「男の証明を手に入れたかったんだ」
プロフィール
※リック・ディアスはカツがMk-Ⅱで無断出撃した際に一時的に搭乗。
概要
『機動戦士Ζガンダム』の主人公。ガンダムシリーズ2代目主人公として、また声優の飛田展男の代表作としてファンに知られるキャラクター。
続編に当たる『機動戦士ガンダムΖΖ』にも出番は少ないながら重要な役どころで登場する。
上司にあたる人物はクワトロ・バジーナ大尉。つまりシャア・アズナブルの部下ということになる。また、アムロ・レイとも共闘している。
総監督およびシリーズ原作者たる富野由悠季のライフワークにとっても最重要人物に位置づけられている。
ガンダムシリーズ内外でのクロスオーバー作品にも多く出演し、存在感を放っている。
名言もとい迷言も多くファンに親しまれている。これについては「カミーユ語録」にて記事の末尾に記載する。
人物
『Ζガンダム』劇中では一貫してエゥーゴに所属するモビルスーツパイロットとして活躍する。ただし正式な軍人ではない。
エゥーゴから何度か勧誘されていたが、軍人になりたくないというカミーユ本人の意思により、中尉待遇の民間協力者となっている。
サイド7グリーンノア2に住む高校生。コロニー育ちだが生まれは地球のニューシート(新座市)。
連邦軍の技術士官であった父フランクリン・ビダンと、母ヒルダ・ビダンの家庭を顧みない仕事一辺倒な姿勢に孤独を覚え、更に若い女性との不倫に耽る父と、そんな父の振る舞いに気付かぬ振りをして仕事に没頭する母のそれぞれに強い不満を抱いていた。
加えて、自分の女性的な名前に強いコンプレックスを抱いており、前述の家庭環境と合わさって非常に繊細で感情の起伏が激しい性格を形成していった。
富野監督が執筆した小説版機動戦士Ζガンダムでは容姿も中性的という描写がされており、幼馴染のファ・ユイリィと共に行動しているところを男のクラスメイトから「よう、エス!」(昔のレズビアンの隠語)と冷やかされていたり、端正な外見と成績優秀ながらも教師へ反発的な態度を取る姿から『石の少女』というあだ名を付けられていた。ジェリドから「美しい少年」と評されたことに憤慨する場面もある。
そのような身の上もあってか空手や一人用飛行機であるホモアビスやジュニアモビルスーツなど『男性的』な趣味に走っており、特にジュニアモビルスーツに関しては大会で優勝する程の腕前を見せている。
性格は良くも悪くも繊細で目上の大人に正しい行いを求める潔癖症。怒りの沸点が低い激情家であり、感受性が強い理屈屋でもある。一言でいえば、気難しい思春期の子供そのもの。しかし戦争に身を置きながらも人の死を非常に嫌っており、戦いで死んでいった多くの敵兵の死を密かに弔っていたり親子の死体を寄り添わせてあげるといった優しさも併せ持っている。
私情に任せて動く事も多く、ティターンズに身柄を拘束された時に自分を殴りつけたMPに対し強奪したガンダムMk-Ⅱのバルカンで威嚇するという過剰な行動を取ったり、更にあくまでも自分の正体を明かそうとしないクワトロの逃げ隠れするような姿勢に苛立ちを覚え、「修正」と称して殴りかかった事もある(逆にウォン・リーに自分の身勝手さを指摘され修正された事もある)。
ブライト・ノア、エマ・シーン、アムロ・レイらとの出会いを経てその傾向は丸みを帯びていき、フォウ・ムラサメ、ロザミア・バダムなどティターンズの強化人間との邂逅は彼を精神的に成長させ、ティターンズと戦う戦士として鍛えあげていったが、本来の人の死を嫌う繊細さと死者の念を強く感じ取るニュータイプ能力の板挟みに合い、親しい人達の死に直面し続ける状況に徐々に精神をすり減らしていくことになる。
モビルスーツパイロットとしては訓練もせずにガンダムMk-Ⅱを動かし、戦いに参加して間もない内に歴戦の兵士であるライラ・ミラ・ライラを撃墜した事からアムロ・レイの再来と称されるだけの潜在能力を有している(ただし本人はアムロと重ねられるのを疎ましく思っていた)。
各種メディアによる一年戦争時代の情報に触れており、ブライト・アムロ・シャアらに対して憧れを持っていたが、理想が大きすぎたのか実際に本人達と触れあった際に自身が抱く英雄像との乖離に失望しその不満を遠慮なく口に出す様な真似をしていた。ただ、その後は憧れの英雄では無く1人の人間としての彼らと触れあった事で自分には出来ない事を為せる年長者として敬意を持つようになる。
宇宙世紀史上最高のニュータイプ
類稀な天性のニュータイプであり、公式設定ではカミーユは宇宙世紀に生を受けたニュータイプの中でも、最高のニュータイプ能力の持ち主であると評されている。
もっとも、その高いニュータイプ能力と自身の繊細な性格ゆえに精神的に追い詰められていくわけだが…。
