日本国内外でこの系列を称する車両はきわめて多数存在する。ここでは国内のものを取り上げる。
京浜急行電鉄1000形(初代)
旧1000形は、1959年(昭和34年)12月に登場し、翌1960年(昭和35年)1月13日に営業運転を開始した京浜急行電鉄の通勤形電車。新1000形(2代目の1000形)登場後は、識別するために旧1000形と呼ばれている。なお、一部のファンや一部の京急の中の人の間では「ボロ1000」とも呼ばれているが、この呼び名に不快感を持つ人もいるので使用には注意を。
伝統の踏襲
京急の伝統である、丸目1灯の前照灯に片開きドア。旧1000形はこのスタイルでデビューした。また、京急と言えば、この旧1000形のことを思い浮かべる人が多く、長年同社の顔として親しまれていた。
譲渡車
旧1000形はいろいろな鉄道事業者に譲渡されている。
高松琴平電気鉄道
ここでは1080形・1300形として、2両1編成で琴平線・長尾線で活躍している。また、一時期中間車が編成の中に組み込まれていた700形も琴平線で活躍している。
北総開発鉄道(現北総鉄道)
7150形として活躍。この編成は京急在籍末期の変則的な編成のまま譲渡され、運行していた。また、カラードアを試験採用している。
リース
一部編成が、当時冷房車不足だった京成電鉄にリース(貸出)されたことがある。京急ファインテックにより京成線内で運行する際に必要な改造を受けてリースされた。デハ1029~デハ1032・デハ1037~デハ1040の8両。
主な改造点
・京成式の停車予告装置を運転室に設置。
・貫通扉下部に種別表示板の窓を設置。
・方向幕を青地に白文字に変更
・社名表示を変更
又貸し
京成電鉄から、千葉急行に行き、その時、赤い部分が青に塗装されていた。その後、運用終了後、青いまま久里浜工場へ回送。最初で最後のブルスカもどきの京急線内運用だった。
幻の譲渡計画
1995年、阪神淡路大震災で多数の車両を失った阪神電気鉄道への“援助”として、1000形の譲渡計画が持ち上がった。実現していれば同震災における最大級の支援となっていたはずだが、車両規格の違い(少なくとも連結器ではない。というのは既に多種多様な連結器を装備した他車車両と神戸高速鉄道を介して一緒くたに走っているため)、輸送ルートの途絶(陸揚げに必要な港湾施設が崩壊していた)などの問題をクリアできず、断念されたといわれている。
伝説の神車、旧1000形
そんな経歴を持つ旧1000形にも終焉の時が訪れた。
2010年6月28日。多くのファンに惜しまれつつも経年劣化により全車廃車となった旧1000形。しかし、その存在は沿線住民やファンの記憶に残る名車、いや『神車』となった。
京浜急行電鉄1000形(2代)
現在の京急の主力。→新1000形を参照
小田急電鉄1000形
小田急電鉄の通勤形電車。1988年(昭和63年)3月より投入が開始された。2600形での試験結果を反映し、営業用車両としては初めてVVVFインバータ制御を採用、また小田急の電車としてはこれまた初となる軽量ステンレス製車体としたが、ステンレス特有のギラギラした光沢を押さえたいという小田急側の意向によって、車体はすべてダルフィニッシュ仕上げとなっている。これは現在の4000形(2代)まで継承されている。千代田線直通に対応するため車体寸法は9000形に準じている(現在は地上線運用専用)。
→小田急1000形を参照
江ノ島電鉄1000形
1979年に登場。300形・500形のイメージから脱却し軽快さを与えた新製車である。
江ノ電48年目の完全新製車なのだが、この間にはプラモのスクラッチ感覚の魔改造車300形、完全に改造とは名ばかりの車籍流用車500形(初代。以下同じ)が間にいるため、実質的には23年となる。
新製は「23年ぶり」だがモデルチェンジ間隔は「23年ならまぁこんなとこ」である。当時は国鉄103系や東武8000系などの極端な例を含め20年以上基本設計そのままの鉄道車両はザラにあった。1980年鉄道友の会ブルーリボン賞受賞車である。
にもかかわらず、長く「昭和54年にもなって新製された貧乏地鉄のツリカケ車」という、誤解によるネガティブな評価が付きまとった。
