概要
ブリカスとは、「ブリテン」と「カス」の合成語で、日本国内におけるイギリスやイギリス人に対する蔑称であるが、イギリスの行動を批難する目的にも使用される。発祥は2ちゃんねるの軍事板界隈とされる。
大英帝国およびその後継のイギリス連邦の歴史の大半は世界史を取り扱うと必ずと言っていいほど彼らの陰謀や外道行為がちらつくために「イギリス=目的のためなら手段を選ばない(エゴイスト)」というイメージが定着してしまっている。
また、お国柄として国民の性格が辛辣で慇懃無礼といった感じに捉えられやすいのもまたイメージを助長しており、国際ジョークにおいては外交や植民地支配に際しての陰湿さにまつわるエピソードがつきまとうのが常となってしまっている。
転じて、イギリスという国家や個人がおこなった畜生行為そのものを指すこともある。
ただしブリカス側の企みも常に成功しているわけではなく、それどころか「策士策に溺れる」状態になってとんでもないしっぺ返しが降りかかることも茶飯事だったりする。
また、常に深謀遠慮に依っているわけではなくかなり短絡的な行為にも平気でおよんでいたりもする。
そもそもパクス・ブリタニカなんてとっくに崩壊しているのはツッコミ無用である。
ブリカスの例
- 私掠船(国家公認の海賊)の推奨
- 公認で海賊行為の許可状を発行し、スペインがアメリカで採掘した銀などを本国に輸送するルートを海賊に襲わせた。これがスペインとの英西戦争の原因となる。
- アヘン戦争
- 三枚舌外交
- ジャガイモ飢饉
- アイルランドの主な食糧であるジャガイモが疫病で壊滅。当時植民地支配者であった英国政府は、実は英本土への輸出用に大量に穀物も栽培させていた。これを援助に回さずにイギリスへ輸出したため、アイルランドでは餓死者が続出。(英政府も公共事業など援助になる施策は行っており、穀物もアイルランド国内で販売はしたが、貧しい大多数のアイルランド人は買えなかった。)
- セポイの乱(インド大反乱)
- インド人傭兵(セポイ)が口で噛み切るように命じられた弾薬包に、ヒンズー教徒にとって神聖な牛の脂とイスラム教徒が口にすることを卑しむ豚の脂を混ぜたグリースを用いたという噂が反乱のきっかけ。イギリス軍は捕虜にした反乱軍がヒンズー教徒なら牛の血を、イスラム教徒なら豚の血を飲ませて拷問し、発射する大砲の砲口に縛って見せしめに処刑したという。(ただし、この弾薬包の噂を流したのはセポイ自身であり、政府はセポイらの要請を聞き入れてグリースを抜いた弾薬を支給したり、口で弾薬包を切らない装填方法を採るなどの対策をした。そして反乱中では、セポイらも女子供を虐殺している。)
- ボーア戦争
- アメリカ大陸先住民(インディアン)虐殺
- タスマニア島のアボリジニに対するホロコースト
- しかも道楽目的のスポーツハンティング感覚で行っていた。戦死や強制移住、疫病も含め、タスマニア原住民は壊滅したという(イギリス人入植者からは襲われたので反撃しただけだという異論もある。)
- ガリポリの戦い
- ベルサイユ条約によるドイツに対する天文学的賠償金
- この件はフランスが悪い。
- ミュンヘン会談
- ナチスドイツにチェコの領土を一部割譲すると勝手に約束。内容を事前に知ったチェコは猛反発するも、ならばチェコを見捨てると脅迫して受け入れさせる。(これはフランスも一緒にチェコを脅迫している。)
- アイスランド侵攻
- ベンガル飢饉
- チャーチルが個人的にインド人を嫌っていたのでわざと支援を行わなかった。結果、1000万人が餓死してしまう。
- カタパルト作戦
- ナチスにフランスの艦艇を接収されないために行った結果、フランス国内での反英感情が高まり戦争寸前になる。
- 黒人動物園
- 竹島問題
- イランのモサッデク首相失脚クーデター
- それまでイギリスが握っていたイランの石油利権をモサッデク首相が国有化しようとした事で渋る米国を口説いて介入。しかも汚れ仕事はアメリカにやらせる。内政干渉の怨みから、イランは手段を選ばない反米国家へ。
- 第二次中東戦争