総監督である富野由悠季は「学習ができ、本当の意味でのニュータイプとなれたカミーユと比べれば、ニュータイプの代表例であるアムロでさえも、学習がないためオールドタイプとして死んでいくしかない」と評価している。
『kotoba2021 年秋号No.45 人類は「ニュータイプ」になれるのか 富野由悠季インタビュー』71ページにおいてなぜカミーユがニュータイプ最高なのかという問いに、「カミーユだけは全能者を目指させようとして精神崩壊した。これがカミーユがニュータイプ能力最高と自分が言った理由だ」と述べた。「全能者になれば普通の人間でいられない、この矛盾の中でカミーユは壊れてしまった。全能者のニュータイプなど生まれでるわけないと近未来の世界で悟った。これが敗北であり、僕自身がニュータイプになれなかった理由だ」と述べている。
逆に言えば、カミーユを始めとする次世代ニュータイプと異なり、アムロやシャアはオールドタイプ的な感性を持っていたからこそ、ニュータイプ能力を必要に応じて発動させていたことで情緒不安定にもならず、精神も壊れずに済んでいたとも解釈できる。
作品上での活躍
機動戦士Ζガンダム
ティターンズ中尉ジェリド・メサに自分の名前を笑われた事から暴力沙汰となり、ティターンズに身柄を拘束されるが、ジェリドの乗るガンダムMk-Ⅱの墜落事故の際に脱走。エゥーゴに所属するクワトロ・バジーナのガンダム強奪作戦に協力した事から「グリプス戦役」へと発展するエゥーゴとティターンズの戦いに巻き込まれていく。
グリプス戦役終盤においてエゥーゴの戦力の中核として活躍するが、その高すぎるニュータイプ能力は仲間どころか敵の死にも敏感に反応してしまい、精神的に更に追い詰められるようになる。
戦役の最終局面において、パプテマス・シロッコの乗るジ・Oと交戦しこれを撃墜するも、彼の断末魔とも取れる光を浴びた事で精神疾患を引き起こし、戦いの舞台から降りることになった。
小説版Ζガンダムではラストで精神崩壊した時にヘルメットのバイザーを開けていたらしく、Ζガンダムのコクピットのハッチが開いたまま放置されていたこともあってカミーユは窒息死している可能性が高い。(アニメ本編でも精神崩壊をした際にヘルメットを脱ぎ捨てて外の宇宙空間に出ようとしているが未遂で終わっている)
Ζガンダムの元に駆け付けたファがカミーユの本当の状態に気づかずにΖガンダムを連れてアーガマへ帰艦するという、テレビ本編よりも後味の悪い結末になっている。
なお、TVアニメ版での結末について、富野監督は当初カミーユの死を以て「Z」を完結させるつもりだった。しかし、これを知った担当声優の飛田は「死んでたまるか」と大熱演を展開、監督曰く「キャラクターに根性があったので」殺せなくなってしまう。その結果が「Z」最終回のカミーユの精神崩壊による退場から、「ZZ」第一話でのジュドーに手を差し伸べるという流れだった。世にもまれな発狂による主人公交代劇は、ひとえに飛田のカミーユへの愛情から生まれたものだったのである。
機動戦士ガンダムΖΖ
グリプス戦役を終えたアーガマがシャングリラコロニーに立ち寄った際、Ζガンダムを盗もうとするジュドーと鉢合わせる。精神崩壊により生気を失った虚ろな状態でベッドに横たわっていたが、ジュドーの姿を認識すると無言で手を差し伸べてジュドーのニュータイプ能力の目覚めを促進させた。
その後はシャングリラの病院に入院したのち、ファと共に地球のダブリン近郊で静養。
そこへアーガマを狙うネオジオン軍が襲撃した際は、精神崩壊中にもかかわらずエルピー・プルやジュドーたちガンダムチームにニュータイプの思念を送り、大勢の人間を的確にサポートした。
最終決戦では宇宙にいるジュドーの元へ背中を後押しする思念を送り、フォウやララァ・スン達の亡霊と共にジュドーの手助けをしている。
第一次ネオジオン戦争が集結した最終回ではセリフは無いがファと共に笑顔で砂浜を走っており、精神崩壊からの回復を思わせる最後を迎えた。
小説版ΖΖではジュドーから「もう一人の俺」という独特な表現をされている。
新訳Ζガンダム
カミーユの物語が語られてから約20年の時を経て、劇場版『機動戦士Ζガンダム A New Translation』が制作され、そこで監督の富野は新訳Ζで新たなニュータイプの理想像としてのカミーユを示した。
新訳ΖにおいてはTV版と異なり、カミーユは精神を崩壊させることなく、無限に拡大した自分のニュータイプ能力を前向きに受け入れることができた。
これは、カミーユ自身が自分が関わる事件や出来事を常によく観察しており、多くの仲間の死や戦場の悲しみを感じても、そのストレスを受け流す術を身につけただけでなく、その経験を自分の成長の糧となるものとして学習し受けとめていたためと考えられる。