吊り掛け式の理由
この誤解が助長されたのはツリカケ駆動方式を採用したことによる。
江ノ電の車両限界ではカルダン駆動の採用実績がなく、唯一存在する自社500形では車体のオーバーハングを削ってトラックベースを確保したため、2編成連結の4連時に「停止位置を厳密に守らないと信号が誤作動する」という現象が発生し、この為500形同士の2編成連結は原則禁止(実際には臨時運用などで500形重連はあった)という運用上の支障を来たしていた。
この為、新形式では駆動方式については目処が立つまでツリカケ駆動とすることにしたのである。
それ以外の点では電気指令式ブレーキは初採用、運転装置はワンハンドルマスコンが初採用、車内では客室窓の熱線吸収ガラスの採用、コンビネーション灯具の採用を見越した前照灯配置の採用など、当時大手私鉄でも採用初期~過渡期の技術がふんだんに取り入れられている。
209系以降では当然となるブラインドの廃止も実施されたが、当時は非冷房で新製されたこともあり不評で、増備車(1100形)では復活した。
また主電動機TDK5610-A(全界磁定格出力50kW/300V)もツリカケ式としては異例の高回転型で、歯車比は5.27と国鉄101系の5.60と大差ない。
回生がないことを除けば当時の大手私鉄のそれと比較しても遜色のない最新鋭電車であり、江ノ電の自信作であった。
早い話が京阪80形以来の「走るデタラメ」である。
江ノ電は今日も元気です
さらに誤解の根底では「江ノ電≒零細鉄道会社≒ビンボー赤字会社」というイメージがある。
確かにバブル崩壊後の一時期苦しかったこともあるが、基本的に小さいなりの優良企業であり、小田急グループ随一の稼ぎ頭である。
車両も現役の車両は動態保存車の300形305Fを除いてすべて自社新製車である。また前述のとおり300形も種車の面影などない。
増備車
1100形:1981年の増備車。冷房準備状態で完成、翌年冷房化。
1200形:1983年の増備車で江ノ電初の新製冷房車。また灯具が完全一体型のコンビネーションランプとなり、このため前照灯が円形から角形になった。
1500形:1986年の増備車。ついに駆動方式が中空軸並行カルダンに変更された。
1000形と1500形は2編成ずつ、1100形と1200形は1編成ずつ製造された。
関連タグ(江ノ電)
国鉄1000形
蒸気機関車や電気機関車などでこの形式があったが、最近では新幹線の試作車が有名。新幹線の1000形は東海道新幹線開業後、事業用の921形、941形に改造された。
JR四国1000形
JR四国が1990年より新製した一般型気動車。両運転台車が56両製造された。セミクロスシート。1500形デビュー後は一部の車両が1500形と連結できるよう改造されて1200形となった。
営団地下鉄1000形
東京地下鉄道(現在の東京メトロ銀座線)が1927年の開業当時に投入した電車。地下鉄博物館に1001号が保存されている。東京メトロの1000系の外観はこの車両がベース。
東京都電1000形
都電の車両。戦前期の東京市電において1932年から製造された鋼体化改造車。戦後は62両が残り、9両は7000形に、1両は1300形になったが、残った車両は1967年までに全廃された。
なお、1両のみ1964年に西武鉄道所沢車両工場で改造を施され羽後交通横荘線の客車として活躍、1971年の同線の廃止まで使用された。
横浜市電1000形
1928年に横浜市電初のボギー車として登場した。中央部分は2段式の片開き扉である。20両が製造されたがワンマン化を前に全廃となった。
横浜市営地下鉄1000形
1972年の横浜市営地下鉄開業に合わせて製造されたセミステンレスカー。未来的なデザインは当時大いに話題を呼んだが、3000形に置き換えられ2006年までに全廃された。
なお、トップナンバー編成3両(開業当時の編成)が新羽車両基地にて動態保存されている。
箱根登山鉄道1000形
1981年登場。モハ2形以来46年ぶりとなる新車で、「ベルニナ号」の愛称を持つ。当初は2両編成・非冷房だったが現在は2000形の中間車1両を組み込んだ上で冷房化されている。1982年鉄道友の会ブルーリボン賞受賞車。2編成在籍。
