2015年1月4日から放映開始されたNHK大河ドラマ第54作。
幕末長州藩の志士・吉田松陰の妹で久坂玄瑞の妻、後に群馬県令となった楫取素彦の後妻となった杉文→楫取美和を主人公としてその視点から幕末維新の動乱の中の長州藩と明治政府統治下の群馬の姿を主に描いた。
この関係で、中央での重要な政治的事件が無視かあるいは短時間でのスルーが続出した。重要人物の未登場や出番僅少も多数。
主要キャスト
- 杉文→楫取美和:井上真央
- 小田村伊之助→楫取素彦:大沢たかお
- 杉寿→楫取寿(文の姉):優香
- 吉田松陰:伊勢谷友介
- 久坂玄瑞:東出昌大
- 杉百合之助(文の父):長塚京三
- 杉滝(文の母):檀ふみ
- 玉木文之進(文の叔父):奥田瑛二
- 杉民治(文の兄):原田泰造
- 杉亀(民治の妻):久保田磨希
- 杉敏三郎(文の弟):森永悠希
- 小田村志乃(素彦の義母):かたせ梨乃
- 松島剛蔵(素彦の兄):津田寛治
- 小田村篤太郎(素彦の長男):高橋里央
- 楫取久米次郎(素彦の次男):市川理矩
- 久坂玄機(玄瑞の兄):村上新悟
- 久坂秀次郎(玄瑞の庶子):大八木凱斗
- 高杉晋作:高良健吾
- 高杉小忠太(晋作の父):北見敏之
- 高杉雅(晋作の妻):黒島結菜
- 吉田稔麿:瀬戸康史
- 伊藤博文:劇団ひとり
- 前原一誠:佐藤隆太
- 入江九一:要潤
- 品川弥二郎:音尾琢真
- 小野為八:星田英利
- 野村靖:大野拓朗
- 寺島忠三郎:鈴木伸之
- 赤禰武人:阿部亮平
- 松浦亀太郎:内野謙太
- 山県有朋:永岡佑
- 山田顕義:達淳一
- 入江すみ(入江と野村の妹・伊藤の最初の妻):宮崎香蓮
- 毛利敬親:北大路欣也
- 毛利都美子(敬親の正室):松坂慶子
- 毛利元徳:三浦貴大
- 毛利安子(元徳の正室):田中麗奈
- 国島(長州藩奥御殿御蔵番):白石加代子
- 園山(長州藩奥御殿総取締役):銀粉蝶
- 金子重輔:泉澤祐希
- 椋梨藤太:内藤剛志
- 椋梨美鶴(藤太の妻):若村麻由美
- 桂小五郎→木戸孝允:東山紀之
- 周布政之助:石丸幹二
- 長井雅楽:羽場裕一
- 来島又兵衛:山下真司
- 井上馨:石井正則
- 富永有隣:本田博太郎
- 高須久子:井川遥
- 高須糸:川島海荷
- 白石正一郎:山本譲二
- 近藤勇:中村昌也
- 沖田総司:賀来賢人
- 徳川慶喜:森慎太郎(どぶろっく)
- 井伊直弼:高橋英樹
- 三条実美:上杉祥三
- 西郷隆盛:宅間孝行
- 阿久沢権蔵(群馬県庁勧業課課長):江守徹
- 阿久沢せい(権蔵の妻):三田佳子
- 船津伝次平(農業技術者):石原良純
- 鈴木栄太郎(群馬県庁勧業課職員):相島一之
- 工藤長次郎(群馬県庁勧業課職員):尾上寛之
- 星野長太郎(養蚕家):大東駿介
- 新井領一郎(星野の弟):細田善彦
- 坂本龍馬:伊原剛志
- 辰路(芸妓):鈴木杏
- 幾松→木戸松子:雛形あきこ
- 宮部鼎蔵:ビビる大木
- 津田梅子:知花くらら
など。
テーマソングは川井憲次作、ナレーションは池田秀一が担当した。
エピソードと評価
※批判的な表現が混じっています。苦手な方はバック推奨です。
『ホームドラマ』大河
放送直前のインタビューで、チーフプロデューサーの土屋勝裕は今作に関して内容を、今まで「男たちのドラマ」であったのを「女たちのドラマ」として試みたものだと説明した。(詳細)
これは、東日本大震災の影響を受けて一般民衆の『今、ここにあるささやかな幸せを守りたい』という気持ちを反映しようという試みと、放送時間である夜8時台という時間帯は『リラックスしてテレビを見たい』と思う人が多いだろうから、殺伐としていない内容にしようとした事との相乗効果であるとした。
主人公に全くの無名(当時はWikipedia記事すら存在せず)であった「杉文」をピックアップした訳は、『篤姫』⇒『龍馬伝』ときた流れで「舞台が薩摩、土佐ときたら、次は長州 だろうと考えた。ただ、吉田松陰や高杉晋作といった長州の偉人たちは、みな志半ばで倒れてしまった。彼らの後をフォローした人物が大事なんじゃないかな、と思った」として、このようなキャスティングになったらしい。
この上で、土屋は『花燃ゆ』のコンセプトを「ホームドラマ」「幕末版『男はつらいよ』」と評した。これとは別に、つけられたキャッチコピーもイケメン俳優を多く起用したことから「イケメン大河」「セクシー大河」「幕末男子の育て方」というセンセーショナルものであった。
