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天皇賞の編集履歴

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天皇賞

てんのうしょう

日本中央競馬会(JRA)が開催するGⅠ競走。我が国において最も格式高いレースの一つで、春と秋に2回行われる。

概要

中央競馬(JRA)の古馬日本一決定戦で、正賞は天皇楯。

八大競走に数えられる。

「天皇」は他の様々な競技で行われるが、「天皇」は競馬だけで同界隈で「盾」といえば一般的に天皇賞を指す。

春開催の天皇賞(春)京都競馬場芝3,200mコース、秋開催の天皇賞(秋)東京競馬場芝2,000mコースで行われる。


1937年(昭和12年)秋の「帝室御賞典競走」を第1回天皇賞としている。

優秀な内国産繁殖馬の選定を目的に、外国産馬やセン馬の出走を認めてこなかったが、

2000年に外国産馬、2008年にセン馬の出走が認められた。

1981年に廃止されるまで勝ち抜き制が採用されていたため、一度勝利すると出走資格を失い、その後の目標となる大レースが有馬記念しか存在しなかったが、同年創設されたジャパンカップを含める形で古馬の競走体系が整備される。

1984年にグレード制の導入とスピード競馬への移行に伴い、秋の天皇賞が2000mに短縮。コース形態を巡る諸問題(後述)を抱えながらも、同年G1競走に位置付けられた宝塚記念を加え、現在に至る古馬の中長距離路線が確立される。


