怖い人だけには、ならないでね……ウッソ
概要
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地球の中央ヨーロッパ、チェコ共和国のプラハに設けられた特別居住区ウーイッグに住む17歳の少女。この頃の地球は自然保護の名目によって居住が厳しく制限されており、カサレリアに違法居住するウッソ達とは違い、地球連邦政府に正式に居住を認められた特権階級のアースノイドである。
主人公であるウッソ・エヴィンとは文通友達であり、彼が強い好意を寄せるほど美しい容姿をしている。特別居住区ウーイッグでは豪商として馳せているルース商会の一人娘として何ら苦労のない生活をしていた。
しかし、家庭環境は決して満たされたものではなく、母は家の外に男を作って度々家を空け、父はそれを知りながらも仕事に邁進するふりをして目を背け、あまつさえ近郊地域に進出してきた敵組織ベスパとの取引を持とうとするなど、手本にできる大人とは言えなかった。そしてまた、ウーイッグという特別区において、既得権益にしがみついて地球の資源を浪費しながら生きながらえる人々の有様に対しても、思春期の少女らしい(感情的な潔癖さに起因する)嫌悪感を抱きながら暮らしていた。
宇宙世紀0153年4月5日の夜、ベスパによる空襲行為によってウーイッグが火の海と化し、それまでの生活は一転。激動の運命の中、自らの意志で進むべき道を選択していく事となる。
人物
結論となってしまうが富野監督曰く、カテジナ・ルースと云うキャラクターは「もともと何も考えていなかった女」であり、「クロノクル程度の男にケロッといっちゃうようなつまんない女」なのである。
ただし同時に、「それだけですよ。それで何故いけないの?そういう人だっているでしょ、いいたかないけど!」ともコメントしている。
上記の通り、カテジナは最初から最後まで、特に何も考えていない。
今や『ガンダムシリーズ三大悪女の代名詞』という盤石的地位を築いたカテジナさんであるが、物語序盤からこのように凶暴でヒステリックな性格だった訳でもなければ、急におかしくなった訳でもない。
では実際はどんなだったのかというと、全51話という長い話数を使って、それはそれは丁寧なまでに段階を踏んで狂って行ったのである。
地球連邦政府の庇護の下で不自由なく暮らしながら、その政治体制には嫌悪を抱き、しかし何かしらの活動を起こす勇気も行動力も持ち合わせてはおらず、現実的な解決策を示し活動している大人達には文句を言う。
そもそも、彼女の豊かな暮らしは父(テングラシー・ルース)の働きによるものであり、父がベスパとのパイプを築こうとしていたのも、一人娘である彼女の安全を考えてこそであったのだが、その愛情すら理解せず「現実から逃げている」と軽蔑するのみであった。
しかし、己の優れた容姿と学の高さに自覚があるため「自分には何かができるはずだ」と夢見てただ日々を浪費し、その浪費を自覚しているが故に無性な苛立ちを常に抱えて生きていた。
ウーイッグの空襲によって住処を失った所をリガ・ミリティアに救助され、ザンスカール帝国という「復讐すべき敵」という目前の目的と、帝国に抵抗する勢力であるリガ・ミリティアという味方を得たが、そこでは自分から見てただ“鬱陶しい理想を押し付ける子供”でしかないウッソがもてはやされ、また戦地司令であったオイ・ニュング伯爵の「いかなる犠牲を払ってでも目的を遂行する固い意志力」は、彼女の期待していた変化と充実をもたらすものではなかった。
