曖昧さ回避
「デスティニープラン」とは、
- 『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』に登場する社会思想。
- 上述の言葉を馬名の由来とした日本の競走馬。19世代。⇒デスティニープラン(競走馬)
ここでは1について解説。
概要
プラント最高評議会議長ギルバート・デュランダルによって提唱された社会システム構想。
デュランダル曰く「究極の人類救済プラン」。
デュランダルは「戦争の原因は自身への不当な評価や現状への不満」にあると考え、「人は自分を知り、精一杯出来ることをして役立ち、満ち足りて生きるのが一番幸せだろう」という思想に基づき、このプランを導入することにより、効率的な社会システムの完成を目指していた。
監督の福田己津央は「ニート救済プラン」「遺伝子レベルのカースト制度」、福田の妻で脚本担当の両澤千晶は「挫折や失敗もなく、効率よく最短ルートで生きる手段」、設定担当の森田繁は「遺伝子の適正を最優先させれば不満も生じない、そういう社会を作ろうという計画」とも語っている。
作中の反応
その内容は、人間の遺伝子を解析する事による人材の再評価と人員の再配置である。
上記の通りデュランダルは戦争の要因は自身への不当な評価や現状への不満であると考え、遺伝子の解析によって個人の適性や個性を見出し、その解析結果に合った職業に就く事で誰も不満を抱かず、争いも生まれない事を理想とした。更にはこれを世界規模で行う事で国家間の争いを失くす事も視野に入れていた。
生まれ持った「性格」「知能」「才能」「重篤な疾病の有無」を遺伝子解析で解明し、その情報に基づきその人間の特性に適した役割を与え、親のコネ等不正な手段で地位を手に入れた人間を蹴落とし、年齢や経験に関わらず、その職や地位に適した人間がその地位を与えられる事となる。ある意味では「徹底的な能力主義」とも言える社会構造を作り出す。
しかしこのシステムは強制である上、職業振り分けも遺伝子解析の結果のみで本人の実力や希望は無視される為、後天的な努力によって職業を得た人間はその職を追われる事に成る等、プランが実施された場合は徹底的に才能だけが重視される弱肉強食の世界となり、「職業選択の自由」は消滅すると言える。
事実ラクス・クライン達は「人々から決定権を国家が取り上げて管理する」「世界を殺すシステム」と断じ、アスラン・ザラも「そぐわないものは淘汰、調整、管理される」と予想していた。
ネオ・ロアノークは非人道的な扱いを受けていた強化人間エクステンデッドの3人を思い出していた。
そぐわないもの…遺伝子解析で「劣等」とされたものは「デスティニープラン」下ではどの様な扱いを受けるのか…。
また、キラ・ヤマトはスーパーコーディネイターとして数多の犠牲の上に生み出された自身の出自と重ね「望む力を全て得ようと遺伝子にまで手を伸ばしてきたコーディネイターの世界の究極」である、漫画『THE EDGE』内では「遺伝子で職業が決まるなら、より職業の適性の高い優れた人間を狙って製造する方向へと加速する」=「人間を工業製品やパーツ同等として扱う様になる」「より社会的に優遇される職(医者や政治家など)への適性をコーディネイトする様になる」と危惧し、「未来を作るのは運命(遺伝子の適性)じゃない」「夢(願い・希望・欲望)を抱けないのは嫌だ」と反感を示した。
デュランダルもこのプランが急速な社会の変化をもたらす事から支持を得にくいと考えていたため、プラント内部でも極秘に計画を進めており、ブレイク・ザ・ワールド後の戦争を経て戦争の原因と断じたロゴス壊滅とロード・ジブリールの死をもって世界の気運が高まった段階で実施を公表した。当然ながらプラント・ザフト内には動揺が広がっている。
しかしプランの全貌が把握しにくい事と、コーディネイターには有利になる為プラント側では明確な反対意見は出なかった。シン・アスカは迷いつつもレイ・ザ・バレルの言葉もあって、デュランダルに「俺もレイと同じ思いです」と半ば強制的に賛同させられている。
同時に小説版では「遺伝子情報に基づいた徹底的な能力主義。それで潜在能力を見いだされ、引き上げられる者はいい。だが浮かぶ者がいる以上、代わりに沈む者だっているはずだ。」「もしかしたら、適性がないにもかかわらず、懸命に努力して上りつめた者も、せっかくつかんだ地位からふるい落とされることだってあるかもしれない。」「ずっと野球選手に成りたくて頑張ってきた人が、ある日突然『君の能力では無理だ。歌手に成りなさい』と言われて『はいそうですか』と従えるものだろうか?」とこのプランの問題点を解り易く例えて考えていた。
発表後の混乱と結末
地球の各国家は突然の発表とマニュアル公布に混乱。以前(作中では第39話)からプランの詳細を掴んでいたクライン派やオーブ連合首長国は勿論、スカンジナビア王国も反対。
地球連合各国はロゴスに関わったと見做される政権関係者の暗殺やリコールが多発する混乱状態にある為、明確な結論を出せてはいなかったが、地球連合軍の一部はプランに反発してオーブとスカンジナビアの反対に呼応し、月面アルザッヘル基地の駐留艦隊が出撃した。
これに対してデュランダルは反対派を「人類の敵」とみなして修復したレクイエムを発射。まずは月面アルザッヘル基地とそこから出撃した地球連合軍月軌道艦隊を壊滅させ、更にはアルザッヘル基地にいた大西洋連邦のジョゼフ・コープランド大統領もこれに巻き込まれて死亡した(小説版では艦隊の出撃はコープランドの意思ではなかったようだが、連合を掌握できないどころか軍部の突出すら抑え込むことが出来ないコープランドをデュランダルは「小物」と侮って切り捨てている)。
この今までの穏健路線をも捨てた強硬姿勢が仇となり、反対派はデュランダルとの戦闘を決断。オーブ軍宇宙艦隊、ザフト軍クライン派、更には壊滅した地球連合軍月軌道艦隊の残存戦力やその他の宇宙戦力が結集してビーム偏光ステーションや月面ダイダロス基地を攻撃。更には戦闘中にザフト内部でもプランに懐疑的だった者達の疑念が深まり、イザーク・ジュール達の離反にも繋がった。
その後のザフト軍はダイダロス基地周辺宙域に機動要塞メサイアを投入するなど大規模な戦闘になったが、最終的にダイダロス基地のレクイエムは完全破壊され、メサイアも大破してデュランダルが戦死。更にプランの要となるデータバンクが収められている要塞メサイアが破壊された事で、プランはとん挫した。
但し、一旦落ち着いたとは言え、ナチュラルとコーディネイターの戦争の危険が続いているSEEDの世界にとって、デスティニープランが間違っていたかは断言出来ない状況であり、メサイア攻防戦は言わば「自由=明日を捨ててでも平和を取る」か「次の戦争が起こる危険を残してでも希望と可能性を取る」という戦いであった。
上記の通りプランは否定されたが、見方を変えれば、この様な反発必至の策を取らなければいけない程に両種族間の「負の連鎖」が悪化しているということでもあり、これが次の戦争への序章になってしまうか否かは誰にも分からない。
