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第三帝国

だいさんていこく

第三帝国(Das Dritte Reich 、ダス・ドゥリテ・ライヒ)は、国家社会主義ドイツ労働者党時代にドイツが自称した国名のこと。
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第三帝国(Das Dritte Reich = 第三の国)は、国家社会主義ドイツ労働者党(NSDAP、ナチス)時代のドイツが自称した国名のこと。神聖ローマ帝国ドイツ帝国に次ぐ「第三の国」という意味である。ちなみにドイツ語のReichは(領邦よりも上に立つ、領域の大きな)「国」という意味で、必ずしも帝国を意味しない。例えばドイツではフランスのことをFrankreich(フランクライヒ=フランク人の国)と呼び、オーストリアのドイツ語名は、Österreich(エスターライヒ = 東の国)という。

「第三帝国」の表現は、国民社会主義者によって、一時的に彼らのプロパガンダの中における概念として用いられたが、ナチ国家による憲法、または国体として仕上げられてはいない。

しかしながら西洋の歴史においては、「第三帝国」は、はるかに古いキリスト教的・神学的な、また哲学的・ユートピア的な伝統を含んでいる(Georg Stötzel: Zeitgeschichtliches Wörterbuch der deutschen Gegenwartssprache. 2., erweiterte und aktualisierte Aufl., Hildesheim 2003, S. 92.)。キリスト教・神学的な理解の中では、その概念は聖霊の統治の時代を意味する。


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ナチスタグより実在の人物や物事を描いたものが多いことが特徴。

以下、よく投稿されるまたは著名な事象について記載。


第三帝国の人物編集

幹部編集

言わずと知れた総統

ヒトラーの肖像

国民啓蒙・宣伝大臣。プロパガンダの天才。プレイボーイとしても有名。

Paul Joseph Goebbels

帝国元帥、空軍相。元エースパイロット。モルヒネ中毒で派手好きな憎めない人物。

Hermann Wilhelm Göring

副総統。眉毛。アウシュヴィッツの看守とは別人。

党官房長、総統秘書官。謎の多い「ヒトラーの金庫番」。

軍需大臣。建築家。曲者揃いのナチス高官の中でほぼまともな人。

軍需相

外務大臣。元シャンパン商人。


国防軍編集

詳しくはドイツ国防軍記事を参照。


親衛隊SS編集

SS長官。おとなしそうな眼鏡のおっさんだが、ホロコーストの最高責任者でもある。

ヒムラーさんちの菜園

SS大将、国家保安本部長官兼親衛隊情報部(SD)長官。金髪の野獣と敵味方から恐れられた冷酷無比の軍人。

SS少将、国家保安本部第六局(国外諜報)局長。早くからナチ党を見放し、ヒムラーを急き立て和平に奔走していたと自ら語っている。ハイドリヒとカナリスの仲介役。

Der Geburtstag!(修正)

SS中佐、国家保安本部第四局宗派部ユダヤ人課課長。ハイドリヒの片腕としてユダヤ人絶滅を指揮。戦後逃亡先で見つかり裁判にかけられたことにより有名となったが、一般的なイメージとはかけ離れた小物である。

Ein kleines Rädchen

SS大尉、アウシュヴィッツ強制収容所主任医官。「死の天使」の悪名を持つマッドサイエンティスト

死の

SS中佐、アウシュヴィッツ強制収容所所長。副総統とは別人。

武装親衛隊編集

武装親衛隊・SS中佐。「ヨーロッパで最も危険な男」と渾名される。

スコ誕!

武装親衛隊・SS大尉。ティーガーⅠの戦車長として、オットー・カリウスと並び立つ戦車戦のエース。

ミリGEN祭に参加します。

武装親衛隊・SS曹長。ノルマンディーの戦いでの「バルクマン・コーナー」で有名な戦車エース。

突撃隊(SA)編集

SA幕僚長。ヒトラーとは長年の盟友であったが対立関係にあった親衛隊により、SAの幹部諸共粛清される。両性愛者または同性愛者であったというが真相は不明。巫女とも関係ない。