しかしそれからわずか5日後の4月10日。またも偶然によって出会ったザンスカール帝国の尉官クロノクル・アシャーは、『女王の実弟』という特別な立場にあり、カテジナが望めばラゲーン基地での身分の確保、サイド2(ザンスカール帝国本国)への同行、彼の秘書官(もどき)としての立場、あまつさえモビルスーツすら与えてくれる「白馬の王子様」であった。
更にクロノクルは、姉(女王)マリアと姪(女王の実子)シャクティの再会を映像に収めるなど、“自身の派閥”を形成する野心すら披露し、カテジナにとって彼は「あるいは将来的に自らこそが帝国の『女王』となれるのではないか」と云う夢想すら抱かせる男に映ったのだ。
このため、元々何ら主義主張を有していなかったカテジナは、クロノクルという恵まれた存在のパートナーとなる道を選択した。
カテジナの最初の変化の兆しが表面化したのがザンスカールに攫われたカテジナとウッソが再会する第9話。
この時からクロノクルになびき始めた事を表明し、ウッソ最初の「おかしいですよ!」が出る。
だが、カテジナはこの頃はまだザンスカールに完全には靡いていなかったため置き手紙を残していた。
「ザンスカールの動向を探るスパイとして活動する」と…。
次に動きが見えたのが、ジブラルタルでウッソと再会した第14話。
第9話で残した置き手紙の内容が判明したのは実はこの話なのだが、この時彼女は「リガ・ミリティアも立派な軍隊じゃない…」とウッソを完全に見限る姿勢を見せている。
しかし、ウッソに対する気遣いが全く無かった訳ではなく、ウッソに「あなたが本当に守るべき人間はシャクティ(だからこそ自分にはもう構わないで)」と本心を見抜いた指摘をしている。
そして、物語は宇宙に移行。
衛星軌道上から地球上を狙い撃ち出来るビッグキャノンである戦略機動要塞カイラスギリーを巡り、ザンスカール帝国軍とリガ・ミリティアによる激しい艦隊戦が繰り広げられる中、宇宙に投げ出され漂流していたところをザンスカール軍の艦に救助され保護されていたシャクティとカテジナが再会した第21話。
この頃になるとカテジナは完全にザンスカール側になっていたものの、戦火の飛び交う中わざわざ生身で宇宙に趣きコニー・フランシスのガンイージにシャクティ達が無事であることを伝えに行くなど、ウッソに心の救いを与えるくらいの優しさはまだ残っていた。
だが第26~27話で自らもクロノクルの力となるため(白馬の王子と対等とならんとする、戦乙女を夢見て)「モビルスーツに乗って戦う身」になるとそれすらも揺らぎ始める。
自分も武力を振るう側に立ったことで今まで以上に感情をむき出しにした性格となり、マリア主義やギロチンの全肯定という危険思想に徐々に染まっていく。だが戦場に出る度、自分が“鬱陶しい少年”と断じたウッソが彼女の行動の過ちを正そうとするかのように立ち塞がる。
「これがあなたの顔、これがウッソの顔なのよね…。思い出というものは、遠くなってしまうから宝にもなるというのに!あなたという人は、ピーチャカと動きまわって!」
今まで「私のことは構うな」程度だったウッソへの感情は「私の眼の前に現れてはマリア主義の邪魔をする排除すべき敵」へと変化したことで焦り、怒り、そしてなお満たされない苛立ちを叩きつけるようにしたものへと変化していく。これまでカテジナを追う側だったウッソは、逆にその場その場でただ自身を肯定するためだけの、支離滅裂な主張を繰り返すカテジナに執拗に追われる側になってしまう。
ただしウッソを殺すか殺さないかに関してはまだ迷いがあり、初陣ではウッソを平然と殺そうとしていた一方、次の第28話ではいざ本人を目の前にすると殺すのを躊躇い「ニュータイプ」としてザンスカールに保護を促そうとしていた。
