・露Михаил С.Горбачёв
・英 Mikail・S・Gorbachev
ミハイル・セルゲイヴィッチ・ゴルバチョフ
(1931- )(2016.85aeg)
ソヴィエト連邦の政治家。共産主義者。
連邦最後の第一人者(赤い皇帝・独裁者)として有名 あだ名ゴルビー(GORBE)
公の世界に伝記を組み立て残せるほどの情報を残した唯一のソヴィエト政治家である、あとはソ連共産党とともに闇に沈没した模様。
モスクワ大学法学部卒(1955)、ロシアソ連社会主義共和国のカフカスに生まれる。ロシア帝国時代からの農家、父も共産党員。
ソヴィエト連邦ブレジネフ政権の治世中だった1970年にスタブロポリ町ソビエト第一書記、71年ソ連共産党ポリトビューロ(政冶局)候補、78年ソ連農業省大臣、80年からポリトビューロ員(政治局員)メンバーとなってクレムリン(ソ連共産党本部・ソ連中央政府)に入城した。
1982年にブレジネフが亡くなり、後任の共産党書記長アンドロポフ(1914-1984)、チェルネンコ(1911-1985)が老衰のため一年おきに亡くなる事態に元で台頭し、85年にチェルネンコの後任として書記長に就任した。就任演説においてペレストロイカ・グラスノスチ(建て直し・情報公開)政策を宣言した。
ゴルビーは東側諸国より当初は『改革の勇気を一mmも見せない石頭の最高官僚的お堅い人物』と推測された
共産主義テーゼのの教義の閉鎖的・独善的を第一とするタイプの政治家の第一等的な存在の共産党型リーダー例にならい、人民を社会主義と共産党を誇示しながら、独裁を延命させる調整型政治家と予測されていた(中国の国家主席・総書記のような感じ)。実際就任当初はゴルビー自身も慎重な改革態度だったようだ。
しかしゴルビーは原発事故の大惨事を契機にかつて見なかった行動を起こす共産主義者側の改革政治家となり、ガチガチな共産主義者とは思えぬほど社交的な、ソヴィエトにおいては議論をせずとも全て決定できる立場にありながら国内外の問題に関して市民・要人問わず会談を行うようになった。
1986年、ソ連ウクライナソビエト共和国でチェルノブイリ原発事故が発生し人類史上の未曾有の放射能災害が発生した。原発事故の第一報を始めて国際社会に知らせたのはイギリス政府であった。ソビエト・共産党体制の深刻な構造腐敗を痛感したゴルビーは、同年開催されたソ連邦共産党第27回大会においてペレストロイカ・グラスノスチ(建て直し・情報公開)政策の早急な実行を決定した。
彼は手始めにポリトビューロ(政冶局)のブレジネフ・フルシチョフ時代から着任していた古参メンバー(ノーメンクトゥーラ)を粛清した。ゴルビーの場合は唯の引退勧告で済むが他の書記長だったら人物写真の配置を交換されて存在そのものも消される。
彼はソヴィエト連邦の全国家イデオロギーをグラスノスチ(情報公開)に変更させ、ソビエト人の(ロシア人など)の下品・下劣・卑猥なおしゃべりも平然と出来るようにし、共産党・CCCP(ソ連)に対してぼろ糞・罵詈雑言を言うことも平気にさせた。共産党・ソ連政府による出版の統制も廃止し、美男美女の恐るべきエロ本やクッソくだらないゴシップ習慣紙・専門紙・漫画も露天に置けるようになった。それ以前のソ連はチェス・文学作品が秀逸でプラウダ(真理)やイズベスチア(ソ連ニュース)という無味無感な硬い文章や、かなり政府公認の良識的な作品しか表現出来なかった。かつては闇で本を売るとシベリア送りか拷問・処刑された。
また共産党中央委員会・ソビエト社会主義共和国・市評議会ソビエト・町評議会ソビエト・村評議会ソビエトらの各ソビエト共産党政府が一括して決定していたソビエト市民生活の全般・国営会社・集積農業(コルホーズ・ソフホーズ)など多岐にわたる分野でのソ連市民(プロレタリ)に分権し活性化する五カ年計画計画経済に着手を始めた。
1987年、ソヴィエト連邦自体が放っていた負(悪)のイメージ独裁共産党の公安警察(カーゲーベー・KGB)の超弾圧超大国・強制労働収容所帝国の世界観の一掃に着手した。つまりソ連国内外の歴史設定の全面見直し、亡きスターリンを髣髴させるような政冶パフォーマンスとのオサラバ。ソヴィエト式社会主義民主主義=政冶選択のできる自由選挙による共産主義(社会主義民主国家)にソヴィエト連邦自体を再建しようとした。極論すると共産主義版アメリカ合衆国を目指した。(三権分立・民主主義・資本主義のソヴィエトバージョン)
