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概要

首都ウランバートル
人口350万4741人(2023年12月)
面積156万4116平方キロメートル
通貨トゥグルグ
公用語モンゴル語
国家元首(職)大統領
政体半大統領制 共和国

モンゴル国(モンゴルこく、モンゴル語:ᠮᠣᠩᠭᠣᠯ ᠤᠯᠤᠰ、Монгол Улс、読み:モンゴル・オルス)は、ユーラシア大陸または東アジア北部に位置する共和国。中国ロシアと国境を接する内陸国で、国際連合加盟国の中で人口密度が最も低い国である。


現在の国土は清朝時代に外モンゴルと呼ばれたモンゴル高原北部の地域であり、南部の内モンゴルは現在中国の内モンゴル自治区となっている。モンゴル国に住んでいるモンゴル人よりも内モンゴル自治区に住んでいるモンゴル族の方が多い。モンゴル人は騎馬民族として中国を征服した歴史があり、13世紀には中国のみならずユーラシアを席巻していた。


国際連合の分類では東アジアの国とされ、日本人中国人はモンゴル人を同じ東アジア人と考えがちであるが、モンゴル人の意識は主に西方(中央アジア東ヨーロッパ西アジア)に向かっている。実態としてはモンゴルはユーラシアの国であり、強いて分類するなら北アジアの国と言った方が実態に近いだろう。


歴史

近世以前

モンゴル帝国を参照。


清朝からの独立

1636年5月から旧モンゴル帝国の故地は、モンゴル系諸ハン国の衰退に伴って清朝に支配されていた。1911年12月に辛亥革命で清王朝が打倒されたのを契機に自立し、チベット仏教でのモンゴルの化身であるラマであったボグド・ハーンを君主とする政権を樹立した。ロシア帝国から支援を受けて外モンゴルに加えて一時は内モンゴルの大部分も制圧するが、ロシア帝国は中華民国との外交的な配慮から内モンゴルを放棄するように求めて撤退を余儀無くされ、1919年11月にロシア革命に乗じた中華民国からの侵略を受けて政権は崩壊する。


社会主義時代

1921年3月に人民党が結成されてからはソ連の援助を求め、これに応じた赤軍・極東共和国軍はモンゴルに介入した。同年7月に人民革命が成功に終わって外モンゴルが解放された後は、1924年11月に世界で2番目の社会主義共和国としてモンゴル人民共和国が成立した。


1939年3月にホルローギーン・チョイバルサンが閣僚会議議長に就任し、1941年3月にモンゴル語表記がキリル文字に切り替わった。1952年1月にチョイバルサンが死去した後にユムジャーギィン・ツェデンバルが就任し、その治世では1960年4月から表面化した中ソ対立で一貫してソ連支持の姿勢を取り、ソ連の方針でモンゴル文化の独自性は抑圧されて文化の東ヨーロッパ化が進行した。


一方でモンゴルなど東側諸国の5か国・日本など西側諸国の13か国が国際連合に加盟する案が国際連合安全保障理事会で一括協議されたが、1955年12月に中華民国がモンゴルの加盟に領有権を主張して拒否権を発動した為、ソ連は報復として日本の加盟に拒否権を発動した。結局モンゴルが加盟するのは1961年10月まで持ち越される事となったが、ソ連と東ヨーロッパ諸国は戦略的な要地であるモンゴルの支援に注力して経済成長が続いた。


民主化・その後

1989年12月に東西冷戦が終結した後にモンゴルは方針の転換を迫られ、1990年3月にドゥマーギーン・ソドノム閣僚会議議長(首相)の決断によって、モンゴルは人民革命党による一党独裁制を放棄した。1992年2月にはモンゴル国に改称して新たな憲法を制定し、社会主義を完全に放棄してからは2010年11月に人民革命党は人民党に改称し、多党制の中でも重要な地位を占めている。


政治

立法府は国家大会議(Улсын Их Хурал)と呼ばれ、人民党と民主派諸党が合流した民主党との二大政党制である。行政権は直接選挙の大統領と、国家大会議の多数派から選出される首相が存在する半大統領制を採用している。大統領の行政権は首相または国家大会議の支持が必要で首相の権限が強いが、大統領には国家大会議が議決した法案の拒否権があり、これを覆すには国家大会議で3分の2以上の議決を要する。立法権は大統領が三権分立の牽制役を担っていると言えよう。