また、周囲の人間とのコミュニケーションや触れ合いを常に大事にし、宿敵シロッコに対してすらTV版のように存在を全否定するのではなく、人間を家畜や道具のように扱ってはならないと諭すように叫んでいる。
そして何よりTV版のように死んでいった人々との精神的な繋がり(共感)だけでなく、ファという大事な女性の肉体的な繋がり(体感)を得た事が大きく、これによって自分の力や、戦いの中での悲劇と向き合い、乗り越える強さを得たといえる。
劇場版公開に際して富野由悠季はTV版のカミーユに対し否定的な意見が当時の視聴者には多かったが、近年ではカミーユのように感受性が強く、激情的で情緒不安定な子供もいる。そのためにカミーユに感情移入する視聴者は少なくはないとし、この社会的な現象を見て「カミーユの受けとめ方を半歩ずらし健やかにすることで、そういう子供たちに対してのメッセージを送るために、新訳Ζのカミーユの解釈を変えた」と語っている。
U.C.0093 逆襲のシャア
公式設定ではなくあくまで作者の松浦まさふみ氏の独自設定ではあるものの漫画作品『機動戦士ガンダム ムーンクライシス』におけるカミーユの設定はファンから高い支持を受けている。
時系列は『逆襲のシャア』の舞台となるU.C.0093。あるコロニーにて、一度はファと共に滞在して医学生としてやり直す事を決意する。
コロニーの街頭モニターでシャア・アズナブルの演説を見たファに「ブライト艦長の所に行かなくて良いの…?」と聞かれるが、「人を癒して生きていきたい」「ブライト艦長やアムロさん達ならきっと何とかしてくれる」と返した。
スーパーロボット大戦シリーズ
アムロやジュドーと並ぶ最古参のメンバー。一線級の能力を持つのでエースパイロットとして活躍できる。
シリーズが発足してしばらくは、愛機ゼータが終盤に進むにつれ火力不足に悩まされるため、他のモビルスーツに乗り換えざるを得なかった。
その後、α外伝でウェイブライダー突撃、第2次αでハイパービームサーベルを会得したことで、ゼータに乗ったままラスボスとも互角に渡り合える戦力となった。
さらに、スパロボZおよびZシリーズでは劇場版設定での出演ということもあってゼータの性能が見直されており、かなりの強キャラとなっている。
作品にもよるが、ジュドー等の後輩が多数居る手前、冷静な優等生といった性格であることが多く、原作でのキレやすい一面や神経質な仕草はほとんど見られない(スパロボに限らず、ゲーム作品ではそういう性格が多い)。
ただし、クワトロに対しては強く当たる事が多く、修正パンチのイベントが再現される事も。
第3次αではシャアの反乱を経てもなお続く人類同士の争いに心を痛め「アクシズ落としを阻止したのは間違いだったのではないか」と思い悩むほどにナイーブな状態になっていたこともある。
なお作品によっては終盤にシロッコに「貴様の心も一緒に連れて行く」されてしまい、プレイヤーを泣かせるハメになる。
基本的に回避策はあるので、イベントを見たい場合以外は回避しよう。
スパロボ補正による救済の元祖にして筆頭でありフォウを始め、エマ、カツ等親しい人間を殆ど失う事は無い他、近年では退場する事も無い(ただし、精神崩壊による療養からの復帰という場合もある)。
スパロボ30でも原作終了後の設定で登場するが、グリプス戦役後にエゥーゴから離れていたことが災いしファとともに連邦のニタ研に幽閉されていた。後に救出されドライクロイツの一員となる。
クワトロ(シャア)と再会した際には、彼が引き起こしたアクシズ落としと、そんなことをしておきながらむさむさと生き残っていることに思う所があったのか出会い頭に修正パンチを喰らわせている。
ただ、彼をここまで至らせた事には内心理解はしており、再会がアクシズを落とした(諸事情で未遂だったが)直後だった『D』の時ほど辛辣ではない(カミーユからしてみれば『シャアには自分なんかの為に大罪人になってほしくなかった』というのが本音だろう)。
合流時の搭乗機はガンダムMk-Ⅱだが、条件を満たすとフルアーマーガンダムMk-Ⅱに変化する(ここで獲得できなくても、別のミッションで獲得できる機会がある)。
また、Zガンダムは表面上はシンギュラリティー・ワンと同様と見られて秘匿されていることになっていたが、その裏では連邦との取引によってνガンダムとともに研究用としてザンスカール帝国に渡っていた。しかし、協力関係にあったものの「自らの手でガンダムを倒したい」という野心を抱くゾルタンの計略によってνガンダムと一緒に自軍に横流しされる形でカミーユの下に戻ってくる。
