将棋
しょうぎ
歴史
起源
多くの類似ゲーム(チェスなど)と同じく、インドの「チャトランガ」が起源であると見られている。東南アジアにはタイの「マークルック」のような類似ゲームがあり、そこから(恐らくは中国(唐)の沿岸部で駒の平面化を経て)日本へ伝わったのではないかと推測されているが、記録等が乏しい(というかほぼない)ため詳細は定かでない。そのようなわけで、囲碁とは違い伝来した時期は不明だが、平安時代に入った11世紀には既に存在していたことが確認されている。
なお、中国の「象棋(シャンチー)」が由来であるという説は、「駒の形や動きが違う」「駒を盤面に置く位置が違う(象棋は、囲碁のように線の交点に駒を置く)」「象棋には『河界』という、一部の駒が通行不可能なゾーンがある」といった理由で、直接の関係はないと否定されている。ただし、駒が「平面+漢字」になったのには関係しているかもしれない。また、象棋もインドのチャトランガが起源と考えられているので、直接の先祖ではなくとも、従兄弟のような関係である。
平安時代
ともかく、日本に伝わった将棋は、平安時代には飛車と角行がない「平安将棋」と、各種の駒を追加した「平安大将棋」があり、その後も次々と駒が追加されたり、肥大化したルールを削ったりがあり、駒の種類が多い「大将棋」、大将棋をコンパクトにした「中将棋」、大将棋の一部の駒を平安将棋に導入した「小将棋」が生まれた。
戦国時代(16世紀)に小将棋に微修正を加えたのが、今の本将棋である。
なお中将棋は現代まで辛うじて伝わっているが、大将棋は中世に廃れてしまい、いまだに全容は不明である。現在に伝わる中将棋には持ち駒の概念はないため、持ち駒ルールは小将棋から本将棋に変わった時期に付け加わったものと思われる。
現代
現在では、人間同士の対戦のほか、コンピューターによる将棋やネットワークを通じた対戦も親しまれている。新聞掲載やテレビ放映だけでなく、AbemaTV・ニコニコ動画などの動画サイトでも配信されている。また、漫画などの題材にもなっており、それについては関連タグを参照。
特徴
駒は五角形で平面的な「将棋の駒型」で、表に駒の種類の名前が(漢字で)書いてあり、裏には、奥まで進んで「成る」と種類を変えられる駒はその名前を書いてある。
チャトランガを原型とするチェス様のゲームは世界中に存在するが、その中でもトップクラスに複雑な方向に進化を遂げている。最大の理由は(前述の「大将棋」、「中将棋」まではなかった)「取った駒の再利用」という、いわゆる「持ち駒」の概念ができたうえ、他国の類型ゲームには存在しない極めて独自性の強いルールである(外国人にはとても理解しがたいルールらしい)。この持ち駒の考え方が、いつ出来たのかは良く分かっていない。すでに原型の平安将棋の頃にはあったとも、戦国時代に本将棋になった時点で付け加わったとも言われている。歴史的に確実なのは、江戸時代初期に持ち駒を使った棋譜が残っている。
まぁチェスの感覚で捉えると殺した敵軍の兵士がいきなり復活して味方になるという訳の分からない展開になるので、むしろなんでこんな発展を遂げたのか謎である(日本では戦国時代、安土桃山時代までは調略などによって敵対勢力の武将を切り崩して味方につけることがよくあったので、その影響が組み込まれたのかもしれない)。なお、1960年頃、「クレージーハウス」や「バグハウスチェス」という、持ち駒の概念を取り入れたチェスの変則ルールが出来た。ただ、これらは先攻が有利という問題があったので、1997年にルールを改良した「ホステージチェス」が発表された。いずれも世界的な大会は開かれておらず、あくまで趣味の範疇として遊ばれている。
戦後GHQが『日本の将棋は捕虜にした将兵を強制的に自分がいた陣営と戦わせている』として将棋を禁止しようとすると、第4代名人・升田幸三は『将棋は捕虜にした将兵を同じ待遇で用い、将として重用している』と説得したことにより、将棋が禁止されることを免れたという。
