「見せてもらおうか。新しいガンダムの性能とやらを」
CV:池田秀一
概要
フル・フロンタルは、『機動戦士ガンダムUC』に登場するキャラクター。
劇中の宇宙世紀0096年時点における、ネオ・ジオン軍(地球連邦軍からの俗称は「袖付き」)の事実上の首魁。
フル・フロンタルという名前は直訳で「丸裸(転じて、徹底的な、徹底する)」を意味する。
一年戦争時のシャア・アズナブルを髣髴とさせる仮面を身に着けて、あたかもシャアのように振る舞っていることから、敵、味方を問わず、シャアの異名をもじり「赤い彗星の再来」と呼ばれる。
その素顔、そして声音もまた、“シャアそのもの”を思わせるが、体格は一回り大柄であり、身に纏うカリスマ性も性質が大きく異なる事から、出会えば一目で“別人”と判る外見をしている。
『UC』の3年前にあたる『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』で総帥であるシャア・アズナブルを失い、烏合の衆になりかけていたネオ・ジオン軍の残党をまとめ上げた。そして、自身を大佐の階級に身を置き、旧ジオン公国で独裁を敷いていたザビ家の遺児であるミネバ・ラオ・ザビを「姫殿下」と立てることで、組織の分裂を食い止めている。
正体
その正体は、ジオン共和国の政治家モナハン・バハロが「シャアの再来計画」で選抜した完成形の強化人間に、シャアの反乱で死亡し全体の一部となったシャア・アズナブルの残留思念が取り憑いた存在、それこそがフル・フロンタルであった。
ネオ・ジオン残党を陰から支援していたジオン共和国の政治家モナハン・バハロは、彼らが衰退して烏合の衆になってしまうことを危惧し、ネオ・ジオンを糾合させる為のカリスマとしてフロンタルを用意、ジオン共和国からネオ・ジオンに派遣するのだった。
かつてのネオ・ジオンの総帥であるシャア・アズナブルに酷似した容姿や声もまた、その役割を果たすために意図的に似せられたものである。
本来、フロンタルは自我を封殺されているため、『不死鳥狩り』に登場するヤクト・ドーガのパイロットのように思考が空っぽであるはずだが、モナハンの思惑を超えた行動を行っていたのは、シャアの残留思念が憑依しているせいだった。
シャア・アズナブル本人しか知りえない知識や独白などについては、フロンタルは「アクシズ・ショック」を起こす依代となったサイコフレームに意思を吸収され宇宙を漂っていたシャアの残留思念が、アクシズ・ショック程の奇跡を経ても何も変わろうとしなかった人類に絶望し、似姿である自身に宿ったと語っている。
宇宙世紀ガンダムに登場する残留思念というのは生前の人間そのものであり、そのものでもないという量子力学的な存在という設定である。つまり、フロンタルの中に宿ったシャアの残留思念も、シャアそのものであり、シャアそのものではない、肉が知覚するところの自我を持たない、単に生前のことを覚えている存在なのである。さらに言えば、フロンタルに宿ったというこのシャアの残留思念とは「シャアが宇宙に遺した絶望」(原作者曰く、シャアが納得できずにそのまま滞留した“怨念”のような一部分であり、落し物のようなもの)というさらなる断片でしかなかった。
モナハン・バハロにより自我を封殺されたフロンタルが、この『シャアの残留思念』を宿した事で、空になっていた人格はそのまま侵食されて限りなくシャアに近い存在でありながらシャアではない何者かと化してしまった(マリーダ・クルスは戦場で対峙した際、彼を「己を研ぎ澄ました代償にヒトですらなくなった、哀れな怨念の依代」と評している)。
この結果、フロンタルの肉体を動かしているのは生前のシャアの記憶と経験を持った「シャアの残留思念」なのだが、その肉体自体の深奥にあるのはモナハンにより封殺されたフロンタル自身の「虚無」という奇妙な齟齬が生まれてしまう。
バナージがインダストリアル7へ向かう途中、フロンタルとの戦闘で垣間見た彼の心象世界に広がる途方も無い虚無の正体は、シャアの残留思念とフロンタルという肉体の不和であり、小説版ではフロンタルはやがてこの『シャアの残留思念』に呑まれて、より深い虚無へと突き進んでいくことになる。
