頼朝勢力
源頼朝
河内源氏の棟梁源義朝の三男。右兵衛佐に任官されていたことから「佐殿」と呼ばれる。平治の乱で敗れ、13歳の時から配流先である伊豆で過ごす。
飄々とした佇まいで、息子・千鶴丸の死にも淡々とした表情を見せるが、その黒幕となった伊東祐親を殺害するよう、ひそかに工藤祐経に命じている。大将としての器量自体はきちんと持っており、大局的な状況判断力や公務における統括力は優れるものの、普段はあまり肝が据わっておらず、混乱する状況の中では度々弱音を吐いたり駄々をこねたりする。基本的には合理的な人物で、目的のためには非情な決断を選ぶこともできるのだが、情を捨てきれずに人知れず煩悶するなど、複雑な人物である。また弓の名手でもあり、意外と戦闘能力は高い。
育った境遇からか極度に人間不信の一面があり、本心で向き合える人間は政子などごく僅かしかいない。坂東武者たちからは「頼朝は(彼の為に頑張っている)俺たちを見てくれない」という不満も出ていた。
また、女好きで度々女性問題を引き起こし、「亀の前事件」では政子や亀の前を始め義時、時政、実衣、りく、宗親、全成、範頼、義経、弁慶が絡む大騒動になってしまった。なお、女好きは征夷大将軍になっても変わらず、比奈が女官として出仕した際にもなんかスケベな本心が出てた気がしなくもない(本人は「義時の後妻としてどうかと...」と弁明していたが、今までのこともあって説得力はなかった)。そして23話ではやっぱり比奈に未練たらたらだったことが判明した。またかい。しかも女絡みのトラブルに巻き込まれることで、本当の危機から命拾いすることもしばしばあるのがまたタチが悪い。特に亀の前事件や曽我兄弟の事件はその最もたる例である。その女癖の悪さから落胤説のある人物も多く、劇中では明言こそないが安達景盛や結城朝光が該当する(この2人は頼家・実朝よりもはるかに長生きで、安達氏は鎌倉幕府滅亡、結城氏は江戸時代初期に越前松平家に吸収されるまで血筋が続いた)。
このためネット上では「スケ殿」「セクハラ大将軍」などのあだ名を付けられた。
富士川の戦い直後、勢いに乗って京の都まで攻め上ることを命じるが、兵糧がないこと、北の守りが疎かになっていることを豪族たちに知らされたうえ、頼りの義時にもいざとなったら北条を取らざるをえないことを知らされたことで、心から自らに従う味方がいないことを痛感する。
物語が進むにつれて徐々に冷酷な一面を見せるようになるが、これも心から信じる人間がいないことが一因であり、友人だった伊東祐清や頼りにしていた弟の義経・範頼さえも最終的には謀殺している。一方で、上総広常を謀殺した後には自分の行為を正当化するような発言をするも、どこか後悔するような素振りを見せ、義経が討ち取られて首桶が届けられた際には「九郎、頑張ったな。一ノ谷、屋島、壇の浦。どれだけ戦ったか、お前の口から聞きたいのだ。話してくれ…すまぬ…許してくれ…九郎」と謝罪しながら首桶を抱きかかえて号泣する等、決して血も涙もない冷血漢というわけではない。
武士権力の頂点たる「武家の棟梁」の立場にある者として、甘さや弱みを見せればいつ誰に足下を掬われるかもわからず、後継者の頼家も十分育っていない現状で、仮に自分がいなくなってしまえば、後釜を狙う者達による権力闘争で収拾のつかない政治的混乱が起こることも明白であるため、どこか無理をして冷徹かつ強権的に振る舞っている節もある。
富士の巻狩りでの曽我兄弟による謀反未遂では持ち前の悪運の強さで難を逃れたものの、かつてははっきりと感じられた天からの恩寵を感じられなくなったと語り、もはや自分になすべきことはないのかもしれないと義時に語る。その後は死期が近づいていることに焦り、朝廷との関係を盤石なものにするための入内工作を急ぎ、疑わしい人物にはなりふり構わぬ粛清を実行するなど、周囲の人物に対しても猜疑心を募らせて次第に精神のバランスを崩していく。
だが、相模川橋供養へ向かった際、巴への謝罪、義時やりく、時政、政子らとの対話などの紆余曲折を経たことで吹っ切れ、「人は定められた時を生きている。それに抗うことは無駄なこと」とという結論に至り、自分の運命を受け入れることを語った。橋供養から帰る道中、馬上で突然意識を喪って落馬、昏睡状態となり、政子の懸命の看病も報われず息を引き取った(落馬の際、呂律が回らなくなる・右手の痺れが起こる・顔半分が歪むなど、脳卒中を示唆する描写がなされ、後鳥羽上皇は飲水の病が引き金になったと推測している)。享年52。
そしてストッパーであった頼朝の死によって幕府中枢に生じた政治的空白を巡り、日本史上空前の権力バトルロワイアルの火蓋が切って落とされることになる。
源頼家
(演:鳥越壮真→金子大地)
頼朝と政子の長男。幼名は万寿。のちの鎌倉幕府二代将軍。弓は苦手だが剣は非常に強い。富士野の巻狩りでは自らが次の鎌倉殿にふさわしいことを示そうと躍起になるが、放った弓矢は思うように獲物に届かず、そのことでやるせない感情を抱えていた。「鎌倉殿の正統後継者」の体面を保つためにもなんとか彼に鹿を仕留めさせようと、頼朝や義時以下御家人一同は鹿の剥製をそれとなく狩場においておくことでお茶を濁そうとしたが、万寿にはバレバレであった。しかし、そのことに怒りつつも「いつかは弓の名手になる」と金剛に語るなど次期鎌倉殿としての気概を見せ、また頼朝襲撃の際には父頼朝の安否を確認するよう義時に命じたり混乱に乗じた鎌倉襲撃を危惧して配下の兵を鎌倉に急行させたりと毅然とした態度をとった。
父親に似て大の女子好き。「女好きは我が嫡男の証!」とか言ってるんじゃねーよ頼朝…。
頼朝の死去後、第2代の鎌倉殿となる。決して暗愚ではなく、むしろ聡明で気概にも満ちているのだが、若さゆえに視野が狭く直情径行気味で、「父頼朝の成し遂げたこと、そして成し得なかったことを引き継ぎ、その上で父を超える」と宣言すると同時に、身分や家柄に依らない実力主義による取り立てを打ち出したことで、御家人同士の権力闘争を激化させる結果を招いてしまう。
また、頼朝が急逝したために政務のセオリーや帝王学も何も学べず、あまりにも若いままに鎌倉殿になったため、経験も自信もなく、どう政をすればいいか考えあぐねている状態でもあり、父・頼朝が容赦ない粛清を行いながらも、本音と建前を上手く使い分けることでなんだかんだ人心掌握術に長け、少なからず戦場に立った経験もあったのに対し、その差が次第に浮き彫りになっていくことになる。比企一族として幼い頃から彼を見てきた比奈曰く、「本当に助けが欲しい時ほど助けを呼べない」性分であり、「常に頼朝様と比較されやるせ無い気持ちでいる(自分も八重さんと比較されてたので分かります)」とのこと。