外交では『新思考路線』を打ち出し、ブレジネフ政権から継続していたソヴィエト経済を疲弊させていたアフガニスタンからの疲弊しきったソ連赤軍の撤退命令を発令しソヴィエト領土拡張の野心に目処を付ける。同時に総兵力700万のソ連赤軍の近代的再編の戦力強化と保安委員会(KGB)の拷問の廃止と組織の刷新強化が行われた。
ソヴィエト黎明期より、ソ連同盟国という形でソ連軍弾圧統治を敷いた東欧の社会主義国の共産党系独裁体制を解除するために、ゴルビーはソ連同盟軍であるWTO軍(ワルシャワ条約機構軍)の解散を行うことにした。WTO軍参加のソ連赤軍、また中東・アフリカなどに軍事拠点を置いていたソ連赤軍を順次撤退させた。これはソヴィエト経済の圧迫を救うという面が第一だった。またソ連衛星国ポーランド人民共和国の首都ワルシャワで行われたソビエト・ポーランド両共産党会議で鉄のカーテンの終了宣言を行い社会主義に反目する諸外国へのアプローチも積極化した。
以降、東欧の同盟国で共産党独裁国家が<労働者の民主革命>によって、共産主義政党ごと滅ぼされ消滅し、あるいは社会党に改変し。国家ごと政権交代が進んだ。ゴルビーはこの事態を「ソヴィエト連邦は民主的革命を支持する」との声明をだす。このときから世界各国から、このゴルビーと言う存在はかなりヤバイ・すごい奴なんじゃないか、反面共産主義独裁の夢を持ち続けるシンパからはかつてない糞野郎が現れたと思われるようになった。(北朝鮮では絶対無慈悲な弾圧をするでしょう。)
1988年、ゴルビーはソビエト最高議長(元首)に就任した。ソビエト元首の特権として自由に諸外国とソヴィエト連邦全土をに行き来することが出来るようになる。
連邦議長ゴルビーの諸外国への積極的な交流への行動力は、特にソヴィエト最大の仮想敵国だったアメリカ合衆国大統領D・レーガン(1911-2005)との数度にわたる首脳会談は歴史上まれに見る伝説的な、今までありえないほどの協調関係を作り出すことに成功した。アメリカとソヴィエトは数度の首脳・元首会談の結果、米ソの核ミサイルを全面的撤去を確約した中距離核戦力全廃条約(IMF全廃条約)を行うことに成功し、突筆な政治的成功を治める。(米大統領ジョージ・W・ブッシュ)この時の成果からヨーロッパ諸国ではゴルバチョフは民主主義体制の大統領でもめったにお目にかかれない大政治家と目されるようになる。
ゴルビーは民主主義世界でもなかなか現れない英傑的存在だが、左翼・共産主義世界ではかなり番外的・恐るべき破壊者的存在であった。
当時から『レーニンと労働者党の栄光の歴史の破壊者』という批判をうけまくった。今まで左翼(レーニン・スターリン・毛沢東・ポルポト・カストロ・トロツキー)を手本にし理論武装で飯を食っていた物共(ゴルバチョフ以外の共産党員)から食い扶持を全て奪う行為であり、共産党・社会党という組織はなんだったのだという根本的な考えまでさかのぼらならずえず。理論武装で権威を得ていた頭のいい学者・マルクスファンの識者共が一瞬にして無価値ではないが塵に等しい存在になった。
地上最強の野党党首U・レーニン、L・トロツキー率いる野党革命家が、ロシア帝国を滅ぼしながら無理やり成立させた理想郷(ユートピア)建設国家としてのソヴィエト社会主義共和国連邦(CCCP・USSR)。
ソヴィエト連邦においてかつて無かったような無駄に複雑な政治機構が整備されていく中で、V・スターリン書記長(1879?-1953)<あだ名・赤い皇帝>が<他の社会主義組織よりはましなボリシェビキと共産党が必ずユートピア世界の実現する>という約束を旧ロシア帝国の人々にしソヴィエト政治を全て動かせる権限を持ち、逆らう者を皆殺しにすることができる非人間的な権力の元祖を作り上げた。その共産党システムは世界の共産党のモデルとなり、共産党と独裁は基本肯定されるものになった。ただしこれは共産党が必ずユートピアを実現すると言うことが条件であった。
もしかすると、中国共産党とソビエト共産党の大きな違いは、中華人民共和国は<必ず理想郷(ユートピア)を作る>と言うことが、いくらそのように振舞っても建前に過ぎず、独裁していれば権力が安定しているので動乱がないという低い理想(日本で言えば自民党以外に入れる政党が無いという態度)のほうが「現実問題」としては政治的には長期の存続ができると思われていた。