しかし第31話にモトラッド艦隊旗艦となるバイク戦艦アドラステアが完成した事で、第34話から「地球クリーン作戦」が執行されると、彼女自身もアインラッドでヒトを轢殺する戦列に加わるという、引き返す事の出来ない場所にまで来てしまっていた。
上述した通り、確固たる信念も主張も彼女は持ち合わせていないのだから、『マリア主義=カガチのプロパガンダ』にあっさり染まってしまうのも当然と言えば当然の帰結である。
ついでに言えば、マリア主義は「女性優生思想」なので、もともとその傾向と虚栄心が強かった彼女にとってはこの上なく都合の良い、居心地の良い思想であったのだろう。
とどめに、第36話で自分が生け捕りにしたウッソの母親であるミューラ・ミゲルが、ラステオ艦隊司令であるアルベオ・ピピニーデンが策謀した非人道的で破廉恥極まりない人質作戦に利用され不慮の事故により死亡してしまったことで彼女の精神は崩壊の一途を辿り始める(ただし、その直後のクロノクルとの会話では母親が押しつぶされる瞬間を目撃してしまったであろうウッソの心情を慮り、彼に同情し、救出を執拗に妨害した自らの行いを悔いているような複雑な表情を浮かべてはいるのだが…)。
そこから暫く間を置いて再登場した第46話、クロノクルとともに最早何の根拠もなくザンスカール帝国の最終兵器である巨大リング・サイコミュシステムのエンジェル・ハイロゥの存在をひたすら正当化するだけの傀儡同然の存在となり、自分達の考えを正しに来たシャクティに対して「とうにおかしくなっている!」と本人もその自覚がある発言をしている。
さらにシャクティが叔父であるクロノクルに銃を向け発砲までしたことに対し、愛する男を傷つけられた腹いせから怒りの腹パンをシャクティに喰らわせ気絶させるほど苛立ちがむき出しになっていた。
同時に「モトラッド艦隊司令」という立場から踏み出す事が無く、“姉の庇護”にあってなお自己保身に戦々恐々とするだけのクロノクルには、自身の渇望を満たすポテンシャルが無い事実にこの時気付きつつあったが、ウーイッグやリガ・ミリティアといった選択肢の多い環境ですら能動的にアクションを起こせなかったカテジナには、今さらクロノクルから離れるという選択肢を選ぶには事すでに遅しの状態。
それでも、この時点ではまだカテジナは「真面目系クズ」の範疇ではあったのだが、これらの暴力的でヒステリックな行動は元々戦場では高揚しがちな危険な性格から察するに、次に戦場に立てば間違いなく彼女は「完全に壊れる」と云う予兆でもあった。
天使の輪の上で
第49話、ザンスカール帝国の本懐である最終兵器エンジェル・ハイロゥを巡る攻防戦において、最新型試作モビルスーツであるゴトラタンを与えられ、とうとう自らの内面に潜んでいた狂気を臆面もなしに全開にして残虐行為をしては喜んで開き直る我々のよく知る「カテジナさん」が降臨する。
そして、なおも自分のこれまでの選択が正しかったことを証明すべく、悪鬼か阿修羅のごとく戦場を駆け抜ける。
この「天使の輪」の上で、徹底的に叩きのめし打ちのめしても、まだ自分への未練を示すウッソを利用して、今度こそ“自分の女としての価値”を証明するため、戦場でウッソと対峙したうえでクロノクルを呼び出す。
まるで、この戦争が全て自分のための争いだと云わんばかりに、クロノクルにウッソとの一騎打ちをけしかけるのだった。
「勝った方を全力で愛してあげる」と語りながらも、一方的な理由と共にクロノクルを援護してウッソのV2ガンダムを追い詰めるカテジナであったが、彼女の願いも虚しくクロノクルが駆るリグ・コンティオはV2ガンダムのビームサーベルによって斬り裂かれ地に堕ちてしまう。
この反動でコックピットから投げ出されて落下し、エンジェル・ハイロゥの外壁に叩きつけられたクロノクルは死亡した。
