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親日の編集履歴

2014-10-03 20:44:19 バージョン

親日

しんにち

日本への友好的な態度・言動

概要

外国外国人による、日本日本人日本文化に対する友好的、肯定的な思想や言動を指す言葉。対義語は反日。その背景は様々で、定義も定まっておらず、時代によっても様々に変化する。

  • 経済・・・日本の近代化や戦後復興、経済支援などに対する好意的評価によるもの。
  • 政治・・・国際政治上の力関係で日本と接近してきた国。最近の日本の外交政策の基調は「反中華人民共和国」「親アメリカ合衆国」であり、同じく親米な国、反中な国は親日国とされやすい(但し、後述のインドやパキスタンの例を考えると必ずしも断定できないのも事実。)。
  • 文化・・・伝統的なものから新興的なサブカル、果てはポルノまで含めた独自の文化への憧憬によるもの。
  • 歴史・・・過去の歴史的経緯で日本に好印象を持ったことによるもの。

備考

  • 2014年5月5日付時事ドットコム(外部リンク参照)によれば、EUは日本との間に締結交渉を行っている戦略的パートナーシップ協定(SPA)に、EU各国との価値観の齟齬(具体的には民主主義基本的人権が蔑ろにされた場合)が生じた際にSPAを停止できるとされる「人権条項」の盛り込みを求めている。(同様にSPAを締結しているアメリカとの間には『人権条項』はなく、発展途上国相手の仕様であると言える。)実質的な『発展途上国』扱い(中国と同じ)に日本政府当局者は憤慨しているが、至らない点を指摘してくれていると言う点においてEUは日本の良き友人であると言えよう。
  • 朝鮮半島においては親日(派)は、日本の植民地時代に日本側に協力した人々、および日本の統治を是認する人を指し、売国奴と類似した扱いであるため注意を要する。この項目で説明している親日(派)は、知日派(チニルパ)と呼んでいる(外部ソース)
  • また、下記の「親日国」にしても第二次世界大戦時代の日本」にシンパシーを持つ国は皆無に等しいのでこの点も注意が必要(しかし、一部の右翼は、「親日国」における一部の人々が戦前の日本にも評価できる面があった、としていることをもって第二次世界大戦時代の日本の行為を全肯定するという曲解を行うことがある)

主な親日国

親日の要因としては、歴史的な側面があったり、戦後の経済発展や経済援助はすれど内政干渉はしない事があったり、観光客や移民のマナーが良い事など多岐に渡る。


日本は経済力が大きく世界的にも主要な国であるため、多くの国は自国の親日イメージを自国の国益に結びつけようとしている。


東アジア

現在の与党の中国国民党政権はやや反日だが、多くの国民、特には内省人は非常に親日で、日本語がそのまま通じる場所も多い。また日本統治時代の家屋が残されていたり、日本の警察官や旧日本軍の軍人を祀った神社が存在する。

親日の要因としては、日清戦争後に日本に割譲され戦後まで統治されていた事があげられる。

なお割譲後しばらくは、インフラ整備や教育の普及を進めつつも争いが絶えず虐殺事件も発生している。しかし八田與一による烏山頭ダム建設により肥沃な大地をつくりあげるといった開発を根気よく進めて台湾の近代化に貢献した事もあって、台湾内では客観的に良い評価がなされている。

(ただ、第二次世界大戦後に「亡命政権」を樹立した国民党政権の失政に対する地元住民の反発による部分も考慮する必要がある。)


世界史上最大版図の帝国を築いたチンギス・ハンや元寇、モンゴル人力士の活躍で知られる国。

社会主義から脱却する際に日本からの援助で発展した事が親日の要因と言われている。


東南アジア

戦前世代には親日派は多くないとの事だが、戦後世代の中国の圧力に対する危機感が親日につながっているとの説がある。また、何事にもこつこつとやり遂げるベトナム人の人間性は日本人と似ているとも。 ベトナム中部のクアンナム省にある都市『ホイアン』 には、鎖国前、交易のあった頃に日本人によって作られたと言われ 、今でも現地の人に大切に使われている日本橋がある(世界遺産『ホイアンの古い町並み』の一部になっている)


日本とタイは修好120年、文化交流のみを含めると約600年の歴史ある長い関係である。日本皇室とタイ王室明治時代に遡るほど、(民間レベルでは鎖国以前の江戸時代初期に朱印船貿易で財を成し、当時のシャム王朝の発展に寄与した山田長政のような人物もいる。)古くから非常に親密な交流があり、日本の皇族は伝統的にタイを訪問している。

