年解散)、芸名を「モンキッキー」にした時期もある。
2008年より書家・松川昌弘に師事し書家・宇都鬼(ウッキー)として活動開始。
いまだにそり立つ壁に挑戦したことが無い。
ケイン・コスギ(第8回大会ファイナリスト)
『この男を紹介する時、あえて修飾はいりません。ケイン・コスギです!』(第7回1st挑戦前)
筋肉番付時代から活躍する言わずと知れたアクション俳優。スポーツマンNo.1決定戦では成績上位者の常連だった。
第1回から出場し、この時は3rdのポールブリッジで落下しリタイア。その後も出場した大会では1stクリア率100%を誇り、芸能人最強選手とも呼ばれていた。
3大会連続3rd進出を果たしていたが、第7回は自身初の2ndリタイアを喫した。(この時弟のシェインは3rdに進出しており、唯一シェインに劣る成績となってしまい、しかも古舘伊知郎によると落下の際に足場の縁に脇を激突させてしまい、内出血したのとのこと。)その後SASUKE仕様の肉体改造をして挑んだ第8回は完璧なコンディションでFINAL進出を果たしたが、悪天候の雨で思うように上ることができず、無念にもタイムアップとなってしまった。この挑戦は古舘の「ケインの悔し涙かこの雨は!」という実況も相まって非常に印象深く、しばしばファンの間でSASUKE史に残る名場面の一つとして語られている。完全制覇まであと一歩まで迫ったものの、この大会を最後に、俳優業に専念するため出場を取りやめてしまった。しかし、黄金筋肉(ゴールデンマッスル)内でのインタビューでは「トレーニングする時間があったらまた、チャレンジしてみたい」と語っていた。SASUKEでもスポーツマンNo.1決定戦でも全選手の中で最高成績を出した唯一の選手である。
弟であるシェイン・コスギも2回の3rd進出を果たすなど、兄弟揃って実績を残している。
第22回ではものまね芸人の山本高広が彼のものまねをして出場したが第1エリアでリタイアした。
ファンからも長らく復帰を望まれていたが、第40回で実に21年振りのSASUKE復帰を果たす(この時の新キャッチフレーズは「武道の総合商社」)。カムバックにあたって、又地の指導のもとで6ヶ月以上に渡ってSASUKEのためのトレーニングと体作りに励んだ。その甲斐あって、なんと48歳にして圧巻のパフォーマンスで1stをクリアし、1st無敗記録、1stクリア最年長記録を更新した。2ndステージではバックストリームのクリア直後にタイムアップでリタイアしてしまったが、次回以降への参戦にも意欲を示している。第41回は怪我で欠場したが、又地の応援のために会場に姿を見せている。「SASUKEワールドカップ」ではSASUKEオールスターズ、19年ぶりのSASUKE出場となる水野裕子と並んで「チームJAPAN LEGEND」として出場。
後述の池谷とはスポーツマンNo.1決定戦でのライバル。
ケイン・コスギの弟。第2回に初出場し、2ndウォールリフティングでタイムアップ。第4回からは兄のケインと一緒に出場しており、第6回ではSASUKE史上唯一の兄弟で3rd進出を達成した。第7回ではケインが2ndでリタイアしたことでケインに勝る成績となったが、ボディプロップでリタイア。その後2大会は1stでリタイアとなった。
筋肉番付の企画「モンスターボックス」の世界記録保持者。スポーツマンNo.1決定戦でも優秀な成績を残して続けた選手で、ケインのライバルとしても有名だった。愛称は「人間ムササビ男」。
初登場は第2回で、この時は1stのぶらさがり丸太で落下。
しかし第10回以降はほぼ3rd進出を果たす、オールスターズに次ぐ好成績を残す。
長野の完全制覇以降は安定感に欠けてしまったが、第26、27回では1stをクリアしている。
選手として以外では落選して出場できない時も愛弟子であるマッスルミュージカルや自身が立ち上げたサムライ・ロック・オーケストラメンバーの応援のため度々会場に足を運んでいた。
兄である池谷幸雄も第1回で1stクリア経験があり、第20、24回では兄弟で出場した。
1stクリアこそないものの現在も出場中、山本や山田、大森と共にレジェンドの一人として名を連ねている。
第16回まではゼッケンが61・81・90のいずれかを着用していた。
「SASUKEワールドカップ」では弟子の武藤智広と共に渡邊麻衣の応援に駆け付けていた。
『このスピードは何なんだ!?まだ40秒残して、タッチしたー!!38秒17残しー!!』(第40回1stクリア時)
吉本坂46のメンバー。人呼んで吉本随一のマッスルモンスター。第38回大会初出場。
順天堂大学体操部出身で、友人でもある才川コージの祖母の実家で訓練を積み二大会連続で1stをクリアした。
2ndローリングログの影響でタイムアップとなった反省から、目を回した状態からサーモンラダーの練習をするという方法を編み出し、39回大会で20秒残しで2ndを突破。3rdではスイングエッジを初見でクリアする偉業を成し遂げた。
第40回でも圧倒的速さで1st、2ndをクリアし、他の選手達を驚愕させた。
第41回は才川が欠場の中、45.39秒残しで1stを突破。第27回のデイヴィッド・キャンベル以来となる1stクリア最速タイムを更新した。
一方3rdでは多くの選手達と同じくクリフディメンションが鬼門になっている。
2023年には『ウルトラマンブレーザー』に出演したことで子供達からも人気を博し、第41回の1st挑戦前にはブレーザーのファイティングポーズを披露。さらに放送時には主題歌の『僕らのスペクトラ』が流された。
ウルトラシリーズに出演経験のある俳優では彼やケイン・コスギ以外に小澤雄太や寺坂頼我が出場したことがある。
海外の有力選手
- アメリカ選手
リーヴァイ・ミューエンバーグ
第20回で初出場したアメリカのプロフリーランニング選手。
後のアメリカ版SASUKE「アメリカンニンジャウォーリアー」の先駆けとも言える人物であり、長野や奥山と共に第20回1stをクリアした三人のうち一人。
若さあふれるパフォーマンスで、1stではエリア間で宙返りを度々披露し実況を驚かせた。
この時はただ一人3rdに進出し、新クリフハンガーまで到達。外国出身選手史上初の最優秀成績を収めた。
尚、この時の「SASUKEの挑戦に国の違いはない」という名言を残し感動を呼んだ。
が、もれなく次の第21回から日本人VSアメリカ人VSリー・エンチという国際対決の図式が作られてしまったのは伝説である。
怪我をきっかけにSASUKE、フリーランニングともに引退、現在は農業に従事している。
ブライアン・オロスコ
当時アメリカ予選会をリーヴァイに続く2位で通過した人物。第20回初出場。
しばらくの間2ndで阻まれていたが、第25回でついに3rdに進出。この時初めてリーヴァイに勝る成績を残した。しかし2回進出した3rdではどちらも序盤でリタイアしている。
デイヴィッド・キャンベル
自宅の1200坪の庭に世界一巨大なSASUKEセットを持つミュージシャン。「アメリカの絶対エース」と呼ばれていた。(第27回より)
初登場は第22回で、1stの新エリアスライダージャンプでネットを掴めずにリタイアかと思われたが、足がネットに絡んで落水を免れたという奇跡を見せた。結果はスライダージャンプやエリア間のタイムロスの影響で最終エリアのロープラダーでタイムアップ。なお、リーヴァイはスライダージャンプでリタイアしていたため、同大会出場したアメリカの選手の中では最優秀成績であった。
第26回大会は予選会を2位で通過して出場。アルティメットクリフハンガー3本目から4本目の飛びつきに失敗。第27回はアメリカ予選会を1位で通過。44.32秒残しという当時歴代最速のタイムで1stをクリア。3rdではアルティメットクリフハンガー攻略目前まで迫ったが、無念のリタイア。
それ以降SASUKEの出場はないが、American Ninja Warriorでは40代目前でなお1stステージをクリアするなどの活躍を残している。