ソヴィエト連邦は共産党のすさまじい進撃的な残虐な政冶にたいして<ユートピアがくるまで我慢する>とう態度で貫きとおし、本当に共産主義国家くるという前提で全ての話が進んでいたとしか考えられない。ソビエトは北朝鮮のように永遠の書記長的な宣伝も多かったが、未来永劫鈴区ことでは無かったことが基本前提だ、理想がくるまでの辛抱と言いながら、ブレジネフ政権時代に、ソビエト人はこれは<建前>ではないのかと言うことがやはり、目で見えてわかるようになった。明らかに衰退していたからである。
<ユートピア達成>という公約条件付きながら非人間的な権力を持つ書記長からの後継者から『ソ連共産党を完全リセットする勢いで新しい社会主義の価値を提示』しうる存在があわられたというのはあってはならないことではないだろうか、キリスト教がローマ教皇を否定していくようなものだ。魔王のようなスターリン後の堅物・超保守的イメージの歴代書記長とのゴルビー書記長が、ちゃんと自由民主主義を立てる諸外国のメンバーとコミュケーションをとる政冶的ギャップが非常に斬新だったし面白かった。
ソヴィエト連邦の政治家も独裁になんとかしてソビエト人の民意の組み入れ、国民国家としてもっと自由で民主的なソヴィエト国を目指しと組織や法律の改変を試みるが、そのたびにボリシェビキの共産主義組織論(プロレタリア独裁・民主集中制)などが解決できず。無理に引っこ抜くと『完璧な共産党』でなく『ただの社会党』ですんでしまうので、共産党を名乗る必要がなくなるからだ。それは絶対の禁忌だった。しかもレーニンの時代にさかのぼってもソヴィエト連邦成立当初から共産党の一党支配というのは永遠に継続するという約束で始まった物で無かったのだ。
調べれば解かることだが、もともとソヴィエト連邦が公に登場する以前のボリシェビキー時代からの政治的展開の頃から『こうゆうこと』はいつかは起こると感じていた人々はいたように思われる。過去の文献にはなんとなくちらほらしている(トロツキーなど)。ソヴィエト連邦は共産主義を標榜する野党政党が野党のまま無理やり政権を奪って滅茶苦茶ゴリ押ししながら69年間保ったような超大国だったからだ。
他の左翼革命家を標榜する共が、ゴルバチョフを非難する資格は全くない。
ゴルビーのように、マルクス主義や共産党の組織慣習やそれまでの全てを一応網羅し・また新たに、無理に使わなくても良い共産主義・社会主義を棄てないままで『独裁政党共産党のまま民主主義国家を創造していき、最終的には共産党やプロレタリア独裁が<あってなきがごとし>になるまで構造改革を行う』を行うことがどれくらい困難な作業なことか。この作業は歴史上の芸術家的な苦悩・困難に近い。これはソ連共産党以前のロシア社民労働党の体質に比較的近い日本社会党でも結局解決できず沈没していった。歴史的に見てもこのようなダントツの政治改革を政冶を試みたのはソヴィエト連邦だけかもしれない。過去に例があるとすれば、かつてのあった超大国ローマ帝国(BC735-AD1345)の2200年の間もこうゆうことがあったかもしれない。
ゴルビーは全国のソヴィエト人の経済的・心理的・肉体的疲弊による大恐慌破綻が極限の限界に来ていると察知しており、言葉どおり腐りきった連邦を『全てをいったんボリシェビキがソビエト共産党とソビエト政府が粛清や内ゲバなどをえてガチガチに一本化完成する中途段階に、ソ連共産党を前のロシア社民労働党的な右派左派が火花を散らした状態に強引に引き戻して、滅茶苦茶でも試行錯誤の政策決定をして、別の可能性を持った(たとえばトロツキーの言うソビエト政府が機能したソヴィエト国とか)それまでのことが嘘になるぐらいに素に立ち直ったソヴィエト連邦』を実現し成ればならないと感じていたようだ、それくらいして再建しないと確実にソヴィエトは滅亡破綻した。
ゴルビーは素のソヴィエト国においての民主政治のまともな達成も、素のソヴィエト国においての超大国にふさわしい実力を持った達成も全て『ソヴィエト共産主義の栄光の歴史の一端』にするつもりだったのだろう。ソ連共産党も破壊するつもりは基本的になかったことは、大統領就任後も共産党独裁職の書記長を一応兼任していたことで証明できそうだ。ただ結局ソ連共産党はロシア社民労働党には戻らなかったけれど。