彼が今際の際に助けを求めたのは、皮肉にも恋人のカテジナではなく、姉のマリアだった。
クロノクルが死に、カテジナは観念したかのようにゴトラタンのコックピットハッチを開け、V2ガンダムのウッソの前にその生身の姿を晒す。
「君の手で殺してちょうだい」と懇願するカテジナだったが、それは全て演技であった。
抱きついてウッソの脇腹をナイフで刺したカテジナだったが、ウッソの刺傷は奇跡的に内臓を避けており大事には至らなかった。
ゴトラタンに戻り「クロノクルへの手向け」とばかりにV2ガンダムを狙撃するカテジナだったが、何故かビームは全て外れてしまう。
自己肯定と虚栄のための最後の“柱”たる男を失ったカテジナは、最早戦争の勝敗も帝国の興亡など一切が関係なく、ウッソがシャクティを救出するその瞬間、自分を嘲笑ったと敵視する二人の子供を消し飛ばすためにゴトラタンのメガビームキャノンの予備機を手にエンジェル・ハイロゥのセンターブロック真下で待ち伏せる。
「来ると思ったよ!甘ちゃん坊やは、この艦が沈めば、この艦もろとも皆が幸せになるんだろぉ!?」
だが、ウッソのV2ガンダムは何かに導かれたかのように、センターブロック対面へと降り立つ。
しかしカテジナにとってもまた、此処に至るまでに味わった苦痛から、ウッソの到着さえも予測の範疇としていた。
メガビームキャノンを頭上、すなわちシャクティが祈りを捧げる位置へ最小出力で射出し、わざと船体の対ビーム・コーティングによって弾かせる事で、ウッソへと【反撃・回避の挙動を見せたならばシャクティを撃つ】という、自爆を前提とした警告を行うカテジナ。
そしてウッソはただ、全てを受け入れるかのように武器を捨て、ガンダムを直立させる。
さらにV2の周りをザンスカール戦争で死んでいったLMのメンバーの思念が走馬灯のように出ては消えていく。
「まやかすなぁぁぁぁぁ─────!!!」
錯乱したカテジナはビーム砲撃を仕掛けるも、ウッソは咄嗟にV2ガンダムで光の翼をビームシールドに取り込んで機体全体を包むように防御をした事によって、攻撃もろとも彼女の乗るゴトラタンの機体は弾き飛ばされていった。
少年の無様な命乞いを望んでいた彼女の理性は弾け飛び、瞳に宿した光と共に眩い奔流に消えたのだった。
その年の冬──。
光と共に“己れの全て”を燃やし尽くし、自分自身を含めて何もかもを失ったカテジナ・ルースは、かつて焼き払われ廃墟となった故郷のウーイッグをゆっくりと目指し、雪道を進む。
とめどなく涙を流しながら。
彼女の胸には何が去来していたのか、語られることもなく静かに物語は終わる。
「い、いえね…冬が来ると、訳もなく悲しくなりません?」
「そうですね…」
「ありがとう、お嬢さん」
悪女キャラクター
ガンダムシリーズの中でも屈指の悪女と評されるキャラであり、「ガンダム三大悪女」の話題においては必ずと言って良いほどその名が挙がる。
それゆえ『機動戦士Vガンダム』がTVで放送されていた1993~1994年当時はファンから悪意と軽蔑を込めて「カテ公」と呼ばれたりもしていたのだが、その余りにも突き抜けた狂気とドクズっぷりが一周回って妙なカリスマ性を発揮し、近年では人気悪役キャラとなっている。
畏怖を込めて「(おかしいですよ、)カテジナさん」と呼ばれるほどになった。
Vガン勢の登場人物の中で唯一フィギュア化された点から見ても、その人気の高さが窺える。
彼女がここまで悪役として徹底した立ち位置にいながら、死亡という最期を迎えず零落した姿のラストを迎えるのは「死よりも重い罰を与えたかった」という製作側の意図である。
