曖昧さ回避
→スズキ
→すずき
→鈴木
スズキ株式会社
四輪車はBCセグメント以下の小型車に専念している。日本では「小さなクルマ、大きな未来。」を統一スローガンとし、2020年の国内シェアはトヨタに次ぐ2位にまで躍進した。二輪ではホンダ・ヤマハ・カワサキと並ぶ4大メーカーの一角。
ほかに子会社を通じてプレハブ住宅「スズキハウス」や不動産デベロッパー、ハンガリー産ワインや蜂蜜の輸入販売なども手掛ける。
エンジン付き機械や重機を手がける国内二輪のライバルたちとは対照的な業態であるが、機織機メーカーとして創業していることや子会社がハウス事業を行っているという共通点から、どちらかというとトヨタに近い業態であるといえる。そのトヨタとは古くから馴染みが深く、二輪業の黎明期にはトヨタ系ディーラーでスズキのバイクを売っていた時期もある。現在もトヨタとは海外事業を中心に包括的な提携をしており関係が深いが、トヨタの完全子会社であるダイハツが四輪の主要なライバルメーカーであるため、少々不思議な関係となっている。
メーカーとしての特色
二輪車においてはあまりにも強烈すぎる個性を持つ車種が多く、「鈴菌」「変態」などと呼ばれることさえある(これを自称する輩もいるが、元々が露悪的、卑屈的なネットスラングなので、不快に思うスズキ好きも多いことに注意)。
かつては四輪車は保守的なメカニズムで手堅くまとめるイメージが強かったが、近年は「四輪も変態」というイメージがある程度定着している。その要因としては、今日では稀となった低価格スポーツコンパクトであるスイフトスポーツとアルトワークス、世界最小のクロスカントリー4WDであるジムニーなどの「通好み」なモデルが揃っていること、アルトやワゴンRのような量販車種でも、賛否両論分かれるような前衛的なデザインを採用していることなどが挙げられる。また、今でもマツダ・トヨタと並んで商用車やスポーツカー以外の多くの車種にMTのグレードを用意している(日本国内の乗用車ではアルト、ワゴンR、ジムニー/ジムニーシエラ、スイフトで選択可能)、今となっては数少ない日本車メーカーでもある。
もっともスズキが「攻めた」コンセプトのクルマを出すのは今日昨日始まった話でもなく、1980〜90年代にもアルトのスライドドア仕様「スライドスリム」や自主規制値64psの発端となった初代アルトワークス、FRオープンスポーツのカプチーノ、軽ピックアップトラックのマイティボーイ、軽トールワゴンというジャンルを確立させた初代ワゴンRなどを出している。他にもフロントミッドシップ・アンダーフロア配置が定石の軽ワンボックスカーにおいて、51系エブリイ・キャリイのワンボックスモデルではリア・ミッドシップを採用したこともある。さらにコンセプトカーではタンデム二人乗り四輪のS-Rideや、レーシングカーのフォーミュラ・隼など、個性的な車種を発表していた。ただ、1990年代以前は他の日本車メーカーも割と攻めた車を出していたので、当時のスズキの姿勢はあまり際立ったものではなかったのである。
伝統的な商標を使い回すことで有名。「セルボ」は2回にわたって復活しているほか、2スト・スクランブラーの決定版と言われながら排ガス規制の前にあえなく散った二輪車「ハスラー」の名が軽自動車のクロスオーバーSUVに受け継がれた。一部のコアな車種・短命車種を除けば、軽自動車でスズキ4輪車黎明期から消えた商標は「スズライト」「フロンテ」ぐらい(スズキの社名と被る前者はともかく、後者はいつかリサイクルしかねないが)。特に「キャリイ」「ジムニー」は日本でも屈指の伝統商標である。
また、スズキは異車種間の部品の共用に積極的で、絶版モデルの補修部品の供給も続けてくれるものが多いので、二輪、四輪の別を問わず、旧車乗りには有難いメーカーである。
四輪車メーカーとしてのスズキ
日本国内では軽自動車を得意とするメーカーとして、ダイハツ、ホンダと覇を争っている。ライバルに比べて価格が安い分、内装の質感は安っぽいが走行性能に優れ、質実剛健なクルマづくりに定評がある(ちなみに全車寒冷地仕様)。多くの日本車ブランドが海外市場への傾倒を強める中、トヨタ・ダイハツと並び日本市場を重視する姿勢が鮮明なメーカーのひとつであり、両社とともに国内シェアを年々拡大している。またSUVを得意とし、ジムニー/ジムニーシエラのような本格クロカン車はもとより、イグニスやクロスビーのようなAセグメントのクロスオーバーSUVに関しては他メーカーの追随を許さない。