霊夢

一般人編集

ヒトラーの恋人、のちの妻。「エヴァ」とも。ヒトラーにとって唯一の心の置き所ともいうべき女性。


関わりの深い人物編集


第三帝国の物事編集

政治編集

党大会

ヴァンゼー会議

軍事編集

パンツァーファウスト

エニグマ

事件編集

長いナイフの夜

ヒトラー暗殺計画ワルキューレ作戦、ヴァルキューレ作戦

戦後編集

ニュルンベルク裁判


思想史的背景編集

歴史哲学編集

 クラウス=エッケハルト・ベルシュによれば、後の「第三帝国」概念の大衆化は、「三つの歩み」の中で歴史を捉える「西洋的な強迫観念」、そして古代中世新時代の歴史区分についての近代の話法に帰せられるという(Claus-Ekkehard Bärsch: Die politische Religion des Nationalsozialismus. München 1998, S. 45 ff.)。この歴史全体としての歴史区分は、特にパウロによる、またヨハネの黙示録における、キリスト教歴史哲学に思想史的な起源を持つ、歴史哲学的な諸々の思考を基礎に置いている。パウロの三つのReich(世界、領域、王国)への世界史区分――異教徒の「自然法(lex naturalis)」、旧約聖書における「モーセの律法(lex mosaica)」、そして第三の、キリストの王国――は、12世紀のフィオーレのヨアキムからダンテに到るまで、西洋における宗教的な歴史解釈の、「第三の王国」の告知を伴う、基本的な図式を描き出している(Eric Voegelin: Die politischen Religionen. Hrsg. von Peter J. Opitz. München 1993, S. 39.)。

 何よりも、ヨハネの黙示録こそ「歴史神学の母にして、近代歴史神学の祖母」だという(Bärsch: Die politische Religion des Nationalsozialismus. S. 45 ff.)。

 例えばルネッサンスフランスフランソワ1世は、彼が神聖ローマ帝国皇帝の位を求めた際、「天のエルサレム」が地上に永遠に打ち立てられるという、この書物に描かれた末世の救済の希望に依拠した。彼はそのための印として、建造形態と象徴性において、ヨハネの黙示録に表された天国の都に準拠して設計された、シャンボール城を建築した。

グノーシス、および千年至福節編集

 聖パウロの歴史哲学に並び、アウグスティヌスキリスト教歴史哲学は、歴史全体の解釈によって、卓越した一つの地位を獲得している。彼がキリスト教へ転向する以前(Rüdiger Safranski: Das Böse oder Das Drama der Freiheit. München/Wien 1997, S. 50; Stuart Holroyd: Gnostizismus. Aus dem Englischen von Martin Engelbrecht. Braunschweig 1995, S. 73 ff.)、数年間、マニ教グノーシス主義者だったアウグスティヌスは、世界史を「キリストの王国」と「悪の王国」の一種の暴力的対決として理解していた(Voegelin: Die politischen Religionen. S. 35.)。

 彼の考えによれば、悪の天使の墜落を通じ、「神の国(civitas Dei)」から「地の国(civitas terrena)」が分かれ、神の王国の中に終わる天使の国家が「神の国(civitas Dei)」から生まれるという。

Anarchyヨハネちゃん

 アウグスティヌスは歴史を3つには分割せず、キリストの王国で終焉を迎える6つの現世の時代を想定しているが(Voegelin: Die politischen Religionen. S. 39.)、ただし彼の歴史神学は、彼の「善悪の闘争が行われる」という解釈に関して、国民社会主義にまで及ぶ、著しい歴史的な意義を有している(Friedrich Heer: Gottes erste Liebe. Die Juden im Spannungsfeld der Geschichte, Frankfurt am Main/Berlin 1986, S. 68 ff.)。

 そのうえで、フリードリヒ・ヘーアは「アウグスティヌス主義」について、マニ教が20世紀の西洋の文化に持ち込まれたという見解を主唱している(Heer: Gottes erste Liebe. S. 68 ff.)。

 グノーシス研究者ゾンネンシュミットはそれに対し、彼の本『政治的グノーシス(Politische Gnosis)』の中で、古代のグノーシスと近代における「政治的な」グノーシスの直接的な関係には全く言及していない。自身では思想史を専攻する彼は、この見方をむしろ研究の視野の一種として強調し、アウグスティヌスへの明確かつ模範的な関連をもって疑問を提起した。「研究の中で、後期古代のグノーシスから近代のグノーシスへと張ったアーチは、グノーシスの発生系統や発生の論理学が、西洋において少なくとも存在していたのかという一般的観点に要約される、新たな研究の視野を開くものである」(Reinhard W. Sonnenschmidt: Politische Gnosis. Entfremdungsglaube und Unsterblichkeitsillusion in spätantiker Religion und politischer Philosophie, München 2001, S. 261.)。

 近代の「第三帝国」の構想に決定的と一般に認められているのは、キリストの王国が、古い表現の中におけるような最後の現世の王国でなく、また異なる後続物であるという、中世の千年至福節の中で生じた考えだった(Voegelin: Die politischen Religionen. S. 39.)。

