概要
プラント最高評議会議長ギルバート・デュランダルによって提唱された社会システム構想。
デュランダル曰く「究極の人類救済プラン」。
デュランダルは「戦争の原因は自身への不当な評価や現状への不満」にあると考え、「人は自分を知り、精一杯出来ることをして役立ち、満ち足りて生きるのが一番幸せだろう」という思想に基づき、このプランを導入することにより、効率的な社会システムの完成を目指していた。
監督の福田己津央は「ニート救済プラン」「遺伝子レベルのカースト制度」、福田の妻で脚本担当の両澤千晶は「挫折や失敗もなく、効率よく最短ルートで生きる手段」、設定担当の森田繁は「遺伝子の適正を最優先させれば不満も生じない、そういう社会を作ろうという計画」とも語っている。
作中の反応
その内容は、人間の遺伝子を解析する事による人材の再評価と人員の再配置である。
デュランダルは戦争の要因は自身への不当な評価や現状への不満であると考え、遺伝子の解析によって個人の適性や個性を見出し、その解析結果に合った職業に就く事で誰も不満を抱かず、争いも生まれない事を理想とした。更にはこれを世界規模で行う事で国家間の争いを失くす事も視野に入れていた。
生まれ持った「性格」「知能」「才能」「重篤な疾病の有無」を遺伝子解析で解明し、その情報に基づきその人間の特性に適した役割を与え、親のコネ等不正な手段で地位を手に入れた人間を蹴落とし、年齢や経験に関わらず、その職や地位に適した人間がその地位を与えられる事となる。ある意味では「徹底的な能力主義」とも言える社会構造を作り出す。
しかしこのシステムは基本的に強制である上、職業振り分けも遺伝子解析の結果のみで本人の実力や希望は無視される為、後天的な努力によって職業を得た人間はその職を追われる事に成る等、プランが実施された場合は徹底的に才能だけが重視される弱肉強食の世界となり、「職業選択の自由」は消滅すると言える。
事実ラクス・クライン達は「人々から決定権を国家が取り上げて管理する」「世界を殺すシステム」と断じ、アスラン・ザラも「そぐわないものは淘汰、調整、管理される」と予想していた。
ネオ・ロアノークは非人道的な扱いを受けていた強化人間エクステンデッドの3人を思い出していた。
そぐわないもの…遺伝子解析で「劣等」とされたものは「デスティニープラン」下ではどの様な扱いを受けるのか…。
また、キラ・ヤマトはスーパーコーディネイターとして数多の犠牲の上に生み出された自身の出自と重ね「望む力を全て得ようと遺伝子にまで手を伸ばしてきたコーディネイターの世界の究極」である、漫画『THEEDGE』内では「遺伝子で職業が決まるなら、より職業の適性の高い優れた人間を狙って製造する方向へと加速する」と危惧し、「未来を作るのは運命(遺伝子の適性)じゃない」「夢(願い・希望・欲望)を抱けないのは嫌だ」と反感を示した。
デュランダルもこのプランが急速な社会の変化をもたらす事から支持を得にくいと考えていたため、プラント内部でも極秘に計画を進めており、ブレイク・ザ・ワールド後の戦争を経て戦争の原因と断じたロゴス壊滅とロード・ジブリールの死をもって世界の気運が高まった段階で実施を公表した。当然ながらプラント・ザフト内には動揺が広がっている。
しかしプランの全貌が把握しにくい事と、コーディネイターには有利になる為明確な反対意見は出なかった。シン・アスカは迷いつつもレイ・ザ・バレルの言葉もあって、デュランダルに「俺もレイと同じ思いです」と半ば強制的に賛同させられている。
同時に小説版では「野球選手に成りたくて頑張ってきた人が、ある日突然『君の能力では無理だ。歌手に成りなさい』と言われて『はいそうですか』と納得出来るものだろうか」とこのプランの問題点を解り易く例えて考えていた。
発表後の混乱と結末
地球の各国家は突然の発表とマニュアル公布に混乱。以前(作中では第39話)からプランの詳細を掴んでいたクライン派やオーブ連合首長国は勿論、スカンジナビア王国も反対。
地球連合各国はロゴスに関わったと見做される政権関係者の暗殺やリコールが多発する混乱状態にある為、明確な結論を出せてはいなかったが、地球連合軍の一部はプランに反発してオーブとスカンジナビアの反対に呼応し、月面アルザッヘル基地の駐留艦隊が出撃した。
これに対してデュランダルは反対派を「人類の敵」とみなして修復したレクイエムを発射。まずは月面アルザッヘル基地とそこから出撃した地球連合軍月軌道艦隊を壊滅させ、更にはアルザッヘル基地にいた大西洋連邦のジョゼフ・コープランド大統領もこれに巻き込まれて死亡した(小説版では艦隊の出撃はコープランドの意思ではなかったようだが、連合を掌握できないどころか軍部の突出すら抑え込むことが出来ないコープランドをデュランダルは「小物」と侮って切り捨てている)。
この今までの穏健路線をも捨てた強硬姿勢が仇と成り、反対派はデュランダルとの戦闘を決断。オーブ軍宇宙艦隊、ザフト軍クライン派、更には壊滅した地球連合軍月軌道艦隊の残存戦力やその他の宇宙戦力が結集してビーム偏光ステーションや月面ダイダロス基地を攻撃。更には戦闘中にザフト内部でもプランに懐疑的だった者達の疑念が深まり、イザーク・ジュール達の離反にも繋がった。