ベトナム版SASUKEでは初の完全制覇を達成した。
ドリュー・ドレッシェル
アメリカ出身のジムトレーナーであり、現在のSASUKEアメリカ選手の筆頭を飾る人物。
初出場の第27回ではハーフパイプアタックの着地に失敗して捻挫を起こし棄権してしまったもの(同大会のアメリカ選手で唯一の1stリタイア者となってしまった。しかし全カットだったためか第35回大会の2ndで「出場した6大会すべて3rdステージ進出」とナレーションされてしまった。)の、第30回で3大会ぶりに出場してからは確実に1stをクリアしているため、ドリューの挑戦はクリフハンガーを超えられるかにかかっているともいえる。
第36回では2ndステージのバックストリームからリバースコンベアに移動する際、滑り台で勢い余ってコースアウトで失格になってしまった。連続3rd進出も6大会でストップとなった。
第6期開始と同時に覚醒した感があり、ウルトラクレイジークリフハンガー初お披露目の第32回には誰もが恒例のクリフ全滅を予想する中まさかの初見突破。これはアメリカ人史上初のクリフハンガークリアである。流石にバーティカルリミットはどうにもならなかったが、続く第33回も最優秀成績を収めている。また、佐藤惇とのハイレベル(異次元)な最速タイム争いは第6期SASUKEの見所の一つであり、第34回大会から第36回大会までは二人が交互に最速タイムを取っている。
逸話として、第32回大会では1st挑戦時に夜露による危険を訴えたが、聞き入れてもらえなかったため異常に滑る1stを強引にクリアしてから再度指摘し、事故の危険を未然に防いだ。
尤も台風真っただ中でケインとヨブチェフにFINALをやらせたスタッフからすれば「たかが夜露程度」だったのかもしれないが、安全な競技を訴える彼の姿勢は見習わなければならない。(第8回当時のSASUKEは全ステージを1日で収録しなければならなかったため、やむを得ない状況だった。)
2019年9月にアメリカ版SASUKEで完全制覇を成し遂げた事を森本のTwitterで明かした。
https://twitter.com/sasukemorimoto/status and/1173943715984883714?s=19
第37回は妻が出産を控えていたため不参加となったが、その後の2020年8月、性犯罪行為で逮捕された。
ジェシー・グラフ
アメリカ出身のスタントウーマン。「アメリカンニンジャウォーリアー」では女性初の1stクリア者で、2016年の世界対抗戦では2ndステージを女性で初めてクリア。
初登場の第34回では15秒近く残して1stをクリア、史上2人目の女性1stクリア者となり、その勢いで2ndもクリア、女性初の3rd進出者となったが、ウルトラクレイジークリフハンガーで残念ながら力尽きた。
第37回では2年ぶりに出場し、再び3rdに進出しクリフハンガーデイメンションまで到達した。
サイドワインダー挑戦時に両脚のみでしがみつき両腕を休める「ジェシースタイル」が特徴(ちなみに後に武藤智広が第41回大会で鉄棒でいうこうもりの状態になるパフォーマンスを見せている。)。
その次の二大会ではコロナ禍により海外からの出場が見送られ、更に肩の怪我に見舞われるも、第40回でついに帰還。1stを猛スピードでクリアするも、2ndのリバースコンベアーで無念のタイムアップとなった。
「SASUKEワールドカップ」ではアメリカチームのキャプテンとして出場。
- それ以外の国の海外選手
ヨルダン・ヨブチェフ(第8回大会ファイナリスト)
ブルガリア出身の体操オリンピック選手。
初登場の第8回では、1stを0.00秒でクリアという奇跡を起こし、いきなり前述のケインと共にFINAL進出を果たして注目を浴び、その後ケインの跡を継ぐようにSASUKE挑戦を続ける。第12回で再出場した時は海外選手で初めてゼッケン99を着用した選手となった。
若干ウェイトがあるためクリフハンガーやそり立つ壁など苦手なエリアも多い分、力が要求されるエリアでは負けなしの突破率を誇る。第23回を最後に出場していない。
なお、彼が着用していたゼッケンは全て奇数で「9」が必ず入っていた。1stでの落水、2ndリタイアは共に0である。
リー・エンチ(第24回大会ファイナリスト)
台湾出身のロッククライマー。現在はスポーツトレーナーをしている。
初登場は第17回で、台湾の厳しい予選会を1位通過して来日した選手であり、SASUKE人気が海外に及んでいる事を象徴する人物の一人。第22回以降は引退した小林信治に変わってSASUKEオールスターズと一緒に並走するようになった。
第24回で念願のFINAL進出を果たすが、惜しくもタイムアップ。
その後は第25、26回で二度の最優秀成績を収めたが、第27回では1stのスタートエリア・ステップスライダーで足を着水させてしまった。
第29回大会は同大会唯一の外国人選手として出場した。
第31回大会は会場に足を運ぶも出場はしていない。
ラギヴァル・アナスターズ
タヒチ出身のタヒチアンダンス講師。元カヌー代表選手で、当時は金メダルを獲得している。
初登場の第31回でいきなり1st、2ndと桁外れのタイムをはじき出し、先にクリアしていた日置に「化けもんですね」とまで言わせた。
ウルトラクレイジークリフハンガーにリベンジを誓った第32回は不運にも雨に見舞われフライングバーで敗退。クリフハンガーが苦手であり、過去二回挑戦してすべて背面跳びが一度もできずにリタイアしている。
第33回以降はFINAL進出もありうると期待の声が高まっているが、第35回以降に出場していないが、それは関連番組のKuroOviに挑戦したためという説があるが真相は不明。
レネ・キャスリー(第37回大会ファイナリスト)
「ファイナルだぜ、ベイビー!」(第37回FINAL進出時)
ドイツ版SASUKE「Ninja Warrior Germany」2連覇の実績を持つサーカス一家の象つかい。第37回大会初出場。
象つかいで培った身のこなしとドリューを越える指の力で初出場でFINAL進出し、最優秀成績者となった。初出場でのファイナリストは第8回のヨブチェフ以来、初出場での最優秀成績者は第20回のリーヴァイ以来。
特筆すべきはパイプスライダーの飛び移りで、長野や森本を始め反動をつけて飛び移るテクニックが必須のところ、レネは片脚を乗せたところからユラリと踏みとどまるという衝撃さから『異次元』と評されている。
コロナ禍を乗り越え、現地で完全制覇者の肩書きを引っ提げて第41回大会で復活。3rdではスイングエッジまでを迅速に攻略するもクリフディメンションでリタイアとなった。
それでもフライングバー→サイドワインダーをノンストップで進むなど随所で撮れ高を生み出し、存在感を見せつけた。
「SASUKEワールドカップ」ではチームドイツの絶対的エースにて、同チームのキャプテンで出場したが、最速タイムを狙うあまりノンストップで進んだ結果、ツインダイヤでまさかのリタイアとなった。
その他の注目選手、名物選手
上記の選手達以外に様々な面で会場を盛り上げた選手達の一部をまとめる。
1stクリア経験者
山本義人
トラック運転手。SASUKEで初めて3rdに進出した選手である。前述の山本達也とは兄弟であり、義人は弟。第2回では2ndでの実況の際に「1stは最速タイムだった」と実況された。(1stは全カット。)
坂本隆
スタントマン。第1回はゼッケン22、第2回はゼッケン11とゾロ目のゼッケンを与えられたが、2ndまで進出した。第3回では丸太上りでリタイア。この時のゼッケンは39であり、ゾロ目でもないゼッケンだった。
新一郎
フィットネスクラブのインストラクター。名前はフルネームで「あたらし いちろう」であり、「しんいちろう」という芸名などではない。トップバッターをやるために生まれたような男と称されて、史上初めて緑山でSASUKEに挑んだ選手でもある。第4回では1stクリアを果たすが、逆走コンベアでタイムアップ。同大会放送された2ndリタイア者の中では最高成績だった。