 この思想は、12世紀の、反ユダヤ主義の歴史神学者で(Bärsch: Die politische Religion des Nationalsozialismus. S. 45 ff.)、歴史全体に関して同じく3つの区分という考えを基盤に置く、フィオーレのヨアキムによって公式化された(Ruth Kerstenberg-Gladstein: The “Third Reich” – A fifteenth-century polemic against Joachism, and its background. In: Journal of the Warburg and Courtauld Institutes. Vol. 18, No. 3/4 (1955), S. 245–295.)。

 彼は、第一の王国の中に、旧い契約に基づいた神の王国(旧約聖書的な「父の国」)を見、第二の中にキリストの王国(「子の国」)、そして第三の内に第三の神の位格(「聖霊の平和の王国」、「救済の時代」)を見て取った(Voegelin: Die politischen Religionen. S. 39.)。哲学者ヴォルフガンク・レートの見解によれば、グノーシス的、そして終末論的な思考がここで役割を演じているという(Wolfgang Röd: Der Weg der Philosophie. Band 1: Altertum, Mittelalter, Renaissance. Beck, München 1994, S. 382.)。

 レートは書いている。「真の賢人としての第三帝国の構成員は、介在する施設や組織に依存することなく、と結びついていると信じられた。同時に、末世への展望も示されていた」(Röd: Der Weg der Philosophie. Band 1: S. 382.)。

 フィオーレのヨアキムは、この思想に、ヨハネの黙示録の第20章第1節から10節を引証した(Michael Ley: Apokalyptische Bewegungen in der Moderne. In: Michael Ley/Julius H. Schoeps: Der Nationalsozialismus als politische Religion. Bodenheim bei Mainz 1997, S. 17.)。

 彼の3つの王国の描写によって、彼は、そのいずれもが「総統」に統治されることになると象徴的に強調している(Voegelin: Die politischen Religionen. S. 39.)。先駆者ゼカリヤとヨハネによれば、第二の王国の劈頭にはキリストが立ち、第三の王国では彼がまさに「指導者(Dux)」と呼ばれ現れるという(Voegelin: Die politischen Religionen. S. 40.)。

 フィオーレのヨアキムにとって、第三の王国とは、「教会の地位を革命的に覆す新たな制度ではなく」、「キリスト教教会の精神化と、瞑想的な精神化された修道生活の新たな秩序への、世界教会の再編」の過程だった(Voegelin: Die politischen Religionen. S. 40.)。

 この第三の王国の中で、人間は「霊的に、ちっぽけに、兄弟のように、すべて同じ地位から、強制的な序列を伴うことなく」生活を営むという(Voegelin: Die politischen Religionen. S. 40.)。彼は同時に、第三の王国がいつ始まるのか算定した。第三の王国の始まりを彼は1200年に、後にヨアキム主義のフランシスコ会指導司祭は1260年に推定し、彼らはその際、フィオーレのヨアキムに予言された「指導者(Dux)」とは、アッシジのフランチェスコであるとみなした(Voegelin: Die politischen Religionen. S. 40.)。

国民的な観念編集

 19~20世紀の国民的な思考を背景に生じた「第三帝国」の概念は、宗教的のみならず、政治的にも、国家と宗教が最も密接に関連づけられ、描写・解釈される側面をも含んでいた。戦後の数えきれない作家たちは、近代のナショナリズムが、宗教的な要素を含むことを見て取った。歴史家でドイツ文学者クラウス・フォンドゥンクは、彼の本『ドイツにおける黙示録(Die Apokalypse in Deutschland)』の中で、ドイツにおける政治的ナショナリズムが、「その出生時から、黙示録的なイメージに貫かれて形成された」と指摘した(Klaus Vondung: Die Apokalypse in Deutschland. München 1988, S. 152 ff.)。

 歴史家マイケル・レイは、国民的な思考と近代における政治的ロマン主義の関連について記述し、その際、彼は同じく強調する。「ロマン派の世界像は、グノーシス的、かつ黙示録的で、霊的な刷新とは、いわゆる第三帝国、そしてきたるべき千年王国のことだった」(Ley: Apokalyptische Bewegungen in der Moderne. S. 17.)。

 ベルシュは彼の「第三帝国」概念の分析の中で、黙示録国民社会主義の明確な関連を打ち立て、その際に彼は信仰心の篤い黙示思想家に特有の、楽天的な視野にも注意を喚起した。「にもかかわらず、ヨハネの黙示録は――多くの知識人が考えているように――厭世的、虚無主義的なものではない。ヨハネの黙示録に叙述される、『カタストロフェー(καταστροφή)』の言葉で表される、戦争疫病飢餓自然破壊のような恐ろしい出来事は、過渡期として理解された。すなわち、より優れたものへの転換点、救済への転換点として。第一の救済の時代、千年王国に先行するものが、名高い、キリストの戦いだった」(Bärsch: Die politische Religion des Nationalsozialismus. S. 344 f.)。

