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フル・フロンタル

ふるふろんたる

「機動戦士ガンダムUC」の登場人物。自らを揶揄してフル・フロンタル(「丸裸」を意味する)を名乗る。
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CV:池田秀一

人物像

宇宙世紀0096年時点でのネオ・ジオン残党(通称「袖付き」)の首魁にして、『赤い彗星の再来』と云われる天才的パイロット。階級は大佐。
その素顔や声・口調はシャア・アズナブルに酷似しており、シャアの記録映像を見たことのある者にもそっくりと言わしめる程である。

フル・フロンタルとは丸裸、つまり本人曰く「隠し立てすることは何もない」という意味であるが、その名とは裏腹に真意を窺い知れぬ謎めいた言動でバナージ達を翻弄し、赤い彗星の名に恥じぬ高いMS操縦技量とカリスマ性を以ってネオ・ジオン残党を率い、地球連邦軍と「ラプラスの箱」を巡り争奪戦を繰り広げる。

自らを「ジオンの理想を受け継ぐ者たちの意志を受け入れる器」と定義しており、周囲が望むのであれば自分はシャア・アズナブルになると語る。しかしシャアを「敗北した人間」と冷たく見下して自身との同一性を否定する一方で、シャア本人にしか知りえない独白や経験を知っている素振りを見せ、正体を伺わせない。
態度や物腰はやや棘のあったシャアとは異なり、洗練された紳士的かつ穏健派なもので、敵軍からの要求も利があるならば拒否せずに素直に応じてみせるなど政治的駆け引きにも長けており、言い換えればかつての彼よりも腹黒い策士の面を持つ。
相反する意見に対しても黙らせようとはせず、全て言わせてある程度理解した上で「言いたいことは分かるが」と否定してくる。
はぐらかした言い回しや自分に有利な解釈を行使してはいるものの、実は1度も嘘をついていないのも特徴である。

常に銀色の仮面で素顔を隠しているが、本人の談によると「ファッションのようなもので、シャアだというプロパガンダのためのもの」と語っており、バナージから仮面を取ってほしいと頼まれた際にはこだわること無くあっさり外している。額にはシャアがアムロとの決闘のときに付けられたものと同じ形状の傷跡がある。
また、宇宙での戦闘ではシャア同様にノーマルスーツを身につけず軍服のまま戦場に赴いている。しかし、かつてのシャア本人のイメージとは大きく異なる印象の軍服である。

当初は専用カラーのギラ・ドーガを乗機としていたが、シナンジュをアナハイムから強奪し、以降それを専用機とする。シナンジュ強奪前は、バウを改修したリバウを専用機とする予定であった。
先述のようにそのMS操縦技量は極めて高く、殺人的なG負荷によって常人には到底扱えないMSであるシナンジュのスペックを十全に引き出し、デストロイモードのユニコーンガンダムと互角以上の戦いぶりを見せる。

正体

以下の内容は機動戦士ガンダムUCのネタバレが含まれます。閲覧の際には十分注意して下さい。









その正体は、ジオン共和国からネオ・ジオンに派遣された政治の駒であり、小説では確定こそしていないが元々は単なる人工ニュータイプに過ぎなかったと思わせる構成となっている。
ネオジオン残党を陰から支援していたジオン共和国防衛大臣モナハン・バハロが、ネオ・ジオン残党が衰退して烏合の衆になってしまうことを危惧し、彼らを糾合させる為のカリスマとして用意した存在であり、かつてのネオ・ジオンの総帥であるシャア・アズナブルに酷似した容姿や声もまた、その役割を果たすために意図的に似せられたものである(※1)。
しかし、洗脳で思い込まされている訳ではないらしく、自分をシャアだと言った事は実は1度もない。
その正体を「人工ニュータイプ」であるとする最大の根拠はフロンタル死亡後のモナハン・バハロの「あんなものはいくらでも造れます。連邦のガンダムと同様、しょせんは象徴ですよ。その形さえ与えておけば、大衆が勝手に意味を見出してくれる」というセリフであるが、このセリフを見る限りモナハンが重点を置いているのはあくまで「外見」であり、後述する化物じみた強さや人心掌握といった劇中の活躍を考えれば明らかに「過小評価」ともとれる発言である。
このことからフロンタルはモナハンの知り得ない様々な偶然から当初の予定を遥かに超える能力を発揮していた事が伺える。
なお、フロンタルが具体的にどのような技術・方法で生み出されたのか(整形かクローンか等)は劇中では敢えて明かされていない(※2)。