フロンタルがシャア・アズナブルと別人の強化人間と発覚するのは、小説版でフロンタル死亡後にモナハン・バハロが「あんなものはいくらでも造れます。連邦のガンダムと同様、しょせんは象徴ですよ。その形さえ与えておけば、大衆が勝手に意味を見出してくれる」と、ローナン・マーセナス議長相手に啖呵を切る台詞である。どうやらモナハンがフロンタルにおいて重点を置いていたのはあくまでシャアに似せて作り上げた「外見」であり、彼の化物じみた強さ、全体の一部であるシャアの残留思念が取り憑いたことで獲得された得体の知れないカリスマ性について理解していなかったらしい。
シャアの残留思念が取り憑いたという予定外の事態により、フロンタルはモナハンの想定を遥かに超える能力を発揮していた事が窺える。
逆に言えば「あんなもの」を「幾らでも作り出す」のは不可能ということを意味するが(なぜあんな化け物じみた能力を発揮していたかもわかっていなければ、材料(シャアの思念)も足りないため)
フル・フロンタルという名前も「赤い彗星の再来計画」のコードネームであり本名は不明。「袖付き」の首魁となった経緯こそ明かされているものの、シャアの残留思念が取り憑く以前や整形前の姿など、一様に過去は「謎」に包まれている。
「シャアの再来計画」候補の強化人間は他にもおり、『機動戦士ガンダムNT』では、シャアの再来に選ばれなかったゾルタン・アッカネンが登場する。
目的
フロンタルが「ラプラスの箱」を狙う目的は、劇中の宇宙世紀0096年の4年後、宇宙世紀0100年に行われるジオン共和国自治権返還。その期限を延期させる地球連邦との交渉材料にしようとするためだった。フロンタルが「ラプラスの箱」を入手し共和国の自治権を延期させた後、モナハン・バハロは自身の考案した、ジオン共和国主導の下で月と7つのサイド(コロニー群)を中心として地球を間引きした経済圏「サイド共栄圏」を実現させていく腹積もりだったのである。
モナハンから押し付けられた思想を淡々と話すフロンタルの姿を、バナージ・リンクスは「(自分たちの未来について語っているはずなのに)まるで他人事のようだ」と、どこか冷めたものであると察知されている。
本物のシャア・アズナブルと交流のあったミネバ・ラオ・ザビは、サイド共栄圏について、仮に実現したとしても、20億の人口を独力で賄うことのできない地球を孤立させれば、地球は西暦の時代と同様に資源の争奪戦による戦乱に見舞われ、困窮したアースノイドの子孫たちが、自分たちを貧困に追いやったスペースノイドにその憎悪の矛先を向けることは想像に難くなく、問題の根本であるスペースノイドとアースノイドの対立構造そのものは何ら変わらずに続いていくことを指摘。ミネバは、サイド共栄圏構想それ自体は「理に適った現実的な策」と評すが、結局は調和も変革も無くアースノイドとスペースノイドの立場を逆転させるだけで、人類の革新を願ったジオン・ズム・ダイクンの理想や、アクシズ落としという凶行に及んででも人類全てを宇宙へ上げようとしたシャアの狂気と熱情(=ジオニズムとその根底にある地球聖域思想たるエレズム)とは程遠い物であると酷評されて「私の知るシャア・アズナブルはもう居ない」と失望。フロンタルの元から、ガランシェールクルーの離反を招く結果となってしまった。
思想
フロンタルは上記の通り、モナハンによって後天的に整形や自我を封殺する処置を施されて造り上げられた、「大衆から見たシャアの英雄的側面」のみを人為的に再現した上辺だけの存在でしかなかった。
シャアとは別人であるため、本物が持っていた人間的な弱さや不甲斐なさ、それと表裏一体でもあった信念や熱意、道義心といった情動と人間性を持ち合わせていない。つまり、シャアという仮面(ペルソナ)が無ければ、まさに「何も無い」人間であるため、本物のシャアを知るミネバからは「空っぽな人間」と嫌悪され、バナージからは「のっぺらぼう」と揶揄されており、フロンタル本人も自分のような無為で空疎な存在を要請し、本当に作り出してしまった世界に対して無自覚な憎悪を抱いていたようである。