20世紀における「第三帝国」編集

ドイツ帝国編集

 19世紀における社会的な討論の中で、「第三帝国」概念はいかなる大きな意義も獲得していなかった。「第三帝国」が専門用語になったのは、やっと1920年代のことだった(Bärsch: Die politische Religion des Nationalsozialismus. S. 48 ff.)。

 にもかかわらず、その表現は、すでにドイツ帝国の中で19世紀末以来、散発的に、様々な文脈で用いられていた。ドイツにおけるその概念の最初の出現は、研究においては1888年と推定されている。この年、ノルウェーヘンリク・イプセンに著述された戯曲「皇帝とガリラヤ人(Kejser og Galilæer)」がドイツ語に翻訳された(Cornelia Schmitz-Berning: Vokabular des Nationalsozialismus. Walter de Gruyter, Berlin/New York 1998, S. 156/157.)。

 イプセンは「第三帝国」の概念を、戯曲の中で、異教的世界とキリスト教世界の統合を表すものとして用いた。1894年、その概念は次いでドイツおよびポーランドの作家、スタニスワフ・プシビシェフスキの小説『不寝番(Vigilien)』の中に登場し、1896年、彼と親しい作家リヒャルト・デーメルの詩集『女と世界(Weib und Welt)』の中にも登場した。シュミッツ=ベルニンクは、これに関して、双方が「ベルリンの飲食店『黒子豚亭(Schwarzes Ferkel)』、『ウンター・デン・リンデン(Unter den Linden)』にいた円卓会議の参加者」だったこと、また、のちの「第三帝国」概念の大衆化が帰せられることになる、アルトゥール・メラー・ファン・デン・ブルックもこの飲食店を訪れていることを指摘した(Schmitz-Berning: Vokabular des Nationalsozialismus. S. 156/157.)。

 ベルシュが確認した通り、1899年に出版されたヨハネス・シュラーフの小説『第三帝国(Das dritte Reich)』は、初めて後の国民社会主義イデオロギーとの類似点を持っているという。主人公エンマヌエル・リーゼガンク博士は「グノーシス文書、ヨハネの黙示録」を学び、「『超人(Übermensch)』を夢見る」(Bärsch: Die politische Religion des Nationalsozialismus. S. 48 ff.)。

 ヘルマン・ブルテの小説「永遠のドイツ人ヴィルトフェーバー(Wiltfeber, der ewige Deutsche)」(1912年)の中では、「第三帝国」概念は、「クリスト(キリスト)」「反クリスト(反キリスト)」「鉤十字」、そして民族的・人種的、そして宗教的な世界観との結びつきをすでに与えられていた、ブロンドの純粋性に関連して用いられている(Bärsch: Die politische Religion des Nationalsozialismus. S. 48 ff.)。

えりちvs.人をダメにするソファ(14.04.15)

 さらに、その概念はジャーナリストのマルティン・ヴストによって本の題名に用いられた。同様に、1916年にはゲルハルト・フォン・ムティウスが彼の本『三つの帝国(Die drei Reiche)』に用いている。とはいえ、両作者はこの概念を平和主義的な、啓蒙的な感覚で用いていた(Bärsch: Die politische Religion des Nationalsozialismus. S. 48 ff.)。

ヴァイマール共和国編集

概念の大衆化編集

 ヴァイマール共和国においては、「第三帝国」の概念はまず1918年、ドイツの哲学者で数学者ゴットロープ・フレーゲが論説「思考(Der Gedanke)」において用いた。

 一般的に注目を得なかったフレーゲの概念化とは逆に、「第三帝国」の話題の大衆化へと貢献したのは、保守・反民主主義国粋主義者メラー・ファン・デン・ブルックの、1923年に出版された『第三帝国(Das dritte Reich)』だった(Wolfgang Wippermann: Drittes Reich. In: Wolfgang Benz et al. (Hrsg.): Enzyklopädie des Nationalsozialismus. 5., aktualisierte und erweiterte Aufl., dtv, Stuttgart 2007, S. 479 f.)。

 メラー・ファン・デン・ブルックの区分によれば、第一の帝国とは1806年までの「ドイツ国民による神聖ローマ帝国」、第二がビスマルクヴィルヘルム2世帝国、そして第三の帝国とは、ナショナリズム社会主義がその中で結び合わされる、やがて現れる帝国だった(Bärsch: Die politische Religion des Nationalsozialismus. S. 49.)。