- イギリスが管理していたスエズ運河をエジプトが国有化しようとした事に反発し、フランスとイスラエルを味方にして軍事侵略。こんな出鱈目国際法違反を行ったなんて戦前の話だよね?いいえ、1956年です。
- トマトスープテロ
- 環境保護のためという理由で、ゴッホの名画にトマトスープをぶっかけるという訳の分からない方法を取る。
- 大英博物館
…この通り、挙げていけばキリがない。
不況と中東難民問題に揺れる大陸ヨーロッパ社会からさっさと一抜けしたブリカス様であったが、この影響で日本のトヨタや日産ら自動車工場が相次いで閉鎖を決定した。
日本とブリカス
明治時代
ノルマントン号事件
当該記事参照。恐らく日本人が歴史教科書(中学校)で初めて習うブリカス案件。
大正時代
第一次世界大戦秘話①:巡洋戦艦『金剛』
問題行為の目立つことの多いイギリスだが、良い行いを全くしてなかったわけではない。
パクス・ブリタニカの当時は最先端技術を用いて作った各種の兵器を自国軍に引き渡すより先に中小国へ販売する事が多かった。(ただしこれには紛争地域で先に兵器性能を試すことで「本当に有効な兵器か」を確かめるためのデータ収集という側面が強かったが)
日本の場合は敷島型戦艦がこれにあたり、この4隻の戦艦を得ることのできた日本海軍は日露戦争における日本海海戦においてロシアのバルチック艦隊を殲滅することに成功したのは有名な逸話である。
これに続けて日本海軍は、当時の世界各地で超弩級戦艦ブームが巻き起こったことを踏まえて1907年(明治40年)にイギリスのヴィッカース社に対してより高性能とされた『超弩級巡洋戦艦』を発注する。これが後の巡洋戦艦『金剛』であり、これを元にさらに3隻の同型艦が国内にて建造された。この金剛型巡洋戦艦の4隻は建造当時は「世界最強の巡洋戦艦隊」と称されるほどに強力であった。
しかし、姉妹艦の『榛名』と『霧島』の竣工すら済んでいない1914年に第一次世界大戦が勃発したことでイギリス側から妙な要請がきてしまう。なんと、金剛型を4隻すべて貸してくれというのだ。イギリス海軍が対決しなければならないドイツ海軍に備えるというのが建て前であったが、実はこれ、現代の価値観で例えるなら「お前の国の核兵器をすべて寄こせ」というレベルに非常識な要求であった。
加えてイギリスはこの前年にオスマン帝国に引き渡す予定であった戦艦『スルタン・オスマン1世』をすでに乗り込んでいたオスマン兵に銃剣を突きつけて引きずりおろし強制的に接収するという事件を起こしていた。理由は同じくドイツ海軍に備えるために。
そのため日本側は「金剛型が無傷でいられる保障は無いうえに借りパクされる可能性が高い」と判断し、この要請を丁重に断った。
- なお、上述の戦艦強制接収に激怒したオスマン帝国はイギリス率いる協商国陣営から距離をとり、急速にドイツ率いる同盟国陣営に接近する。このため結果的にイギリスは取りかえしのつかない事態を自ら招くことになる。
第一次世界大戦秘話②:『橄欖』と『栴檀』
金剛型の貸し出しこそお断りした日本であったが、日英同盟を結んでいたことでイギリス側の協商国陣営に付いて第一次世界大戦に参加した。最初こそインド・太平洋方面のドイツ勢力の掃討が中心であったが、ヨーロッパ戦線の戦況が激化したことでそちらにも援軍として海軍部隊を送ることになる。これを第二特務艦隊と言い、戦力は駆逐艦8隻を中心にした通商護衛部隊であった。部隊は地中海のマルタ島を基地としてドイツとオーハンのUボートとの間で激戦を繰り広げることになる。
この日本からの援軍に対し、イギリスは2隻のH級駆逐艦『ネメシス』と『ミンストレル』を貸し出すことを決定する。この2隻は雑役艦『橄欖(カンラン)』と『栴檀(センダン)』として大戦終了まで日本海軍将兵によって運用されることになる。
実は橄欖と栴檀の貸し出しには裏があったとされる。ソースは不明だがこの2隻、艦内で黒光るGが大量繁殖していて始末に困った挙句に極東からホイホイやってきた日本に押し付けた、なんて話しがある。
