時代劇
じだいげき
時代劇とは、日本の創作におけるジャンル。
解説
主に近世前後の日本を舞台とした作品を指す。実写・アニメ・漫画・演劇などを包括する。小説については『時代劇』ではなく「時代小説」と呼ばれることが多いが、このジャンルに包括して考えることができるであろう。
昔(戦前)は歌舞伎などの要素を色濃く残した時代ものは旧劇と呼ばれ、一方で現代劇は新劇と呼ばれていた。旧劇に新劇の要素を取り入れつつ昔を舞台とした作品を新時代劇と呼ぶようになり、後に時代劇という呼称になった。
戦国時代~明治維新辺り(特に文化・文政期の江戸、幕末)を舞台としたものが多い。広い意味では古代・中世を舞台にした作品も含まれるが、南北朝時代以前や明治時代中期(西南戦争)以降を題材とした作品は『時代劇』というより『歴史ドラマ』とカテゴライズされることの方が多い。西郷隆盛、大久保利通ら幕末と明治にわたって活躍した人物が登場する作品などはこのジャンルに含まれるか曖昧である。
作品一覧
実写
※原作は小説・漫画・演劇など他ジャンルのものであることが多い。
演劇
テレビ時代劇・絶滅の危機
マンネリ化
テレビ時代劇はバブル期以降、衰退が目立つようになり、時代劇出身の若手俳優も出なくなって視聴層の高齢化が進んだ。1996年に発売された必殺シリーズのサウンドトラック(オリジナル・サウンドトラック全集15)のジャケットの作品解説(必殺仕事人Ⅳ)の冒頭で「時代劇が完全に高齢者向けになってしまった現在では考えられないことだが(以下略)」と書かれており、既にその頃から将来の存亡が危ぶまれる状態になっていたのである。全盛期に高視聴率を稼ぐ定番に頼り過ぎ、新たな視聴者層を狙った作品の創作を怠った事が、平成の時代劇の衰退に繋がった。
技術の衰退
高度経済成長と生活の洋風化による文化の断絶、大道具・小道具等の制作や調達の困難化、開発による日本の景観破壊によりロケ地の確保が困難になったことなどから、時代劇の製作数は先細りの傾向にあり、実写時代劇作りのノウハウが失われつつある。
実際、時代劇に使用された舞台セットの制作技術・技法は非常に緻密かつ高度なものが多く、CG技術では補い切れないリアリティある質感を表現することが出来ることから、技術の喪失を惜しむ声は多い。
フィルムとビデオ
テレビ時代劇も1990年代に35mmフィルムによる撮影からVTRに移行し、2000年代にはデジタルビデオカメラによるHD撮影になったが、フィルム撮影の質感を再現する補正が加えられていたりする。これまでの色彩設計だと色が派手に出過ぎてまるでコスプレ衣装のようになってしまう、夜のシーンの撮影だとくっきりしすぎてしまう、メイクやカツラの形跡が映り込む等、リアリティや迫力に欠ける画になってしまうのである。
またコマ数の違いも問題になる。特にチャンバラシーンにおいて顕著で、コマ数が1秒間30コマの普通のビデオカメラの場合、体のふらつきが映りやすくなり、格好が悪くなってしまう。
作り手としてはフィルム時代に負けないリアリズムを出したいところではあるが、地デジ画質に慣れた視聴者側からは「画面が暗い、地味」などと敬遠されやすい(代表事例がNHK『平清盛』を巡る騒動)。
ライトノベルと時代劇
ライトノベル業界では和風ファンタジーはできても「ラノベに時代劇は無理」というジンクスが存在する。
- これは読者だけでなく作り手側までもが、「似非中世ヨーロッパ風」世界観には、子供の頃からゲーム等で慣れているが、(昔ながらの)時代劇が、そもそも「和風ファンタジー」である事を未だに理解出来ない、もしくは理解出来ても受け入れられないからである。