国際関係

外交方針は隣国の中国・ロシアとのバランスを維持しながら、それに依存し過ぎずに第3の隣国であるロシア以外の旧ソ連諸国、日本・韓国アメリカヨーロッパ連合諸国などとの関係を発展させる事で、特にカザフスタンを初めとする中央アジア諸国とは歴史・風土としての親近感から強い絆で結ばれている。2015年9月にツァヒアギーン・エルベグドルジ大統領(当時)がモンゴルを永世中立国にすると宣言したが、2020年5月に事実上頓挫している。


アメリカ合衆国

東西冷戦があった時代はソ連と緊密な友好関係にあった為、結局外交関係を樹立したのはその末期であった1987年1月とかなり遅い時期であった。アメリカはこれまでケネディ・ジョンソン・ニクソン・カーターの4人がそれぞれ政権を持っていた時代に、何度か国内・モンゴル代表との協議を通じて承認の可能性を検討したものの成功せずに終わっていた。


ロシア連邦

1921年11月に外交関係を樹立し、ソ連と政治・経済・軍事・文化の分野で協力した。鉄道の建設などを含むインフラ整備に貢献したロシアとは友好関係にあり、その影響から公用語のモンゴル語は1941年3月からキリル文字を使用している。社会主義時代はソ連従属政策を徹底し、1960年4月に表面化した中ソ対立ではソ連側に付いた。1991年12月にソ連が崩壊してからは経済関係が大幅に後退したが、軍事ではソ連製装備を導入するなど両国関係は密接である。


中華人民共和国

1949年10月に外交関係を樹立し、1960年5月に友好相互援助条約を締結した。橋などの建設・鉄道の完成など当初は友好関係にあったが、中ソ対立の期間は中国との激しい抗争を続け、1988年11月に両国の国境問題処理に関する条約と領事条約が締結された。冷戦の後に一時流入した西側資本が撤退するのに伴って最重要産業の鉱業を中国資本が主導するようになり、これを規制しようとするモンゴル政府と激しい対立が生じ、輸出の主軸である銅・石炭は大部分が中国に輸出されている。


歴史的に何度も中国からの侵略を受けてきたモンゴルは、今でも中国に対する激しい敵対心を抱いており、中国人がモンゴル国内で襲撃されるほどである。国内の極右団体が極端な反中国・中国人運動を展開しており、中国人男性と寝たとの理由で複数のモンゴル人女性の頭髪を丸刈りにする・中国と関係が深かったモンゴル人を殺害する事件が発生している。首都であるウランバートル市内には、ハーケンクロイツのマークと共に「中国人を射殺せよ。」とする落書きが多く見られる。


北朝鮮

2010年4月に横綱の朝青龍金正日総書記のもとを訪問して話題になった。


韓国

1990年3月に外交関係を樹立し、特にモンゴル人男性の出稼ぎ先としてここが最も多く選ばれている。彼らが出稼ぎした後の帰国に伴って韓国の大衆文化がモンゴルに流入しており、映画・テレビ番組などが人気次第では放映された直後にモンゴルでも放映され、食文化ではキムチなど従来のモンゴルには無かった辛い味の食品が導入されるようになった。


日本

1972年2月に外交関係を樹立し、1977年8月に経済協力協定を締結してノモンハン事件の対日賠償請求を取り下げた。その代わりに日本は50億円を無償贈与し、ウランバートルにカシミア工場が建設された。しかし社会主義時代は冷戦とソ連の影響もあって外交関係を有さず、本格的な交流の強化は1990年3月に民主化されるのを待たなければならなかった。社会主義時代の反日教育があったものの、伝統的にモンゴル人の日本に対するイメージは良好で、モンゴルは日本にとって北東アジアの安全保障に極めて重要なパートナーとなっている。


今でもモンゴル相撲ブフ)という伝統的な格闘技が存在する事もあり、日本の角界での強豪力士はモンゴルの出身者が多い。ゴビ砂漠の化石調査には日本の調査団が参加しており、先にも述べたように相撲や映画などの撮影・ゴルバンゴル計画(チンギス・ハーンの墳墓捜索)に対する協力などから、日本との関連性が年々増加している。