なお、ゾルタンからの特殊戦闘台詞はシャアを慕うカミーユをさながら『シャアの腰巾着、または愛人』と評している物と取れる。
また、『同じ世界出身なら常に嫌悪感を抱いている』と言われているレベルでキラ・ヤマトを嫌っている。
その他の作品における活躍
機動戦士SDガンダム、爆笑戦士!SDガンダム
明らかに他のキャラたちと違った珍妙な目をしているが、これは原作で悲劇的だった精神崩壊の結末をギャグ調に表現したものであり、目の中には宇宙(そら)が広がっている。語尾が何故か「~にゃ」である。
本家と区別するためぷっつんカミーユとも呼ばれている。
声優は本編と同じ飛田展男が担当しているが、本編の神経質なカミーユとは真逆ののんびりとした声色になっている。
SDガンダム外伝
第3部「アルガス騎士団」編のキーパーソンたる「アルガス王国のカミーユ王子」として登場。
敵対関係にある隣国・ムンゾ帝国のユイリィ姫との悲恋に苦しむが、騎士アムロやアルガス騎士団との共闘によりモンスター・ジオダンテからユイリィ姫を救い、結ばれる。
名前とモデル
作中で名前が女っぽい事を気にしていたが、実在の人物にも男性で「カミーユ」という名前は普通にある。19世紀に活躍した印象派の画家・カミーユ・コロー(1796年~1875年)が有名である(フランス語圏)。日本人名に例えるなら「カオル」や「チヒロ」や「ヒロミ」あたりだろうか。男女兼用、やや女性寄りの中性的な響きのものである。
ちなみに印象派画家として有名なクロード・モネは長年の画家仲間の男性がカミーユ・ピサロ、愛する妻となる女性はカミーユ・ドンシューと、関係性が深い男女がどちらもカミーユ名というちょっとややこしいことになっている。
直接の「カミーユ」名のモデルはオーギュスト・ロダンの弟子であり愛人でもある「カミーユ・クローデル」という女性彫刻家である。彼女も優れた才能と激しい性格を持ちながら悲劇により追い詰められ精神を病んでしまうという境遇であった。キャラデザイン時点である程度、本編ストーリーでの結末は決まっていたということだろう。
第二次大戦以降の近年では女性につけられる方が多い名前である。女性名を付ける風習のあるサイクロンの名前にも「カミーユ」がある。
参考:パリ在住の女の赤ちゃんの名前の人気ベスト100
https://monpetitcahier.com/archives/8490.html
カミーユ(綴りはCamille、ΖガンダムではKamilleだが発音は同じ)という名前は女の子の名前で2位となっている。ちなみに男の子版のランキングでは100位圏外。
フランス系の女性名では比較的ポピュラーだろう。
フランスの女性歌手や、モナコ王室の王女にカミーユという名前の人物がいる。
「Kamille」の綴りはキク科の多年草「カモミール」のオランダ語表記(読みはカーミレ)と一致しており、花に由来する名前である可能性もある。
監督が言うには、「結局のところカミーユが自分自身で『女性的な名前』だと勝手に思い込んでしまっているだけ」なのだそうである。
もっとも、上にも書いたように近年フランスでは女性に多い名前であることは事実である。
声優の逸話
飛田展男はオーディションで決まった。薄い台本に書かれた台詞を読んだ後、時間が余り、フリートークのコーナーを与えられた飛田は、当時ファーストガンダムを見ていた時の思い入れを語った後「あんな良い終わり方をしたのになんで続編なんか作る必要があるんですか」と問いかけてしまったという。(当時26歳、本人曰く「若気の至り」)
スタジオを出たとたんに「何をバカなことを言ってるんだ」と後悔を始めたが、まさかの大抜擢となる。これは飛田にとってもキャリア4年目での初主演となった。(実なところ富野監督自身も内心「なんで綺麗に終わらせたのに続編なんか作らなきゃならないんだ」と不満タラタラだったので、意見を直接ぶつけてきたことで気に入ったらしい)
なおこの発言はオーディションのため録音されており、これを聞いたらしい監督やスタッフはキャストなどの関係者を集めて続編を作る理由を説明し、最後に飛田に向かって「理解して頂けましたか?」と呼びかけられたという。
2005年に発表された劇場版でも、監督はカミーユ役に飛田を指名するようなことはせず、オーディションで選び直した上で彼の再任となった。
「長年カミーユ役だったからと腑抜けていたら降板させる」という宣戦布告でもあったが、飛田はそれを受けて立ち「俺が一番長くカミーユやってるんだ、俺以外にカミーユが務まるか」とさらにキレたカミーユを演じてみせた。(実際ガンダムゲーは腐るほど出ているし、そこにカミーユが居るのは宇宙世紀が舞台であればほぼ当然の状況であるため、年がら年中カミーユをやっているようなもので、下手になっている訳がない)