幸か不幸か、この艦に乗り込んだ水兵たちの手記は現在発見されておらず、艦内の実態がどうであったかは不明のままである。
ちなみに、イギリスは300隻以上建造した駆逐艦の船員不足を補うために日本側へ22隻の追加貸与を提案しているが、日本側は丁重に断っている。
- これとは対照的に、圧倒的な護衛艦不足に陥っていたフランス海軍に対してイギリスは国防上の理由か国民感情が原因かは不明だがほぼ一切の支援を行おうとはしなかった。このために進退窮まったフランスは当時は技術後進国であった日本から樺型駆逐艦の同型艦を12隻も購入する羽目になっている。(→アラブ級駆逐艦])
昭和時代
足柄(重巡洋艦)へのコメント
1937年にイギリス国王ジョージ6世戴冠記念観艦式に招待された際に、現地のイギリス人から「この艦こそ本当のウォーシップ(軍艦)である。我らの艦はさながらホテルシップだ。」というコメントを頂戴した。
日本側は純粋な褒め言葉と解釈したが、イギリスの本音は違った。
「ジャップは本当にキ◯ガイだな。こんな武器をごちゃごちゃ詰め込んだ窮屈な船、俺らじゃとても乗れたもんじゃねーよ。」
ビルマ戦線における日本人捕虜への態度
- 以下、第二次世界大戦当時は陸軍一等兵であった京都大学名誉教授・会田雄次氏が、終戦後にイギリス軍の捕虜になった時の証言
- 『私たちの食事に供された米はビルマの下等米であった。砕米で、しかもひどく臭い米であった。飢えている間はそれでよかったが、ちょっと腹がふくれてくると、食べられたものではない。その上ある時期はやたら砂が多く、三割ぐらいは泥と砂のある場合もあった。私たちは歯は壊すし、下痢はするし散々な目に会い、とうとう日本軍司令部に英軍へ抗議してくれと申し込んだ。その結果を聞きに行った小隊長は、やがてカンカンになって帰ってきた。英軍の返答は、「日本軍に支給している米は、当ビルマにおいて、家畜用飼料として使用し、なんら害なきもの」というものであった。それも嫌がらせの答えではない。英軍の担当者は真面目に不審そうに、そして真剣にこう答えたそうである』(『アーロン収容所』より)
…良い話もあるはずなのだがロクな思い出が無さすぎる。なぜだ。
ブリカスに対する各国の対応
アメリカ
ワシントン「毎年のショバ代がエグいので英植民地やめます」→ボストン茶会事件
ブ「ちょ、待っ」
フランス
ナポレオン「ふと思ったんだがイギリスって海軍がすべてだから、海を突っ切って島に乗り上げさえすれば楽勝じゃね?」
ブ「くそったれ…‼︎くるならこいや~‼」→トラファルガーの海戦
ヴィルヘルム2世「ヴィクトリア祖母ちゃんだってグランドフリートを造って世界を支配したんだ…俺だって!」→高海艦隊
エドワード7世&ジョージ5世「やめろウィル!」
ブ「おいビスマルク!あいつを止めてくれ!!」
ビスマルク「だって私もう死んでるし…」
ヒトラー「俺と組めば世界の半分をやるよ(ゲス顔)」
ブ「知らねぇよ畜生め!…でもチェコなら少しくれてやってもいいカナ~…」→ミュンヘン会談
日本海軍「師匠……俺は、アンタを超えるぜ!!」→マレー沖海戦
ブ「最新最強の戦艦がああああ(泣)」
~第二次世界大戦後~
イスラエル「アラブの奴らに狙われてるから米さん武器売って」
アメリカ「いいよ」
アラブ諸国「イスラエルがムカつくからロッさん武器売って」
ロシア「ええで」
「「「「イギリス?何それおいしいの?」」」」
ブ「・・・」
中国
中国共産党「返してもらった領土は俺のモノ、俺の物は俺のモノ!」
香港「助けてクレメンス」
ブ「ア゛ァァーッ‼︎俺にどうしろっつんだよー!!!」
擁護
ただ、イギリスが少し過剰に悪者にされている感は否めない。少々偏見が混じっているのも事実。
上記のものは概要とイメージであるため、実態を知りたければ自ら調べてみることをおすすめする。
イメージが変わるか補強されてしまうかはあなた次第だが……
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エスニックジョーク:ブリカスネタが主に使われるパターン。