概要
元ネタはアメリカ合衆国のモンロー主義(アメリカ合衆国大統領ジェームズ・モンローの「アメリカ大陸とヨーロッパ大陸間の相互不干渉」の弁明)。
実際にこの考えに基づいて積極的に民間会社に対し交通機関参入を拒んだのは東京市(1943年に当時の東京府と合併。現在の東京23区)および一時期の大阪市であるといわれる。
このルールの考え方は「市街地内部の交通機関は利害を標準に査定される私人や営利会社に運営を委ねるべきではなく、市民の利益を最大限に追うことのできる公共機関により運営されるべき」というものであり、この考えでは、全国的な交通機関は国が行い、都市内部の交通機関はその都市が、都市近郊および近距離の都市間のみを民間企業が行うべきであるという考えとなる。
この言葉は1970年代ごろから鉄道研究家等により使用されたが、一般的に使われるようになったのは1990年代以降であるとされる。
東京市→東京都
この考えに基づいて行動を行ったとされる自治体の一つであり、その根拠としては当時の東京15区(麹町区、神田区、日本橋区、京橋区、芝区、麻布区、赤坂区、四谷区、牛込区、小石川区、本郷区、下谷区、浅草区、本所区、深川区。かつての江戸)だった地域の内部にはJRと東京メトロ以外の民間路線がほぼ存在しない。
ただし、東京市自体は財政が公共機関まで手が回らなかったのか、市電に関しては民営機関が開業させたのちに買い上げという形で公有化、という形で行った。
またバスも関東大震災以後始まったため、それ以前に市内バス事業を始めていた東京乗合自動車(後に東京メトロの一つとなる東京地下鉄道に買収される)に牛耳られていた。バスは戦中の経営統制により東京都に渡った。
一方、新世代の都市内交通である地下鉄にはこの主義は適用されなかった。元々東武系の民間企業である初代東京地下鉄道として建設が開始された上、戦時統制によって国営化(帝都高速度交通営団)されたため東京市→東京都のコントロール下にない。この為旧・東京市は戦後地下鉄の実権も握ろうとしたのだが国との政治的パワーゲームに敗北し、結果大半が営団路線の中にいくつか東京都が免許を取得した都営地下鉄がわずかに混ざる、という今日の歪な状況を作り出すことになった。なお、東京の地下鉄が基本法律上の鉄道線であるのはこの為(元々東武閥・東急閥で営団化後も東武・東急との関係は深かったため、いろいろと便宜を図ってもらえた)である。
大阪市
大阪市内には、民鉄の鉄道やバスは一切走らせないという大阪市交通局の方針が存在したとされ、これは1903年から2011年までという実に100年以上の歴史を持つ考えであった。
これは大阪市が日本で初めて公営の路面電車を営業したこともあり、当時の市長も「市内交通は大阪市が行う」と決定したことから始まり、実際には市内交通の整備とともに区画整理を行う口実にしていたことなどもこの考えを貫いたとされる。
そのためにかなり強引なことを行ったとされる。たとえば私鉄各社による大阪市内中心部への乗り入れ計画をすべて却下し、さらに市電以前の許可も返納させたりした。さらに市電への乗り入れをいったん認めてからあとで不可能な条件を付けてあきらめさせるなどの手法も用いたりした(京阪電気鉄道には「短い車両じゃないとダメ」、新京阪鉄道の梅田乗り入れには「高架か地下鉄で」など)。また戦争中のどさくさに紛れて阪堺電気軌道を買収したりもしている。
また、地下鉄に関しては戦前に計画されたものであるが、私鉄各社線の乗り入れは排除した形で、なおかつ高規格路線を敷いた。地下鉄に関してもえげつないことをしており、千日前線は近畿日本鉄道と阪神電鉄が共同で難波まで連絡路線を引く計画をつぶすために計画されたとされる。なお、大阪市営地下鉄が基本法律上の軌道線であるのはこの為(元々市が窓口なので、いろいろと都合が良かった)。
だぁーが大阪商人がそんな圧力に簡単に屈するわけもなく、ある時は地方に申請(軽便鉄道法、軌道法)、ある時は国に申請(地方鉄道法)と使い分けてドサクサ紛れに軌道をつないだり、申請にはそんな仕様など一切書いてない大型車を(小型車としての申請で)勝手に導入したりと朝倉軌道なんぞ可愛いレベルのクセ者がごろごろしていた……否、今もしている、のも事実である。最後には国鉄線に対してわけのわからん併走軌道を国鉄の特急を(私鉄の)電車特急がスイスイ抜いてくので国レベルの問題となってしまい、大阪市が国からシメられ、その国が泣いて頼んで民鉄各社にインターアーバンを“法律上の鉄道線”として整理することを了承させたのである。
バスに関しては東京と同様大阪乗合自動車が大阪府の許可を得て大阪市よりも先に営業を開始した(これも結局戦時中の営業統制により大阪市に買収された)。
なお、平野区の人口急増に伴い路面電車ゆえに輸送力に限界が生じ高規格な地下鉄への移行が求められて1980年に廃止された南海平野線や、南海側から廃止が提案された南海天王寺線(1993年廃止)についても「市営モンロー主義」の影響と言及されることがあるが、これは誤りである。
終了……したの?
