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司馬遼太郎の編集履歴

2022-08-03 02:54:40 バージョン

司馬遼太郎

しばりょうたろう

日本の作家。歴史作家の大家である。現在でも評価が高い反面、私怨や偏見に偏った記述も多く現在は非常に評価が割れている作家でもある。

概要

大阪府出身の小説家・評論家。1923年~1996年。本名は「福田定一」で、ペンネームの由来は古代中国の『史記』を書いた司馬遷で、「司馬遷に遼(はるか)におよばず」の意味であると言う。


歴史小説や紀行文を得意とした。行動力もあり、幅広い交友関係も持つ。


司馬の小説は様々な小説家や歴史家に多大な影響を与え、小説によって歴史上の人物の一般的な印象や人物像も変えてしまった。


NHK大河ドラマや時代劇の原作も司馬作品が多い。また、『街道をゆく』のような紀行文や『明治という国家』、『昭和という国家』などの歴史随筆のほかに戯曲も書いている。


大阪府東大阪市にある司馬遼太郎記念館には、生前の司馬が集めていた史料のうち、半分近くの二万冊が常時展示されており、本棚を通り越して本の壁となっている。


作風

緻密な取材と独自の歴史観で様々な歴史上の人物達の小説を書き、基本的に司馬が好意を持った人物しか小説の登場人物として描かない。従って、司馬の扱う題材にはかなり偏りがあり、豊臣秀吉徳川家康の様に別の作品に繰り返し登場する人物もいる。


事実上、歴史小説というジャンルにおいて他作家の追随を許さない不朽のクオリティを誇る。

ただし、後述の理由から近年では「フィクション作品という枠組み中では」という注釈が付されることが多くなってきている。


作品の時代の多くは戦国幕末明治を舞台にしているが、生涯、太平洋戦争の戦中とその前後の時代の小説を書くことはなかった。その理由として当時の政府や軍上層部のあまりの愚劣さと出征体験の悲惨さに腹が立ったからだと言われている。

それが高じて、司馬史観と俗称される独自の歴史観を展開した。

端的に言えば、明治を‘明るい時代’と仮定し、対照的に昭和を‘暗黒の時代’とするものである。

その考察の内容は戦後日本において都合がよく(自然と米英に協力した期間が明るい時代、逆らった期間が暗黒となる)、NHK大河ドラマ等を通じて半ば公的な歴史観として大きな影響を与えた一方で、批判も根強い。作家の大岡昇平らからは「記述について典拠を示してほしい」「面白い資料だけ渡り歩いているのではないか、という危惧にとらえられる」(=これは大岡が司馬の著書殉死を購読した際の感想)といった声がみられ、同時に一本の大河の流れとして認識しなければならない歴史良くも悪くも分断して認識しようといているのではという意見もあり、現代に至るまで議論がなされている。

(詳しくはこちら

なにせ、幕末の尊王攘夷運動の精神的支柱であった吉田松陰のことを「子供の頃から毛虫のように嫌い」と言い切っているのである。ナショナリズム的なものへの生理的な嫌悪は筋金入りだとみて間違いなく、司馬の著作を参照する際はこうした本人の感情的な部分により中立性や客観性が損なわれている部分が多々あることを留意しておく必要がある。


司馬の偏った歴史観や差別的な描写において最も貶められてしまったのは、やはり戦国時代を終わらせ、天下泰平を目指した江戸時代の基礎を気付いた徳川家康であろう。

前述の歴史観から、司馬は明治政府を神格化していたのに対し、江戸幕府を築いた家康の事は、登場した作品の描写から見ても、「日本人を歪んだ民族にする幕府を開き、欲望のままに生きた巨悪」として殊更敵視・見下していた節があり、逆に歴史上で家康と敵対したとされる石田三成直江兼続真田幸村の三人は、「巨悪である家康に立ち向かったヒーロー」として扱われているのだが、反面これらの三人の史実における問題的な行動に関しては悉くボカされている判官贔屓的な描写も目立っている(他に偏った評価をされているのは源義経源頼朝の兄弟)。

現在も司馬によって描かれた家康の極悪人像への影響力は根強く、大河ドラマの「天地人」などが影響を受けた代表的な例と言っても良い。一応司馬も「覇王の家」という家康を主人公に据えた小説を連載したのだが、残念なことにこの作品でも家康へのフォローはさっぱりだった

(曰く、「生傷を舐め続けて最終的に治してしまうような粘っこさ」(要約))

一方で三英傑の他の二人についても「既存の体制の破壊者」としての織田信長と「明朗快活かつひとたらし」な豊臣秀吉という現在広く受け入れられている人物像を広めたきっかけの一人と目されている。特に秀吉は「太閤記」という主役作があった分、広く浸透したと思われる。

  • なお、これらの人物造形をあえて破り、歴史資料から伺える人物像に回帰するというのが2014年の大河「真田丸」以降主流となりつつある。同作における「小心者で生き残ることを優先する等身大の家康」や「ひとたらしだけど耄碌する前から冷酷な一面を持つ秀吉」、さらに後年の作品における「自らの出自にコンプレックスを持ち手段を選ばない秀吉」や「室町幕府や朝廷など既存の権力に取り入る信長」、さらには時代を飛んで「戦にステータスを全振りしすぎた義経」など司馬作品でよく見られる人物像とは異なる造形が話題を呼んでいる。