「ラプラスの箱」の正体は“人類の進むべき道”であるといった曖昧な理想論を排除して、モナハン・バハロの考案した、あくまでも現状からの“地続き”であるサイド共栄圏構想実現に利用しようとしたのは「たとえ可能性を示したとしても、ヒトは現状維持のためには平然と自らそれを潰してしまう。ならば変わろうとしない者には、変わらないなりの未来を与えておけばいい」というフロンタル(シャアの残留思念)の諦念に根差すものであり、「ヒトの可能性」を信じて戦い続けるバナージを、「人類に叶いもしない希望を与える存在」として危険視するようになっていった。
人物
屈強な偉丈夫と評せられるほどの体格をしているが、平時の物腰は無機質な程に穏やかであり、狭い工業コロニー・インダストリアル7で育ったバナージに対しても、「バナージ君は礼儀の話をしている」と丁重に接している。
はぐらかした言い回しや自分に有利な解釈こそ行使してはいるものの、実は一度も嘘はついていない。
しかし、組織の首魁たる冷静さ、冷徹さも備えており、敵対勢力との交渉においてはマシーンのように慈悲なく正面から目的を完遂し、シャアを思わせる仮面の装着(ファッション)、スポンサーから拠点として提供されているア・バオア・クーでのそれを再現した執務室を「下らないもの」と断じながらも受け入れて見せもする。
シャアとは別人であるため、体格は本物と隔たりがあるが、声音はシャア本人と瓜二つであるうえ、シャア・アズナブルがア・バオア・クーに於けるフェンシングでの決闘の際にアムロ・レイによって付けられた傷跡が額の同じ箇所に刻まれている事から、モナハン・バハロにより外見をシャアだと思われるよう、後天的に作り上げられている。
行き詰まりつつあるネオ・ジオンという組織を纏める“ハズレくじ役”を押し付けられておきながらも、フロンタルはその重圧に対して微塵の弱音も吐かず、淡々と行動を進めていく。
人格面では、シャアが劇中で拘りを見せていた父ジオン・ズム・ダイクンに対する愛情や、アルテイシア・ソム・ダイクンとの兄妹としての絆などはない。
ライバルのアムロ・レイに対して「互角の条件で戦って勝つ」という目的の為サイコフレームを送るなどの拘りもなく、フロンタル本人は徹底的に効率を優先する傾向が強い。
このため、能力はあるものの過去に男娼をしていた経験でトラウマもあるアンジェロ・ザウパーのような人間であっても、素性や経歴を問わず組織の中枢として重用する。
本物のシャアが、『逆襲のシャア』において、最終作戦出撃前のギュネイ・ガスに「クェス・パラヤの口説き方」を説いて、肩の力を抜かせたのとは対照的に、フロンタルは、自身の身代わりとなった部下(ギルボア・サント)に対してさしてる感慨も抱かず、地球に残った残党であるロニ・ガーベイ達には特攻前提の陽動作戦を躊躇なく命じ、親衛隊隊長であるアンジェロ・ザウパーに対して精神面のケアを一切行わなかった。
虚無的なまでの現実主義に徹しており、「認めたくないものだな…若さゆえの己の過ちというものを」と過去に発言したシャアに対し、フロンタルは「過ちを気に病むことはない。ただ認めて、次への糧にすればいい。それが大人の特権だ」という発言をしたのもその一つである。
シャアは人類に絶望してアクシズを地球に落とそうとしたとき、それでも住めなくなった地球を脱した彼らに革新が訪れることを願い、信じていたシャアとは対照的に、フロンタルは「ヒトは変わらない。変わろうともしない」と人の心の善意や可能性を完全に否定し「虚しいだけ」と断じるのである。
理想を求め可能性を追求する若さの象徴のバナージと対極の
現実に妥協して可能性を潰す"大人"の偶像がフロンタルと言える
戦闘時において、超大型モビルアーマーネオ・ジオングをメガラニカの人工大地内部へと、構造物を破壊しながら無理やり進入、あまつさえ大火力で外壁をくり抜いて宇宙へ出るという行為さえ実行せしめたのは、『機動戦士Zガンダム』にコロニー内でのビームの発砲を躊躇ったシャアと正反対であった。
原作者の分析
原作者の福井晴敏はフロンタルに対し「大人ということを自覚的に武器にして使ってくる男」であり、「大人をやっているつもりでどこか青臭さを残していた」と、シャアと比べて遥かにしたたかな人物として描いているという。