(記憶と視力を失い、戻る故郷も焼け野原と化した中、彼女にはどう転んでも暗い未来しかないのは明白であり、文字通り生き地獄に落ちたとも言えるだろう)
悪役キャラであったからこそ物語を盛り上げたキャラでもある。戦闘では客観的な目で見れば間違いなくザンスカール軍でスーパーエース的な存在であったと言える。
初陣でなんとウッソやマーベットを敗走させ援護に来たジュンコ機を撃破しビッグキャノンの直撃を阻止している。
続く第2戦ではウッソと一騎討ちを挑みVガンダムを撃破してコアファイターで敗走するウッソを捕虜にしている。
またウッソの母親を捕虜にしたり、ルペ・シノから隊長の座を奪ったりと戦果を挙げている。
V2ガンダムに乗り換えたウッソとも何度も戦い引き分けている姿も劇中にある。
恐ろしいのはまともな軍事訓練を受けていないにもかかわらずこれほどの能力を発揮している点で、年表に基づけばカテジナが宇宙に上がってからリグ・シャッコーに搭乗するまでは一ヶ月もない。
同じくまともな訓練なしでMSに乗ったウッソやオデロ、トマーシュは機械に触れる機会が多かったのに対し、「お嬢様」であるカテジナはそういった経歴など無かったであろうことも特筆に値する。
このことから、Gジェネレーション作品などではファラ・グリフォンと同様に同じく、短期的な強化措置が施されたという設定が加わることが多い。
リガ・ミリティア側を裏切った人物と見られるが、彼女はリガ・ミリティアに保護されただけの民間人であり、戦闘行為に助力はしたものの所属していたわけではない。
マリア主義に同調し彼女自身もそれを望みクロノクルが愛してくれたからこそザンスカールの為に最期まで戦い抜いたと考えると、愛という観点においてはカテジナは義理堅くクロノクルに殉じた人だと言える見方も出来る。
ただし恋人としてはともかく軍人としては問題行動が多々あり、自国の首都上空でビーム兵器を乱射する(出力を抑えているとする記事もあるが、作中では巻き添えになる市民の映像、もしくはイメージが映る)、月で味方の車両を踏み潰すといった行為を見るに、ザンスカールに忠誠を尽くしたと言っていいかは疑問符が付く。
作中の戦果はこういった無我夢中の戦い方によるところも多く、消耗について兵士から陰口を叩かれるなど味方の人望を失う結果となっていた。
もっともこの点について擁護するのであれば、同じザンスカール軍のルペ・シノですら(人口都市を攻撃するなと忠告されたにもかかわらず)ザンスカール支配の強いアンダーフックを命令を無視して崩壊させているため、ましてや才能だけで戦っている新兵のカテジナが問題を起こすのは当然である。
そしてウッソもまた問題行動を複数起こしている。だが、ウッソの問題行動は13歳という若さゆえの行動原理によるものが強く基本的にはいい子であった上、オリファーやゴメス艦長からの修正などを経て順応していった。
民間上がりの天才肌の新人&自身が戦争に巻き込んだ負い目と弟子の才能へのベタ惚れが原因で甘やかす師匠のコンビ、と言う形はカミーユ・ビダンとクワトロ・バジーナと言う先例があるが、第三者のウォン・リーにカミーユが手厳しく叱られた事を切っ掛けにクワトロが自らの甘やかし癖を反省、カミーユも後輩のファ・ユイリィやカツ・コバヤシをフォローする自覚が芽生えた事で問題行動は激減していった。
結局ザンスカール帝国におけるマリア主義の「女性優生思想」が女性軍人全般に甘やかしという悪い形で露見したのが一因となっている(ただしLMの情報を吐かせ損ねたまま捕虜をギロチンにかけたファラはさすがに問題視されたが…)。加えてカテジナが暴走していったのは甘やかすばかりで軍人としての教育を施さなかったクロノクルにも非があり、さらにウォンのような「新人の才能を期待しつつも筋を通す事を強要し、師匠にも苦言を呈すことが出来る大人」がカテジナとクロノクルの周りに欠けていた事も不幸だった。