また、民衆、特にナチュラル側からすればデュランダルに半ば騙された形になってしまっており、ロゴス壊滅により沈静化したブルーコスモスが活発化する危険がある。
幸いにして、ASTRAYシリーズ等のその後を描いた作品を参照する限り、地球連合とプラントは双方の体制は維持されている。小競り合い程度はあるものの、少なくとも本格的な戦争状態にはなっていない模様である(未確認ではあるが、「戦争が泥沼化した」という説もある)。
※勿論、仮にデュランダルが勝っていてプランが続行され、反対勢力が弾圧されたとしても、更に人々の反発を招く可能性も十分にあり、平和どころか更なる混乱を生んでいたかもしれない。
因みに、このプランでは「才能のある人が高い地位を得られる」のでコーディネイターが圧倒的に有利な様に思われるが、遺伝子解析によって潜在的な素質も含めて評価されることによってナチュラルの側が寧ろ有利に成る可能性も否定は出来ない(実際パイロットとしてのラウやムウ、マリューの白兵戦能力、ノイマンの常軌を逸した操舵センスなどコーディネーターに匹敵するどころかより優れているナチュラルも存在する)様に思われるが、社会自体に全人口の適性を最大限活かせる枠が存在する訳では無く、コーディネイターはナチュラルよりも能力平均自体が高い上に、コーディネイターはプランに対応してナチュラル以上の“素質”を持った個体を作り出せばいい為、結果的に大半のナチュラルにとって不利な事には変わりない。
その為、プラント・ザフト内では明確な反対意見が出てこなかった。
それ以前に、コーディネイターで構成されたプラント側の社会の中では、「自分達(コーディネイター)がナチュラルより劣る事など、あり得るはずが無い」という優生学に基づいた差別意識の改革自体が全くと言って良い程改善が出来ていないという欠点もあった。
その為、「コーディネイターを上回る天才的な資質を持ったナチュラル」が現実に現れ、公平な選抜によって選ばれたとしても、プランの主導があくまでもコーディネイター側である以上、ナチュラル側は裏取引を疑われたり、それ以前に断固として受け入れ反対を主張するコーディネイター達が現れてもおかしくは無い。
更には、コーディネイターも世代によっては遺伝子調整を受けていなかったり、受けていても個人による能力差がある事はどうにもならない為、コーディネイター同士の間でも遺伝子操作を妬みや蔑みが生まれ、対立が生じ合う可能性もある。
遺伝子操作の有無で終末戦争になりかけた世界ではやはり劇薬のようなものかもしれない。
問題点
需要と供給の問題
デスティニープランは劇中では実現しなかったが、仮に実行されて、人が皆自分の才能を生かせる分野へ進める様になったとしても、それで戦争が無くなるかと言われれば疑問符が残る。
たとえ最も才能の優れた分野に進めたとしても、その中で優劣が着かない訳ではない。例えばサッカー選手の才がある者が23人いたとして、幾らサッカーに関して他の人物の追従を許さない才能を持っていたとしても、23人の内1人は試合に参加出来ず、日の目を見られない。
しかもその1人は、既にこれ以上無い才能に好条件の訓練を受けた果てである為、これ以外の伸び代は期待出来ず、最早別の道を選ぶ事も許されない。つまりその1人は実力でのし上がる術が無く、一生日陰者でいるか、非合法な手段に出るしかない。
つまり、遺伝子の適性を見極めたとして、完全完璧に天職を見つけられたとしても、その天職の「雇用の需要と供給」が適正かどうかは別問題なのである。
たとえ一番自分を生かせる分野にいたとしても、人の承認欲求には果てが無く、勝ちたい、上位に進みたいと言う欲望がある限り、デスティニープランは広い視点では争いを抑制しても、狭い範囲では寧ろ人の争いを悪化させてしまう…のかもしれない。
特に、上記の通り才能が明確化され、絶対に実力で勝てないとわかっているなら最早物理的に引き摺り下ろすしかなく、究極的に言えば「上に行くほどより多くの人間に生涯癒えぬ傷を負わされるか、最悪殺される」恐怖に怯える羽目になる。
どんなに優れた才能を持っていようと、人が人である限り、頭に鉛玉をぶち込めば死に、死ねばなんの能力も発揮できないのだから。
天職を見つけられたとして、まさしく上記のサッカー選手の例のように、その職業ではすでに人員が過飽和した状態だったら?
或いは逆に、例えば「サッカー選手向きの人間は100チーム作ってもあまりあるほどにいる」が「野球選手向けのチームは10チーム作ってギリギリ」なんて状況に陥ったら?その上で「サッカーチーム監督は5人しかいないのに野球チーム監督向きは1000人居た」ら?
- この問題を根本から解決するには、「人口と雇用の調整」が不可欠であり、何らかの人口調整政策がデスティニープランに組み込まれる可能性がある。それはプラントの法である婚姻統制や、出産数の制限の可能性が高いのだが…。
また、ある職業が「社会の維持」に必要なもので、薬剤師はいるのに医者がいない、或いはその逆だったりして「遺伝子適性が誰にもないので誰もやらなくていいです。こんな職業消えていいです」なんて話も通らなかったとしたら?要は、遺伝子適性を無視し、無理矢理にでも誰かにやらせるしかない職業が現れたら?また、遺伝子適性があっても『世間体が悪い』仕事が天職だったとしたら…?
- 実のところ、仮に性産業や水商売が遺伝子的に天職(フェロモンが多い等の理由で)の人物がいても、それを赤ん坊の頃に決められてしまうとなったら人権団体が黙っていないだろう。「そんな仕事は無くせ」と言っても、これらの「商売」がどこまでが合法でどこまでが違法なのかは国家によっても違うし、人間に「性欲」がある以上完全に無くすのはおそらく不可能である。
需要が足りず供給が飽和すれば当然人員は溢れ、逆に需要に対し供給が追いつかなくなれば、数少ない供側の負担は尋常なものではなくなってしまう。
医者が50人は居ないと回らない地域に、医者適性のものが20人しか居なければ彼らは通常の2.5倍の密度で働かなくてはならなくなるが、人は機械ではない、こんな無茶な働き方をさせれば当然潰れてしまうだろう。
かと言ってそれを解決するために「医者向きの調整でコーディネイターを作る」等すれば結局元の木阿弥(低賃金や世間体が悪い職に就きたくないための調整とそれへの反発でまたコーディVSナチュラルが起きる)である
新たな職業に対する対応
また、逆に「新しい職業」が出てきたらどうなる?
例えば、ほんの2世紀前には「コンピューター技術者」なるものは存在しなかった。新たな技術展開により、そのように新たな“職業”が登場する可能性は、今後いくらでも残されている。
もし仮にそうなったらまた新しく適性検査し直すのだろうか?
万が一まったくの新ジャンルだった場合文字通り全世界の人間を検査し直す必要が出てくる。
そして万が一医者が「医者」より更に新しい職業への適性が高いと言われたらどうなるのか?医者を辞めて知りもしないジャンルにいきなり転職させられる事になるのだろうか?
また、それにより医者が減った際の欠員はどう補うのか?