しかし、駒の字をよく見てほしい。玉(ぎょく)、金、銀、桂(かつら) (肉桂)、香(お香)と、宝玉の類ばかりである。また、この当時、香辛料は高価であり、宝玉と同等の扱いを受けたものさえある。飛車・角行は古いタイプの将棋(平安将棋)には存在せず後付け、「王将」も南北朝~戦国時代あたりに産まれたとも言われる。この時点で「王」「女王」「騎士」「城」「僧正」等、権力の象徴を表したチェスとは全く趣が異なる。つまり、チェスが権力と権力のぶつかりあいなら、将棋は宝の取り合いっこ気分で遊びに興じているのであり、「取った駒の再利用」という発想もあり得る話である。「歩兵」はさしずめ蔵の見張り番ポジションか。兵が幅を利かす前から発展させてきた日本ならではの発展と言えるのかもしれない。
なお、実は将棋に「相手の王将を取る」という概念はない。将棋における敗北条件は「投了する」「反則負け」の二つしかないのだ。詰んだ状態で無理矢理他の駒を動かすと「王手を放置してはいけない」というルールに引っかかり、反則負けとなる。
つまり相手の王将(玉将)の行動を完封した方が勝つゲームなのだ。
プロ棋士レベルになると駒と盤すらなくても将棋を指せるらしく(余談だが、将棋のゲームをすることは「指す」と表現し、「打つ」では無い。ただし、駒を動かす動作は駒を「打つ」と表現する)、頭の中で盤と駒の位置を正確に把握したイメージとして対局できる程。そうなると電車の中だろうが風呂の中だろうがお構いなしに対局できる。
複雑になったとはいえ、シミュレーションゲームとして考えると「マップ固定」「地形効果無し」「ユニット固定(ハンディ戦として、上位者が一部の駒を最初から落とす駒落ち戦はある)」「HP1固定(一撃必殺)」「パワーアップ(成)は1種類限定」と極めてシンプルである。歩兵であっても玉将を詰ませられる(ただし、持ち駒の歩を打って詰ませることは反則となる)など、ユニット間の攻撃性能も基本的に差は無く、違いは移動性能のみといってよい。
将棋は完全情報ゲームの一種であり、必勝法が存在するゲームである。しかし、人間はもちろん、コンピュータによっても未だに必勝法が解明されていないほど、奥が深いゲームなのだ。
コンピュータ将棋
その複雑なルールから、すでに1997年にはコンピュータが人を優越したチェスと違って、将棋はコンピューターと戦ってもしばらくは負けることはないだろうと予測されていた。一方でその日は(局面の数が将棋より多い)囲碁に比べれば早いだろうとも予想されていた。
1968年、日立製作所の越智利夫らが、詰将棋プログラムを発表したのが、コンピュータ将棋の最初である(清愼一コンピュータ将棋の初期の歴史)。当時のコンピュータの性能では、複雑な将棋のルールを全て処理することは難しかった。そのため、まず、「連続王手をかけ続け、正解すれば必ず相手は詰む」ルールとなっている詰将棋を解くプログラムを開発したのである。日立の「HITAC5020」で動作したこのプログラムを、原田泰夫八段と加藤一二三八段(段位は当時。以下同)はアマチュア初段、最終的にはアマチュア三段相当と認定した。
最初の本将棋を指すプログラムは、1975年5月に完成した。日本電気と推理作家・斎藤栄のタイアップ小説のコラボ企画として、「江戸時代の天野宗歩棋聖と、現代の棋士が対局したらどうなるかをコンピュータで再現できないか」という依頼を受け、早稲田大学大学院理工学研究科の大学院生であった瀧澤武信(後のコンピュータ将棋協会会長)らが開発したプログラムだった。
しかし、最初からアマチュア有段者クラスであった詰将棋に比べると、話にならない弱さであったようだ。開発者を除くと、斎藤栄が記念すべき人間の対局者第1号となったが、コンピュータの指し手は序盤の定跡を外れるとメチャクチャで、対局は途中で打ち切られている。1976年、日本情報処理開発協会の催しで、米長邦雄八段と対局したのが記念すべきプロ棋士との対局第1号だが、あまりの弱さに解説に来た中原誠名人を困らせたという。