関連イラスト
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クワトロ・バジーナ ブライト・ノア エマ・シーン レコア・ロンド カツ・コバヤシ
シン・アスカ:SEED DESTINYの主人公。Zをリスペクトした作品だからか性格や境遇に類似性がある。クロスオーバー作品では仲良くなることも多い。
キラ・ヤマト:SEEDの主人公。上述の通り、クロスオーバー作品でのカミーユはキラに対して異様なまでにキツく当たる事が多い。誰が呼んだか『版権におけるキラアンチの筆頭』。
チュアチュリー・パンランチ:水星の魔女の登場人物。暴力的な言動が目立つことから「令和のカミーユ」と呼ばれる。ただし彼女の思想はカミーユの両親の仇寄りだが。
グエル・ジェターク:同じく水星の魔女の登場人物。「父親の女関係の悪さで問題が起きる」、「その父親を(意図しない形とは言え)殺した」、「一時的に精神が崩壊した」と言った共通点がある。
ノレア・デュノク:同じく水星の魔女の登場人物。髪色が同じかつ暴力的で、精神的に不安定な所から、上記のチュチュよりもカミーユに近いと言われることも。
末崎さくら……『賭博覇王伝零』のメインキャラ。名前にコンプレックスを持つという点が共通している。ただし、こちらでは父親を嫌うカミーユとは違い、両親を尊敬している。なお、末崎は詐欺師のヤクザであるため、もし世界観が違い、カミーユの気が増長したまま放置していたら、将来的に「末崎のようなヤクザ(反社会勢力)」になっていたかもしれない(ただし、末崎は後に義賊として主人公とコンビを組んでいるため、守銭奴な人柄は変わっていないものの半ば改心している)。
ジョルジュ・ド・サンド:『機動武闘伝Gガンダム』のメインキャラ。狙ったのかは不明だが、カミーユとは誕生日と血液型が一緒。また正粋のフランス人種であるため、カミーユのフランス人説が正しければ人種まで一致することとなる。ちなみに劇中で彼が最後に戦った相手はカミーユと中の人が一緒だった。
うずまきナルト…こちらも事情が異なるが両親の愛情を受けられない環境で寂しさに耐え切れず、問題行動を起こしている。さらにいえばナルトの場合事情があるとはいえ周囲から理不尽に迫害されるというカミーユよりひどい状況になっている。それでも、真の意味で自分を理解してくれる人がいてくれたこともあって精神崩壊に陥らず幸せを手にしている。カミーユも自分の理解者がいてくれれば結末は違っていたのかもしれない。(一応、フォローしておくと周囲もカミーユのことを理解しようと努力してくれていたのだが、その理解の仕方があまりにもお粗末だったのである。)
カミーユ語録
TV版
「カミーユが男の名前で何で悪いんだ!俺は男だよ!」
ジェリドの「女の名前なのに…なんだ男か」という言葉にブチギレて鉄拳をかまし、さらに止めようとした軍人も殴り倒す。アニメ史上初となるキレる若者という主人公の登場である。
この行動が、カミーユとジェリドの間に後々まで続く因縁を生んだのであった…。
同時に「何気なく放った些細な言葉が、他人にとんでもない影響を及ぼすことがある」という現実でもよく起こる事例でもある。
「そこのMP!一方的に殴られる痛さと怖さを教えてやろうか!」
「はははははは!ざまぁないぜ!」
自分に対して暴力的な尋問を行ったティターンズの憲兵に対して、奪ったMk-Ⅱで復讐した際の台詞。
流石に殺すまでには至らなかったが、生身の人間に対してバルカンを乱射したり踏み潰そうとしたりして、怯えて逃げ惑う彼を見て嘲笑するなどとにかくキレッキレで、物語序盤のカミーユの情緒不安定さと無軌道な嗜虐性を象徴するシーン。現在でも語り草となっているシーンだが、放映当時の衝撃はさらに凄かったそうな。
(後に似たような事をやった主人公がいる)
「僕は両親に親をやって欲しかったんですよ!そう言っちゃいけないんですか、子供が!? 」
「子供が無視されちゃたまんないんですよ!!」
立て続けに両親が死んだ後、カミーユは息子である自分を無視してそれぞれのエゴの赴くまま生きていた両親を痛罵する。「子供のあまったれた言葉」なのかもしれないが、カミーユのように機能不全家庭で育った子どもにとっては血の叫びでもある。
「ぼ、暴力は…いけない…!」
エゥーゴの正式メンバーとなった後、ミーティングに遅刻した上に屁理屈をこねて言い訳しまくったため、ウォン・リーからカンフーでボコボコに修正されてしまい、KO寸前での一言。
実は、先に殴りかかったのはカミーユの方であり、さらにジェリドを殴り倒した件も含めて事ある毎に暴力沙汰を起こしてきたため、まるで説得力が無い。
