概要
大阪と奈良を結ぶ路線で、奈良線としての区間は布施(大阪府東大阪市)〜近鉄奈良(奈良県奈良市)であるが、案内上は大阪線の複々線区間および近鉄難波線をひっくるめて大阪難波~近鉄奈良間を奈良線としている。
途中で生駒山地をトンネルで貫き、東花園から学園前あたりにかけて勾配が続く。
沿線に学校が多いため通学利用が多く、通勤・観光・レジャーでの利用も多い近鉄のドル箱路線のひとつ。
近鉄の発祥の路線ということもあり、路線記号はA。
列車種別は特急、快速急行、急行、準急、区間準急、普通電車の6種類。
大阪難波から西は阪神なんば線と相互直通運転を行っており、準急以下の種別は近鉄奈良or大和西大寺から尼崎まで。そのうち普通電車の半分は東花園までやラッシュ時には東生駒まで走る列車がある。快速急行は神戸三宮まで直通する。なお急行は全て大阪難波止まりとなっている。特急と急行は阪神線への直通の設定はなく、近鉄特急が団体列車扱いの臨時列車として阪神線内へ入線する程度。
また特急は、平日の日中には設定されておらず、上りは朝と夕方以降、下りは朝に1本あるほかは夕方以降に偏り、ライナー列車的な位置付けがなされていることがうかがえる。
上記のほかに京都線から近鉄奈良へ乗り入れる特急・急行・普通も多数設定される。1968年までは、京阪三条からの直通運転も存在した。
編成両数は、特急と快速急行は最大10両、急行と準急は最大8両、区間準急と普通電車は最大6両。一部列車は大和西大寺で増解結が実施される。なお近鉄車(21m4扉)と直通してくる阪神車(19m3扉)では車両規格そのものが大きく違うことから、乗車位置案内は近鉄車は「○」、阪神車は「△」とし駅の発車標などにもその旨を表示する形で案内している。
関西私鉄では、直通する阪神なんば線とともに昼間時間帯にも10両編成が運転される唯一の路線でもある(一部の快速急行)。
神戸三宮駅以西の直通運転について余談
近鉄車両の長さは21m、阪神および山陽電気鉄道の車両は19m。それゆえに現状、近鉄車による阪神神戸高速線経由近鉄奈良線〜山陽の相互直通運転は不可能となっている。これには山陽電気鉄道本線に天井の低いトンネルが介在し、大柄な近鉄車両が乗り入れる際に支障をきたすためだと言われる。
しかし、山陽・阪神・近鉄は、貸切列車を合同運行した3つのイベントを阪神なんば線開業後に実施した。全列車が阪神1000系6両編成だった。
- 「姫路~奈良直通列車で行く山陽・阪神・近鉄私鉄 3 社車庫巡り」(山陽姫路〜近鉄奈良、2013年2月24日、1206F)。阪神なんば線開業以来の初運転。
- 「近鉄・阪神・山陽横断ツアー~★黒田官兵衛ゆかりの地★」(近鉄奈良〜山陽姫路、2014年7月13日、1208F)。「3社の相互直通運転開始」の5周年を記念。
- 「3社車庫めぐり」(近鉄奈良〜山陽姫路、2019年7月15日、1210F)。3社の相互直通運転開始の10周年を記念。
通勤形車両
特急形車両は近鉄特急を参照。
阪神乗り入れ可能
乗務員室の扉の前後と、前面に蝶印のマークがある。蝶印のマークのついている車両は尼崎・神戸三宮まで乗り入れできる。
1026系(6両編成)・1252系(1271~1277F)・5800系
阪神乗り入れ不可能
大阪難波駅の折り返し線の容量の都合上、一部列車は阪神桜川駅で折り返しを行う。
3200系・3220系(シリーズ21) →京都市営地下鉄乗り入れ対応だが近鉄線内の間合い運用。
なお、車両運用自体は阪神直通列車のみ対応編成に限定されているが、もとから独立している3200系、3220系以外は、原則共通運用であり、最古参と最新鋭の混結などの凸凹、色違い編成は通常の光景であり、ごくたまに2両編成を5本つなげたブツ10編成が出現することもある。
阪神の車両(→赤胴車)
停車駅一覧
- 難波線の駅も掲載。
- 大和西大寺と近鉄奈良の間は、当該区間に乗り入れる京都線の駅番号を基準にしたため、A22〜A25は欠番になっている。
- 停車駅について、 ●:停車 ▲:高校ラグビー開催日のみ臨時停車 ※:近畿大学附属小学校・幼稚園平日の開校日に下りのみ臨時停車 |:通過