仮に転職させられる者が現職の国家主席だったら?国家の方針も何もかも変化して大混乱が発生するだろう。
何よりこうやって再検査によって強制的な別ジャンルへの転職をさせられるとなったら、それまでプランに従って真面目に受けていたはずの訓練の全て、あるいは大半が無駄になるということを意味する。
極論、プランに従って職業を選択し、その職業に絞ったスキルアップを重ねてきた者が、定年間近の老境に差し掛かった段階で、新しく生まれた職業のほうが遺伝子適性が高いからという理由でいきなりろくな訓練も積んでいないジャンルへの転職を強いられたとなったら、少なくとも前の”天職”に比べてより良い成果など出せる訳がない。だって訓練をしていないのだから。
他ならぬデスティニープラン自体のせいでそうなるのだ。
つまり、この「遺伝子適性による転職」は、非効率以外の何物でもないということになる。
ここで効率を求めるならば、遺伝子の適性よりも、それまでの訓練による努力値と、職歴による経験値を優先せざるを得ない。
そしてそこでその柔軟性を発揮してしまうと「世界一向いている職業でなくてもいいから自分はこの職業に就きたい」という職業選択の自由が発生することとなり、それはつまりデスティニープランの前提自体の崩壊を意味するため、それは到底受け入れられない。
「コレまでの経験値も今の実力も年齢も何もかも無視して生まれ持った才能だけで全てを判断するような、効率的非効率を断行する」か「本末転倒な特例を組み込みデスティニープランの存在意義を失わせる」必要が出てしまうのである。
デスティニープランは今ある世界の維持には向いているかもしれないが、以降の進歩に非常に弱いのである。
しかし、インドのカースト制度の例を見ると、「新しい職業」がデスティニープランに苦しめられる人々の救いとなり皆が飛び付く可能性もある。
IT産業にはカースト制度が存在しないためにインドの多くの人々が参入し、今やインドはIT大国なのだから。
もし「この『新しい職業』はデータがまだ足りないのでデスティニープランの対象外で、転職自由です。」となったら、多くの人々がその『新しい職業』に参入を望むのではないだろうか。
遺伝子上の問題
一口に遺伝子と言っても生まれた時から発現しているものと、まだ眠っている潜在的なものの二種類が存在しており、後者の方は取り巻く環境や本人の生活スタイルによって発現するか否かが決まってくる。
例えば遺伝子上は野球選手の適性が有ったとしても、適切な食事や練習が出来ない環境ではその能力は発現しない。仮にプランの導入によって適切な環境が確約されたとしても、そう言った潜在的な遺伝子が確実に発現するとも限らない。
また、持っていたとしても「持っているだけ、実は生涯発現しない遺伝子」(※)も多数存在する。
(※所謂潜在遺伝子、旧名劣勢遺伝子というやつで、例として「黒髪の遺伝子Xは"XXという組み合わせでしか黒髪になれない"」性質を持ち、逆に「金髪の遺伝子Yは"一つでもあればその子供は金髪になる"」性質があるとした時、純日系親(X1X2)とハーフ親(XY)が子供を作ると、X1X、X2X、X1Y、X2Yという組み合わせになり前二つの場合黒髪になるが、後ろ二つの場合金髪になり、黒髪の遺伝子は生涯発現しない、この場合黒髪の遺伝子を潜在遺伝子と呼称する。実際はX7つにY1つなどであれば黒髪になる(金髪遺伝子Yが潜在遺伝子になることがある)などもっと複雑であり、何代も遡った先祖の形質が突然発現する隔世遺伝によって潜在遺伝子が顕在する事も往々にしてある)
また遺伝子による適性と本人の望む職業に齟齬が生じた場合にも不満が生じる。
その場合、双方に適性のある職業がきちんと割り当てられる仕組みならば、不満が生じるのを抑えられるかもしれないが、そういった説明は本編中には無く、そういった性格的なものを遺伝子から読み取るのは不可能である。
それこそ世界一の名医になれる程手術医に向いていても血を見ただけで卒倒する者に手術は不可能であろうし、世界最高のスイマーになれるとしても水中そのものが苦手ならそもそも顔を水につける事すら怖がってしまい話にならない、など挙げるだけでキリがなく、能力だけで適性を見つけるのはやはりかなり課題がある。
特に「情報のエキスパート」と呼ばれるだけのハッキングの腕を持ちながら、「暇つぶしにファッション雑誌を読む程度の感覚で軍の機密にアクセスして閲覧」というとんでもない趣味を持つ女性が本編に登場している事もあり「いかに情報を操る適性があってもそれに足るだけの倫理観が無い者をその職に就けてしまう」という職自体の意義を根本から揺るがす事態が起きる可能性がある。
- 事実かなり人を見る目があるデュランダルは彼女を情報部ではなくオペレーターという次善職に就けている事からも「最も適した部門に就けるには問題のある性格である」という事例について心当たりがあったはずなのである。
- 彼女がアスラン・ザラと共にミネルバ隊を脱走した際にそれなりに付き合いの長いはずのレイ・ザ・バレルが即撃墜許可を求めたが、彼女の脅威度を知る視聴者からは「判断が早い」と評価されている。むしろ「敵に回ったらヤバい才能の持ち主は即暗殺」がデスティニープランのモットーなのでは?とさえ思われている。更には『アスランが1人で逃げていたら追撃されなかったのでは?』とまで言われる事に。
また人によっては天が二物を与えるという言葉がある様に、最も高い適性を持つ天才が複数同時に生じる場合も考えられ、その場合どう判断するのかも不明である。
そして天才の子どもが天才とは限らない様に、親は優秀だったが本人には才能が無く、親や知り合いのコネを使って組織の重鎮に納まっているタイプの人間の場合、このプランが導入される事で地位や権力、果ては職を失う事にも成り、そういった人々からの反発や、それに伴う大規模な社会的混乱も必至である。
- 実際に「カガリの適性を調べられた時に政治家に向いていないと出たら国の存亡に関わる為、オーブは強制力の有無に限らず即時に真っ向から反対せざるを得ないからフェアではない」とデュランダル肯定側からもプランへの批判的な意見が出てしまっている。
- 当たり前だが世襲制の国家の場合、プランによって国の体制自体が丸ごと変わってしまう為、それ用の法律制定までしなくてはならなくなる。
一番どうしようもないのが後天的な事故や病気による身体の欠損・麻痺、トラウマ・ストレス、鬱等によって働く事が困難に成る場合である。
その場合、どうなるのかも不明。
製作スタッフ(福田監督)によると、あの世界の場合(デュランダルのやり方では問題があり、演出の都合でプランを間違ったものだと描いたと前置きした上で)プランが導入されれば戦争は無くなっていたとインタビューによって回答されている。
- やり方がダメなだけでプランそのものは一理あるものとしている、「支持者だけでやって周りに羨ましがらせれば勝ち」なのである、実際コーディネイターの技術はその様に広まったのだから。しかもコーディネイターと異なり生き方の話である為、「生まれたときから既に詰んでいる」という事態が起きず、若ければ若いほど将来より優れた方向に成長出来る。
一見、このプランのみで人類から憎しみや争いを無くすというのは困難である様に思われるが、このプランはアスランが述べたように異端者の排除が前提にある為、平和な社会・世界を脅かす思想を持った異端者を排除する形で戦争を抑止すると考えられる。実際、作中でもプランに反対を表明して各国首脳と議論を重ねていたオーブをレクイエムで滅ぼそうとしている。
また、プラン自体はデュランダルがメンデルコロニーの研究施設に勤めていた時から草案が練られていた様で、デュランダルの同僚と思わしき人物のノートには、「デュランダルの言うデスティニープランは、一見今の時代有益に思える」という前置きをしながらも「だが我々は忘れてはならない。人は世界の為に生きるのではない。人が生きる場所、それが世界だということを」と後書きされていた。
遺伝子だけでは決まらない人間の性質