加えて明治時代の作品群においては乃木希典大将を徹底的にこき下ろしている(後述)反面、「海軍は自分の管轄外だから」と申し開きのうえ、元海軍大佐の黛治夫氏の著作に頼るところが多いとしてそれほど批判的なことを書いてはいない。(唯一の例外は日本海海戦における敵旗艦の突然の回頭に伴う首脳陣の誤認くらいであり、それも東郷平八郎長官のみならず司令部全員のミスとして描いている)だが、史実を紐解くと日露戦争後学習院の学長を務めのちの昭和天皇以下多くの学生への教育に励んだ乃木大将(なお、それすらも司馬は「死んで責任を取りたいと言ってたくせに(要約)」と作中で痛烈に非難している)に対し、東郷元帥は最晩年に若い将校たちに担がれて軍縮条約締結反対運動に参加、(結果として)政治に混乱を起こしてしまったという特大のやらかしをしてしまっているが、司馬はこのことにはノータッチだったりする

……こうした罵倒忖度の揺れ幅のせいで司馬遼太郎という作家・知識人への評価は非常に困難なものとなってしまっている。


小説では「筆者は考える」と作者が登場して意見を述べたり、「余談だが...」というお決まりのフレーズに続いて話が脇道に逸れることがすこぶる多い。脱線で語られる蘊蓄や、知られざる人物の繰り広げるサイドストーリーも司馬作品の楽しみのひとつである。

ただし、この部分も非常に賛否両論

なにせ章1つの過半(約数ページ~十数ページ)をうんちくや豆知識の類でゴリ押しすることすらあるのだから始末に悪い。シリーズ作品でこれをやられて、下手すれば単行本1冊の半分以上が持論独自研究で埋め尽くされていて、メインストーリーが全く進まないケースも珍しくもない。脱線なんてかわいいレベルじゃないよ。

また、前述および後述にもあるように、司馬の悪癖として「かなり信憑性のありそうなフェイクをそれっぽく折り込み、それが話題になっても特にその点をフォローしない」というものがあるのもネック(※ただし司馬だけの欠点ではない)。これが、よりによってその雑学ラッシュの合間にねじ込まれることがあるため完全な作者の創作であっても歴史的事実であると誤解してしまう読者が後を絶たない。そうした事例の一つが高杉晋作による功山寺挙兵世に棲む日日』によって有名になった事件だが、実際に高杉が挙兵したのは馬関であり、功山寺は関係がない。しかし、作品のヒットと町おこしをしたいというご当地の思惑により、いつの間にか境内に高杉の銅像が建てられ『歴史的事件』として世間に認識されてしまっている。

また、当時の大学生読者の一人が作品の感動を司馬本人に熱く語った際に、渋々ながら作中における(孝明天皇の賀茂行幸の折、「征夷大将軍!」と声を掛けた)等の俗に言う「高杉の武勇伝三点セット」は完全な創作であると説明したら「ならば、高杉晋作って他に何が評価できるんですか?」と聞き返されたという逸話もある。



ちなみに、作品の随所にブッ込まれるエロ描写の巧みさにも定評があり、実在の歴史上人物を隙あらばとんでもない好色人間に仕立てあげてしまう悪い癖(?)がある。この傾向は別に司馬に限ったことではないが、その作品影響力の大きさ故に目につきやすい。歴史勉強のつもりで司馬作品を読み、その濃厚なエロシーンで衝撃を受けた中高校生も多かったのではないだろうか(『坂の上の雲』など、そうした要素が希薄な作品もあるが)。

その最たる例が『尻啖え孫市』の主人公雑賀孫市で、作品を読んだ読者、特に孫市の子孫を自称する人達から沢山の苦情を受けて恐縮した旨を、作者自身が作中で述べている。ちなみにそれに対する司馬の弁解は、

「好色は戦国精神の闊達さのあらわれのひとつ」

「格調の高い精神から出てくる好色というものは、その民族の文化の度合いの基準」。

‥‥「我が啖え(くらえ)」と言うより「我が屁理屈啖え」、だという気もしなくもない。


エピソード

前述の通り、戦時中に学徒出陣で徴兵された経歴をもつが、その際に戦車兵としての教育を受けている。俗にいう、福田定一少尉である。

だが、本人の実戦経験は皆無ではある。

ついぴくまとめ2枚

ガールズ&パンツァー』に登場するキャラクター福田はるはそんな彼の経歴をリスペクトしたものである。


『歴史と視点―私の雑記帖』というエッセイ集に含まれる逸話で、本土決戦の打ち合わせ中に大本営参謀に戦車で移動中に避難民で道路が埋まっていたらどうするんですか?」と質問したところ、「轢っ殺してゆけ」と返されたという記述していた。

しかし、他のエッセイでこの事を取り扱ったら、 描写内容や回答した人物が二転三転する という事態となり、それを訝しんだ司馬の元同僚(宗像正吉氏)が戦友会に出席した司馬を問い詰めたところ、