そして何より初恋の相手であるクロノクルがザンスカール帝国のマリア教と云う、所謂「カルト教団」の窓口で、なまじクロノクルの人が良すぎ、かつカルト宗教に対して何の疑いも持たない風見鶏体質だったためにカルト宗教からもそう簡単に抜け出せない底なし沼へとハマってしまったことが最大の悲劇だろう。
さらに死に際になって自身の過ちに気付き、己を取り戻しマリア主義を否定した実姉とは対照的に、クロノクルは姉の死後もマリア主義に囚われ続け、終ぞカルト思想から抜け出すことは出来ず、彼と共依存関係だったカテジナも見事に巻き込まれたオチとなってしまった。
近年の日本人も「相手が人柄さえよければ過去の経歴や思想などを調べる過程をすっ飛ばす」傾向が強いため、決して他人事ではなくなっているのである。
そういう視点から見れば彼女もまた悲劇のヒロインでもあるのだ(やらかしがやらかしなのでそうは見られ難いが)。
ウッソとの関係
先述の通り、ウッソからは好意を持たれているが、疎ましく思っている。だが、その一方で、物語序盤における子供たちの年長者的存在、もしくは「年上のお姉さん」として、上記の「怖い人にだけはならないでね」(※)という言葉をウッソにかけたりと、彼の動向を心配して気にかけていたりもした。
また、第1話でウッソが帰還した際、シャクティがウッソを抱きしめるところを見て、ウーイッグの空襲以後ずっとウッソを心配し続けていた気苦労からか、ため息をつきながら「あなたって一体どういう子なの!?」と問い詰めている。
元から問題のある人物だったものの、上述の通り少なくとも物語序盤まではウッソの内面を気遣う優しさは本物だった。
また、ことごとく選択肢を間違えた彼女ではあったが、序盤から何度も言った「あなたが本当に大切な守るべき相手はシャクティなのだから、自分のことなど放っておいてほしい」という指摘はウッソという人間の本質をしっかりと見抜いており、この一点に関しては正しかったといえる。
また、放送当時の公式イラストでは、シュラク隊に囲まれているウッソを見てソッポ向きながらヤキモチを焼いているところを見るあたり、異性として意識している(いた)ようである。
ただし本編でシュラク隊が出てきた時にはすでにカテジナはザンスカール帝国に誘拐されたタイミングだったため、これは劇中ではあり得ない構図である。
(※)各種媒体は勿論、公式(VHSとLD、及びDVD最終巻に収録の映像特典)でも、キャラクターデザイン担当の逢坂浩司氏から「そう言っていた彼女が(ウッソにとって)一番怖い人になってしまうのは何とも皮肉な話」と突っ込まれまくっている。
搭乗機
- リグ・シャッコー(26~27話)
- ゲドラフ(28~33話)
- ゾリディア(34~36話)
- ゴトラタン(49~51話)
- ザンスパイン(ゲーム作品においての最終搭乗機)
- ガンイージ(49話)※ウッソを仕留める為の罠として搭乗
メディアミックス作品
漫画版
岩村俊哉氏によるコミックボンボンに連載されたコミカライズ作品である。
カテジナはこの作品には一切登場しない。
チラ見せどころか存在に関して言及すらない。
児童向け漫画として『機動戦士Vガンダム』をアレンジする際、話を解り易くするためにヒロインをシャクティ1人に絞りたかったという説が濃厚とされているが、単純に作者がカテジナを描くのが面倒臭かっただけだと思われる。
- いけ!いけ!ぼくらのVガンダム!!