また、キラがわかりやすいが(最早不可能とは言え)市井に紛れているキラは「宿題をサボり、アスランに泣きつくほど怠惰」で、今でこそ趣味になっているプログラミングも「サイが連れてきたキラの才能を見抜いたカトー教授が故意に課題を増やし押し付けて無理矢理レベリングした結果」であり、キラも「自分の世界に閉じこもって没頭できる点でのめりこんだ」からで、そうでなければ手すらつけなかった事がわかる。
そんな人間にある日突然「あなたは世界最強のMS戦士になれる才能があります、さあ武器を取って戦いましょう」などと言って無理矢理戦わせ、殺さなければ死ぬ状況に追い込んでまで無理矢理レベリングしたらどうなるかはSEED序盤からオーブに着くまでのキラの憔悴と、SEED FREEDOMまで引きずり続けたPTSDを見れば容易に想像できるであろう。
"遺伝子的に殺し合いに向いている"からと言って"性格的に殺し合いに向いている"かは別の問題である。
前述の通り、血が苦手な人間は手術医にはなれず、水が怖い人間は水泳選手にはなれないのだから。
努力という概念の放棄
上述の人間の性質に付随する形になり、他の項目でも言及された形であるが遺伝子で最適な職業につける以上は努力の必要さえほぼなくなってしまう。
酷く極端にあげてしまえば、「自分は最高の演奏家になれる遺伝子があるから、努力しなくていい」とその遺伝子にある才能に胡坐をかいて「その才能の維持や向上させる」という発想自体できなくなって、思考停止状態に陥る危険性がある。これ自体は作中での「デュランダル議長だから正しい」というシン・アスカを筆頭とした地球圏全体のデュランダル支持者が陥った、他力本願で無責任同然の状態とほぼ同じ。
学校のテストでたとえれば、100点を取れる才能があるのに、努力をやめて90点で満足して勉強をやめ、残りの10点を取ろうとしなくなる。
これがより悪化すれば、「自分は目覚めさえすれば周りの亀どもには負けないウサギなのだ、だから必要な時に努力すればいい、今はその時ではない」と勉強をさぼり続けた結果、90点が0点になっても遺伝子に胡坐をかいたまま自分の怠慢を認めようとしないという堕落と腐敗に陥りかねない。
現実であれば「そう宣っているだけのウサギもどきの亀」と否が応でも突きつけられるのだがプランが絶対視される社会では少なくともその分野においてウサギである事は確定しているのでそれらの是正や回復さえ困難な事態になりかねないのである。
つまり、いくら才能があろうがそれらを維持したり伸ばす環境や教育、本人の意志の有無は適性が分かったところでどうにもならないのである。
また、この驕りは「優れた遺伝子を持つ者こそが立派で正しい」という優生思想につながりかねず、新たな差別の火種になってしまう恐れもある。
何を重視するかで「職業適性」も変わる
デスティニープラン下では、ナチュラルもコーディネイターもその遺伝子の特性を見出だされ、「有能な者が上に立ち無能な者は追い落とされる」…とされる。
しかし、『機動戦士ガンダムSEED』に登場するナタル・バジルールはアークエンジェルの搭乗員で、ザフト軍の襲撃に遭遇し艦長以下が戦死したことにより、同艦の副長兼CICの統括を務めた。ナタルは優秀だが任務遂行を最優先とする典型的な軍人で、情による判断が多い艦長のマリュー・ラミアスとは、対立が絶えなかった。
一方、『機動戦士ガンダムSEEDDESTINY』に登場するアーサー・トラインはミネルバの副長を務めている事実、有能な人物であるのに間違いないのだが、良くも悪くもお人好しで気の抜けた面を晒しているせいか艦長のタリア・グラディスからは呆れられている。
しかし本編後のドラマCDでは、タリアの遺児のウィリアム・グラディスの傷ついた心(傷付いた原因はデュランダル)をケアしたり、ミネルバ隊を裏切って脱走しミネルバのエンジンを撃ち抜いて撃墜させたアスラン・ザラに対しても恨み言一つ言わず「お互い生きてて良かった」と言えるかなり人間ができた人物である。
さて、副長としての適性が高いのはどちらだろうか?
艦長との相性にもよると言われればそれまでだが、果たして「遺伝子解析」のみでアーサーの様な縁の下の力持ち的な『人間関係を円滑に出来る』才能まで見出だすことができるのだろうか?
余談だがガンダムシリーズのゲームであるGジェネレーションには
アーサーが出るまで既存のシステムに『副艦長』という役職が明確に追加される事は無かった。
導入方法について
完全に遺伝子で全てを管理するという方法ではなく、例えば水泳選手の才能以外にも他のスポーツでも高い適性を持つ遺伝子を持つ人間がいた場合。
「あなたの遺伝子ならば、水泳選手が最も高い適性があります。しかし、野球やバレーボールでも高い適性があります。それ以外にも、あなたの遺伝子で向いている職業をこちらにリストアップしています。」
このような形で才能のある職業を紹介し、それらに基づいた訓練を受ける教育システムを設けていればまだ違ったかもしれないだろう。
しかし、結局のところそうしたところで適性の優劣で順位が決まってしまう以上はやはりコーディネイター同士でも軋轢を生み、リストアップした職業のどれもなりたくないと断られてしまえばそこで止まってしまう。
適性を教えるだけならばまだ違ったかもしれないが、人間が感情の生き物である以上は完全にレールの上を走らせることができない問題点が浮き彫りになってしまう。
問題点への反証
ここまで書いといて何だが
実はデスティニープランは全く新しい思想でもなんでもない。
既存の政治思想の拡張に過ぎないDP
デスティニープランは極論すると「労働力の再配置について、遺伝子解析を導入した社会主義」に過ぎないのだ。
したがって、ここまでに記述された問題の多くは現実の社会主義国家が抱えたものと共通している。
この為、資本主義・民主主義国で育った多くの日本人にはデスティニープランに対し、否定的に見ることが普通になる。
だが、実際、現実世界において人類が「もうしばらくデカい戦争は嫌だ!!」となった結果、史上最大の社会主義国家・ソビエト連邦がスーパーパワーとして台頭し、その終焉までのおよそ46年に渡って大きな戦争が発生しなかったのも純然たる事実である。
(まぁそのソビエトの終わり方がまるっきりデスティニープランの悪い面が顕在化した姿なのだが)
現在、自由主義陣営にいる国家でも、大規模戦争や世界的経済危機の際、社会主義的政策が実施された事は多い。その政策が継続されている期間、明文化された法の外での社会的圧力なども含めて、職業選択・婚姻・転居・これらが制限された状態だった事もある。
そしてその中でも最も成功した国が日本にほかならない。
政治思想は手段の提示であって善悪はそれを用いる人間の心の内にあるのは言うまでもない。多くの国家で社会主義が独裁の手段とされた中、ほぼ唯一、それなりに成功を収めた例もある。旧宗主国のフランスから引き続いてその同盟国アメリカと戦い、同じ社会主義陣営の筈の中華人民共和国のインドシナ干渉を跳ね除け、ソ連崩壊後は民主主義国家と友好関係を築き、限定的な市場主義を導入したものの、社会主義国家として資本主義国家群が形成する経済共同体に参加した国、ベトナムである。
自由主義にも瑕疵はある──“優生学”は最大の民主主義国家によって推進された
結果論ではあるが、21世紀の現在、ソビエト連邦の価値観が遺り、アメリカ合衆国の価値観が修正された例が優生学である。
優生学に基づく政策を最大限強力に推進した国というと、ナチス率いるドイツ第三帝国があまりに有名だが、実はそれ以上に、それ以前から推進していたのが実はアメリカ合衆国である。
その残滓が、日本の旧優生保護法(1948年から1996年まで存在した法律。現母体保護法)である。これは、不妊手術が本人でなく親族など保護者の希望・許諾のみで行われることが可能になっていたために、望まない不妊手術を受けた人々が政府に対して訴訟を提起している。
これは日本の制度がいかに旧時代的であったかの象徴のように度々取り上げられるが、成立が1948年つまりGHQの占領・指導下で導入された法制度なのである。