海外では、世界の二大自動車市場である北米と中国から撤退している一方、新興国や東欧では強い。特にインドとパキスタンでは現地法人「マルチ・スズキ・インディア」「パックスズキモーター」の四輪車が圧倒的な支持を得ており、それぞれ約5割のシェアを確保するほどの強さを誇る。そのほか、ハンガリー、タイ、インドネシアに四輪車の製造拠点を持ち、立地国では大きな存在感を持っている。世界的にもコンパクトカーに専念しており、ラインアップはハンガリーで生産するCセグメントクロスオーバーSUVのSX-4とエスクードが最大で、残りは全てAセグメントとBセグメントのみ。過去には米中向けのDセグメントラージセダンとしてキザシを手掛けたことがあったが、中国・北米からの撤収に合わせて製造中止になった(ただし米中とも二輪の販売は継続している)。
1955年、初の4人乗り軽自動車「スズライト」で軽自動車市場の礎を築いた。1979年には「アルト」による軽ボンバンブームを巻き起こして「軽自動車界のカローラ」と呼ばれた(この頃は貨物車扱いの「アルト」と乗用車扱いの「フロンテ」は別計算だった)。1983年のカルタス発売までほぼ軽自動車に専念しており、登録車市場では後進だが、2004年の2代目スイフト以降、登録車市場でも存在感を増している。2代目スイフトは欧州風なデザインをまとい、「走りとデザイン」にこだわる今日のスズキ車の原点となった。
二輪車メーカーとしてのスズキ
基本的には四輪同様、ライバルに比べると価格が安い分内外装の質感は安っぽいが、エンジンを中心とした走行性能には妥協せず、時にライバルを凌ぐ。
コストの関係からGSX-R750のエンジンを大型化しただけだが、当時主流であったYZF-R1やCBR900RR勢を破って一時的にワンメイク時代を築き上げた初代GSX-R1000や、世界で初めてノーマルで300km/hオーバーを記録しギネスブックにも載ったハヤブサは、そうしたスズキのバイク作りを象徴するリーサル・ウェポンである。
他にもハヤブサのエンジンをブッ込んだB-KING、ロータリーエンジンのRE-5、打倒・(アジア諸国からの)輸入車をうたい徹底的な簡素化=コストダウンを行なった「原動機付き自転車」と言うクラス名を地でいく国産原チャリのチョイノリ、見るからに奇妙なデザインだが古くからオカルト的な人気を持つカタナと個性的なバイクが目立つ時代もあった。市販のされないコンセプトモデルを見れば、変身ヒーローが乗りそうなG-STRIDER、4サイクルスクエア4気筒500ccエンジン、フレームレス構造、前後スイングアームサスペンションセンターハブ油圧パワーステアリング・チェーンレス液圧駆動・パウダーブレーキシステム・前後17インチ超扁平ラジアルタイヤ・ポップアップスクリーンカウリング等を備えたファルコラスティコ(危なくて乗れる代物ではなかったようだが)等の個性的なモデルが多く存在している。
だが、2020年現在のラインナップを見ると、デザインが奇抜なカタナと油冷エンジンのジクサー250などやはり個性的なバイクはあるものの、三輪バイクを数車種揃えるヤマハやスーチャー・4気筒250ccエンジンのカワサキと見比べるとちょっとおとなしめであり、従来の鈴菌のイメージからはやや乖離が見られる。
ユーザーに恩恵の少ない400ccクラス(400cc超ほどパワーがないが250cc未満と違って車検がある)に至ってはビッグスクーターのバーグマン400のみとなってしまっている。
こぼれ話
ケータハム・カーズにはセブン160用にジムニーのK6A型ターボエンジン(制御用ECUはケータハム製)とエブリィの5速MTとプロペラシャフト、ホーシング、アクスルハウジング(ファイナルギアは別車種用を流用との事)を供給している。余談ながら160のプロトタイプは日本独自にカプチーノ部品を流用し製作、スズキとの契約も当初は前例がないとの事で反応は良くなかったそうだが、ケータハムジャパンとの交渉中に鈴木修会長の一声で契約がまとまったとの事。