そのことを受け、景時から提案された文官4人+景時の五人衆で御家人の訴えを取り次ぐ体制を構築する案を受け入れるが、御家人同士の権力争いにより人員が13人に膨らみあがったことで御家人に対する不信感が爆発。「父・頼朝は死ぬ時まで御家人を信じていなかった」と13人を前にして言い放ち、腹心の部下として泰時・時連以下六人衆を紹介するなど強硬姿勢を辞さなくなってゆく。
御家人たちを信じないがゆえに徐々に暴走を強め、生来の女好きもあって安達景盛の妻を渡すよう安達親子に求めるなど、泰時でさえ「人の道に反します!」と諌める行為をしでかしてしまう。しかも、この件について毅然とした態度で断った盛長に対しては、なんと斬首を言い渡すなどの凶行に出た。流石にこの件については政子自らの説教もあってなんとか収めることができたのだが...。なお、これを強引に止めた景時に対し、「なぜ父上(頼朝)もしていたことなのに、私だけ...!」と嘆いていた。なお、景盛の妻の方は完全に頼家の愛人の気分で頼家に垂れかかっていたため、なおのこと景盛の不憫さが目立っている。
(本作においては)頼朝が夫がいることを知らずに漁師の妻(亀の前)を寝取ったことや、こっそり夜這いをかけたことはあっても御家人の妻を無理やり奪ったことはない。そこらへんを理解していないあたり、頼家の限界が見えなくもない...。そして放送後には叔父・義経や大叔父・行家と同じく、ツイッターでのサジェストが「頼家 無能」「頼家 クズ」といった具合になるなど、視聴者からも散々な評価を受けている。ただし、本人なりに一生懸命に政務に励み、また事故で井戸に落ちかけた蹴鞠の師匠の平知康を部下だけに任せずに自分から率先して助けようとするなど、決して無責任なぼんくらでも根っからのクズでもない。
度々諫言する頼時を、農民からの訴えをうまく収めた褒美として「頼」の字を取り上げたうえ「泰」の字を与えて「泰時」と名乗らせたうえ六人衆から追放、代わって諫言する時連にも「北条の家が大事だろう」とみて不信の目を向ける。
比企能員を北条よりも信頼しておらず、格差に憤る御家人の不満をそらすため「所領の一部を幕府に返上して小さな御家人に分け与えよ」と命令。怒った能員は八田知家の所領である常陸国に追放された阿野全成に頼家の呪詛を行うよう唆している。
時政・りく夫妻に強制されて自分に呪詛をかけた叔父・全成の処断では、義時や政子、三浦義村や畠山重忠をはじめとする豪族の嘆願もあって死罪から八田知家の所領である常陸国への流罪に軽減した。だが、今度は能員が全成に妻・実衣の身の安全と引き換えに再度呪詛を頼家にかけることを強制。全成が怪しんだ知家の部下に踏み込まれて事が露見すると、彼の口から自分の関与が頼家に漏れることを恐れた能員は、頼家に全成の処刑を急ぐよう暗に煽り立て、二度も叔父に裏切られたと思い込んだ頼家は知家に全成の誅殺を命じた。全成が斬首されたのち、頼家は人事不省に陥り、父・頼朝と同じように昏睡状態が続き、北条家によって臨終出家まで行われている。比企の乱が終結した直後、奇跡的に息を吹き返し目を覚ますも、昏睡している最中に愛妻のせつが比企の乱で落命し、愛息の一幡が行方不明になっているということを義時らから知らされ、頭に涼しさを覚えたため頭を触ったところ、剃髪までされていたことに愕然とする。
比企氏の滅亡が、「比企が一族郎党皆自ら死を選んだ」という形で政子から伝えられたが、それが嘘であることを勘付き、和田義盛や仁田忠常に比企氏滅亡の真相を問い質し、大まかな真相を理解した頼家は怒りに燃え、両名に北条家の追討を命じるが、仁田が比企にとどめを刺したのは紛れもなく自分であったこと、そして鎌倉殿を守るという信念と昔なじみの中である北条を討つ命令との矛盾に思い悩み、その苦悩を誰にも相談できずに自分を追い詰めてしまい、その結果頸動脈を切って自害してしまう。頼家は御家人たちによって伊豆の修善寺に幽閉され、弟の千幡が源実朝と名を改めて3代目鎌倉殿に就任した。
伊豆修善寺に幽閉された後も北条家への恨みは強く、政子が頼家の好物である干し鮑を持ってきたときも面会を拒絶しているほどで、面会に来た三浦義村に援軍を乞うも断られる。その後、八田知家が修善寺を調査したところ、頼家が後鳥羽上皇から北条氏討伐の院宣を賜るための計画を練っていたことが露見し、義時らは已むなく頼家討伐を決断。これを知った泰時から頼家は逃げるよう説得されるが「どうせ殺されるのだから、わしは最期まで北条に逆らい続ける」の言葉とともにこれを断り、「今夜猿楽をやるからお前もどうだ」と泰時を誘う。その夜、義時の命により頼家を暗殺すべく猿楽の笛の奏者に扮して潜り込んだ善児と斬り合いとなる。一進一退の死闘の末、一瞬の隙を突いて善児の腹部を刺し、動けなくなったところを見計らって逃走しようとしたが、善児に同行していたトウによって後ろから刺し貫かれ、それが致命傷となって死亡した。
最期まで人を信頼できず、それが仇となって命を失うことになってしまうものの、通説のような「無能な二代目」像とは異なり、咄嗟の危機的状況では自分から行動したり、剣術においても病床から復帰した身でありながらこれまで誰も反撃すら許さなかった善児と(善児は一幡の件を引きずっている節があり、かつ年もあるだろうが)つばぜり合いの末相打ちに近い一太刀を入れるなど『麒麟がくる』の足利義輝に重ね合わせ義輝同様「剣豪将軍」と呼ぶ視聴者もいた。なお、史実の頼家も武芸達者で剣も弓も得意だったらしい。
つつじ
(演:北香那)
頼家の正室。史実における辻殿。父は賀茂重長。
母は源為朝の娘。力をつけすぎている比企氏を警戒する頼朝の采配で、せつに一幡が生まれた直後にも関わらず頼家の正室として迎えられることとなる。頼家の次男・善哉(公暁)を産む。ちなみに父・重長は源行家に従い義円とともに墨俣で戦死している。
善哉と三浦義村の館に保護され、善哉が次の鎌倉殿になる機会があると言われるが、善哉が比企尼に会ったことを悟り、不吉なものを感じ彼を抱きしめる。
39話で久方振りに善哉とともに登場し、実朝に面会するが、実朝への態度がそっけない我が子をたしなめている。
44話では公暁が千日の修行に全く集中できていないと聞き、彼が何か良からぬことを考えているのではないかと勘づく。そして公暁に「あなたはあなたの道を生きるのです。千日の修行を終え、鶴岡八幡宮の別当として生きる。それが天から与えられた道。」と説得を試みるが失敗に終わり、結局公暁は実朝を暗殺し、また義村に討たれることとなってしまった。
本編ではこの44話以降、再登場はしていない。
せつ
(演:山谷花純)
