概要
『世界のソニー』とも称される電機電子機器メーカー。携帯オーディオプレイヤーのウォークマンやブラウン管テレビトリニトロンなどで『ジャパン・アズ・ナンバーワン』時代を牽引し、イメージセンサや光ディスク等の技術開発においてはその黎明期から現在に至るまで大きく貢献している。
保険や映画・アニメ制作など様々な分野に進出して存在感を示している一方で、祖業にあたる電機事業はバブル崩壊以降、日本の電機メーカーの中では踏ん張っている方だが落ち目気味。
近年では、音楽事業の『SonyMusic』(※UNTIESとしてゲーム事業も展開)、ゲーム機のプレイステーションシリーズやゲームソフト等の製造販売を担う『SCEI』の躍進が顕著なこともあって、2010年代に入ってからは毎年のように過去最高の営業利益を更新し続けている。このためソニーの経営陣は今後、総合コンテンツ企業としての性格を強める方針を打ち立てている。なお両社とも、異なる形であるがゲーム販売事業をしている。
歴史
創業
戦後まもなくの1946(昭和21)年、井深大と盛田昭夫が東京通信工業の名で創業。主にラジオ用音響機器の製造を手がけ、1950年に国産初のテープレコーダー(オープンリール式)を発売した。
その東通工が飛躍的発展を遂げる切っ掛けとなったのが、1955年に発売された世界初の携帯型トランジスタラジオTR-55である。当時の通産省の非協力的な態度などを乗り越え、発売にこぎつけた。
ちなみに、当時の東通工の主要生産拠点はまだ町工場レベルであった。
既にオールトランジスタラジオはアメリカで発売されていたが、東通工のそれは手のひらサイズで乾電池で動作する、というオールトランジスタレシーバーのメリットを最大限生かした商品だった。
「電車の中でも聞ける」という今日の携帯型オーディオの礎を築いたこの製品は、爆発的ヒットを飛ばし、戦後創業の東通工を一躍著名会社に押し上げた。トランジスタラジオは日本国内だけでなく、アメリカでも大ヒットを飛ばし、定期便だけでは輸出が間に合わないほどの商品となった。
改称
トランジスタラジオの発売の際、ブランド名を設定することになった。当初は文字通り『東京通信工業』の略称が候補に挙がったが、「TKK」では東急電鉄と被ってしまうためボツになった。
更に考慮を重ねた末、今後世界に羽ばたくメーカーになるという、(当時の東通工の規模からすれば大それた)目標から、英語圏でも発音しやすいものという条件が加えられ、そこから英語における「音」に関する単語(SONIC、SOUNDなど)の語源である、
- ラテン語の「SONUS」
- 「小さい坊や」といったスラングを持つ「SONNY」(まだ小さいが、若くはつらつとした会社である。との意味)
を掛け合わせて、「SONY」とした。
「ソニー・勝利の法則」では、井深の「SONNYとしたらどうだろうか」と言う意見に対して社員の一人が「SONNYが日本人には『ソンニー』という読み方になり、ソンが損をすると言う不吉な意味となってしまうのでSONNYからNを一つ取ってSONYとしたらどうだろうか」と言う意見でSONYとなったという記述がある(「ソニー・勝利の法則」P229参照)。
1958年初頭、正式にソニー株式会社となる。
1958年11月、まだ世界でも前年にアメリカで開発されたばかりのビデオテープレコーダー(オープンリール式)の国産化に成功。
だが、この直後にとある週刊誌が東芝を特集した際、評論家が失言をし、「ソニーはモルモット(小さな実験動物)」と言われてしまった。
これが後々まで続く東芝との因縁の始まりになったが、後に井深は「ソニー自身の役割がモルモットであること」を誇りに思うような発言をしている。
飛躍
この後ソニーは民生用ポータブル機器の開発・普及に力を入れていく。
1958年、世界初のポータブルモノクロテレビTV8-301を発売。
1961年、更に小型のTV5-303を発売。
1962年、小型業務用VTRPV-100を発表。
1964年、IC計算機MD-5試作。
同年、家庭用オールトランジスタVTRCV-2000を発売するも盛大に不発。
まだカラーテレビさえ一家に1台とは程遠い時期であったことも原因の一つであった。
1968年、世界初のカラーシャドウマスクブラウン管「トリニトロン」搭載テレビKV-1310発売。
1969年、家庭用カセット式ビデオテープレコーダーSL-6300を発売。
カセットの規格はベータの名称で呼ばれ、ソニーの家庭用ビデオデッキはベータマックスと呼ばれる。
そして1979年、伝説となる携帯型カセットテーププレーヤー「ウォークマン」TPS-L2を発売。ソニーの名はここに不動のものとなった。
挫折
ソニーは躍進し大きな会社になった。