その後しばらくは、まともに将棋を指せるレベルにするための開発に費やされた。1985年発売の『森田和郎の将棋』(開発:ランダムハウス、発売:エニックス)で、アマチュア級位者レベルの格好は付いてきた。1990年には、コンピュータ将棋の世界大会「世界コンピュータ将棋選手権」の第1回大会が開かれ、『永世名人』(商業版はコナミより発売)が初代王者となった。「世界コンピュータ将棋選手権」は、新型コロナウイルスにより中止された2020年を除き、毎年開催されている。
コンピュータ将棋は、遅くとも1995年にはアマチュア有段者レベルに達し、それからの上達は早かった。1996年の『平成8年度将棋年鑑』には、「コンピュータがプロを負かす日は? 来るとしたらいつ」というプロ棋士相手のアンケートが掲載された。
- 平藤眞吾「ゲームセンターの将棋に2回負けた」
- 久保利明「来世紀」
- 内藤国雄「10年以内にくるような気がする」
- 森内俊之「2010年」
- 羽生善治「2015年」
- 中原誠「だいぶ先とは思いますがくるはずです」
- 谷川浩司「私が引退してからの話でしょう」
- 真部一男「プロにも色々あるが、トップを負かすとなると百年くらい先か」
- 阿部隆「こない日を祈っている」
- 畠山鎮「こない」
- 加藤一二三「こないでしょう」
- 米長邦雄「永遠になし」
一人既に負けたという人がいたが、それはともかく、賛否両論だったがいつかはコンピュータが勝つだろう、しかしそれはまだしばらく先だという回答が主流を占めた。一方で、詰将棋を解く能力については、この頃既にプロ級に達していた。
2005年、第15回世界コンピュータ将棋選手権に優勝した『激指』が、エキシビションマッチで勝又清和五段に角落ちで勝利した。また、同年9月18日、「第29回北國王将杯争奪将棋大会」の企画で『TACOS』が橋本崇載五段と平手(ハンディ無し)で対局。一時は橋本を劣勢に追い込むが、結果は橋本に敗れた。後に橋本は「緩めた(手加減した)」と述べているが、しかし公開の場で苦戦したことを日本将棋連盟は重く見て、棋士に公開の場で無断でソフトと指さないようにという通達を出した。
そして同年6月にVer.1.0が公開された『Bonanza』(開発:保木邦仁)は、プロ棋士・奨励会員の間からも、早くからその強さが評判になっていた。
2006年の第16回世界コンピュータ選手権で優勝した『Bonanza』は、翌2007年に渡辺明竜王と公開対局した。企画した大和証券グループの支払った契約金は1億円(渡辺の取り分は1割)であった。結果は112手で渡辺が勝利したが、渡辺は『Bonanza』の棋力を「奨励会初段~三段」程度と評価し、その強さがプロに迫っていることをうかがわせた(同じ段級位では、通常、アマチュアよりプロの方が強い)。
2008年、第18回世界コンピュータ将棋選手権のエキシビションで、『激指』が清水上徹アマチュア竜王に、『棚瀬将棋』(商業版は『東大将棋』)が加藤幸男朝日アマ名人に勝利し、トップアマに肩を並べたことを示した。この時点で、「次はいつプロに勝利するか」が、大きな関心を集めるようになった。
2010年、情報処理学会は会長の白鳥則郎名義で「(1975年以来)35年の開発の末名人に伍する力ありと情報処理学会が認める迄に強いコンピューター将棋を完成致しました」と宣言し、日本将棋連盟に挑戦状を叩き付けた。将棋連盟会長となっていた米長邦雄は、「その度胸と不遜な態度に感服した」として挑戦状を受理し、最初の対局相手として清水市代女流王位・女流王将を指名した。ソフトは『激指』『GPS将棋』『Bonanza』『YSS』の4ソフトの合議制で、『あから2010』と名付けられた。10月11日、『あから2010』は86手で清水に勝利した。
