解説
日本にとって、インドは歴史的に仏教を通じて後何世紀にもわたる長く深い交流があり、文化的・思想的に最も強く影響を受けた国であり、第二次大戦では独立を助けた協力関係であった。
現在でも非常に親日的な友好国の一つであり、パラオ・台湾・インドネシアなどと同じく、『世界一の親日国』と言われることもある。
インドと日本の関係
歴史
インドの日本との文化交流は、6世紀に仏教が日本に伝来したことから始まり、その交流の歴史は約1500年にも及ぶ。しかし、一説では仁徳天皇の時代にすでに天竺(インド)から裸形上人(薄着の高僧)が来日し、寺院を建立したとする伝承が現在も残っている。
736年にインドの僧侶菩提僊那(ボーディセーナ)は、仏教を広めるために来日し、東大寺の大仏の開眼供養会の導師をつとめ、760年に亡くなるまでの間ずっと日本にとどまり、死後は聖武天皇・良弁・行基らと共に、東大寺の『四聖』として祀られている。
その後インドは1877年にイギリスによって植民地化(イギリス領インド帝国)されてしまうが、日本は明治維新後に近代化して植民地化を免れ、1902年に日英同盟が結ばれたことでイギリスを通して日本とインドの交流は続き、1903年に日印協会が設立されたことで積極的なものとなり、第一次世界大戦では共に連合国(協商国)側に付いて戦った。
更に第二次世界大戦では、インド独立の闘士であるスバス・チャンドラ・ボースを招き、日本は彼と意気投合し独立運動に積極的協力し、大日本帝国陸軍はイギリス軍との戦いで、彼が率いるインド国民軍と共に戦った。
日本はインドのイギリスからの植民地解放に大いに貢献し、その功績はインドの歴史に刻まれ現在でも感謝の意を持たれている。
1951年におけるサンフランシスコ講和条約の会議では、インドは欠席し調印を拒否した。これは占領下における日米安保条約の合法性等を始め、その内容に問題在りという理由からであった。そして1952年、日本と個別に日印平和条約に調印し、正式に国交を樹立。この中でインドは日本に対する賠償請求をすべて放棄している(他にスリランカ・ラオス・カンボジアも放棄し、他の東南アジア諸国も日本の現状を考慮して安値にした)。
この頃、上述した日印協会は戦後にGHQによって活動を禁止されてしまうが、インドのイギリスからの独立に伴って1947年に「日印経済協会」の名称で復活し、官民の窓口として日印関係の改善に尽力した。
1952年には、日銀総裁の一万田尚登が会長に就任し、再び「財団法人日印協会」に改められた。
さらにその後、広島の原爆記念日である毎年8月6日には、国会が会期中の際に原爆の犠牲者に対する黙祷が捧げられており、昭和天皇が崩御された際にはインド国民が3日間喪に服している。
また、インドは、2005年から日本のODA(政府開発援助)の最大の受益国の一つであり、インドと日本は双方の歴史における困難な時期において、お互いを支えあってきた。
これらの経緯から、インド人は基本的に親日的であり、日本人もインドには親しみを持っている。また、歴史・伝統文化の関係が非常に深いことから、歴史観を共有しているとも言える。
文化
上述した通り、インドと日本は古来より仏教を通じて関わりが深く、一説では神話の時代から交流が行われてきたという伝承も存在する。
更に、民間シンクタンク『独立総合研究所』の代表取締役社長青山繁晴氏が、インド政府人材開発省(文部省)の元次官であるスシール・チャンドラ・トリパティ氏に聞いた話によれば、日本固有の民族信仰である神道の思想や日本神話の神々にも、インド神話の神々やその信仰・思想に似通った同じような考え方があり(祇園祭の山鉾など)、深い文化の共通点があるのだという。
また、インド南部のケララ地方発祥の古くから伝わる武術であるカラリパヤット(英訳:Kalaripayattu)は、アジア武術の元祖とも呼ばれており、日本の武術の一つである空手のルーツとされ、空手の『空』は、般若心経にある仏教における空から名付けられた。
