路線データ
路線名 | 八戸線 |
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ラインカラー | 赤 |
路線区間 | 八戸〜久慈 |
路線愛称 | うみねこレール八戸市内線(八戸〜鮫) |
路線距離 | 64.9km |
軌間 | 1,067mm |
駅数 | 25駅 |
最高速度 | 85km/h |
非電化区間 | 全線 |
単線区間 | 全線 |
閉塞方式 |
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保安装置 | ATS-SN |
運転指令室 | 盛岡総合指令室(CTC) |
第一種鉄道事業者 | 東日本旅客鉄道(JR東日本):全線 |
第二種鉄道事業者 | 日本貨物鉄道(JR貨物):八戸〜本八戸 |
概要
八戸駅(青森県八戸市)と久慈駅(岩手県久慈市)を結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線。八戸駅〜本八戸駅(青森県八戸市)間は日本貨物鉄道(JR貨物)が第二種鉄道事業者として登録されている。
八戸駅〜鮫駅間は「うみねこレール八戸市内線」の路線愛称が付けられている。
路線は三陸海岸の沿岸を走行している。
沿革
開業〜全線開通まで
- 1894年(明治27年)1月4日:日本鉄道の路線として尻内駅(現・八戸駅)〜八ノ戸駅(現・本八戸駅)間開業。八ノ戸駅開業。
- 1894年10月1日:八ノ戸駅〜湊駅間延伸(後の貨物支線。廃止)。湊駅(廃止)開業。
- 1906年(明治39年)10月1日:鉄道国有法により日本鉄道が国に買収され、国有化。
- 1907年(明治40年)11月1日:八ノ戸駅を八戸駅(初代)に改称。
- 1909年(明治42年)10月12日:国有鉄道線路名称制定により八ノ戸線となる。
- 1924年(大正13年)11月10日:八戸駅〜種市駅間延伸及び八戸線に改称。鮫駅、種差駅(現・種差海岸駅)、階上駅、種市駅開業。
- 1925年(大正14年)11月1日:種市駅〜陸中八木駅間延伸。陸中八木駅開業。
- 1926年(大正15年)7月11日:陸奥湊駅開業。
全線開通後〜国鉄民営化まで
- 1930年(昭和5年)3月27日:陸中八木駅〜久慈駅間開業により全線開通。陸中中野駅、侍浜駅、陸中夏井駅、久慈駅開業。
- 1934年(昭和9年)6月1日:長苗代駅、小中野駅、白銀駅開業。
- 1944年(昭和19年)4月1日:八戸駅〜湊駅間の旅客営業休止。
- 1954年(昭和29年)8月5日:角の浜駅、玉川駅、宿戸駅開業。
- 1956年(昭和31年)12月10日:大久喜駅、金浜駅、大蛇駅開業。
- 1959年(昭和34年)2月5日:平内駅開業。
- 1961年(昭和36年)4月15日:陸奥白浜駅開業。
- 1961年12月25日:有家駅開業。
- 1966年(昭和41年)3月25日:北八戸信号場開設。
- 1970年(昭和45年)12月1日:八戸貨物駅開業。北八戸信号場廃止。
- 1971年(昭和46年)2月1日:八戸駅(初代)を本八戸駅に改称。
- 1971年4月1日:尻内駅を八戸駅(2代)に改称。
- 1982年(昭和57年)11月15日:鮫駅〜久慈駅間の貨物営業廃止。
- 1984年(昭和59年)2月1日:陸奥湊駅〜鮫駅間の貨物営業廃止。
- 1985年(昭和60年)3月14日:貨物支線本八戸駅〜湊駅間廃止。
- 1986年(昭和61年)8月1日:プレイピア白浜臨時乗降場開業。
- 1986年11月1日:本八戸駅〜陸奥湊駅間の貨物営業廃止。
国鉄分割民営化後
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化に伴いJR東日本が第一種鉄道事業者、JR貨物が第二種鉄道事業者として継承。プレイピア白浜臨時乗降場を臨時駅化。
- 1995年(平成7年):(臨)プレイピア白浜駅への停車を取り止め、事実上休止駅化。
- 2002年(平成14年)12月1日:種差駅を種差海岸駅に改称。
- 2010年(平成22年)12月4日:東北新幹線新青森駅延伸に伴う東北本線八戸駅〜青森駅間の青い森鉄道への転換により、自社在来線との接続が無くなる。JR在来線八戸駅の所属を東北本線から八戸線に変更。
- 2011年(平成23年)3月11日:東北太平洋沖地震及び大津波被害(東日本大震災)により全線運休。
- 2011年3月18日:八戸駅〜鮫駅間運転再開。
- 2011年3月24日:鮫駅〜階上駅間運転再開。
- 2011年4月7日:大規模余震発生の為再び全線運休。
- 2011年4月10日:八戸駅〜階上駅間運転再開。
- 2011年8月8日:階上駅〜種市駅間運転再開。
- 2012年(平成24年)3月17日:全線運転再開。(臨)プレイピア白浜駅廃止。
- 2013年(平成25年)10月19日:キハ100系使用の観光列車「TOHOKU EMOTION」運行開始。