SASUKE史上唯一ゼッケン1を複数回経験した選手である。
飯島豊久
通称「和製ブルース・リー」の元陸上自衛隊員。第5回大会まで皆勤賞。
SASUKEで最も無駄な動きが多い男と呼ばれ、エリア間で様々なパフォーマンスを披露する。
初出場の第1回こそ1stをクリアしたが、その後は全て1stでリタイアしている。第14回を最後に出場が途絶えていたが、第30回は9年振りに出場し、変わらぬパフォーマンスで注目を集めた。なお、新一郎と飯島は第1回大会ではゼッケンは貼っておらず、上半身裸に番号を書いていた。
池谷直樹の兄。第1回に出場して2ndの五連ハンマーでリタイア。その後、第20回記念大会で11年ぶりのSASUKE出場を弟の直樹と一緒に果たしたが、ロッググリップでリタイアとなり、改めてSASUKEの難しさを痛感した。第24回も出場したが、またもロッググリップでリタイア。第25回では第1回以来の1人での出場となったが、新エリアのブリッジジャンプでリタイアとなった。
上田拓右
第2回で初出場。緑山で初めて1stをクリアした選手である。WALL LIFTING RUNでタイムアップとなった。この時の肩書きはインターネット・プロバイダ経営だった。第4回で再出場した際は、フリークライマーに転職。クリフハンガー1本目でリタイア。
スーパー戦隊シリーズなどでスーツアクターも務めるスタントウーマン。
第2回で初出場し、女性初の1stクリアを果たしたが、2ndではスタートのスパイダーウォークを突っ張ることが出来ないままリタイアとなった。後に女性版SASUKEの「KUNOICHI」にも出場し常連選手として活躍した。
2023年11月にSASUKE公式YouTubeチャンネルに出演。日本人女性二人目の1stクリア者となった大嶋あやのにエールを送った。
本人はSASUKE挑戦を引退して久しいが、ジェシーや大嶋の躍進があるまでは女性唯一のSASUKEクリア者として名を馳せ続けた。
吉永克己
小学校教師。「新SASUKE先生」の異名を持つ。
初出場は第2回で、実は前述のSASUKE先生こと朝岡よりも先に出場している。1stリタイアが多いが、第7回では1stをクリアしている。
第35回では16年ぶりに出場。この時は実況の杉山アナから「元祖SASUKE先生」と呼ばれていた。出場こそ吉永が先だが教師として出場したのは朝岡が先であり、どちらを初代SASUKE先生とするかは議論が分かれる。
実はそり立つ壁を人類で初めて攻略した選手である。
海老原匡一
第2回のみに出場した佐川急便ドライバー。2ndを12.9秒残しの最速タイムを樹立した。3rdのパイプスライダーまで到達し、2本目のパイプを進ませた直後、バランスを崩して右のバーが外れてしまった。
その時点で諦めたのか自ら手を離して落水。
トラビス・アレン・シュレイダー
ベンチプレス190kgの記録を持つダイバー。
初出場の第4回では90kgという重量ながら1st、2nd共に最速タイムでクリア(2ndは全カットされた3人が7.7秒を超えている可能性がある。)。続く3rdでは最終エリア・パイプスライダーの前半でパイプが脱線して宙吊り状態になるも、なんと力ずくで中間地点まで進んでみせた。
そのままゴール地点の着地にも成功した(放送時はカット)が、脱線した時点で失格となるためFINAL進出を逃した。
実は第5回にもリベンジをかけて出場していたのだが、新設されたジャンプハングやそり立つ壁を難なく超えるもジャンプハングで足が絡まった影響で1stタイムアップとなってしまった。
畠田好章
バルセロナオリンピック団体総合銅メダリスト。第6回のみ出場。自身の前まで82人連続1stリタイアという状況だった。
当時猛威を奮っていたジャンプハングで初めて上に登るという攻略法を編み出し、実況で「前代未聞だ!」と驚かれ、そのまま3rdまで進出した。
このジャンプハングの攻略は後に同大会に出場していたケイン・コスギが同じ手法で攻略したことで、以後定番となった。
佐川隆一
元日体大陸上部。第8回大会のみ出場し、1stで初出場ながら最速タイムを記録。しかし2ndのチェーンリアクションで着地で着水という珍しい形でリタイア。
岡田祐一
メディカル事業。初出場は第10回。
初出場から12年10ヶ月という期間を経た第31回で40代ながら初の1stクリア。これは初出場から初クリアまでの期間としては最長ブランクの記録である。
2ndではウォールリフティングまで到達するも、壁を持ち上げることに固執したのが仇となり3枚目の壁でタイムアップ。
新井健一
水泳指導員。
第10回から出場し初出場で1stをクリアしている。SASUKEにおける合同トレーニングの先駆けとなった存在。
長澤秀則
第10回から出場したジャガー整備士。
第16回で第5回のリニューアル後では初となる40代での2nd進出。この時に嘗ての山田勝己の様に手袋をつけたままスパイダーウォーク改に挑もうとしたことがある(スタッフの声に気づき一旦戻って手袋を外した)。
第27回では当時中学生だった長男と共に出場した。
山口康輔
フィンスイミング元日本チャンピオン。第12回大会初出場も1stロープクライムでタイムアップ(全カット)。第14回では3rdに進出するも、挑戦シーン全てダイジェスト扱いになっていた。
第30回で久々に出場した。
本間滉太
ジャグリングが趣味の中学生。初出場ながら高いポテンシャルを発揮してロープクライムまで到達した。第15回もロープクライムでタイムアップとなり、失敗を繰り返したくないと高校では陸上部に所属した。そして第17回大会で当時史上最年少となる16歳での1stクリアを果たした。その後リニューアルされたSASUKEにも出場したが、成績が振るわず、全カットやダイジェスト扱いされるようになってしまった。ちなみに夢は消防士で竹田敏浩に憧れていた。
ポール・ハム
アテネオリンピックの体操個人金メダリスト。ハム兄弟の弟。第14回では兄が超えられなかった1stをクリア。2ndでは時間との戦いになり、3枚目の壁を持ち上げた後にゴール地点に飛び込んだ。しかし、赤いボタンを押し忘れてクリアは無効とされた。(第7回までの2ndだったらボタンは無かったためクリアとなっていた。)第15回は猛暑の影響でそり立つ壁でタイムアップ。第16回は1人で出場。同大会で猛威を奮っていたメタルスピンでリタイア。
モーガン・ハム
アテネオリンピックの体操個人銀メダリスト。ハム兄弟の兄。第14回では1stのロープクライムでタイムアップ。第15回は弟がリタイアした1stをクリア。3rdまで進み、カーテンクリングでリタイアした。
ポール・アンソニー・テレック
陸上十種競技アメリカ代表。190cm、91kgという巨漢の持ち主であり、その巨漢に似合わぬ恐るべきポテンシャルを披露していった。初出場時は3rdに進出し、その後は1stリタイアが続いたものの、第19回大会では苦戦する選手が多発していたポールメイズを、巨漢を活かしてわずか2秒で攻略するという荒業を見せた。
初田「棒高跳びが得意なポールアンソニーテレック〜!!なんというポールメイズ!!このポールメイズを何も苦にしなかった!!」
2007年に出場したスポーツマンNo.1決定戦では史上初となるアメリカ選手総合No.1の栄光に輝いた。
「3人残ったが、この3人は"チーム"なんです」(第21回3rd挑戦前)
スポーツマンNo.1決定戦での優勝経験も持つハンドボール日本代表選手。
第20回は1stハーフパイプアタックでリタイアしたが、第21回では有力選手達が次々リタイアしていく中で長野、竹田と共に3rd進出を果たして注目された。
第22回は前回の実績を買われゼッケン99番を背負うも1stロープラダーで惜しくもタイムアップ。
田島直弥
ヤマト運輸勤務。同姓同名のお笑い芸人とは別人。
