尾張弁とは?
尾張弁とは、主に尾張国(愛知県西部)中心で話される方言を指す。名古屋弁ともされるが、名古屋が尾張国の中心地になったのは江戸時代、初代尾張藩主徳川義直の清洲越しからである為、都市形成の歴史としては比較的、新しいので此処では広義の意味で尾張弁と称する。
室町時代までの尾張国国府は現在で云う稲沢近辺(「国府宮」はその名残)にあり、其処から織田信長に有名な織田弾正忠家が尾張国主となって以降、清洲に拠点を移し続いて小牧山周辺、岐阜周辺へと勢力を拡大していった為、実は美濃国でも特に中農(美濃国中部)から東濃(美濃国東部)で尾張訛りがあるのはそういった背景があり、徳川幕府開府以降も中山道沿いを中心に美濃国の多くの郡が尾張藩の領地だった事も関係している。故に尾張弁の浸透域は尾張一国を見やるに存外と広く、東は三河国、西三河の市街地(岡崎周辺)、南は熱田から伊勢国、伊勢長島手前まで、北は中津川と、中央アルプスを挟んで郡上まで、西は大垣(伊吹山東麓)までが該当する。飛び地的には例えば前田利家が封ぜられた加賀等でも旧織田家家臣が多く雇用された為、東京-横浜に対する三河弁のように一部を目にする事が出来る。
逆に近所であるはずの伊勢国が伊勢長島を越えると途端に関西方面のイントネーションになるのは、木曽川・長良川・揖斐川という架橋が困難な大河により、近代になるまで往来が極めて不便だったためである。実際に伊勢へのアクセスに当たっては上流で木曽三川を川下りする美濃路や多賀大社や現在の国道1号線(旧の東海道)などから鈴鹿山脈を越える近江路、国道25号を始めとした大和路(伊賀経由)、紀伊半島を海岸線に沿って大きく回る紀伊路(熊野詣、高野山詣りなど現在とは比較にならない程、需要があった)からでしか陸路では往来する事が出来なかった為、自然と尾張訛りではなく文化交流の深い関西訛りになった。
なお、尾張国から伊勢国に陸路で「直接」往来できるようになったのは、明治28年に関西鉄道が開通してからのことであり、それまでは尾張から伊勢への直行ルートは、船(七里の渡し、宮の渡し。大幅な迂回を許容するなら、脇往還の佐屋街道があった)を用いての交通手段しかなかった。さらに道路橋の架橋に至っては俄に信じがたいが昭和8年11月8日、尾張大橋開通に加えて翌昭和9年の伊勢大橋開通まで待つことになる。
東の三河国に関しては前述の通り西三河において尾張弁の浸透が少なからずあるが、三河は国土面積に占める中山間地域の割合が多く、北部は降雪もあり古くから少ない平地に小集落が点在する形の生活体系を保ったが為に、同一国内でも集落によって方言の差異が大きくなってしまっている。加えて江戸時代、尾張は尾張徳川家の一家が一藩として全土を治める一国一国主体制だった点に対し、三河は一国を数多くの小藩が分裂して統治し、更に頑強な関所体制を江戸幕府が採用して人の往来を完全に封鎖してしまった為、経済も生活体制も交通インフラも全てに至って小藩ごとに分裂してしまった経緯がある。よって三河は一口に三河弁といっても少しでも地域が移ろえばかなり言語体系が異なるのが現実である。
西三河に尾張弁が根付き始めたのも明治維新以降の話であり、やはり豊田市や刈谷市、岡崎市といった企業城下町に尾張人が多く勤務している実態と分別して考えるのは非合理である。
さて、全国的には名古屋弁となると「だがね!(だがや!、だて!)」を筆頭とした強烈な語調、語尾の印象が強い。実際には過去、名古屋城下町近辺にて「えーなも(良いですね)」といった柔和な語調で話す上品な上町言葉も存在していたのであるが、現在はほぼ絶滅危惧種で、現状で多用されている尾張弁は概して下町言葉の、悪くいえばがさつで乱暴な口調であることが大抵であり、その点、上町言葉を現代にも伝えている一部の京都弁等とは異なって耳障りな方言という訳では決してないのも事実である。