<<しかし、ゴルビーが当初の『改革の勇気を一mmも見せない石頭の最高官僚的お堅い人物のまま』だったらとか、『V・プーチン大統領』みたいに核のボタンを握っていることを鼓舞する奴が共産党第一人者に成っていたらどうなっていただろうか。
ソヴィエト連邦が多方面に極限限界となって恐慌に陥って、ソ連赤軍が核ミサイルを世界の主要都市に撃ちまくり第三次世界大戦(ハルマゲドン)とか起こって私たちは存在していなかったのではないかとか。映画ターミネーターやマトリックスような感じで、強制的にソヴィエト市民が脳みそにチップを埋め込まれて完全に『ロボット人間』になってしまい。コンピュータ制御のスカイネットに支配された世界のように全自動生体コンピュータ・コミュニストパーテーとロボットソビエト人による無機質な人間越えた恐怖映画のようなコンピュータ・ソヴィエト・スカイネット・ソユーズが「人間を排除する」とか機械的決定して、機械軍団が世界侵略を始め世界を恐怖のどん底に陥れまくり挙句、第三次世界大戦(ハルマゲドン)とか・・・。>>
最悪の方しか考えられない。
1988年ゴルビーはソビエト最高議長(元首)に就任後ソ連憲法の改定し、ソ連共産党のオートクラシー(全自動政冶・専制独裁)の項目を削除、(プロレタリア)労働者代議員会議(下院)を新設を決定、地方都市全部も二院制となった。これでソヴィエト政府は二院制議会を得たことになる。
1889年にゴルビーは労働者代議員会議議長(元首)に就任した。
その後にソ連邦第1回労働者代議員総選挙が行われた。
それまで永久職だった共産党員も立候補し他ソビエト人から、政治家になりたい人々が立候補し史上初の共産党以外の政党も組織された。
社会主義一党独裁国タイプのにおいての歴史的な選挙結果はソ連共産党共産党議員の大惨敗に終わった、これは全連邦ソビエト共和国の何処の選挙区でも同じであった。ゴルバチョフ自身も一応議員当選を果たしたと思われる。ただ各地で選挙に大惨敗した結果についての総括が行われたのかは不明である。この場合、デモクラシー国家の場合政党党首や幹事長・執行部に責任があり辞任となるが辞任しなかったようだ。
この間、ドイツではベルリンの壁が崩れ東西ドイツが統一が勝手に進む事態となる。
ゴルバチョフ自身もさすがには激怒し、彼は当初、東ドイツ政府首脳を粛○するか、最悪ソ連赤軍の戦車1000両規模の軍団を出撃させ徹底弾○する予定であったようだが、西側ドイツ(西ドイツ)中央政府要人・イギリス・フランス・アメリカの首脳と議論を重ねることによりNATO軍(北大西洋条約機構軍)をこれ以上拡大しないことを条件にドイツ民主主義共和国(東ドイツ)自発的にドイツが統一できるように援護射撃をし対処した。(神対応)
ゴルビーの東ドイツの神対応があっても、どっちにしろソ連共産党はソヴィエト連邦において少数与党に転落したことになる。
1922年以来より良い悪いにつけ非人間的な独裁的特長・凶悪強固な暴力戦力を揃え、国際社会を振り回す暴走的行動力の代名詞だったこの共産党徒党が一挙に頼りない存在になった衝撃は自由主義諸国・社会主義国諸国・ソヴィエト連邦において計り知れなかった、というより歴史上でも例のない政冶状況だ。
この結果を受けてロシアソ連社会主義共和国ではロシア最高議会の再建が行われ、エリツィン(当選)がロシア議会議長に就任し、ソ連中央政府とロシア中央政府が二重政府状態となりロシア政府自体ソヴィエト連邦が主導権を握ることになる。ゴルビーはロシア政治での統治権を形骸化させた。
1990~1991年にロシア政府やソ連自民党・立憲民主党カデットなどの野党勢力の圧力よって自身の権力の危機を感じたゴルビーは(民主政治的には正しい)、大統領制を導入し自分の権力の固定化をねらった。ゴルビーはさならがら古代ローマ帝国の元首制のローマ皇帝のような立場になった(この場合はローマ共和国か。)これによってソ連史上初の『ソビエト市民の第一人者』となった、これまでは共産党の第一人者だった。
ソヴィエト連邦にアメリカ大統領と同じぐらいの強力なリーダーが誕生した。
全ソ連赤軍の最高司令官としての責任者が明確にソ連大統領(元首)が持つようになり、最高ソビエト会議(上院)・労働者代議員会議(下院)に対して拒否権を持った。またソ連大統領単独で政治決定が可能な大統領命令権が可能になった。(ロシア連邦・旧ソ連構成国の大統領にも近い)