こうした特徴を見るに、仏教のみではなくそれらに密接に結び付いたインド文化は、日本文化に多大な影響を与え、それは今日でも感じることができ、両国の自然観の親和に結び付いている。
日本の印橋
在外インド人やインド系移民のことを、日本では総じて『印橋』と呼ぶ。
2015年の統計によれば、日本に在住するインド国籍者(在日インド人)は2万6244人おり、その多くは近年のIT関係の技術者と、その家族とされる。
日本のインド人コミュニティーは大きく分けて二つあり、一つは東京で、こちら一時滞在者が多く永住者が少ないが、もう一つの神戸では永住者が多く、既に3世・4世の時代の時代に入っており、帰化して日本国籍を保持している人も多くいる。
また、日本国内には『インディア・インターナショナルスクール・イン・ジャパン』をはじめとした、在日インド人向けの学校が数校あり、一部では日本人も受け入れられ、日本人とインド人が共に通っている。
日本における印橋の歴史は意外にも古く、明治時代に入り開国して以降、貿易港となった神戸と横浜に、インド人の貿易商が住み着くようになったことが始まりとされ、関東大震災がきっかけとなって横浜のインド人達は神戸へ移住し、そのため神戸は日本のインド人たちの最大のコミュニティー地となっていった。
当時の日本のインド人たちは、主に繊維を商うシンド人、雑貨や自動車の部品を商うパンジャーブ人、真珠を商うグジャラート人などがおり、彼らは日本と世界とを結ぶ貿易商として活動していた。
更に1935年には、インド人のムスリム(イスラム教徒)によって神戸にモスクが建立され、それを機にインド人街が形成されていった。
現在ではヒンドゥー教、シク教、ジャイナ教の寺院も建てられている。
インド食材店・インド料理店なども数多く立ち並んでおり、神戸は日本における在日インド人・インド系日本人の中心地となっている。
また、イギリスの支配を打倒し祖国であるインドの独立を目指して活動し、イギリス当局に追われていたラス・ビハリ・ボースやA.M.ナイルらインド独立運動家は、後に日本へ亡命して受け入れられ、彼らは日本から祖国の独立運動を支援していた。
ボースは1923年に日本に帰化し、日本人女性の相馬俊子氏と結婚しており、東京において日本の老舗食品メーカー中村屋に、インドカレーを初めて伝えた。
A.M.ナイルも戦後に日本でインド料理専門のレストランを開店しており、日本におけるインドの料理文化の普及に貢献している。
準同盟国
日本とインドは互いの安全保障協力を促進するため、2008年10月22日に総理大臣官邸で当時の麻生太郎首相とマンモハン・シン首相により、『日印安保共同宣言』が叫ばれ防衛協力の協定が結ばれた。
更に2014年9月1日には、日本の安倍晋三首相とインドのナレンドラ・モディ首相による日印首脳会談が行われたところ、 日本による政府開発援助(ODA)を含む約3.5兆円規模の投融資の実施や、原子力協定の妥結に向けた協議の加速、インド海軍と日本海上自衛隊の海上共同訓練の定例化などを盛り込んだ「日インド特別戦略的グローバル・パートナーシップのための東京宣言」と題する日印共同声明に署名した。
両国関係を、「特別な戦略的グローバルパートナーシップ」に格上げすることで一致し、事実上の"準同盟国"と位置づけた。
モディ氏は、会談前の8月30日にすでに初来日しており、京都市の京都迎賓館で安倍首相の主催する非公式の夕食会に招待され、夕食会では東京裁判(極東国際軍事裁判)で、東條英機首相をはじめとした被告全員の無罪を主張したインド人判事のラダ・ビノード・パール博士について語り合った。
モディ首相は「インド人が日本に来てパール判事の話をすると尊敬される。自慢できることだ。パール判事が東京裁判で果たした役割は我々も忘れていない」と述べ、その功績を共に称え合っている。