軍事

平時の編成としては5つの部門から構成され、陸軍空軍、建設・工兵軍、サイバーセキュリティ軍、特殊部隊が存在する。特に陸軍は精強でT-72型戦車を変態機動させる事で有名であり、戦車で蒙古騎兵の機動を行っていると例えれば分かりやすいだろうか。空軍ならMig-29など中国を牽制する両国の意図もあり、主にロシア製の装備を配備している。国際貢献の海外派遣に積極的であり、南スーダンコソボアフガニスタンなどで活動実績がある。


かつては内陸国でありながら海軍を保有し、フブスグル湖の石油輸送を任務としていたが、後に民営化されて現在は輸送と共に観光事業も行っている。


地理

概ね南に行くほど乾燥しており、北部には森林・南部は砂漠が広がる。モンゴルのゴビ砂漠恐竜の世界的産地の1つでもあり、これまで数多くの化石が発見された。


中部には草原があって伝統的に遊牧・放牧が主な産業で、羊肉などを利用するヒツジ・高級繊維のカシミアが得られるヤギなどが飼育される。特にカシミアはモンゴル産が世界的にも良質で珍重されるが、寒暖差が厳しい内陸の気候に悩まされ、近年は南部からの砂漠化の進行も問題になっている。国内に石炭レアメタルなど豊富な鉱物資源を埋蔵し、近年は重要な輸出産業に成長して鉱業従事者も増加しており、その重要性は銅・石炭で輸出品目の大部分を占めるほどである。


国内

核兵器

1国だけで非核地帯を設置しており、1992年9月にモンゴルのポンサルマーギーン・オチルバト大統領が国際連合総会で非核兵器地帯化を宣言し、核保有国に対して非核地帯としての地位の尊重と安全を保証するよう求めた。1998年12月に総会決議で非核地帯として国際的に承認され、2012年9月に核保有国であるアメリカ・イギリス・フランス・ロシア・中国はモンゴルの非核地帯としての地位を尊重し、これを侵害する如何なる行為にも寄与しない旨の共同宣言に署名した。


国民

モンゴル系が多数派であり、少数民族にテュルク系・ツングース系などが存在する。言語でも大多数がモンゴル語を用い、テュルク諸語が少数派で存在する。この国で標準的に用いられるモンゴル語をハルハ方言、ハルハ・モンゴル語とも呼び、これに対し中国の内モンゴル自治区で標準的に用いられているモンゴル語をチャハル方言という。ソ連の影響にあった時代に用いられたキリル文字表記が民主化によって撤廃され、政府はモンゴル文字表記を推奨した。しかし横書きができないという弱点があり、必ずしも全面的な移行は進んでいない。パソコンでの横書きではラテン文字も推奨されているが、現時点はキリル文字も含めた諸々の表記法が混在している。


宗教はモンゴル系を中心に約半数がチベット仏教で、その指導者であるボグド・ハーンことジェプツンダンバ・ホトクト8世は人民革命の後に帝位に復帰した。しかし共産主義政権は8世で転生は終わったと称して後継者の捜索を禁止し、その後は人民革命党の政治局が任命したガンダン寺の僧院長が指導者とされ、実質的に人民革命党の支配下に置かれた。しかし民主化の後にチベットでダライ・ラマに認定された9世がガンダン寺の指導者を兼ねる事になり、以後は仏教の独立性が復権し、モンゴルでは他にシャーマニズムも盛んで冷戦の後に復権している。


ソ連の影響下にあった時代は建国の英雄であるチンギス・ハーンがロシアの侵略者として手厳しい評価が規制されていたが、ソ連が崩壊したと共に復権して各所に像が設置されるようになった。ウランバートルの中心のスフバートル広場でも、人民革命の英雄であるスフバートル像と向かい合ってチンギス・ハーン像が立てられ、結婚式の記念撮影場所としても人気を集めている。


人口

2023年12月時点での人口は350万4771人であった。人口密度は1平方キロメートルあたり2人ぐらいでしか無く、日本の約4倍を誇る国土面積に対して世界で最も人口が希薄な国である。


関連イラスト

無題モンゴル


関連タグ

地域

アジア 北アジア 東アジア


歴史

チンギス・ハーン 元寇 モンゴル帝国


文化

モンゴル人 モンゴル神話 蒼き狼

馬頭琴モリンホール) モンゴル相撲 スーホの白い馬


キャラクター


その他


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