ゴルビーソ連大統領は自身に迫るエリツィンをリーダーにした『ゴルビー下ろし』にもめげず、アメリカ・中国・バチカン・日本・イギリスをソ連共産党側初めての首脳として歴訪し、日本ではシベリア抑留の被害者の全記録を公開した。バチカンではカトリック教会との和解を成功させる。
<バチカンの聖職者どもは戦車によっていくら肥料になれば口を黙るんだ by V・スターリン>
<貴様ら外国に釘一本渡さん by N・フルシチョフ』>
過去のソヴィエト連邦の公式見解が嘘のようだ。
レーニン以来、数知れない教会や聖職者他、気に入らない者たちをあれほど努力して皆殺し・殲滅していったのはなんだったのだろうか。
そしてかなり強引であるが、ソヴィエト社会主義共和国連邦という国号を代え新ソヴィエト連邦に当たる『ソビエト合衆共和国』(ソビエト合衆国・ソ連合衆国、(正名:ソヴリン(主権)共和国連邦))を成立をさせ、一応ソ連構成共和国もソビエト合衆国に参加した。これによって大統領制・三権分立・民主主義・資本主義体制が社会主義国家ソ連史上初めて導入され、社会主義国家の建前と調整が進むのかとされたが『ロシア共和国』はもはや、この新ソヴィエト連邦もソヴィエト連邦も相手にしないことを決めていた。
ソ連合衆国(UASoviet)の共産二院制民主主義連邦国家として機能していれば、Soviet構成共和国はもちろん、末端の市長町・町内会Sovietに至るまで二院制議会がおかれ、村区域ごとに独自の共和国的な統治が可能になったかもしれない。
理想的に言えば、古代ギリシャ文明時代のギリシャ文明圏の都市国家(都市共和国)の一つ一つの地域集団が全く異なる人種・共同体で完全な個人主義要素を含みながらがら『ギリシャ文明・ギリシア人・地中海世界』というくくりでいられたように。『ソヴィエト連邦』という超広域国家のくくりの中で多少摩擦を起こしながらでも、共産主義理論の超越した世界規模の共同連帯思想(インターナショナリズム)によって一応ソヴィエト連邦を瓦解させないですんだかもしれぬ、というかなり惜しかった夢物語もあったかもしれないが、どちらにしても共産党の存在意義はかなり空気のようになるだろう。
1991年、アメリカ合衆国とソヴィエト連邦は冷戦の終了を公式に宣言した。20世紀における最高クラスの敵対関係が完全終了した。
その後ゴルビーはヨーロッパ連合(EU)とアメリカ合衆国とソヴィエト連邦の超広域共同体政府、本当の意味での世界政府・地球連邦政府設立を打ち上げる。当時の米国・欧州の元首などはこれに真面目に賛同し第一回のアメリカ・ヨーロッパ・ソヴィエト世界的連邦機構の構想会議が行われた。今現在ではこのようなことはヨーロッパ世界でも夢のまた夢に見える、あの時代は在る意味チートだった・・。
ゴルビーはクレムリンでどうゆう心境で生活を行っていたのだろうか。結局ゴルバチョフは1991年の年末(12月31日)に政治生命を絶たれ、ソヴィエト連邦という全存在を失効するという大惨事をもたらした。ゴルビー政権末期は各地で反ソヴィエト運動や軍の反乱、が盛り上がったため国家的統一はもはや不可能に陥っており事態を収拾したのはエリツィン大統領のロシアだった。もはやロシアの独走を止めることは誰にもできなかった、ゴルビー大統領はロシアで公然と馬鹿者・ボロ糞の扱いをされた、しかし。ゴルビーはこれをされたからといって、エリツィンらロシア共和国の政府幹部・一族郎党を<大粛○>しようとか、ロシアにソ連軍を用い血で血を洗う武力行使してまで権力の維持を狙わなかったようだ。
ソ連大統領としても共産党書記長としてもソ連全土の政治を動かすことはもはや出来ず、飾り物に徹するしか生き残る道はなかったように思われたけれど、もやはソヴィエト人事態にソヴィエトや共産党に魅力が失せていた。これがあの時代の人間(共産主義者)の最大限の限界だったと思う。よく暗殺されなかった 12月31日はソヴィエト連邦の建国記念日であった。
赤い皇帝からただのロシア人になったゴルビーは、国会に議席を持たないロシア社会民主党→ロシア独立民主党など、陰りの在る野党側の社会民主主義的な政治家の1人であり。現ロシア連邦V・プーチン政権ではかなりの苦境である。日本の野党陣営の屁のようにようなゾンザイな扱いをされることが多い。今現在のロシアはソビエトまでいかないまでも、同じような超人的な人間による専制独裁的な政冶が主流になり、ゴルビー時代には一時終息していた弾圧・暗殺なども平気で行われるようになった。
