タップダンスシチー(ウマ娘)
うまむすめのたっぷだんすしちー
プロフィール
キャッチコピー | 仲間も夢も金も総獲り!ロマンに生きるウマ娘 |
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誕生日 | 3月16日 |
身長 | 170cm |
体重 | 気にしてないね |
スリーサイズ | B89・W55・H88 |
靴のサイズ | 左右ともに25.0cm |
学年 | 高等部 |
所属寮 | 栗東寮 |
得意なこと | ピザのカット、ケンカの仲裁 |
苦手なこと | 時間を守ること、にらめっこ |
耳のこと | ロマンを求めてクルクルと動く |
尻尾のこと | ダンスで映えるようにオイルケアしている |
家族のこと | ママの焼くマシュマロパイは自慢の味 |
マイルール | - |
スマホ壁紙 | - |
出走前は… | - |
得意科目 | - |
密かな自慢 | - |
よく買う物 | - |
ヒミツ | ①時差ボケを一切しない / ②抱き枕派 |
自己紹介 | さあ、心躍る旅を!仲間と踊る日々を!Everyone!夢を見たいヤツは全員───このタップダンスシチーの船に乗りな! |
CV | 篠田みなみ |
ある日本のウマ娘のレース中継を見たその日のうちに、生まれ育ったアメリカから日本のトレセン学園にやってきた、超・行動派ウマ娘。
大金や名声のために走ると豪語してはばからないがそれは彼女が何より叶えたいと願う“ロマン”を現実にするために必要なことなのだとか。
(公式ポータルサイトより)
概要
タップダンスシチーは、クロスメディアコンテンツ『ウマ娘プリティーダービー』に登場するウマ娘。モチーフ馬は00世代の晩成マル外逃げ馬「タップダンスシチー」号。
2023年2月22日の「ぱかライブTV」でカツラギエース、ジャングルポケット、ネオユニヴァース、ヒシミラクル、三女神と共に追加が発表された。
アメリカ出身のウマ娘。生まれも育ちもアメリカだが、ジャパンカップでのカツラギエースの走りに魅了されその日のうちに日本にやって来たという超行動派。
そんな衝動的にも程がある経緯で来日したため当初は日本語での会話もままならない根無し草で、トレセン学園の栗東寮に入寮するまでは彼女を拾ってくれた茶髪とツインテールの二人の女子高生の世話になっていた。
入学後はサングラスとヘアバンドのウマ娘二人も友人として加わり、この5人を中心にいろんな人物とつるんでいる。
そうした縁からか友人に対する仲間意識は非常に強く、根底には一人でいてもつまらないという考えから進んで人と交流を持つようになった。しかし、やがて年を経るごとにいずれはその友人達に離れ離れになったり疎遠になるかもしれないと聞かされたタップは、とある野望を持つようになった。
その走る目的は、「仲間と一緒に生きていける城を建てること」。仲間と別れてもいつでも帰ってこれる居場所を作りたいという願いから、その資金やスポンサーを得るために日本のみならず凱旋門賞など世界中に名を轟かせるレースで勝つことを目標とし、トレーナーやマスコミにも「大金や名声のために走る」とあけすけに語っている。
エースの走りに惹かれたのも、シンボリルドルフやシービーと言った面々を打ち倒し世界を驚かせた姿に強く共鳴したからである。
寮のルームメイトはダイタクヘリオス。ヘリオスの親友のメジロパーマーのルームメイトはカツラギエースであることから、対のような組み合わせになっている。
髪の毛の位置で眼鏡キャラとたまに間違えられることがよくネタにされる。pixiv内でも眼鏡を付けたタップのイラストもちょくちょく確認されている。
容姿・デザイン
鹿毛の髪をウェーブがかかったボブカットにしているが、一部を赤と青に染めた上で三つ編みにしているのが特徴。
牡馬をモチーフとしたウマ娘は共通する特徴として右耳に耳飾りを付けており、タップダンスシチーの場合は金の鯱を模った耳飾りを付けている。これはモチーフとなったタップダンスシチー号が「金鯱賞」を3連覇したことに因むと考えられている。
モチーフ馬の「青、赤袖、白3本輪」を意識して、白三本輪の入りの青いスカーフと赤いトップス、下は白と青のスカートと黒タイツを合わせている。2周年キービジュアルでは、勝負服を纏ってカツラギエースとミスターシービーを追いかける位置を走っている姿が確認できる。
- 高らかにYO-HO!