頼家の側室。史実における若狭局。比企能員と道の娘。頼家の嫡男である一幡を産むが、頼家が源氏の血を引くつつじを正室に望み、比企氏に不信を持っていた頼朝の意向もあって、正室にはなれなかった。北条軍が比企館を攻めてきた際には一幡らを逃し、単身で短刀を持って北条軍に斬りかかるが、トウに腹部を刺され、「一幡…」と最期まで我が子を案じながら命を落とした。
一幡
(演:佐野仁音 → 白井悠人 → 相澤壮太)
頼家とせつの長男であり、比企能員の孫で比企尼の曾孫。
頼家を制御できないと見た能員は、彼を次期鎌倉殿に据えて自らが後見に立ち、幕府の実権を掌握することを目論む。
比企一族の粛清(比企の乱)の際、政子から一幡の助命を嘆願され義時は、彼を出家させることを約束する。だが、一幡が生きていれば、担ぎ出す輩が現れないとも限らず、生きているだけで新たな災いの種となりうるため、義時は裏で泰時へ「まず真っ先に一幡様を殺せ」と命令を下した。
比企館の襲撃で泰時達や善児に追い詰められてそのまま殺されたと思われたものの、頼家の回復後、実は泰時の手によって善児やトウのもとに匿われていることが判明。それを知った義時は、善児を直接訪ね、お手製のブランコで善児と遊ぶ一幡の姿を認める。
改めて善児に一幡の始末を命じる義時だったが、彼は自分に純粋な好意を向ける一幡を殺すことがどうしてもできなかった。業を煮やした義時が自ら手に掛けようとしたところ、一幡はトウに「水遊びをしましょう」と連れて行かれた。かつて千鶴丸が善児にされたのと同じように。
トウに連れて行かれる一幡の背を沈痛な面持ちで見送った善児は、もう必要が無くなったブランコを自らの手で破壊するのだった。涙を己の顔に滲ませながら……
公暁
頼家の次男。善哉(ぜんざい)と名づけられ、彼を頼家の嫡男とすることを条件に義村を乳母父とし、三浦氏を北条の味方とする密約を義時とかわす。
幼いころ、怨霊のような姿の比企尼と会い、「あなたこそ真の鎌倉殿。北条を許してはならない」と吹き込まれ、北条に対する恨みを醸成させつつある。
仏門に入り、園城寺に遊学して修業する。43話で修行から戻ってきて、既に鎌倉殿になる覚悟を決めていたが、実朝が自分を鎌倉殿にする気が無いと知り、落胆する。そこに自身の乳母父である義村から父・頼家の死の真相を告げられたことで幼い頃に比企尼に「北条を許すな」と言われたことを思い出し。北条家に対する復讐を決意する。
また、この回で公暁が頼家譲りの気の強い性格であることが判明、44話では母の「穏やかに暮らしてほしい」との願いを無視し、頼家の死を経緯を謝罪に来た実朝の「法の下に、ともに北条の非道をただそう」との意見に同調せず、「だまされるものか」と復讐心をさらに募らせる結果となってしまった。
演者は上総広常を演じた佐藤浩市の息子。第十五回における広常の最期から狙った配役と思われる。なお、本作では当時の歴史書の記述に従って、従来の「くぎょう」読みではなく「こうぎょう」と読む。余談として最後は協力者であった山本耕史演じる三浦義村に討たれることとなったが、実は何を隠そう演者である寛一郎の父である佐藤浩市も三谷大河第一作である『新選組!』で芹沢鴨を演じた際にこれまた山本耕史演じる土方歳三主導の元その生涯を(これまた裏切り者として)閉じており、親子二代で山本耕史(が演じる人物)が死に関わるという奇妙な共通点が出来ている。
史実における最期は長尾定景(後述する大庭景親の従兄弟で、石橋山の戦いでは岡崎義実の嫡男・佐奈田義忠を討ち取っている。子孫には上杉謙信や景勝らがいるが、藤内光澄役の長尾卓磨も米沢上杉家の末裔であり子孫である。)に討たれている。
源実朝
(演:柿澤勇人)
頼朝と政子の次男。幼名は千幡。鎌倉幕府三代将軍。実衣が乳母、時政が乳母父に任じられており、極めて北条と関係が強い。
一幡が存命中は将軍職継承の目はないと思われていたが、頼家危篤に伴う比企の暴走・族滅により次期鎌倉殿に内定。京に征夷大将軍に任じてほしいと要請したことで、後鳥羽上皇から「都と鎌倉をつなぐ「実(実)=接合部分」となれ、との思いから「実朝」の名を元服に際し下賜され、朝廷側につくことを期待されて教育係を名目に源仲章が京より派遣される。
武家の棟梁にふさわしい英才教育を受けるが、兄・頼家とちがう繊細な性格で朝廷と幕府の間で決められた政略結婚にも複雑な思いをのぞかせる。
また、34話では子役が演じていた33話からそれほど時間が経っていないにも関わらず、成人の姿で登場し、一部では「成長著しい実朝」と言われた。
35話では和田義盛の館へお忍びで訪れ、歩き巫女に婚姻のことを相談していた。しかし、このお忍びで御家人たちに心配を掛けたことにつけ込まれ、時政に出された畠山重忠討伐の下文に花押を押してしまう。
何も知らなかったとはいえ、36話では事が明るみにでると、下文に花押を押してしまったことを悔いており、義時に重忠を助けることを頼み、戦の後にはその責任を痛感し、恩賞を母・政子に一任した。その後も和田館へは時々赴いている様子。
りくと結託して陰謀を企んでいた時政に「「実朝が出家して鎌倉殿に平賀朝雅を任命する」という起請文を書かされそうになるが、重忠の死という出来事の反省からこれを固辞し、時政は刀を抜いてこれを脅そうとしたが、祖父に刀を向けられて脅されてもなお、起請文を書くことを拒絶する。この一件に動じぬ実朝の胆力の強さに「頼朝をしのぐ鎌倉殿になれる」だけの素質を認めたうえで義盛に託して解放される。「爺様も一緒に来てくれ」と涙ながらに懇願するが、義盛に連れられて館を出た。その後は義時に頭を下げて時政の助命嘆願を行い、義時と三善康信ら文官たちの会議によって、実朝の願いは聞き届けられた。
義時に泰時の家人である平盛綱(鶴丸)を御家人に取り立てるようお伺いを立てたおりには、実朝が「むやみに侍に取り立てるわけにはいかない」と正論をもって却下しようとするも、「どうやら私はもう要らぬようです。あとは、鎌倉殿のお好きなように進められるがよい。伊豆へ引き下がらせていただきます。鎌倉殿が一度口にしたことを翻しては、政の大本が揺るぎます。私のやることに口を挟まれぬこと。鎌倉殿は見守ってくださればよろしい」と「君臨すれども統治せず」の姿勢を貫くよう脅され、、仕方なく時政謀反鎮圧の褒美として盛綱の御家人昇格を取りつける。