歴代優勝馬一覧

※競走名は第14回まで「帝室御賞典」、第15回は「平和賞」、第17回以降は「天皇賞」。


   回    年   馬名備考
昭和期の優勝馬
第1回1937秋ハツピーマイト秋の初代天皇賞勝ち馬
第2回1938年春ハセパーク春の初代天皇賞勝ち馬
第3回1938年秋ヒサトモ牝馬初の天皇賞制覇
第4回1939年春スゲヌマ
第5回1939年秋テツモン
第6回1940年春トキノチカラ
第7回1940年秋ロツキーモアー
第8回1941年春マルタケ
第9回1941年秋エステイツ
第10回1942年春ミナミモア
第11回1942年秋ニパトア
第12回1943年春グランドライト
第13回1943年秋クリヒカリ
第14回1944年春ヒロサクラ
第15回1947年春オーライト
第16回1947年秋トヨウメ
第17回1948年春シーマー
第18回1948年秋カツフジ
第19回1949年春ミハルオー
第20回1949年秋ニユーフオード
第21回1950年春オーエンス
第22回1950年秋ヤシマドオター
第23回1951年春タカクラヤマ
第24回1951年秋ハタカゼ
第25回1952年春ミツハタ
第26回1952年秋トラツクオー
第27回1953年春レダ
第28回1953年秋クインナルビー
第29回1954年春ハクリヨウ
第30回1954年秋オパールオーキツト
第31回1955年春タカオー
第32回1955年秋ダイナナホウシユウ]
第33回1956年春メイヂヒカリ
第34回1956年秋ミツドフアーム
第35回1957年春キタノオー
第36回1957年秋ハクチカラ
第37回1958年春オンワードゼア
第38回1958年秋セルローズ
第39回1959年春トサオー
第40回1959年秋ガーネツト
第41回1960年春クリペロ
第42回1960年秋オーテモン
第43回1961年春ヤマニンモアー
第44回1961年秋タカマガハラ
第45回1962年春オンスロート
第46回1962年秋クリヒデ
第47回1963年春コレヒサ
第48回1963年秋リユウフオーレル
第49回1964年春ヒカルポーラ
第50回1964年秋ヤマトキヨウダイ
第51回1965年春アサホコ
第52回1965年秋シンザン
第53回1966年春ハクズイコウ
第54回1966年秋コレヒデ
第55回1967年春スピードシンボリ
第56回1967年秋カブトシロー
第57回1968年春ヒカルタカイ
第58回1968年秋ニットエイト
第59回1969年春タケシバオー]
第60回1969年秋メジロタイヨウ
第61回1970年春リキエイカン
第62回1970年秋メジロアサマ
第63回1971年春メジロムサシ
第64回1971年秋トウメイ
第65回1972年春ベルワイド
第66回1972年秋ヤマニンウエーブ
第67回1973年春タイテエム
第68回1973年秋タニノチカラ
第69回1974年春タケホー
第70回1974年秋カミノテシオ
第71回1975年春イチフジイサミ
第72回1975年秋フジノパーシア
第73回1976年春エリモジョージ
第74回1976年秋アイフル
第75回1977年春テンポイント
第76回1977年秋ホクトボーイ
第77回1978年春グリーングラス
第78回1978年秋テンメイ
第79回1979年春カシュウチカラ
第80回1979年秋スリージャイアンツ
第81回1980年春ニチドウタロー
第82回1980年秋プリテイキャスト
第83回1981年春カツラノハイセイコ
第84回1981年秋ホウヨウボーイ
第85回1982年春モンテプリンス
第86回1982年秋メジロティターン
第87回1983年春アンバーシャダイ
第88回1983年秋キョウエイプロミス
グレード制導入秋は東京芝2,000mに変更
   回    年   馬名備考
第89回1984年春モンテファスト
第90回1984年秋ミスターシービー
第91回1985年春シンボリルドルフ
第92回1985年秋ギャロップダイナ
第93回1986年春クシロキング
第94回1986年秋サクラユタカオー
第95回1987年春ミホシンザン
第96回1987年秋ニッポーテイオー
第97回1988年春タマモクロス
第98回1988年秋タマモクロス初の春秋連覇
平成期の優勝馬
   回    年   馬名備考
第99回1989年春イナリワン武豊騎手初の天皇賞制覇
第100回1989年秋スーパークリーク
第101回1990年春スーパークリーク
第102回1990年秋ヤエノムテキ
第103回1991年春メジロマックイーン父子三代制覇
第104回1991年秋プレクラスニーメジロマックイーンが1着入線したが、18着馬の進路を妨害したため18着(最下位)へ降着。
第105回1992年春メジロマックイーン
第106回1992年秋レッツゴーターキン
第107回1993年春ライスシャワー
第108回1993年秋ヤマニンゼファー
第109回1994年春ビワハヤヒデ阪神競馬場での開催(「兄貴も強い!」)。
第110回1994年秋ネーハイシーザービワハヤヒデとウイニングチケットがレース中に屈腱炎を発症した。
第111回1995年春ライスシャワー
第112回1995年秋サクラチトセオー
第113回1996年春サクラローレル
第114回1996年秋バブルガムフェロー
第115回1997年春マヤノトップガン
第116回1997年秋エアグルーヴ
第117回1998年春メジロブライト
第118回1998年秋オフサイドトラップサイレンススズカに故障事故が発生し「沈黙の日曜日」と呼ばれている。JRA史上初となる8歳馬(数え年)によるGⅠ競走優勝。
第119回1999年春スペシャルウィーク
第120回1999年秋スペシャルウィーク
第121回2000年春テイエムオペラオー
第122回2000年秋テイエムオペラオー
第123回2001年春テイエムオペラオー 天皇賞三連覇
第124回2001年秋アグネスデジタル
第125回2002年春マンハッタンカフェ
第126回2002年秋シンボリクリスエスこの年は中山競馬場で開催。
第127回2003年春ヒシミラクル
第128回2003年秋シンボリクリスエス
第129回2004年春イングランディーレ競馬 イングランディーレ「イングランディーレの一人旅!」前年はダートグレードで走っていた馬が大逃げを打ち、後続のゼンノロブロイら有力馬の先着を許さない大波乱となった。
第130回2004年秋ゼンノロブロイ
第131回2005年春スズカマンボ
第132回2005年秋ヘヴンリーロマンス「エンペラーズカップ100年記念」として明治期以来106年振りの天覧競馬。勝利騎手の松永幹夫はレース後鞍上から敬礼。
第133回2006年春ディープインパクト
第134回2006年秋ダイワメジャー 
第135回2007年春メイショウサムソン
第136回2007年秋メイショウサムソン
第137回2008年春アドマイヤジュピタ
第138回2008年秋ウオッカ138回天皇賞(秋)大接戦ドゴーン!(by青嶋達也)」が繰り広げられた末に、1着ウオッカ・2着ダイワスカーレット・3着ディープスカイと、1着から3着までは人気通りの決着。あわやの末脚でハナ差の4着まで追い込んだ7歳馬カンパニーが翌年の覇者となる。
第139回2009年春マイネルキッツ
第140回2009年秋カンパニーJRA史上初となる8歳馬によるG1競走優勝。
第141回2010年春ジャガーメイル
第142回2010年秋ブエナビスタ
第143回2011年春ヒルノダムール恒例のNHK実況放送は、国会の補正予算審議中継の為中止。
第144回2011年秋トーセンジョーダン
第145回2012年春ビートブラック【春天優勝】ビートブラック&石橋脩同馬と石橋脩騎手。
第146回2012年秋エイシンフラッシュ天覧競馬。
天皇賞、デムーロとエイシンフラッシュの今日のハイライトミルコ・デムーロ騎手、貴賓席の天皇皇后両陛下に下馬して礼(メイン画像も同じ)。
第147回2013年春フェノーメノ
第148回2013年秋ジャスタウェイ
第149回2014年春フェノーメノ
第150回2014年秋スピルバーグ
第151回2015年春ゴールドシップ
第152回2015年秋ラブリーデイ
第153回2016年春キタサンブラック
第154回2016年秋モーリス
第155回2017年春キタサンブラック
第156回2017年秋キタサンブラック同一年春秋連覇
第157回2018年春レインボーライン
第158回2018年秋レイデオロ
第159回2019年春フィエールマン平成期最後のGⅠとなり、クリストフ・ルメール騎手が第158回に続いて連勝。
令和期の優勝馬
   回    年   馬名備考
第160回2019年秋アーモンドアイルメール騎手が3連続の天皇賞勝利。
第161回2020年春フィエールマン史上5頭目の春連覇となり、ルメール騎手も4連続の天皇賞制覇。新型コロナウイルス感染拡大及び緊急事態宣言発令の為無観客開催となり、NHK中継も緊急事態宣言による非常体制により中止。
第162回2020年秋アーモンドアイ史上2頭目の秋連覇となり、ルメール騎手も天皇賞5連続勝利を達成。
第163回2021年春ワールドプレミア
第164回2021年秋エフフォーリア
第165回2022年春タイトルホルダー
第166回2022年秋イクイノックス