作中にてデブリの中を『通常の3倍のスピード』でネェル・アーガマへ接近するなど全編を通してシャア・アズナブルを思わせる演出が為されているが、そのストーリー上の役割は他のガンダム作品に登場するような『シャア・コピー』ではなく、シャア(あるいはその盟友にしてライバルであるアムロ・レイや、ガンダムUCの主人公であるバナージ・リンクス)を全否定する、『アンチ・シャア』『ネガ・シャア』とでも言うべきもの(※3)。
例えば「認めたくないものだな…若さゆえの己の過ちというものを」と発言したシャアに対し、彼が「過ちを気に病むことはない。ただ認めて、次への糧にすればいい。それが大人の特権だ」という発言をしたのもその一つである。シャアは人類に絶望してアクシズを地球に落とそうとしたとき、それでも住めなくなった地球を脱した彼らに革新が訪れることを願い、信じていた。そんなシャアとは正反対に、「ヒトは変わらない。変わろうともしない」と人の心の善意や可能性を完全に否定し「虚しいだけ」と断じる、虚無的なまでの現実主義に徹する人物である。

なお、原作者の福井晴敏氏によれば「大人ということを自覚的に武器にして使ってくる男」であり、「大人をやっているつもりでどこか青臭さを残していた」シャアと比べて遥かにしたたかな人物として描いているという。
シャアがその名声とカリスマ性とは裏腹に、実際はララァ・スン母性を求め、ハマーンレコアクェスの愛に向き合うことから逃げ出し、一時期はジオン・ダイクンの息子としての重責に苦悩したこともある等、内面的には感情的でナイーブな人間くさい人物(アムロの弁を借りれば「情けない奴」)であったのに対し、フロンタルは終始一貫して怜悧で現実主義的な姿勢と落ち着いた態度を崩すことがなく、彼のほうが「常に余裕があって冷徹で計算高い有能な軍人」という世間一般のシャアのイメージに忠実であるところからもそれが見て取れる。
いわば、シャアの持っていた迷いや妄執といった人間的な脆弱さを削ぎ落とし、政治的プロパガンダの中に登場するような『スペースノイドが期待する英雄として理想化されたシャア・アズナブル像』を具現化させた存在であるともいえる(※4)。
逆に言うと『他人から見たシャアの英雄的側面』のみを人工的に再現した存在でしかなく、しかも後述するある理由から偶然にも『シャアの絶望』の部分だけを受け継いでしまい、その裏付けとなるシャアの人間的な弱さや不甲斐なさと表裏一体であった信念や熱意、道義心といった情動を持ち合わせていない。
それゆえにシャアという仮面(ペルソナ)が無ければまさに「何も無い」人間であるため、本物のシャアを知るミネバからは「空っぽな人間」と嫌悪され、バナージからは「のっぺらぼう」と揶揄されており、フロンタル本人も自分のような無為で空疎な存在を要請し作り出した世界に対して無自覚な憎悪を抱いていたようである。