富士急行1000形
京王電鉄5000系の譲受車。派生系列に1200形がある。両者の違いは、1000形がロングシート、1200形がクロスシート。2両編成2本があったが、第2編成は廃車になっている。なお、観光列車「富士登山電車」は1200形。
静岡鉄道1000形
1972年に登場。東急の7200系によく似ているがまったくの新車である。1980年からは冷房車が登場し、その後他の編成も改造された。今後、新型のA3000形へ置き換えられる予定。
遠州鉄道1000形
読み方は「せんけい」。1983年から1996年にかけて2両編成7本が新製された、遠鉄初の3ドア構造を採用したロングシート車である。改良型の2000形は現在も増備が進む。
名古屋臨海高速鉄道1000形
名古屋臨海高速鉄道あおなみ線用の車両。2004年に4両編成8本が登場した。将来的に6両編成へ増結できるように設計されているが現在のあおなみ線の輸送状況を考えると増結の可能性は非常に低いと見ていいだろう。
なお見た目は大きく異なるがJR東海の313系と仕様がほぼ同じ(ドア・窓割りは211系の数値を基本としている)。名古屋臨海高速鉄道ではコストを削減するために大規模検査と車輪削正をJR東海へ委託しており、特に車輪削正は中央本線沿線にある神領車両区にて行われるため同線をを走行する姿が時折見られる。
連結器に密着自連を採用しているが、これはあおなみ線がJR貨物と共用されている路線であり、313系のような密連より救援の場合に合理的であるため。
神戸市営地下鉄1000形 →1000-01形、1000-02形
神戸市営地下鉄西神・山手線の車両で、1977年の地下鉄開業時に登場。電機子チョッパ制御で、6両編成18本が製造される。ローレル賞受賞。
1997年から2012年にかけてリニューアル工事を実施。制御方式をGTO素子によるVVVFインバータ制御に変更したものは1000-01形、IGBT素子によるVVVFインバータ制御に変更したものは1000-02形に形式変更された。改番は行っていない。
北九州高速鉄道1000形
1985(昭和60年)に北九州高速鉄道小倉線に登場した跨座式モノレール車両。編成により異なる帯色、丸いヘッドライトや先頭部分のパトランプが特徴的。
4両編成で全10編成が存在し、そのうち第10編成は小倉駅-平和通駅間が延伸した1998年(平成10年)に増備された。
当初は帯色は青であったが、これに加えて緑、黄、赤、紫など編成ごとにさまざまな色の帯色を纏うようになったほか、2010年(平成22年)より松本零士の「銀河鉄道999」をテーマとしたラッピング編成も期間限定で運行している。
西鉄1000形
福岡市内線・北九州線用の連接車(路面電車)をイメージするか、はたまた大牟田線の高性能特急電車をイメージするか…?後者は天神大牟田線の過去の車両項目を参照(※大牟田線の1000形は「せんけい」。西鉄では『形』を鉄道線では『けい』、軌道線では『がた』と呼ぶ慣習がある)
広島電鉄1000形
広島電鉄の最新鋭の低床車。市内線の単行車の代替であるため連接車では初のワンマン運転対応車となった。1001号の愛称は「ピッコロ」、1002号の愛称は「ピッコラ」で、開業時を意識した茶色の塗装。1003号以降は「Greenmover LEX(グリーンムーバーレックス)」として、5100形をマイナーチェンジしたような塗装になった。市内線7・8・9号線で運行。
鹿児島市電1000形
「ユートラム」。鹿児島市交通局の超低床路面電車。3車体で1両である。19両在籍。以降の増備は7000形へ移行。
名古屋市交通局N1000形
名古屋市営地下鉄東山線の車両。5000形の置き換え用として製造され、バリアフリーに対応させ6両編成21本が製造された。
福井鉄道F1000形
福井鉄道の超低床路面電車。古くなった200形・600形・610形の老朽取り換え用として自社発注で製造された。ラッシュ時の輸送力を確保する必要があることから、日本国内のブレーメン型路面電車では初めて3車体式となった。
→FUKURAMを参照