・多様な尾州弁の一例。
また、料理でも何故か「エビフライ」を「エビフリャー」と呼ばわると周知されているが、実際に尾張でエビフライが特段、有名という訳では無く、故に「エビフリャー」とも呼ばれる事もまずない(特異な食文化については名古屋めしの記事に記述)。
尾張弁も「訛る」方言なので、実際に話し言葉をひらがなで表記する場合、
・書き言葉での「おみゃーさん(意味:あなた、お前様、お前さん)」
→実際の発音、「おめぁさん」(これが一番多い)、「おまぁさぁ」(稀)、「おみゃーさー」(稀)
といったように、滑舌良く発音する類の方言という訳では決してない。実際の話し方が年代や性別によって微妙に異なるのは尾張弁も例外ではないのであり、それがシチュエーションによって多様に変化するので、実際に発話される尾張弁は様々なニュアンスを帯びて聞こえてくる。が、尾張弁を文字に起こして表記するとどれもこれも間が抜けて諧謔じみた文面になってしまう。
もっとも繰り返しになるが、尾張弁(名古屋弁)の下町言葉は関西弁(京都弁や大阪弁など)や博多弁や北海道弁の様に方言萌えに該当する方言ではおよそ無い。
尾張弁独特の言い回し。
・だわ(終助詞)
→~だ。「俺、今日は残業だわ」と、特に尾張は終助詞として「だわ」を用いる。
・だて、て(終助詞)
→~だから。「なんだて?(何ですか?)」「そんな事してかんて(そんな事をしてはいけません)」と用いる。
・わ(終助詞)
→~だ。「そんな事してかんわ~(そんな事をしてはいけません)」。上記の「だて」に意味は重複する。また、「(親などに対して)行ってくるわ(少し出かけてきます)」のように語尾的な感覚で使われる事もある。
・がや、が(終助詞)
→(否定形と同時に使用して)であろうが。だろう。強い否定を示す言葉として用いる。「んなことしてかんがや!」「そんなことしてかんがー!」。
・やぁ(終助詞)
→(動詞のi音と結んで)動詞の推薦、或いは強要。「早くしやぁ(早くしなさい)」、「はよ来やぁね(早く来なさいね)」。
・えらい(形容詞)
→しんどい+つらい。「お客さんえらそうですねー」と云われて思わず謝ってはいけない。
・けった(名詞)
→自転車。けったましーんともいう。無駄に偉そうなのが尾張である。
<2012.02.01追記>
富山の一部でも自転車を「けった」と称する事がCHOCO氏の同人誌「チョコレート・アップル」で表現されている。
・つる(動詞)
→持ち上げて動かす。「机をつる」といった用い方をする。
・かう(動詞)
→(鍵を)かける。施錠する。恐らくはこの「鍵をかう」という用法のみで使われる特殊な動詞。
・やっとかめ、やっとかめぶり(形容動詞)
→久し振り。近年では尾張でも中々、お目に掛かる事がないレアな方便。漢字で書くと「八十日目」。
・おそぎゃぁ、おそがい(形容詞)
→恐ろしい。単体で見るとそれ程、間違えそうもないが「おみゃーさぁまーそぎゃーにおそぎゃーことしてかんわー」といった感じでコンボを決められると中々に意思の疎通は難しい。
・ほかる(動詞)
→捨てる。何かしらの道具など、モノについて訊ねて「ほかっといて」と云われたらそれは「捨てておいて」という意味である。つっけんどんだなぁと放置してはいけない。
・ほかる(動詞+依頼形)
→放り投げる。上記が基本、やや投げやりな語感で使用される事に対し、篤く依頼形で「ソレほかってー」といった具合に用いられると「ソレをこちらに放り投げて下さい」という意味合いになる。語源としては恐らく「放る(ほうる)」が訛り「放す(ほかす)」と合体したモノと類推できる。
・ちんちん、あっちんちん、ちんちこちん(形容詞)