フロンタルが「ラプラスの箱」を狙う目的は、地球の経済がスペースノイドの生産活動に依存している点を利用し、ジオン共和国主導の下で月と7つのサイド(コロニー群)を中心として地球を間引きした経済圏を作り上げる「サイド共栄圏」を実現させ、地球連邦を衰退させる事にあった。彼にとって「ラプラスの箱」は、サイド共栄圏構想を実現させるにあたって、ジオン共和国自治権返還を延期させる為の、地球連邦との交渉材料に過ぎなかったのである。
しかし、その考えを語る姿はバナージをして「(自分たちの未来について語っているはずなのに)まるで他人事のよう」に感じさせるなど、どこか冷めたものであった。また、仮にサイド共栄圏が実現したとしても、20億の人口を独力で賄うことのできない地球を孤立させれば、地球は西暦の時代と同様に資源の争奪戦による戦乱に見舞われることになる。そうなれば、困窮したアースノイドの子孫たちが、自分たちを貧困に追いやったスペースノイドにその憎悪の矛先を向けることは想像に難くない。それでは結局、問題の根本であるスペースノイドとアースノイドの対立構造そのものは何ら変わらないのである。
そのため、ミネバからはサイド共栄圏構想それ自体は「理に適った現実的な策」と評されつつも、結局は調和も進歩も無くアースノイドとスペースノイドの立場を逆転させるだけで、人類の革新を願ったジオン・ズム・ダイクンの理想や、アクシズ落としという凶行に及んででも人類全てを宇宙へ上げようとしたシャアの狂気と熱情(=ジオニズムとその根底にある地球聖域思想たるエレズム)とは程遠い物であると酷評されている。

これは「例え可能性を示したとしても、ヒトは現状維持のためには平然と自らそれを潰してしまう。ならば変わろうとしない者には、変わらないなりの未来を与えておけばいい」というフロンタルの諦念に根差すものであり、「ヒトの可能性」を信じて戦い続けるバナージを、「人類に叶いもしない希望を与える存在」として危険視していくようになる(※5)。


シャア本人しか知りえない知識や独白などを知っていることについては、本人は「アクシズ・ショック」によってサイコフレームに吸収され、宇宙を漂っていたシャアの残留思念が、アクシズ・ショック程の奇跡を経ても何も変わろうとしなかった人類に絶望し、似姿である自身に宿ったと語っている。
ただし、この残留思念はシャアの魂そのものではなく、『シャアが宇宙に遺した絶望』(福井氏曰く、「シャアの落し物」)という、彼の魂の一部分に過ぎない。そして、『シャアの代理』という以外に存在意義を与えられずに創られた、文字通り空っぽな人間であるフロンタルが、その歪んだ想いをその身に宿してしまったことで、彼はシャアに限りなく近い存在でありながらシャア本人ではなく、かといって他の何者かであるわけでもないという矛盾を孕んだ存在と成り果ててしまっていたのである(マリーダ・クルスはそんな彼と戦場で対峙し、「己を研ぎ澄ました代償にヒトですらなくなった、哀れな怨念の依代」と評している)。その結果、フロンタルの肉体を動かしているのは確かに彼自身の意思であるのだが、それを支配しているのは全く身に覚えのない他人(シャア)の記憶と経験という奇妙な齟齬が生まれてしまう。
バナージがインダストリアル7へ向かう途中、フロンタルとの戦闘で垣間見た彼の心象世界に広がる途方も無い虚無の正体は、まさにこの意思と記憶の不和であり、原作小説版ではフロンタルはやがてこの『シャアの怨念』に呑まれて、より深い虚無へと突き進んでいくことになる。

アニメ化における変更点

アニメ化が決定し更にシャア・アズナブルの声優である池田秀一氏が声優を務める事になり、池田氏の要望やシャア役への思い入れに対するスタッフの気遣い等でいくらか変更がなされた。

・フロンタルに対して「強化人間では?」という推理が出てこない。小説ではそのように推理していたミネバも「モナハンに指示されたプログラムに従っているだけではないのか」と問いかけるにとどまっている。
しかもそれに対して仮面を外した素顔で涼しく回答しており、仮面を付けた状態から顔を撃たれて血みどろの化物と化して行った小説とはもはや別人である。元々小説でも厳密には謎のまま終わったのでギリギリ路線変更と言えるかもしれない。