実は「女性と子を成す気にどうしてもなれない」性質であり、千世との間に子が生まれなかったのもその理由が大きい。その意中の相手は泰時であり、先述の鶴丸の一件も珍しく語気を荒げていたのは泰時と鶴丸が抱き合って喜んでいたことにムッとしていたからでは?と推察できる描写もある。泰時には彼への恋慕を歌った短歌まで送り返歌を楽しみに待っていたが、仲章からその歌の真の意味を教えられた泰時により「お間違えになったのでしょう?」と返歌もなしにやんわりと返されたことで新たに「大海の磯もとどろに寄する波割れて砕けて裂けて散るかも」という別の短歌(放映回冒頭のナレーションにもなっていた)を送った。なお、「割れて」「砕けて」「裂けて」「散る」という表現からこれは失恋ソングじゃないか?と推測するファンが続出した。なお、泰時も実朝の真意に気づいていたようで、短歌を返した日の夜は珍しく酒を煽っていた。
義時に利用されて義盛を目の前で殺されて以降、義時に対しては互いに不信感を深めた。母・政子から次期鎌倉殿を朝廷から迎える構想を勧められたことで泰時とともに、頼家の次男・公暁を次期鎌倉殿に迎える構想をもつ義時・時房と対立する。
44話で右大臣に昇進、鶴岡八幡宮に拝賀する直前に義村の謀略で公暁から生命を狙われていることを警告されるが相手にしなかったばかりか、京に幕府政庁を遷し朝廷の麾下に入る構想を義時に告げ、父・頼朝がなぜ武士の都を鎌倉に作ったか理解していないことに彼を絶望させる。
拝賀前夜、公暁に鎌倉の変革を呼びかけたが相手にされず、公暁による実朝・義時襲撃計画を義時に源氏の排除に利用され、泰時から手渡された護身用の短刀も「天命に逆らうな」という歩き巫女の言葉を受け手放してしまい、甥の手にかかり命を落とした。また、鶴岡八幡宮参詣に出発する直前に「出でいなば 主なき宿と 成ぬとも 軒端の梅よ 春をわするな」を書き残しており、これを別れの歌と解釈した時房は、彼が公暁に討たれることを予期していたと察していた。
脚本を担当する三谷は実朝と義盛をシェイクスピアの『ヘンリー4世』に登場するハル王子(後のヘンリー5世)と彼に仕える機知にあふれた老騎士・フォルスタッフをイメージしたという。
演者の柿澤は『平清盛』で以仁王を演じている。
千世
(演:加藤小夏)
実朝の正室。内大臣・坊門信清の娘。後鳥羽上皇の従妹にあたる。史実における坊門姫(西八条禅尼)に当たる。
絵に描いたような姫君であり、実朝に対しても献身的に支えようとしている。だが、実朝が自分に優しく接してくれてはいるものの本心をなかなか明かしてくれないことを心配している。
その後、実朝の真の心のうちを明かされ、やっと心のうちを明かしてくれたと涙ながらに手を握りようやく心を通じさせた。その後は実朝最大の理解者かつ同志の1人として彼に寄り添っている。
また、実朝が暗殺されて首のない遺体が戻ってきた際はその遺体の手を握って寄り添っていた。この後実朝が遺した和歌を政子たちに伝え、これ以降は登場しないものと思われる。
登場人物の中では最も長命で執権が初代時政から8代時宗の時代まで生き元寇が発生する1ヶ月前に逝去している。ちなみに後醍醐天皇の側近として活躍し『太平記』で藤木孝が演じた坊門清忠は千世の叔父・隆清(信清の弟)の子孫。
よもぎ
(演:さとうほなみ)
千世付きの御所女房。朝時の所業を実朝に訴えた。声がとてもでかい。
大姫
(演:落井実結子→南沙良)
頼朝と政子の長女。源氏同士の関係強化のため義仲の嫡男義高と婚約、大姫自身も義高のことを大変慕っており、義仲討伐後義高の立場が危うくなると「義高様を助けないなら、私も死にます!」と幼い身ながら必死の形相で己が頸に短刀の切っ先を近づけて、父頼朝に直訴。頼朝はこれに折れ、義高の命までは取らないことを約束するも、時すでに遅く、義高の死は大姫の生涯に暗い影を落とすことになる。
成長してからはいくらか笑うようになったとはいえ、スピリチュアルに傾倒したりいきなり自らの名前を「葵」に変えると言い出したり(しかも全成の見立てでは、由来はよりにもよって「源氏物語」において生き霊により若くして亡くなる葵上)と突飛な行動が目立つようになり、周囲から心配されている。
頼朝は義高のことを忘れさせるため、そして幕府と朝廷の繋がりを緊密なものにするべく彼女を天皇の妃にしようと画策。強引すぎる入内工作に当初は乗り気ではなかった大姫も巴御前の励ましもあって前向きになったが、上洛した際、丹後局から母政子ともども入内に対する見通しの甘さを徹底的に非難されたことで心が折れてしまい、失踪騒ぎを起こしてしまう。雨に濡れた中逃げていたために身体を病み、病に臥せってしまう。
「自分で自由に選べるものは死に方だけ」だった大姫は、生きることそのものを拒んだかのように亡くなってしまった。享年20。
三幡
(演:太田結乃→東あさ美)
頼朝と政子の次女。頼家と大姫の妹で実朝の姉。大姫亡き後、頼朝によって入内が決められるが、入内する前に病で亡くなった。享年14。
源範頼
(演:迫田孝也)
通称蒲冠者。頼朝の異母弟。頼朝挙兵を知り駆け付けるも道を間違え遅参した。頼朝の信頼厚く、のち義経と共に平家追討の陣頭指揮をとる。政治力とカリスマ性は頼朝に及ばず、軍略家としては義経に及ばず、源氏一門として能力的には中途半端な人物だが、生真面目ながらも朗らかで人当たりの良い性格で人望もあり、先走り気味な義経をうまく扱っていた。なお、意外にも剣の腕前はなかなかのもの。
義経亡き後も、頼朝に不満をもつ御家人たちをうまく押さえていたが、そのことを比企能員につけ入れられ「蒲殿が鎌倉殿であったら...」と焚き付けられていた。範頼本人は断固として拒否していたが、富士野の巻狩りでの頼朝襲撃の一報で、能員に押し切られる形で幕府内部の混乱を収めるべく空席となった鎌倉殿を継ぐ決意を固めた。だが、頼朝の信頼篤い彼が勝手に行動したことは頼朝に「野心あり」とみなされ、また焚き付けた張本人である能員にも見放され、広元からは「書状に鎌倉殿に仕えると言いながら署名に勝手に「源」姓を使っている」(一門とはいえ、朝廷から源姓を名乗ることを許されている頼朝やその子供たち以外が勝手に源姓を名乗るのはこの時代ご法度だった)ことを咎められ、追放されることになる。一度は死罪になりかけたが比企尼の説得もあり、命は助けられ伊豆修禅寺に幽閉されることになる。その後、現地の農民たちと畑仕事に精を出すなど穏やかに過ごしていたが、大姫が亡くなったことで悲嘆に暮れる頼朝に、「頼朝や源氏を呪っている首謀者」とみなされ、梶原景時の命を受けた善児の手により、農民の夫婦と次に植える野菜について語らっているところを、農民の夫婦ともども刺殺される。
ちなみに吾妻鏡では修善寺に幽閉後の安否ははっきりしておらず、誅殺されたという説もあれば、遠地に落ち延びてそこで過ごしたという生存説もある。
迫田は『西郷どん』で千葉常胤の子孫・江藤新平を演じたことがある。
阿野全成
(演:新納慎也)