ゴルビーはロシアでは超大国ソヴィエト連邦を破壊した張本人のイメージが強く(事実だし)好き嫌い分かれる。
奴自身、宗教組織や変な団体と交流を持ったり市民団体を作ったり無能者という失笑の的にされたりした、(創価学会の首領様池田大作と会談・・・)一応野党政治家の党首などをしているので支持者集めなどをしなくてはいけないから仕方じゃないかとかも思う。
また彼個人の俗人的、凡俗になってゆくかつての赤い皇帝の姿に失望もあった。再建された共産主義政党であるロシア連邦共産党も彼を共産主義者の失敗作だと忌み嫌う、彼らは根本的にスターリン・ブレジネフ・ポルポト・カストロ・毛沢東ら中国共産党・ホーチミンなどの独裁第一人者の方が正統だ。
ゴルビーはかなり独裁監書記長のときのまま一般人になった感じがするので余計不思議だ。2011年にはビストロ・スマップ(TV)に娘(ライサ・ゴルバチョフ)と一緒に遊びに来た、本当に大粛清のスターリンの後継者だと思うと面白い。風貌と立ち振る舞いが人型ロボットみたいな人だった。ぜんまい仕掛けのロボット的みたいな感じがする(共産主義的理想=機械人間)正直な話、彼の歴史的評価はどうなるかはまだちょっとわからない。
彼が亡くなったときは白鳥の湖のテーマ(クレムリンの共産党員が亡くなると訃報のBGMで使われた)と旧ソ連国家・革命歌(インターナショナル)(旧ソ連国家・共産党歌)を葬儀曲を希望する。
✭ゴルバチョフソ連共産党書記長就任演説☭
(1985.3.11.モスクワ・クレムリン最高ソビエト大会宮殿)
参考 日本国外務省
<チェルネンコ死去>
親愛なるタワーリシチ各位(同志各位)
我々全員・我が党全体・CCCP(ソヴィエト連邦)は深い悲しみに。みまわれる
忠実なレーニニスト(レーニン主義)、KPSS(ソ連共産党)CCCPインターナショコミュニスト(ソ連国際連帯共産主義者)
プロレタリア(労働者)運動の傑出したレボリューショナリスト(革命家)、慈悲心を持ったオルグ(オーガナイザ・構成者)として
豊かなる才能を持ったコンスタンチン・ウスチノビッチ・チェルネンコ(前書記長・第一人者)が逝去された。
彼、コンスタンチン・ウスチノビッチは(共産主義的)栄光の長い道を歩みました。
彼、コンスタンチン・ウスチノビッチは党(パーティーニャ)の部署(ビューロー)の何処においても、彼の能力人々を動かす能力が遺憾なく発揮された。
彼、コンスタンチン・ウスチノビッチはCCCPKPSS中央委書記長(ソ連共中央委員会書記長)、ソビエト最高議長(元首)のポスト(地位)にあって。CCCP(ソヴィエト連邦)のエコノミー(経済)の発展、ソヴィエト市民(プロレタリアート・労働者)の(社会主義)福祉・(社会主義)文化の向上、CCCPの安全保障の確保、地位の向上。ガイア・ピース(地上の平和)の維持と強化に自身の全ての才覚・知識・労力を捧げました。
彼、C・U・チェルネンコはKPSS(ソ連共産党)内の統一・中央委員会(CC)・政治局(ポリトビューロ)の集団的性格を自分の瞳のように大切にし、党があらゆるレベルで結束した・整然とした・戦闘的有機体として連動するように常に努力しました。
彼はコミュニスト(共産党員)のフィロソフィー(思考・思想)とアクション(行動)の統一こそ諸所の欠陥の克服と信じ、それが全ての成果の保障・<アバンギャルド><前衛>であることの保障であると信じました。
ソーシャル・エコノミー(社会経済)・ソーシャル・ピープル(社会生活)の発展のスピードアップ、前側面での改善という教義原則(ドクトリン)は。生前ユーリ・ウラジミロビッチ・アンドロポフ(前々書記長・第一人者)・C・U・チェルネンコが積極的に参加したKPSS中央委員会総会において打ち出された戦略的方針は、今もこれからも変わらず堅持していきます。
<再構築・改善(ペレストロイカ)>
諸所の課題に対し対応せねば成りません。
CCCPのソーシャル・エコノミー(社会経済)のスピード・アップ(加速)させるロード(路線)をです。特に
<ソーシャル・コミュニケーション(社会的諸関係)のペレストロイカ(改善)>
<特にエコノミー(経済)のオール・ペレストロイカ(全面的改善)>
<人間そのもののペレストロイカ(改善)、人間の精神的内容の質的ペレストロイカ(改善)>
を、あげる。