このようにTV版序盤のカミーユは主人公でありながら、あまり肯定的に描かれていない。
一方でウォンの方はカミーユが特別扱いされることで、自身の能力の高さに自惚れて増長することを、彼なりに心配していた模様。なお、カミーユはこの後、クワトロとエマからさらなるお説教を受けるハメに。
「僕は見込みありません。自閉症の子供なんだ」
ウォンに修正された後にいじけて。この後、エマから「自分の都合で大人と子供を使い分けないで!」と叱咤される。
なお、カミーユが自らを指して自閉症と称しているが、本来自閉症とは脳の障害による先天的なものであるため、完全な誤用である。
正しくは発達障害(特にカミーユは家庭環境から愛着障害の可能性が高い)である。
「歯ァ食いしばれっ!そんな大人、修正してやる!!」
もう完全にシャアだとバレてるのにそれでも「今の私はクワトロ・バジーナだ。それ以上でもそれ以下でもない」とはぐらかし続けるクワトロ。それに対し、ついにカミーユはブチギレて修正の鉄拳をかまし、クワトロは「これが若さか……」とつぶやきながらブッ飛ばされた。
シャアという名前に纏わる重責から逃げたい一心で見苦しく曖昧な態度をとるクワトロも悪いが、上記のように「暴力はいけない」と言っておきながらやっぱり暴力に出るカミーユもカミーユである。
「無益な殺生をまたさせる!」
ライラを殺された意趣返しにと、自分との一騎打ちに臨んできたジェリドに対する一言。
カミーユが命の重さを理解したがゆえに出た言葉だが、「する(カミーユが死ぬ)」ではなく「させる(ジェリドが死ぬ)」な辺り微妙にジェリドを見下していることも窺える。
「出て来なければ、やられなかったのに!」
「抵抗すると無駄死にをするだけだって、何で分からないんだ!」
ジャブロー攻略戦の際に敵機を落とした時の一言、敵を殺したくないと言う心情が窺える。
見ようによっては敵兵を見下してる様に見えるかもしれないが、この時の敵機がMSですらない戦闘機である事を考えると納得の台詞である。
「貴方はシャア・アズナブルに戻らなくてはいけないんです!」
カミーユはキリマンジャロ襲撃後、フォウの死を嘆きながらも、クワトロに素性を明かす事を促す。
尚、この前にクワトロはフォウと戦う事を拒否するカミーユを「戦いの中で人を救う方法もある筈だ」と説得するも「ある訳ないだろ!」と一蹴されている。
カミーユの言葉通りフォウは戦死、カミーユがクワトロにキレてもおかしく無い場面だが、冷静に意見を言うだけに留めている事から、カミーユの成長が窺える。
「気にしてなんていませんよ、気にしてたら、ニュータイプなんてやってられないでしょ?」
説得も虚しく暴走しアーガマを襲うロザミア・バダムを叫びながら落とした後、クワトロに「あまり気にするな」と言われた際の反応。
ニュータイプって言っても出来ることは人殺しだけだと自嘲気味に笑いながら言うカミーユに以前の面影は無く、誰の声も届か無くなっていた。
「遊びでやってんじゃないんだよ!!」
「貴様のような奴はクズだ、生きてちゃいけない奴なんだ!!」
戦闘を狩りやゲームのように楽しむヤザン・ゲーブルに対する咆哮。
直後、カミーユのニュータイプ能力に感応したΖガンダムのバイオセンサーは彼の思念を受け取り増幅し、本来の出力を遥かに超えるハイパー・ビームサーベルを発生させてヤザンのハンブラビを両断した。
(ただしヤザンは生存する)
「ハマーン・カーン!お前は人を不幸にする!!」
ハマーンのキュベレイと対峙し、カミーユは彼女が「戦いの意思を生む源」であることを見抜く。
「やめろ!僕たちは分かりあえるかも知れないだろ!」
上記の台詞の直後、ハマーンとの精神共鳴を経て彼女の深層心理に触れたカミーユは、お互いに通ずる孤独と、愛する人の欠乏を見出す。だが、それはプライドの高いハマーンの激怒を呼んだだけだった。
ニュータイプというお互いを分かりあえる存在が、それゆえにいがみ合い、争いを生むという皮肉。「理解し合えても、共感し合えるわけではない」という、Zから逆シャアへ続くテーマの本質をとらえた台詞。
「貴様のような奴がいるから戦いは終わらないんだ!消えろ!!」
ジェリドとの最後の対決にて。
これに対し、ジェリドは「俺を戦いに駆り立てたのは貴様だ!そんなことを言えるのかよ!俺は貴様ほど、人を殺しちゃいない!」と返す。
「こんな死に方、嬉しいのかよ?満足なのかよ?誰が、誰が喜ぶんだよー!!」
ジェリドを倒した後、そのあまりにも無為な死と虚しさにカミーユは、虚空へビームライフルを乱射しながら慟哭する。味方だけでなく敵の死にも悲しむことができてしまう感受性の高さゆえに、すでにカミーユの心は限界を迎えつつあった。