・バナージに対する接し方が敵と言うより物事を知り尽くした「人生の先輩」として忠告するかの様に語りかける事が多い。小説にもそういう要素はあったのだが、アニメでは特にそういう傾向が強く、化物と化していく小説とは違い最後までバナージが求める“父性”の一面を見せていた。

・小説では受動的にバナージに虚無の世界を見せたのに対し、アニメでは能動的に虚無の世界へ連れ去ってしまう。そこに至るまでの描写や台詞もニュータイプらしさを強調したものになっている。
この虚無の世界もアニメでは小説と異なり、物理学で言うところの「宇宙の終焉」である熱的死(ヒートデス)に近いものとなっている。当初古橋監督は本当にタイムスリップさせるつもりだったが、原作者の福井氏に止められ、「サイコシャード」とフロンタルの能力で「刻(とき)を可視化したもの」となっている。

・シャア、ララァ、アムロの思念が迎えに来る。小説ではその様な描写は全く無く、シャアにしか知り得ない事を知ってはいるものの思念を宿しているというのは思い込みの可能性もあったのだが、アニメではハッキリと描写され、シャアの無念を拾った、もしくは託された人物であることが明確になった。(ララァ登場時の「あぁ・・・」という台詞は池田氏のアドリブと言われている)

サイアム・ビストの前でプロパガンダの仮面を外し「ネオ・ジオン総帥」として堂々と自らの意見を述べるシーンにおいてサイアムは小説と違い「お前の言うことも正しい」と肯定的に語っておりバナージやミネバとは違う「正しさ」を持っていることが強調された。
このことからシャアの残留思念を宿しつつも、「自らを器と定義して、そのように振る舞う男」という自我も確立しており。バナージを危険視する一方で、“みんな”のために世界に抗おうとする彼に自分と同様の『器』となる素質を見出し、自身の論理で以って引き込もうとしていく人物として描かれている。

UC計画との関連

連邦の「UC計画」において「科学の産物たる機体性能の前に手も足も出ずに駆逐されるニュータイプ」の姿を全世界に晒して「ニュータイプ伝説」を破壊するには、敵対するネオ・ジオン残党にフロンタルら超人的なニュータイプ(と思われるもの)と専用のサイコマシーンが「やられ役」として存在する事が大前提であり。連邦もアナハイムもジオン共和国が強力な人材を用意してネオ・ジオン残党(袖付き)に派遣するのを暗黙の了解で黙認していたとされる。
そして「やられ役」のサイコマシーンとして抜擢されたのがデータを取り終え、そのデータを元に更に高性能なユニコーンガンダムの製造も始まり用無しとなったシナンジュ(厳密にはシナンジュ・スタイン)である。
シナンジュは当初サイコフレームを用いた機体の限界値を無人操作で計測する為に製造され、実戦はおろか人が乗ることすら想定しておらず「兵器としての評価」は低かったとされる。
しかし、フロンタルは本来なら通常形態のユニコーンガンダムにも性能で劣るはずのシナンジュを自在に操ってNT-Dと互角に渡り合う程の戦闘能力を発揮し、交渉や政治の駆け引きにも長け、連邦やアナハイムの想定を大きく越えた脅威となっていく。
つまり、フロンタルは連邦のプロパガンダを逆手にとってジオン残党を掌握し、世間にその名をとどろかせ、シナンジュまでも手に入れたのである。
これらの活躍は『機動戦士ガンダムUC』本編の前日談に当たる『戦後の戦争』に描かれている。

結末

最終的にメガラニカの氷室で対面したサイアム・ビストに「自分を含め、『箱』の解放の是非は、それを取引材料としか考えられない人間の手に委ねられるべきではない」と要求を拒絶されたことでサイド共栄圏構想は否定され、自身もバナージとの死闘の末に命を落とす。
その亡骸はシナンジュのコックピットブロックと共に宇宙を漂い、激戦をかろうじて生き延びたアンジェロ・ザウパーによって発見された。

