池谷仙克
いけやのりよし
池谷仙克とは、日本の美術監督。
人物像
1940年8月31日-2016年10月25日
東京都立川市出身。武蔵野美術大学産業デザイン科芸能デザイン専攻卒業。
学生時代に助監督のアルバイトをしていた縁で映像作品に興味を持ち、ドラマ『海の音』の美術監督をしていた成田亨に円谷プロダクションに誘われる。『ウルトラマン』第15話「恐怖の宇宙線」を見たことで入社を決意し、『ウルトラマン』第19話「悪魔はふたたび」より特殊美術として参加。その後『ウルトラセブン』では、中盤から途中降板した成田に変わって怪獣デザインも担当する。
『怪奇大作戦』参加後は一旦円谷プロダクションから離れ、映像美術の師匠であると尊敬していた実相寺昭雄らと共にコダイを設立。
1971年に『帰ってきたウルトラマン』の美術立ち上げに参加するが、帰マンの原点回帰に関してはマイナスなイメージを抱いていたと同時に、多忙だったため1クールで降板。自身は怪獣映画のみをやりたいとは思っておらず、本格的な映画の製作があればそちらに移りたいと考えていた。
キャラクターデザインと美術で参加した『シルバー仮面』も実相寺昭雄がいなければ参加していなかったと語っている。後年のインタビューでこのころに関して「不真面目にやったつもりはないが、映画に意識が行っていた」と反省の言葉を述べている。
2016年10月25日に癌のため死去。
作品
余談
- 在学中は歌舞伎の舞台美術を志望していたが、見習いから入って30年はかかると言われ断念した。後のゾール星人やマノン星人、鈴木清順監督の浪漫三部作などの美術にその影響が見られる。
- 映画監督も志望していたため、CMや映画の現場でカメラをのぞき、構図を考えたセット造りをおこなうことができた。
- 「怪獣殿下」の大阪城のセットは若かったからできたもので、城の構造などの知識がついてしまった現在では逆に難しいと語っている。
- 初めてデザインした特撮デザインは『ウルトラマン』の試作地底戦車ベルシダー。ドリルが本体より大きいのは理にはかなっていたが、円谷英二監督から指摘された通り、撮影では本体が回転してしまった。
- 初めてデザインした怪獣は宇宙細菌ダリー。造形の高山良策には「スタイリッシュすぎる。」といわれ、その後は人体の構造の基本になる図をもらってデザインにあたった。またリッガーを見た前任者の成田から、「目を大きくすると怖さが出ない。」と助言をもらっている。
- アギラはデザインだけではなく、円谷英二の3男である当時学生だった、恐竜好きの「円谷あきら」から命名した。
- 初期の怪獣・宇宙人のデザインは、ファッション誌や酒肴集からヒントを得ていた。猫背や皺、ひび割れなど共通の意匠を持つもののほか、逆立ちした形状のツインテールや、丸い形状のタッコングなど新しい発想のデザインもおこなっている。
- 『ウルトラセブン』終盤は1話に割ける予算が少なくなったため、「第四惑星の悪夢」のロケット基地を注射器で、「円盤が来た」の円盤の大軍を照明カバーで造りあげた。それを知った実相寺昭雄監督は激怒したが、後にその工夫を認めている。
- 『帰ってきたウルトラマン』ではデザインだけ残し退社したため、どちらとも鞭の手というコンセプトのグドンとツインテールが戦うことになったと知り驚いた。
- 恐竜型怪獣をデザインすることも多かったが、実兄が地質学者だったので「こんな恐竜はいない。」と苦言をいわれた。
- 『アイアンキング』初期案は鉄色のヒーローとして気に入っていたが、NGとなったために手直しして第一話の不知火ロボット「バキュミラー」に流用した。
- 体操の経験があり、『シルバー仮面』のテストスーツアクターを務めた所、着地に失敗して骨折し、松葉杖で現場に通っていたという。
- バニラの着ぐるみにも入ったことがあり、そこが想像を絶する世界だったことから、怪獣デザインに居住性を考えるなど影響をうけた。
- 『怪奇大作戦』の「呪いの壺」で炎上する寺のミニチュアは、発注ミスで瓦の縮尺が大きい。しかしそれが功を奏し迫力がある映像が撮影できた。
- 秋山貴彦監督の『HINOKIO』ではメトロン星人の四畳半風のセット、バランダーVを元にしたヒーロー「キングザイオン」、河崎実監督の『日本以外全部沈没』では特殊部隊GATのデザイン、部屋の壁にドミノ星人の絵が飾ってあるなど、若手監督の意向もあるが過去作の影響がある美術もおこなっている。
- 寺山修司監督には『さらば箱舟』の撮影で、現地に生えていたガジュマルに施した飾りつけがあまりにもなじんでいたため、全て作り物だと勘違いされた。
- NHKの『わたしが子どもだったころ』で大鶴義丹の回の美術を担当したところ、ディレクターに「池谷さんだったら怪獣だろう。」と依頼され、唐十郎の紅テントの象徴としての怪獣「ギタンガ」をデザインすることになった。(ギタギタンガとは別。)
- 美術監督としては幕末~昭和初期を舞台とした映画美術を担当することが多い。遺作は架空の幕末が舞台の実写版『銀魂』である。