「この決着はつけるんです。そうでしょ?そうでなければ、こんな宇宙も、人の住んでいるところも、息苦しくって…」
ヘンケンが死んだ後、エマとの会話でこの台詞を言った直後にカミーユは、宇宙空間でノーマルスーツのバイザーを上げるという危険な行為に出る。しかも、カミーユはあくまで息苦しいから思わずバイザーを上げてしまっただけという認識しかなく、この行為の危険性を全く自覚していなかった。精神が崩壊する前兆として極めて印象に残るシーン。
「エマ中尉…カミーユ・ビダン、行きます」
女の勘でΖガンダムが人の魂を力にできるメカであることを見抜いた瀕死のエマは、自分の命を吸うようにカミーユに訴えて事切れる。
それを承諾したカミーユは、エマのいるブロックのエアロックを抜き、最後の戦いへと赴く。
「本当に排除しなければならないのは、地球の重力に魂を引かれた人間達だろう!けど、そのために大勢の人間が死ぬなんて間違ってる!」
グリプス2内部でシロッコ、ハマーンと対峙して。「大勢の人間が死ぬなんて間違っている」とフォローしているとは言え、何気にギレン・ザビスレスレのとんでもない事を言っている。
「あなたは、まだやることがあるでしょう。この戦争で、戦争で死んでいった人達は、世界が救われると思ったから、死んでいったんです。僕も、あなたを信じますから!」
グリプス内部から脱出する際にクワトロに言った台詞。
カミーユが幾多の悲劇で限界直前まで精神が追い詰められながらも戦い続けた理由が分かる台詞でもある。
ここでカミーユはシロッコとハマーンを引き付けて自分諸共コロニーレーザーで葬るつもりだったが、クワトロの説得により思い留まる。
「お前だ!いつもいつも、脇から見ているだけで、人を弄んで!」
シロッコとの最終決戦時にて。自分よりも他者への優しさを優先して行動するように成長していったカミーユにとって、あらゆるものを自己の為に利用しようとするシロッコは到底許せる存在ではなかった。
富野監督作品では、シロッコのような「事態に深く関与しておきながら、自らは傍観者を決め込んで静観しようとする人物」を極めて否定的に描くことが多い。
「俺の身体をみんなに貸すぞ!」
このセリフを叫んだ直後、エマやカツを始め、闘いの中で散っていた死者達の魂がカミーユの元に集ってくる。
「俺にみんなの力を貸してくれ」ではなく、「俺の身体をみんなに貸す」というのが実に富野作品らしい言い回し。だが、この行為は死者達の想念に自らの肉体を委ねてしまうという、見方によってはあまりにも危険な行為でもあった。
「許せないんだ!俺の命に代えても、身体に代えても、こいつだけは!!」
シロッコと戦いながら叫んだ台詞。
カミーユはクワトロの説得を受けても尚、世界が平和になるなら自分が死んでも構わないと考えてる事がわかる。
「まだ...抵抗するのなら!うぉぉぉっ!!ここからいなくなれーーーっ!!」
ウェイブライダーによる突撃をシロッコに仕掛けた時の台詞。数多の死者の想念を吸収し、カミーユの極限まで高まったニュータイプ能力による無限のオーラを放つウェイブライダーは、ジ・Oの腹部を貫通、シロッコを葬った。
「違う、違うな。彗星はもっとバァーッと動くもんな」
「うーん……出られないのかな? おーい、出してくださいよ。ねぇ?」
全身全霊をかけてシロッコを倒したカミーユだったが、これまでの精神的な疲弊とシロッコ最後のあがきを喰らい、MSの放つバーニア炎やビームの流れ、爆炎を星の煌めきかなにかと見間違えるほどに精神が崩壊してしまった。
ニュータイプとして最高の能力を持っていたがゆえに、人の死や悲しみ、怒りといった感情を敏感に受け止めすぎた結果、カミーユの精神はそれについていけず、限界を迎えてしまったのだった…。
ロボットアニメの主人公という仮にもヒーロー的な存在が、最後は発狂する結末を迎えてしまうという、ガンダムシリーズだけでなくアニメ史に残る衝撃のシーン。
劇場版
「戦争がなくったって父は愛人を作ったし、母は母で父が若い女と寝ていることを知っていても、仕事に満足しちゃって父を見向きもしなかったんですよ!」
「子供はね……親に無視されちゃたまんないんです!」
両親の死後、TV版と同様に彼らを批判するカミーユだが、劇場版ではクワトロ達が彼の言い分を否定せずに耳を傾け、エマが振ったシャアの話に対してもカミーユの意見に同調するような態度をとった事で、これまでの両親に対する鬱憤が和らいだような印象を与えるニュアンスに変更されている。
「僕は両親が殺されるのを見たんだ!ついこの間の事だった、だからそういうことも何もかもフォウには知ってほしくて、もう一度だけ側に行きたいんだ!」
「僕の事はお隣さんのファ任せだったんだ。うるさい娘でね」
