時代劇
じだいげき
時代劇とは、日本の創作におけるジャンル。
解説
主に近世前後の日本を舞台とした作品を指す。実写・アニメ・漫画・演劇などを包括する。小説については「時代劇」ではなく「時代小説」と呼ばれることが多いが、このジャンルに包括して考えることができるであろう。
昔(戦前)は歌舞伎などの要素を色濃く残した時代ものは旧劇と呼ばれ、一方で現代劇は新劇と呼ばれていた。旧劇に新劇の要素を取り入れつつ昔を舞台とした作品を新時代劇と呼ぶようになり、後に時代劇という呼称になった。
基本的に戦国時代~明治維新辺り(特に文化・文政期の江戸、幕末)を舞台としたものを指す。広い意味では古代・中世を舞台にした作品も含まれるが、南北朝時代以前や明治時代中期(西南戦争)以降を題材とした作品は「時代劇」というより「歴史ドラマ」とカテゴライズされることの方が多い。西郷隆盛、大久保利通ら幕末と明治にわたって活躍した人物が登場する作品などはこのジャンルに含まれるか曖昧である。
作品一覧
※明治維新以前を題材にしたもの。五十音順。
実写
※原作は小説・演劇など他ジャンルのものであることも多い。漫画原作のものは下記参照。
演劇
テレビ時代劇の衰退
内容のマンネリ化
テレビ時代劇は1980年代以降衰退が目立つようになり、時代劇出身の若手俳優も出なくなって視聴層の高齢化が進んだ。
これは、勧善懲悪の作風が受け入れにくくなったこと、江戸時代の資料の研究が進み、従来の作風がリアリティに欠けているという認識が一般化したことも大きい。
時代劇ではよく「巨大な商店に強盗が押し込み一家が全員惨殺」なんてエピソードが出て来るが、そんな殺人事件がまず無かったうえ(というかあれば何かしらの資料が残っているはず)、裏で手を引く悪代官なんてのも居なかったのだ。
必殺シリーズの中村主水役で知られた藤田まこと氏は、あまりに若者向けにぶっ飛んだ作風に変わったことから降板を申し出たことを自著で記しており、シリーズの終焉が時代劇全般の終焉につながったと述べている。
フィルムとビデオ
テレビ時代劇も1990年代に35mmフィルムによる撮影からVTRに移行し、2000年代にはデジタルビデオカメラによるHD撮影になったが、フィルム撮影の質感を再現する補正が加えられていたりする。これまでの色彩設計だと色が派手に出過ぎてまるでコスプレ衣装のようになってしまう、夜のシーンの撮影だとくっきりしすぎてしまう、メイクやカツラの形跡が映り込む等、リアリティや迫力に欠ける画になってしまうのである。
またコマ数の違いも問題になる。特にチャンバラシーンにおいて顕著で、コマ数が1秒間30コマの普通のビデオカメラの場合、体のふらつきが映りやすくなり、格好が悪くなってしまう(平成初期のビデオ特撮でも同様の問題が起こった)。
作り手としてはフィルム時代に負けないリアリズムを出したいところではあるが、地デジ画質に慣れた視聴者側からは「画面が暗い、地味」などと敬遠されやすい(代表事例がNHK『平清盛』を巡る騒動)。
作品の減少
1990年代後半から地上波テレビ放送を前提とした新作時代劇は少なくなり、2010年代以降は衛星放送に移行する傾向が強くなった(例:武田鉄矢主演の『水戸黄門』(BS-TBS)、東山紀之主演の『大岡越前』や中村隼人主演の『大富豪同心』(NHK BSプレミアム))。これらの作品はシリーズもの以外は小説原作が多く、殺陣の無い作品も少なくない。
これは衛星放送の視聴者にシニア層が多いことも理由で、中でもCSの『時代劇専門チャンネル』が新作を積極的に制作していることでも知られる。
地上波では特番枠のみで放送されることがほとんどで(例:民放各局による年末年始の特大時代劇、東山紀之版『必殺仕事人』や北川景子版『みをつくし料理帖』(テレビ朝日)など)、連続ドラマの場合は現代人がタイムスリップするなど、現代劇の延長線上にするなど特殊な設定のものが多くなった(例:JIN-仁-(TBS))。
