概要
生年月日 | 1998年8月17日 |
---|---|
出身地 | 岡山県備前市 |
利腕 | 右投右打 |
身長・体重 | 178㎝80Kℊ |
血液型 | AB |
ポジション | 投手 |
経歴 | 宮崎県・都城高校ーオリックス・バファローズ(2016年D4位)→ロサンゼルス・ドジャース(2023年ポスティング) |
背番号 | 43(2017~2019年)→18(2020年~) |
経歴
プロ入りまで
野球環境を求めて岡山県・備前中学校から宮崎県・都城高校に入学、高校1年秋から本格的に投手となり、2年時には最速151㎞の速球を投げ注目を集める。
NPB時代
2016年ドラフト4位でオリックス・バファローズ入団、背番号は「43」。
2017年、1年目から先発投手として育成、一軍でも5試合に先発し、1勝1敗、防御率5.32の成績をあげる。
後に侍ジャパンやドジャースでチームメイトとなる大谷翔平とも、この年の9月26日に一度だけだが対戦をしている。結果は2打数1安打1打点(見逃し三振、中犠飛、中前打)で、試合は日本ハムが6-2で勝利している。結果的に白星こそつかなかったものの、山本は立ち上がりに大谷を含む日本ハム打者陣から3者連続三振を奪うなど、当時から既に大器の片鱗も見せており、試合後に大谷も「今年対戦した投手で一番」と述べている。
しかし、当時の投球は肘にかなり負担がかかっており、登板間隔も10日に1度と長かったことから、専属ドクターの矢田と相談して後にアーム投げと言われる独自のフォーム改造に着手する。
2018年シーズンはセットアッパーとして起用、54試合に登板し、4勝2敗1セーブ32ホールド、防御率2.89の成績をあげる。なお32ホールドは2018年2位の成績である。
2019年シーズンは先発ローテの金子千尋と西勇輝が移籍したことにより先発再転向、20試合に登板し、8勝6敗、防御率1.95の成績をあげ最優秀防御率のタイトルを獲得。
2020年より背番号「18」に変更。千賀滉大と同数で最多奪三振のタイトルを獲得。
2021年、初の開幕投手に抜擢され、防御率1.39、18勝、球団記録となる15連勝と圧倒的な数字を残し投手タイトル四冠を達成。球界を代表するエースへと成長し、25年ぶりのリーグ優勝の立役者となる。沢村賞も満場一致で獲得し、MVP、ベストナイン、ゴールデングラブ賞などタイトルを総なめにした。
2022年6月18日の西武戦でノーヒットノーランを達成。2年連続で投手4冠を獲得、2年連続沢村賞・MVPの快挙を達成した。しかし、日本シリーズ第一戦で脇腹痛を発症(優勝者インタビューによると、投げる前から違和感を感じていたが、本人が行かせて下さいと志願したそうだ)。未だ日本シリーズ未勝利に終わるも、オリックスの26年ぶりとなる日本一決定時には歓喜の輪に混じって、喜びを爆発させていた。
2023年には、第5回WBCに召集され、侍ジャパンの一員として活躍。1次リーグのオーストラリア戦と準決勝のメキシコ戦で登板した。
レギュラーシーズンでは、9月9日のロッテ戦で2年連続となるノーヒットノーランを達成。2リーグ制後では史上初で、1リーグ時代を含めると82年ぶりの快挙となった。この年は最終的に16勝6敗、防御率1.21という高成績をマークし、チームの2年連続のリーグ優勝に大きく貢献、その年の投手タイトルを最多セーブ賞以外は総なめにする(投手四冠)という圧巻振りであった。特に防御率は自身のキャリアハイで、歴代パ・リーグ投手では稲尾和久に次ぐ第2位(セ・リーグを含めると第5位、戦前戦中の1リーグ時代まで含めれば26位)である。
ポストシーズンでは、クライマックスシリーズのファイナルステージと日本シリーズの第1戦・第6戦で登板。第1戦では岡田監督の指示により、低めの投球を狙った阪神打線の猛攻に遭い、自己ワーストとなる7失点を喫し、敗戦投手となる。しかし、リベンジを誓って登板した第6戦では一転して圧巻のピッチングを見せ、9回138球1失点完投、さらに日本シリーズ新記録となる14奪三振を奪う好投を見せ、日本シリーズで初白星を挙げた。チームは第7戦で阪神に敗れたために、日本シリーズ連覇は逃したものの、ファンに強烈な印象を残したことだろう。
メジャー挑戦の表明
2023年シーズン終了後にポスティングシステムを利用したメジャー挑戦を行うことを表明。