→(特に風呂に対して、触れる事が出来ないくらい湯が)熱い。「おめぁ風呂ちんちんだがや!」と云われても、決して風呂釜が男性器で満たされている訳ではない。イントネーションとしては森林や隣人と同じである。
・お勝手(名詞)
→台所そのもの、或いは台所での調理や水仕事全般を指す。勝手口との混同に注意。
・流し、流し台(名詞)
→台所の水洗いをする場所の事。「流し台」とした場合はキッチンの水回り全体を指す事が多い。便所ともプールとも関係がない。
・勝手口(名詞)
→表門に対する裏門から入った先の、家屋への入り口を指す。
・御座る(動詞)
→実際には日本語として正しい使い方だが「いらっしゃる」の意。尊敬語ではなく「来る」の丁寧語として用いられる。「おっさまが御座った(和尚さんがいらっしゃった)」。
・見える(動詞)
→前出「御座る」と同じように用いる。「いらっしゃる」の意。最近では「御座る」の方が使われなくなってきたが、「御座る」はより社会的地位の大きい人物に対して用いられる事が多い。「今日は先生が見えるからね」。
・あらすか(動詞)
→(「そんな事」、「そんな訳」で繋げて)ある訳がない。「ある」の強い否定、断定系。アラスカとは関係ない。長野県の松本でも「あらすけ」という似た言い回しがある。
・だで(接続助詞)
→「~だから」の意。
・だもんで、もんで、なもんで(接続助詞)
→「~であるからして」、「だから」の意。
・ぼっこ(名詞)
→「粗末」「出来損ない」「レベルが低い」。
・たわけ(名詞)
→「間抜け」+「馬鹿」+「阿呆」+「とんま」くらいのニュアンスを持つ蔑称。
漢字で書くと「田分け」。字面通り農家が田んぼを分割相続して、後々大変なことになったのが語源。
・もーはい、もーはよ(形容動詞)
→「こんなに早く」、「こんなにすぐ」。尾張出はマ行がよく使用される。
・こわい(形容詞)
→「(特に食品関連で)固い」、「歯応えがありすぎて噛み切れない」。
・くたびれる(形容詞)
→「(経年劣化によって耐久消費財が)ヨレヨレになる」。(身体が)へとへとになる。全国表現のようでいて、特に物体に対する表現は尾張、三河近辺の表現である。
・ちゃっと(形容動詞)
→(動詞で結んで)手早く~する。早い所、~する。別にコンピュータ同士が文字を介して会話する訳ではない。
・ちゃっちゃと(形容動詞)
→(動詞、特に命令形で結んで)可及的速やかに~する。急いで~する。
・ちゃんと(形容動詞)
→(動詞で結んで)キチンと~する。真摯な姿勢で~する。
・ひち(名詞)
→数詞の「7」を漢字訓読みで何故か尾張人はこう発言する。従って七味唐辛子は「ひちみとうがらし」とまま発言される方向にある。当然、キーボードでも「ひち」と打っては変換できないことに気が付く。意図的に誤用を避ける為、常日頃から「なな」と発言している人間も目にすることが出来る(主に筆者)。
なお余談ながら、愛知ではなく岐阜の地名になるが正式に「ひち」の読み方をする地名「七宗町(ひちそうちょう)」が存在する。一方で「七宝焼/七宝町」の「七宝(しっぽう)」はなぜか転訛しない。
また数詞ではないが「質権」の「しち」も単体では「ひち」と読んでしまう場合がままあり、名古屋近辺の質屋の看板にはひらがなで「ひち」と大書されていることがある。(「人質」は「ひとじち」と読めるのになぜなんだか)
・かみい(名詞)
→美容院、理容院の総称。「かみいさんに行ってきた」と使用する。
・やぐい(形容詞)
→(主に建築物などに対して)造りが悪い、脆い。
・せわしい(形容詞)
→忙しい+慌ただしいのようなニュアンス。「忙しない」から強調の「ない」を取った状態で用いると日本語的にはこうなる。
・らっせる(終助詞)
→動詞と結ぶ丁寧語の終助詞。「~していらっしゃる」の意。ラッセルとは関係ない。
・えらいきばる(動詞)