バナージとの戦いで敗死し、アンジェロに亡骸を発見されるという結末こそ同じだが、原作とOVA版では最終決戦から結末までの流れが大きく違っている。
原作版ではメガラニカでのバナージとの銃撃戦の最中に左目を撃ち抜かれて頭部の一部を損壊するという明らかな致命傷を負ったにも関わらず、「シャアの怨念」に突き動かされる亡霊のように、彼を追いつめ、シナンジュに搭乗して血みどろの激戦を展開。
シナンジュの左腕部と両足を失いながらも、負のサイコ・フィールドとも言うべき巨大などす黒いオーラを纏って、フルコンディションのユニコーンバンシィを圧倒するという化け物じみた強さを見せつけるが、最後はその虚無もろとも、バナージがありったけの思念を注いだユニコーンのハイパービームトンファーによって引導を渡された。しかし、死の間際にあっても「君は究極のニュータイプになる代償として、ユニコーンガンダムというマシーンに食われ、バナージ・リンクスという個の器は失われる」と、コロニーレーザーを防ぐためにニュータイプの能力を極限まで引き出した代わりに、ユニコーンガンダムと一体化して人間であることをやめてしまうバナージの行く先を予見する呪詛を遺した。

一方、アニメ版ではシナンジュをコアユニットとしたネオ・ジオングで出陣、ユニコーンとバンシィの2機を同時に相手取り、圧倒的な火力で追い詰めながら、対話を繰り広げる。
その最中でネオ・ジオングのサイコシャードとユニコーンのサイコ・フレームの共鳴を介し、バナージと共にかつてのアムロとララァのように“刻”(宇宙の記憶)を形象として垣間見る。
フロンタルはこれまでの人類の争いの歴史と、“刻”の終わりに訪れる虚無の世界を突きつけた上で、やがては消えていくだけの存在に過ぎない人類が、過分な可能性を追うことの虚しさと無意味さを提示し、バナージを自分と同じ諦念へと誘うが、なお諦めないバナージの「それでも!」という熱意に呼応してユニコーンが発した“暖かな光”を「ソフトチェストタッチ」によって注ぎ込まれる。
最初はそれを拒否するフロンタルであったが、彼を迎えに来た三人の魂に諭されて自分の「役目」が終わったことを悟ったことで受け入れ、その中の「残留思念」を浄化された。それに連動し、ネオ・ジオングもフロンタルの最後の意志を具現化させたサイコシャードの力によって自ら崩壊し灰塵と化した。

フロンタルの中の“シャアの絶望”はシャア本人に回収されネオ・ジオングが自壊してからフロンタルの台詞はない。フロンタルの代わりにシャアが未来の「可能性」をバナージに託し、シャアはアムロ、ララァと一緒に宇宙の彼方へと旅立っていった。

搭乗機

フロンタル専用ギラ・ズール
リバウ
シナンジュ・スタイン
シナンジュ
ネオ・ジオング

名台詞

OVA版

「過ちを気に病むことはない。ただ認めて、次の糧にすればいい。それが、大人の特権だ
シャアの名台詞「認めたくないものだな。自分自身の若さ故の過ちというものを」と対を成す。フロンタルがシャアとは真反対の「強かな大人」であることを象徴する台詞。

「見せてもらおうか…新しいガンダムの性能とやらを!」
シャアの名台詞「見せてもらおうか…連邦のモビルスーツの性能とやらを!」のオマージュ。

「また敵となるか、ガンダム!」
NT-Dを発動したユニコーンと相対して。「フロンタルはもしかしてシャア本人なのでは?」と視聴者のミスリードを誘うと同時に、フロンタルにシャアの記憶が宿っていることを示唆する台詞。

「これはファッションのようなもので、プロパガンダと言ってもいい。君のように素直に言ってくれる人がいないので、つい忘れてしまう。すまなかった」
袖付きに拘束されたバナージが、フロンタルと面会した顔を見せてほしいと言った際のリアクション。フロンタルはバナージの態度を無礼として怒るアンジェロを窘めつつ、あっさりと自らマスクを外した。このような洗練された冷静な態度も彼の特徴である。
ちなみに「ファッション・プロバガンダのようなもの」という部分は、小説版『機動戦士ガンダム』におけるシャアが自らの仮面について語る台詞のオマージュ。