タイと天皇家にまつわるエピソードとしては、タイの食糧事情改善を目的に、魚類学者でもある陛下が皇太子時代に発案され50尾を送られた魚ティラピアの養殖事業の成功があげられる。ティラピアは同国では陛下の名をとって「仁魚」と名付けられている。

日系企業も数多く進出しており、外交面では現在、政治経済上の都合で中国にも接近しており、強かな外交を行っている。


昔はビルマと呼ばれていた国。

日本と同じく仏教徒の多い国である事や、日本の戦後賠償を含む金銭的サポートや日系企業の進出が要因と言われる。

なお、太平洋戦争時に、アウンサンスーチー女史の父でイギリス植民地からの独立に貢献し「建国の父」と讃えられているアウンサン将軍らを軍事教練してイギリス植民地だった同国に送り込んだりしているが、イギリスを退ける事には協力したもののビルマ独立の約束を守らなかった事からアウンサン将軍自身は抗日に転じたと言われる。こういったエピソードもありながら反日的な教育は行わず客観的な評価をしている点も親日の要因と言われる。


首都プノンペンにカンボジア日本友好大橋と言う橋がある国。

親日の要因としては、日本から無償・円借款含めて多額のODAが供出されている事や、国際連合カンボジア暫定統治機構の代表を務めた明石康が国内勢力の和平に尽力し、民主的な選挙のもとにカンボジア王国を再建した事があげられる。

また、中国等はODAの見返りを要求してくるのに対して日本は一切要求してこない為、逆に日本にお礼がしたいと言う気持ちが強く、親日感情につながっているとの報告もある。


アジアでは欧米文化の影響が強い国であるため、元々は親欧米の気風が強く、反日国であった時代が長い。第二次世界大戦においては親日派のホセ・ラウレルが日本軍の庇護のもとで独立を行ったが、フィリピン人の支持を得ることができず、巻き込まれて多くのフィリピン人が死亡し、国土は荒廃、日本軍はフィリピン人の恨みを集め、多くの日本兵が連合国側に立ったゲリラに殺害された。

80年代以降は日本文化の輸入が盛んになり、特にロボットアニメ「超電磁マシーンボルテスV」は大ヒットし、独裁政権が崩壊して民主化したのちに堀江美都子が国賓待遇で招かれた。


親日の要因としては、オランダの植民地からの独立に際しての旧日本軍の軍人有志一同(組織としての日本軍は「穏健な統治を心掛けていた時期もあった」が、「手ぬるい」との理由で程なく責任者が更迭されている。)の協力が上げられる。独立戦争時には、日本に帰国せずにインドネシア軍と共に戦って戦死した日本兵27名がカリバタ英雄墓地に埋葬されている。


南アジア

インドの日本との関係は、インドから中国・朝鮮を通って仏教 が伝来してから始まり、6世紀頃にはインドの仏教が日本に渡来した(もっとも、直接伝来したわけではなく百済を介して伝来したのだが…。)。

外交面では近年日本側には中国牽制のためインドへの期待が大きいが、インド側の日本への評価はそれほどでもない。

上海協力機構(外部リンク参照)にオブザーバー加盟している事からも判るように、インドは中国やロシアとの関係も重視しており、日本のいたずらに中国を敵視する姿勢についていけないが、日本の援助は当てにしているというのが実際のところ。


インドがイギリスから独立後に分裂した国の一つ。

綿花の一大生産地であった事から繊維業界が日本とのつながりが深く、日本からは投資と共に品質にこだわる事についても教えられたとの事。

また、車が右ハンドルな為、新車の9割は日本製で、そのうちの5割はSUZUKI製との事。これは同地に最初に車の輸出を行ったのがSUZUKIだからとの事で、同地ではタクシーの事をSUZUKIと呼んでいる。また、インドと同様に前述の上海協力機構にオブザーバー加盟している事から判るように独自の外交政策を展開している。


インドがイギリスから独立後に分裂した国の一つ。

親日の要因としては、同国第2代大統領「ジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナ」の存在は外せない。国連の財務担当として参加したサンフランシスコ講和会議において「日本の掲げた理想に独立を望むアジアの人々が共感を覚えたことを忘れないで欲しい」と演説し、スリランカの対日賠償請求を放棄した事で知られる。戦後の日本にも幾度にも渡り来日して日本とスリランカの交流に尽力し、亡くなった際は、遺言により左目の角膜を日本人に提供している。