イベントストーリー第29弾『フェアウェルを継ぎ接いで』で登場する、劇のためにデザインされた「詩人」としての姿。どうやらとある人物からの頼みである悪魔に会いにやって来たらしく…?
- 私服(ゲーム版)
ボーダー服の上に黒い革ジャンを着た私服姿。
ゲーム版
「人だとかウマ娘だとか、何年来の付き合いだとか、そんなのはどうでもいい。んなことにこだわってたら、現実という壁を壊し、世界の大海に出るなんてできないのさ!」
2023年3月20日に実装されたシンボリクリスエスの育成ストーリーにて初登場。
サポートカードとしては同年9月29日よりストーリーイベント「フェアウェルを継ぎ接いで」の開催と同時にR・SSRが初実装された。
同年11月20日に☆3の育成ウマ娘として実装。
育成ストーリーも上述の友人と共に「城」を建てる夢を叶えるため、トレーナーらと協力して成り上がっていく内容となる。やがて、レースを勝ち上がる度に少しずつ仲間を得て、海外遠征への野望が見えてきた中で彼女が選ぶ答えにも注目してほしい。ちなみにシャカールを勧誘するときのノリがジャンプの海賊マンガに似ていると評判。
パドックでは自身の名前の由来であるタップダンスのパフォーマンスを披露している……というか他人のシナリオに登場すると大体踊っている。クリスエスとは一度ダンスバトルを仕掛けたこともある。
出走した年代が近いということで、シンボリクリスエスやヒシミラクル、ネオユニヴァースなどのシナリオにもちょくちょく出没している。
育成ウマ娘
- ☆3[GLITTER!]タップダンスシチー
スピード | スタミナ | パワー | 根性 | 賢さ |
---|---|---|---|---|
100 | 88 | 88 | 95 | 79 |
+10% | +0% | +10% | +10% | +0% |
バ場適性 | 芝 | A | ダート | G |
距離適性 | 短距離 | マイル | 中距離 | 長距離 |
G | E | A | A | |
脚質適性 | 逃げ | 先行 | 差し | 追込 |
A | B | F | G |
サポートカード
- SSR[高らかにYO-HO!]タップダンスシチー
ストーリーイベント「フェアウェルを継ぎ接いで」の開催と同時に追加されたSSRサポート。タイプは根性。
- SR[Cheers!]タップダンスシチー
2024年3月21日にメインストーリー第2部 前編の公開と共に実装されたSRサポート。タイプは根性。
競走馬『タップダンスシチー』
【これがオレ達の走りだ。】
駆け引きなんて必要ない。お互いを信じて、ただひたすら「自分の競馬」に徹する。
それが彼らの築き上げた、勝利へのセオリー。
タップダンスシチーと佐藤哲三。信頼の絆で結ばれた人馬の、
熱く、力強い走りが、私たちの心を惹きつける。
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1997年3月16日生まれ、00世代の米国産馬(マル外)。鹿毛の牡馬。
ゆっくりと成長、晩年にハイペース逃げスタイルを確立して輝いた大器晩成の快速馬。
ゴールドシチー等で知られる冠名「シチー」の馬主クラブ「友駿ホースクラブ」の所有馬。
勝負服は「青、赤袖、白3本輪」。
母オールダンスの11番仔で、母父は大種牡馬ノーザンダンサー。
馬名は父のプレザントタップ(リボー系)に由来する。
管理調教師は佐々木晶三。友駿HCでは以前、半兄クリプトシチー(父クリプトクリアランス)を購入して佐々木師に預けており、その縁で連絡を貰った佐々木師はタップを見て一目惚れ。即座に優駿HCの塩入社長にタップを預けてくれるようにと申し込んだという。
騎手は流動的だったが、6歳秋以降は佐藤哲三が主戦として固定された。
調教を始めると、生来の気性の荒さを露呈。鞍を付けると興奮し、名前どおりタップを踏むようにチャカチャカ歩く癖があった。それでもなんとか2歳秋のデビューに向けて目途がついたのだが、曳き運動中に手綱に躓いたことがきっかけで大暴れ。舌を切ってしまってデビューが先送りになった上、他馬を怖がるようにもなってしまった。