優生保護法より以前はと言うと、同盟国ドイツの影響で現代優生学への関心が高まった1940年、国民保護法(昭和15年発布・昭和23年廃止)が制定されたが、この成立までには、日本独特の神国思想、八紘一宇の価値観とそぐわないとして、かなりの反発を受けた。その為、成立したものの、強制不妊手術の手続きは当時の体制下としてはハードルがかなり高く、そこに、成立時すでに国家総動員法の体制下に入っていて、人口を間引くどころではなくなっていた事も加わって、1941年の施行から1948年の廃止までの全期間で、わずか538件だった。優生保護法下では1000件/yearに達する年もあったので、いかに戦前の日本が戦後より“は”マトモだったかを説明する一例である。
アメリカ本国でも、優生学の完全否定は遅かった。1960年代に入って、公民権運動の高まりとともに、優生学否定の動きも進み始める。これは、アメリカの人種問題の根底に、人種間の、血統的、遺伝的優劣の思想・価値観が入り込んでいたためである。
アメリカでもこの問題は長く尾を引き、1970年代にはほとんど (冗談ではなく) 黒歴史に放り込んだが、現在も人工中絶についての議論で必ず再燃し、影響は根強い。これは、古典的宗教的価値観が絡んでおり、その他の人権問題と合わせて、根本的解決が困難な課題のひとつである。
一方、ソビエト連邦において優生学は、第二次世界大戦期に導入の動きがあったものの、1950年代初頭以降、徹頭徹尾否定された。これには、社会主義の建前 (「全ての人民は平等である」) に反する思想・科学だったからである。
- その反動でこれまた重大な科学的瑕疵のあるルイセンコ主義を重んじて、遺伝学、免疫学、農業学の発展の妨げになった。
しかしながら、最終的には、優生学に関してはアメリカ合衆国の価値観が修正され、ソビエト連邦の価値観が21世紀に遺された。
そしてソビエト連邦のルイセンコ主義もまあまあ無茶なことをやって社会を混乱させた事が伝えられている。→ルイセンコ農法の記事、及びWikipediaのヤロビ農法の記事も参照。
作中世界の環境
コズミック・イラは、宇宙世紀やアフターウォー(ガンダムX)と並ぶ、名もなき一般市民にとっては支配階級の独断あるいは過失で一瞬にして尊厳もろとも抹殺されるという「この世の地獄を描写した世界」である。取り敢えず戦争を止めて、人類が回復するまでの間多少強引にでも安定化させる必要がある状況(つまり厄介な勢力をソ連とアメリカが力で押さえつけた現実と同じ)と言っていい。
これだけガバガバな体制でも、歴史の例から、取り敢えず10年程度保ちゃいい、それで無理が出たらそん時考えりゃいいのだ。後述のAIとマイクロプロセッサの関係のように、20年保ちゃ現状絶望的と思っている問題を劇的に解決する技術だって開発されるかもしれない。その10年の平和さえ他に期待できないのがコズミック・イラという世界である。
AIの発展
デスティニープランのキモとなるものが職業適正検査を含む世界管理を行うAIシステムである。これが、ガンダムSEED Destinyの放映期、転機を迎えていたのである。
21世紀初頭、マイクロプロセッサの開発は行き詰まりかけていた。
特にAIは、フレーム問題というのがあって(Wikipediaの記事、これの解決は当時、ENIACに始まるプログラム内蔵型コンピューターでは実現不可能だと本気で信じられていた。
この為、かつて21世紀や22世紀で描かれたような人工知能搭載ロボットの登場など見果てぬ夢であり、写実性を重視するガンダムシリーズだと、RX-78-2に搭載されていたような、あらかじめ規定された行動を無条件で実行するのがせいぜいだと思われていた。
実際、SEEDシリーズではMS等の高度なコンピューターはデジタル電子計算機ではなく、量子コンピューターとされている。
創作や趣味のレベルだけではなく、多くのソフトウェア技術者が、それまでのハードウェアにおけるより劇的な技術的ブレイクスルーを以て、初めて人工知能は完成の域に達する…………
…………そう思われていた2004年、AMDは64bit マイクロアーキテクチャ「K8」をリリース、エントリーラインにも手が届くAthlon64が発売された。
この頃のコンピューターの性能が頭打ちになっていた大きな理由として、「IntelのIA-64の開発難航」を理由とする、x86-32との互換性確保のためのメモリ容量の限界と、クロック周波数向上の限界、があった。
だが、x86-64 (AMD64) の登場とMicrosoftでの優先採用、そして続くマルチコア化により、2010年代以降、急速な64bit移行、32bitソリューションのパージが実行され、他方、ハードウェアの能力向上はそれまでもっとも活発と言われていた1980年~2000年を上回るほどの勢いで進んだ。
そして2020年代、GPTモデルをはじめとするいくつもの人工知能モデルが出現した。ChatGPTでは、人間と会話していると錯覚しているかのような会話ができるようになった。
32bit互換の時代、AI開発の壁として立ちはだかったフレーム問題は、64bit移行後は、少なくともハードについては大した問題ではなくなった。フレーム問題の最大の問題は、AIが知能を獲得する段階で際限なく増えるフレームをメモリに展開する限界があることだった。この為、「メインメモリという概念のない次世代コンピューター」が必要だと思われていた。ところが、32bitでは4GBが上限だったのが、64bitでは理論上最大16EB (エクサバイト)の実装が可能となった。32bit時代の約4.3億倍。完全解決ではないものの、人間の脳の記憶容量が17.5TBとされているので、それを考えれば解決されたに等しい。既存技術の延長線上に過ぎない64bitネイティブ化によってあっさり解決してしまったのである。
デスティニープランの問題要素の多くが、「どこまでを確定するか、何を優先するか、柔軟性をどこまで確保するか」である。これは、当時、つまりC.E.73ではなく2005年、32bitパージ世代に漸く達したばかりの頃の人工知能では、人工知能自身に柔軟性を確保する事が難しく、人の介在する要素が強すぎ、恣意的なシステム運用が如何様にも可能だった。
だが、2020年代の今、上記に上げた問題点は、AIが自身でこれらの判断を行えるようになったことで、人の介在する領域を大幅に狭めることができるようになった。もちろん、某A女史のように、システムを端から悪意的に用いる人間が出現することは抑止できないが。
(AIがそうした悪意を排除できるようにすることもできるが、それをやりすぎると別の地獄が再現される可能性もある)
また、現在、C.E.75ではなく2024年の技術ですでに、AI自身がコーディネイターの存在価値を引き下げる段階まで来ている。すでに研究・開発の分野で、AIは猛威を振るっている。こうなると、研究職やいわゆるデスクワークでのコーディネイターの需要は一気に下がる。
ナタル・バジルールとアーサー・トライン
この2名のみを比べると確かに、判断は微妙に見えるかもしれない。だが、それは“木を見て森を見ず”といえる。
副長と言うからには、当然その上に一定規模の組織の長がいる。この2人について言うならば、マリュー・ラミアスとタリア・グラディスだ。
この2人がまた対照的で、マリューは三隻同盟成立後こそクルーやMSパイロットを信用しつつ艦を回しているが、もともと彼女は技術士官であり、アークエンジェルがヘリオポリスを脱出してアラスカ基地に到着するまでは、実戦部隊を指揮する能力が充分とは言えず、ヒューマニズムを優先しすぎて艦内の秩序を引き締めきれない事があった。
一方、タリアは(C.E.73時点のザフトが正式な軍事組織かどうかはともかく)本職の指揮官であり、戦闘に限って言えば真っ当な判断ができる反面、自身の過去もあってか、クルーやパイロットのメンタル面に関して深入りせず、クルー・パイロット間の不和がしばしば放置される事があった。