翌日には二人は共に真言宗の仏教寺院である東寺を訪れ、大日如来像の前で合掌した。
また、2014年9月2日にモディ首相は、上述したインパール戦争(インド独立戦争)においてチャンドラ・ボースが率いたインド国民軍と共に戦った元日本軍兵士である三角佐一郎氏と対面し、会談を行った。ボースに縁あるインドと日本の同志の元を訪れており、Twitterにも佐一郎氏と交流している写真が挙げられている。
近年ではインド防衛省が、日本において2014年4月1日に国家安全保障戦略に基づき、新たな政府方針として制定された『防衛装備移転三原則』によって、海上自衛隊が運用する救難飛行艇『US-2』の導入を検討している。
更に、これはそれ以前の逸話だが、2010年に発生した尖閣諸島中国漁船衝突事件をきっかけに、中国共産党が尖閣諸島の支配を既成事実化しようとした際、その1週間後にインド政府はこれまで長距離核弾頭ミサイル「アグニ(炎の神)」は、長い間開発中と明言してあったのにもかかわらず、「アグニは完成し、中国各都市に照準を合わせた」と公式発表した。
これは言ってみれば、インドが「日本に手を出したら核ぶち込む」(超意訳)と中国を脅した形であり、そのため中共はスゴスゴと引き下がっていったという。
インド新幹線
2015年12月12日には、安倍首相は3回目となるインド訪問を行い、モディ首相との会談は5回目となった。
会談では、日本国自衛隊とインド軍の防衛装備協力の推進などの安全保障協力や、経済協力の具体化、文化・人的交流の強化について協議し、インド西部のムンバイからアーメダバード間を結ぶ、高速鉄道計画における、日本の新幹線システム導入で合意したことを受けて、「日印新時代の幕開けにふさわしいプロジェクトだ。他の高速鉄道路線にも導入されることを期待する」と述べている。
また、平和的目的に限定する条件のもと、日本からの原発技術供与を可能にする日印原子力協定の締結に原則合意し、核拡散防止条約(NPT)非加盟国であるインドと、日本の歴史上初めて原子力協定を結ぶこととなり、安倍首相は「日本による協力を平和目的に限定する内容を確保した」と評価しており、モディ首相も「両国の戦略的パートナーシップの新たなレベルを示すシンボルだ」と語っている。
着工式
日印友好関連の建造物・団体
蓮光寺
日本の東京都杉並区にある日蓮宗の寺院蓮光寺には、チャンドラ・ボースの遺骨が祀られており、インドの要人が度々参拝に訪れている。しかしながら戦後日本のマスメディアはこの事実を無視して一切報道しておらず、偏向報道の極みと問題視されている。
蓮光寺は現在、日本とインドの友好の聖地となっており、インドへ赴任されるビジネスマンは、お参りしてから出向く人もいるという。
チャンドラ・ボース公園
インドのオールドデリー市街にあるチャンドラ・ボース公園には、インド独立義勇軍(INA)と日本軍人の像が建てられており、像の左上には日章旗が掲げられている(リンク)。ボースのインド独立の功績と、日印友好の象徴として、現地インド人や日本人旅行者から親しまれている。
チーム・ネタジ
靖国神社で講演を行うチーム・ネタジのロハン・アガラワル氏
ボースを尊敬し、彼の功績や教えを後世に引き継ごうという強い思いを持つ多国籍メンバーで構成された団体で、ボースや彼の縁者、日本との関係を世間に衆知する活動を行っており、彼のビジョンを通じてインドと日本の友好関係をより一層強化していくために尽力している。
関連書籍
- 『これからはインド、という時代』(著:日下公人・森尻純夫 出:WAC)
- 『日本とインドいま結ばれる民主主義国家』(著:多数 編:櫻井よしこ・国歌基本問題研究所 出:文藝春秋・文春文庫)
- 『ひと目でわかるアジア解放時代の日本精神』(著:水間政憲 出:PHP研究所)
- 『日本が戦ってくれて感謝しています』(著:井上和彦 出:産経新聞出版)
- 『ありがとう日本軍』(著:井上和彦 出:PHP研究所)