→虚勢を張る。見栄を張る。
・こずむ(形容動詞)
→(粉状の物体が液体を入れた容器の)底面に沈む。
地域により差があり、「とごる」という地域もある。
・こける(動詞)
→(1)転ぶ、転倒する。西日本で広く使用されている模様。
→(2)「口が」と合わせて使用し、味覚がおかしくなる、味が分からなくなる。
・喰われる(動詞)
→(蚊に対して)刺される。「蚊に喰われた」と使用する。
・食べで(名詞)
→食べ甲斐。「食べでがある」と使用する。
・身上(名詞)
→所帯。「しんしょ」と発音する。
・ぎょーさん(形容詞)
→沢山。
・けなるい(形容詞)
→うらやましい。
・間に合う(形容詞)
→どんな仕事を任せても良い品質で必ず納品期限に間に合わせる事から「役に立つ」の意味で使用される。逆に「あの人は間に合わないなぁ」とすると「役に立たない」の意味になる。
・まわし(名詞)
→出かける為の準備。「まわししたー?」と尋ねられたらそれは「出かける準備は出来ましたか?」という意味である。力士の回しを装着しろという意味では決してない。
・いざる(動詞)
→(引き摺るように物が)動く。「いざらかす」というように自動詞、他動詞、双方で用いる事が出来る。
・きんとき(名詞)
→サツマイモの事ではなくかき氷の事でもなく、イラガの幼虫の呼称。何故、そう呼ばわるのかは不明。
・いっこく(名詞)
→頑固、頑固者。能登でも使用されている様子から、加能越に封じられた前田利家とその家臣団が持ち込んだモノと推測出来る。漢字で書くと「一刻」の他に「一国」「一克」「一剋」など。
・きもい(形容詞)
→(主に衣服関連で)きつい、小さい。全国的に使われている「気持ち悪い」の略称に当たる蔑称ではない。
・やっとー(副詞)
→長い間、長い期間。「やっとーやっとらんから出来るか判らん」という感じに用いる。「やっとかめ」と同じであれば漢字は「八十」となる。
・でら(副詞)
→とても、非常に。
・なんでか(副詞)
→何かしら色々と。「あの子は来る度になんでか色々と買ってきてくれる」という感じに用いる。この例は特に二重表現による強調として用いている。無論、否定的に「どうしてなのかは」という意味でも用いる。「そんな事したのは何でか判らん」。
・とっきとき、とっきんときん、ときんときん、ときとき(形容詞)
→何かしらの物体が尖っている状態を示す。「この針、ときときだから気をつけてね」や「鉛筆をときんときんに尖らせる」。
・っからかす(形容動詞)
→(動詞と合わせて使用して)ひたすらやり続ける。「煮っからかす(ひたすら煮続ける)」など。
・とろくさい(形容詞)
→(否定的、蔑称として)間抜けで鈍い何らかの行い。「そんなとろくっさいことしとってかんわー」。
・まるけ(名詞)
→~まみれ。「埃まるけ」「ゴミまるけ」と使う。修正資本主義論者の事ではない。
・捨て飯(名詞)
→丁稚奉公人が食すような二束三文の食事。翻って修行期間。「捨て飯食って頑張ってる間」=修行中。
・大冬(名詞)
→「おおふゆ」と読む。真冬の事。
・ほんだで(接続助詞)
→そうであるから、そのようであるから。因果関係を接続する場合に多く用いる。
・~まい、~まいか(終助詞)
→(動詞と結んで)~しようじゃないか。~やろうじゃないか。これは鈍ると「みゃー」になる。「やろまいか」=「やろうじゃないか」。
・もうやいこ(名詞)
→(食料を)複数名で人数分割りすること。基本的には二人の人数で用いられる。「二人でもうやいこしてくやぁえーが(二人で同じ皿から等分して食べれば宜しいでしょう)」。
・あんき(名詞)
→安心できる事、心置きが無い事。実際は尾張独特の方言ではなく「安気」と記す。
・おこわ、おこわい(名詞)
→女房言葉としての「おこわ」に相当するが、尾張では特に赤飯を指す。