つまり、マリューが艦長だとするならば、指揮官階級として実務を実直にこなせる人物が副長である方が適当であり、適当なのはナタルであると言える。
タリアの場合は、クルー・パイロットのメンタルへの負荷をその器の大きさで和らげる事ができるアーサーが適当、となる。
これが逆だとしっちゃかめっちゃかになるが、残念なことにそのような例は現実にごまんとある。むしろデスティニープランやった方がある程度(完全には無理)回避できるんじゃないか? って具合である。
実際これに似たミスマッチが、副長とMSパイロットの間で発生している。キラには本来軍隊式の規律を強いるよりも穏やかに接して気遣ってくれるアーサーの方がうまくいき、シンは階級で引き締めをしてくれるナタルの下にいた方が後々のトラブルを起こさないで済んだろう。
デスティニープランと婚姻統制
デュランダルの「デスティニープラン」の目的は全人類に「初めから正しい遺伝子の定め」を提供し、人類すべてに正しい道を提示することであった。
しかしそれは全人類に、「遺伝子の定めの婚姻統制を強いる=デュランダルの過去の苦しみを大勢の他人にも味わわせる」ものではなかったのか?…という疑惑がある。
(詳しくはギルバート・デュランダルとタリア・グラディスの記事を参照)
もっとも、いきなり地球上の国家にプラントの法である「婚姻統制」を強制したら大反発は間違いないので、デスティニープラン導入後、頃合いを見て「少子化対策」「人口と雇用数の調整」を理由にデスティニープランに婚姻統制を組み込む予定だったのかもしれない。
もっとも、「そもそも婚姻統制に本当に少子化対策効果があるのか?」「子宝に恵まれぬ夫婦は不幸という決めつけは人権侵害」「コーディネイターはともかくナチュラルがやるメリットがない」という問題はあるのだが…。
ASTRAYシリーズでは
火星にあるマーズコロニー群、その中の1つでありΔASTRAYの主人公、アグニス・ブラーエ達の出身であるオーストレールコロニーでは必要とされる職業に合わせたコーディネイターたちで構成されているという、まさにデスティニープランと言えるものがある。
しかしながらオーストレールの場合「そのレベルまで効率化しないとやっていけない」「妬み嫉みで争ったら双方死ぬ」程過酷な環境が故であり「成功例か?」と問われると怪しいものがある。
そして、地球での出会いや戦いを通じて成長したアグニスは、人の思いの力は遺伝子を超えて進化できると考えるようになり、デスティニープランを否定した。
そもそも、火星では実例がなかったとはいえ適性があれば遺伝子の枠組みの外にある転職も建前としては認められている。
ここだけでも、デュランダルの提唱するデスティニープランとは大違いであり実際に人間関係の調停役として遺伝子操作を受けて誕生したナーエ・ハーシェルは補佐役としての才能を見たアグニスが自分の副官に抜擢している。デスティニープランの元では、これさえ許されないのである。
スーパーロボット大戦では
基本的には主人公勢力はこのプランと敵対する事になるが、他作品のネタを絡めたアレンジが加えられている。
原作再現時
スーパーロボット大戦Z
『スーパーロボット大戦Z』では黒歴史の遺産の一つとして「ニュータイプに覚醒する可能性を持った人物を探し出す」という目的の為にプランが流用され、遺伝子的に不適応と判断されたフロスト兄弟が人類に憎悪を抱くきっかけと成った。
また第3次Z天獄編ではプラント国防委員長となったレイ・ザ・バレルがこのプランの真の目的は「御使いに立ち向かう為にSEEDの素質を持つ人間を探し出し、クロノ保守派から守る為」であったと説明された。
スーパーロボット大戦K
基本的に原作と変わらない。このゲームではハイネ・ヴェステンフルスがDESTINYシナリオ終盤まで生存するため、「遺伝子でなんでも決まっちゃうのは俺もどうかと思うけどね」と内心思っているなど貴重な彼の意見が聞ける。
プランへの参加を拒否したオーブ連合首長国に対し、武装解除を要求する形で即座に軍を差し向けたり、対話を望むカガリに殆ど取り合わなかったりと、原作以上に性急にことを進めようとしていた感が強い。プランの内容よりも、むしろデュランダルの強硬姿勢に反発が強まったという体裁である。
なお、今作には蒼穹のファフナーも参戦しており更にパイロット達の結末も込みで原作よりの扱いがされている為、自軍部隊がデスティニープランを否定する事が出来ずこの様な苦肉の策を取らざるを得なかったと言える。
スーパーロボット大戦L
最も大胆な解釈が行われた『スーパーロボット大戦L』ではバジュラやクトゥルフといった宇宙からの勢力への対策の延長上として提唱される。
「SEED能力の持ち主の発見」「人間のゼントラ化」の為にプランを用いて、そういった人間達を集めて地球を防衛する組織を作る対異星人戦略の延長線として提唱されている。
またこの政策によって「遺伝子だけで人間の適性が決まるのか」という問題点が解決されている(人間のゼントラ化は完全に遺伝子で決まる為)。
この他にも、作中の敵勢力の中でも特に大きな「統一意思セントラル」という「エネルギー問題を解決する為に徹底的な効率化を図った結果、個々人の自由意思を完全に消滅させ全人類を単一の意識の基に統一・システム化したもの」、デスティニープランを極限徹底的に突き詰めた様な政策を行っている。
彼らは一切の無駄を切り捨てて人類を均一化するが、それはそれとして新たな可能性を見出せる突出した能力を利用しようとする意志はある。
これに真っ向から軍事力で今すぐ対抗する事は難しいと考えたデュランダルはそこに漬け込み、セントラルへの協力体制を装いながらカウンターの準備が出来る苦肉の策として、デュランダルは遺伝子解析による戦力の発見というプランを考え出したのだった。
今作ではシン等デュランダル側についた人間達は多数の仲間に助けられて自らの意思で進む道を決めている為、ザフト軍のメンバーも全て自軍部隊に残留してデュランダルと敵対し、デュランダル側に付いたのはレイのみとなっている。
「LOTUSを懐柔するために送り込んだミネルバが逆に取り込まれるとはな。彼らは…特にシンは私の考えに共感してくれると思っていたのだがね…」とはデュランダルの弁。
ミネルバ艦長タリア・グラディスは我が子の自由な未来を守るために「母」として「元恋人」のデュランダルと決別の道を選ぶ。(テレビアニメ本編でもそうするべきだったという言葉は禁句である。)
時系列は少し前になるが、「エンジェルダウン作戦」では交渉決裂の末やむを得ずミネルバとアークエンジェルが戦うことになるが、タリアは乱入してきた外敵クトゥルフに対抗するためにアークエンジェル側と示し合わせてアークエンジェルの轟沈を偽装した。ミネルバ隊の獅子身中の虫状態となったレイはその偽装をデュランダルに告げる。
しかし今作におけるデュランダルはこういった外敵への脅威の為にアークエンジェルをわざと見逃すなど全人類の為を真に考えた行動を取る人物に成っており、たとえ敵対してもなおプレイヤー部隊から最後まで説得を試みられる等、上述のプランの背景もあり、デュランダルおよびデスティニープランそのものはそこまで敵視されておらず「人類の未来を憂う者として一定の理解が出来るし、他に取れる方法がなかったのも分かるが、主義主張の違いから止むを得ず対立しなければならなかった相手」と成っている。
メサイア攻防戦で一人死亡したと思われていたデュランダルだったが、最終決戦にてネオスゴールドにメサイアの巨大質量で特攻を行い戦況をひっくり返す。
「元恋人」のタリアに「死ぬ前に君の役に立ててよかったよ」と告げ、デュランダルは壮絶な最期を遂げた。
スーパーロボット大戦SC2