第一に我々は、ソヴィエト市民(プロレタリ)の集約的発展路線に移行させるために、決定的なロード・チェンジ(路線変更)を達成しなければなりません。
我々(共産党員)には短期間に科学技術で最も先進的地位にある、ソーシャル・プログラム(社会生産制)のワークプログラムエコノミー(労働生産経済)の面で、世界最高レベルに到達しなければならずまたその義務があります。この課題を速やかに、より成功裏に解決するためにプログラム・エコノミー・システム(計画経済経営)全体を粘り強くペレストロイカ(改善)しなければなりません。
MYLORDに進撃(advance)し、最善解決を選ぶに当たり。ソーシャル・エコノミー・プログラム(社会主義計画経済)の基本的諸原則を創造的に適用することが重要です。
<エコノミー(経済)の計画的発展のたゆみなく実現するため、<社会主義的所有>(共同財産・共産)を強化させるために全国有企業(カンパニー・国営企業)の自治権限を拡大します。>
これはソヴィエト全国営企業の自主性と責任を高め活動の最終結果(利益・達成感)の関心を高めることを意味します。
党はマイ・ドロー・アップ(自己策定)したソーシャル・ポリティカ(社会政策)を弛み無く推進します。
<全てを人間(プロレタリア、ピープル(労働者))のために、人間の福祉のために>
<ソヴィエト市民(プロレタリ)の生活状況改善はコミュニテー・プログラム(共同事業)への増大するサービス(貢献)を土台にしなればならない>
<ソーシャルフェア(公正社会)はユートピア(社会・共産主義世界)の統一と発展に最も重要である。>
このディスティ二ー・テーゼ(ソ連共産党党綱領的宿命)はますますディープ・コンセプト(深く具体的な内容)で満たされなければ成りません。このドクトリン(原則・教義)からの逸脱のあるところでは、ソーシャルフェア(公正社会)が不回避的に侵害されてしまいます。
ソーシャルフェア(公正社会)はユートピア(社会・共産主義世界)の統一と安定に最も重要です。
党はデモクラシー(民主主義)とプロレタリ(ソヴィエト市民)のソーシャル・ガバメントレジーム(社会主義内自治体制)において、オール・レジーム(体制全般)の一括建て直し(オール・ペレストロイカ)をCCCPにおいて内政面での根本的課題と見なしています。
これらのポリティカルの問題(政治問題)は非常に複雑ですが、少なからぬ実績あるサクセス・ロード(成功路線)を提示したい。
<ソヴィエト政府・議会の向上>
<全ソビエト労働組合中央ソビエトの青少年団(コムソモール)の積極的活用>
<市民の民主集中制的集団生産労働(人民統制・集団労働)の自由自発的介入>
を、あげる。
今後、既存の方向<ソ連共産党綱領体制(共産主義体制)>と新しい路線<ペレストロイカ綱領>で粘り強い仕事が予想される。ソーシャリズム・デモクラシー(社会主義民主政治)の深化はコミュニティー(社会意識)の向上とインポッシブル(不回避)に結びついています。
<教育活動の効果>
教育活動の効果について
労働者(プロレタリアート)・コルホーズ・メンバー(集積農業団員)・インテリゲンチュア(インテリ・知識人・学者)が大小の問題にどのように参加しているか、彼らがどのように行動しているか、欠陥とどのように戦って対処しているかに現れてきます。
<CCCP(ソヴィエト連邦)とソヴィエト市民(プロレタリ)においての労務及び、ソーシャル・レジーム(社会体制)の(アブソリュート)積極的なステップアップ(向上)>
と、
<ルーラー(規律)を強化してパトリイズム(愛国主義)とインターナショナリズム(国際主義)を育成してゆくこと>
がイデオロギー運動の重要な課題です。
<情報公開(グラスノスチ)>
これから秩序の再確認と私たちの生活からのアクシデント(事態)の一掃、ソーシャル(社会)と秩序の再確立とピープル(市民生活)からのアクシデント(事件)の一掃と、ソーシャリズム・ロー(社会主義合法)の強化のために断固たる処置が執行される。
私たちは、パーティーニャ(党)及びソビエト(SOVIET)・CCCP(ソヴィエト連邦)のソーシャル・オルガヌズム(社会組織)での活動においてグラスノスチ(情報公開)してゆかなければなりません。
偉大なるV・I・レーニンは『ステート(国家)はピープル(大衆)の自覚によって強くなる』と語る。
私たちのこのアクション(実践)は、コンプリ-ション(結論)をパーフェクト(完全)に裏づけます。