第23回で初出場にして2ndに進出したが、サーモンラダーに阻まれた。
腕力強化に努めた第24回では3rdまで進出し、スパイダーフリップを腕力のみで攻略し常連選手達に衝撃を与えたが、最終エリアのグライディングリングでストッパーを外し忘れてしまい、そのまま勢いを付けようとした反動で落下。FINAL進出目前まで迫りながら無念にもリタイアとなった。
第28回以降は出場していない。
新世代の一人として扱われたこともある。
森澤教有
第30回で出場した森本裕介の幼馴染で東京大学大学院生。初出場で1stをクリアしたが、2ndは体調不良のため棄権。そのためか、同大会1人目の1stクリア者となったにもかかわらず放送では全カットだった(1人目の1stクリア者の全カットは第4回大会の新一郎以来2人目)。
岸本真弥
『お願いですからロググリップは壊さないでください!』(第30回1stロググリップにて)
商社「ゴードー商事」の営業マン。
初出場の第25回でスタート前にフライパン曲げを披露し実況から「期待できそうだ!」と言われたが、まさかの第一エリアでリタイアしてしまった。
その後も1stリタイアが続いたが、第30回ではついに1stをクリアしそのまま3rdまで進出。当時最難関と言われたクレイジークリフハンガーも攻略し、その肉体が見掛け倒しでないことを証明した。しかし、3rd進出はこの1回のみであるため、一発屋選手感が否めない。
第34回以降は出場が無い。
第4代K-1 WORLD GPスーパー・フェザー級王者。
第30回で初出場し、第33、34回で1stをクリアしている。
第36回以降はスケジュールの都合で度々欠場しているが、日々自宅のSASUKEセットでトレーニングに励んでいる。
大嶋あやの
『歴史は変わったー!!』(第40回1stクリア時)
第17回での長野の完全制覇を見てからSASUKEに魅せられたKUNOICHIの有力選手であり、第31回から本家SASUKEに参戦。そり立つ壁を登るところまで進んだ。
第36回では女性で初めてドラゴングライダーをクリアし、日本人女性での1stクリアが期待された中、第40回で悲願の1stクリアを果たし、第2回の田邊智恵以来となる24年ぶりの日本人女性の1stクリア者となった。しかし、第41回ではドラゴングライダーの飛び移りに失敗し緑山の魔物に引き釣り込まれた。
第38回までは東京シティ信用金庫職員だったが、その後キッズパーソナルトレーナーに転職。
川口朋広とは師弟のような間柄。
SASUKEワールドカップでは日本人女性初の3rd挑戦者となったが、フライングバーからサイドワインダーの飛び移りでリタイア。
山下裕太
「京大SASUKEサークルを、よろしくお願いしま~す!」(第41回1stタックルにて)
京大SASUKEサークル代表の褌男。
初出場の第32回では1stのオルゴールでリタイアし、放送でも全カットだったが、再び出場権を掴んだ第41回では1st、2ndを危なげなく突破。3rdではクリフディメンションの一回目の飛び移りを成功させるという大健闘振りを見せつけ、一躍注目株の一人に躍り出た。
ちなみにこの時点でサークルのメンバーは41人とかなりの大所帯。
宇賀神翔悟
足場工事職人。
第32回大会に初出場し、第34回ではダイジェストながら1stクリアを果たしたが、泳ぎが苦手なのが祟りバックストリームでタイムアップになった。第35回でドラゴングライダーの飛び移りに失敗している姿がCMで流されていた。第36回は再び1stをクリアするが、バックストリームで体力を使いきりリバースコンベア半ばでタイムアップ。
番組側から定義された森本世代の選手ではないものの、最近では上記5人と行動を共にすることも多く、漆原の結婚式の際も森本世代テーブルにしっかりと含まれていたことから森本世代とする動きが強かったが、第37回以降は応募に落選し続けている。
高須清輝
第37金比羅丸の船員。
長野誠が勤務していた水産会社の社長の息子で、長野の意志を受け継いで第33回に初出場。長野のアドバイスを受けながら見事に1stをクリアする快挙を成し遂げるものの、サーモンラダーが鬼門になっている。第36回以降は管理職に専念するために出場を断念している。
中川貴晴
ソサイチ日本代表。
自身の活躍で7人制サッカー・ソサイチを広めたい思いを抱き第33回に初出場し、第34、36回に1stクリアしている。現在はソサイチの選手やパーソナルジムのトレーナーとして活躍する傍らでもトレーニングに励んでいるが、応募に落選し続けている。
ステファニー・エデルマン
オーストリアとドイツ版Ninja Warriorで女性最優秀成績者。
第36回に初出場するも、ウイングスライダーで長身が仇となって踏ん張れずにリタイアしたが、同じくNinja Warrior Germanyでトップ選手として活躍するオリバー・エデルマンと結婚し、夫婦で挑んだ第40回で1stをクリアし、同じ女性選手の大嶋、ジェシー、そして夫のオリバーと共に2ndに進出した。第41回は妊娠により欠場。
後藤祐輔
幼い頃に山田勝己に憧れSASUKEを志した林野庁職員。実況では「林業の未来を担う夢追い人」と呼ばれている。
応募し続けて8年越しに初出場を果たした第38回では全カット(ドラゴングライダーで脱線)だったが、第39回では難易度の増した1stをクリア。2ndはサーモンラダーでリタイアしたものの、森本から「3rd、FINALくるかもしれませんね」と評されるなど、今後が期待できる選手の一人。
第41回では2大会ぶりに1stクリアを果たした。
長野塊王
完全制覇者長野誠の実子。
父と共に初出場を果たした第40回ではローリングヒルでリタイアという結果に終わったが、一年間練習を積み挑んだ第41回では14歳にして史上最年少の1stクリアを果たした。
「黒虎」団員の中島結太とは同世代ということもあり会場でも鼓舞し合う様子が見られる。
内宮修造
クレーンリース会社職員。初出場は第41回だが、それ以前にも漆原やSASUKEの公式YouTubeの動画で紹介されているので、気になった人はチェックしてみよう。
「SASUKEに出場するには何かで一番になる必要がある」と考えた結果、自費で購入した200坪の土地に「内宮パーク」と呼ばれる巨大なSASUKEセットを製作し、第41回で念願の初出場を果たす。
自作セットで培われた動きで初出場にして1stをクリアしたが、2ndではリバースコンベアで苦戦しタイムロス。ウォールリフティングで惜しくもタイムアップとなった。
オリバー・エデルマン
ドイツ版SASUKEのレジェンドとして出場。
7年連続FINAL進出という驚異の記録を持っていた。
40回大会では妻のステファニーと共に2ndに進出した。41回はステファニーの妊娠により欠場。子育てにより、SASUKEワールドカップのドイツ代表には選ばれなかった。
ダニエル・ギル
「american ninja warrior」シーズン15の完全制覇者。
初出場にして3rdのクリフディメンションまで到達した。
SASUKEワールドカップではチームアメリカのメンバーの1人として出場。1stではウイングスライダーで左足を痛めるアクシデントに見舞われるも、チームのためにそり立つ壁まで進む奮闘ぶりを見せた。
女性選手
元祖芸能界No.1のマッスルクイーン。
第8回で初出場。女性版SASUKEの「KUNOICHI」で2度のファイナリストになった経験を持っている。第14回を最後にSASUKEから離れたが、SASUKEワールドカップのチームレジェンドのメンバーとしてなんと19年ぶりの出場となった。
遊佐雅美
ライフセーバー。第6回で初出場。当時のSASUKEでは比較的好成績を残すことが多い女性選手であった。第14回ではSASUKE史上2人目の女性選手のそり立つ壁到達者となった。
泉美香→渡邊美香