その後のザフト軍はダイダロス基地周辺宙域に機動要塞メサイアを投入するなど大規模な戦闘に成ったが、最終的にダイダロス基地のレクイエムは完全破壊され、メサイアも大破してデュランダルが戦死。更にプランの要となるデータバンクが収められている要塞メサイアが破壊された事で、プランはとん挫した。
但し、一旦落ち着いたとは言え、ナチュラルとコーディネイターの戦争の危険が続いているSEEDの世界にとって、デスティニープランが間違っていたかは断言出来ない状況であり、メサイア攻防戦は言わば「自由=明日を捨ててでも平和を取る」か「次の戦争が起こる危険を残してでも希望と可能性を取る」という戦いであった。
上記の通りプランは否定されたが、見方を変えれば、この様な反発必至の策を取らなければいけない程に両種族間の「負の連鎖」が悪化しているということでもあり、これが次の戦争への序章に成ってしまうか否かは誰にも分からない。
また、民衆、特にナチュラル側からすればデュランダルに半ば騙された形に成ってしまっており、ロゴス壊滅により沈静化したブルーコスモスが活発化する危険がある。
幸いにして、ASTRAYシリーズ等のその後を描いた作品を参照する限り、地球連合とプラントは双方の体制は維持されている。小競り合い程度はあるものの、少なくとも本格的な戦争状態には成っていない模様である(未確認ではあるが、「戦争が泥沼化した」という説もある)。
※勿論、仮にデュランダルが勝っていてプランが続行され、反対勢力が弾圧されたとしても、更に人々の反発を招く可能性も十分にあり、平和どころか更なる混乱を生んでいたかもしれない。
因みに、このプランでは「才能のある人が高い地位を得られる」のでコーディネイターが圧倒的に有利な様に思われるが、遺伝子解析によって潜在的な素質も含めて評価されることによってナチュラルの側が寧ろ有利に成る可能性も否定は出来ない(実際パイロットとしてのラウやムウ、マリューの白兵戦能力、ノイマンの常軌を逸した操舵センスなどコーディネーターに匹敵するどころかより優れているナチュラルも存在する)様に思われるが、社会自体に全人口の適性を最大限活かせる枠が存在する訳では無く、コーディネイターはナチュラルよりも能力平均自体が高い上に、コーディネイターはプランに対応してナチュラル以上の“素質”を持った個体を作り出せばいい為、結果的に大半のナチュラルにとって不利な事には変わりない。
その為、プラント・ザフト内では明確な反対意見が出てこなかった。
それ以前に、コーディネイターで構成されたプラント側の社会の中では、「自分達(コーディネイター)がナチュラルより劣る事など、あり得るはずが無い」という優生学に基づいた差別意識の改革自体が全くと言って良い程改善が出来ていないという欠点もあった。
その為、「コーディネイターを上回る天才的な資質を持ったナチュラル」が現実に現れ、公平な選抜によって選ばれたとしても、プランの主導があくまでもコーディネイター側である以上、ナチュラル側は裏取引を疑われたり、それ以前に断固として受け入れ反対を主張するコーディネイター達が現れてもおかしくは無い。
更には、コーディネイターも世代によっては遺伝子調整を受けていなかったり、受けていても個人による能力差がある事はどうにもならない為、コーディネイター同士の間でも遺伝子操作を妬みや蔑みが生まれ、対立が生じ合う可能性もある。
遺伝子操作の有無で終末戦争になりかけた世界ではやはり劇薬のようなものかもしれない。
問題点
- 需要と供給の問題
デスティニープランは劇中では実現しなかったが、仮に実行されて、人が皆自分の才能を生かせる分野へ進める様に成ったとしても、それで戦争が無くなるかと言われれば疑問符が残る。
例え最も才能の優れた分野に進めたとしても、その中で優劣が着かない訳ではない。例えばサッカー選手の才がある者が23人いたとして、幾らサッカーに関して他の人物の追従を許さない才能を持っていたとしても、23人の内1人は試合に参加出来ず、日の目を見られない。
しかもその1人は、既にこれ以上無い才能に好条件の訓練を受けた果てである為、これ以外の伸び代は期待出来ず、最早別の道を選ぶ事も許されない。つまりその1人は実力でのし上がる術が無く、一生日陰者でいるか、非合法な手段に出るしかない。
つまり、遺伝子の適性を見極めたとして、完全完璧に天職を見つけられたとしても、その天職の「雇用の需要と供給」が適正かどうかは別問題なのである。
例え一番自分を生かせる分野にいたとしても、人の承認欲求には果てが無く、勝ちたい、上位に進みたいと言う欲望がある限り、デスティニープランは広い視点では争いを抑制しても、狭い範囲では寧ろ人の争いを悪化させてしまう…のかもしれない。
特に、上記の通り絶対に実力で勝てないのなら最早物理的に引き摺り下ろすしかなく、究極的に言えば「上に行くほどより多くの人間に生涯癒えぬ傷を負わされるか、最悪殺される」恐怖に怯える羽目になる。
どんなに優れた才能を持っていようと、人が人である限り、頭に鉛玉をぶち込めば死に、死ねばなんの能力も発揮できないのだから。
天職を見つけられたとして、まさしく上記のサッカー選手の例のように、その職業ではすでに人員が過飽和した状態だったら?