だがそのことが、ソニーの「井深スタイル」を失わせ、保守的な考えに回らせ始めていた。
1976年、日本ビクターが家庭用ビデオレコーダーHR-3000を発売。ソニーの初めての挫折となった仇敵、VHSの登場である。
この頃、ソニーはベータの標準化を狙って、特許技術の時限公開に踏み切っていた。
時限公開というのは、つまり一定の期間までソニーの特許を無料で使えるというものだ。
VHSにはこのベータのために取得された特許が多く使われていた。
この頃、通産省から家庭用ビデオカセットの規格統一の意向があり、各社は自社規格を断念して既存の規格に相乗りすることになった。
そのうち最後まで悩みに悩んだのが松下電器(パナソニック)だった。しかしソニーの特許公開終了後は嫌が応にもベータに合流しなければならなくなる。その運命を決めたのが松下幸之助の鶴の一言だった。
松下は1977年、ソニーの特許公開終了の前日にVHSビデオデッキNV-8800を発売した。
さて問題はこの後のソニーの態度である。
ソニーは松下の「裏切り」に激怒していたが、一方で規格供給元の日本ビクターは中小会社、しかも倒産寸前ということもあって、完全に侮っていたのである。自分達も小さな会社からここまで大きくなってきたという過去の実績を忘れ去っていたのだ。
部品点数の少なかったこともありVHSは安価にでき、飛ぶように売れた。
更に松下は生産能力の無いメーカーのために、部品1つから完成品に至るまで広くOEM供給を展開した。
一方ソニーは、OEM契約の打診をことごとく断り弱小メーカーを切り捨てた。
このためベータ陣営に残った有力メーカーは三洋電機、NEC、そして因縁のある東芝、という状況になった。
更にソニーのマーケティングのお粗末さも浮き彫りになった。
1970年代末から1980年代にかけて、ビデオデッキ商戦で各メーカーが繰り広げたのは、普及のための低価格化競争だった。
ところがソニーだけはそれに乗らず、ひたすら高品質の維持を求めた。
この頃のビデオデッキのTVCMを見てみると一目瞭然で、VHS陣営に伍して低価格競争を闘っているのは東芝だけという有様だった。(サンヨーはこの時点で半分裏切っていた)
1983年、ソニーは起死回生を夢見てステレオワイドレンジ音声のBeta Hifiを規格化するが、
これが結果的にベータの行く末を確定させてしまった。
Beta Hifiではハイファイステレオトラックの確保のため肝心の映像の帯域を削らざるを得なくなってしまった。
一方、冗長性のあったVHSは映像帯域を削ることなく同等の技術の導入が可能だった。
このことによってベータのVHSに対する優位点が失われることになり、ベータ陣営は崩壊、サンヨーが製造中止、NECと東芝も1985年までにVHSに参入した。
ソニーも1988年、失意のままVHSに参入。
この時沈み行くベータに最後まで付き合ったのは皮肉にも東芝だった(1993年撤退)。
家庭用としてのベータは2002年末、人知れずその歴史に幕を閉じた。
(またベータとのビデオ戦争に勝利した日本ビクターも、この後莫大なライセンス収入を得ながら、パイオニアのレーザーディスクに自社のVHDが惨敗、テープからディスクへのデジタル化の流れにも乗り遅れ衰退していくことになる)
1980年代にはHiTBiTブランド(MSX、SMC-777)で家庭用パソコン市場にも乗り込んだ。VHS・βでぶん殴り合う一方で、ここでは同じMSX規格に松下と乗り合わせるという、後々なんかの冒険・格闘マンガにありそうな胸熱展開で8ビット御三家に対し、コスパの良さでかなりしぶとく存在感を放った。
だが規格供給に参加していたMicrosoftの地元アメリカでは16bit機時代は、イニシャルコストの高さから当面はビジネスユースになり、そのための高い処理能力とディスク管理能力が求められていると(あのAppleですら)思ってカラー表示能力やサウンド機能などことごとく省いていた。ところが日本の8bit御三家は「なんで8bit機時代より能力が劣っていなきゃならんのじゃ」とばかりにカラー表示能力を持った16bit機を展開。その中でも早期に16色カラーとFM音源を搭載したPC-9800の重圧は凄まじいものになった。
一方で低価格路線ではキーボードなどのHIDを省略しゲームパッドのみとしたテレビゲーム機黎明の死闘を見事制した任天堂ファミリーコンピュータから激しく突き上げられ、MSX規格そのものとともに埋没していく結果となった。
好転
ビデオ戦争には敗れたものの、実はVHSに使用された技術にはソニーの特許も含まれていたため、それなりのライセンス収入を得ることができた。
家庭用としては命脈を断たれたベータだったが、放送業務用の派生規格であるベータカムに血脈は受け継がれており、松下のM規格を圧倒して業務用VTR市場を制することになる。