「『爪を噛むな、両手をちゃんと洗え、パンツを取り替えてるか』って!」
サイコガンダムのコクピットでフォウと対峙し、自分の身の上を語った際の台詞。
TV版では両親への不満と同時に、お節介なファに自分が男である事を証明したかったというニュアンスだったが、劇場版ではここでファが常に傍にいてくれたことで決して自分は孤独なんかじゃなかったことに気づき、自分と似ていると思っていたフォウとは違っていたことを悟るという流れになっている。
「とっくに好きさ、自分の名前になっているもの」
フォウに「カミーユって名前、今でも好き?」と聞かれて。自分の名前を嫌っていたカミーユだったが、コンプレックスを乗り越え、これを受け入れた。
TV版ではフォウに「自分の名前が嫌いか?」と問われて「好きさ」と答えるという、ここで初めて受け入れたようなニュアンスだったが、劇場版では「とっくに」が追加され、フォウとのやりとりの時点で既に受け入れていたというニュアンスに変更されている。
「ヘルメットしていると、キスできないや」
宇宙へ戻り、ジェリドとマウアーの猛攻を切り抜けたカミーユはファと再会。前線で戦うファを元気づけるべくキスしようとするが、ヘルメットが邪魔で上手くできず、彼女はくすぐったそうに笑う。フォウとの出会いと別れを経たことで、カミーユは自分の中のファへの想いを自覚していた。
TV版では戦士として成長していくカミーユに置き去りされていくという、前作のフラウ・ボゥ同様のポジションに近いファだったが、劇場版ではカミーユがファを「自分にとって大切な女の子」と捉えていることが強調して描かれており、しっかりとメインヒロインを張っている。
「本当に排除しなければならないのは、地球の重さと大きさを想像出来ない貴方たちです!」
グリプス2内部でシロッコ、ハマーンと対峙した際の台詞の劇場版バージョン。やや選民思想的なニュアンスが含まれていたTV版とは考えが異なっている。なお、後々のアクシズ落としの事を考えると、この場にいたシャアに対してもこの言葉が当てはまっているだろう。
『機動戦士Vガンダム』以降、たびたび富野監督作品で散見される「巨大な『質量』を持つ地球に対する崇敬」という精神的テーゼがここでも見られる。
「ヘンケン艦長やカツや、みんなが死んでいたからって、エマさんはまだ生きています!」
「命の限界って、僕らが思っている以上に強いんです!」
ヘンケンが死んだ後、エマに対して。この言葉を述べた直後、カミーユはTV版同様にエマの前で宇宙空間でヘルメットのバイザーを上げてみせるが、精神崩壊の予兆として無自覚に行ったTV版とは違い、ここではエマに活を入れるために多少のことで人間は死なないものだと見せるため自覚的にやっているのが大きなポイントである。
「あなたはいつも傍観者で、人を弄ぶだけの人ではないですか!その傲慢は、人を家畜にすることだ。人を道具にして・・・・っ。それは一番人間が人間にやっちゃいけないことなんだ!」
シロッコとの最終決戦にて。殺意剥き出しで感情的にシロッコを全否定していたTV版に対し、劇場版では理性的にシロッコを批判し諭すものへと変更されており、カミーユの物事の捉え方が明確に異なっていることが窺える。
「女たちのところへ戻るんだ!!!」
ウェイブライダーによる突撃をシロッコに仕掛けた時の台詞。
女たちを自らの野心を満たすための「道具」として扱ううちに、いつの間にか一人きりになっていたシロッコ。女たちと出会い人間的な成長を重ねて、「史上最高のニュータイプ」へと至ったカミーユ。二人の戦いはカミーユの完全勝利に終わった。
「ファだけは、幻覚でもなければ意識だけの存在でもない、こうして抱くことが出来るんだから...」
劇場版、最後の台詞。
シロッコを倒して全ての決着を付けた後、ウェイブライダーからMS形態に戻り、まるで拘束具を脱ぎ捨てるかのようにフライングアーマーをパージするΖガンダム。正気を繋ぎ留めきったカミーユは、TV版では「出られなかった」コクピットを自ら出ていき、彼を迎えに来たファに抱きついて、この言葉を言う。
ヘルメットのせいでキスは出来ないけれど、こうして抱き合うことは出来る。しっかりと抱きしめたファの、現実として今ここにある生の肉体と、その中の「命という星」の鼓動を感じられる。そこにあったのは、間違いなく確かな「愛」だった。
数多の死を受け止め、そして死者の魂に抱かれて自分の身を委ねることもしたカミーユが、そのままそこに留まるのを良しとはせず、生きている肉体を持つ自分を自覚し肯定したからこその言葉である。
いわゆるだいしゅきホールドの姿勢で絡み合って宇宙に浮かぶ、どこか微笑ましい二人をラストカットに『新訳Ζガンダム』は物語に幕を下ろす。