月刊漫画ガロ
げっかんまんががろ
伝説の漫画雑誌
始まりは1964年夏、奇妙な誌名の漫画雑誌『ガロ』(我々の路という「我路」から誌名を採用)が、神保町の材木屋2階にある、ちっぽけな出版社から創刊されたのが始まり。初代編集長は青林堂創業者の長井勝一が務めた。
『月刊漫画ガロ』は1964年から2002年にかけて青林堂から刊行されていた日本を代表するオルタナティヴ・コミック誌であり、戦後日本のマイナー文化を支え続けた「サブカルチャーの総本山」でもある。
誰が呼んだか、「最も有名なマイナー誌」。
戦後、漫画の神様こと手塚治虫が築き上げた「マンガ」は学生運動の嵐が吹き荒れた1960年代には、もはやその枠に留まり切れなくなっていた。マンガが新たな世界を切り拓くべく模索していた時代、劇画を標榜する一群がより過激な表現を追求する一方、『ガロ』はマンガの枠を超え、ひたすら文学に近づこうと、いや文学すら超えようと、創刊されて以来、前衛的な表現や疎外されたもの、独自の自己表現など芸術色の強い作品を採用する独自の編集方針を取った。
そして『ガロ』は日本の高度経済成長期から狂乱の世紀末までサブカルチャーの総本山的な役割を担い、
- 安部慎一・池上遼一・内田春菊・蛭子能収・大越孝太郎
- 勝又進・川崎ゆきお・楠勝平・久住昌之・近藤聡乃・近藤ようこ
- 逆柱いみり・佐々木マキ・白土三平・しりあがり寿・杉浦日向子・杉作J太郎・鈴木翁二
- 滝田ゆう・つげ忠男・つげ義春・津野裕子・つりたくにこ・東陽片岡
- 魚喃キリコ・西岡兄妹・ねこぢる・根本敬
- 花くまゆうさく・花輪和一・林静一・ひさうちみちお・福満しげゆき
- 古川益三・古屋兎丸・松本充代・丸尾末広・みうらじゅん
- ますむらひろし・みぎわパン・水木しげる・南伸坊・本秀康
- 矢口高雄・谷口トモオ・山田花子・やまだ紫・山野一・山本ルンルン・渡辺和博
……など、どの漫画雑誌にも引っ掛からない個性の塊の様な新人を積極的に採用し、作品発表の場を与え、漫画界の異才・奇才をあまた輩出したことで知られる。
今日では『ガロ』は日本のオルタナティヴ・コミックおよびアンダーグラウンド・コミックを代表する漫画雑誌として伝説的な存在になっている。
特殊漫画無法地帯
『ガロ』の編集方針こそ作家のオリジナリティを遵守することであり、編集者の干渉が少なく作家にきわめて解放的な作品発表の場を提供し、商業性よりも作品そのものを重視したことで知られる。小林よしのりが皇室をネタにした漫画の掲載を拒否された際、『ガロ』に持ち込んだら普通に掲載されたと言う逸話は有名である。
この方針は創刊から休刊まで40年近く貫かれ続け、その結果『ガロ』は良くも悪くも自由でアナーキーな雑誌となり、編集部も他誌では敬遠される前衛的かつ実験的な芸術作品も意欲的に掲載する方針を貫いた。この結果『ガロ』の存在は驚異的な漫画文化隆盛へと繋がっていくことになる。
また掲載作品の「既存の表現形式に倣っておらず、実験的かつ前衛的な作風」や「個性的で芸術性すら感じる意味不明さ」は、美術教育を受けず美術という概念を持たないアウトサイダーアート的な性質すら併せ持っており、『ガロ』は一つの漫画雑誌に留まらず、今日に至るまで国内外のアート界でも非常に高く評価されている。
掲載漫画の特徴として
- 純漫画、アート、素朴、詩的、難解、アングラ、土着的、時代的、前衛的
- 実験的、先鋭的、刺激的、解放的、反社会的、土俗的、攻撃的、変態的
- 叙情的、自省的、日本的、ほのぼの、ナンセンス、アナーキー
- へタウマ、電波系、鬼畜系、エログロ、自由、差別
- 怪奇、淫靡、耽美、闘争、無常、異常、過剰、屈折、破滅、憎悪
- 猟奇、卑怯、貧乏、猥雑、底辺、精神、因果、真理、倦怠、悲哀、陰鬱
- 欲望、嫉妬、根暗、混沌、不条理
などが挙げられる。わけが分からないって?大丈夫、俺も分からん。その何にも定義できない、あまりにも意味を持たない謎の部分や領域が「ガロ系」という特殊な作風の象徴にもなっている。
今日の漫画文化全体に対して『ガロ』が与えた影響は計り知れず、
- 手塚治虫、石ノ森章太郎、高橋留美子、中島らも、大槻ケンヂ
- さくらももこ、村上春樹、相原コージ、吉田戦車、永島慎二
- 辰巳ヨシヒロ、唐沢俊一、唐沢なをき、とり・みき、竹熊健太郎