ジャズダンスインストラクター。女性版SASUKE「KUNOICHI」第3回大会ファイナリストの肩書きを持って初出場した第12回ではジャンプハングリタイアであったが、SASUKEトライアルではなんと女性選手で初めてジャンプハングを攻略し、さらにそり立つ壁を一発でクリアしてみせた。第13回ではプリズムシーソーでまさかのリタイアとなった。
その後は結婚して子供も授かっていたが、第28回で久々の電撃復帰。その後は第32回まで出場。
ルーシー・ロンバーグ
第21回にアメリカ予選会を勝ち抜き初出場。女性選手で初めてジャンピングスパイダーを攻略して、ハーフパイプアタックまで進んだ。しかし、第22回は前回クリアしたジャンピングスパイダーでリタイア。第23回は予選落ちで出場できなかった。
小宮理英
第5回の「KUNOICHI」のファイナリストとして第22回に初出場。ジャンピングスパイダーで貼り付けずにマットに落ちてリタイアとなった。翌第23回はハーフパイプアタックまで進んだ。第24回では「KUNOICHI」完全制覇者として出場したが、ロッググリップでリタイア。第26回、第27回にも出場したが、成績が振るわず以降は出場していない。
芸能人選手
ご存知肉体派お笑い芸人。スポーツマンNo.1決定戦4連覇の実績を持つ。
第8回より度々出場し、第9回と第11回では1stをクリアしている。第30回では実に11年振りの1stクリアを果たした。
第33回ではトップバッターを務め、1stの新エリアとして登場したフィッシュボーンを初めてクリアした。
なお、2023年のM-1グランプリではケイン・コスギとコンビを組んで「パーフェクトパワーズ」を結成し、SASUKEやスポーツマンNo.1決定戦にまつわるネタを披露して準々決勝まで進出した(M-1グランプリはTBSではなくテレビ朝日の番組。)。
照英
モデル。第6回に初出場。ジャンプハングの飛びつきには成功したが、自身のウエイトが仇になって落水。第7回はロープクライムでタイムアップ。第8回は1stを0.1秒残しでクリア。3rdボディプロップまで進んだ。
初田「世界の車窓から〜!!」(第10回ジャンプハング挑戦時)
芸能人ながら一般応募でSASUKEに出場した俳優。第9回で初出場。2大会連続でジャンプハングリタイアとなったが、3度目の正直でジャンプハングをクリアしてそり立つ壁まで到達した。その後は序盤エリアでのリタイアが続いたが、第16回では1stの最終エリアロープクライムまで到達して、「50代での1stクリアに最も近い男」と言われるようになった。第17回もロープクライムでタイムアップとなった。完全リニューアルがなされた第18回では第1エリアのロープグライダーでまさかのリタイア。第21回ではフライングシュートまで到達するが、その後は成績が振るわなかった。第30回では還暦を迎えての挑戦となったが、ジャンプハング改で足が着水してしまった。
第14回で初登場。スポーツマンNo.1決定戦の芸能人サバイバル皆勤賞だったことから着けられた愛称は「コロッセオの鉄人。」
石丸謙二郎と一緒に出場する事が多いが、第15回・第20回記念大会では石丸は欠場していた。
前述の石丸とは違ってあまり成績が良くなく、最高到達地点はトランポリン系エリアである。
第22回大会にも出場したが、全カットされた。第26回を最後に出場していない。
アスリート俳優。初出場は第16回。スポーツマンNo.1決定戦の後継番組である最強スポーツ男子頂上決戦でも好成績を残している。
第33回大会で初出場から12年越しの1stクリア。
第36回では2ndのゴールボタンを押したが、リバースコンベアーでコンベアーのない端に足を置き進んだことが反則と判定され失格となった。
第38回は3日目の収録日がフジテレビの『逃走中』のスタッフが集まって製作された『オチルナ!』の収録に参加していたため不参加だった。その後、森はSASUKEにも出たかったとブログで語っている。
妻の金田朋子も第31回に出場したことがあるがローリングヒルでリタイア。
ご存知NHK第10代体操のお兄さん。第18回から出場。
SASUKEに似た番組である「VIKING」のMCを務めていたこともあり、第21回を除いて90番台のゼッケンを与えられることが多かった。
第22回と第24回で2ndに進出。二回ともメタルスピンでリタイアしているが、年齢を重ねても色褪せない活躍で多くの子供達と同年代の大人達に元気を与えた。
「芸能界No.1アスリート」の異名を持つお笑い芸人。
第20回から出場し、しばらくは1stリタイアが続いていたが、第27回で念願の初1stクリアを達成。なかやまきんに君以来となるお笑い芸人の1stクリア者となった。その後は第29、30回でも1stをクリアしている。
「届いたかなみんな!やりゃあできんだよ!やりゃあできる!頑張ろう!」(第36回2ndクリア時)
ゴールデンボンバーエアドラマー。第28回に初出場した今最もSASUKEを愛する芸能人。フェイスペイントが特徴の彼であるが、つけている状態だと体力を消耗するという理由から出番までは素顔にサングラスとマスクで待機している。
出場するたびに肉体が進化していき、第31回大会では悲願の1stクリアを果たす。
第35回大会では彼の前の95人中3人しかクリアしていないという状況の中、見事なパフォーマンスを見せ1stを突破した。
続く第36回大会前には自腹で倉庫を借りて猛特訓を重ねた結果、ついに悲願の3rd進出を果たし歓喜の涙を流した。(芸能人選手としては第16回の池谷直樹以来5人目の3rd進出者。)
第41回はコロナの影響で前大会を辞退した無念を晴らすため、緑山の地に立つ。本番数週間前に肉離れを起こし万全の状態でなかったこともあり、そり立つ壁に跳ね返されリタイアとなったが、怪我をおして全力で1stに挑む姿は同大会の名場面の一つである。
「ゴールデンボンバーのゴールデンハムスターだよ!」(第31回1stリタイア時)
ゴールデンボンバーのギター担当。
樽美酒と共に第31回に出場するが、ローリングヒルで手脚を必死に動かしながら落下し、周囲から「ハムスター」といじられた。第32回ではそれを乗り越えてハムスター卒業を果たすも、次のタイファイターで華麗なダイビング(通称「イルキャン」)を披露する。
第33回ではまさかの開始から2秒弱で着水。
第35回では新設のエリアでリタイアするも、ここで人類史上初めてドラゴングライダーのバーとの接触を果たす。その次の大会では、同エリアの2本目のバーに惜しくも移れず落水。
そして、三大会ぶりに出場した第39回ではなんと最終エリア2連そり立つ壁に到達。二つ目の壁でタイムアップとなったが、そこにはもはやハムスターといじられていた頃の面影はなく、多くの選手とファンの感動を呼んだ。
第40回では猛スピードでクリアを試みるも、その焦りによってフィッシュボーンでまさかのリタイアを喫した。第40回の喜矢武曰く、「同じエリアで落ちたことが無い」と言っていたが、第35回と第36回はドラゴングライダーという同じエリアでリタイアしている。しかしリタイアの詳細は異なるため同じエリアかと言えば確かに微妙である。
第41回では「毎回違う所で落ちる」というジンクスのせいで新エリアのツインダイヤの心配があったがなんとか乗り越えるもドラゴングライダーで落水。しかも第35回と全く同じリタイアをしたためこのジンクスが無くなった。
また、実は山本桂太朗も同じジンクスがあり、こちらは1stから3rdまで未だに例外がない。
A.B.C-Zのメンバー。ジャニーズSASUKEの先駆者。高い身体能力をSASUKEでも存分に見せつけている。第31回に初出場し第33回で悲願の1stクリアを成し遂げた。完全制覇者の漆原裕治を師として仰いでいる。
第40回ではジャニーズの仲間達が次々とリタイアする中5年振りに1stをクリアし、自身最高記録となるリバースコンベアーまで進んだ。
なお、第32回と第40回以降を除きゼッケンは80番台を与えられている(第40回以降は70番台、第32回のゼッケンは11番)。