或いは逆に、例えば「サッカー選手向きの人間は100チーム作ってもあまりあるほどにいる」が「野球選手向けのチームは10チーム作ってギリギリ」なんて状況に陥ったら?その上で「サッカーチーム監督は5人しかいないのに野球チーム監督向きは1000人居た」ら?
そしてその職業がスポーツ選手ではなく社会の維持に必要なもので、薬剤師はいるのに医者がいない、或いはその逆だったりして「遺伝子適性が誰にもないので誰もやらなくていいです。こんな職業消えていいです」なんて話も通らなかったとしたら? 要は、遺伝子適性を無視し、無理矢理にでも誰かにやらせるしかない職業が現れたら?
当然それは、遺伝子適性以外のことを理由にして誰かをその職に就けたり、外したりしなくてはならないというケースの発生を意味する。
可能性は低いかもしれないが、その職業が求める遺伝子適性というものを、コーディネイターでさえ誰もろくに備えていないような職業があったなら?それは要らないのか?そうはならないだろう、事実としてその職業が「今ある」以上必要という事なのだから。
- 新たな職業に対する対応
また、逆に「新しい職業」が湧いてきたらどうなる?
例えば現実世界の例を出せば大谷翔平の例が分かりやすい、野球の世界はそれぞれのポジションに専念した練習をするのが当然、投手は投手、他は野手、と隔絶していたが、彼の登場から新しいルールが新設される等「二刀流」という新しい「職業」が産まれたのである。
もし仮にそうなったらまた新しく適性検査し直すのだろうか?
上記の例ならまだ良い、「野球選手」に振り分けられたものだけを検査すれば良いのだから
万が一まったくの新ジャンルだった場合文字通り全世界の人間を検査し直す必要が出てくる。
そして万が一医者が「医者」より更に新しい職業への適性が高いと言われたらどうなるのか?医者を辞めて知りもしないジャンルにいきなり転職させられる事になるのだろうか?