- だからテレビ時代劇世代の、お年寄りと違い、「水戸黄門は諸国漫遊などしていない」「将軍時代の吉宗は独身どころか子持ち」「そもそもそれらの時代の江戸城に天守閣は無い」等の(ある意味当然の)突っ込みが入る。それでいて、考証がちがちの時代小説とは異なる「ラノベらしさ」は外せない、という板挟みになり、これでは身動きが取れなくなるのは必然である。
- その一方で、時代劇特有の「お約束」(人情劇、勧善懲悪、「雨降って地固まる」等の筋書き)は、西洋「風」ファンタジーにも、形を変えて脈々と受け継がれている。
- 髪型の問題。
上述の要素は、読者としてターゲットにする多感な時期の青少年にはいささか窮屈に感じられるであろう。
これはライトノベルに限った話ではなく、お歯黒が時代劇から消えていったのも同じ理由である。
2017年から大きなムーブメントを巻き起こした蝸牛くもの『ゴブリンスレイヤー』も、『天下一蹴今川氏真無用剣』の代案としてやる夫スレで執筆していた当作が起用されたという経緯があり、少なからず「時代劇のタブー」が出自にかかわっている。
なおラノベではRPG風の似非ヨーロッパ中世・近世を舞台にした作品が隆盛を極めているが、「「異世界モノ」は過去の時代劇と同様のテンプレ化したフォーマットとして受けている」という指摘もあり、時代劇を「江戸風の異世界モノ」として描くという発想であれば、今日のラノベ読者にも普通に受け入れられそうに思える。しかし、前近代の中国(国民革命の前)や近代欧州(産業革命以降)や近代日本(明治や大正)をモチーフにしたラノベが現に少なからずあるのに対し、「江戸風」「戦国風」の世界はどうしても旧来の時代劇の自由奔放さを越えられないまま、「古臭い」「意外性に欠ける」といった偏見に縛られているようだ。
もっともラノベの時代劇は0と言うわけではなく、織田信奈の野望や腕白関白、戦国小町苦労譚などがある。女性向けの作品でもつくもがみ貸しますや少年陰陽師シリーズなどがあり、小説の分野を見ればより多くの作品が出版されている。
復興を求める声
しかし、放送されなくなったらなったで、再び放送を求める声もあり、近年では若い世代や海外からさえ惜しむ声や復興を求める声が上がっている。
これは時代劇が放送されなくなって以降の現代ドラマもまた、似たりよったりのジャンルしか作られずマンネリ化していることが原因とされるが、そもそもテレビ以前から舞台演劇として存在していた日本の代表的な娯楽文化の一大ジャンルであり、多くの俳優が演じ続け世代を超えて伝えられてきた作品も多くある(上述した「遠山の金さん」や「銭形平次」などが代表的)。
長く続いてきたジャンルが丸々失われてしまったのだから、視聴者は見るものが減ってその分テレビを見なくなるのは当たり前だろう。
また、JAC(ジャパンアクションクラブ 現:JAE)などをはじめとしたアクション俳優や殺陣師を輩出している芸能企業や団体にとっては、若手の育成にも必要な大きな活躍の場の一つを奪われる形となっている(規制が厳しくなってリアルなアクションを撮れなくなったこともある)。
こうした危機的な状況を憂いでか、近年は『十三人の刺客(三池崇史)』『超高速!参勤交代シリーズ』『のぼうの城』『実写版るろうに剣心シリーズ』など、絶やさないためにと新たな試みで製作された時代劇のヒット作も多々見受けられる。
更にアニメでは『鬼滅の刃』が社会現象となるほどの国民的人気作に成長し、映画『劇場版鬼滅の刃 無限列車編』は、日本映画の歴史を変えるほどの大ヒット作となった。『るろうに剣心』『鬼滅の刃』などでは時代設定を馴染みやすい近代にして、実際の内容は時代劇調にするという折衷的手法がとられており、若者対策として有効である。
こうした作品が人気を博していることから考えても、世間では失われてしまった時代劇作品が再び求められているのは確かだろう。