- 早見純、竹中直人、夏目房之介、赤瀬川原平、なぎら健壱
- 森下裕美、鴨川つばめ、遠藤ミチロウ、サエキけんぞう、園子温
- 石井輝男、呉智英、安彦良和、糸井重里、柄本明、湯村輝彦
- 武内享、知久寿焼、石川浩司、日野日出志、安彦麻理絵、水野しず
- 石野卓球、ピエール瀧、あがた森魚、米澤嘉博、竹中直人、青木雄二
- 高杉弾、村崎百郎、荒木経惟、沼田元氣、まんしゅうきつこ、全共闘時代の大学生
……など、漫画界のみならず、知識人から音楽界・アート界の様々なアーティストにも直接的・間接的に多大な影響を与えている(たとえば『ちびまる子ちゃん』の花輪くんや丸尾君などの名前は『ガロ』の漫画家から取られたのは有名なエピソードのひとつである)。
しかし、『ガロ』を世に知らしめた「カムイ伝」の連載終了や、こうした編集方針が災いし部数低迷に拍車をかけ、バブル時代の浮かれた世間とは対照的に実売部数を3000部代にまで落とし、まともに原稿料も払えない長い不遇の時代を送ったが、一部の層の熱狂的な支持により『ガロ』は支え続けられた。
原稿料がなくてもいいから『ガロ』に載せてほしいという作家は引きも切らず、求人を出せば薄給にも関わらず、募集人数の数十倍の応募が殺到したという。
1997年のお家騒動で休刊した際には『別冊宝島』の書評で「いつかこんな日が来ることはわかっていた。というか、イメージとしてはいままでつぶれなかったのが不思議といえば不思議ともいえる。しかし、この雑誌は単なるマンガ雑誌の枠を超えて、30数年の長きにわたって日本のマイナー文化を支えてきたのである」と評された。
また『ガロ』出身の漫画家であるみうらじゅんは「アクション」「ギャグ」「ファンタジー」「ホラー」「SF」「恋愛」「ヒューマンドラマ」など一般向け漫画とは一線を画した、どのジャンルにも属さない「ガロ系」という特殊なジャンルについて「世の中の漫画は『ガロ系』と『それ以外』の2つに大きく分けられます」と語っている。
『ガロ』はその先見性と独自性で一時代を画した、単なる漫画雑誌ではない足跡を出版界に遺した。その意欲的、野心的な姿勢は部数とは裏腹に漫画界に大きな刺激を残し、手塚治虫は『COM』と言うライバル誌を創刊、『アックス』『コミックビーム』『アフタヌーン』『月刊IKKI』等のいわゆるサブカル漫画雑誌は当雑誌の成功(と失敗)を参考に生み出されたと言えよう。
現在『ガロ』は版元を青林工藝舎に移し、誌名を『アックス』に変えて現代漫画の片隅に現存している。しかし部数は低迷し続けており、知る人ぞ知るアングラ雑誌となっている。
著名なガロ系作家
幼い頃に両親が離婚、その後やってきた養父(実際は内田の実母を妾にしていた)に中学生の頃から性的虐待を受け続ける。そうした経緯から彼女の描く恋愛作品には綺麗事なしの生々しいセックス描写が非常に多い。実母や実妹とも過去の確執や金銭トラブルのため絶縁したことを公表しており、ストレートなハッピーエンドを好まない(というより嫌っている)作風にもこうした過去が影を落としている。
だが決してエロ漫画ばかりを描いているわけでなくギャグからホラーまで、描くジャンルは非常に幅広い。東京電力のマスコットキャラクター「でんこちゃん」のキャラクターデザインも手掛けている。
代表作の「南くんの恋人」では小さくなった恋人との同棲生活というドラマ版の甘く切ないラブストーリーで知られるが、あくまで原作は「ガロ系のラブストーリー」であり、ゆるい絵柄とは裏腹に大胆な性描写やリアルな心情描写が続き、「小さな恋人は小さなペットと同じ様にあっけなく死んでしまう」という残酷な結末には、ドラマ版を見て軽い気持ちで原作を読んだ視聴者に大ショックを与え、賛否両論が巻き起こった。
内田は残酷な結末を描いた経緯について「こーんな小さなちよみの子宮の中で生理が起こってる、とかいうのもいつまでもやっていたらおかしくなるな、と思ってこの話を終わらそうと決心したんですよ」「あの頃、私は子どもを産める気がしていなかった、ちよみを殺してしまったのなんかは子どもを諦めようという一連の作業だったんじゃないのかもしれない」と回想している。
1947年生まれ。看板屋・ちり紙交換・ダスキンのセールスマンなどを経て、1973年に『ガロ』で漫画家デビュー。伝説的自販機本『Jam』『HEAVEN』をはじめ官能劇画誌『漫画ピラニア』などでも作品を発表。特異な作風で注目を集め、ヘタウマ・不条理漫画家としての地位を確立する。