作品構成は、第1部は松陰の死までの『松下村塾編』、2部は松下村塾の教え子たちが攘夷を実行し、「禁門の変」で文の夫である久坂が死ぬまでの『新婚生活編』、3部は高杉による「功山寺挙兵」や、文が毛利家の奥女中として働く『長州版大奥編』、4部は文が楫取と再婚し、波乱に満ちた生涯を終えるところまでを描く『群馬編』という4部構成で、それに合わせて大島里美・宮村優子・金子ありさの3人の脚本家がそれぞれパートを担当するという野心的な取り組みもみられた。
結論から言えば、これらの想定や取り組みは完全に裏目に出ることになった。
序盤~中盤にかけての「迷走」
当時のNHK会長であった籾井勝人は、『花燃ゆ』放送終了後に「前半は話が散漫だった」と評価した。この言葉の通り、ネット上でも当時から「はなしが全然纏まっていない」「史実とドラマがかみ合っていない」「大河ドラマとして成立していない」という批判的な評価が圧倒的であった。脚本家複数人体制となったことで発生したストーリーのチグハグさと、大河ドラマ本来のテーマであった叙事詩や戦記的な部分を排除したことが裏目に出てしまったのだ。
既に記されているように、「ホームドラマ」性を重視するあまり中央での重要な政治的事件が無視かあるいは短時間でのスルーが続出し、重要人物の未登場や出番が僅少ない(主人公の兄である吉田松陰を刑死させた大老井伊直弼の暗殺事件「桜田門外の変」すらスッ飛ばしている!)のが本作であったが、そもそも大河ドラマを見ようとする視聴者のメインは『歴史』を追体験したいというニーズを持っているにも関わらず、これを無視したことが大きな仇となった。
そもそも映像作品としての『物語』からして上手くできているとは言い難かった。大河ドラマでは以前にも無名の人物はおろか全くの架空の人物を主人公にした『三姉妹』(1967年)や『獅子の時代』(1980年)があったが、これらは必ずしも時代の本流に属していると言い難い主人公とストーリーを補助するために狂言回しともいうべき副主人公が歴史上の様々な事件に関わっていくことで「大河ドラマらしさ」を演出していたが、この作品の内容たるや前述の通りであり、主人公が次々に死んでいく攘夷志士たちの「彼らの後をフォローした人物」として描かれているとも言い難く、いったい本作が主人公「文」と周辺のホームドラマなのか、あくまで本来の大河ドラマ性も合わせて追求しているのか、視聴者が作品に没入しようにも主題がどこにあるのかはっきりしていなかった。
当然、視聴率はどんどん低下し、最終的に(逆に作り込んでしまい素人が引いてしまった)『平清盛』に並ぶ平均視聴率12.0%にとどまってしまった。これは、『いだてん』以前のワースト記録である。
後半:脚本家「小松江里子」の起用
形勢逆転を図るため、放送後半に差し掛かった段階で上記3人の脚本家は更迭され、脚本は新しく起用された小松江里子に一本化されることになった。
だが、これを受けて大河ファンや歴史ファンは戦慄した。この小松という脚本家は以前の大河ドラマ『天地人』を手掛けてそこそこの視聴率を出しており、そのために視聴率回復の切り札として登用とされたとされるが、逆にネット上や大河ファンからの評判は最低に近いものであった。というのも、この人物が手掛ける脚本にはある特徴があり、それは「主人公のメアリー・スー化」と「歴史の(無意味な)改竄」、「ヒットコンテンツのへの安易な便乗」という創作界隈においてはドン引きの対象となりかねないことを平気で多様することで有名であったからだ。
結果として、不安は的中した。
小松が脚本を手掛けるようになった第4部『群馬編』以降は「船頭多くして船山に登る」状態であった為にグダグダな部分があったこれまでと比較して脚本家が一人になったことでストーリーが安定したため視聴率低下はある程度は抑えられたものの、褒められる部分はこの他に僅かであり、それ以上に小松の悪癖がさらに悪い方向で作用した為に結局は低調な空気は覆しようがなく、そのためにその長所すら霞んでしまった。
文と姉の寿が、寿の夫の楫取素彦らが群馬県令に着任するのに付き添い前橋市市内に入るが、その矢先に空っ風と土埃が吹きすさぶ中、なんと文と寿が乗った馬車がピストルをもった暴漢に襲われるという西部劇じみた演出が入る。これ以降、群馬県は「戦国の世から、要(かなめ)の地としていくつかの諸藩に分かれ、分裂、乱立を繰り返してきた」無法地帯として描かれた。その上、史実では楫取の右腕として県政改革に尽力した初代前橋市長下村善太郎らキーパーソンとなった協力者がいなかったことになり、下村の代わりに地元の有力者にしてステレオタイプな悪役として阿久沢権蔵という架空の人物が配されるという謎采配が行われた。特に群馬を無法地帯や未開の地として扱ったことは、当時ネット上で流行っていたブラックジョーク『未開の地グンマー』を彷彿させるとして、ネット界隈だけでなく地元住民や当時の世相に通じた識者から「(このような極端な脚色は)悪意を感じる」と批評されるに至った。