 メラー・ファン・デン・ブルックは、フィオーレのヨアキムには直接触れることなく、彼の普及した思想を引証した。ドイツ文学者ペーター・フィリップ・リードルは書いている。「アルトゥール・メラー・ファン・デン・ブルックによって効果的に普及された『第三帝国』の概念は、ユリウス・ペーターゼンの1934年の著作『ドイツの物語と文芸』によっても探求され、フィオーレのヨアキムの、世界の中での救済の神話への霊的な教義を、民族的・国民的な救済の諸事件へ、新たな解釈を付与するものだった」(Peter Philipp Riedl: Epochenbilder – Künstlertypologien. Beiträge zu Traditionsentwürfen in Literatur und Wissenschaft 1860 bis 1930. Frankfurt am Main 2005, S. 262 {Das Abendland; N.F. 33, hg. von Eckhard Heftrich}.)。

ナチの語彙への借用編集

 エルンスト・ブロッホは、彼の1935年に初めて出版された論説「第三帝国の起源史に向けて」の中で、国民社会主義者がアルトゥール・メラー・ファン・デン・ブルックによる「第三帝国」の概念を翻案しているという見解を述べた(Matthias Sträßner: Flöte und Pistole. Anmerkungen zum Verhältnis von Nietzsche und Ibsen. Würzburg 2003, ISBN 3-8260-2539-3, S. 76 {Quelle: Ernst Bloch: Zur Originalgeschichte des Dritten Reichs. In: ders.: Erbschaft dieser Zeit. Gesamtausgabe Bd. 4, Frankfurt am Main 1977, S. 126–160}.)。

 1998年のベルシュの本『国民社会主義の政治的宗教(Die politische Religion des Nationalsozialismus)』の出版以来、このテーゼは新たな研究の中で評価が定まっていない。マティアス・シュトレースナーは書いている。


「クラウス=エッケハルト・ベルシュにより、『第三帝国』の用語法が直接的にイプセンでも、もっぱらアルトゥール・メラー・ファン・デン・ブルックでもなく、イプセンの翻訳者ディートリヒ・エッカートを通じてナチの語法に連なるとするテーゼが打ち立てられている」

(Matthias Sträßner: Flöte und Pistole. Anmerkungen zum Verhältnis von Nietzsche und Ibsen. Würzburg 2003, ISBN 3-8260-2539-3, S. 76 {Quelle: Ernst Bloch: Zur Originalgeschichte des Dritten Reichs. In: ders.: Erbschaft dieser Zeit. Gesamtausgabe Bd. 4, Frankfurt am Main 1977, S. 126–160}.)


 ベルシュも賛同して書いている。


「国民社会主義者たちに借用された『第三帝国』の概念は、メラー・ファン・デン・ブルックではなく、すでに1919年にはこの概念を――したがって、1923年の、メラー・ファン・デン・ブルックの本の初版よりも以前――影響力ある共同設立者が、明白に政治的・イデオロギー的な著作の文脈に持ち込んでいた。それは、政治家へと転身を遂げた詩人、ディートリヒ・エッカートだ」

(Claus-Ekkehard Bärsch: Die politische Religion des Nationalsozialismus. S. 50.)


 ベルシュはまた、「『第三帝国』の概念が、国民社会主義者たち自身によってはっきり書き換えられたのではなく」、「ナチのイデオロギー文学で、体系的なモノグラフを通じて扱われていた訳でもなかった」ことに注目している。そして彼は、「決して国家的な、国家体制的な構想が基盤にあったのではなかった。統治体系は1933年の以後も以前も、『第三帝国』のイデオロギーによっては作られていない」と補った(Bärsch: Die politische Religion des Nationalsozialismus. S. 48.)。

キリスト教評論家からの批判編集

 1931年6月、オイゲン・ローゲンシュトック=ヒュシーは、定期刊行物『高地(Hochland)』の中で、キリスト教世界から取られた概念を「第三帝国」によって世俗化し、俗世の代用品に用いること、「真に包括的な(「ペテロの教会」、「パウロの伝道」以後の)ヨハネのキリスト教を新たなイデオロギーによって、世俗の政治的な狭義の支配に置き換えることは許されない」と警告した。浸礼派のアルノルト・ケスターは、人間がその希望を「この世の諸王国」に置き、「神の王国、イエスの王国」ではなく、「第三帝国」を信じることの危険を書き記した(Täufer-Bote vom Dez. 1931, S. 1. Zitiert nach Franz Graf-Stuhlhofer: Öffentliche Kritik am Nationalsozialismus im Großdeutschen Reich. Leben und Weltanschauung des Wiener Baptistenpastors Arnold Köster (1896–1960) {= Historisch-Theologische Studien zum 19. und 20. Jh.; Bd. 9}. Neukirchener Verlag, Neukirchen-Vluyn 2001, S. 135.)。