結局、デビューは遅れて3歳の3月4日。2戦目の折り返し新馬戦(3月19日)で初勝利をあげたものの、その後は中々勝ちが遠い。暫くは四位洋文が主戦騎手を務めたが乗り替わりも激しく、同期エアシャカールらが華々しく活躍する中、12月9日に格上挑戦の天竜川特別(900万下、芝2500m。鞍上は松田大作)でようやく2勝目を挙げた。
同期マル外のアグネスデジタルが大覚醒した2001年(4歳)は6戦全て惜敗(2着2回3着1回4着1回5着2回)に終わる。
2002年(5歳)、4戦目(京都新聞杯)以来の重賞となるGⅡ日経新春杯(鞍上・川原正一)に、未だ準オープン入りすらまだの状態で格上挑戦し、2着で収得賞金の積み増しに成功。その後、2月9日の春日特別(1000万下)に武豊騎乗で1年2ヶ月ぶりの勝利、更に3月2日の御堂筋ステークス(OP)ではペリエ騎乗で連勝し、ようやくオープン入りを果たした。
ここから勝浦正樹騎乗で日経賞2着、メトロポリタンステークス3着(OP)、目黒記念5着と3戦。更に四位洋文で函館記念に挑んで8着。この時、四位は佐々木師に「こういう馬は哲っちゃん(佐藤哲三)が合っていると思います」と伝えた。
そして秋になり、9月7日のGⅢ朝日チャレンジカップで11人目の相棒として佐藤哲三が騎乗。
ベストパートナーを得たタップは終始3番手の好位につけ、直線で大外から先頭に立つ。そして内から一旦はイブキガバメントに交わされたものの根性で差し返し、阪神2000mのコースレコードで初重賞制覇。以降は全てのレースで哲三が騎乗した。
次走京都大賞典は99世代の力を証明し続けていたナリタトップロードの3着に敗れた。アルゼンチン共和国杯では思い切り引っ掛かって3着敗北。京阪杯5着の後、年末の有馬記念で初のGⅠレースに出走。哲三はアルゼンチン共和国杯での引っ掛かりの経験をもとに、タップを控えさせず思い切って前に出ようと決めた。
ブービー13番人気の伏兵だったタップはスタートでハナを取った後、引っかかってハイペース逃げていくファインモーションに先頭を譲って番手追走。バテたファインモーションをバックストレッチで交わすとそのままハイペースに乗って大逃げ状態に。
最終直線に入っても後続ははるか後方、まさかの勝利が見えたが、シンボリクリスエスの驚異の末脚が爆発してゴール直前で半馬身差し切られた。2着惜敗だが、連勝馬券は148.3倍の万馬券、マル外の1-2フィニッシュは有馬史上初。
2003年(6歳)は4月の東京競馬場リニューアル記念(OP)勝利で始動し、金鯱賞で連勝。宝塚記念では久々に番手ではなく控えて中段での展開となり、伸びを欠いてヒシミラクルの6着。
秋は10月の京都大賞典で始動。スタートから一気にハナを奪い、ヒシミラクルを振り切ってセイウンスカイ(98年)以来の逃げ切り勝利。この後は天皇賞(秋)からの秋三冠路線だが、佐々木調教師は3戦使うと馬が持たないと判断。府中2000が一番合わないと考え、天皇賞を回避した。
11月30日、タップは「第23回ジャパンカップ」に出走。パドックでは普段2人曳きがいるほど煩いタップが、この日はチャカつかず、それどころか欠伸をする程に落ち着いていた。
本馬場入場後、哲三は重馬場状態を確認して「番手追走ではノメる」と直感。ゲートが開くと思い切ってタップをハナに立たせ、リズムを崩さないように走らせ続けた。タップは飛ばし続け、バックストレッチに入ると後続をぐんぐん突き放して大逃げ状態に。先頭のまま最終コーナーを回って直線に入ってもタップの脚は緩まない。
シンボリクリスエス、ネオユニヴァース、ザッツザプレンティ、ツルマルボーイ、更には海外からの刺客達達。重馬場に苦しむ名馬達を完全に置き去りにし、内ラチ沿いをただ1頭スルスルと駆け抜けた。
「2400!逃げ切るとはこういうことだ!魅せてくれた仮柵沿い!タップダンスシチーです!」
フジテレビ実況の塩原恒夫アナが叫んだ言葉は、この逃げ切り勝利の鮮やかさを端的に言い表している。
デビューから32戦目、6歳秋でついに掴んだ遅咲きのGⅠ初勝利。2着ザッツザプレンティとの着差は驚愕の9馬身。これはグレード制導入後の中央平地GⅠレース史上最大着差記録(※1)であり、今も破られていない。