通称・醍醐禅師。醍醐寺に預けられていた頼朝の異母弟。義円・義経の同母兄。幼名今若。後に実衣の夫となる。頼朝挙兵を知り兄弟中で真っ先に駆け付けた。風を操る術を使うと自称しているが、初登場時にいきなり失敗しており、りくに「何なのよ!」とツッコマれた。
特技は易であり、事あるごとに様々な相を占っているが、明らかに今後の不穏な展開が結果に出ているような気もする・・・。なお、本人曰く「私の易が当たるのは5割」であり、全部当たったり、逆に全く当たらなかったりするよりもよっぽど始末が悪いと悩んでいる様子。決定的なまでに政治的センスが無く、そもそも僧籍にあり、権勢欲も野心も微塵も無いため、平家滅亡後も頼朝から猜疑心を向けられるようなこともなかった。
実衣とは互いに好意を抱いての婚姻であり夫婦仲も良好。実衣曰く「何言ってるのかわからないところが好き」。
文覚と読経バトルを繰り広げたり、義高救出作戦の際には兄頼朝のコスプレをして義高の監視を解かせたり、大姫からの頼みで義高や紫式部のモノマネを披露したりとコメディリリーフ的な場面が多く視聴者の笑いを誘っていた。
頼朝の死期が迫る中、幕府の主導権を狙う時政とりくに御しやすさを見込まれて二代目鎌倉殿に推挙される。僧籍であることを理由を拒否しようとしたものの、無理やり還俗させられ、やがて「実衣と自分自身を守るために権力を手にする」決意を固める。が、義時と政子がまずは政権の安定化を優先し、頼朝の正統嫡男である頼家が二代目になるよう動いたことで、結局この話はお流れとなった。
頼家が二代目鎌倉殿となった後、北条に利しない頼家を動けないようにするために時政とりくに呪詛(りく曰く「ちょっと寝込むくらいのやつで」)を依頼され、効き目がないと知りつつ断りきれずに承諾させられてしまう。
そして、その事実が発覚したことによって死罪に処せられかけるが、政子と義時の嘆願により、常陸国の八田知家の所領への流刑に軽減される。しかし、今度は自身の意のままに動かない頼家の排除を目論む比企能員により、実衣の身の安全をダシに使われて再度頼家を呪詛にかけることを強制されてしまう。だがその結果、動向を怪しんでいた知家の配下に踏み込まれて呪詛が露見。全成から自分の関与が頼家へ漏れる前に彼の口を封じるため、能員は頼家に全成の処刑を急がせ、最終的にその指示を受けた知家によって処刑された。
処刑の際、ひたすら呪文を唱え続ける全成に応えるように、激しい風と雷雨が巻き起こるという人智を超えた現象が発生し、神仏を信じない知家をも驚愕させた。恐れ慄く武士達に代わり、最期は知家自身の手で「悪禅師全成」は斬り伏せられた(当時の「悪」は「凄まじい・荒々しく猛々しい」という感嘆の意を示す)。処刑直後、雨雲は晴れ、嘘のように抜けるような青空が広がったという。それからしばらくして頼家は前後不覚の病に倒れた。
阿野頼全
(演:小林櫂人)
全成と実衣の子。通称は播磨公。史実では三男にあたる。父親が頼家の呪詛を行った際、頼全も父親に加担したとみなされ、源仲章の沙汰で斬首された。
ちなみに史実では阿波局(本作における実衣)が全成との間にもうけた男児は時元のみとされているが、本作では頼全も彼女の子供と扱われている描写が多い。(仮に自分の産んだ子供でなくても家族が謀殺されたら大抵の人は怒り狂うだろうが...)
阿野時元
(演:松平将馬→森優作)
全成と実衣の子。史実では四男で全成の嫡男とされる。京の都で頼全が討たれたことを知った祖父・時政、伯母・政子にかくまわれる。劇中には名前こそ設定されていないが、兄弟が複数人登場し、いずれも全成と実衣の間にできた子供と扱われており、時元とともに政子に匿われていた。成人後は従兄弟の実朝付きになるが父が頼朝の弟で自分も源氏一族であるというプライドが高く実朝に対する対抗意識を一時は持っていた。
が、伯父・義時から頼朝の血を引く実朝や公暁との格のちがいや彼らの末路を思い知らされたことにより、鎌倉殿就任の野心をあきらめる。しかし、母・実衣に焚きつけられ、三浦義村と伯父・義時の罠にはまったことにより謀反の罪で討ち取られる。
源義円
(演:成河)
園城寺に預けられていた頼朝の異母弟。全成の同母弟、義経の同母兄。幼名乙若。史実では「卿ノ公」と呼ばれた。
兄・頼朝のために手柄を立てようと志すが、嫉妬に駆られた同母弟・義経にそそのかされて叔父・行家と出陣、墨俣川で平家方に敗れて命を失う。
八重
(演:新垣結衣)
伊東祐親の娘(四女)で義時の叔母。河津祐泰や伊東祐清の妹。頼朝の最初の妻となり、長男・千鶴丸を産むが...
義時の初恋の人でもあった。頼朝と離縁となってしまってからも、陰で何度も彼の危機を救っているが、そのせいで頼朝の現在の妻である政子からは目の敵にされていた。八重本人も当初こそ頼朝のことを慕い、顔は見えなくても役に立ちたいと御所仕えを願い出ていたが、亀の前の嫌がらせなどにより居場所をなくしていき、父・祐親や次兄・祐清の謀殺を知り完全に頼朝から心が離れる。その後、故郷である伊豆の江間を治める義時の館に移り住む。当初は欲しくもない土産物を持参する義時に難色を示していたが、彼の真心に触れ想いを受け入れた。なお、江間に移ってから一度、頼朝の訪問を受けたが言いよる彼の手に噛み付いて追い返した。
史実における離縁後の八重の人生については諸説あるが、本作では考証に参加している坂井孝一氏の唱える仮説(リンク先wikipedia記事参照)を採用して義時と結ばれる展開となり、長男泰時を産んだ。泰時誕生後は鎌倉に孤児が溢れていることに心を痛め、義時の了承の下屋敷で甥の曽我兄弟ら孤児たちの世話をしていた。工藤祐経とのやりとりから長兄・祐泰の死の真相も知っていた節がある。奥州征伐後、義経を謀殺したことで気落ちする義時を励ますなど北条一族の中でも重要な支えとなっていたが、世話をしている孤児の鶴丸が川の中で身動きが取れず泣きじゃくっているのに亡き千鶴丸を重ね、単身救出に向かうも戻る最中、川に流されこの世を去った。
千鶴丸
(演:太田恵晴)
頼朝と八重の息子。祐親の命により善児に「善児と一緒に川遊びをいたしましょう。善児が川で魚をとってあげまする」と甘言で釣られ、殺害される。しかし、祐親も孫殺しには後ろめたさがあったようで、のちに千鶴丸を祀る塚を建立している。
亀の前
(演:江口のりこ)
頼朝が房総半島に逃れた時に出会った女性。政子曰く「顔の薄い女」。頼朝に気に入られ、密かに館に招き入れられ同衾するも、なんと既婚者だったため、漁師である夫の権三(演:竹内まなぶ)がカチコミに来て頼朝は逃げ出す羽目になった。ただ、房総半島で源氏と平氏の戦闘が始まった際に「ついでにうちの人も討ち取って」とつぶやくなど、夫婦仲は冷え切っていたどころか修復不可能なまでに悪化していたと思われる。