この考えは1960年代以降のモータリゼーション(自動車の大衆普及、これにより中小私鉄の多数が淘汰された)により変更を余儀なくされた。これによる渋滞のため市電営業のメリットが減少したためである。そのため、地下鉄に振り替える必要性が出てきたものの、地下鉄の営業に当たっては高額な資金投資が必要となる。そのため、大阪市交通局は資金が慢性的な不足となり、地下鉄の料金は他の地域と比べ非常に高額なものとなった。
また本体である大阪市も東京への一極集中などの影響もあり、大阪市交通局に予算を割く余裕がなくなり、この状況の打破を目的として市内への私鉄の乗り入れが行われるようになった。
そして1990年代以降にはこれまで敵対していた私鉄などの他機関と共存連携していく道を選び、結局最後は2011年には大阪市長であった橋下徹が市バスと市営地下鉄の民営化計画を打ち出すと同時に民間への交通機関の解放打ち出したため、この考えは事実上終了したとされる。さらには2018年4月に地下鉄を大阪市高速電気軌道に、市バスを大阪シティバスに移管された。これにより大阪市の市営モンロー主義は完全に消滅した。なお、この時既に橋下は大阪市長を退任していた。
ところがぎっちょん、一方で東京都は未だに都バス事業を展開しており、23区中12区で寡占している(※注)。マテやコラ。さらに大阪市がさかさかと廃止してしまった市内電車、都電は仕方なく1路線残した。地下鉄に関しては営団時代末期から現在の東京メトロ側に「都営地下鉄引き取らん? ん? ん?」とラブコールを送っているのだが、三田線以外車両の規格が各々すべて異なる為、銀座線と丸ノ内線、それとそれ以外とでほぼ統一のとれている東京メトロ側からはソデにされ続けている。
ただし言っておくと4路線とも東京都交通局は地下鉄がないと潰れると言われるほど稼いでおり、因みに4路線中3路線が地上と相互直通運転をしている。
- ※注···コミュニティバスは除く。目黒区は2012年度末に都バスが撤退。板橋区と世田谷区、練馬区、大田区も都バスが限られた地域にしか残っていない。なお、これら5区と足立区、葛飾区、中野区、杉並区はもともと民営バスが過半数を占めていたほか、江戸川区と品川区では棲み分けている。
名古屋市
名城線との競合を理由に、名鉄瀬戸線との直通運転を保護にし、栄町乗り入れを長年蹴っていた。この点は名鉄が八事~赤池間の免許を譲り解決。
その他、名古屋電気鉄道など民間の路面電車を次々と買収して市電を構築したものの、地下鉄の開業が碌に進んでいないまま廃止された(全廃時点で鶴舞線すら建設中だった)。そのため市電全廃により鉄道空白地帯のまま現在に至る地域も少なくなく、マイカー依存の一因となっている。もっとも国鉄や数少ない私鉄が中心部の乗り入れに消極的だったこともあるが。
福岡市
東京都と大阪市がどちらも弊害のほうが大きくなっていると認識されはじめた1961年になって福岡市が突然発症。
それまで福岡市内の公共交通の主力は西鉄の軌道線(路面電車)だったのだが、福岡空港開港後急成長する福岡市の交通を整理して高速化を目的として福岡市営地下鉄の建設が始まった。
それだけだったら良かったのだが、地下鉄建設ルートを国鉄の既設線(筑肥線は以前は地上で博多駅まで伸びていた)と並走させて潰し、地下鉄建設に非協力的な西鉄の軌道線の免許を更新させず廃止に追い込むなど乱暴なことをして、福岡市内の交通を市営地下鉄に集約させようとした。
しかし戦後も戦後、時代遅れの福岡市のこの行為は西鉄の逆鱗に触れる事になる。西鉄は廃止された路面電車に変わり、バスを大量導入、赤字覚悟の大増発・割引で反撃を開始した。一方国鉄も仕返しに出る。車両製造ノウハウを持っていなかった福岡市は大手私鉄の西鉄の逆鱗に触れた結果民間会社に車両開発の依頼をしにくくなってしまい、渋々国鉄に依頼した。