ピープル(人々)は、グラスノスチ(情報公開)をフル(十分)に与えられれば与えられるほど自覚を持ってアクション(行動)できるようになります。その結果、パーティー・プログラム(党計画)とテーゼ(ソ連共産党綱領)をアブソリュート(積極的)に支持するようになるでしょう。
<外交政策の分野>
外交分野において、私たちのライン(方針)はクリアー(明確)であり一貫しています。
それは、<ピース(平和)とプログレス(進歩)>のライン(方針)です。
(共産)党(パーティニャ)、CCCP(ソヴィエト連邦)がプリンシプル(第1)のルーラー(規則)としているのは、私たちのモスト(最も)フレンドリー(仲良し)なコンバット(戦友)達であり、インターナショナル・アリー(国際的同盟者)達です。
グレート・ソーシャリズム・コミュニテー(偉大な社会主義共同体)とのブラザー・シップ(兄弟的友好)を大切にし、あらゆる手段を通じて強化してきたソーシャリズム(社会主義)を拡大して。パート(役割)と影響力をさらにストロング(強く)するためにフルパワー(全力)を尽くしましょう。
<中華人民共和国>
私たちはピープル・リパブリクス・チャイナ(中華人民共和国・PRC)とのコネクション(関係)を、ストイック(真剣)な改善(ペレストロイカ)を望んでます。彼らとは<相互主義>を用いてゆけば、この課題はミッション・コンプリート(任務達成)がプラティカル(可能)です。
<第三世界>
CCCPはコロニアリズム(植民地主義)のプレッシャー(圧力)からのリベーション(解放)のための、ステートピープル(諸国民)によるコンバット(闘争)を一貫して支持してきました。
今でも私たちの共感は、インデペンデント(独立)とソーシャル・リフォーム(社会的改革)をウォーク(歩)んでいる、アジア・アフリカ・ラテン・アメリカ(南アメリカ)の側にあります。
これらのステート(国家)は私たちにとって、パーマメント・ピース(恒久平和)と、ステートピープル(諸国民)のより善きフェア(公平)なコミュニケーション(関係)のロード・フォア(目指す)コンバット・フレンド(戦友)でありパートナ(仲間)です。
<資本主義国>
キャピタル・ステート(資本主義国)とのコミュニケーション(関係)については次のことを述べる。
<我等はピースアンドピース・コエクジスト(平和共存)のレー二二イズム・ポリティカ(レーニン的政策)をフォーム(確固)にオベイ(従)ってゆく。>
<CCCPはノーマル(常)にグッドウィル(善意)にはグッドウィルをもって、フィリス(信頼)にはフィリス(信頼)を持って答える>(目には目、歯には歯)
<ファザーステートCCCP(祖国ソヴィエト連邦)と我等アリアッド・パワー(同盟諸国)のベネティド(利益)を断じて犠牲にはせぬ>
これを(タワーリシチ(同志一同))全会一致で徹底的に確認しなければならぬ。
<インターナショナル(国際政治)>
私たちは、1970年のナショナル・デタント(国際的緊張緩和)の成果を評価をしています。
エクイティー(平等)・マージナル・リスペクト(相互尊重)・アンインターフェア・ドメスティク(内政不干渉)のドクトリン(原理原則・教義)に立って
諸国間のピース(平和)にウィンウィン(両者)のコンポジション(協力)をオーブティ(軌道)に乗せるテイク(載せる)プロセス・(工程)に参加してコンベーション(継続)してゆくプリペアー(用意)があります。
また、『ヒトラー・ファシズム and ジャパン・ミリタリズム・グレート・ビクトリー・40オールド・メモリアル』
『ヒトラーの全体主義、日本軍国主義への勝利40周年式典』をプロパーマニュアル(ふさわしい設定)で迎えることは、このディレクション(方向)でのファースト・ステップ(新たな一歩)になりえるでしょう。
<脅威>
今日のリアーム・タイラント(恐ろしい怪物(再武装)がヒューマンリー(人類)のヘッドクォータ(頭上)を
カバー(覆った)ことはかつて一度もありませんでした、今の窮地から脱するフィットロード(唯一の道)を挙げさせてもらいたい。
・一つ目<アンクル・ミリタリーコンペイション(核軍拡競争)のイメダント・ストップ(即時停止)>
・二つ目<スペース・ミリタリーコンペイション(宇宙軍拡競争)の阻止>
これらに対立する勢力への合意形成を行いたい。
(編集中)
関連項目
参考文献
・イラスト