「器は考えることはしません。注がれた人の総意に従って行動するだけです。全人類を生かし続けるために」
サイド共栄圏構想を語った際、強者と弱者の立場を入れ替えるだけで結局は現状維持に終始する卑小なその結論を「『赤い彗星』としてそれでいいのか?」と問うたミネバへの返答。フロンタルの説くところは確かに一つの正論ではあるが、その何の熱も感情も感じられない口ぶりに、彼女は「かつて自分の慕った『シャア・アズナブル』は完全に死んだ」と実感した。
シャアが一人の戦士としてアムロとの直接の決着に最後まで固執していたのに対し、フロンタルはそういった個人的動機を一切持ち合わせておらず、淡々とスペースノイドの利益を現実的かつ合理的に追求しているという点でも対照的である。

「もしシャア・アズナブルが今も生きているとしたら、それはもう、人ではなくなっているのではないかな」
ネェル・アーガマ制圧後、ジンネマンとの会話にて。そのあまりにも無機的な言葉は、ジンネマンに「こいつは何物だ?」と思わしめた。フロンタルの本質が伺える一言。

「君はもう、“みんな”の中には帰れない」
並外れたニュータイプ能力を発揮しつつあるバナージに対して述べた不吉な言葉。
「“みんな”のために箱を使う」と叫ぶバナージに対し、フロンタルは「ニュータイプとしての力を示してしまったバナージは、もうオールドタイプである“みんな”と同じ道を進むことはできない」と語り、彼を自身の下に誘い込もうとする。

「ここへ踏み入り、この目で『箱』の正体を確かめたいと願ったのは私ではない。実は私にも分からないのです。作り物の器に注がれたこの思いが、一体誰のものなのか…」
メガラニカの氷室にて。「『箱』の正体を確かめたい」と思ったのは「シャアの残留思念」によるものであったのかもしれないが、本当はフロンタルという人物自身が「スペースノイドの総意の器」という自らの役割を超えて願った無自覚な思いであったのかもしれない。

「人の中から発した光…この温かさを持ったものが…虚しいな…」
最終決戦にて、ネェル・アーガマのクルーやミネバ達の想いを受けNT-Dを発動したバンシィとユニコーンと相対して。
可能性をその身に秘めながら、これほどの奇跡を何度目の当たりにしても何も変わろうとしない人類に対する、フロンタルと彼に宿るシャアの狂おしいまでの絶望と虚無感が垣間見える。

「光無く、時間すら流れを止めた完全なる虚無…これがこの世の果て、刻の終わりに訪れる世界だ。人がどれだけ足掻こうと、結末は変わらない」
「ただ存在し消えてゆくだけの命に、過分な期待を持たせるべきではない」
ネオ・ジオングのサイコシャードとユニコーンのサイコフレームの共鳴により、「刻の涙」(戦いの歴史)の最果てにある完全なる暗黒と虚無の世界へと辿り着いたフロンタルとバナージ。
フロンタルは人類は遅かれ早かれいずれは消えていくだけの存在に過ぎないという現実と、決まりきった未来に可能性と希望を見出すことの無意味さをバナージに説いて、その意思をねじ伏せようとする。しかし…

「熱…暖かな光…。こんなものがいくら積み重なっても…何も…そう、何も…!」
この無慈悲な現実を突きつけられても、“それでも”諦めずに足掻こうとするバナージの中の「熱」を注がれるフロンタル。その暖かさを確かに実感しつつもなお否定しようとするフロンタルであったが、その時、彼の脳裏に「彼女」の声が響く…。
それまで一貫して冷静で無感情な語り口だったフロンタルが、ここで初めて感情を見せる。