日本のオルタナティヴ・コミックやアンダーグラウンド・コミックの中でも最も異端な立場にありながら、80年代後半からはタレントとして数多くのテレビ番組に出演しており、世界のカジノを股にかけるギャンブラーとしても名高い。
「漫画の体裁を取った素で意味のない残酷な話」を描くことで漫画通に知られる。いつもニコニコしている腰の低いタレントとしての蛭子能収しか知らない人がほとんどであると思われるが、漫画の内容は本物の狂人が描いたとしか思えないほど不気味な内容となっており、もはや言語解説不可能な域に達している。後輩漫画家の根本敬いわく「狂気を内側から描いている人」。
ニコニコ笑っているイメージが強いが、実は倫理観がものすごく変わっているため、その点で知り合いを震え上がらせることもしばしばある。そもそもガロ系の漫画家には倫理観が謎の人が多いので、むしろ「ガロ系漫画家なのにテレビに数十年も出続けている」こと自体が奇跡の男と言える。
代表作に「地獄に堕ちた教師ども」「私はバカになりたい」「私の彼は意味がない」など。
実社会のリアルな重圧(仕事・家庭・税金・借金…etc)から逃れ、ひたすらロマンを求めて闇に走る怪人の物語「猟奇王」はカルト漫画界の名作的存在。
シュールレアリズム風な手法を漫画に持ち込んだ代表作「ねじ式」は国内だけにとどまらず、多くの分野にも多大な影響を与え、サブカルチャーを語る上では欠かせない地位を確立した。文字通り『ガロ』を代表する作家である。
1987年以降は新作を発表しておらず、家庭の事情や自身の健康問題などが重なり、漫画家としてはほぼ廃業状態だが、旧作の再版や映画化等がコンスタントに続いているため、印税収入によって生活は支えられているという。寡作ながら代表作に「ねじ式」「紅い花」「李さん一家」「ゲンセンカン主人」「無能の人」などがある。
『ガロ』1990年6月号掲載の「ねこぢるうどん」で漫画家デビュー。
夫は同じく特殊漫画家の山野一。
基本的に可愛らしいデフォルメが為された絵柄だが、内容は障害者差別や薬物、殺人などをテーマにした異様としか言い用のないブラックさで最早狂気の域に達している。
ブーム絶頂の1998年5月10日に謎の自殺を遂げる。31歳没。
ねこぢる没後に製作されたOVA「ねこぢる草」は、精神世界の奥深くを彷徨い帰って来れなくなるようなトラウマ描写があるが、その芸術性の高さと深遠な世界観から高く評価されている。
1981年に『ガロ』で漫画家デビュー。代表作に「生きる」「タケオの世界」「因果鉄道の旅」「豚小屋発犬小屋行き」「未来精子ブラジル」など。
「特殊漫画家」「特殊漫画大統領」を自称する。
便所のらくがきが増殖したような異様な作風を持っており、見たら素通りできない強烈な個性を露出している。その悪趣味極まりない表現は他の追随を決して許さないものであり、サブカルチャーの分野に与えた影響も非常に大きい。読者は根本の漫画を「この世の真理」とも評している。
1971年に『ガロ』で漫画家デビュー。代表作に「刑務所の中」「刑務所の前」など。
ベースとなるテーマが人間の「業」である作品が多い。
初期には猟奇的な物語を、活動中期以降は主に平安時代~室町時代の日本を舞台にした怪奇かつファンタジー色の強い物語を、緻密で濃厚なタッチで描いている。
1967年に『ガロ』で漫画家デビュー。
『ガロ』に連載した劇画「赤色エレジー」や「小梅ちゃん」のイラストレーションなどで知られる。また寺山修司のエッセイでは殆どの挿画を手掛けている。
女性美の表現について「現代の竹久夢二」と評される。
- 1997年に『ガロ』掲載の「娘味」で漫画家デビュー。代表作に「僕の小規模な失敗」「僕の小規模な生活」「うちの妻ってどうでしょう?」など。「もっもっ」等の独特な擬音を書く。あと妻が可愛い。
- 日本一卑屈でネガティブなエッセイ漫画家として定評がある。
- 1994年に『ガロ』掲載の「Palepoli」(パレポリ)で漫画家デビュー。代表作に「ライチ☆光クラブ」など。
- 繊細で正確な描き込みとブラックな作風を得意としており、丸尾末広系統のファンも多い。