どういうわけか2ストロークエンジンに並々ならぬ執着を抱いており、4輪車では軽商用車昭和51年排ガス規制をただ1社2ストロークエンジンで突破し(他社はEGRや酸化還元触媒採用の為4ストローク化した。そのためのトルク低下を補う為の360cc→550cc化だったのだが、スズキは550ccの2ストロークエンジン車を作った)、1983年の2代目ジムニー(SJ30)は日本で形式認定された最後の、そして西側先進国最後のクランクケース圧縮式2ストロークエンジン搭載4輪自動車になった。四輪で1990年過ぎまで2ストロークエンジンを採用した自動車と言うと旧東ドイツのトラバントが著名だが、このような共産圏における民生技術停滞のシロモノとは異なり、ジムニーのLJ50エンジンはオイル混じりの未燃ガスが紫煙を引くいわゆる2ストスモークも少なく、その為に採用した2重のエキゾーストチャンバー構造がトルクの増強にも繋がった傑作であり、今でもジムニストの評価は高い。創業以来2輪車でも2ストロークをメインに生産。近代2ストロークの代名詞であるレーサーレプリカブームを作ったのは同社のRG-Γである。しかし排ガス規制の強化には抗えず、2008年に他社と共に国内での2ストローク車の販売を終了した。しかし、令和突入時点でも海外では未だにハスラーシリーズの2ストローク車(しかも空冷)を販売しており、実は日本でも並行輸入で入手可能。恐らく日本で購入できる最後の2ストローク車である。
当然ながら様々な車種の部品があるが、純正部品の中に湯のみが混ざっていた。もちろん部品番号が存在しており、正規ディーラーだけでなく、カー用品店でも注文可能だった。何度かモデルチェンジがされているが、大半が寿司屋にありそうなデザインとなっている。現在も地味にスズキ公式通販で売っている。
東映特撮との関わり
かつては東映特撮番組で仮面ライダー第一作目をはじめ、ヒーローが乗るバイクと言ったらほとんどSUZUKIが占めていた。
これは当時「子どもがバイクに乗るわけではないので商売にならない」と言う理由で、どこのメーカーも自社製バイクの提供を渋ったが、『オートバイに乗ったヒーロー物』としての仮面ライダーの企画発案者である毎日放送の廣瀬隆一氏が「番組を観た子ども達が、バイクに憧れて将来買うだろうから、そのための先行投資だと思って」とメーカー側を説得して回り、それに応じたのがSUZUKIだった。
車両を提供する代わりに、番組のEDクレジットや使用された車両にメーカー名を目立つ形で載せることになったわけだが、異星や古代のバイクまでSUZUKIのロゴが入っていて「SUZUKIは1万2千年前からあったのか」などと揶揄される羽目に…。
戦隊シリーズではバイク自体ほとんど使われなくなり、「仮面ライダークウガ」では2000の特技を持つ冒険家私物のバイクを除いてSUZUKI車が消え、「仮面ライダーアギト」からは他社が主にバイク提供することになったが、今でも変身前のヒーローが使用するバイクにSUZUKI製の車両を使用していることもある。
メタルヒーローシリーズでは四輪車の方が大活躍。初代ギャバンはSJ30ジムニーを日本国内での移動に使っていた。良い車だったがやはり2ストの軽であることにネックでもあったのか、シャリバン、シャイダーはSJ40ジムニー1000を愛用した。
そして、2012年公開の『宇宙刑事ギャバン THE MOVIE』では2代目ギャバンもJB23ジムニーを愛車に。やはりコンパクトで維持費が安く、それでいて悪路走破性に長ける機動力は魅力か。
モータースポーツ
二輪では1970年代にWGP(ロードレース世界選手権)やMXGP(モトクロス世界選手権)で10年近く最強メーカーとなったり、スーパーバイク世界選手権や世界耐久選手権のような市販車ベースのレースも制するなど、他国産メーカーに劣らぬ栄光の歴史を持つ。
MotoGPでは2015年から『チーム・スズキ・エクスター』(エクスター=スズキが開発する高性能エンジンオイルブランド)の名義で参戦し、2020年にライダース・チームズタイトルを獲得したのが記憶に新しい。また世界耐久選手権では2010年代にフランススズキが6度もチャンピオンとなる強さを見せている。しかし『CASEの時代』への対応のため2022年限りで双方とも撤退し、全日本選手権でもこれらに先立ってロードレース・モトクロスから撤退していたため、純ファクトリー体制で参戦してるカテゴリが無くなってしまった(モトクロスと世界耐久のみプライベーター支援という形で継続している)。
四輪では車両の安さと小ささから、ダートトライアルやラリーのエントリークラスで高い人気を誇る。海外ではモンスター田嶋によるパイクスピーク・ヒルクライムでの7連覇が有名である。
若手育成カテゴリのJWRC(ジュニアWRC)でも3度のチャンピオンとなっているが、WRCでは表彰台に一度も乗れないまま撤退し、以降はワークス参戦は行っていない。