「ああ…」
フロンタルを迎えに来たララァとシャアの魂に諭され、彼は自らの役目が終わったことを悟る。フロンタルの中に宿っていた「シャアの怨念」はシャア自身によって回収・浄化され、彼の意識は宇宙の闇へと溶けて消えていった。
ネオ・ジオングが灰燼と化して崩壊していく中、バナージはシャアの声を聞く。「君に、託す。為すべきと思ったことを…」と。

原作小説版

「私は……君を殺す」
これまたシャアがアムロに対して述べた台詞のオマージュ。しかし、シャアが「ニュータイプという存在を、まだ人が受け入れることが出来ないから」アムロを殺そうとしたのに対し、フロンタルがバナージを殺そうとするのは「ニュータイプなどという無用の幻想を人が信じてしまうから」であり、真反対の意図が込められている。

「昔、今と同じことを考えていたような気がする。ニュータイプといえども、肉体を使った戦いには訓練を要する。だから『ガンダム』のパイロットをおびき出して、生身で決着を…」
メガラニカの氷室にて、バナージとの白兵戦の直前の台詞。
『昔』というのは勿論、ア・バオア・クーでのシャアとアムロの生身の白兵戦のこと。それまで示唆されるに留まっていたフロンタルの中の「シャアの残留思念」が明確に姿を現した瞬間。

「…人の想いが、光になって地球を包むのを見た。光に巻かれて、地球圏の外に押し出された。この目で、宇宙の深遠を覗きもした。そのような奇跡を目の当たりにしても、人は変わらなかった。変わっても意味がないと識った」
「ここより先には何もない。どこまで行っても同じ暗黒が続くだけだ。たとえ銀河の外に漕ぎ出す術を得ようと、いつかすべては暗黒に帰る…」
メガラニカでのバナージとの白兵戦での独白。自身の中の「シャアの怨念」により、さらなる虚無と狂気で真っ黒に塗りつぶされていくフロンタルの意思。
左目を撃ち抜かれて頭部の一部を損壊するという、普通の人間ならとっくに即死している筈の傷を負っているにも関わらず追いすがってくるフロンタルに、バナージは戦慄する。

「変わろうとしない者には、変わらないなりの未来を与えておけばいい。『箱』はそのために使わせてもらう。それが、ニュータイプを否定した人類への報いだ」
バナージとお互いにMSに乗り込んでの最終決戦にて。全ては無駄なのだというフロンタルの抱える虚無と諦観を表した言葉。しかしバナージは、最後の「報い」という言葉に、それまで無機質な印象しか感じなかったフロンタルの本心を初めて垣間見たように感じ、フロンタルの本質が「世界を憎む空っぽな個人が、拾い物の言葉に自分の感情を載せているだけの、偽者ですらないシャアの紛い物」だと直感した。

「言ったろう?君はもう、“みんな”の中には帰れない」
原作小説版、最後の台詞。壮絶な死闘の末、ユニコーンのハイパービームトンファーに捉えられたシナンジュだったが、フロンタルは自らの生命に全く頓着することなく、不吉な呪詛を残す。
アニメ版と異なり、原作版では「認識力の拡大による他者との融和」をニュータイプの根本とするならば、その究極型とは即ち「一つになった意志」であり、いずれバナージはその帰結として究極のサイコマシンたるユニコーンに「喰われる」と予言する台詞となっている。事実、コロニーレーザーからメガラニカを守るために命を賭して限界を超えたニュータイプ能力を発動したバナージは…。

外伝作

「全ての人間には与えられた役回りがある。それを拒めば、今のあなたの様になる」
外伝作『戦後の戦争』にて。シナンジュ・スタインを奪ったフロンタルを止めるため、プロト・スターク・ジェガンを駆って彼の前に立ちふさがった連邦軍士官カルロス・クレイグダコタ・ウィンストンに放った言葉。
シナンジュ・スタイン強奪事件の本質が「軍の雇用と経済を維持するための連邦とアナハイムとネオ・ジオンによる出来レース」であることを見抜いたカルロス達は、これを黙認するという自分たちに与えられた役回りを拒否して新たな戦争の勃発を食い止めようとするも、フロンタルは二人を撃墜し、「与えられた役割を拒んだ対価」を支払わせた。