しかしこれらの路線も減少を食い止めるには至っておらず、。特に地上波民放で令和に入って連ドラで製作された作品は小芝風花版『大奥』(フジテレビ)のみで、民放全般でも7年ぶりのことである。
またアニメにおいても近世以前を扱った作品は少ないか、和風ファンタジーであることが多い。
2010年代以降は『十三人の刺客(三池崇史)』『超高速!参勤交代シリーズ』『のぼうの城』『実写版るろうに剣心シリーズ』など、新たな試みで製作された時代劇のヒット映画も多々見受けられる。こうした作品が一定の人気を博していることからみても、新たな時代劇作品が求められているのは確かだろう。
技術の衰退と復興を求める声
高度経済成長と生活の洋風化による文化の断絶、大道具・小道具等の制作や調達の困難化、開発による日本の景観破壊によりロケ地の確保が困難になったことなどから、時代劇の製作数は先細りの傾向にあり、実写時代劇作りのノウハウが失われつつある。
実際、時代劇に使用された舞台セットの制作技術・技法は非常に緻密かつ高度なものが多く、CG技術では補い切れないリアリティある質感を表現することが出来ることから、技術の喪失を惜しむ声は多い。
また、JAC(ジャパンアクションクラブ 現:JAE)などをはじめとしたアクション俳優や殺陣師を輩出している芸能企業や団体は、若手の育成にも必要な大きな活躍の場の一つを奪われる状況を憂いている。
JACの創設者である故・千葉真一は、亡くなる直前の週刊誌におけるインタビューにて「日本では時代劇を復活させなければいけない」と語っている。
そのため、東映太秦撮影所(映画村)で殺陣アトラクションの実施や、歴史建造物や風景を3Dデータ化してVFX撮影に生かすなどの新たな試みが用いられている。
ライトノベルと時代劇
ライトノベル業界では和風ファンタジーはできても「ラノベに時代劇は無理」というジンクスが存在する。
これは読者だけでなく作り手側までもが、「中世ヨーロッパ風」世界観には幼少の頃からゲーム等で慣れているが、「似非江戸時代」「似非戦国時代」を舞台とした時代劇には馴染みがなく、NHKの大河ドラマのような歴史ドラマと『水戸黄門』『暴れん坊将軍』のような時代劇は似て非なるジャンルである事を未だに理解出来ない、もしくは理解出来ても受け入れられないからである。だから「水戸黄門は諸国漫遊などしていない」「将軍時代の吉宗は独身どころか子持ち」「そもそもそれらの時代の江戸城に天守閣は無い」等の野暮な突っ込みが入る。それでいて考証がちがちの時代小説とは異なる「ラノベらしさ」は外せない、という板挟みになり、これでは身動きが取れなくなるのは必然である。
もっともラノベの時代劇(戦国・江戸モチーフのラノベ作品)は皆無と言うわけではなく、『腕白関白』、『戦国小町苦労譚』などがあげられ、女性向けの作品でも『つくもがみ貸します』シリーズなどがある。しかし、前近代の中国(だいたい1920年代頃まで)や近代欧州(産業革命以降)や近代日本(明治や大正)をモチーフにしたラノベが多数あるのに比べその数は遥かに少なく、どのタイトルも大きなヒットには至っていない。『異世界から帰ったら江戸なのである』は異世界転移と時代劇を融合させた意欲作で時代劇ファンには好評だったが、これはある程度時代劇に通じていないと何が面白いか分かりにくい種類の作品かもしれない。
2017年から大きなムーブメントを巻き起こした蝸牛くもの『ゴブリンスレイヤー』も、『天下一蹴今川氏真無用剣』の代案としてやる夫スレで執筆していた当作が起用されたという経緯があり、少なからず「時代劇のタブー」が出自にかかわっている。