それが低賃金職だったらどうなる?普通なら「世界一向いている低賃金職」より「世界二の高給取り」で居たがるだろう
仮に国家主席だったら?国家の方針も何もかも変化して大混乱が発生するだろう。
何よりこうやって再検査によって強制的な別ジャンルへの転職をさせられるとなったら、それまでプランに従って真面目に受けていたはずの訓練の全て、あるいは大半が無駄になるということを意味する。
極論、プランに従って職業を選択し、その職業に絞ったスキルアップを重ねてきた者が、定年間近の老境に差し掛かった段階で、新しく生まれた職業のほうが遺伝子適性が高いからという理由でいきなりろくな訓練も積んでいないジャンルへの転職を強いられたとなったら、少なくとも前の”天職”に比べてより良い成果など出せる訳がない。だって訓練をしていないのだから。
他ならぬデスティニープラン自体のせいでそうなるのだ。
つまり、この「遺伝子適性による転職」は、非効率以外の何物でもないということになる。
ここで効率を求めるならば、遺伝子の適性よりも、それまでの訓練による努力値と、職歴による経験値を優先せざるを得ない。
そしてそこでその柔軟性を発揮してしまうと「世界一向いている職業でなくてもいいから自分はこの職業に就きたい」という職業選択の自由が発生することとなり、それはつまりデスティニープランの前提自体の崩壊を意味するため、それは到底受け入れられない。
「コレまでの経験値も今の実力も年齢も何もかも無視して生まれ持った才能だけで全てを判断するような、効率的非効率を断行する」か「本末転倒な特例を組み込みデスティニープランの存在意義を失わせる」必要が出てしまうのである。
デスティニープランは今ある世界の維持には向いているかもしれないが、以降の進歩に非常に弱いのである、考えていないと言って良い
- この問題を根本から解決するには、「人口と雇用の調整」が不可欠であり、何らかの人口調整政策がデスティニー・プランに組み込まれる可能性がある。それはプラントの法である婚姻統制や、出産数の制限の可能性が高いのだが…。
- 遺伝子上の問題
また一口に遺伝子と言っても生まれた時から発現しているものと、まだ眠っている潜在的なものの二種類が存在しており、後者の方は取り巻く環境や本人の生活スタイルによって発現するか否かが決まってくる。
例えば遺伝子上は野球選手の適性が有ったとしても、適切な食事や練習が出来ない環境ではその能力は発現しない。仮にプランの導入によって適切な環境が確約されたとしても、そう言った潜在的な遺伝子が確実に発現するとも限らない。
また、持っていたとしても「持っているだけ、実は生涯発現しない遺伝子」も多数存在する(所謂潜在遺伝子、旧名劣勢遺伝子)。
遺伝子による適性と本人の望む職業に齟齬が生じた場合にも不満が生じる。
その場合、双方に適性のある職業がきちんと割り当てられる仕組みならば、不満が生じるのを抑えられるかもしれないが、そういった説明は本編中には無く、そういった性格的なものを遺伝子から読み取るのは不可能である。
それこそ世界一の名医になれる程手術医に向いていても血を見ただけで卒倒する者に手術は不可能であろうし、世界最高のスイマーになれるとしても水中そのものが苦手ならそもそも顔を水につける事すら怖がってしまい話にならない、とにかく自己中なものにレスキュー隊員のような利他職業は向かないなど挙げるだけでキリがなく、能力だけで適性を見つけるのはやはりかなり課題がある。
また人によっては天が二物を与えるという言葉がある様に、最も高い適性を持つ天才が複数同時に生じる場合も考えられ、その場合どう判断するのかも不明である。
そして天才の子どもが天才とは限らない様に、親は優秀だったが本人には才能が無く、親や知り合いのコネを使って組織の重鎮に納まっているタイプの人間の場合、このプランが導入される事で地位や権力、果ては職を失う事にも成り、そういった人々からの反発や、それに伴う大規模な社会的混乱も必至である。
- 実際に「カガリの適性を調べられた時に政治家に向いていないと出たら国の存亡に関わる為、オーブは強制力の有無に限らず即時に真っ向から反対せざるを得ないからフェアではない」とデュランダル肯定側からもプランへの批判的な意見が出てしまっている。
一番どうしようもないのが後天的な事故や病気による身体の欠損・麻痺、トラウマ・ストレス、鬱等によって働く事が困難に成る場合である。
その場合、どうなるのかも不明。
製作スタッフ(福田監督)によると、あの世界の場合(デュランダルのやり方では問題があり、演出の都合でプランを間違ったものだと描いたと前置きした上で)プランが導入されれば戦争は無くなっていたとインタビューによって回答されている。