国民社会主義時代編集

プロパガンダ概念編集

 国民社会主義者たちは権力の掌握後、ヴァイマール共和国を、公式の数に場所を持たないことを明確にするため、「中間のReich(Zwischenreich)」と後付けで呼んだ。加えて、「システム期間(Systemzeit)」の概念が「第二帝国」――(ヴィルヘルムの)ドイツ帝国――と、「第三帝国」の間の時期を表すものとして使われた。「システム期間」もしくは「中間のReich」によって、国民社会主義の用語では、1918年から1930/1933年までのドイツ国の議会政府システムが、Reichと是認されるドイツの権威主義の政治システムに対置され、低く位置づけられることになった。この指示に宣伝されたものが、宗教的なイメージを引き継いだ、救済イデオロギー千年王国)であることは明らかだった。

救済の魔女

 国民社会主義者たちは、「千年王国」の概念も、変化に富むドイツの歴史の後、彼らの支配の下に続く時代が来ることを宣伝するため転用していた。アドルフ・ヒトラーは、1933年9月1日、彼に率いられる国家が「第三帝国」であり、「千年」続くと宣言した(Wippermann: Drittes Reich. S. 479 f.)。

 「千年王国」、そして「第三帝国」の概念は、それらを国民社会主義者たちが用いたように、「歴史の最終段階のための、黙示録的な歴史思弁のシンボル」を拾い上げるものだった(Klaus Vondung: Revolution als Ritual. Der Mythos des Nationalsozialismus. In: Ursula Härtl et al. (Hrsg.): „Hier, hier ist Deutschland…“ Von nationalen Kulturkonzepten zur nationalsozialistischen Kulturpolitik, Göttingen 1997, S. 52.)。フォンドゥンクは述べた。


「このシンボルの借用により、ドイツの、もしくは国民社会主義のReichは変容した。周知のように、『千年王国』は千年続くことはなく、シューマンの『Reichの永遠なるフェルトヘルンハレ』のシンボルを、そして『永遠の護り』に向けられた国王広場の記念館のヒトラーによる聖別化と並び、同じ場所へ追いやった。当時、『永遠なるReich』は国民社会主義の『救済の物語』の最終段階として、そしてそれゆえに、国民社会主義者たちにとって意味のある歴史の最終段階になった」

(Vondung: Revolution als Ritual. S. 52.)


 この関連で、帝国SS指導者でドイツ警察長官、オカルティズムの信奉者であり、自身を936年にクヴェードリンブルクの城山の王城礼拝堂に葬られたハインリヒ1世王の“生まれ変わり”と考えていた、ハインリヒ・ヒムラーについても伝えている。王の没後1000周年に向けて、1936年にはクヴェードリンブルク城山のヴィペルティ教会と聖セルヴァティ教会は、「SS聖地」であると宣言された。これは、「さらなる千年間」を統治すべき国民社会主義者たちへの直接的な線を示すために行われた。

概念批判編集

 君主主義の思想から影響を受けたエーリク・フォン・キューネルト=レッディーンは、1930年代のナチ国家を、Reichの概念の正当性という理由から批判した。彼の観点では、この概念は文化、言語、そして神聖ローマ帝国の諸国民に対し多くのものを負っているが、国民社会主義のイデオロギーは全く逆のものを内包しているとした。

忌避編集

 1939年6月13日、「公刊しない」と指定された通達の中で、ヒトラーは以後の「第三帝国」概念の使用を禁止した。ラインハルト・ボルムスは、ヒトラーがそれにより「総統国家自体が、その見解から、ほとんどメラー・ファン・デン・ブルックの観念を共有していない」と告知したのだと、特に書き添えている。また彼は、ヒトラーの視点について補足している。「彼は、その中で民族大移動の時期への連想を呼び起こす際や、それによって間断なき征服遠征の時代の像へと方向づける際には、『ドイツ国民によるゲルマン帝国(Germanisches Reich deutscher Nation)』、また『大ゲルマン帝国(Großgermanisches Reich)』の表現を好んでおり、そうして彼は、彼によって作り上げられる支配の像を全く正しいものとしていた。征服国家として、つまり、外政のみならず、内政の点においても征服国家として」(Reinhard Bollmus: Das Amt Rosenberg und seine Gegner. Studien zum Machtkampf im nationalsozialistischen Herrschaftssystem. Stuttgart 1970, S. 236.)。

 1939年7月10日、帝国宣伝省は、本国ドイツ人の新聞に対し、国民社会主義体制の反対者が「第四帝国」の概念によってその永続性に関する主張を揶揄っているという理由から、「第三帝国」の概念を今後は避けるよう指令した。