フロンタルは、シャアの持っていた迷いや妄執といった人間的な脆弱さを削ぎ落とし、政治的プロパガンダの中に登場するような『スペースノイドが期待する理想的な英雄としてのシャア・アズナブル像』を具現化させた存在であるともいえる。
アニメ版の人物像の変更箇所
アニメ『機動戦士ガンダムUC』のフル・フロンタルは、古橋一浩監督が「アニメフィルムに、謎解きの要素は不要」というスタンスを持っていた為、小説版の謎めいた言動が全体的にストレートな表現に“翻訳”されており、フロンタルの『正体』についても古橋監督自身が「私と福井さんの考えも違います」という理由であえてぼかしている。
また、古橋は「フロンタルも最終的には、バナージを送り出す側の一人の大人として、キチンと決着を付けたい」という考えで、担当声優の池田秀一はフロンタルを『シャアとは別のキャラクター』として演じた事、そして同じく池田が「原作の結末ではフロンタルは成仏できない」旨の意見を有していた事等が重なり、意図的に脚本時の勧善懲悪性(悪役であること)が薄められた。
アニメ『機動戦士ガンダムUC』を含めた2010年代ガンダムシリーズのプロデューサーを務めるサンライズの小形尚弘は後に、原作フロンタルの「悪役」部分は『機動戦士ガンダムNT』のゾルタン・アッカネンで表現したと語った。
能力
赤い彗星の再来と呼ばれる通り、パイロットとしての技量もシャアと同様に一流の域にあり、シナンジュで、デストロイモードとなったユニコーンガンダムと互角以上に渡り合った。
対艦戦においても、ローゼン・ズールを始めとした少数の部下との連携だけで、地球連邦軍のゼネラル・レビルの部隊を撤退に追いやる等、高い戦闘力を発揮する。
劇中の活躍
原作小説版
宇宙世紀0096年5月4日。La+プログラムの示した「ラプラスの箱」の安置場所である、コロニービルダー「メガラニカ」最奥に、ひとつの組織の長として堂々とサイアム・ビスト、そしてバナージとミネバの前へと姿を表す。
此処に至って未だ「“みんな”のため」という曖昧な理想を語るバナージに対して、フロンタルはプロパガンダの仮面を外して“自らの言葉”でスペースノイドの現実とサイド共栄圏の価値を語って見せる。
しかし、サイアム・ビストに「自分を含め、『箱』の解放の是非は、それを取引材料としか考えられない人間の手に委ねられるべきではない」と要求を拒絶されたことで、サイド共栄圏は否定されてしまう。
このメガラニカでのバナージとの銃撃戦の最中に、左目を撃ち抜かれて頭部の一部を損壊。明らかな致命傷を負ったにもかかわらず、シャアの残留思念に動かされているからか、まるでゾンビのように活動を継続。バナージを追いつめ、シナンジュに搭乗して血みどろの激戦を展開する。
戦闘でシナンジュの左腕部と両足を失いながらも巨大でどす黒いサイコ・フィールドを出現させ、フルコンディションのユニコーンガンダムとバンシィを圧倒するという化け物じみた強さを見せつける。最後はその虚無もろとも、バナージがありったけの感応波を注いだユニコーンのハイパービームトンファーによって、コックピットを貫かれた。
しかし、肉体が消滅し残留思念となったフロンタルは「君は究極のニュータイプになる代償として、ユニコーンガンダムというマシーンに食われ、バナージ・リンクスという個の器は失われる」と、バナージがコロニーレーザーを防ぐためにニュータイプの能力を極限まで引き出した代償として、思惟をユニコーンに「喰われて」全体に溶け込み、ユニコーンそのものとなる行く先を予見する呪詛を遺した。
その亡骸はシナンジュのコックピットブロックと共に宇宙を漂い、激戦をかろうじて生き延びたアンジェロ・ザウパーによって発見、彼に抱き締められたまま、宇宙という真空の底で凍結していくのだった。
アニメ版
サイアムが二人の示した未来それぞれに対して正しさを認めた上で、しかし更なる“拡がり”を有したバナージへと「箱」を託す事を決断すると、切り札であるネオ・ジオングをメガラニカ内部へ突入させ、「組織の長」としての責務を果たすために「箱」を奪取しようとする強硬手段を取った。
サイコ・フレームを虹色に発光させるユニコーンガンダムと、ニュータイプとしての自分を受け入れたリディ・マーセナスのバンシィ・ノルンを相手取り、フロンタルはネオ・ジオングに敢えて“不動の構え”を取らせ、圧倒的な力量差=「現実」を見せつける事でサイアムが選んだバナージを、同志として引き込もうとする。