- やり方がダメなだけでプランそのものは一理あるものとしている、「支持者だけでやって周りに羨ましがらせれば勝ち」なのである、実際コーディネイターの技術はその様に広まったのだから。しかもコーディネイターと異なり生き方の話である為、「生まれたときから既に詰んでいる」という事態が起きず、若ければ若いほど将来より優れた方向に成長出来る。
一見、このプランのみで人類から憎しみや争いを無くすというのは困難である様に思われるが、このプランはアスランが述べたように異端者の排除が前提にある為、平和な社会・世界を脅かす思想を持った異端者を排除する形で戦争を抑止すると考えられる。実際、作中でもプランに反対を表明して各国首脳と議論を重ねていたオーブをレクイエムで滅ぼそうとしている。
また、プラン自体はデュランダルがメンデルコロニーの研究施設に勤めていた時から草案が練られていた様で、デュランダルの同僚と思わしき人物のノートには、「デュランダルの言うデスティニープランは、一見今の時代有益に思える」という前置きをしながらも「だが我々は忘れてはならない。人は世界の為に生きるのではない。人が生きる場所、それが世界だということを」と後書きされていた。
- 遺伝子だけでは決まらない人間の性質
また、キラがわかりやすいが(最早不可能とは言え)市井に紛れているキラは「宿題をサボり、アスランに泣きつくほど怠惰」で、今でこそ趣味になっているプログラミングも「その才能を見抜いたサイが故意に課題を増やし押し付けて無理矢理レベリングした結果」であり、そうでなければ手すらつけなかった事がわかる。
そんな人間にある日突然「あなたは世界最強のMS戦士になれる才能があります、さあ武器を取って戦いましょう」などと言って無理矢理戦わせ、殺さなければ死ぬ状況に追い込んでまで無理矢理レベリングしたらどうなるかはSEED序盤からオーブに着くまでのキラの憔悴と、戦後のPTSDを見れば容易に想像できるであろう。
"遺伝子的に殺し合いに向いている"からと言って"性格的に殺し合いに向いている"かは別の問題である。
前述の通り、血が苦手な人間は手術医にはなれず、水が怖い人間は水泳選手にはなれないのだから。
- 努力という概念の放棄
上述の人間の性質に付随する形になり、他の項目でも言及された形であるが遺伝子で最適な職業につける以上は努力の必要さえほぼなくなってしまう。
酷く極端にあげてしまえば、「自分は最高の演奏家になれる遺伝子があるから、努力しなくていい」とその遺伝子にある才能に胡坐をかいて「その才能の維持や向上させる」という発想自体できなくなって、思考停止状態に陥る危険性がある。これ自体は作中での「デュランダル議長だから正しい」というシン・アスカを筆頭とした地球圏全体のデュランダル支持者が陥った、他力本願で無責任同然の状態とほぼ同じ。
学校のテストで例えれば、100点を取れる才能があるのに、努力をやめて90点で満足して勉強をやめ、残りの10点を取ろうとしなくなる。これがより悪化すれば、勉強をさぼり続けた結果、90点が0点になっても遺伝子に胡坐をかいたまま自分の怠慢を認めようとしないという堕落と腐敗に陥りかねず、プランが絶対視される社会ではそれらの是正や回復さえ困難な事態になりかねないのである。
つまり、いくら才能があろうがそれらを維持したり伸ばす環境や教育、本人の意志の有無は適性が分かったところでどうにもならないのである。
- 何を重視するかで「職業適性」も変わる
デスティニープラン下では、ナチュラルもコーディネイターもその遺伝子の特性を見出だされ、「有能な者が上に立ち無能な者は追い落とされる」…とされる。
しかし、『機動戦士ガンダムSEED』に登場するナタル・バジルールはアークエンジェルの搭乗員で、ザフト軍の襲撃に遭遇し艦長以下が戦死したことにより、同艦の副長兼CICの統括を務めた。ナタルは優秀だが任務遂行を最優先とする典型的な軍人で、情による判断が多い艦長のマリュー・ラミアスとは、対立が絶えなかった。
一方、『機動戦士ガンダムSEEDDESTINY』に登場するアーサー・トラインはミネルバの副長を務めている事実、有能な人物であるのに間違いないのだが、良くも悪くもお人好しで気の抜けた面を晒しているせいか艦長のタリア・グラディスからは呆れられている。
しかし本編後のドラマCDでは、タリアの遺児のウィリアム・グラディスの傷ついた心(傷付いた原因はデュランダル)をケアしたり、ミネルバ隊を裏切って脱走しミネルバのエンジンを撃ち抜いて撃墜させたアスラン・ザラに対しても恨み言一つ言わず「お互い生きてて良かった」と言えるかなり人間ができた人物である。
さて、副長としての適性が高いのはどちらだろうか?
艦長との相性にもよると言われればそれまでだが、果たして「遺伝子解析」のみでアーサーの様な縁の下の力持ち的な『人間関係を円滑に出来る』才能まで見出だすことができるのだろうか?