 もっとも、この概念は消えてはいなかった。コルネリア・シュミッツ=ベルニンクは、その概念が、例えば、ヨーゼフ・ゲッベルスによる週刊誌『ダス・ライヒ(das Reich)』で、継続して使用されていたことを紹介している。ヒトラーの手による、いわゆる「政治的遺書」においてさえも、彼の死の前に起草されたボルマン指令の中にも、この概念が用いられている(Cornelia Schmitz-Berning: Vokabular des Nationalsozialismus, de Gruyter, Berlin/New York 1998, S. 160; Georg Stötzel: Zeitgeschichtliches Wörterbuch der deutschen Gegenwartssprache, S. 93 f.)。

ReichとEmpire編集

 1938年の「オーストリア合邦」後、「大ドイツ帝国(Großdeutsches Reich)」が、当初は非公式に、1943年6月26日以後は国家の公称として用いられた。

 1943年3月21日、帝国宣伝省は、イギリス世界帝国におけるEmpireの表現の使用と同じように、das Reichの概念を使用するよう新聞に求めていた。

ホロコースト編集

 国民社会主義者にとっての「第三帝国」の概念が価値を失い、いわゆるユダヤ人問題が第二次世界大戦中に「もはや1938年~1939年以前に扱われていた規模ではなくなっていた」にもかかわらず、「カトリックの(そして、プロテスタントの)神学者たちは、救済史の根拠からショアーを志向し、それによって、反セム主義の犯罪の過小評価に貢献した」。歴史家ウルス・アルターマットはさらに、この散発的に発生した現象について書いている。「そうして、戦争の歳月にはいくつかの神学者が、ユダヤ人の『神に見放された』という汚名を、国民社会主義者とその共犯者を通じた迫害と絶滅を説明するため利用した。彼らは、ユダヤ人のキリスト教への改宗のみが彼らを迫害から防ぐことができるという見解だった」(Urs Altermatt: Katholizismus und Antisemitismus. Mentalitäten – Kontinuitäten – Ambivalenzen. Zur Kulturgeschichte der Schweiz 1918–1945. Stuttgart/Wien 1999, S. 117.)。

 歴史家ジャック・ル・ゴフは、この思考を基礎に置く黙示録的な思考を、ある種の近代的な事件として強調した。彼は書いている。「そして、今日のヨーロッパ人が終末論的なイメージを持っているとすれば、それは遺憾ながら、民族虐殺核の威嚇によるものとなっており、それらは中世の社会の、少数者によってのみ広く喧伝されていた、黙示録のユートピアと不安の中におけるそれより、はるかに黙示録的である」(Jacques Le Goff: Das alte Europa und die Welt der Moderne. München 1996, ISBN 3-406-39269-5, S. 65.)。

抵抗編集

 1943年の、ゲオルク・ビュフマンの『翼のある言葉(Geflügelten Worte)』の第29版においては、こう書かれている。


「その言葉を、しばしば悪意のある含意をもって用いていたその反対者たちよりも、国民的な範囲それ自体は狭いものだった。アドルフ・ヒトラーとNSDAPは、彼らが第三帝国を導いていくと明確に固持したことは一度もなく、今やそれについて公に語られることはほとんどない。それにもかかわらず、人々は国の内外で、大衆的に、(1933年1月30日の)権力掌握から今日まで『第三帝国』についてのみ語っている」


 アメリカの劇映画『カサブランカCasablanca)』(1942年)では、ドイツの少佐シュトラッサーがヴィシー・フランスの大尉ルノーを非難し、彼は「第三帝国」の言い回しを、彼今なお待ち望んでいるものという、言外の響きをもって用いている。

戦後の時代編集

1945年の終戦以後の概念使用編集

 戦後、世間の「第三帝国」概念の思考の方向は、根本的に変化した。この概念内容と結びついた百年間に関する観念は未来と関連づけられ、そうしてこの概念は、以後、一般に国民社会主義の時代と、過去の歴史ともそれによって関連づけられることになった。1945年以後、日常語における「第三帝国」の名称は、歴史家たちの下で、ジャーナリズム、学校における歴史の授業の中で意味づけられ(Siehe z. B. Das Dritte Reich. Dokumente zur Innen- und Außenpolitik, hg. v. Wolfgang Michalka, Deutscher Taschenbuch Verlag, München 1985; Saul Friedländer: Das Dritte Reich und die Juden. Verfolgung und Vernichtung 1933–1945. Zwei Bände, C.H. Beck, München 1998 und 2006; Das Dritte Reich – eine weltgeschichtliche Zäsur. In: Geschichte und Geschehen Neuzeit. Sekundarstufe II. Ernst Klett Schulbuchverlag, Leipzig 2005 u. ö.)、それによって、ナチ独裁期のドイツに関連づけられることになり、そして国民社会主義者たちも、彼らの支配期のドイツを差す、特別な概念を特に作り出してはいなかった。