ユニコーンガンダムの全武装を失いながらなお抗おうとするバナージに対して、フロンタルはサイコシャードの最大稼働によって“刻”を形象として垣間見させ、自身がシャアであった頃に垣間見た「人類の絶滅したこの世の果て」ではバナージが抱く希望でさえも儚い瞬きにしか過ぎないと説いて見せた。しかし、バナージは「それでも」と人の可能性を信じる心を失わず、ユニコーンガンダムの掌に“暖かな光”を灯らせるのだった。その想いの“熱”を正面から受け取る。フロンタルの裡に在ったシャアの残留思念は未来を託すことの出来る青年に「君に託す、為すべきと思ったことを」と告げた。一年戦争時代の格好をしているシャア、アムロ、ララァの残留思念達は、フロンタルに取り憑いていたシャアの残留思念と共に「全体」へと還っていくのだった。
小説版のラスト同様に、亡骸はシナンジュのコックピットブロックと共に宇宙を漂い、アンジェロ・ザウパーによって発見された。
機動戦士ガンダムNT
フロンタルは前作の『機動戦士ガンダムUC』で死亡しているため登場しないものの、「ネオ・ジオング」及び搭載されている「サイコシャード」はフロンタルが基礎設計したため、内部データはブラックボックスと化している事が分かった。
それゆえⅡネオ・ジオングは1年経ってもいまだに何故動くのかすら解析出来ておらず、ジオン共和国軍内では「シャアの亡霊に取りつかれたフロンタルがこの世ならざる知識で作りあげた」という噂が立っていると、エリク・ユーゴとモナハン・バハロの口から語られた。
本作のパンフレットとして、ルオ商会に親しい人間が書いた報告書という体で販売された『報告書-U.C.0097-』では、フロンタルは強化人間、シャアのクローンなど、その正体については様々な説があり、多くの権限を与えられており、何者かが裏で彼を操っていたと記載されている。
フロンタルを操っていた人間とは、つまりモナハン・バハロなのだが、ルオ商会に親しい人間であっても、フロンタルの正体と、その背後にいたモナハンの足取りを掴むことは出来ていなかったのである。
搭乗機
フロンタル専用ギラ・ドーガ(PS3用ゲーム『機動戦士ガンダムUC』)
シナンジュ・スタイン(小説『戦後の戦争』)
シナンジュ(小説・アニメ『機動戦士ガンダムUC』)
ネオ・ジオング(アニメ『機動戦士ガンダムUC』)
名台詞
赤の肖像〜シャア、そしてフロンタルへ〜
本編の3年前にあたる『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』の直後を描いた朗読劇。シャア・アズナブルが死亡し、全体に溶け、フロンタルに取り憑くまでを描いた。アニメ『機動戦士ガンダムUC』の第2章の劇場公開に先駆けて開催された。
「ニュータイプになれば、あの暖かな光を以て、時間さえ支配出来る?それは夢だ。地球を包んだあの虹を見ても人は変わらなかった。これからも変わることはない」
「真理からは遠く、光を超える術すら手に入れられず、届く範囲のスペースで増えては滅ぶ、それが人間だ」
「導く必要はない、その価値もない」
全体に溶けたシャアの残留思念は、アクシズ・ショックを経ても変革しない現世の人類はこれからも変わらないと結論付けた。生前と異なりシャアは、彼らをニュータイプに導く必要性さえ感じなくなっていた。
「ならば、私は器になろう。」
「空になったこの身体に人の総意を引き受け、彼らが願うところを願うとしよう。」
「ニュータイプ、可能性はもういらない。無為な存在ならそれに相応しく、小さく自足できる環境をくれてやろう。」
「おかしなものだ。これではまるで復讐を誓っているようではないか。誰の為の復讐だ?」
「シャア、それもいい。人がそう望むなら、私はシャアになろう。」
「フル・フロンタル、赤い彗星の再来。響きは悪くない。」
「可能性を捨てた人類には似合いの響きだ。永遠の縮小再生産とその果ての閉塞。」
「準備は整っている。見せて貰おうか、新しいガンダムの性能とやらを。」
このモノローグから、口調もフロンタルのものへと変わり、シャアの残留思念がフロンタルの肉体へと取り憑いたことを暗示している。