『スーパーロボット大戦SC2』もこれまた大胆なアレンジが為されており、此方ではデュランダルの協力者であるシロッコのクローンによる何万という軍勢で外宇宙の驚異に対抗するといったものである。数年でクローンが成体に成るまで成長し、教育も同時に行えるだけでなく、レイやクルーゼが長く生きられない「テロメアの欠損」も克服しており、自軍部隊を撃破した暁にはマクロスや特機群を運営しようとしていた。尤も、その場にいたレイにこの計画の全容を聞かれてしまい、結果的にレイに銃撃される形で頓挫してしまった。
原作終了時
スーパーロボット大戦UX
原作終了後の世界観である『スーパーロボット大戦UX』ではシンが皆城総士に「かつて実行されようしたが、その思想は人々に受け入れられなかった」とプランについて語っている。もしデュランダルがイノベイターの存在を知っていたとしたら、プラン内に「イノベイターに覚醒し得る人間の発見」も盛り込んでいた可能性が高い。
またシンは生まれながらにしてファフナーのパイロットと成る運命にある竜宮島の子供達をデスティニープランと重ねており、「人は生まれながらに生き方を左右されたりはしない」と暗にデスティニープランを否定している。
スーパーロボット大戦V
『スーパーロボット大戦V』では敵対組織である超文明ガーディムはかつて徹底的な管理体制を敷く文明体制ゆえに自身の文明を滅ぼした話を聞かされたアスラン・ザラがデスティニープランを連想している。
余談
- 現実のドイツにおいては、日本で言う小学校ぐらいの段階で早々と大まかな進路が決定されるという制度があり、類似点が指摘されることがある。
- とは言え、あくまで「大まかな進路」が定められるだけでそこから先は自由だし、その大まかな進路に逆らうことが許されないなんて事は無い(ドイツはEUに属していて、EUは加盟国間の移動が自由なので、ドイツ語を公用語とする他EU諸国に移住して進路を蹴っ飛ばすのも大いにアリである)。更に言うならその進路を正しいと決定づける根拠も何処にも無い。デスティニープランの特徴である「不自由さ」や「容赦の無さ」はドイツの教育制度には無いと言えるのだろう。
- 他作品においてもデスティニープランと似た様な社会システムが完成した世界が描かれており、実際にアスランの言う「そぐわないもの(他作品で言うなら犯罪係数という数値の高い者、M型遺伝子異常者)」が隔離或いは即時処刑されたりといったことが日常茶飯事となっている。システムではないが才能ある者を支援する機関があった作品では本人が望むことと、才能が異なったために強制され苦しむというものもあった。
- 福田監督が過去に制作にかかわり、ガンダムSEEDシリーズにも複数の影響を与えた『機甲戦記ドラグナー』のOPテーマ、夢色チェイサーは歌詞にある「決められた道をただ歩くよりも 選んだ自由に傷つくほうがいい」は本プランとその結末を指していたとも言える。福田監督の過去作品のGEAR戦士電童のラスボスである管理用コンピューターが暴走した機械帝国ガルファの皇帝ガルファや本作の次に制作に関わった『クロスアンジュ』のエンブリヲなど、監督の作品では人々の自由意志を奪う管理社会を目的とするキャラが登場し打倒するべき存在として描かれている。
- 現実問題として、外国人技能実習制度はデスティニープランの問題点としてあげられる「転職できないため、運悪くいじめやパワハラの標的にされても耐え抜くしかない」という点が社会問題化している。(2023年にはこれらの転職制限を取り払う制度改正が検討されている。)地球連合軍時代のキラ・ヤマトはナチュラルの友人達の無意識下の偏見や、遺伝子的に優秀なコーディネイターであるため過大な負担と期待を押し付けられ、しかもコーディネイターであるから「出来て当然」と見なされて苦しんでいたことを思えば深刻な問題点である。
- 『DESTINY』の放送と近い時期に発売され、話題となったゲームの『オプーナ』の舞台のランドロール星も出生後の遺伝子検査で将来が決められる世界で、福利厚生はしっかりしているが水恐怖症なのに検査でダイバーと診断され泣きながら水に潜る練習をする子供や、戦士と診断されながらも戦いが嫌いで幼稚園を卒業できない老人などのシステムの歪みによる犠牲者が描かれており、デスティニープランが実行された世界だと当時は話題になった。
- 現実の世の中においても、一回数十万円程度の予算で遺伝子を解析するサービスが一部では始まっている。解析により判定できる内容は身体能力(短距離走向きか長距離走向きか等)、精神面(楽観的か悲観的か等)など多岐にわたり、未だ発展途上で信頼性や倫理面において賛否が分かれているが、英才教育の一環として一定の利用者がいるようである。また上記の問題点の一部は放送当時の遺伝子研究に基づいた問題点であり、現在では遺伝子研究も進歩しており個人が先天的に持ちうる「能力」だけでなく、性格や精神の傾向(コミュニケーション能力やストレス耐性など)、後天的に発症するリスクのある疾患(癌やうつ病など)などもある程度はわかるようになってきている。もし今後の遺伝子解析技術の発展次第では、プランを実行した場合に想定される問題のうち、「割り振られた職業に適応できない」や「後天的な疾患で働けなくなる」などの問題が解消される可能性もある。
関連タグ
貧富の差、カースト、人種差別、学歴社会、職業差別、外国人技能実習制度:ある意味、現実世界におけるデスティニープラン。
いじめ、パワハラ:「遺伝子によって職業が決められる=転職出来ない」ことによって社会に流動性が無くなりこれらの問題が深刻化する恐れがある。
シビュラシステム:同じく、システムによって個人の持つ資質を解析し、職業を決めるシステムであり、成功したディスティニープランとも言える。
「調教とは相手から全ての権利を奪うこと」という言の通り、ディストピア系の作品においては愚民を調教する手段としてまず手始めにこの「職業選択の自由」が真っ先に奪われていることが多い(雇用の安定化、リストラなどのリスクの低減等お題目が用意しやすいからだろうか?)以下はその一例
ジーンシャフト:2001年wowow放映のオリジナルアニメ。「遺伝子で職業が決まるなら、より職業の適性の高い優れた人間を狙って製造する方向へと加速する」が実際に行われ、完遂した、つまりデスティニープランが実現したと同時にキラの危惧が現実化した世界が舞台。
マン・オブ・スティール:デスティニープランと似た様なシステムが登場するスーパーマンのリブート映画。作中に登場するクリプトン人(一部を除く)は逆に職や地位に合わせて設計されたデザインベビーであり、コーディネイターとデスティニープランの特徴を併せ持った社会と言えるが、人間特有の栄枯盛衰で最終的に滅亡した。
スクフェスALL_STARS:三船栞子は「適性に合ったことをしなくては幸せにはなれない」という思想から、自身が生徒会長となった虹ヶ咲学園にて新入生に対して適性試験を行い、それぞれの適性に合った部活に振り分ける、適性に合わせて強引に転部させるというほぼデスティニープランに近いシステムを導入しようとした。権力を振りかざし強引なふるまいを繰り返した結果、自治機構を機能不全にしてあわや学校説明会の中止寸前まで至るという事態を引き起こしこの時点では結局撤回に追い込まれた。
『天空の皇女』
フェアネス「もう一度お尋ねします それは「悪」ですか?」
『DESTINY』のその後を描いた天空の皇女の登場人物、フェアネス・ツヴァイクレが世界を支配する政策として、デスティニープランを復活させようとしたことが終盤で明らかになる。
ただし、デュランダルの掲げたそれと全く同じではなく、遺伝子解析を強制的にさせるのではなく、自分の意思で受けてもらうという言葉だけ見ればよりよくなったように見えるが、フェアネスは全人類に受けさせようとしているのか、裏で自分の意思でやったと思わせるよう誘導しようとしていた。この行動にカーボンギナは影の支配者による恒久平和と評する。
順調に進むと思われたその時、彼に思わぬアクシデントが発生する。フェアネスの遺伝子解析を受けた『天空の皇女』の主人公、ラス・ウィンスレットの自身の特性ともいえるものは遺伝子以外の要因で手に入れたことが判明、アグニスが言ったことがデータと言う形で証明された。