- 2017年(平成29年)3月4日:IGRいわて銀河鉄道小鳥谷駅始発の直通列車を青い森鉄道三戸駅始発に短縮。IGRからの直通運転終了。
- 2017年12月2日:キハE130系500番台の営業運転開始。
- 2018年(平成30年)3月17日:青い森鉄道からの直通運転終了。使用車両をキハE130系500番台に統一し、キハ40形・キハ48形の運行を終了。
- 2018年10月20日:一部列車のワンマン運転開始。
- 2019年(令和元年)10月13日:台風19号により施設が多数被災。階上駅〜久慈駅間運休。
- 2019年12月1日:全線運転再開。
- 2021年(令和3年)3月13日:夕方の1往復と臨時列車を除きワンマン化。
運行形態
定期旅客列車
定期列車は全て線内運用の普通列車のみの運行で、夕方に八戸駅〜鮫駅間で運行される1往復以外は全てワンマン運転を行なっている。
2017年(平成29年)3月3日まではIGRいわて銀河鉄道小鳥谷駅から、2018年(平成30年)3月16日までは青い森鉄道三戸駅から直通運転が行われていた。両社には「甲種内燃車運転免許」(気動車の運転免許)を保有する運転士がいない為、JR東日本の運転士が越境して乗務していた。
全線通しで運行される列車は本数が少なく、鮫駅〜久慈駅間では最長4時間程度列車間隔が開く時間帯が存在する。早朝に上り1本階上発八戸行が設定されている。
愛称設定区間の八戸駅〜鮫駅間は八戸市内・市街地である事から日中でも毎時1本は確保されており、朝の上り列車は7時代には4本運行される。
臨時列車
八戸市で行われる国内最大級の朝市「館鼻岸壁朝市」開催期間にあわせて、2021年(令和3年)から八戸駅発鮫駅行として早朝に運行されている列車。途中最寄駅の陸奥湊駅のみ停車する。
2021年のみ普通(当初は快速で運行される予定だった)、2022年(令和4年)と2023年(令和5年)は快速で運行。
営業列車としては臨時だが、ダイヤ自体は元々鮫駅への回送列車として定期で設定されているものを活用している。
主に八戸線内で運行されるレストラン列車。
詳細は当該項目を参照。
貨物列車
八戸貨物駅には高速貨物列車が停車し、八戸貨物駅発着列車と八戸臨海鉄道直通列車が設定されている。
八戸貨物駅〜本八戸駅間はJR貨物が免許を保有しているものの、列車運行は休止中。国鉄時代の1968年10月ダイヤ改正後〜1984年2月ダイヤ改正前までは鮫駅発東京市場駅行の急行鮮魚貨物列車「銀鱗1号」が運行されていた。
駅一覧
駅名 | 乗換路線 | 備考 |
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八戸 | 在来線駅は青い森鉄道管理 | |
八戸貨物 | 貨物駅 | |
長苗代 | ||
本八戸 | ||
小中野 | ||
陸奥湊 | ||
白銀 | ||
鮫 | 当駅発着あり | |
陸奥白浜 | ||
種差海岸 | ||
大久喜 | ||
金浜 | ||
大蛇 | ||
階上 | 当駅始発あり | |
↑青森県/↓岩手県 | ||
角の浜 | ||
平内 | ||
種市 | ||
玉川 | ||
宿戸 | ||
陸中八木 | ||
有家 | ||
陸中中野 | ||
侍浜 | ||
陸中夏井 | ||
久慈 | 三陸鉄道リアス線 |
廃止駅
- 湊駅
貨物支線終点。1985年(昭和60年)3月14日廃止。
- (臨)プレイピア白浜駅
鮫駅〜陸奥白浜駅間。2012年(平成24年)3月17日廃止。
現在の使用車両
全て盛岡車両センター八戸派出所所属。
- キハE130系500番台
全定期列車で使用。
- キハ110系700番台「TOHOKU EMOTION」
同名の団体列車で使用。
過去の使用車両
国鉄時代
鮫駅前には実際に八戸線で使用されていた8620形の動輪がモニュメントとして置かれている。
国鉄民営化後
JR東日本・JR貨物所属の車両は国鉄から継承された車両がほとんど。
全て八戸運輸区(現・盛岡車両センター八戸派出所)所属。
昭和40年代には上野駅からの急行である「みちのく」「八甲田」が八戸線に乗り入れていた。民営化後はローカル輸送で活躍した。
同じく国鉄時代から使用されていた車両。キハ58系引退後はキハ40系が長らく使用されていたが、キハE130系導入に伴い引退。
八戸線で運行されていた観光列車「リゾートうみねこ」に使用された同名のジョイフルトレインはキハ48形の改造車。
盛岡客車区(現・盛岡車両センター)所属の客車。客車列車廃止時に引退。
JR貨物所属
盛岡機関区(廃止)所属のディーゼル機関車。客車列車牽引機。
三陸鉄道所属
- 36-100形・36-200形・36-1100型形・36-2100形
夏季に仙台駅〜八戸駅間を東北本線・気仙沼線(BRTへの転換区間を含む)・三陸鉄道南リアス線(現・リアス線)・山田線(三陸鉄道への転換区間)・三陸鉄道北リアス線(現・リアス線)・八戸線経由で運行していた臨時快速「リアス・シーライナー」で使用された。
東日本大震災により列車運行が出来なくなった為、そのまま八戸線での運用も消滅した。