(※1)グレード制導入前には八大競走の大差勝ちを5頭が記録。
(ヒサトモ、クリフジ、トキツカゼ、ヒカルタカイ、テスコガビー)
その後は有馬記念に出走。ザッツザプレンティとアクティブバイオがハイペースで逃げ、タップは少し控えて3番手追走を選んだ結果、最終コーナーで馬群に沈み、ラストランのシンボリクリスエスがお返しのレコード+9馬身差で連覇を達成した。
2004年(7歳)、たっぷり休養を取った上で5月29日の金鯱賞で始動。ザッツザプレンティやアドマイヤグルーヴに三冠牝馬スティルインラブと豪華なメンバーが揃う中、今度は番手追走から3角まくりを敢行し、追撃を振り切って見事に押し切り勝ち。サイレンススズカのコースレコードを更新し、史上初の金鯱賞連覇を達成した。
この勝利を受け、タップ陣営は凱旋門賞への挑戦を決断。その前に、と第45回宝塚記念へと出走した。1枠1番だったJCとは対照的に大外8枠15番からの出走。タップは積極的に内へ内へと切り込み、ハイペースで逃げるローエングリンを追走。バックストレッチでペースを落としたローエングリンを交わして先頭に立つと、速度を緩めずロングスパートを敢行する。
追い込んでくるシルクフェイマスやリンカーン、ゼンノロブロイ、ザッツザプレンティらを振り切り、ビワハヤヒデのレースレコード(阪神開催)2:11.2を0.1秒更新。JCが馬場に恵まれたフロックではなかったことを証明してみせた。7歳馬の宝塚記念制覇はスピードシンボリ以来2頭目。
夏の放牧を挟んで凱旋門賞のためにフランス遠征が計画されたが、本来使う予定だった貨物機が機体トラブルで飛べなくなり、日程調整が難しいとして出走断念を発表。しかし出走を求めるファンの声に押されて断念を撤回…とドタバタ劇の末、レース2日前に現地へ入厩。
状態は良かったのだが、歳を重ねて落ち着いてきたタップは当日の輸送ですっかり興奮してしまい、パドックでは若い頃の“タップダンス”を披露してしまう有様。長い直線でズブズブと沈んでしまい、勝ち馬のバゴから17馬身も突き放される17着と大敗した。
帰国後、年内引退が発表され、ラストランとして有馬記念を選択。しかし、出走4日前に引退撤回、現役続行が発表された。
タップはフランス遠征の疲れもなんのその、前年の雪辱を!とばかりにスタートから史上最速ペースでガンガン飛ばしていく。馬群は縦長に伸びていくが、全頭ハイペースにしぶとくついて来た。
それでもタップのハイペース逃げは止まらない。最終コーナーを回る頃には、前についてきていた馬は脚が止まって次々脱落していった。しかし…
ただ1頭、終始2番手追走のゼンノロブロイだけがタップの真後ろをヒタヒタと追ってきていた。そして残り1ハロンを切った所でロブロイがスパート。全力で逃げ続けたタップも最後の力を振り絞って叩き合いに応じたが僅か及ばず、ロブロイが史上2頭目の秋古馬三冠を達成。
その勝ちタイム2:29.5は前年のシンボリクリスエスのレコードを1秒も更新。これはタップの異次元の逃げが生み出したスーパーレコードであり、例年ならば圧勝しているはずの走りだった。有馬記念で2分30秒を切った馬は今(2023年2月現在)もなおロブロイ、タップ(0.1秒差)、シルクフェイマス(0.3秒差)というこのレースの1~3着馬しかいない。
2008年(8歳)、みたび金鯱賞から始動。
大外枠のスタートだがしっかりハナを奪うとペースをコントロールし、有馬とは打って変わってスローペースで余裕を持った逃げを敢行。直線に入ると上がり3Fタイム2位タイの“逃げて差す”走りで後続をちぎり、セカイオー(56~58年鳴尾記念)以来史上2頭目(※2)のJRAサラ系平地同一重賞3連覇を達成した。
(※2)障害馬では77~79年中山大障害(秋)のバローネターフ、交流重賞では02~04年JBCクラシック3連覇のアドマイヤドン、アラブ系ではシゲルホームランの93~95年セイユウ記念などの前例がある。
しかし次走の宝塚記念に向けた最終追いきりの際に他馬に蹴られ、負傷。どうもこれでタップの心が折れてしまったようで、宝塚、天皇賞(秋)、ジャパンカップと全て掲示板外(7、9、10着)。ラストランの有馬記念も見どころなく12着に終わり、レース後に中山競馬場で引退式が行われた。
