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考証

こうしょう

物事について、文献やデータ等に基づいて客観的ないし実証的に検証して説明すること。
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歴史学用語の『考証』編集

中国では、古代から幾多の書籍が編まれそれらは偉人たちの偉業を現代に伝えるものとしてありがたがられ、学者たちはそれらにもっともらしい注釈を付したり解説本を世に広めるなどしてきた----。



問題は、それら書籍や注釈には明らかに誇張捏造こじつけとしかとれないような俯瞰してみるとどう考えてもおかしい箇所が多数存在し、なんなら作者まで偽っている可能性も高いまである、という事例が多すぎることであった。


この問題に対処するために清朝期に提唱された学問こそ考証学である。

詳しくは➡こちら


やることは「文献等の内容や成立経緯の整合性の確認」。

特に清朝時代では政府や皇帝への批判は事実上のご法度となってしまったので、権力批判の矛先はもっぱらこうした内容の怪しい”権威ある書籍”に集中したことで大いに流行ることになったという。



実態がどれだけ酷かったかといえば、


儒教の聖典である『四書五経』のうちの五経である『易経』『書経』『詩経』『礼記』『春秋経』であるが、これらは当時は儒教の聖人である孔子自らの手による書籍であるとされてきたが現在ではまったくの他人の著作であるという認識が日本・中国両国の歴史界隈では支配的になっている。

そもそも、孔子自身が自ら著した書物なぞこの世に存在しない。かつてあったとしても、現代まで伝わっていない。あの孔子の実像に限りなく迫っているとされる『論語』ですら、実態は孔子の死後に弟子ら関係者の手によって編纂された「孔子のエピソード名言集」なのである。

この現象は、現在では前漢第7代皇帝劉徹の時代に儒学者董仲舒らが朝廷内で自らの勢力拡大を図った際の陰謀の結果であるとされる。この際にどうしても「聖人孔子直筆のバイブル」の存在が必要であった。董仲舒らの売り込みにより、儒教は歴代中華王朝の政治イデオロギーとして確立した。

そして、残る四書である『大学』『論語』『孟子』『中庸』に対する注釈本として『四書章句集注』や『四書或問』があるが、これも後代の伊藤仁斎らによって四書の内容のどこにも注釈どおりの表現が存在ぜず、所詮は作者の曲解に過ぎないことが立証されている。。

(『儒教 怨念と復讐の宗教』・『なぜ論語は「善」なのに、儒教は「悪」なのか』ほか)



究極の兵法書として知られる『孫子』にも疑惑が付きまとう。

作者とされる孫武であるが、活躍したのは長江流域のである。

この呉国、中華中央諸国(=中原)と比較して国土が河川や湿地帯が占める割合が多く、呉越同舟をはじめとして「水」に因んだ逸話が多い。なのに、『孫子』にはどこにも「水上戦」に関する記述がないのである。

だから『孫子』に関しても、恐らく孫武の名声を借りた中原出身者の著作ではないかと指摘される事態になっている。

また、もっとも著名な歴史書である『史記』についても、陳勝・呉広の乱の首謀者である農民出身の陳勝が若い時に「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」と呟いたとかいう無名の凡人にすぎない時代の言動が態々書かれていたり、鴻門の会前後の項羽劉邦両陣営の「密談」が事細かに記録されていたりなど、「いくら作者の司馬遷が博識とはいえ、どうして本人たちしか知りようのない情報まで記録されてるの?」となりかねない箇所が多数ある。

これもまた、司馬遷が各章の空白を各地のや劇団の講談からの引用、はては有象無象の忖度によって半ば無理矢理に埋めていった結果であると考察されている。

(『古代中国の虚像と実像』ほか)



中国におけるこうした動きは江戸時代の日本にも伝わり、前述の伊藤をはじめとして文献を鵜吞みにせずマトモな内容であるかどうか検証するべきという機運が高まることになった。

明治維新後、それらは実証主義史学の祖レオポルト・フォン・ランケの弟子に当たるルートヴィヒ・リースが帝国大学に招聘され厳密な実証史学の指導を始めたことで当時のドイツ等の西洋的合理主義と結びつき、現在に至っている。


ただし、現在ではこれが日本歴史界に資料実証第一主義ともいうべきある種の硬直性をもたらし、資料未記載の空白部分に対して仮説による検証が入り込む余地がないとして評論家の井沢元彦が著書『逆説の日本史』等で指摘する事態になり、歴史学者の呉座勇一と論争を引き起こしている。(参考



創作における『考証』編集

上述の「考証」の概念は、後にエンタメ界隈でも応用されるようになっていった。


「現実にはできないことをやるのが創作である」という言葉があるが、逆に、これが評価されるためには『相手』のことを考えなくてはならない。

つまり、消費者である読者視聴者などに作品に共感や評価感情移入してもらうためには、あまりにぶっ飛びすぎた内容だと、見向きもされないか、すぐに飽きられ、最悪には炎上して叩かれる…なんてことになりかねない。


共感される作品にするためには、ある程度は現実に沿ったり、設定を誰もが納得いくものにする必要がある。そのために必要なのが考証である。


種類編集


もちろんこれだけでなく、現実と空想との整合性・バランスをとる際には何かしらの考証が必要不可欠である。

長命作品では『シリーズ全体の設定』の考証担当が付く場合もある。


逆に、こういった考証をぶっちすることで特異性を打ち出す作品もあるが、それらは往々にしてイロモノ扱いされる結末が待っているので注意が必要である。




『考証』の意義編集

畢竟、考証とは創作物などを信頼たり得るものにするために必須な要素である。

これをどの程度考慮していくかが作品や記事のクオリティに直結するとされる。

(ただし、フィクションものでは程度の差も存在するが…)



考証面で物議を醸した作品の例編集



…この他、リアルや他シリーズ作品と比較して「さすがにこれはないんじゃないの!?」といわれた作品は無数にある。

それらは超展開ご都合主義を組み合わせた独特の世界観であるがゆえの評価であることもままあり、必ずしも作品の存在意義が問われるものではない。

だだし、上記の★がついている作品のように、なかには「これはフィクションではない」「作者の実体験」と言い訳不可能な宣伝をしたうえで発表された作品も存在する。


余談編集

ちなみに、こうした創作物の考証部分での不備をネタにしたのが柳田理科雄らによる空想科学読本』シリーズである。

絶対、空想科学読本のネタにするんでしょう!!

※画像はイメージです。


…ただし、当の柳田らの考察にも考証ミスが多いことでも有名である。


関連タグ編集

監修…基本的には「考証を担当した人物・集団」を指す。これが学者等の経歴の確かな人物であれば設定等はある程度は信頼できるものと考えてよいだろう。「原作もの」の場合は原作者がこれを担う場合がある。


歴史修正主義…検証していった結果、これが判明するケースがかなりある。

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