主な記録

武豊騎手は2017年秋までに、春8勝、秋6勝の計14勝しており、特に春の8勝は同一G1レースにおける最多勝利記録である。そのため「平成の盾男」と呼ばれる。なお、武豊以前に「盾男」と称されたのが保田隆芳で、こちらは春3勝、秋7勝(3200m時代)と武に抜かれるまで最多記録を保持していた。加えて保田は前身の帝室御章典・秋を1勝しており、この帝室御章典の1勝を加えれば秋8勝となる。


同一年に春・秋両方に勝利することは春秋連覇、あるいは春秋制覇と呼ばれ、これまでにタマモクロス、スペシャルウィーク、テイエムオペラオー、メイショウサムソン、キタサンブラックの5頭が達成。またスーパークリークが89年秋、90年春を連勝しておりこれを含めて6頭とする場合もある。この内オペラオーは2000春~2001年春の3連覇、キタサンブラックは春連覇を含む通算3勝を達成している。


秋(偶数回)の天皇賞は東京競馬場が改装される2003年まで1番人気が勝てないレースとして知られていた。改装前の東京2000mコースはスタート直後にカーブがあるため、特に外枠の先行馬が不利になりやすいコース形態だった。具体的にはシンボリルドルフ(1985年・8枠17番)・トウカイテイオー(1992年・7枠15番)親子が共にハイペースを先行した結果、人気薄の差し馬に強襲を許したり、メジロマックイーン(1991年・7枠13番)に至っては6馬身差をつけながらスタート直後のカーブで進路妨害を取られて降着の憂き目に合っている。対照的に内枠の人気馬ビワハヤヒデ(1994年・2枠2番)、サイレンススズカ(1998年・1枠1番)がレース中の故障で勝利を逃している。


関連タグ

JRA GⅠ 重賞 八大競走

天皇賞(春) 天皇賞(秋) 帝室御賞典


大阪杯・天皇賞(春)・宝塚記念

春の古馬三冠レース(春古馬三冠)として、大阪杯がGⅠに昇格した2017年に確立された。

後述する秋古馬三冠と同じく3連勝すればボーナスとして内国産馬の場合はボーナス2億円、外国産馬の場合はボーナス1億円が贈られる。

現在これを達成した馬はいない。


天皇賞(秋)・ジャパンカップ有馬記念

秋の古馬三冠レース(秋古馬三冠)で、2000年からこれらを3連勝するとボーナスが贈られることになった。

現在達成すれば内国産馬の場合はボーナス2億円、外国産馬の場合はボーナス1億円が贈られる。

達成した馬はテイエムオペラオー(2000年)とゼンノロブロイ(2004年)の2頭のみ。


(皇室・王室関係)

高松宮記念 エリザベス女王杯 天皇杯

4月29日

1955年から1990年までの春の天皇賞は、昭和天皇の誕生日である同日に多く開催されていた。

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