オーストリア
おーすとりあ
曖昧さ回避
「Axis Powers ヘタリア」(APH)におけるオーストリアは、ローデリヒ・エーデルシュタインを参照。
概要
ヨーロッパの中央部に位置する内陸の連邦共和制国家。
国土面積は約8.4万平方キロメートルで、北海道とほぼ同じ大きさである。
人口は約880万人。
欧州連合加盟国で、2020年現在は共通通貨ユーロを導入している。
国際的に認められた永世中立国であるものの本来の厳密な意義からは形骸化しつつある。
国名の混同
国名が酷似しているオーストラリアはラテン語由来で「南の地」を意味するのに対して、オーストリアはドイツ語で「東の国」を意味する為、語源からして違う。
しかし、英語の綴りでも日本語のカタカナでも、字面がそっくりなので、同文化圏の人々はたびたび混同しがちで、ジョークのネタにまでなっている。
地理
内陸国として北はドイツとチェコ、西はリヒテンシュタインとスイス、南はイタリアとスロベニア、東はハンガリーとスロバキアに囲まれる形で隣接する。
位置的には中欧とされるが、歴史や経済力的には西欧国かつ先進国である。
アルプス山脈が国土を東西に走り、面積の3分の2が山岳地帯である。
北部を国際河川の大河ドナウ川が東に流れ、ウィーン盆地とハンガリーの平原地帯に続く緩やかな丘陵地が開けている。
西高東低という起伏に富んだ地形で、各地に湖が点在している。
最高峰は「グロースグロックナー」(Großglockner)というアルプス上の山で、標高は3,798mと富士山よりほんの22mだけ高い。
気候は大陸性で全国的に冬の寒さがかなり厳しい。
西部の山岳地帯では特に降雪が多く、東部の平原は比較的乾燥している。
農業は小麦、テンサイ、トウモロコシなどが主に栽培され、山岳部では酪農が行われて輸出も盛ん。
地下資源では潤沢とまではいかないが、鉄鉱石、石炭、亜鉛などを産出する。
山がちな国土を活かした水力発電が発達しており、鉄道の電化や登山鉄道の整備も早くから進められていった。
工業は伝統的手工業から重工業、電子工業まで幅広く発展している。
音楽の都ウィーンや、山岳地帯の保養地・スキー場などでは観光業も盛んである。
歴史
オーストリア(Österreich)という国名は「東の国」という意味である。
これは西ローマ帝国滅亡後の中世フランク王国時代にオストマルクという領邦が設置された事に由来するとされている。
976年頃、中世ドイツを地方分権体制で支配した神聖ローマ帝国の皇帝がイタリアなどの東南方面の防衛のために封建諸侯の領土であるオーストリア辺境伯領を設置する。辺境伯領はボヘミア王家などに渡ったのち、最終的にハプスブルク家の封土となった。その後オーストリアの領主として力をつけていったハプスブルク家が皇帝の位を手にし、遂には完全世襲化させてオーストリア・ハプスブルク家は全ドイツ人国家の盟主となる。
この間に周辺地域であるクライナ・チロル・シュタイアーマルクなども統合し、現代オーストリアにつながる領土をまとめていった。
またハプスブルク家は巧みな政略結婚によりスペインや東欧諸国の君主ともなり、オランダ、ベルギー、イタリア、中南米の大部分やフィリピン、マラッカなど世界中の植民地を手にする王朝となった。
しかしその後オーストリアとスペイン王室が分離し、スペインは独立したオランダ、イギリスフランスとの植民地政策で負けて国力の斜陽化の中ハプスブルク系の王族が断絶。
オーストリアも長年東欧諸国に侵攻するオスマン帝国の侵攻阻止に国力を費やされ、イタリアを巡ってフランスとも戦争を続けていた。
ローマ教皇のいるイタリア政策の注力からドイツの中央集権制の統一国家化も実現せず、さらに宗教改革後のプロテスタントのドイツ諸侯や西欧・北欧国との内戦や戦争が相次いで勃発する。
そして三十年戦争によってドイツ諸国が自立していった事から神聖ローマ帝国は形骸化してしまう。
フランス革命とナポレオン戦争の影響を受けて神聖ローマ帝国が解体されると、ドイツの覇権を巡りプロイセンと対立。
その結果普墺戦争で敗れ、オーストリアはプロイセン主導のドイツ帝国から締め出されてしまう。
その後はすでにオスマン帝国の勢力を追い出していたバルカン半島に勢力を伸ばし、ハンガリーの皇室と合流してオーストリア=ハンガリー帝国の中心をなしていたが、第一次世界大戦での敗戦で同帝国が崩壊。
東欧諸国の独立により、オーストリアは小国の内陸国となる。
第二次世界大戦前にナチス政権のドイツと併合するが、敗戦後に分離独立。
1955年には連合国による分割占領が完全に終了した。
冷戦期は中立国でありながら、自由民主主義国家として西側寄りの体制を取っていた。
民主化を進める東側の隣国ハンガリーとの国境を開放し、東ドイツ国民を亡命させた『汎ヨーロッパピクニック』は結果として冷戦を終結に導く一因となった。
現在は欧州連合の一員としてヨーロッパ統一を推進し、ドイツとも友好的な関係にある。
文化
音楽
皇帝たちが征服したイタリアからしきりに芸術家を招聘したこともあって、音楽の伝統文化は特に有名である。
ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンという古典派三大音楽家は全員オーストリアで多くの活動を行い、イタリア出身の音楽家達から学ぶだけでなく次第に独自のドイツ音楽を形成していった。
その後もシューベルト、ブルックナー、マーラーらの偉人が活躍をした。
オペラではウィーン国立歌劇場があり、また同劇場有志によるウィーン・フィルハーモニー管弦楽団も著名なオーケストラである。
音楽のイベントとしてはモーツァルトを記念したザルツブルク音楽祭等がある。
美術
オーストリアの美術が特に注目を集めたのは、19世紀末〜20世紀初頭のアール・ヌーヴォー・表現主義の時代である。
画家に官能的な作風のクリムトや激しく捻じれた造形で知られるエゴン・シーレらが挙げられる。
建築ではオットー・ワーグナーが現れ、合理的な建築を追求して後のモダニズム建築への道を開いた。
美術館はウィーンの美術史美術館が、ハプスブルク家の集めた欧州各地各時代の作品を収蔵する。特に世界最大のブリューゲル(フランドル地方の画家)コレクションで有名。