『機動戦士Vガンダム』を題材にしてことぶきつかさ氏が描いたパロディ漫画作品である。
『カテ公』の呼称はこの漫画から発生した。
第1話でカミオン隊の男達からのカテジナ人気に嫉妬したマーベット・フィンガーハットから『カテ公』と名付けられた。
第3話では最早アニメとは似ても似つかない凶悪な面構えになり、カテジナが登場するコマにはキャラクター判別のために小さく『カテ公』と注意書がされている。
最終回となる第4話では、自信満々でネネカ隊をウッソにけしかけるが、際どい水着のお姉さん達に興奮したウッソが「幻覚だ」と開き直ってしまい、ネネカ隊を全員虐殺されて敗北。
続くラストシーンで記憶と視力を失ったカテジナはカサレリアで再会したシャクティ・カリンからワッパにオートコンパスではなく時限爆弾を仕掛けられてウーイッグにも帰れず道中で爆殺されるという壮絶な最期を遂げる。
「カ…カテ公!!この野郎あんだけ悪事働いといてまだ生きてたか!」
「そんな事はスタッフが許してもこの私と視聴者が許すもんですか」
この時にシャクティが心の中で叫んだ上記の台詞は古参ファンの間でも語り草になっている程に有名である。
こうして、このカテジナ爆殺シーンは「Vガン視聴者の1年間の鬱憤を晴らしてくれた!」と、多くの読者達からの共感を呼び称賛されたのだった。
スーパーロボット大戦シリーズ
第2次Gではオペレーターとなり、自軍パイロットとして使用できるのはDと30。ちなみに30ではゴトラタンに乗って来るが、同時に仲間になるクロノクルはどういうわけかリグ・コンティオではなくコンティオに乗ってくる。
α外伝では(原作では生き残ったにもかかわらず)死亡してしまう。
ちなみにαでは精神コマンドに「愛」を持っている。(本作では味方にならないので使うことはないが)
本編中の病的な偏執っぷりを指してか攻略本『スーパーロボット大戦α パーフェクトガイド』では紹介欄に『あなたの愛は歪んでますよ』と書かれていたりする。
小説版
戦闘に巻き込まれ全身火傷を負ってしまった所をクロノクルに救出・治療を受ける。
その後、ザンスカール帝国のモビルスーツ操縦研修と並行しスーパーサイコ研究所で強化人間として処置を受けている。
モビルスーツの操作技術を短期間で習得(作中トップクラスのウッソとクロノクルと並ぶ)、精神的な干渉による会話の描写に加え、オールドタイプを見下す発言、ウッソに対する歪んだ執着と嫌悪、目的のために手段を選ばない卑劣な性格など、情緒不安定性や狂気に近い行動がより多くなった。記憶と視力を失いながらも生き残ったアニメとは異なり、最後はきっちりウッソによって撃破され、死亡している。
名前
「カテジナ」という名前は「キャサリン」のチェコ語形。ブルーレイ付属のブックレット収録のインタビューによれば、チェコの作家アルノシト・ルスティクの小説『少女カテジナのための祈り』が元ネタ。なお小説中には「収容所での結婚式」という場面もある。ちなみにこちらのカテジナもかなり激しい性格の持ち主であり、その辺りもキャラ設定に反映されている…のかもしれない。
関連タグ
おかしいですよカテジナさん とち狂ってお友達にでもなりに来たのかい?
綺麗なカテジナさん←声優つながり
カテレジーナ/レジ公/おかしいですよ、レジーナさん!←中の人ネタ
ワタリー・ギラ…同作に登場するザンスカール帝国の軍人。彼の名言、「こ、子供が戦争をするもんじゃない……。こんな事をしていると、皆おかしくなってしまうぞ……。」と言う台詞は皮肉にもカテジナにピッタリ当て嵌まる事となった。
クインシィ・イッサー…中の人及び同じ監督つながり。劇中のエキセントリックな言動(まあこの作品の主要キャラは大体、どこかエキセントリックだったりはするが)、同じ監督、同じ声なので視聴者は「カテジナさんの再来か!?」と戦々恐々だったが、カテジナさんとは真逆の結末を迎えた。
ケロロ軍曹…中の人繋がりでガンダム、ガンプラが大好きな緑色の宇宙人。
J(爆走兄弟レッツ&ゴー!!)…中の人が同じ金髪キャラだが、元々洗脳状態から出てきたのを主人公達によって救われ次第に独立した考えを持って仲間を増やしていくという完全な対極的位置にある人物。こちらも専用マシンの直線攻撃をビクトリーと名の付いたマシンに完全に受け切られて敗北するという偶然が発生している。
オウム真理教…本作の放映の僅か1~2年後に日本を震撼させることになったカルト宗教団体。満たされない心を抱えた若者がカルト的な組織に自身の居場所を見つけてしまったことで、やがて決定的に引き返せない道を進んでしまう…という構図が現実になってしまった一例である。本作及び製作者の見識の高さが不幸な形で証明されてしまったといえる。ちなみにそのさらに3年後にはオウムとはまた別のカルト案件で、カテジナのように「惚れた相手がカルト教団の窓口だった不幸からカルトから抜け出せなくなってしまった」芸能人が出てきている。