通算成績:42戦12勝(GⅠ2 GⅡ4 GⅢ1) 2着6回(GⅠ2 GⅡ1) 3着7回(GⅠ1 GⅡ3 GⅢ1)
獲得賞金:10億8422万1000円
生涯獲得賞金額はナリタブライアンを上回り、テイエムオペラオーとスペシャルウィークにつぐJRA史上3位(当時)となった。
- 憧れのジャパンカップ
大阪・泉佐野市出身の佐藤哲三は中学までは競艇選手になろうと考えていたが、第4回ジャパンカップでカツラギエースが三冠馬2頭も海外馬も振り切って日本馬初の勝利を掴んだ姿に感銘を受け、一念発起してJRA競馬学校騎手養成課程を受験、合格して騎手になった。
タップダンスシチーはそんな哲三騎手に、憧れのジャパンカップを19年前のカツラギエースのように逃げ切るという、夢のような勝利をプレゼントしてくれた。
佐々木晶三調教師も第1回ジャパンカップで勝者メアジードーツを駆ったランス・アスムッセンの騎乗フォームと、なによりも華やかに映った「ジャパンカップ」に強い憧れを抱いた。しかし騎手時代には騎乗が叶わず、調教師になってからも「どんなレースよりも、それこそダービーよりもジャパンカップに出走させたい、勝ちたい」と願い続けた。
ジャパンカップに初めて送り込んだタップは、調教師としての初GⅠ勝利を悲願のジャパンカップでプレゼントしてくれたかけがえのない馬であり、「僕の夢を全て叶えてくれた馬」「全てを教えてくれた馬。夢の夢である凱旋門賞にまで連れて行ってくれた。こんな素晴らしい馬はいない」と語っている。
- 名コンビ?
実は、佐藤哲三はタップに滅茶苦茶嫌われていたらしく、一方で哲三の方も「GⅠではタップに乗りたくない」と常々思っていたという。こちらはタップが嫌いというより制御が難しいため、大舞台でミスを犯して競馬ファンを怒らせてしまうことが怖かったとか。
余談
実装できなかった可能性
タップダンスシチーは同馬主のゴールドシチーが実装されている為、リリース当時から登場への期待がかけられた一頭ではあるが、実は一時期行方不明になっていたことがあり、実名での登場を絶望視する声も少なくなかった。
種牡馬引退後のタップダンスシチーは乗馬となったのだが、ノーザンファーム天栄でスタッフ訓練に供されていたのを最後に行方が分からなくなり、ネット上ではだいぶ騒ぎとなった。一時は最悪の事態も想定されていたが、後に美浦の個人牧場で繋養されていたことが判明し、現在もそこで過ごしている。
なにぶん小さい牧場なので、多くの客が来ると対応できないため秘匿されていた模様。
似たようなケースだとテイエムオペラオーが該当するが、こちらは一部の悪質な嫌がらせから逃す為にあえて秘匿していたこと、そもそも亡くなったのが2018年とウマ娘として登場して以降であるため、「どこかで生きている」という考えがむしろ自然だった。
後に2023年11月20日、未だに行方不明であるサムソンビッグがウマ娘化して反響を呼んだ。
関連動画
佐藤哲三、タップダンスシチーのガチャを一発で引き当ててみた
関連項目
同期(00世代)
ジャパンカップ逃げ切り(史上3頭)
- カツラギエース(ウマ娘):恐らくタップダンスシチーが日本に来るきっかけとなった「ある日本のウマ娘」の元ネタ。史実の項目にあるように、タップダンスシチーの主戦騎手を務めた佐藤哲三はカツラギエースのジャパンカップ逃げ切り勝ちを見て騎手を志した。
- キタサンブラック(ウマ娘)
友駿ホースクラブつながり
・エスポワールシチー(ウマ娘):主戦騎手・佐藤哲三繋がり
※ワンダーアキュート育成では「ウマ娘E」
佐々木晶三厩舎つながり
・シーキングザパール(ウマ娘):後に森秀行厩舎へ転厩
GⅠ史上最大着差記録繋がり
・ナリタブライアン(ウマ娘):菊花賞7馬身(グレード制導入後)
・シンボリクリスエス(ウマ娘):有馬記念9馬身
・ディクタストライカ(ウマ娘):阪神3歳ステークス8馬身(モデルはサッカーボーイ。)
・メリービューティー:東京優駿6馬身(モデルはメリーナイス。グレード制導入後)
血統繋がり
・メジロパーマー(ウマ娘):2023年現在、セントサイモン系はタップとパーマーのみ。