・おちょくる(動詞)
→からかう、虚仮にする。関西地方で全般的に使用される。
・きやす(動詞)
→(電灯などのスイッチを)消す。
・わや(形容詞)
→滅茶苦茶な、とんでもない。西日本で広く使用される方言。
・わやくちゃ(形容詞)
→しっちゃかめっちゃか。上記の「わや」に「くちゃ」が付く強調的な形容詞。物事が特に入り乱れて煩雑な状態である事を示す。尾張以外でも割と多く使用されている模様。
・ようけ(副詞)
→沢山。関西弁の「ぎょーさん」と使い方は一緒。
・こそばい、こちょばい、こそばゆい(形容詞)
→皮膚などがむず痒い。くすぐったい。翻って過剰な評価に照れくさい、とも。
・ひとりでに(副詞)
→自らの意図に反して、或いは自らが対象に影響力を及ぼしていないにもかかわらず、自動的に対象が行動を行う事。類義語として「自然に」、「自ずから」。
・いっぺん(名詞)
→一度、一回など一つの機会を指す名詞。尾張だとコレが「まーいっぺん、まっぺん(もういっぺん)」等と前後の単語と融合される事も多々ある。
・しゃびしゃび(形容詞)
→(汁状の物体が味において、或いは粘度において)薄い事。
・だだくさ(名詞、形容動詞)
→無頓着、無駄を内包した蔑称。「あの人はだだくさだから」=「あの人はだらしないから」程度のニュアンス。
・はさかる(自動詞)
→細い繊維状のものが歯に挟まった状態のことを指す。
・どべ(名詞)
→(順位付けの中で)最下位(西日本で主流の言い回し)。
・こわす(動詞)
→(金銭の用語に掛けて)両替する。
・放課(名詞)
→((主に中等教育以下の)学校の)授業と授業の間の休み時間。「昼放課」、「10分-25分放課」(但し、地域によって一部の機関では使われない事に注意)。尚、其の授業が終わった時としての意味では公認されている。
・放課後(名詞)
→(学校の)授業の終了後、その日の学校が終わった後や下校時間だが、上記との衝突を避ける為、「業後」ないし「授業後」、「下校後」(日進-瀬戸地域で見られる)と通称(其れでも中学生迄に自らの手で知る人は増加傾向であるが)。
・覚わる(動詞)
→覚える事が出来る。
・ちょーよ(助詞)
→して下さいよ。「早くしてちょーよ」の様に用いる。
・つける(動詞)
→よそう。「ご飯をつけて」などのように使われる。
・めちゃんこ、めっちゃんこ(形容詞)
→滅茶苦茶(凄く)の意味。強調する場合「めっちゃんこ」になる。Dr.スランプの「アラレちゃん音頭」の歌詞の冒頭で出てくる。
・ご無礼(形容詞)
→(挨拶に於ける)失礼。一般には時代劇ぐらいでしか耳にしない武士言葉であるが、今なお挨拶として「ご無礼(失礼)します」「ご無礼しました」などの用例で使われている。人(家)によっては入浴時の挨拶としても使う場合がある。
現在進行形がある(った)
愛知・岐阜とも「~しよーる」「~しょーる」という言い回しがかつては「~しとる」と明確に区別された意味で用いられていた(現在は半ば混同されている)。
前者は英語で言うところの「be doing」 であり、「do」である「しとる」とは明確に時間の幅や時点が区別されていた。
当然ながら過去進行形(~しよーった)もある。
尾張弁を使用するキャラクター
鳥山明作品のキャラクター
※作者が名古屋出身であるため、尾張弁を使用するキャラクターが複数登場。
宇宙人なのに何故か名古屋弁(尾張弁)を話す。しかし、傍に付き従っている家来や大王の家族たちは、普通に名古屋弁ではない言葉で話している。
ただし中の人は神奈川県出身であったため当然素では話せず、方言指導を則巻アラレ(愛知県出身の小山茉美)にしてもらったという。
ニコチャン大王程ではないが、度々「○○してちょー」、「めちゃんこ」等、尾張弁の単語を使用する。