一応、シーズン開始前から関係者の間では彼のメジャー挑戦は有力視されており、本人もシーズン中にアメリカ人の代理人:ジョエル・ウルフ氏と契約を結ぶなど動きは見せていた。また、これを踏まえて日本代表として召集された第5回WBCや2023年シーズン中は(上記の2度目のノーノー達成時も含めて)彼の登板試合に多くのメジャー関係者が視察に訪れていた。
2023年オフには、同年にフリーエージェントとなった大谷翔平に次ぐオフシーズンの目玉として取り上げられるなど、海の向こうのアメリカでも彼は大きな注目の的となった。
計15球団が名乗りを上げる大争奪戦となったが、最終的にナ・リーグ西地区の名門球団であるロサンゼルス・ドジャースが12年総額3億2,500万ドル(463億円・オプトアウトあり)の大型契約を結び、山本を獲得した。
この金額はそれまで日本人投手最高であった田中将大の7年1億5500万ドル…はおろか、二刀流選手である大谷翔平を除けば、これまで最高とされていたゲリット・コール投手(ヤンキース)の9年3億2400万ドルを凌ぐMLB投手史上最大規模の契約となった(なお、このことからあまり話題になっていないが、ドジャースが1人の投手と12年契約を結んだのは、今回の山本が初のケースである。また、ドジャースがオプトアウトを付ける例も滅多にない事である)。MLBで1球も投げていない投手としては正に破格と言っても過言ではない契約であり、日米のファンや識者からは、この契約内容に疑問を呈する見方も多いが、(この年のFA市場では先発投手が軒並み価格が高騰化していたことを差し引いても)山本選手がMLBでもどれだけ期待されていたかが窺えると言えるだろう。
その後、12月28日(現地時間27日)に正式に入団が発表された。背番号はオリックス時代から引き続き18番を使用(ドジャースでは、過去に黒田博樹や前田健太(現タイガース)が使用していた)。同日はドジャースは勿論、MLBの公式SNSや公式HPも山本の話題を立て続けに投稿するなどお祭り騒ぎになった。
また、これによりドジャースは大谷翔平と山本由伸という日本球界を代表する選手2人を擁する前代未聞の事態となり、日本の野球ファンやメディアから大きな注目を集めることとなった(ドジャースも含め、過去に日本人選手が同一のメジャー球団に複数名在籍していた事例は多いが、MVPクラスのスター選手2名が同時に在籍という事態は今回が初である)。ちなみに、大谷自身も先発投手不足に悩む球団側に山本の獲得を提言したり、自らもフレディ・フリーマン選手やチームの正捕手であるウィル・スミス選手らと共に山本選手との面談に参加してドジャース入りを勧めるなど、積極的なリクルートに動いていた(ただし、山本によると面談の際に大谷からは積極的に勧誘されるような言葉は受けず、逆に「自分にとって後悔の無い最高の決断をしてほしいし、そのためなら何でも相談に乗る」というねぎらいの言葉を受けたという)。
MLB時代
公式戦には3月21日、韓国・ソウルの高尺スカイドームで行われたMLBソウルシリーズにて先発として初出場を果たすも1回5失点とメジャーの洗礼を受け降板、ほろ苦いデビューとなった。
アメリカに戻っての4月6日カブス戦にて五回までを被安打3、無失点と好投し、MLB初勝利を挙げた。
しかし、6月に右肩の故障で負傷者リスト入りし、一時離脱。その後、マイナーでのリハビリ登板を経て、シーズン終盤の9月から戦列に復帰した(ちなみに、復帰戦はシカゴ・カブス戦で、同年に海を渡った今永昇太との日本人投手の先発対決となり、さらに鈴木誠也や大谷翔平も先発出場したことから、日本人選手4人が揃い踏みするという豪華な事態となった)。
最終的なシーズン成績は登板18(90.0回) 7勝2敗 105奪三振 防御率3.00 WHIP1.11という結果となった。
ポストシーズンでは、タイラー・グラスナウ、クレイトン・カーショウ、ギャビン・ストーンといったレギュラーシーズンで中核を担っていた先発投手陣が軒並み故障で離脱したため、ジャック・フラハティ、ウォーカー・ビューラーと共に先発投手陣の一角として活躍。
地区シリーズ1戦目のパドレス戦でこそやや不甲斐ない投球を見せたものの、それ以降は見違える投球を見せ、パドレスとの2戦目(地区シリーズ突破のかかった大一番で、先輩のダルビッシュ有との投げ合いだった)、リーグ優勝決定戦のメッツ戦、そしてワールドシリーズのヤンキース戦では素晴らしいピッチングを見せ、チームの4年振り8度目のワールドシリーズ制覇に大きく貢献した。ちなみに、ワールドシリーズで勝ち投手となった日本人選手としては2007年の松坂大輔以来2人目の快挙となった。
球界の優勝請負人?