 一般に1945年以後、ドイツ連邦共和国においては、確かに一種の「名称の不均衡」が明確になった(Georg Stötzel: Zeitgeschichtliches Wörterbuch der deutschen Gegenwartssprache. 2., S. 92.)。

 そうして、「民族的に広がった」「第三帝国」の表現は、ナチ国家、ナチ体制、ヒトラー独裁、国民社会主義支配といった名称と共に用いられていた(Georg Stötzel: Zeitgeschichtliches Wörterbuch der deutschen Gegenwartssprache. 2., S. 92.)。

 例えば、ゲオルク・シュテッツェルによる日刊紙『taz』(1989年から1999年の間の)と、週刊誌『ディー・ツァイト(Die Zeit)』(1995年から1998年)の無作為の抽出の形での調査は、これらの新聞におけるその時期の調査の間に、他の呼び名に対し、「ナチ時代の呼び名」が「優勢」であると示した(『taz』は90パーセント、『ディー・ツァイト』は60パーセント)。

1980年代以降の批判的な討議編集

 言語批評の視点から、法律家のヴァルター・マルマンは1984年、『ドイツ法史学中辞典(Handwörterbuch zur deutschen Rechtsgeschichte)』において、「第三帝国」の用語が、「思想史的、憲法史的、法律的、政治的に擁護しえない」とする、彼の異論を明らかにした(Walter Mallmann: Deutsches Reich. In: Handwörterbuch zur deutschen Rechtsgeschichte. Band III. Berlin 1984, S. 724.)。

 1989年、ディーター・グンストは、1945年以後「第三帝国」の概念をいかに再設定しうるかという問題をその中で提起する論説を書いた。その際に彼が認識したのは、一方では、その概念が1945年に連合国からイギリス語法として再移植されたものであり、また他方で、基本法第131個条に従い、「ナチ時代の元過激派」が、「彼らが有罪判決を受けない限り」、「連邦共和国の行政の中に引き継がれた」ことだった。彼はこれに関して付け加えている。


「『第三帝国』概念は、中立的で、軽蔑的でなく、それゆえに、この領域では、『ナチ恐怖政治』や『ヒトラー体制』など、自意識を排除された時代を思い起こさせる、他の呼び名よりも好んで用いられている。この点、『第三帝国』概念は、元ナチの心情にも適うものであり、例えばゲシュタポの初代長官ディールス、ヒトラーの副首相フォン・パーペン、軍需大臣シュペーアといった人物は、その正当化の文章の中で好んで用いていた」

(Dieter Gunst: Hitler wollte kein „Drittes Reich“. In: Geschichte, Politik und ihre Didaktik 17, 1989, S. 303 f.)


 その上、グンストは、「第三帝国」としてのヒトラー体制の後付けの呼び名が、「国民社会主義の位置づけ」のみならず、諸々の史実を誤って特徴づけているとした(Gunst: Hitler wollte kein „Drittes Reich“. S. 303 f.)。

 ヒトラーは――彼が書き加えているように――ある種の国家も、「特別なReich」も、打ち立てた訳ではないという(Gunst: Hitler wollte kein „Drittes Reich“. S. 303 f.)。

 ゲオルク・シュテッツェルは、彼の2002年に初めて公刊された『ドイツ現代語の現代史辞典(Zeitgeschichtliches Wörterbuch der deutschen Gegenwartssprache)』において、学術文献においても、ドイツの新聞においても、「第三帝国」概念に関する識別可能な反映が欠如していると明示した。そうして彼は、特に、例えば歴史家のカール・ディートリヒ・ブラッハーが1964年に「第三帝国」概念を、常に「離れた引用符」と共に、ただし、はっきり名称の問題性を述べることなく用いており、「言葉に敏感な政治学者」ディートリヒ・トレンハルトも、彼の本『ドイツ連邦共和国史(Geschichte der Bundesrepublik Deutschland)』において全く同様に用いていたことを見て取っている(Georg Stötzel: Zeitgeschichtliches Wörterbuch der deutschen Gegenwartssprache. 2., S. 96 f.)。例えば、1950年の『シュピーゲル(Der Spiegel)』は一貫して、様々な版で「第三帝国」を引用符抜きに書いている。彼は以下のようにまとめた。


「民衆の間で、ドイツの1945年以後の新聞の中で、記号をつけない第三帝国も、引用符を伴った『第三帝国』も、一貫して現れていることに、どの著作、文章、論文が責任を持つのか、見分けのつく土台もなく、解説する論拠もなく、処理するのは一義的ではない」

(Stötzel: Zeitgeschichtliches Wörterbuch der deutschen Gegenwartssprache. 2., S. 96 f.)

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