それからは政子に気付かれぬまま鎌倉で頼朝の寵愛を受け、侍女として鎌倉にいた八重にも圧をかけるなど傍若無人の限りを尽くしていたが、その存在がやがて政子にバレてしまい、その後さまざまなアクシデントも加わって屋敷を焼き討ちされた。亀自身は義時の手配で事前に逃げ延びたが、かくまわれた先の上総広常にも色目を使っており、広常に閉口されている。後に政子が頼朝が再び亀の前のところへ行くと読んで匿われた先に乗り込んだが、そこで彼女に「彼(頼朝)の妻と見合うようにもっと学問や作法を身に付けなさい」と厳しくアドバイスした。これを最後に物語には登場しておらず、その後の動向は不明。史実でも、亀の前事件以降の消息は不明。
平賀朝雅
(演:山中崇)
時政の娘婿の一人。りくの間に生まれた娘を妻とする。比企尼の孫の一人。母は伊東祐清の元妻であり里・せつ・安達景盛はいとこに当たる。
京の都にあって朝廷との交渉役を任されており、千幡に「源実朝」の名を賜る。
34話にて仲章から「政範がいなくなればお前が執権別当となれる(要約)」と唆されており、その後京にやって来た政範が彼に「酒宴の準備が出来ている」と案内される。その直後に政範の訃報を知らせるシーンが出てくるが、姫君を連れて鎌倉に戻ってきた際に悲しみに暮れるりくに対して「政範は畠山重保に毒殺され、重保は自分(朝雅)に罪を被せようとしている」と吹き込み、畠山排斥に乗り出す。なお、今作においては重保に毒薬のことについて密談していたことを聞かれており、そのことを追求されたことから、逆に重保を毒殺の主犯にしようとしていることから重保のことをりくに吹き込んだとされている。だが、政範を不自然なほど早く東山に埋葬したことから義時に「毒殺されると死体の顔色が急激に悪くなる(=政範を毒によって殺したことがバレないように手早く処理した)」と指摘され、朝雅も「ぶ、無礼であろう!」としか言えなかったことから義時から毒殺の下手人であるとみなされるも、幕府首脳陣による本格的な審議が始まる前に帰京。義時も上皇と近い朝雅を手荒に扱うと都と鎌倉の間の火種となりかねないと強硬手段には出られず、このことが畠山氏挙兵の原因となってしまう。その後は自身を四代目鎌倉殿に推戴する企みを知るも乗り気ではなく鎌倉とは距離を置きたがっている。
38話では北条政範の毒殺や畠山重保の失脚並びに畠山家の滅亡、時政とりくによる実朝追い落とし計画の全ての元凶ということにされ、義時の命で館に兵を差し向けられ、「自分は鎌倉殿になろうと思ったことなど、一度もない!」と必死に弁明するが聞き入れられず、誅殺された。
史実では義光流信濃源氏・平賀義信の四男で頼朝の猶子。
比企攻めで頭角を表し、山内首藤経俊がしくじった第二次三日平氏の乱の鎮圧に功があった。また吾妻鏡によると山内首藤経基(経俊の六男)に討たれたとされる。
義経一党及び奥州藤原氏
源義経
(演:菅田将暉)
通称は九郎。全成・義円の同母弟。幼名牛若。検非違使に叙任されてからは判官とも呼ばれる。
奥州藤原氏に庇護されていたが頼朝に合流するために出立した。頼朝とはまた違った方向で自由奔放な性格で周囲を振り回す。武芸に優れ、常識に捉われない型破りの発想の持ち主であり、また軍略に関しては自負心も非常に強い。初陣の佐竹攻めで優れた戦術眼で献策するも、披露する前に戦が終わるという憂き目に遭う(なお、史実の義経は佐竹攻めには従軍していない)。
劇中では獲物をめぐって猟師を射殺する・仮にも先輩格である広常ら坂東武士と口論になる・戦術を披露できなかった腹いせに模型の城を怒りのままに叫びながら破壊する・同母兄の義円を口車に乗せ戦死に陥れ、しかも義円から預かった頼朝宛の文を破り捨てて証拠隠滅を図るなど、その余りにも強烈なキャラ付けから、放送後のツイッターでのサジェストでは「義経 畜生」「義経 サイコパス」といった単語がトレンド入りしたほど。癇癪持ちで感情のままに行動しがちという点では過去に菅田が演じた『おんな城主直虎』の井伊直政と似ている部分がある。ついでながら、女癖の悪さは兄と同じ。後に比企能員の養女・里を正室とする。
破天荒な振る舞いが目立つ一方で、その行動原理は(基本的には)「兄上に喜んでもらいたい」という純粋な気持ち(その心理を、演者こそ違うが一昨年の大河ドラマ作品「麒麟がくる」の織田信長(演:染谷将太)に重ねる見方もある)が根底にあり、「自分は戦でしか役に立たない」→「そのためには勝たねばならない」→「勝つためには見栄えや矜持なんて気にしてられるか」という本人なりの筋がある様子。そのため、平家討伐後に鎌倉に入るのを拒絶された際には「なぜだ?!」と嘆いたが、頼朝が帰京を促すと素直に引き下がるなど、どこまでも頼朝に対して忠実。また、かつて道案内をしてくれた地元の民・藤平太との約束を忘れず山盛りの里芋を振る舞ったり、一度は却下した平宗盛・清宗親子の最後の対面を許したり、当時外道とされていた船の漕ぎ手(非戦闘員とされていたので、当時の常識的には攻撃対象にならなかった)に対する攻撃で亡くなった敵方の漕ぎ手たちを手厚く埋葬するよう義時に命じたりと情も持ち合わせている。
壇ノ浦の戦いでは八面六臂の活躍でついに平家を滅亡させるが、「倒すべき敵」がいなくなったことで自分の先行きを憂うようになる。
「この先、私は誰と戦えばよいのか…私は戦場でしか、役に立たん」
都に凱旋後、頼朝を危険視し、朝廷の実権の維持を目論む後白河法皇により、頼朝の許可無しで官位を与えられたことで、その運命は暗転。一武将に過ぎない義経が法皇の恩賞を断れるはずも無く、かと言って朝廷の権威を抑え込みたい頼朝も立場的にこれを許すわけにもいかず、お互いに望まぬまま兄弟で対立せざるを得ない状況に追い込まれてしまう。さらにその後も法皇が義経の鎌倉への帰参を許さなかったために思うように意思疎通ができず、思い違い・行き違いが重なり、土佐坊昌俊の襲撃を頼朝の差し金だと誤解したことを切っ掛けに、法皇と行家に焚きつけられる形で遂に頼朝に対して謀反を起こすが、賛同する武士達は少なく、頼朝が鎌倉から大軍を率いて上洛する構えを見せると都を落ち、平泉に潜伏する。
鎌倉からの追手をかわすため、有力御家人の比企能員の娘である里を同行させて人質として逃亡に利用しようとの冷徹な計算を見せる。最終的に頼朝の命を受けた義時に炊きつけられた藤原泰衡の襲撃を受けるも、大量のトラップを仕掛けた隠れ家にて泰衡の軍勢を迎え撃ちながら時間稼ぎをし、義時と最後の会話を交わしている。なお、最期の瞬間は直接描かれず、頼朝の元に義経の首桶が届けられ、それと涙ながらに対面するという形で表現された。