戦後の戦争
本編の2年前にあたる、宇宙世紀0094年の出来事を描いたゲーム・小説作品。
「全ての人間には与えられた役回りがある。それを拒めば、今のあなたのようになる」
外伝作『戦後の戦争』にて。
シナンジュ・スタインを奪ったフロンタルを止めるため、プロト・スターク・ジェガンを駆って彼の前に立ちふさがった連邦軍士官カルロス・クレイグとダコタ・ウィンストンに放った言葉。
シナンジュ・スタイン強奪事件の本質が「軍の雇用と経済を維持するための連邦とアナハイムとネオ・ジオンによる出来レース」であることを見抜いたカルロス達は、これを黙認するという自分たちに与えられた役回りを拒否して新たな戦争の勃発を食い止めようとするも、フロンタルは二人を撃墜し、「与えられた役割を拒んだ対価」を支払わせた。
「フル・フロンタル…名前の通り、隠し立てするものは何も無い。人が望む通りの役を演じる者、それだけです」
シナンジュ・スタイン強奪直後、本来なら無血で済むはずの計画だったが、カルロス達の予定外の抵抗により暴れ過ぎたため、「『後始末』が大変だ」と零すアルベルト・ビスト。その言葉を聞いたフロンタルは、何の躊躇も無く証拠隠滅のためにクラップ級巡洋艦二隻を撃沈し、目撃者である乗員を全員抹殺するという凶行に及ぶ。それに驚愕したアルベルトがフロンタルに「お前は…何だ?」と問いかけると、彼は淡々とこの台詞で応えた。
これによって「袖付きが連邦の輸送艦隊を壊滅させて試作機を強奪した」という事実だけが残り、結果的に当初の計画を補強する形にはなったのだが、フロンタルの言葉を聞いたアルベルトは彼の中に潜む言いようの無い禍々しさに戦慄した。
原作小説版
「私は……君を殺す」
これまたシャアがアムロに対して述べた台詞のオマージュ。しかし、シャアが「ニュータイプという存在を、まだ人が受け入れることが出来ないから」アムロを殺そうとしたのに対し、フロンタルがバナージを殺そうとするのは「ニュータイプなどという無用の幻想を人が信じてしまうから」であり、真反対の意図が込められている。
「昔、今と同じことを考えていたような気がする。ニュータイプといえども、肉体を使った戦いには訓練を要する。だから『ガンダム』のパイロットをおびき出して、生身で決着を…」
メガラニカの氷室にて、バナージとの白兵戦の直前の台詞。
『昔』というのは勿論、ア・バオア・クーでのシャアとアムロの生身の白兵戦のこと。それまで示唆されるに留まっていたフロンタルに憑依している「シャアの残留思念」が明確に姿を現した瞬間。
「…人の想いが、光になって地球を包むのを見た。光に巻かれて、地球圏の外に押し出された。この目で、宇宙の深遠を覗きもした。そのような奇跡を目の当たりにしても、人は変わらなかった。変わっても意味がないと識った」
「ここより先には何もない。どこまで行っても同じ暗黒が続くだけだ。たとえ銀河の外に漕ぎ出す術を得ようと、いつかすべては暗黒に帰る…」
メガラニカでのバナージとの白兵戦での独白。
自身の中の「シャアの怨念」により、フロンタルの意思はさらなる虚無と狂気で塗りつぶされていく。
左目を撃ち抜かれて頭部の一部を損壊するという、普通の人間ならとっくに即死している筈の傷を負っているにもかかわらず追いすがってくるフロンタルに、バナージは戦慄する。
「変わろうとしない者には、変わらないなりの未来を与えておけばいい。『箱』はそのために使わせてもらう。それが、ニュータイプを否定した人類への報いだ」
バナージとお互いにMSに乗り込んでの最終決戦にて。
全ては無駄なのだというフロンタルの抱える虚無と諦観を表した言葉。しかしバナージは、最後の「報い」という言葉に、それまで無機質な印象しか感じなかったフロンタルの本心を初めて垣間見たように感じ、フロンタルの本質が「世界を憎む空っぽな誰かが、拾い物の言葉に自分の感情を載せているだけの、偽者ですらないシャアの紛い物」だと直感し、「自分では何もしない、出来ないくせに他人を嗤う、シャアの皮を被った臆病な操り人形」だと糾弾した。
「言ったろう?君はもう、“みんな”の中には帰れない」
原作小説版、最後の台詞。
