創作における『考証』
「現実にはできないことをやるのが創作である」という言葉があるが、逆に、これが評価されるためには『相手』のことを考えなくてはならない。
つまり、消費者である読者や視聴者などに作品に共感や評価、感情移入してもらうためには、あまりにぶっ飛びすぎた内容だと、見向きもされないか、すぐに飽きられ、最悪には炎上して叩かれる…なんてことになりかねない。
共感される作品にするためには、ある程度は現実に沿ったり、設定を誰もが納得いくものにする必要がある。そのために必要なのが考証である。
種類
もちろんこれだけでなく、現実と空想との整合性・バランスをとる際には何かしらの考証が必要不可欠である。
長命作品では『シリーズ全体の設定』の考証担当が付く場合もある。
逆に、こういった考証をぶっちすることで特異性を打ち出す作品もあるが、それらは往々にしてイロモノ扱いされる結末が待っているので注意が必要である。
その他での『考証』
ネット上では創作以外の検証作業等を『考証』と混同されるケースもある。
もちろん、ノンフィクションものや新聞記事・ニュース番組、論文等々は現実に即していることが前提なので、これをぶっちすることは論外である。
『考証』の意義
畢竟、考証とは創作物などを信頼たり得るものにするために必須な要素である。
これをどの程度考慮していくかが作品や記事のクオリティに直結するとされる。
(ただし、フィクションものでは程度の差も存在するが…)
考証面で物議を醸した作品の例
- キン肉マン(ゆでたまご)
- いわゆるゆで理論。本人達曰く「整合性より勢い」
- 坂の上の雲★/殉死(司馬遼太郎)
- 魁!!男塾(宮下あきら)
- ほとんど民明書房のせい。
- 少年H(妹尾河童)★
- 創竜伝(田中芳樹)
- 90式戦車をはじめとした軍事・社会考証全般
- 恋空(美嘉)★
…この他、リアルや他シリーズ作品と比較して「さすがにこれはないんじゃないの!?」といわれた作品は無数にある。
それらは超展開やご都合主義を組み合わせた独特の世界観であるがゆえの評価であることもままあり、必ずしも作品の存在意義が問われるものではない。
だだし、上記の★がついている作品のように、なかには「これはフィクションではない」「作者の実体験」と言い訳不可能な宣伝をしたうえで発表された作品も存在する。
余談
ちなみに、こうした創作物の考証部分での不備をネタにしたのが柳田理科雄らによる『空想科学読本』シリーズである。
※画像はイメージです。
…ただし、当の柳田らの考察にも考証ミスが多いことでも有名である。
関連タグ
監修…基本的には「考証を担当した人物・集団」を指す。これが学者等の経歴の確かな人物であれば設定等はある程度は信頼できるものと考えてよいだろう。「原作もの」の場合は原作者がこれを担う場合がある。