インドがイギリスから独立後に分裂した国の一つ。国旗が日本やパラオと同じ形式である事でも知られる(2014年5月、国旗制定に関わった初代バングラデシュ大統領の娘であるシェイク・ハシナ首相により日の丸を参考にした事が明らかになった)。

同国へのODA出資額1位が日本である事、日本に出稼ぎに来る人が多く且つ日本にて親切にされた印象が強いと言う人が多い事等から親日的であると言われる。また、陛下の発案によりタイの食糧事情改善に貢献したティラピアが、バングラデシュの食糧危機の際に日本から50万尾送られた事がある。


一説には後述のパラオと並ぶ代表的な親日国と言われている。

親日の要因としては西岡京司の農業指導があげられる。ブータンの農業振興に大きく貢献した西岡は、ジグミ・シンゲ・ワンチュク前国王より、ブータン語で「最高に優れた人」と言う意味のダショーと言う民間人向けとしては最高位の爵位・称号を贈られ、現地で亡くなった際は、王室の命でブータンの国葬で弔われ、ブータン国民全員が喪に服した。


太平洋

アメリカの保護国から独立した南洋の島国。

日章旗に酷似した国旗が有名なせいか「日の丸を元に青い海と満月の国旗を制定した」と云うエピソードが一部ではまことしやかに語られるが、この国旗をデザインしたジョン・ブラウ・スキーボング氏は吹浦忠正氏(現ユーラシア21研究所理事長)との対談で前記の俗説を明確に否定している。(詳細はwikipediaの『パラオの国旗』記事及び吹浦氏のブログの該当エントリを参照されたし。)

親日の要因としては、第一次世界大戦の結果ドイツから日本の委任統治領となった後に、ドイツ統治時代にほとんど行われていなかったインフラ整備や教育の充実を30年間行った事(その為パラオに土着した日本語が多い)、第二次世界大戦時のペリリュー島での激闘(現地には舩坂弘氏らの尽力による神社が建立され、ニミッツ提督の言葉を刻んだ碑がある)、独立後に発生したKBブリッジの崩壊と日本の無償援助による「日本・パラオ友好の橋」の建設等がある。


日本からの技術供与やODAの他、皇室とトンガ王室とは深い友好関係にあり、国王や王族等の要人が頻繁に来日している。

また国をあげて日本の大相撲にトンガ人力士を送り込んでいた時期もある。


中央アジア

戦後のソ連抑留者により建設されたナヴォイ劇場が有名。劣悪な作業環境にあっても手を抜かずに予定より1年早く完成させた建物は、M5を記録したタシュケント地震にあっても倒壊しなかった事から、現地の人々の尊敬をうけており、現在はその功績を讃える碑が同劇場に設置されている。また、建設した日本人達の墓地が存在し、現地人達はソ連に墓地の更地を強要された時、それを断固として拒否し墓地を守り抜いた。


中近東

好きな民族第1位にたびたび日本人が選ばれる国で、イランイラク戦争の際にトルコ航空機でイラン在住の日本人を救出した話が有名。近年では、トルコで日本人殺害事件が起きた際にトルコ国民による前代未聞の“日本へ謝罪するデモ”が起こっている。

親日の要因としては、エルトゥールル号遭難事件 の際の日本人の無償の援助(和歌山県には慰霊碑がたっており、5年に1度追悼式典が執り行われている)や、その後に日本各地からの援助の寄付金を携えてトルコに渡った山田寅次郎による日本語教育や交流(山田の門下生にはトルコ民主化の英雄ケマル・アタチュルクがいたと言われる)がまず第一に挙げられる。またロシアからの圧力をうけていた時代が長く、日露戦争時に連合艦隊がバルチック艦隊を破った際は、自分達の如く喜んだとの事。


オマーンの事を日本の新聞が報じる事はほとんどないが、オマーンの新聞は日本の事を毎日報じていると言う親日国。

親日の要因の一つに、2014年現在の第14代国王カーブース・ビン=サイードの叔父にあたる第12代国王タイムール・ビン=ファイサルとその娘ブサイナ王女の存在があげられる。戦前、オマーン国王の身分を隠して来任したタイムールは、神戸のダンスホールで踊っていた19歳の大山清子と恋に落ち、国王である事を伏せていた事もあって清子の両親から日本に住む事を結婚の条件とされた為、帰国後、弟のサイード・ビン・タイムール・アール・サイードに王位を譲って再来日し清子と結婚。一人娘の節子をもうけた。なおタイムールがオマーン王であった事は、姪の誕生を聞いたサイード王が来日するまで隠されていた。しかし清子は23歳の若さで病で亡くなり、節子と共にオマーンに帰国。節子はブサイナ王女となった。清子の墓はタイムールにより神戸に建てられ、戦後に来日したブサイナ王女も訪れている。