駅番号 | 駅名 | 読み | 特急 | 快速急行 | 急行 | 準急 | 区間準急 | 乗り換え路線・備考 |
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A01・HS41 | 大阪難波 | おおさかなんば | ● | ● | ● | ● | ● | |
A02 | 近鉄日本橋 | にっぽんばし | | | ● | ● | ● | ● | OsakaMetro千日前線/堺筋線 |
A03 | 大阪上本町 | おおさかうえほんまち | ● | ● | ● | ● | ● | |
A04 | 鶴橋 | つるはし | ● | ● | ● | ● | ● | |
A05 | 今里 | いまざと | | | | | | | | | | | 近鉄大阪線(D05/普通のみ)
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A06 | 布施 | ふせ | | | | | ● | ● | ● | 近鉄大阪線(D06)
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A07 | 河内永和 | かわちえいわ | | | | | | | | | | | JRおおさか東線 |
A08 | 河内小阪 | かわちこさか | | | | | | | ● | ● | - |
A09 | 八戸ノ里 | やえのさと | | | | | | | | | | | - |
瓜生堂(仮称) | うりゅうどう | | | | | | | | | | | ||
A10 | 若江岩田 | わかえいわた | | | | | | | | | | | |
A11 | 河内花園 | かわちはなぞの | | | | | | | | | | |
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A12 | 東花園 | ひがしはなぞの | | | ▲ | ▲ | ● | ● | - |
A13 | 瓢箪山 | ひょうたんやま | | | | | | | | | ● | - |
A14 | 枚岡 | ひらおか | | | | | | | | | ● | - |
A15 | 額田 | ぬかた | | | | | | | | | ● | - |
A16 | 石切 | いしきり | | | | | ● | ● | ● |
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A17 | 生駒 | いこま | ● | ● | ● | ● | ● | |
A18 | 東生駒 | ひがしいこま | | | | | | | ● | ● | - |
A19 | 富雄 | とみお | | | | | | | ● | ● | - |
A20 | 学園前 | がくえんまえ | ● | ● | ● | ● | ● | - |
A21 | 菖蒲池 | あやめいけ | | | ※ | | | ● | ● | - |
A26 | 大和西大寺 | やまとさいだいじ | ● | ● | ● | ● | ● | |
A27 | 新大宮 | しんおおみや | | | ● | ● | ● | ● | 近鉄京都線(除特急)
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A28 | 近鉄奈良 | なら | ● | ● | ● | ● | ● | 近鉄京都線
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沿革
開業
近鉄の直系の始祖に当たる大阪電気軌道が初めて建設した路線。1914年に開業し、軌道法に則って建設され600Vで電化されていた。
大阪と奈良の間には生駒山系という難所が立ちはだかっていたものの、同業他社が迂回するルートを選択したのに対して(片町線・関西本線)、生駒トンネルを掘削しほぼ直線で結ぶこととなった… が、これが後に奈良線がハンデを追う原因の一つとなる。