『聖地』からの評判
『花燃ゆ』の舞台の過半を占めた山口県であったが、最終回を巡ってトラブルが発生した。当初、最終回までの数話は防府市がドラマの舞台になり、この地に日本初の仏教系の幼稚園を設立した文が園児らにおにぎりを作るシーンなどがあるはずであった。そこで、防府市は1億2000万円をかけて『ほうふ花燃ゆ大河ドラマ館「文の防府日和。」』を作り、ドラマ初回に合わせてオープンした(現在は閉館)。だが、先述のように脚本家の小松の投入というテコ入れが(視聴率的には)ある程度功を成したことが影響してかNHK側が心変わり…というか裏切りを行った。
イメージアップの重点を直前で群馬に絞り、脚本を変更。最終回は東京にある鹿鳴館で文と楫取がダンスを踊る華やかなシーンになり防府市でのシーンは一切なくなってしまった。当然、現地からは批判が殺到し、市民からは「税金の無駄遣いじゃないか」との声も上がり、市長からも「約束が違うんじゃないか」と抗議された。これに対し、12月13日の最終回放送日、防府市公会堂に主演の井上真央を呼んで、防府市民と一緒にドラマを鑑賞するという事実上の“お詫びイベント”が催されることになった。この会には井上以外には他の俳優やチーフPの土屋すら参加しておらず、一部メディアはこれを「井上に全責任を投げた」と報じた。余談ながら、10月14日のクランクアップの段階で、低視聴率の原因に関して井上は「自分の力不足」「でも私にできることは誰に何を言われても堂々と立っていることと、現場でバカ言って笑っていることくらい」と泣きながらインタビューに応じているが、事の経緯を踏まえてしまうと、井上は首脳部の無定見に振り回されて犠牲になったのだとしか多くの視聴者には感じられなかった。
2015年1月10日から2016年1月31日まで群馬県庁昭和庁舎2階に「初代県令・素彦と文ぐんま花燃ゆ大河ドラマ館」を開館していたが、同館の入場者数は約14万6000人で目標の半数以下にとどまった。しかし、前橋市への2015年の観光客数は前年比で9.6%増の約669万人となっており、前橋市ではドラマをきっかけとした観光誘客に一定の成果があったと発表している。
だが、評価点はこのくらいしか無かった。
結局のところ、もともとグダグダであったドラマ内容の上に、いざ『群馬編』が封切られてみたら、
阿久沢ら(作中の)当時の県民が文たち余所者を邪険にする
⇓
「本当にこの地を変えようとしているのか(感激)」
といったわざとらしい演出が多く、まるで『文明の使者』である文と楫取素彦が『野蛮人』グンマーに愛を届けると言わんばかりの内容であったのでそこから抱かれる『群馬』のイメージは決して良いものではなかったのは致命的であった。多くの群馬県民にとって、明治維新以降の県内における文明開化は政府の指導こそあれど先にあげた下村や新島襄ら県出身者の少なからぬ尽力でもって達成されたと自負されているために「そこまで酷くはねーよ」「意味不明だけど、舐められているのは分かる」といった感想以外を県民が抱くことはほとんどなかったようだ。
多くの場合、ご当地における大河ドラマは放送終了後も観光客誘致に活用されるが、作中にも登場した富岡製糸場が集客に苦心しているにも関わらず、現在の群馬で『花燃ゆ』が顧みられることはほとんどない。むしろ、翌年の『真田丸』において真田氏の拠点があった沼田市や沼田城等が、翼々年の『おんな城主直虎』では登場人物井伊直政が居城とした箕輪城がまるで開き直ったかのようにPRさる始末であった。
ちなみに…
既に記されているように、今作のナレーションはあのシャア・アズナブルも務めた声優池田秀一が行った。
池田の声目当てで視聴していたファンも一定数いたとされるが、その実情たるや、その大河らしからぬドラマ内容の影響のせいで『赤い彗星』の声が歴史的大事件を簡単な説明だけて切りまくっていくというものであった。
ついた皮肉が、『シャア無双』。
・・・このような極端なナレーションの活用が、翌年・翌々年の惨劇の呼び水になったかは不明である。