余談だがガンダムシリーズのゲームであるGジェネレーションには
アーサーが出るまで既存のシステムに『副艦長』という役職が明確に追加される事は無かった。
―導入方法について
完全に遺伝子で全てを管理するという方法ではなく、例えば水泳選手の才能以外にも他のスポーツでも高い適性を持つ遺伝子を持つ人間がいた場合。
「あなたの遺伝子ならば、水泳選手が最も高い適性があります。しかし、野球やバレーボールでも高い適性があります。それ以外にも、あなたの遺伝子で向いている職業をこちらにリストアップしています。」
このような形で才能のある職業を紹介し、それらに基づいた訓練を受ける教育システムを設けていればまだ違ったかもしれないだろう。
しかし、結局のところそうしたところで適性の優劣で順位が決まってしまう以上はやはりコーディネイター同士でも軋轢を生み、リストアップした職業のどれもなりたくないと断られてしまえばそこで止まってしまう。
適性を教えるだけならばまだ違ったかもしれないが、人間が感情の生き物である以上は完全にレールの上を走らせることができない問題点が浮き彫りになってしまう。
デスティニープランと婚姻統制
デュランダルの「デスティニープラン」の目的は全人類に「初めから正しい遺伝子の定め」を提供し、人類すべてに正しい道を提示することであった。
しかしそれは全人類に、「遺伝子の定めの婚姻統制を強いる=デュランダルの過去の苦しみを大勢の他人にも味わわせる」ものではなかったのか?…という疑惑がある。
(詳しくはギルバート・デュランダルとタリア・グラディスの記事を参照。)
最も、いきなり地球上の国家にプラントの法である「婚姻統制」を強制したら大反発は間違いないので、デスティニープラン導入後、頃合いを見て「少子化対策」「人口と雇用数の調整」を理由にデスティニープランに婚姻統制を組み込む予定だったのかもしれない。
もっとも、「そもそも婚姻統制に本当に少子化対策効果があるのか?」「子宝に恵まれぬ夫婦は不幸という決めつけは人権侵害」「コーディネイターはともかくナチュラルがやるメリットがない」という問題はあるのだが…。
ASTRAYシリーズでは
火星にあるマーズコロニー群、その中の1つでありΔASTRAYの主人公、アグニス・ブラーエ達の出身であるオーストレールコロニーでは必要とされる職業に合わせたコーディネイターたちで構成されているという、まさにデスティニープランと言えるものがある。
しかしながらオーストレールの場合「そのレベルまで効率化しないとやっていけない」「妬み嫉みで争ったら双方死ぬ」程過酷な環境が故であり「成功例か?」と問われると怪しいものがある。
そして、地球での出会いや戦いを通じて成長したアグニスは、人の思いの力は遺伝子を超えて進化できると考えるようになり、デスティニープランを否定した。
そもそも、火星では実例がなかったとはいえ適性があれば遺伝子の枠組みの外にある転職も建前としては認められている。
ここだけでも、デスティニー・プランとは大違いであり実際に人間関係の調停役として遺伝子操作を受けて誕生したナーエ・ハーシェルは補佐役としての才能を見たアグニスが自分の副官に抜擢している。デスティニー・プランの元では、これさえ許されないのである。
スーパーロボット大戦では
基本的には主人公勢力はこのプランと敵対する事になるが、他作品のネタを絡めたアレンジが加えられている。
スーパーロボット大戦Z
『スーパーロボット大戦Z』では黒歴史の遺産の一つとして「ニュータイプに覚醒する可能性を持った人物を探し出す」という目的の為にプランが流用され、遺伝子的に不適応と判断されたフロスト兄弟が人類に憎悪を抱くきっかけと成った。
また第3次Z天獄編ではプラント国防委員長となったレイ・ザ・バレルがこのプランの真の目的は「御使いに立ち向かう為にSEEDの素質を持つ人間を探し出し、クロノ保守派から守る為」であったと説明された。
スーパーロボット大戦L
最も大胆な解釈が行われた『スーパーロボット大戦L』ではバジュラやクトゥルフといった宇宙からの勢力への対策の延長上として提唱される。
「SEED能力の持ち主の発見」「人間のゼントラ化」の為にプランを用いて、そういった人間達を集めて地球を防衛する組織を作る対異星人戦略の延長線として提唱されている。
またこの政策によって「遺伝子だけで人間の適性が決まるのか」という問題点が解決されている(人間のゼントラ化は完全に遺伝子で決まる為)。
この他にも、作中の敵勢力の中でも特に大きな「統一意思セントラル」という「エネルギー問題を解決する為に徹底的な効率化を図った結果、個々人の自由意思を完全に消滅させ全人類を単一の意識の基に統一・システム化したもの」、デスティニープランを極限徹底的に突き詰めた様な政策を行っている。
彼らは一切の無駄を切り捨てて人類を均一化するが、それはそれとして新たな可能性を見出せる突出した能力を利用しようとする意志はある。