隠遁生活中でも武技の鍛練は怠っておらず鎌倉の襲撃プランも練っていた。死の直前に館に招き入れた義時を通じてそれを梶原景時に届けさせた(それを読んだ景時は「このとおり攻められたら、鎌倉は間違いなく滅びていたことだろう」と複雑な表情を浮かべつつ感嘆した)。ちなみにこの内容は後に新田義貞が鎌倉を攻め落とした時のやり口とよく似ていたが、義経が水軍を用いることを想定していたのに対し、義貞は干潮で出現した稲村ヶ崎周辺の浅瀬を回り込んで鎌倉に攻め入っている点などが違っている。
里
(演:三浦透子)
義経の正室。道の養女。せつ(若狭局)同様、比企尼の孫娘。史実の郷御前は河越重頼の娘でもあるが今作では河越一族が登場しておらず比企一族の出になっている。平家追討に向かう義経を追って京に向かうが、そこで静御前といちゃつく義経を見てショックを受けていた。義経を巡って静と対立して口論する修羅場もあり、やがて静を亡きものにしようとして土佐坊昌俊に京の義経邸を襲わせ、義経に襲撃が頼朝の命令であると誤解させた挙げ句、行家に利用されて裏目に出てしまい、義経の頼朝からの離反と失脚を招く一因となってしまった。それでも逃げのびる義経に寄り添うなど、彼への愛は本物であったが、泰衡の襲撃の際に上記の襲撃事件の真相を話したことや静の境遇に対する発言などで義経の怒りを買い、激昂した義経に刺殺され、直後に子も彼の手にかけられ殺された(直接の描写はないが里とともに簀巻きにされている)。しかし、義経は二人を殺害した後、里の真意に気づき、泣きながら詫びていた。
静御前
(演:石橋静河)
義経の愛妾。京随一の白拍子。関西弁で喋り、里に対しても遠慮がない。奔放な発言が義経に良くも悪くも影響を与えていた。
義経と別れた後、鎌倉方に捕らえられ、道に侮辱された時の反応などを経て義経の側女であることが発覚、身ごもっていた男児を出産直後に善児に殺され失意のうちに鎌倉を去った。その後の消息は定かではないが、美濃で彼女とよく似た遊女がいるという噂が立っていることが語られている。
ちなみに石橋静河の父の石橋凌は『麒麟がくる』で武田信義の末裔・信玄を、母の原田美枝子は『北条時宗』で義時の孫娘(名越時章の妹)である桔梗を演じた。
弁慶
(演:佳久創)
義経の腹心。義経を「御曹司」と呼んで慕っている。概ね伝承通りの展開を迎えるが本作ではやや異なっており、衣川の館では「世話になったな」最期の労いの言葉を義経からかけられた際にはその真意を察し、「やめてください」と涙声で返す。最大の見せ場とも言える立ち往生のシーンでは張りぼての鎧を着て泰衡軍を迎え撃ち、威勢のいい声が聞こえるだけで描写されずに終わる。しかしこれは三谷氏が鎌倉時代当時の史書である「吾妻鏡」などを忠実に描写したものである。実際、吾妻鏡における弁慶の記述は義経都落ちの際に伊勢三郎・佐藤忠信・片岡八郎らと共に義経に同行した郎党として記述されているのみである。現在よく知られる弁慶の華々しい活躍は室町時代の「義経記」に初めて見られるものである。
演者の父は中日ドラゴンズで活躍した名投手で「踊る守護神」と呼ばれた郭源治。このため父に倣って「義経の守護神」などと言われたりした。
藤原秀衡
(演:田中泯)
通称は次郎。奥州藤原氏当主。平泉を本拠とする北方の覇者。義経の庇護者で義経最大の理解者。鎌倉を追われた義経を将軍に建てて、いずれは鎌倉に攻め入ろうという野心を抱いていたが、その野望を目前に病死する。義経や泰衡からは「御館(みたち)」と呼ばれているが、義経の一代記『義経記』にはすでに「御館(みたち)」と呼ばれており、この記述に準じたものである。
藤原国衡
(演:平山祐介)
通称は西木戸太郎。秀衡の庶長子。
藤原泰衡
(演:山本浩司)
通称は太郎。秀衡の次男で後継者。兄・国衡との不仲を頼朝に利用され義時の策略で義経を討ったが、頼朝に滅ぼされた。
藤原頼衡
(演:川並淳一)
秀衡の六男。泰衡の異母弟。鎌倉の策謀に気づき、兄を諫めようと義時に斬りかかろうとするが善児に殺害される。史実では三兄・忠衡や五兄・通衡ともども親義経派だったとされ義経滅亡後、泰衡に滅ぼされている。
河田次郎
(演:小林博)
奥州藤原氏譜代の臣。平泉を攻められて逃亡した泰衡を討ち取り、頼朝に献じるものの「主君を裏切った罪」によって斬首される。
非頼朝・反頼朝勢力
源頼政
(演:品川徹)
頼朝の遠縁(頼朝の高祖父・義家と頼政の祖父・頼綱が又従兄弟)で源頼光を祖とする摂津源氏の長老。平治の乱以降、源氏でありながら平家の重鎮として重用されていた人物。以仁王を伴って平家打倒のために挙兵するが、以仁王共々平家に敗れ討ち取られる。頼朝は表向きはその最期を悼んでいたが裏では競争相手が一人減ったことでほくそ笑んでいた。
源頼茂
(演:井上ミョンジュ)
頼政の孫。史実では頼政の次男・頼兼の子。京で大内裏の守護の任に就いていたが・・・
源行家
(演:杉本哲太)
通称は十郎、新宮十郎。頼朝の叔父。元の名は義盛。頼政に見いだされ名を改め以仁王の令旨を諸国の源氏に伝える役目を担う。頼朝曰く「胡散臭い」。戦下手だが野心家の策謀家であり義円・義仲・義経の破滅に深く関わったためナレーションの長澤まさみに「疫病神」「死神」呼ばわりされた。義経とともに組んで頼朝に挙兵しようとした際には、兵士が思うように集まらず、その苛立ちから義経に「義のない戦をしようとするから、兵が集まらんのだ!」と八つ当たりし、義経も「叔父上が言いますか!」とキレ返し、結局喧嘩別れとなった。
劇中では描かれなかったが、最後は鎌倉方(史実では時政の甥・北条時定とされる)に処刑されたことが語られている。なお演者の杉本は『義経』で行家を演じた大杉漣の死後、『相棒』などで大杉が演じていた役を引き継いだ縁がある。また56年前の大河ドラマ『源義経』では彌十郎の父・坂東好太郎が演じていた。
木曾義仲
(演:青木崇高)
頼朝の従兄弟で信濃源氏の頭領。源義賢の次男。大蔵合戦で父を頼朝の長兄・義平に殺され木曾谷で育った。畠山重忠や稲毛重成の又従兄弟でもある。勇猛果敢で剛直ながら誠実な人柄、武将として優れた実力と統率力を持ち合わせ、部下たちからも慕われる英傑。二心を持たず、無意味な戦いを嫌う高潔で英雄然とした人物だが、致命的なまでに政治力が欠けており、都のしきたりや公家の作法・価値観も疎い「田舎侍」。父頼朝との戦を避けるため、盟約の証として嫡男・義高を鎌倉へ人質に出す。
倶利伽羅峠の戦いで平家を破って頼朝に先んじて京に上洛したものの、三種の神器を奪還したい朝廷の意図が理解できず、さらに末端の部下達が市中で狼藉行為を働くのを抑え込めなかったこともあり、後白河法皇に嫌われてしまう。