そして次の一手として発売された家庭用ビデオカメラでは、VHSとの互換性に重きを置いた松下のVHS-Cに対して、新規設計の8ミリビデオで挑み、録画時間の長さなどから終始優位に立ち続けた。
のみならず、その省スペース性から据置型ビデオデッキも発売。ベータの栄光よ再びといわんばかりに東芝が乗っかった。
上位規格Hi8ではVHSにも劣らない画質特性を発揮。MiniDVの普及まで優位を保ち続けた。
ビデオに続いてソニーと松下が袂を別って競争したのが家庭用デジタルオーディオメディアだった。
当時、コンパクトデジタルオーディオ機器としてはDATが存在したが、もともと業務用を強く意識して作られたDATは家庭向けの利便性を備えていなかった。
既にソニーはオランダのフィリップスと共同開発した光ディスク規格「CD」を普及させつつあったが、
同時にこの頃隆盛した光磁気ディスクの技術にも着目、ミニディスク(MD)という家庭用小型オーディオ光磁気ディスクを規格化した。
録再できて利便性はCD以上ということでたちまち大ヒット。
一方、松下は従来のコンパクトカセットのハーフを継承した家庭用デジタルオーディオテープDCCを規格化するが、DATと比しても欠点ばかりが目立ち、鳴かず飛ばずが続き、その後松下もMDに参加した。
1994年に発売されたプレイステーションも大ヒット。それまでほぼ任天堂一強であったゲーム業界の牙城を崩し、一躍据え置きゲーム機のシェアトップに躍り出た。
2000年には後継機・プレイステーション2を発売。ゲームだけでなくDVDビデオの再生機能を搭載した事で爆発的に普及し、現在までに最も売れた家庭用ゲーム機(1億5500万台)とされている。そしてDVD普及という形でちゃっかりJVCに復讐を果たした。
更にソニーは、一度は撤退した家庭用パソコン市場にVAIOブランドで復帰。
当時ノートパソコンは傷が目立たない地味な色使いの物が大半だったが、VAIOは鮮やかな色合いが特徴のデザインで市場に衝撃を与え、「銀パソ」が流行る切っ掛けを作った。
ソニーの強みを活かした高度なAV機能もあって、家庭用PC市場においてリベンジを果たした……
……というか、実質的にMSX規格時代の雄である東芝・松下に加え、長くNECの圧政下にあったかつての8bit御三家のうちの2・社も乗っかり、ついでに相手側陣営からの裏切り者も現れ、規格はもともとIBMのPC/AT、という全方位戦でPC-9800に挑んだという形になる。それでもPC-9800は約7年にわたって孤独の王者として死闘を繰り広げた果ての勝利であった。
次世代DVD戦争では長年のライバルであった松下電器とまさかの共闘。
東芝・NECが開発したHD-DVDにブルーレイディスクで対抗し勝利、ベータの敗北の二の舞を防いだ。
凋落
好調が続くかに見えたソニーだが、次世代DVDの登場で勃発した薄型テレビ商戦には乗り遅れてしまう。
ソニーは長年、世界唯一のシャドウマスクブラウン管「トリニトロン」に絶対の自信を持っており、
液晶モニターやプラズマブラウン管の開発にあまり力を入れていなかった。
しかし、テレビではそれまでソニーのはるかに下位にいたシャープが、当時世界最高峰と呼ばれる液晶技術を持って参戦。
たちまちプラズマ式から優位を奪い、それまでのブラウン管テレビをも駆逐して液晶テレビを世界標準にした。
テレビ市場の地殻変動に等しいこの事態に対しソニーの対応は遅れ、液晶パネルの自社製造が間に合わず韓国のサムスンに供給してもらう有様だった。
しばらくの間、ソニーはパナソニックVSシャープの激戦の中に埋没していくことになる。
またウォークマンもアップル社のiPodの台頭により、デジタルオーディオプレーヤーのシェアで大きく差を付けられてしまった。
SCEIのプレイステーションシリーズはライバルセガの蹴落としに成功したものの、マイクロソフトのXBOX360や、任天堂のWiiとDSなどには苦戦を強いられることになる。
それでも徐々に巻き返し、XBOX360には逆転勝利を収め、新世代任天堂ハードにも価格帯やソフトの対象年齢層の違いで住み分けるところまで持ち込んだ。
しかしPSP・PS3本体の原価割れが災いし、SCEIは2年連続で債務超過を起こしてしまう。
2014年も苦戦が続きVAIOを売却する事になった。ちなみに同名の会社がVAIOのスマートフォンブランド化をし、開発・発売したのは後者の株式会社VAIO
である。これに関しては関連記事にて別途解説。
2015年には携帯音楽プレーヤーの発展に大きく寄与したウォークマン事業が分社化。
復活
長らく不調が続き一時は倒産間近とも言われていたが2010年代後半にかけて徐々に復活を果たしていく。