これに真っ向から軍事力で今すぐ対抗する事は難しいと考えたデュランダルはそこに漬け込み、セントラルへの協力体制を装いながらカウンターの準備が出来る苦肉の策として、デュランダルは遺伝子解析による戦力の発見というプランを考え出したのだった。
今作ではシン等デュランダル側についた人間達は多数の仲間に助けられて自らの意思で進む道を決めている為、ザフト軍のメンバーも全て自軍部隊に残留してデュランダルと敵対し、デュランダル側に付いたのはレイのみとなっている。
「LOTUSを懐柔するために送り込んだミネルバが逆に取り込まれるとはな。彼らは…特にシンは私の考えに共感してくれると思っていたのだがね…」とはデュランダルの弁。
ミネルバ艦長タリア・グラディスは我が子の自由な未来を守るために「母」として「元恋人」のデュランダルと決別の道を選ぶ。(テレビアニメ本編でもそうするべきだったという言葉は禁句である。)
時系列は少し前になるが、「エンジェルダウン作戦」では交渉決裂の末やむを得ずミネルバとアークエンジェルが戦うことになるが、タリアは乱入してきた外敵クトゥルフに対抗するためにアークエンジェル側と示し合わせてアークエンジェルの轟沈を偽装した。ミネルバ隊の獅子身中の虫状態となったレイはその偽装をデュランダルに告げる。
しかし今作におけるデュランダルはこういった外敵への脅威の為にアークエンジェルをわざと見逃すなど全人類の為を真に考えた行動を取る人物に成っており、例え敵対してもなおプレイヤー部隊から最後まで説得を試みられる等、上述のプランの背景もあり、デュランダルおよびデスティニープランそのものはそこまで敵視されておらず「人類の未来を憂う者として一定の理解が出来るし、他に取れる方法がなかったのも分かるが、主義主張の違いから止むを得ず対立しなければならなかった相手」と成っている。
メサイア攻防戦で一人死亡したと思われていたデュランダルだったが、最終決戦にてネオスゴールドにメサイアの巨大質量で特攻を行い戦況をひっくり返す。
「元恋人」のタリアに「死ぬ前に君の役に立ててよかったよ」と告げ、デュランダルは壮絶な最期を遂げた。
スーパーロボット大戦SC2
『スーパーロボット大戦SC2』もこれまた大胆なアレンジが為されており、此方ではデュランダルの協力者であるシロッコのクローンによる何万という軍勢で外宇宙の驚異に対抗するといったものである。数年でクローンが成体に成るまで成長し、教育も同時に行えるだけでなく、レイやクルーゼが長く生きられない「テロメアの欠損」も克服しており、自軍部隊を撃破した暁にはマクロスや特機群を運営しようとしていた。尤も、その場にいたレイにこの計画の全容を聞かれてしまい、結果的にレイに銃撃される形で頓挫してしまった。
スーパーロボット大戦UX
原作終了後の世界観である『スーパーロボット大戦UX』ではシンが皆城総士に「かつて実行されようしたが、その思想は人々に受け入れられなかった」とプランについて語っている。
またシンは生まれながらにしてファフナーのパイロットと成る運命にある竜宮島の子供達をデスティニープランと重ねており、「人は生まれながらに生き方を左右されたりはしない」と暗にデスティニープランを否定している。
スーパーロボット大戦V
『スーパーロボット大戦V』では敵対組織である超文明ガーディムはかつて徹底的な管理体制を敷く文明体制ゆえに自身の文明を滅ぼした話を聞かされたアスラン・ザラがデスティニープランを連想している。
余談
- 現実のドイツにおいては、日本で言う小学校ぐらいの段階で早々と大まかな進路が決定されるという制度があり、類似点が指摘されることがある。
- とは言え、あくまで「大まかな進路」が定められるだけでそこから先は自由だし、その大まかな進路に逆らうことが許されないなんて事は無い(ドイツはEUに属していて、EUは加盟国間の移動が自由なので、ドイツ語を公用語とする他EU諸国に移住して進路を蹴っ飛ばすのも大いにアリである)。更に言うならその進路を正しいと決定づける根拠も何処にも無い。デスティニープランの特徴である「不自由さ」や「容赦の無さ」はドイツの教育制度には無いと言えるのだろう。
- 他作品においてもデスティニープランと似た様な社会システムが完成した世界が描かれており、実際にアスランの言う「そぐわないもの(他作品で言うなら犯罪係数という数値の高い者、M型遺伝子異常者)」が隔離或いは即時処刑されたりといったことが日常茶飯事となっている。システムではないが才能ある者を支援する機関があった作品では本人が望むことと、才能が異なったために強制され苦しむというものもあった。
- 福田監督が過去に制作にかかわり、ガンダムSEEDシリーズにも複数の影響を与えた『機甲戦記ドラグナー』のOPテーマ、夢色チェイサーは歌詞にある「決められた道をただ歩くよりも 選んだ自由に傷つくほうがいい」は本プランとその結末を指していたとも言える。福田監督の過去作品のGEAR戦士電童のラスボスである管理用コンピューターが暴走したガルファ皇帝や本作の次に制作に関わった『クロスアンジュ』のエンブリヲなど、監督の作品では人々の自由意志を奪う管理社会を目的とするキャラが登場し打倒するべき存在として描かれている。