頼朝と法皇の策に振り回される中、頼朝の協力無しの単独での平家追討の命を受ける。しかし、備中で平家軍を相手に戦っている間、頼朝が法皇より信濃を含む東山道の支配権を任されたのを知って抗議のため都に戻るが、これを法皇に謀反と疑われてしまい、やむを得ず院御所を襲撃して法皇を幽閉。源氏側でありながら頼朝一派と対立する状況へ追い込まれてしまう。
源範頼・義経兄弟率いる討伐軍を迎え撃つが、兵を少なく偽る義経の軍略に翻弄され、宇治川の戦いで敗れる。逃れようとするも近江・粟津ヶ原で範頼軍に行く手を阻まれ、最期は額を矢で射抜かれて討死。
頼朝には政治力の差で破れる形になったが、それでも同じ源氏として最期まで彼のことを信じており、義高には頼朝へ反旗を翻さないよう諭す遺言を巴に託していた。
青木は『平清盛』では弁慶を演じている。
巴御前
(演:秋元才加)
義仲の幼馴染。眉毛が繋がっている。『義経』では小池栄子が演じていた。鋭い目つきの通り気が強い女性で、自分を口説こうとした三浦義村を一喝した。
伝承などでもしばしば語られる怪力の持ち主ともとれる演出も存在する。
義仲が京から落ち延びる際、生き延びるよう命じられ1人頼朝軍の方に投降したが、和田義盛にその豪胆な性格を気に入られ、彼の庇護を受ける。
24話では久しぶりに登場し、義盛の館で穏やかに過ごしている様子が描かれ、徐々に薄れてゆく義高の面影に恐怖する大姫に対し、自分たちは前へ進むしかないというエールを送った。なお、義盛とは勝手に餅を食べたことに軽く腹を立ててぶん投げようとする程度には仲がいい様子。とか思ってたら25回では義盛とキスする寸前までいってた(頼朝落馬を義盛が察したので直前にキャンセルされたが)。なお、義盛の下に身を寄せてから眉間の部分の眉毛は剃られている。
34回では義盛達が鹿の肉を食べているところで、彼に促されて彼が捕らえた鹿の顔真似をして場を和ませている。また、義盛が肉をどんどん鍋に入れ煮ようとするので「火が通らないでしょ!貸して」と義盛から肉の入った笊をむしり取ろうとするが、義盛にふざけて抵抗された。
39話で義盛邸に集まった彼の息子たちに「こんな多く息子がいるのか」と驚き、あきれていた。
和田合戦では義盛たちと共に戦おうとしたが義盛に制止された。義盛たちが討死した後、一人戦場に赴き、「我こそは、鎌倉一の忠臣、和田義盛の妻・巴なるぞ!」と叫び、粟津の戦い以来となる勇姿を見せるも最後は去って行った。
本編終了後の紀行で、出家して義仲と義盛の菩提を弔いながら91歳まで生きたことが紹介された。
源義高
(演:八代目市川染五郎)
義仲の嫡男。通称清水冠者。頼朝と盟約を結んだ父・義仲により人質として鎌倉に赴き大姫と婚約する。蝉の抜け殻集めが趣味。これに関しては義経からやや引き気味に「それ、あんまり人に言わない方がいいよ」と突っ込まれている。まあ年齢を考慮すると現在の小学6年生くらいに当たるため、年相応といえば年相応なのだが…
義仲死後、頼朝に危険視され悲劇的な運命を辿った。なお染五郎の祖父・二代目松本白鸚や大叔父・二代目中村吉右衛門は歌舞伎における弁慶が当たり役とされ、特に吉右衛門は大型時代劇『武蔵坊弁慶』(1986年)でも弁慶を演じている。また一万や箱王と同世代だがそれぞれの演者のためか同世代には見えないと言われた。
今井兼平
(演:町田悠宇)
通称は四郎。義仲の育ての親だった中原兼遠の四男。乳母子にて腹心。巴の兄。義仲と運命を共にした。史実では次兄に直江兼続の先祖・樋口兼光がいる。同じ中原氏でも後述の中原親能との血縁関係はない。
海野幸氏
(演:加部亜門)
義高の従者で同年代の若武者。
義高救出作戦の際には協力を申し出て、自らは主君の義高の身代わりとなって牢に入るが、差し出しを持って尋ねてきた一条忠頼に覗き込まれ、バレてしまった。
史実では義高死後、その命を賭した忠義を頼朝が認めた事により御家人として召し抱えられた。
父・幸親と兄・幸広も義仲に従い水島合戦で平教経らと戦い討死。子孫には真田幸隆・昌幸・信之・幸村らを輩出している。
武田信義
(演:八嶋智人)
頼朝の遠縁で甲斐源氏の頭領。通称は太郎。石橋山の戦いに敗れた頼朝から援軍の要請を受けるも、自らが源氏の棟梁となる野望を秘めていることから、後白河法皇の密勅を差し出すよう要求してきた。頼朝の会談の際には頼朝や北条時政を酒宴に誘い、義時が「私は…」と言いかけると「お前の分はないよ」と冷たくあしらう。しかし、最後は嫡子忠頼を討たれ自身も(内心はともあれ)起請文を書かされることとなるも、「お前たちはおかしい。狂っておる!」と悲痛な叫び声を上げ、「謀反とは何か!我々は頼朝の家臣ではないわ!」という恨み言を吐きつつも頼朝に屈服せざるを得なくなった。武田信虎・信玄・勝頼らの先祖。演者の八嶋は三谷大河第1作でも武田姓の人物を演じている。
一条忠頼
(演:前原滉)
武田信義の次男で嫡子。通称は次郎。甲斐一条氏(一条信龍の項目参照)の初代。義高を焚き付けたことが謀反と見なされ「宴会を開いて、そこで源義高の討伐の功を称える」という目的で頼朝に召喚され、酒や大盛りのご馳走を前に、頼朝の「で、義高と何を話しておった?さらばじゃ」という冷たい言葉を聞く間もなくだまし討ちされた。
史実ではのちに長男・飯室朝忠と次男・甘利行忠も誅殺されている。この行忠の子孫に信玄時代初期の重臣甘利虎泰や現衆議院議員の甘利明らがいる。史実では天野遠景に討たれたが、ドラマでは仁田忠常になっている。
佐竹義政
(演:平田広明)
甲斐源氏と同じく源義光を祖とする常陸源氏の武将。頼朝とも信義とも遠縁※の間柄。頼朝と敵対し平家に与したが「お前老けたな」と挑発の言葉を口にしたため斬られる。この時広常は「こいつがつまんねえこと言うからよぉ〜!」と笑いを浮かべながら発言したが、目が全く笑っていなかった。控えめに言って怖い。史実では義朝の時代から対立関係にあった。なお、戦国時代の佐竹義重・義宣父子らは弟(または甥)秀義の系統であり義政の子孫ではない。皮肉なことに源氏はこの一族のみ現在まで女系ながら(経緯は佐竹義昭の項目参照)血筋を残している。
※頼朝の祖父・源為義と佐竹昌義(義政の父または祖父)と逸見清光(武田信義の父)と平賀義信(朝雅の父)が互いに又従兄弟。
源為朝
(演:なし)
通称は鎮西八郎。頼朝・義経らの叔父。『鎌倉殿』では直接の登場はしていないものの、頼家の正室となるつつじの祖父として第25回で義村からその名が挙げられている。史実では工藤茂光を大将とした軍勢に討伐され自害しているがこの時、伊東祐親や北条時政も従軍している。『平清盛』では橋本さとしが演じ「ガンダム」などと呼ばれた。