代表作「少女椿」は両親を亡くして孤児となり、奇形の見世物たちがうごめく見世物小屋で働かされる羽目になった薄幸の少女みどりちゃんの辿る数奇な運命を描く怪奇残酷物語。
レトロな世界観に暗く幻想的な雰囲気が漂っており、現在も屈折した少年少女を中心に新規ファンを獲得している。芸人の鳥居みゆきは子供の頃に古本屋でうっかり本作を読んでしまい大ショックを受け、以来丸尾のファンになったという。
「ちびまる子ちゃん」の丸尾末男は彼の名前から取られた。
日本漫画界を代表する御大であるが、商業誌デビューは『ガロ』1964年9月号の「不老不死の術」である。のちに「ゲゲゲの鬼太郎」の原型となった貸本版「鬼太郎夜話」を『ガロ』誌上でリメイクし『週刊少年マガジン』版と並行して1967年6月号から1969年4月号まで連載した。本作ではブラックユーモア満載な痛烈に風刺のきいたエピソードが多数存在し、また鬼太郎をはじめ多くの妖怪たちが人間の倫理観に囚われない放埓な存在であり、あくまで「人間は人間、妖怪は妖怪」というスタンスが貫かれている。そのため、鬼太郎が人間を騙したり、あるいは人間が酷い目に遭っていてもほったらかしてどっかに行ったりというのは、この作品では珍しくない。
他にも水木しげる自身の戦争体験をもとに描いた半自伝的作品『総員玉砕せよ!』では全員が攻撃を受け玉砕するラストシーンが描かれている。
1969年に『ガロ』でデビュー。代表作は『週刊少年マガジン』に連載した「釣りキチ三平」など。釣り漫画を確立した漫画界の巨匠であるが、同誌に連載した「幻の怪蛇バチヘビ」ではツチノコの名を世間に広め、ツチノコブームを起こしたことでも知られる。
故人。『ガロ』『なかよし』『週刊ヤングマガジン』を中心に活動していた女性漫画家。自身のいじめ体験をベースに人間の闇や苦しみをテーマにした漫画を描き続けたが、中学2年生の時から患っていた人間不信が悪化して統合失調症を発病。精神病院を退院した翌日に団地11階から投身自殺を図る。24歳没。代表作に「神の悪フザケ」「嘆きの天使」「花咲ける孤独」「自殺直前日記」などがある。実妹は『ガロ』の元編集者である青林工藝舎の高市真紀。
元祖鬼畜系漫画家。前妻は同じく漫画家のねこぢる。
立教大学在学中に東京駅の八重洲口で神の啓示を受け、1983年に「ハピネスインビニール」で漫画家デビュー。掲載誌はもちろんガロ。カルト漫画家の極北的存在として「四丁目の夕日」「どぶさらい劇場」など今も語り継がれ読み継がれる強烈な作品群を残している。
トラウマ漫画の最高峰と名高い初期の代表作「四丁目の夕日」では下町の懐かしい風景の中に潜む無間地獄と町工場労働者一家の悲惨な末路を描き、漫画史上に残る過激な表現を織り交ぜ、余すことなくしつこく徹底的に、そしてぐっちゃんぐっちゃんに描き切った。
マイナー誌であるガロに連載された1980年代の作品にも関わらず、現在まで「不朽の怪作」としてカルト的な人気があり、読者の心をえぐり続けている。タイトルが西岸良平の「三丁目の夕日」と似ているためか、間違えて読んでしまった被害者も少なからず存在する。
「山野一」としての最後の長編「どぶさらい劇場」に至っては単なる鬼畜漫画の枠に収まらない様相も見せており、資産家のお嬢様が奴隷並に堕ちて行く描写から始まり、ボットン便所に突き落とされてうんこまみれになって精神が分裂、そのまま神の領域に達して新興宗教の教祖になるも結局地獄のような結末を迎えるという、毒まみれの大河ロマンになっている。
貧困・電波・差別・不条理・奇形・虐殺・廃人・凌辱・性悪説のイメージに埋め尽くされた道徳的倫理観を逆撫でする不道徳な作風で読み手を非常に選んでいるが、その異様に真摯な容赦の無さが妙な癒し効果すら生んでおり、特殊漫画家の根本敬は山野の描き出す不幸のどん底を「逆に大乗仏教的ですらある」と評価している。
しかし、その作風から受ける印象に反して現在の山野は二女の父親として育児に専念しており、鬼畜系漫画家を事実上廃業してからは、双子姉妹との日常を描いたほのぼの育児漫画「そせじ」(双生児)も発表しており、親子仲は良好な模様である。
「山野一」としての代表作に「夢の島で逢いましょう」「四丁目の夕日」「貧困魔境伝ヒヤパカ」「混沌大陸パンゲア」「どぶさらい劇場」(すべて青林堂刊)がある。他にも「ねこぢるy」としての代表作に「ねこぢるyうどん」 「おばけアパート」がある。