SnowManのリーダー。第33回に初出場した最もSASUKEを愛する芸能人の一人。「SASUKE四兄弟」のメンバーでもある。
第33回は第1エリアでリタイアしたものの、第38回で悲願の1stクリアを成し遂げ、塚田、菅田琳寧に次ぐ三人目の現役ジャニーズクリア者となる。続く第39回でも圧巻のパフォーマンスを見せた。
第40回では、1stのドラゴングライダー2本目でバーがずれてしまい、空中でぶら下がってる状態からジャンプを試みるも無念の着水となった。
第41回はリベンジを誓うも、ツインダイヤに阻まれリベンジはお預けにされてしまった。
第38回以降、岩本のゼッケンは88で固定されている。「SASUKEワールドカップ」では「チームJAPAN BLUE」として出場。初の3rdに挑んで歓喜した。
KAREN
ゴーゴーダンサー集団・CYBERJAPAN DANCERSのメンバー。
第34回でトップバッターを務めて以降は常連として出場し続けており、第36回と第40回以降を除いて、ローリングヒルが鬼門となっていたが、第40回はフィッシュボーンまで、第41回はシルクスライダーまで進んだ。
R-1ぐらんぷり2017王者。SASUKE史上唯一全裸で挑戦した人物。第35回にネタ通りにお盆をつけた状態で挑戦するも、片手をお盆を抑えせざるを得ないため、案の定クワッドステップスでリタイア。しかも完全に見えていたため、SASUKEのロゴで隠された。
陣、浦川翔平、武知海青
ダンス&ボーカルユニット・EXILEグループのパフォーマンス集団・THE RAMPAGE from EXILE TRIBEメンバー。3名とも第37回から初出場して以降連番で競技を行っている。
第37回でタレントオーディションを合格して以降、川口朋広に弟子入りしており、3名とも卓越した身体能力を披露するも、ドラゴングライダーから先に進めず足踏みしている。
余談だがEXILEグループからは第26回にNAOTO、第28回に関口メンディーが出場経験がある。
仮面ライダーシリーズなどにも出演し注目を浴びているアクション俳優。
トリッキングで培われた抜群の身体能力で初出場の第37回から4大会連続で1stをクリアしているが惜しくも2ndクリアは果たせていない。
序盤のゼッケンを与えられることが多く、第38回以降1stクリア一番乗りを決めている。
第41回はスケジュールの都合で出場を見送った。
他にも仮面ライダーシリーズに出演経験のある俳優では過去に井上正大や永瀬匡、古株では賀集利樹などが出場したことがある。
お笑いコンビ。コンビ揃って大のSASUKEファンで、二人揃って第38回から連続出場している。
粗品は恐らく誰もが当初はそこまで期待していなかったと思われるが、いざスタートすると軽快な動きで序盤の難所エリアを次々とクリアし、ドラゴングライダーも一本目のバーを掴みかける大健闘を見せて常連選手達から絶賛された。
相方せいやは毎回ローリングヒルでリタイアしているが、「毛ガニの秋山」をリスペクトして「毛ガニのせいや」を名乗っている。これが秋山に火をつけ、第40回では秋山を選手として甦らせた。
なお、第40回では秋山本人から毛ガニの贈呈式が行われた。
7 MEN 侍のメンバー。「アクロバットの天才」と呼ばれるほどの身体能力を誇り、『炎の体育会TV』からの刺客として第38回に参戦。
見事1stをクリアして塚田に次ぐ二人目の現役ジャニーズクリア者となり、続く第39回でも1stをクリアした。しかし第40回、第41回と2大会連続で1stで辛酸を嘗めている(前者はドラゴングライダーで脱線、後者はシルクスライダーをクリアした直後に右足を踏み外してしまい着水)。
山葵
「こんな楽しいことあるんだ人生!」(第41回2ndクリア時)
和楽器バンドドラム。樽美酒研二、岩本照と同じくSASUKEに魅せられた者同士でソウルメイトとなっており、日置将士を加えた四人でSASUKE四兄弟と呼ばれている。
初出場の第38回からドラゴングライダーが鬼門となっていたが、第41回でついに突破し、勢いのまま3rdのクリフディメンションまで進出した。
安嶋秀生
少年忍者メンバー。
身体能力は折り紙付きで、初出場の第39回で見事1stクリアを果たし、四人目の現役ジャニーズクリア者となった。
名物選手
田中智和
第1回のゼッケン1番で出場。つまりSASUKEに最初に挑んだ人物である。結果はフリークライミングでリタイア。
立川福裕
第1回〜第10回まで皆勤で出場していたサラリーマン。愛称は『和製クラーク・ケント』。第2回では初田アナから「スーパーマンと所ジョージを足して2で割ったような男」と紹介されていた。スーパーマンのコスプレをして出場する姿が印象的で、実況からは「跳べないスーパーマン」と呼ばれた。
会場から好かれていた選手だったが、娘から「恥ずかしいから出場をやめてほしい」と相談されていたらしく、第10回を最後に出場していない。
ゼッケンは51番を着ける事が多かった。
川島郭志
最初にゼッケン100番を付けた人物で、元プロボクサーで現在はプロモーター。しかし1stの序盤のぶら下がり丸太でリタイア。
加藤雪風
タクシー運転手。裸足で挑戦した影響で丸太下りで普通に下りようとしても足が滑り、上から跳ぼうとしても恐怖心で跳べず、どうしようもならずにお辞儀をしてタイムアップを迎えた。
初田「飛ぶのか?いややめたほうがいいぞ プロデューサーが言っているw」
我妻和彦
東京ガスの営業職。何故かハイソックスを履いていたため、初田アナからハイソックス我妻と言われた。ジャンプハングでトランポリンを踏んだが、跳躍時に淵に躓いてマットに落ちてその後に落水という珍しい形でのリタイアである。
初田「さぁハイソックス我妻 行けるかどうだ お〜っとw」
妃羽理
通称「史上最強のニューハーフ」。
初出場の第6回ではローリング丸太で一度両脚が離れるもなんとか持ち直したが、ジャンプハングでリタイア。第7回までは「伊賀野ひばり」という名前で出場していた。その後は第13回を除いて第14回まで出場していた。
第30回では久し振りに会場に姿を現し、アクション教室の生徒3名を引き連れて「妃羽理軍団」を結成したが、全員が1stロググリップでリタイアした。
高橋博光
通称「野生のバレエダンサー」、「Mr.Tバック」。
初出場時はいきなりそり立つ壁まで到達したが、その後はジャンプハングを越えることができない状況が続いた。
第13回でまさかのスタートエリアリタイアを喫してからはSASUKEから離れたが、第20回大会で服を着て久々の出場。その後第24回まで出場したが、結果はそり立つ壁止まりとなった。
和田隼朋
SASUKE史上最重量で出場した選手。
近大付属高校の相撲部であり身長175cm、体重140kgの体格であった。ローリング丸太を見つめてスタートしたが、丸太を上ることができずリタイア。落水後はスタッフが2人がかりで救出した。
初田「和田上がれません 懸命な救助活動が続いています」
細江知弘
阪急電車車掌として第8回に出場。車掌のように1stを点検して「出発進行!!」と叫んでスタートしたが、1歩目を踏み外してSASUKE史上最速となる2秒でのリタイアとなった。初田「出発進行できずw」
ちなみにセットに一切触れられずに落水したケースは、第15回の坂田利夫や第24回の上島竜兵などが挙げられ、第21回の傅鴻飛はセットには少し触れたものの細江と全く同じリタイアをしている。
丸山正人
バク転が出来る50代。第13回では56歳とは思えぬ身のこなしでエリアを攻略するが、ねじれた壁で滑って落水。続く第14回では孫娘が応援に駆けつけるが、ねじれた壁でタイムアップ。第15回も出場したが、全カット。第17回前に行われた「SASUKE最終予選」に出場した際は丸太渡りでリタイアとなった。その時の肩書きは「SASUKE出場歴5回」であったため、上記の3大会以外にあと2回出場していたことになる。(つまり第13回大会は初出場では無い。)