オマーン王室は、タイムール、サイード、カーブースのを含めて三代にわたって来日しているが、これは中東諸国の中でも稀である。


親日の要因としては日本の技術力への評価がある。特に近年、軍事力による外交方針(積極的平和主義)を掲げる安倍晋三首相とネタニヤフ首相は政治的姿勢が似ていることから、急速に接近を強めている(そしてその反動として、従来親日色が強かったアラブ諸国に対日警戒意識を強めている)

また、「日本のシンドラー」杉原千畝による命のビザや、杉原の命のビザを携えてシベリア鉄道を旅してきた多くのユダヤ人を、ナチスドイツの警告を無視して救済した陸軍少将樋口季一郎の存在もあげられる。両者の名は共にゴールデンブックに刻まれている。ただし、外務省は当時ドイツとの同盟を何より重視していたため、杉浦を迫害し、戦後もそれは続いた。日本において杉浦の復権が果たされたのはイスラエルで表彰された後のことであることも忘れてはならない。


欧州

フィンランドに関する質問に気さくに応えてくれる駐日フィンランド大使館のtwitterが有名。エイラ・イルマタル・ユーティライネンの事も把握していた。

また、チーズのパッケージコンテストでイカ娘に侵略された事がある

親日の要因としては、ポーランド同様にロシア帝国の圧政下であった事が上げられる。


親日の要因と言われているのは、大正時代ロシア帝国の圧政下からの独立を画策するもシベリア送りにされたポーランド人の孤児達を、赤十字を通じて日本が救援しポーランドへと送り返した事で、それから70年以上が経過した後にポーランドの日本大使館に齢を重ねた孤児達が招かれた際は「日本に帰ってこれた」と涙を流して喜び、阪神淡路大震災発生後は、大正時代の孤児救出の御礼と言うかたちで被災した子供達30人がポーランドに招待されている。


日本がEU以外で最大の豚肉の輸出相手国である事や、デンマーク王室の料理長を務める日本人料理人近藤卓の存在が親日の要因と言われる。

なお、首都コペンハーゲンの観光名所である人魚姫の像のモデル(首から下)は、E・H・エリック岡田眞澄兄弟の伯母である。


ギネスビールとギネスブックで知られる国。

長年の敵であるイギリス嫌いが高じて、第二次世界大戦時にイギリスの植民地を解放したり、戦艦プリンス・オブ・ウェールズレパルスを撃沈した事を我が事のように喜んでいるらしい。要するにイギリスが嫌がる事をしたから味方と言うスタンス。第二次大戦時のアイルランドは中立で日本とは敵国の関係にはなかった事も一因と言える。


金融危機の際に日本が支援を表明した事が親日の要因と言われている。


中南米

世界で最も多くの日系人が暮らす国。日本からの移民の方々が農地開墾等の作業で汗を流した事や、ごまかしたりだましたりしない誠実さで現地の信頼・信用を獲得した事が親日の要因と言われている。


日本からの移民の勤勉さが良い印象を与えた事、そして、同国の食糧事情に大きく貢献した事が親日の要因と言われている。

パラグアイは昔、野菜を日常的に食べる習慣が無い事が原因で発生する壊血病により平均寿命が50歳に満たなかったが、そこにやってきた日本人が原生林を切り開いて農地を開拓し、野菜を生産して市場にでまわるようにした事でこの問題を解決した。日本人の開拓によりそれまで輸入に頼っていた小麦も日本人移住者の手により生産できるようになり、同国はその後、野菜の輸出大国となった。


明治時代に日本が初めて平等条約を結んだ国で、それ以前に他国と結んだ不平等条約改善の突破口となった。

親日になった要因と言われるエピソードがトルコと似ていて、1609年、日本は江戸時代初期の頃でメキシコはスペインの植民地だった時代に、フィリピンからメキシコに向けて出港したサンフランシスコ号が千葉県沖で遭難し、現地住民の尽力で317人が救助された。徳川秀忠そして駿府に隠居していた徳川家康は新たに船を建造して無事に送り届けたと言う話がメキシコで知られている(千葉県御宿に記念碑がある)。

第二次世界大戦時に日本に宣戦布告したものの、お隣りと違って日系移民や日系人を収容する事はなく、戦後、国連において日本との講和を提案し、サンフランシスコ講和条約にもまっさきに批准しており、1609年の日本人の献身は今もなお両国の懸け橋となっている。