以下のようにペナントレースや国際大会で多くのタイトル獲得に関与しており、ファンからはネタ交じりに“球界最強の優勝請負人”と言われることもある
- 2019年:プレミア12優勝
- 2021年:東京オリンピック優勝
- 2021~2022年、2023年:オリックスリーグ優勝
- 2022年:オリックス日本シリーズ制覇
- 2023年:WBC優勝
- 2024年:ドジャース地区優勝・リーグ優勝・ワールドシリーズ制覇
ちなみに、プレミア12、オリンピック、WBC、出身国のプロリーグ、MLBの5つで総合優勝を経験したプロ野球選手は世界全体で見ても2024年時点で山本のみ。しかも、ワールドシリーズ制覇に至っては挑戦1年目で達成するという凄まじい運の強さを発揮している(一応、井口資仁・松坂大輔・岡島秀樹等幾つか前例はある)。
国際大会やペナントレースで優勝を手繰り寄せることができるだけの実力もさることながら、相当運にも恵まれている選手と言えるだろう。
日本では何かと大谷選手ばかりが取り上げられ、「漫画の主人公のようだ」と言われるが、ある意味では山本もまた漫画の主人公のような存在と言えるのかもしれない。
特徴
最速159km/hの速球を軸に、スライダー・スプリット・カーブ・チェンジアップ・シュート・カットボールなど、多彩な変化球を投げ分ける。
先発転向当初はなかなか援護がなく、それで力尽きて一発を浴びたり崩れたりすることが多かったが、2021年より入団したベテラン投手、能見篤史のアドバイスで試合中のメンタルコントロール術を習得。粘り強くなり、今や日本球界を代表するエースピッチャーへと成長した。
また、フォームがやり投げからヒントを得た独特なものであることも特徴であり、2022年頃までは二段モーションに近いフォームだったが、23年にはワインドアップポジションからほぼ足を上げないすり足投法に切り替えるなど、改良も怠っていない。
なお、山本の独特の投球フォームは非常に模倣が難しく、無理に真似しようとした選手が逆に調子を崩してしまったこともあるという。
人物像
オリックスの広報動画ではチームメイトを弄ったりするような様子も見られ、選手のおもしろエピソードを暴露したり、2023年のWBCで負傷選手の交代枠として急遽加入したが出番のなかった山崎颯一郎に対し、帰国後「マイアミ旅行」と揶揄したエピソードが残っている。
これはドジャースに行ってからもあまり変わっておらず、メジャー初勝利時のインタビューの際に、自分の登板試合に中々ホームランを打てない大谷の事を「僕が登板する時にもホームランを打ってほしい」と述べて弄っている(ちなみに、2024年シーズン中に大谷が山本の先発試合でホームランを打ったのはレギュラーシーズンでは、9月22日のロッキーズ戦の1回だけであった。ポストシーズンでは山本の登板した地区シリーズのパドレス戦、リーグ優勝決定戦のメッツ戦でホームランを放っている)。
自分から練習方法やスタイルを模索していく研究熱心な性格。ルーキー時代から自分の意思をハッキリさせていた事は時に周囲の反発もあったが、成果で認めさせた。
一方で片付けが苦手らしく、ロッカールームはよく散らかっている。
ドジャースに移籍した後も、数日間は綺麗な状態だったが、シーズンが始まって間もない3月の間に既に横にはみ出しかけており、「やっぱりか…」とファンには心配されていた。
人間関係
オリックス時代のチームメイトで2歳年上の頓宮裕真とは実家が隣同士で、少年野球の頃からの付き合いである。
また、カージナルスに所属するラーズ・ヌートバー選手とも侍ジャパンで共闘したことをきっかけに家族ぐるみで付き合いがある。
2023年には、クライマックスシリーズのオリックス戦をヌートバーが観戦に訪れたり、移籍交渉のために渡米した際、自由時間に山本と共に外出をしている様子をヌートバーが自身のSNSにアップする等、その仲の良さは野球ファンの間では広く知られている。
ドジャースでチームメイトとなった大谷翔平選手とは、「由伸」「翔平さん」と呼び合う等良き兄弟分関係を築いている。ルーキーイヤーとなった2024年シーズンでは大谷選手に色々助けられることも多かったという。
マネージャーは都城高校の一つ上の先輩にあたる石原与一氏。今は自主トレや渡米時のサポートを行っている。
小学校から中学校時代にかけて石原は山本の憧れの先輩で、高校の進学も相談しており、入学後はルームメイトとして朝に弱い山本を先導していたという。また、山本が在籍していた時代に都城高校でコーチ・監督を務めていたのは石原与一氏の兄、石原太一氏であった。
専属通訳を務めるのはハリウッド映画のスタッフを務めていたという異色の経歴を持つ園田芳大氏。
余談
名前の由来は読売ジャイアンツの外野手・元監督の高橋由伸氏とされてきたが、母の「由」と父の「伸」を祖母が合わせて名づけたと、山本自身が否定している。
※参考までに埼玉西武ライオンズの水上由伸は、高橋由伸ファンの親から、その名前に肖ったことを公言している。
アメリカでの愛称は「ヨシ」「ヤマモーロ(アメリカ人には"ト"が発音し辛いことから)」。
そこからの連想か、ドジャースのファンからはヨッシーのぬいぐるみがプレゼントされている他、山本の登板試合では『スーパーマリオワールド』の「アスレチックステージ」のBGMが流されるのがお約束となっている。