「私は小説家ですよ。歴史研究家ではありません」

「小説というものは面白くなければ、読者は離れてしまいます」

と語り、作家としての「創作」だったことを明かしたという。


これを起因として、司馬が語った「三式中戦車の装甲にヤスリをかけたら削れてしまって上官と一緒に愕然とした」という実体験もウソではないか?と訝しまれることもあるが、実際問題大戦末期に生産された日本軍の兵器は軒並み低品質だったのでコレは疑う余地のない実話であろう。たとえ他の機体がそうでなかったとしても、司馬の所に来た機体がそうであったのならそれが事実である。

……と考えたいが、前述のように他にも色々とやらかしている御仁なのでこれもうわかんねぇな


一方で戦車に対しては愛憎入り交じった複雑な感情を持っていたらしく、くそみそにけなすこともあれば「九七式中戦車はメカニックとしては大変優れていた」「時々夢に見る。内部で臭う独特の臭気すら夢に出てくる」と素直に愛着を語ることもあった。

「ダメな子ほどカワイイ」といったところか。


『乃木希典』批判に関する批評

その業績を評価する声もある一方で、当然ながら批判もある。

一番有名なものは、坂の上の雲 を執筆した際にフィクションを禁じて書くことにした」とし、書いたことはすべて事実であり事実であると確認できないことは書かなかった (朝日文庫『司馬遼太郎全講演 5』/「坂の上の雲 秘話」より)と主張しているが、

旅順攻囲戦をめぐる記述において、史実では同要塞陥落まで第三軍の指揮・作戦は一括して乃木希典将軍が執っていたにも関わらず、公刊戦史の記述を無視し、いつまでたっても作戦を遂行できないと判断した満州軍総参謀長児玉源太郎が乃木を将帥として無能と断じて第三軍の指揮権を取り上げるというどこの資料にも確認ができないエピソードを真実としたことで、現在まで議論を呼んでいる。

※詳しくは乃木希典項にて

これらに関する疑問に対して、司馬の生前にも多くの著名人がその真意を尋ねようと交渉したが、本人はとうとうその理由を語ることなく墓場まで持っていってしまった。


生前より司馬と交流があった松本健一は、『坂の上の雲』執筆の少し前に三島由紀夫割腹事件が起き三島の行いを「芸術家気取りの暴走」(要約)と痛烈に批難しているうえにこれを境目に作風に大小の変化が起きていること、また各所での記述や発言などを吟味したうえで戦前に自身をも苦しめたナショナリズムの象徴となっていた乃木希典の神話を破壊しようとしたと推測している。(「三島由紀夫と司馬遼太郎」より)

……もっとも、このような目的のためなら印象操作じみた行いをしたために自身の作品全般の信用を大きく損なうという致命的すぎる結果を招いたことを司馬本人がどこまで理解していたかは不明である。




著作や歴史観の反響


こちら葛飾区亀有公園前派出所

作中のキャラクターである大原大次郎※中高年)と擬宝珠檸檬※幼稚園児)は司馬作品のファンであり、同好の士として語り合うシーンがある。

ちなみに、二人とも司馬の初期作品推し。

実のところ、短編や中編が中心であった初期の司馬作品は余談や持論の類が最小限な、非常にオーソドックスな良質の歴史小説としてユーザー間では有名。ただしエロ描写の生々しさもすでに健在であり、上述の通りだとすると、作品によっては「幕末にて普段は知的障害の少女をセフレにしている高学歴ニートが、ある時にふと出会った大名夫人に一目惚れしてしまい自身の欲望を遂げるために軍師に扮して京都近郊の長州と佐幕藩との抗争に参加してどさくさに紛れてその大名夫人に夜這いを仕掛ける」といったキワドイ話を幼稚園児の美少女が読んで理解していたということになり(自主規制)



バーナード嬢曰く。

国内外の名作小説をテーマにしたコメディ作品。

とある回にて、登場人物の遠藤が歴史小説に手を付けてみようと司馬作品に目を付けたが、司馬作品の全体を支配しているという「司馬史観」に毒されるのが嫌で、下調べをしていくうちに司馬作品よりも司馬史観の方に詳しくなってしまったと友人である長谷川スミカに打ち明けるシーンがある。

青年向けマンガにこんな表現が出るということ自体が現在の司馬史観の扱いを端的に示している、かもしれない。



劉邦

高橋のぼるの漫画作品。

楚漢戦争をテーマにした作品だが、なんと煽り文が「司馬史観では到底描けない極上の漢たちが続々と登場‼」となっている。

文字通り司馬作品の『項羽と劉邦』への挑戦が趣旨であると思われ、別作品で出てきそうなほどに大胆に改変された歴史上の人物たちが作中で暴れまわっている。

同作や上述の大河ドラマのように、近年の歴史作品では司馬史観への挑戦と再定義が試みられるケースが多くなりだしている。



代表作 (カッコ内は物語の主人公)

平安時代

戦国時代・安土桃山時代~江戸時代初期

江戸時代後期

幕末

明治時代

海外

その他


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小説家 歴史 偏屈

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