- 現実問題として、外国人技能実習制度はデスティニープランの問題点としてあげられる「転職できないため、運悪くいじめやパワハラの標的にされても耐え抜くしかない」という点が社会問題化している。(2023年にはこれらの転職制限を取り払う制度改正が検討されている。)地球連合軍時代のキラ・ヤマトはナチュラルの友人達の無意識下の偏見や、遺伝子的に優秀なコーディネイターであるため過大な負担と期待を押し付けられ、しかもコーディネイターであるから「出来て当然」と見なされて苦しんでいたことを思えば深刻な問題点である。
- 『DESTINY』の放送と近い時期に発売され(主に売上で)ネタになったゲームの『オプーナ』の舞台のランドロール星も出生後の遺伝子検査で将来が決められる世界で、福利厚生はしっかりしているが水恐怖症なのに検査でダイバーと診断され泣きながら水に潜る練習をする子供や、戦士と診断されながらも戦いが嫌いで幼稚園を卒業できない老人などのシステムの歪みによる犠牲者が描かれており、デスティニープランが実行された世界だと当時は話題になった。
関連タグ
貧富の差、カースト、人種差別、学歴社会、職業差別、外国人技能実習制度:ある意味、現実世界におけるデスティニープラン。
いじめ、パワハラ:「遺伝子によって職業が決められる=転職出来ない」ことによって社会に流動性が無くなりこれらの問題が深刻化する恐れがある。
ジーンシャフト:2001年wowow放映のオリジナルアニメ。「遺伝子で職業が決まるなら、より職業の適性の高い優れた人間を狙って製造する方向へと加速する」が実際に行われ、完遂した、つまりデスティニープランが実現したと同時にキラの危惧が現実化した世界が舞台。
マン・オブ・スティール:デスティニープランと似た様なシステムが登場する映画。作中に登場するクリプトン人(一部を除く)は逆に職や地位に合わせて設計されたデザインベビーであり、コーディネイターとデスティニープランの特徴を併せ持った社会と言えるが、人間特有の栄枯盛衰で最終的に滅亡した。
『機動戦士ガンダムSEEDDESTINY』以降の時系列によるデスティニープラン
デスティニープラン提唱者であるギルバート・デュランダルは死んだ。しかし、デスティニープランは彼の手を離れて「後継者」を自称する者達によって利用されていく。
『天空の皇女』
フェアネス「もう一度お尋ねします それは「悪」ですか?」
『DESTINY』のその後を描いた天空の皇女の登場人物、フェアネス・ツヴァイクレが世界を支配する政策として、デスティニープランを復活させようとしたことが終盤で明らかになる。
ただし、デュランダルの掲げたそれと全く同じではなく、遺伝子解析を強制的にさせるのではなく、自分の意思で受けてもらうという言葉だけ見ればよりよくなったように見えるが、フェアネスは全人類に受けさせようとしているのか、裏で自分の意思でやったと思わせるよう誘導しようとしていた。この行動にカーボンギナは影の支配者による恒久平和と評する。
順調に進むと思われたその時、彼に思わぬアクシデントが発生する。フェアネスの遺伝子解析を受けた『天空の皇女』の主人公、ラス・ウィンスレットの自身の特性ともいえるものは遺伝子以外の要因で手に入れたことが判明、アグニスが言ったことがデータと言う形で証明された。
最終的にASTRAYシリーズのエース級勢ぞろいであり、この戦いのカギを握るレアメタルΩの質量的にも圧倒的な不利だったフェアネスが勝利したことで、彼は自身の負けを認め、人は遺伝子を超える力を持っていること、人の強い思いが未来を切り拓けると信じるようになった。
以下劇場版『機動戦士ガンダムSEEDFREEDOM』ネタバレ注意
『機動戦士ガンダムSEEDFREEDOM』
この社会構築システムが視聴者に提示されてから20年近い時間が経過した2024年に公開の劇場版『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』にて、かつて計画立案に携わっていた危険人物率いる新たなる敵が後継者として名乗りを上げる。
もっとも、それはデュランダルの思い描いていた構想とはかけ離れた強烈な優生思想による支配的な生命選別に過ぎず、デスティニープランが孕んでいた人の心の自由を無視する限界と欠陥も改めて暗示されることとなった。
後ろ向きとは言え少なくともナチュラルとコーディネイターの融和、戦争の無い平和な世界を求めたデュランダルが見たら鼻で笑うより怒りを覚えただろう。
もっとも、デュランダルも「プラントのルール」を絶対視していた節があり、同じ「デスティニープラン」でも結局は愛国心やイデオロギーによってブレが出てしまうものなのかもしれない。
さらには、「異端のアコード」が秘めていたものが「人間を成長させるチャンス」とも言えるものであったため、異端の存在を認めない(多様性が無い)ことが人間の自主的な成長を奪い、果ては種の滅亡を招くという「デスティニープラン」その物が持つ危険性も明らかになった。