日本がアメリカとガチンコ勝負した国である事、戦後に最貧国レベルから復活した事、フィデル・カストロと友好を結ぶ財界人が多い事、戦後もアメリカと同盟しながらも独立外交を行っている事が親日の要因と言われている。チェ・ゲバラが来日して広島を訪れた事があり、同国ではアメリカが広島と長崎に原爆を落とした事を教えている。


アフリカ

近年まであまり接点の無い国だったが、国際協力等で派遣された日本人の尽力により親日であるとの事。

なお、日露戦争時にバルチック艦隊がマダガスカルに寄港した際、日本に協力した的な話があるが、これは、当時マダガスカルでホテルを経営していた日本人や日本人娼婦による工作活動であって現地人は関与していない。


外部リンク

親日 - wikipedia


親日?反日?

古くから日本への強い反発心があるのは事実。近年は特に日本の一部の人々の常軌を逸した言動でギクシャクしがちではあるが、日本と韓国は、文化・経済・歴史のあらゆる面において、最も関係が深い国である。

悪く言えば切っても切れない腐れ縁と言えるかもしれないが、韓国の存在は日本の存在抜きでは語れないし、日本もまたしかり。他の国にも言えることだが、韓国は親日・反日と単純化した捉え方をするのは非常に危険である。

なお、特に近年は日本の側で韓国人への偏見が増大しており、他の「親日」国人の接近は無条件で歓迎するのに、韓国人が接近してくると、「下心があるに違いない」と嫌悪するようなダブスタも散見される(ちなみに、海外で日本人に対して詐欺を働くのは、現地の日本人が最も多い)。

また、近年日本のアニメーション製作において、NARUTOBLEACHジョジョの奇妙な冒険の作画監督を務めている韓国人アニメーターもいる。

余談だが、1997年にはロボットアニメ・「忍者戦士飛影」が「スーパ-K」のタイトルで放送されるなど、日本製アニメの人気も高い。 日本企業も多く進出している。


日本の文化自体が中国文化を基盤としている一面があり、また中国の近代化は日本の影響のもとで成されたため、中国なしでは日本は無かったし、日本無しでは(近代国家としての)中国は存在しないというほど、両国は特別な関係。


韓国同様に歴史的経緯の特殊さに加えて両国首脳陣が自身の失政を糊塗するためのスケープゴートとして互いに利用し合っている一面もあるが、貿易においては重要な「お得意様」であり、文化交流も今なお盛んである。


二十世紀中から「政冷経熱」の四字で評価されて来た両国関係は伊達ではないのだ



親日というよりはジャパンカルチャーオタクと言うべきかもしれないが、ジャポニズムの昔から親日家は多い(同時に反日的な人も少なくないが)。

テレビアニメ・「UFOロボグレンダイザー」が「ゴルドラック」のタイトルで放送された際には視聴率100パーセントの偉業を達成した回も存在する程の大ヒットを果たした。


同じ職人気質な特徴を持つ民族同士である事、大日本帝国憲法がプロイセンの憲法を元にしている事、第一次世界大戦時には敵同士だったが捕虜となったドイツ軍人達が、当時の国際条約での取決めを律儀に守った人道的な日本の収容所生活において「ビールの醸造」「第九」等の文化を伝えた事などのエピソードが喧伝され、日本人の間では昔からドイツびいきが多い。

しかし、上記のイメージはどちらかといえば日本の側からの「片思い」的な好意というべきであり、ドイツ側は、どちらかといえば主に工業製品関係での競争相手とみなしている。

特に2011年以降日本への印象が急激に悪化しており、福島第一原発事故の不手際の影響が大きいとみられる(ドイツは反原発の空気が強い)。


日本文化は大好きというロシア人は多いのだが、地政学的事情もあって政治的には反日的な国家と言える。


他国と異なる特殊な関係にあり、日本の事実上の宗主国的な立場。しかし太平洋戦争において、戦略上必須ではなかった原爆を日本に落としたのもアメリカであり、日本が受けた被害は他のどの国による被害よりも大きい。


元同盟国であり、皇室と王室の関係は現在も良好である。


江戸時代には欧州唯一の貿易相手国で、格闘技関連での民間レベルの交流は盛んだが、第二次世界大戦時にインドネシア等の東南アジアのオランダ植民地に攻め込み、オランダ人女性を従軍慰安婦にした「白馬事件」などの行為もあって、高齢層には日本の印象は良くない。



関連イラスト

しんにち!


関連項目

日本 感情

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