これ受けた国鉄は福岡市交通局に対しては高コスト体質の201系の焼き直しである1000系(203系…と言われることがあるが、1000系の開発年である1980年当時201系すら量産化に踏み切れていない)を押し付け、一方で開削工法が使われ排熱がそれほど問題とならないことから国鉄自身の相互乗り入れ車にはなんと103系を使った。
さらにJR九州になってからも福岡市交通局の車両更新要請を10年近くシカトし続け、VVVFインバータ制御の303系は増発分のみで新製終了。ATO・ホームドアでワンマン運転化し西鉄バスとの激戦を乗り切ろうとしていた福岡市営地下鉄にワンマンではホームドアに対応できない103系を押し付け続けた。2015年になって305系が導入されたが、これは103系1500番台自体の車齢は若いが、JR東日本やJR西日本での103系淘汰が進み、元々105系と2系列しかないMT55搭載系列のため保守部品のコストが嵩むようになったため取り替えたというJR九州側の都合による更新である。
それでも、貪欲に七隈線建設に乗り出した福岡市交通局だったが、西鉄のバス値下げ攻撃とJRの鹿児島線誘導により赤字体質に叩き落される。経費節約を要求された福岡市交通局は七隈線の工事にすでに高層ビルが林立し充分な地質調査など出来ない福岡市内の地下鉄工事に都市型ナトム工法というリスキーな工法を使用し、2001年・2014年に陥没事故を起こしたが、引き返す事もできずズルズルと工事を続けた結果、2016年に大陥没事故を起こしてしまう……
メリットとデメリット
メリット
この政策は、鉄道という側面だけでなく、都市計画においても非常に重要な政策であった。例を以下に挙げる。
- 市内の移動を安価に実現できる。現在の鉄道運賃は同一事業者だと通算されるのが基本で、乗り換えが多くとも同じ事業者であれば余計な初乗り運賃を支払う必要がない。例えば、京都市の鉄道網にはJR・京阪・阪急など様々な事業者があり、それぞれに初乗り運賃がかかるので、市バスが軸となっている。その結果、観光シーズンを中心に大渋滞を引き起こすなどの弊害が滲み出ている。
- 1970年の大阪万博を前にした路面電車網の全廃とこれを代替する地下鉄網の緊急整備(通常、地下鉄建設では地上を走る路面電車やバスの路線統廃合などが問題となり、特に複数の事業者が関係する場合、その折衝に長期間を要することになるが、市営一元化政策を採っていた大阪市の場合は路線統廃合で発生する乗務員の配置転換の問題を除けばそういった利害調整の必要性がほぼ皆無であり、計画即着工とすることで短期間での路線網整備が実現した)
- 収容力の大きな30系の大量生産と万国博輸送に関連する御堂筋線への集中投入による輸送・運用の効率化
- 通常規格の地下鉄では収支の合わない線区に対する新交通システムやミニ地下鉄の実用化
- ミニ地下鉄のための制御・駆動システムの研究開発
- 大阪市に関しては現在もそうであるが、地下鉄と競合する形のバス路線の設定を極力避けることによる共倒れの防止。実際大阪市内中心部(特に大阪市中央区)にはかなり広い路線バス空白エリアが存在する。
デメリット
上述のように、この考え方には交通機関が統一化されることや地域間の格差が出にくいことや、市内移動においては安価に移動できることで都市の魅力を高めるというメリットもあるが、一方で郊外部→市街地への乗り入れができず、乗り換えを余儀なくされること、直通工事費用のぶんだけ料金が高くなることなど、デメリットも存在する。私鉄路線から大阪中心部に向かうのには多くの場合乗り換えが必須である。
しかし、東京のスパゲッティ路線網はお世辞にも使いやすいとは言い難く、東京の公共交通機関の連携のなさもあり、安くて早い(ついでに景色付き)のJRに流れてしまうことも。京急の駅員は品川から新橋に行こうとする外国人に都営浅草線でなくJRをオススメしてくる(実話)。市内交通は一つの組織が計画的に行ったほうがよかったのかもしれない。