アニメにおいてのみ、キャストが同じクリリンとの差別化のため、尾張弁を使用する。
その他のキャラクター
日本語吹替版において、原作におけるDr.ドゥームの設定、「ラトヴェリア訛りの英語をしゃべる」を日本向けにローカライズした結果、「名古屋弁をしゃべる」設定となったと言われているがソースはないし、嘘なのではないかという気がする。なぜなら、原語で訛りのない悪役も同作品の吹き替えでは訛っているからである。担当声優は名古屋育ちで、名古屋弁ネイティブスピーカーの南利明。南氏の独特な演技と相まって、どこか間抜けでコミカルな印象が強いキャラクターとなり、一部でカルト的な人気を誇っている。一部三河弁も混ざっている。当然だが作中で名古屋が舞台となるシーンは存在しない。もはやここまでの濃い名古屋弁を話す名古屋弁ネイティブは存在しないと言われており、名古屋弁を履修したい人は一度見ておくとよいだろう。
尾張の中心市街地(作中では「綾金」と表記されている)を出身地に持つ19歳の少女。非常に器用で何事もそつなくこなし、言語も母国語の日本語は当然ながら実務レベルで使用できる英語、スペイン語を操る極めて有能なトライリンガル。銃砲店やポルノ映画スタジオといった職種に囚われぬ様々な職場で働いていた結果、人脈も極めて広い。家出中にロサンゼルス市警殺しの汚名を着せられてしまいメキシコにて逃亡生活中。
アルコールが入ると中間的な尾張弁を話す。
金髪碧眼の白人だが、本人出生前に両親が帰化した欧米系日本人。両親が教えなかったのか、英語は全く話せず何故か尾張弁(語気が粗めの所謂、名古屋弁)を話す(クラスメイトは誰も名古屋弁を使っていない)。ナイスバディだがやや肌が荒れ気味で毛穴が開き気味だとクラスメイトから指摘されている。
本人の中身は純粋な日本人だが、自身の容姿が全く日本人離れしている事に痛くコンプレックスを抱いており、事ある毎に自虐的な発言や行為を繰り返す(代表例として、「明堂高校濡れ烏作戦」と称し自身も含めて全ての教職員生徒の頭髪を黒く染色しようとした)。
名古屋弁に「にゃあ」をよく付けて話すハイブリッド少女。名古屋に対する並ならぬ愛情と、東京の後塵を拝む現状から、標準語、ひいては引っ越してきた東京出身の陣界斗に並ならぬコンプレックス、敵意を懐いている。また、此の役を担当している人と作者の出身は同じ。
・柊茂:(『赤かぶ検事』シリーズ)
妻ともども名古屋出身であるため、名古屋弁を話す。
コミュニケーション
非ネイティブが後天的に習得するのが極めて困難な方言であるが、標準語や西日本方言に比較して大幅な文法の差異が存在しないため、津軽弁や薩摩弁のように第三者が聞いて何を言っているかわからない、標準語への通訳を要すると言った事態はほぼ起きないと見てよい。また高齢者を除いて、普段の会話は標準語の名古屋訛りといったレベルまで方言が廃れており、特に20~30代以下まで年代が下がると、「だがね」「おみゃー」などといった言葉すら使うものはいない。
そのため、外部から尾張地方へ移り住んだ人間が躍起になって習得を試みる必要性は全くない。
一方で首都圏や東北地方出身者は名上の人への敬語表現として「見える」という言葉を多用する(「いらっしゃる」「おいでになる」などの代用として使われる)などの尾張弁特有の言い回しを理解できず、特に短絡的な思考をしがちで多様性に疎い体育会系の人間は「言葉遣いがなっていない」などと安易に決め付けていじめや暴力の大義名分にしてしまうなどの人間関係上のトラブルが生じる可能性は否定はできない。故に、特に管理職として名古屋の支店に出向した人物は、自身の威圧的な言動で現地の社員に総スカンを喰らうことがないよう、尾張弁特有の敬語表現や言い回しがあることを事前に心しておくことが重要である。