川原拓也
駒澤大学の体操競技部出身の若者。第19回では全カットだったものの、超最高難易度の1stの最終エリアまで到達した数少ない選手である。以降も何度か最終エリアまで到達するものの、1度も1stをクリアできなかったが、「緑山を熱くさせる男」と言われていた。
鳥澤克秀
第18回から出場しているウエイトリフティング元日本代表。派遣会社アイ・ビー・エスエリアマネージャー→代表取締役。通称「パワフル中年」「怪力おじさん」。
毎回スタート前にバーベルを持ち上げる、リンゴを握り潰す、瓶のフタを歯で開けるなどの豪快なパフォーマンスで会場を沸かせているが、ほぼ毎回ここで体力を使ってしまい序盤エリアでリタイアして観客の笑いを誘っている。さらには第27回では瓶のフタを歯で開けた時に口を怪我したり、第32回では自分が持ち上げたバーベルに躓くなど、珍事件も多い。
佐藤「鳥澤ぁぁぁはっはっはっはw」(第27回ローリングエスカルゴリタイア時)
実は初出場から殆どの大会に出場しており、出場回数だけならオールスターズに次ぐ。(出場してないのは第22回のみ)
現在、一部視聴者からは「影のオープニング担当」と言われているとかないとか。序盤のゼッケンを与えられることがほとんどだが、第25回では抽選で74番のゼッケンを引き当てている。
第30回~第37回の8大会連続でゼッケン3番(2903番を含む)だった。さらに第39回大会ではゼッケン1番で出場しトップバッターを務めたが、第40回ではまさかの全カットで視聴者を驚かせた。
余談であるが、あの長野誠と同い年である。
沖谷光博
SASUKE史に残る名シーンを作った男。
大学生の時にSASUKEトライアルに出場したが、ジャンプハングリタイア。
その3年半後の第19回に初出場。白衣を脱いで筋肉を見せたが、この後アクシデントが起きる。
なんと、ズボンが脱げないのだ。制限時間が刻一刻と過ぎていき進もうとしたが、当然攻略することはできず、落水。その挑戦シーンでは爆笑が起こっていた。
なお、沖谷のリタイア時には別のBGMが流れていた。
小笠原「何しに来たんだ沖谷!! 何をしに来たというのだ沖谷」
水面から上がっても結局最後までズボンは脱げなかった。
翌第20回は前回の反省を活かしてズボンを脱ぎやすくなるようにしていたが、ロッググリップでリタイア。以降は出場していない。
松田大介
「自宅になかった…。作ります!」(第32回1stリタイア時)
第32回より出場している水道経営者。
自宅に20エリア以上ものSASUKEセットを製作している。現在は多くの選手達がここで合同練習を行っており、森本曰く「本番(の感覚)と一緒だと思います」。
1stクリアの経験はないが、近年は練習の成果もあって着実に成績を伸ばしており、第38回では最終エリアのそり立つ壁まで到達したもののスタミナ切れによりタイムアップとなった。
SASUKEの公式YouTubeチャンネルでは彼や松田パークそのものの動画は勿論、出場決めた選手が練習先として松田パークを訪れる事が多いため、出演頻度が多い。
最早エリア毎の練習を必須とする難易度のSASUKEにおいて現在の選手達がこの松田パークに通うのは通例である事から、縁の下の力持ちとも言うべき存在だろう。
事実、挑戦前に女性タレント達からエールをもらい、茶化されたりしている。
女性タレントたち「「松田さーん!頑張ってー!」」
山田勝己「何やあれ」
日置将士「ちょっと行って欲しくねぇな」
松田「コラコラッ」
そして第40回。自身9度目の挑戦も1stステージを突破できず、「この仕上がりでクリアできないってなると、ちょっともう考えられないかな…」とまさかの引退宣言。しかし仲間たちと顔を合わせた際には「続けたい」と本音を明かしたのち、ミスターSASUKEの前で泣きながらこう言い放った。
「(俺には)SASUKEしかねえんだよ…!」
山田勝己「俺の言葉や」
第41回大会では欠場となったが、それでもSASUKEへの愛は生涯消えない。
本間隆史
『諦めない!諦めない!諦めなーい!!51歳落っこちたー!!』(第38回1stリタイア時)
BANDAI社員。第35回初出場。
会社にSASUKE部を創設し、部員と共にトレーニングに励んでいる。
第38回では諦めない気持ちを前面に押し出し、最後はドラゴングライダーのトランポリンの前で転倒後、沼に豪快に落水。
その執念から森本に「中年の星」と呼ばれた。
トランポリンを跳べなかったことが心残りらしく、「トランポリンを跳べたら部員に出場権を譲る」と語っている。
三人衆
第2〜4期に会場を沸かせた倉持稔・原島雅美・青木保夫の3人はSASUKEを象徴するネタ枠出場者であり、第17回以降はゼッケンも三連続にまとめられるようになった。(第18回と第25回を除く。)
倉持稔
第9回で初出場した居酒屋「江戸っ子」(2021年コロナ禍により閉店)の店長を務める通称「たこ店長」、「ミスターオクトパス」。
なんと初出場の時点で54歳であり、その後第28回まで名物選手として出場し続けた。
第1エリアでの脱落が多いが、第26回では63歳にして第三エリアのローリングエスカルゴまで進む大健闘振りを見せた。
2022年1月にSASUKEの公式YouTubeチャンネルにまさかの出演。70代となった現在でも身体を鍛える姿が公開されファンの注目を集めた。
第40回では応援のため久しぶりに会場に姿を見せた。
原島雅美
倉持と同じく第9回で初出場したハングライダー男。2009年から文房具メーカーのサラリーマンからキッチンカーを拠点とするたこ焼き移動販売員に転職し、たこ焼きは今も続けている。
例に漏れず第1エリアでの脱落が多かった。第1エリアをクリアした際にはまるで完全制覇したかのように喜んでいた。
第40回には倉持とともに応援として姿を見せたほか、2023年6月にはSASUKE公式チャンネルの企画「あの名物選手は今⁉︎」に登場。一時期出場が途絶えていた多田竜也の心を救った意外な過去を明かした。
青木保夫
前述2人より少し遅れて第13回初出場。魅惑の立体造形家として名を馳せた彼は、決まって自作の動物やセットのミニチュアとともに登場していた。
155cm38kgという驚異の体格の持ち主であり、出場した計14回すべてで1st第1エリアでリタイアしている。
(第25回に関しては当初は欠場かと思われていたが、後年になり実は出場していた事が判明した。)
前述の2人とは違って第40回大会は緑山に姿を見せていない。
SASUKEワールドカップに出場した選手(緑山に初めて来た選手のみ)
- チームアメリカ
ショーン・ブライアン
R.J.ローマン
ジョー・モラフスキー
- チームドイツ
フィリップ・ゲーテルト
ヴィクトリア・クレーマー
マーヴィン・ミッターフーバー
ベンジャミン・グラムズ
- チームフランス
クレマン・グラビエ
モラーヌ・ジェリック
ヴァランタン・ドゥカルナン
イリアン・シェリフ
シャルル・プジャード
- チームオーストラリア
オリヴィア・ヴィヴィアン
ザック・ストルツ
サクソン・ジョンストーン
ダニエル・メイソン
実況経験アナウンサー
メイン実況経験者は太字で表記。
- 古舘伊知郎(第1回〜第12回)
第1回〜第9回までと第11回はスタジオパートの司会も兼務していた。
- 戸崎貴広(第1回)
- 初田啓介(第2回〜第21回,第24回,第27回〜第30回)
第2回から第12回まではサブ実況。実況降板後は第39回と第40回の一般オーディションの特別審査員として登場した。
- 小笠原亘(第14回〜第24回,第26回〜第27回,第37回)
第14回から第21回・第24回・第27回・第37回はサブ実況。
- 佐藤文康(第22回〜27回,第36回)
第22回から第24回・第26回・第27回はサブ実況。
第23回ではFINALのリポーターも行っていた。
- 伊藤隆佑(第25回,第31回)