元々主要街道から外れていた急峻な山を無理やり超える形をとったため沿線は人口は少なく、大阪(上本町) - 奈良間以外の中間部の需要は雀の涙ほどであることが予想されたため、生駒駅から生駒山の名刹と名高い宝山寺へ至るケーブルカーが建設された。予想通り経営はトンネル建設費のせいでよろしくなかったため、短期間で逃げ…辞職する経営役員が多く、営業の現場は宝山寺や石切神社への参拝客、つまり観光客頼みであったため「大阪天気軌道」と揶揄されたそうである。
戦時下の統制
大型高速の長距離電車で大阪と伊勢神宮(宇治山田駅)を結んでいた参宮急行電鉄は大阪電気軌道が設立したいわば関連会社の間柄であったが、戦時下の交通統制のもと阪奈間の中小私鉄は関西急行電鉄、やがて近畿日本鉄道に統合された。
輸送量の増加と近代化
戦後、沿線の開発や産業の振興に伴って輸送量が飛躍的に増加すると、奈良線が負うハンデが徐々に表面化していった。
奈良線の制約
参宮急行電鉄が建造した大阪線は奈良線の上本町まで乗り入れていたものの、大阪線の車両は21m級で1500Vの大型・高出力のものであった。
対して奈良線の車両は生駒トンネルが1910年代、小型電車の規格で建設されたため比較的小型であったうえに、生駒トンネルまでの急勾配区間を駆け上がるために高出力であったとはいえ、架線電圧は600Vと大阪線の車両とは別物であった。
布施から上本町までは、奈良線として建設されていたため、乗り入れることとなる大阪線の車両は600Vで無理やり動かしていたものの、ローテクな電車でごく短距離だからこそ出来る力業で、流石にこの区間は1956年に複々線化させて運転系統が分離された。
とは云え、大阪線の車両と比較すると奈良線車両の輸送力が見劣りすることや、車両を統一して運用効率を上げるべきであることは誰の目にも明らかであった。
また、当時は奈良電気鉄道という別会社ながら現在の近鉄奈良駅に乗り入れていた京都線(1963年に近鉄に合併)、運転系統がある程度被っていた橿原線はこの頃は600Vではあったものの大型車の使用実績があったことや、複電圧車の特急が大阪線と直通運転していたことを鑑みると、最も制約が多い奈良線の改良は無視できない問題であった。
併用軌道区間の問題
その上、奈良駅近郊には道路上に建設された区間が存在し、天下の近鉄特急といえど自動車やバスに揉まれてノロノロ走る有様で、これも輸送効率を上げるうえでボトルネックとなっていた。
更には沿線が大阪へのベッドタウンとして開発が進んだために利用者が急増し、1961年には、最も混雑した区間で乗車率が230%を記録するなど輸送力の増強は喫緊の課題となった。
これを受けて、
- 近鉄初の高性能車「800系」の導入(1955年)と 料金不要の特急(現:快速急行)の運転開始(1956年)
- より大径の新生駒トンネルの掘削(1964年開業)
- 架線電圧の昇圧(1969年実施)
- 奈良駅周辺の併用軌道区間の地下化(1969年完了)
を実施。大阪万博の開幕までには諸問題を解消させた。
架線電圧の昇圧に先立って、1961年には上本町 - 瓢箪山間に限って大型車の運行を開始させている。
大型車の本格的導入と入れ替わりにこれまで使用されていた小型車は、伊賀線(現:伊賀鉄道)や養老線(現:養老鉄道)へ送られた。
1970年以降
1970年に難波線(上本町 - 難波)が開業すると、ほとんどの列車が難波駅発着となった。
その後も輸送量は伸び続けたため、1977年から生駒 - 長田間に奈良線に並行する新線「東大阪線(現:けいはんな線)」の整備を始め、1986年に開業。大阪市営地下鉄中央線(現:Osaka Metro 中央線)と直通運転を開始した。この東大阪線、トンネルの一部区間だけ奈良線開業当時のトンネルを再利用しているので近鉄で最も古いトンネルを通る路線である。
2009年からは、前述のとおり阪神なんば線との直通運転を開始している。
関連タグ
近畿日本鉄道(近鉄) L/Cカー 近鉄特急 近鉄大阪線 近鉄けいはんな線 近鉄京都線