壮絶な死闘の末、ユニコーンのハイパービームトンファーによりコクピットを貫かれたシナンジュ。死亡したフロンタルは残留思念となり、バナージに不吉な言葉を残す。
「認識力の拡大による他者との融和」をニュータイプの根本とするならば、その究極型とはすなわち、集合精神全体との一体化であり、いずれバナージはその帰結として今や究極のサイコマシンと化したユニコーンに「喰われる」と予言する台詞となっている。事実、コロニーレーザーからメガラニカを守るため、命を賭して限界を超えたサイコ・フィールドを発動させたバナージは、フロンタルの言う通り、全体に溶けてその中で自我が再構築されていった。
アニメ版
「過ちを気に病むことはない。ただ認めて、次の糧にすればいい。それが、大人の特権だ」
シャアの名台詞「認めたくないものだな。自分自身の若さ故の過ちというものを」と対を成す。フロンタルがシャアとは真反対の「強かな大人」であることを象徴する台詞。
「見せてもらおうか…新しいガンダムの性能とやらを!」
シャアの名台詞「見せてもらおうか…連邦のモビルスーツの性能とやらを!」のオマージュ。
「また敵となるか、ガンダム!」
NT-Dを発動したユニコーンと相対して。
「フロンタルはもしかしてシャア本人なのでは?」と視聴者のミスリードを誘うと同時に、フロンタルにシャアの残留思念が宿っていることを示唆する台詞。
「これはファッションのようなもので、プロパガンダと言ってもいい。君のように素直に言ってくれる人がいないので、つい忘れてしまう。すまなかった」
袖付きに拘束されたバナージが、フロンタルと面会し、彼に素顔を見せてほしいと言った際のリアクション。
フロンタルはバナージの態度を無礼として怒るアンジェロを窘めつつ、あっさりと自らマスクを外した。このような洗練された冷静な態度も彼の特徴である。
ちなみに「ファッション・プロバガンダのようなもの」という部分は、小説版『機動戦士ガンダム』におけるシャアが自らの仮面について語る台詞のオマージュ。
「今の私は自らを器と規定している。宇宙に捨てられた者の想い…ジオンの理想を継ぐ者たちの宿願を受け止めるための器だ」
「彼らが望むなら私はシャア・アズナブルになる。このマスクはそのためのものだ」
バナージに「あなたはシャア・アズナブルなんですか?」と問われて。
この『総意の器』、つまり「大衆(スペースノイド)がシャアに期待していたことを代弁し、代行する行動者」という考え方が、フロンタルの基本的な行動指針となっている。
だが、これは裏を返せば「自分はあくまでも大衆の代行者でしかなく、何か新しいビジョンや可能性を指し示して導いてやるつもりは毛頭無い」という意思表明ともとれる。
「器は考えることはしません。注がれた人の総意に従って行動するだけです。全人類を生かし続けるために」
サイド共栄圏構想を語った際、強者と弱者の立場を入れ替えるだけで結局は現状維持に終始する卑小なその結論を「『赤い彗星』としてそれでいいのか?」と問うたミネバへの返答。フロンタルの説くところは確かに一つの正論ではあるが、その何の熱も感情も感じられない口ぶりに、彼女は「かつて自分の慕った『シャア・アズナブル』は完全に死んだ」と実感した。
シャアが一人の戦士としてアムロとの直接の決着に最後まで固執していたのに対し、フロンタルはそういった個人的動機を一切持ち合わせておらず、淡々とスペースノイドの利益を現実的かつ合理的に追求しているという点でも対照的である。
「現状を維持するためなら可能性さえ葬る、それが人間だ。我々はその現実の中で、平和と安定を模索していくしかない」
アクシズ・ショックについて「それほどの可能性が示されても、人は変わらなかった」と語った上で。
直前から僅かに変わった口ぶりと相まって、フロンタルと彼に宿るシャアの人類に対する強い憤りを感じさせる言葉である。
「もしシャア・アズナブルが今も生きているとしたら、それはもう、人ではなくなっているのではないかな」
そのあまりにも無機的な言葉は、ジンネマンに「こいつは何物だ?」と思わしめた。フロンタルの本質が窺える一言。
「もう君は、“みんな”の中には帰れない」