ガラケーからスマホへの移行に失敗した多くの日本メーカーを尻目にXperiaを軌道に乗せ、2010年代後半になると国内テレビシェアも奪還。
再建されたSCEI(現:SIEI)は2013年にプレイステーション4を発売し、再びゲーム機市場のトップシェアに返り咲いた。
また、スマートフォンなどのカメラに使われている画像用半導体イメージセンサーでも世界首位のシェアを獲得しており、2017年度から業績を急回復させている。ドイツのカメラメーカー・ライカのライバル企業でもある。
ウォークマンも、スマートフォンの普及により低価格帯のデジタルオーディオプレーヤーの需要が低迷しアップル社がiPodに力を注がなくなってきたこと、ウォークマンが高音質路線で同価格帯の製品との差別化に成功したことなどからシェアを回復してきている。
2015年にはかつてパナソニックが一時期に発売したとされる同容量のブルーレイディスクのBDXL規格100GB(繰り返し録画用)を販売した。他社のGBより低価格化を図って開発されている。後に下位容量規格のディスク(Blu-ray)も日本製として販売されている。日本、宮城県多賀城市などの数ヶ所に製造工場を所有している。製造国は日本製にこだわる様になっている。
2018年には今まで規格化されているにもかかわらず容量の規格化の策定から長年、どのメーカーからも未発売の状態だったブルーレイディスクのBDXLの最大容量となる128GBが一回録画用のみの開発となったが、11月10日に発売された。未発売の録画用ブルーレイディスクの開発に成功する。民用のBlu-ray事業で新たな転機となった。
2019年には3期連続で営業利益の最高益を更新している。
2020年、エレクトロニクス・プロダクツ&ソリューション分野を統括する中間持株会社「ソニーエレクトロニクス株式会社」を設立。
2021年、4月1日に、ソニー株式会社が「ソニーグループ株式会社」に商号を変更、関連子会社のソニーモバイルコミュニケーションズがソニー株式会社(初代法人)のエレクトロニクス事業と、ソニーエレクトロニクス、ソニーイメージングプロダクツ&ソリューションズ、ソニーホームエンタテインメント&サウンドプロダクツを統合しソニー株式会社(二代目)に改名する。
ゲーム事業における暗雲
しかしこの間、それまで不調のSONYのブランド力を支えていたプレイステーションシリーズに対し、2010年代は任天堂がなりふり構わず王者奪還を挑んでくるようになる。プレイステーション3に対してはWii・Wii Uが投入されたが、任天堂が持つ低年齢層向けコンテンツで伸びたものの中高生以上が対象のコンテンツではサードパーティの参入がほとんどなく、任天堂自身は『ファイアーエムブレム』シリーズぐらいしか持ち玉がないため俄然PS3が有利、ハードの価格帯の問題もあって一種の棲み分け状態になった。
だがその裏で携帯ハードでは、かつてのβの轍を踏むかのごとく悪手を連発してしまいニンテンドー3DSの前に惨敗し、事実上の撤退となった。
2017年、任天堂はまさかの携帯・据置機の統合機であるNintendo Switchを投入。据置機のプレイステーション4と互角以上の高性能に3DSのシェアがそのまま乗っかるという超重圧がのしかかり徐々に削られていく。
2021年、任天堂がSwitchの体制を整えていく間にSIEIはプレイステーション5を投入するも、コロナ禍や世界的な(最先端の)半導体不足、ロシア・ウクライナ危機による世界的景気停滞、と悪い条件が重なり思うように生産・出荷できず、その僅かな出荷分もいわゆる転売ヤーのターゲットにされてしまい顧客のもとに届かない状態が続いた、この状況もあってかソフトベンダーからもPS5専売ソフトがなかなか発売されなかった。(PS4やSwitch、Steamなど複合形態で発売されるタイトルばかり)
その一方で、任天堂は自社で強力なコンテンツを複数持っておりそれだけでもSwitchを支えることができ、その上Switchの好調を見たソフトベンダーも次々乗っかる、というSIEIにとっては最悪の循環となってしまった。なおSwitchも転売商法のターゲットにされたが任天堂はそれを上回る大量出荷で黙らせた。
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モンスター・ホテル メモリースティック エルカセット ベータマックス
キャラクター・アニメ
ぽっこりーず→ソニー・ピクチャーズのソニー・デジタルエンタテインメント・サービス
きかんしゃトーマス(制作会社はトーマスリミテッド)・・・ソニーの映画事業の子会社にて制作された。
木盛いぶか・・・ソニーショップのマスコットキャラクター。
その他
ソニー仙台FC・・・グループ内のサッカー部としては唯一の会社公認である。