「フル・フロンタル…名前の通り、隠し立てするものは何も無い。人が望む通りの役を演じる者、それだけです」
『戦後の戦争』にて。シナンジュ・スタイン強奪直後、本来なら無血で済むはずの計画だったが、カルロス達の予定外の抵抗により暴れ過ぎたため「『後始末』が大変だ」と零したアルベルト・ビストの言葉を受けて、フロンタルは何の躊躇も無く証拠隠滅のためにクラップ級巡洋艦二隻を撃沈して目撃者である乗員を全員抹殺するという凶行に及ぶ。それに驚愕したアルベルトがフロンタルに「お前は…何だ?」と問いかけると、彼は淡々とこの台詞で応えた。
これによって「袖付きが連邦の輸送艦隊を壊滅させて試作機を強奪した」という事実だけが残り、結果的に当初の計画を補強する形にはなったのだが、フロンタルの言葉を聞いたアルベルトは彼の中に潜む言いようの無い禍々しさに戦慄した。

脚注

※1.ただし、アニメ版では別人である事を強調した演出や演技が意図的にされている。体格もシャア本人より大きめであり年齢もシャアより上の印象を与える。
言動・容姿共にパッと見た印象はシャアっぽいが、実際のシャアを知る人がよく観察するとシャアとは大きく異なることに気づくというのが、フロンタルというキャラの仕掛けである。

※2.この時代になると『グリプス戦役』や『第一次ネオジオン戦争』の頃に比べ遥かに強化人間の精度が上がっているのかギュネイ・ガスと同様に精神が安定している。
なお強化人間という設定は近年のクロスオーバー作品などでは曖昧になってる場合が多く、オールドタイプのような扱いをされる事が増えている(設定が定まってなかったのかOVAが完結してない『SDガンダム GGENERATION OVER WORLD』では強化人間のアビリティがあったが、OVAの完結後に発売された次回作の『SDガンダム GGENERATION GENESIS』では廃止されている)

※3.原作の福井氏はフロンタルのキャラクター造形とストーリー上の役割について、「そもそもシャアを彷彿とさせる仮面キャラが『ガンダム』に出るという発想自体が保守的である」とした上で、そうした保守的なキャラクター性を持つフロンタルを、可能性を信じて閉塞した世界を変えていこうとするバナージの最大の障害となる「現実を突き付けて可能性を破壊しようとする後ろ向きな大人」を象徴する存在として描いていると語っている。

※4.ゲームではシャアと共演している第3次スーパーロボット大戦Zなどでそれが顕著に現れており、作中では「迷いを捨てたシャア」とアムロに評されている。池田秀一氏によるフロンタルとシャアの微妙かつ絶妙な差異を持たせた見事な演じ分けは必見。

※5.本作品から約半世紀後の宇宙世紀140年代には、現実に地球連邦がその勢力を失い、相反して経済的な余裕をもったサイドがなし崩し的に独立する宇宙戦国時代と呼ばれる時代に突入するが、この時代には彼らの想定(理想)とは真逆に、力を持ったサイド(スペースノイド)同士が軍事的衝突を繰り返し、あまつさえ特に力を持ったサイドは、所属軍人がそれまでの怨念返しとばかりに、地球で特権階級を貪っていたとはいえ一般市民の虐殺を行うという残酷な結果が待ち受けている。
一面では、フロンタル、バナージ、ミネバ達が信じるほどには、スペースノイドは善良ではなかったのかも知れない。

関連項目

機動戦士ガンダムUC
バナージ・リンクス マリーダ・クルス アンジェロ・ザウパー
シャア・アズナブル
全裸 空虚

アナザーガンダム

ラウ・ル・クルーゼ-立ち位置や境遇が似通っている。

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