最終的にASTRAYシリーズのエース級勢ぞろいであり、この戦いのカギを握るレアメタルΩの質量的にも圧倒的な不利だったフェアネスが勝利したことで、彼は自身の負けを認め、人は遺伝子を超える力を持っていること、人の強い思いが未来を切り拓けると信じるようになった。
以下劇場版『機動戦士ガンダムSEEDFREEDOM』ネタバレ注意
『機動戦士ガンダムSEEDFREEDOM』にて
この社会構築システムが視聴者に提示されてから20年近い時間が経過した2024年に公開の劇場版『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』にて、かつてデスティニープラン計画立案に携わっていたアウラ・マハ・ハイバル率いる新たなる敵が登場。キラ・ヤマトを罠に嵌め計画の要であるラクス・クラインを拉致しデュランダルと同じようにレクイエムを用いて全世界にデスティニープランの実行を促す。
デュランダルの真意の謎
アウラの計画にはラクスが必要不可欠であった。しかし、そうであればデュランダルが『DESTINY』に置いてラクスを暗殺しようとしていたことに矛盾が生じている。
デュランダルが『DESTINY』序盤にてラクスの暗殺を画策したことは目先の障害を排除するという目的の他に、アウラとアコードによる統制を未然に防ぐ目的があった可能性が浮上している。
(アウラもデュランダルもメンデルの関係者でアコードを作りだし、幼少のアコードらとデュランダルが手をつないでいる写真が存在しているが、途中で思想の違いなどが生じて敵対関係となった可能性がある。)
………かに思われたが小説版によるとアウラとデュランダルの間に決裂は無い(単に描写されていないだけという可能性も否定はできないが)。
ただ、デュランダルとアウラの間でラクスの扱いについては意見の相違があったようで、「デュランダルはラクスを諦め、切り捨てようとしたがアウラは反対だった。ラクスこそ自分の正しさを実証する存在だったからだ」と一文で描写されている。
ラクスは彼女の母親によって生後間まもなくして連れ去られ( ※)、アウラもデュランダルも彼女の人格形成や教育になんら関与できなかった。デュランダルが暗殺を謀ったのは彼女がデスティニープランを受け入れない事を見越していたからだろう。
彼(デュランダル)はラクスの能力を信じたからこそ、あれほど恐れたのだ。と記述されている。
終盤、アウラは
すべてがあのキラ・ヤマトのせい。ラクスを毒し、裏切らせたのも。盟友デュランダルを殺し、デスティニープランを潰したのも。いつまで私の邪魔をするのか、ヒビキ!
と、古い憎しみを蘇らせるのであった。
また、デュランダルがシン・アスカを取り立てた事についても疑問が残る。
デスティニープランに従えば「最強の戦士」はシュラ・サーペンタインであり、事実劇中ではシュラがシンを剣術で下している。
にもかかわらず、デュランダル(とレイ)はシンを懐刀とするための懐柔を惜しまず、最終的にはプランの名を冠した機体まで与えている。
「手駒は多いに越したことはない」と言えばそれまでだが、最終的にシンが旧式の機体で(仲間のサポートがあったとは言え)アコード四人の駆る最新鋭機を圧倒・撃破している実績から、「シンはデュランダルがアウラと対立した時、あるいは最初からそうなる事を予見して用意したカウンターパートだったのではないか?」とも考えられる。
※ FREEDOM特別版のエンディングに、「メンデルの研究所らしき施設の前で双子を抱えるヒビキ夫妻とラクスらしき赤児を抱えるクライン夫妻がアウラ及びその他の職員から厳しい眼差しを向けられながら施設を立ち去る」イラストが他のイラストと共に出ておりこれが事実であるならこの「連れ去り」はアウラの目を盗んで実行されたものではなく、あくまでアウラの同意(に至らずとも了承せざるを得ない状況)の元に起こったことであると考えられる。
ファウンデーション王国とデスティニープラン
ファウンデーションが大国のユーラシアを打ち負かして独立後めざましい復興を成し遂げることを可能としたのもデスティニープランを施行したからであり、国は見事に栄えている。だが一画には貧民街が隠され、そこでは市民が武装警察に逮捕や銃殺されていた。
- これは小説版でコンパス到着時刻を狙って「デスティニープラン反対」のデモ活動を行なおうとしていたからだと言及されている。「それ(デスティニープラン)を採択するのは自由だ。メリットは確実にある。生産性の向上、意思決定の簡略化。恩恵を受ける者も確実に存在する。だが、現実にそれを施行したときにどうなるか──。畢竟、遺伝子で人を選別するならば、コーディネイターがナチュラルの上位に立つのは当然なのだ。少数のコーディネイターが要職を占め、ナチュラルの機会をことごとく奪う。それを快く思わない者が反抗するのは無理からぬことだろう」と、極小規模ながらジョージ・グレン登場後の社会の混乱と同様のことがファウンデーション王国では起こっていた。
さらに、恩恵を受けていた側の一部にも問題があったことが窺える描写がある。
アークエンジェルがファウンデーション上空を飛行中、市街地のスクリーンにSEED時代のラクスの映像が流れているのだが、3画面中の1画面にミーア・キャンベルが紛れていることだ。
これは世界平和監視機構コンパス総裁としてラクスがファウンデーションを訪れるから作られたもので、福田監督曰く「専用のニュース映像作っていない、とギリギリに制作から言われて過去作ラクスの音楽ビデオ風に映像編集。ただ素材が足りないということなのでミーアを混ぜろと指示。デスティニープランの国だから多分仕事に愛がない。」
小説版にて
後藤リウ著の小説版では、「ギルバート・デュランダルが提唱した」デスティニープランについて、『全人類の遺伝子を解析し、遺伝的適性によって人々の職業、配偶者、未来ーー人生すべてを決定するシステム。それに沿って生まれた社会は究極の能力主義で、ある意味、公平な世界といえるだろう。能力はあるのに、生まれ育ちなど社会的な理由で、それを正当に評価されない者にとっては救いとなるかもしれない。同時に、既得権益を守ろうとする支配層や富裕層にとっては、まったく受け入れられないシステムであることは間違いない。』と説明されている。
オルフェの演説後、世界各地に混乱が広がっていた。
ファウンデーションに従い、“デスティニープラン”を受け入れるべきだと主張する人々――多くは現状に不満を持ち、社会の下層に甘んじてる者たち――、また、アコードをコーディネイター以上の化け物と罵り、滅ぼすべきだと主張する人々、既得権益を守ろうとする支配者階級、そして“レクイエム”が自分たちに向けられることを恐れ、闇雲に都市を脱出する人々――。
街頭ニュースを聴くオーブ市民の人々の中にいたカズイ・バスカークのモノローグにて、彼のデスティニープランに対しての私見が語られている。
それでファウンデーションがあんなに繫栄したのなら、悪いものでもないのではないか。
遺伝子で自分の役割を決めてくれるなら、間違った道に進んで無駄な努力をしなくていい。身の丈に合わない望みを持ったり、過剰な期待をされたりしなくてすむ。
でも……彼の悲観的な部分が言う。
もし、おまえみたいな役立たずはいらないと言われたらどうする?
『アコード』とか言う連中は、コーディネイターよりさらに優れた資質を持っているらしい。
そんな連中が、俺たちみたいな、とくに取り柄もないナチュラルのことを考えてくれるだろうか?
きっと彼らには、俺たちの気持ちなんかわからないだろう……。
カズイは、なんだかんだで超人ぞろいのSEEDの主要キャラクターとは違う凡人ならではの視点からデスティニープランを観ていた。
暗い未来しか浮かばず、さらに不安を募らせるそんな最中、ニュース映像が切り替わる。人々にパニックにならないよう呼び掛けるカガリの姿に、「少なくともカガリなら、こんな自分の気持ちも、ちょっとはわかってくれるだろう。」と希望を見いだしていた。