いよいよ男性プロ棋士との対局か、という空気に対し、米長は「羽生善治と対局したいなら7億800万用意しろ。ただし(既に現役引退した)自分なら1000万円でいい」と条件を出した。後者に乗ったのが中央公論新社とドワンゴで、2011年の第21回世界コンピュータ将棋選手権に優勝した『ボンクラーズ』(開発:伊藤英紀)と対局することになった。これが「将棋電王戦」である。
2011年11月21日に行われた「将棋電王戦プレマッチ」では、86手で『ボンクラーズ』が勝利。2012年1月14日の本番でも、113手で『ボンクラーズ』が勝利した。そして、翌2013年の「第2回将棋電王戦」で、ついに現役の男性プロ棋士が対局することになった。
対局順 | 対局日 | 人間 | コンピュータ | 人間から見た勝敗 |
先鋒 | 3月23日 | 阿部光瑠四段 | 習甦(開発者:竹内章) | ○113手 |
次鋒 | 3月30日 | 佐藤慎一四段 | ponanza(開発者:山本一成) | ●141手 |
中堅 | 4月6日 | 船江恒平五段 | ツツカナ(開発者:一丸貴則) | ●184手 |
副将 | 4月13日 | 塚田泰明九段 | Puella α(開発者:伊藤英紀。『ボンクラーズ』後継) | △230手 |
大将 | 4月20日 | 三浦弘行八段 | GPS将棋(開発チーム:Team GPS(東京大学大学院総合文化研究科)) | ●102手 |
1局目は阿部四段が習甦に勝利したが、2局目にponanzaが佐藤慎一四段に勝利し、公開の場でのプロ棋士相手の初勝利となった。当時の将棋ファンは、コンピュータはまだプロ棋士には敵うまいという声が多かった(一方でコンピュータ将棋開発者は、伊藤英紀など、既に名人を上回ったとする見解が増えていた)。しかしコンピュータの3勝1敗1分、それも順位戦A級所属の三浦八段に勝利という結果に、コンピューター侮りがたしという空気が流れた。
2014年の「第3回将棋電王戦」でも、コンピュータの4勝1敗。2015年の「将棋電王戦FINAL」では、プロ棋士が3勝2敗と勝ち越したが、ソフトの事前貸出でプロ棋士側がハメ手(ハメ技と同義)を探すことができる条件であり、コンピュータの実力が認められていたといえる。
2016年からの電王戦は、新たに創設された将棋公式戦「叡王戦」の優勝者と、コンピュータのエキシビションマッチとなった。2016年の「第1期叡王戦」では、山﨑隆之叡王(八段)と『ponanza』の二番勝負で、『ponanza』が連勝。また同年、渡辺明竜王、橋本崇載八段らが、三浦弘行九段が公式戦で「ソフト指し」(コンピュータでカンニングすること)を疑った事件があった。第三者委員会の調査の結果、三浦が電子機器を使っていた形跡はなく、疑いは誤りであったが、トッププロが「ソフト指し」を疑った事実そのものが、もはやコンピュータがトッププロを上回っていることを、自他共に認めたことを示していた。
そして2017年の「第2期電王戦」において、佐藤天彦名人・叡王が『Ponanza』2連敗で敗北を喫したことにより、名実ともに名人より強いことを知らしめる結果になった。そして電王戦はこの年が最後になった(叡王戦は継続)。
今や『Ponanza』を始め、『やねうら王』『技巧』『Kristallweizen』『狸王』『水匠』といった有力ソフトには、羽生善治のような最強クラスの棋士であっても、ぶっつけ勝負ではほぼ勝てないというのが定説となっている。一方で、藤井聡太棋聖(恐らく2015年頃、ネット対局サイト「将棋倶楽部24」に登場した『Ponanza』に挑んだが勝てなかったと述べている)、佐々木勇気七段をはじめとする若手棋士はすでにコンピューターを相手に研究を深めており、将棋界も新たな時代を迎えている。
ちなみに、チェスの盤面の場合の数はおおよそ「100の100乗」、将棋だと「100の200乗」。囲碁はさらに多いという。
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