かつて第20回・第22回・第24回の3大会に選手として出演していた。
- 駒田健吾(第13回,第31回〜第35回)
初出演の第13回はサブ実況。
- 杉山真也(第32回〜現在)
当初はサブ実況だったが、第37回大会からメイン実況に昇格。SASUKEワールドカップの実況も務めた。
SASUKEに関する主な記録
※第41回大会(2023年)終了時点、ワールドカップ除く
最多系(個人)
最多出場回数 | 山本進悟 | 41回※注1 |
---|---|---|
最多1stクリア回数 | 竹田敏浩 | 19回 |
最多1stリタイア回数 | 鳥澤克秀 | 23回 |
最多2ndクリア回数 | 竹田敏浩 | 13回 |
最多2ndリタイア回数 | 山本進悟、山田勝己、竹田敏浩、漆原裕治、長崎峻侑※注2 | 6回 |
最多3rdクリア回数 | 長野誠、森本裕介 | 5回 |
最多3rdリタイア回数 | 竹田敏浩 | 13回 |
最多完全制覇回数 | 漆原裕治、森本裕介 | 2回 |
最多FINALリタイア回数 | 長野誠 | 4回 |
最多最優秀記録回数 | 長野誠、森本裕介 | 8回※注3 |
最多ゼッケン100番着用回数 | 長野誠 | 15回※注4 |
注1.皆勤賞
注2.長崎は1度棄権でリタイア
注3.ともに単独7回、3人タイ1回
注4.第20回記念大会は2000番
連続系
連続出場回数 | 山本進悟 | 41回連続※注1 |
---|---|---|
連続1stクリア回数 | 佐藤惇 | 12回連続※注5 |
連続1stリタイア回数 | 鳥澤克秀 | 23回連続 |
連続2ndクリア回数 | 佐藤惇 | 9回連続※注6 |
連続2ndリタイア回数※注7 | 山本桂太朗、才川コージ | 4回連続 |
連続3rdクリア回数 | 大森晃、長野誠 | 3回連続 |
連続3rdリタイア回数※注7 | 佐藤惇 | 9回連続 |
連続FINALリタイア回数※注7 | 大森晃、長野誠 | 3回連続 |
連続最優秀記録回数 | 長野誠、森本裕介 | 3回連続 |
連続ゼッケン100番着用回数 | 森本裕介 | 9回※注8 |
注1.皆勤賞
注5.欠場は除く。欠場なしの記録は日置将士の9回
注6.欠場は除く。欠場なしの記録は竹田敏浩、佐藤惇の7回
注7.そのステージまでは連続で進出しているものとする
注8.第40回記念大会は4000番
最年長・最年少系
最年少1stクリア | 長野塊王(第41回) | 14歳 |
---|---|---|
最年長1stクリア | 山本進悟(第40回)、ケイン・コスギ(第40回) | 48歳 |
最年少2ndクリア | 川島孝幸(第1回)、長崎峻侑(第15回) | 18歳 |
最年長2ndクリア | 漆原裕治(第41回) | 45歳 |
最年少3rdクリア | 川島孝幸(第1回) | 18歳 |
最年長3rdクリア | 奥山義行(第24回) | 39歳 |
最年少完全制覇 | 森本裕介(第31回) | 23歳 |
最年長完全制覇 | 長野誠(第17回) | 34歳 |
最年少最優秀成績 | 長崎峻侑(第18回) | 19歳※注9 |
最年長最優秀成績 | 奥山義行(第26回) | 40歳※注10 |
注9.2人タイでの記録。単独最優秀成績の最年少は森本裕介とリーヴァイ・ミューエンバーグの21歳
注10.2人タイでの記録。単独最優秀成績の最年長は白鳥文平(第16回)の38歳
初出場記録
初出場で3rdクリア | 川島孝幸(第1回)、楊崇(第1回)、長谷川健(第1回)、大森晃(第1回)、田中光(第2回)、松本稔(第3回)、ヨルダン・ヨブチェフ(第8回)、レネ・キャスリー(第37回) |
---|---|
初出場で最優秀成績 | 大森晃(第1回)、田中光(第2回)、リーヴァイ・ミューエンバーグ(第20回)、レネ・キャスリー(第37回)、宮岡良丞(第41回)※注11 |
注11.宮岡は3人タイ
初出場からの連続記録
初出場から連続1stクリア | 山田勝己、ケイン・コスギ | 6回※注12 |
---|---|---|
初出場から連続2ndクリア | 山本良幸 | 5回 |
初出場から連続3rdクリア | 大森晃 | 3回 |
注12.欠場は除く。欠場なしの記録は山田勝己の6回
ブランク系(放送日が基準)
出場ブランク | ケイン・コスギ(第8回~第40回) | 21年2ヶ月29日 |
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1stクリアブランク | ケイン・コスギ(第8回~第40回) | 21年2ヶ月29日 |
2ndクリアブランク | 長崎峻侑(第18回~第30回) | 7年3ヶ月13日 |
3rdクリアブランク | 多田竜也(第37回~第40回) | 2年11ヶ月28日 |
完全制覇ブランク | 森本裕介(第31回~第38回) | 5年5ヶ月29日 |
初出場からの1stクリアブランク | 岡田祐一(第10回~第31回) | 12年9ヶ月7日 |
初出場からの2ndクリアブランク | 多田竜也(第17回~第36回) | 12年2ヶ月21日 |
初出場からの3rdクリアブランク | 多田竜也(第17回~第37回) | 13年2ヶ月21日 |
初出場からの完全制覇ブランク | 森本裕介(第18回~第31回) | 8年3ヶ月11日 |
初1stクリアからの初2ndクリアブランク | 山本桂太朗(第29回~第39回) | 8年6ヶ月2日 |
初2ndクリアからの初3rdクリアブランク | 高橋賢次(第7回~第24回) | 8年9ヶ月16日 |
初3rdクリアからの初完全制覇ブランク | 長野誠(第11回~第17回) | 3年6ヶ月21日 |
大会別最多・最少記録
最多1stクリア人数 | 37人(第4回) |
---|---|
最少1stクリア人数 | 2人(第19回) |
最多2ndクリア人数 | 15人(第41回) |
最少2ndクリア人数 | 0人(第19回)※注13 |
最多3rdクリア人数 | 5人(第3回・第24回) |
注13.全滅を除くと第5回大会、第20回大会の1人
クリアタイム記録
1st最速タイム | 梶原颯 | 45.39秒残し(第41回) |
---|---|---|
1st最遅タイム | ヨルダン・ヨブチェフ | 0.00秒残し(第8回) |
2nd最速タイム | リーヴァイ・ミューエンバーグ | 38.54秒残し(第20回) |
2nd最遅タイム | 石川輝一 | 0.06秒残し(第27回) |
FINAL最速タイム | 漆原裕治 | 6.71秒残し(第27回) |
FINAL最遅タイム | 森本裕介 | 2.52秒残し(第38回) |
1st&2ndダブル最速タイム
達成者 | 山本進悟(第3,5回)※注14、トラビス・アレン・シュレイダー(第4回)※注15、長野誠(第11,12回)、リーヴァイ・ミューエンバーグ(第20,23回)※注14、デイヴィッド・キャンベル(第26回)、朝一眞(第30回)、ラギヴァル・アナスターズ(第32回)、山本良幸(第39回+W杯)、梶原颯(第40回) |
---|
注14.第5回、第20回は2ndのクリア者が一人
注15.2ndは放送された中での最速タイムであり、全カット者の中に最速タイム者がいる可能性がある
女性での記録
1stステージクリア | 田邊智恵(第2回)、ジェシー・グラフ(第34,37,40回+W杯)、大嶋あやの(第40回)、ステファニー・エデルマン(第40回)、オリヴィア・ヴィヴィアン(W杯) |
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2ndステージクリア | ジェシー・グラフ(第34,37回) |
外部リンク
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