並外れたニュータイプ能力を発揮しつつあるバナージに対して述べた不吉な言葉。
「“みんな”のために箱を使う」と叫ぶバナージに対し、フロンタルは「ニュータイプとしての力を示してしまったバナージは、もうオールドタイプである“みんな”と同じ道を進むことはできない」と語り、彼を自身の下に誘い込もうとする。
「ここへ踏み入り、この目で『箱』の正体を確かめたいと願ったのは私ではない。実は私にも分からないのです。作り物の器に注がれたこの思いが、一体誰のものなのか…」
メガラニカの氷室にて。
「『箱』の正体を確かめたい」と思ったのは「シャアの残留思念」によるものであったのかもしれないが、本当はフロンタルという人物自身が「スペースノイドの総意の器」という自らの役割を超えて願った無自覚な思いであったのかもしれない。
「人の中から発した光…この温かさを持ったものが…虚しいな…」
最終決戦にて、ネェル・アーガマのクルーやミネバ達の想いを受けNT-Dを発動したバンシィとユニコーンと相対して。
可能性をその身に秘めながら、これほどの奇跡を何度目の当たりにしても何も変わろうとしない人類に対する、フロンタルと彼に宿るシャアの狂おしいまでの絶望と虚無感が垣間見える。
「光無く、時間すら流れを止めた完全なる虚無…これがこの世の果て、刻の終わりに訪れる世界だ。人がどれだけ足掻こうと、結末は変わらない」
「ただ存在し消えてゆくだけの命に、過分な期待を持たせるべきではない」
ネオ・ジオングのサイコシャードが発生させたサイコフィールドにより、全体の中に蓄積された「刻」がフラッシュバックする。数多の『刻の涙』の向こうにあったものは、全体に溶けたシャアが辿り着き絶望した、刻の果て、完全なる暗黒と虚無の世界であった。
フロンタルは、人類は遅かれ早かれいずれは消えていくだけの存在に過ぎないという現実と、決まりきった未来に可能性と希望を見出すことの無意味さをバナージに説いて、その意思をねじ伏せようとする。しかし……
「熱…暖かな光…。こんなものがいくら積み重なっても…何も…そう、何も…!」
この無慈悲な現実を突きつけられても、“それでも”諦めずに足掻こうとするバナージの中の「熱」を注がれるフロンタル。その暖かさを確かに実感しつつもなお否定しようとするフロンタルであったが、その時、「彼女」の声が響く。
それまで一貫して冷静で無感情な語り口だったフロンタルが、ここで初めて感情を見せる。
「ああ…」
全体に溶けたララァ・スンとアムロ・レイ、そして自分自身でもあるシャア・アズナブルの残留思念に諭されたことで、自らの役目が終わったことを悟るフロンタル。ネオ・ジオングはサイコシャードの力によって自壊し、フロンタルの中に宿っていた「シャアの残留思念」はシャア自身によって回収され、彼の意識は宇宙の闇へと溶けていった。
ネオ・ジオングが灰燼と化していく中、バナージはシャアの声を聞く。「君に、託す。為すべきと思ったことを…」と。
関連タグ
登場作品 | 機動戦士ガンダムUC |
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関連人物 | アンジェロ・ザウパー / スベロア・ジンネマン / バナージ・リンクス / ミネバ・ラオ・ザビ / モナハン・バハロ / シャア・アズナブル |
関連機体 | シナンジュ / ハルユニット / ネオ・ジオング |
関連艦艇 | レウルーラ |
所属組織 | 袖付き |
クロノクル・アシャー…年代的には約半世紀後の、物語上フロンタル同様のシャア的ライバルの役割を与えられながら、まったくそう振る舞えなかった男。苗字も「シャア」のもじりである。
アフランシ・シャア…(今のところ宇宙世紀の正伝ではない)年代的には約100年強後の「ガイア・ギア」に登場する、シャアの「メモリークローン」(フルコピーではない)。いわばシャアのパイロット技能と人間的な弱さや不甲斐なさを受け継いだ、人工的に作られた「宇宙生活者の王子」。
ボッシュ・ウェラー…サイコフレームの輝きを否定的に見ていた者、当初は肯定的に見ていたが、諦観でモノを言っていたフロンタルと異なり自分の目で腐り落ちていく連邦、錆びついていくロンド・ベルを見てその全てを見限った